夜明け前、伯爵家の豪華な客室のベッドの上で、寝間着姿のままの俺とヴィリー叔父さんは対面していた。
叔父の突然の訪問に、俺は驚きと不安で胸が高鳴った。一緒に寝ていたハクは驚いて慌ててベッドから飛び降りたが、叔父だとわかると静かに横になり、再び眠りについた。
俺も安堵したが、同時に何故こんな時間に叔父が訪れたのか不安になり、色々な考えが頭をよぎった。
「ジークにお願いがあるんだよ」
「何でしょうか?」
不安そうな俺を察してか、ヴィリー叔父さんは優しく微笑みながら言う。
叔父の目には心配と期待が混ざっていた。
「闇魔法の『漆黒』を打ち消す、『光輝』をこのガラス石に入れてほしいんだ」
叔父の手元には、高ランクのガラス石があった。それは一目でわかるほどだった。
しかし、俺はそれを横目で見つめながら、悩ましげに眉を下げた。俺があまりいい反応を示さないのを見て、叔父は言葉を続ける。
「私は属性を所持していないから、使用できないんだよ」
叔父の言葉に、「いつまでにですか?」と俺が尋ねると、叔父は「至急かな」と答え、すがるような目で俺を見つめた。その態度から、緊急を要する事態が生じていることが明らかだった。
叔父が所望する『光輝』は、光魔法の中でも最上級の魔法であり、聖魔法でも使用可能なものだ。
しかし、現時点では俺にはそれを使用する能力がなかった。
「光魔法や聖魔法は、修練をあまり積んでいません。それに『光輝』の使用経験もありません。『光輝』を使用できたとしても、ガラス石に魔法を上手く入れるかどうか不安です。数日の時間があれば対応できると思いますが」
俺の回答に対して、ヴィリー叔父さんはとても困った顔をして腕を組んだ。
それは、数日も時間がないということを意味していた。
「うーん。ガラス石に魔法を入れる補助はできると思うけど、魔法はさすがにね」
「一日、時間をください」
俺の申し出に、ヴィリー叔父さんは目を見張ると微笑みながら、「わかった。頼んだよ」と言い、俺の頭を優しくなでた。
俺はその期待に応えるように、「はい」と返事をした。
叔父が『移動魔法』で部屋から消えたのを確認して、俺はヘルプ機能を呼んだ。
「ヘルプ機能、補助を頼んだよ」
《はい。ご主人様。準備はできております。駄犬をここへ呼び出しました》
シルビアを連れて行くのかと、意外な人選に俺が内心驚いていると、ヘルプ機能から補足が入った。
《癪ですが、駄犬は光と聖の属性を所持しており、枷がなければ、相当な使い手です。駄犬に魔法の修練を監督させ、アドバイスを受ければ比較的早く、魔法を習得できると思われます》
俺が「そうなんだね」と、相槌を打ちながらベッドを降りて身支度を始める。
《あまり褒めたくはありませんが、駄犬はあれでも神獣であり、魔術や戦闘には長けているのです》
「なるほど」
《ご主人様の魔法の習得が難しい場合、駄犬に魔力を貸し出し、ご主人様の代わりに『光輝』を使用させ、ガラス石に込めれば良いかと思います。ただ、相当な負担が、ご主人様に加わりますので、これは最後の手段と考えてください》
「了解。最終手段でも、気持ちが楽になったよ」
ヘルプ機能の説明を聞いて、俺は少しだけ肩の荷が下りた。
正直なところ、ヴィリー叔父さんに『一日、時間をください』との申し出はしたが、一日でそれらを習得する自信はなかった。
けれど、叔父の俺への期待を裏切ることはできなかったのだ。
<ジークベルト。お出かけ?>
ベッドで寝ていたハクが、まだ眠そうに瞼を開けたり閉じたりしながら、俺の方に向き直り、尋ねた。
ハクの声はまだ眠気に満ちていて、言葉がぼんやりとしていた。
「うん。光魔法と聖魔法の修練をしにね」
<わかった。ハクも行く>
「お留守番していてもいいんだよ」
<ハクは、ジークベルトと一緒>
そう言って、ベッドから降りたハクは体を大きく振り、眠気を振り払う。
そこへシルビアが眠そうに目をこすりながら、少し掠れた小さな声で「呼んだかえ」と言いながら、ゆっくりと部屋に入ってきた。
シルビアの銀の髪は乱れており、急いで来たのがわかった。
ヘルプ機能から大まかな説明を受けたシルビアは、徐々に眠気を振り払い、普段の調子に戻っていた。
「むぅ。決勝戦は見れないのぉ」
「ごめんね。シルビア」
「仕方ないのじゃ。お主こそ兄の雄姿を見れんでよいのかえ」
「うん。決勝戦の相手は、準決勝のフランク・ノイラートより、総合力も落ちるし、実戦や技術から考えても、今のアル兄さんが余裕で勝つよ」
俺の言葉に対して、シルビアは『お主、『鑑定眼』を使ったな』と鋭く突っ込んだ。
俺は苦笑いしながら、「準決勝の試合中にちょっとね。相手の背景が気になったんだよ」と答えた。
シルビアは案外聡く、俺の態度から「的は外れたのかえ」と遠慮がちに言う。
それに対して、俺は再び苦笑いを浮かべた。
「むぅ。じゃっとすると、アルベルトの準決勝が、実質的に決勝戦だったことになるえ」
「そうなるね」
《ご主人様。お話を遮って申し訳ありませんが、時間がありません。すぐに指定した場所へ転移してください》
「あぁ、ごめんね。ヘルプ機能。じゃ、ふたりとも行くよ」
伯爵家の客室から、二人と一匹の姿が消えた。
『閃光』
辺り一面に、強い光がきらめく。
「お主、なかなか筋が良いのじゃ。この調子で『光輝』もすぐに取得じゃ」
「少し休憩」
<目がチカチカする>
「ハク、大丈夫かい? 『聖水』」
「お主、そこは『癒し』を使わんかえ。光や聖の熟練度が上がらんのじゃ」
「あっ、そうだった」
アン・フェンガーの迷宮に籠って、数時間経っている。
シルビアは俺の魔法を指導して、ハクは、近づいてくる魔物の討伐をお願いしている。
「間に合うかな」
「弱気じゃな。ヴィリバルトに一日時間を貰ったのじゃろ」
俺が不安そうにつぶやくと、シルビアはすぐに反応して、励ましてくれる。
「うん。そうなんだけどね」
「なら、まだ昼にもなっておらん。このまま修練を積めば『光輝』は使えるのじゃ。まぁ安定はせん。けど、及第点じゃ」
シルビアの言葉に、俺は「うん」とうなずいて返事をした。俺の煮え切らない態度を見て、シルビアは「何が引っ掛かるのかえ」と心配そうに尋ねてくる。
俺は考え込みながら、「アル兄さんに使用された精霊魔法だよ」と答えた。シルビアは首を傾げて、「それのう」と納得した様子で言った。
シルビアの反応から、この話をもう少し広げてみることにする。もしかしたら、何か新しい発見があるかもしれない。
「精霊が関与しているよね」
「そうじゃな。おそらく上位の精霊が関与しておる」
「なんで、上位の精霊ってわかるの?」
シルビアは俺が尋ねた疑問に対して、少し難しい顔をしながら口を開いた。
「むぅ。お主は、精霊の種族が六つあるのは知ってるかえ」
「うん。火・水・風・土・闇・光、だよね」
「そうじゃ。その中でも上位と呼ばれる精霊たちがおる。その者たちには特性があり、魔法を付与できるのじゃ。『精霊の加護』というものじゃ」
俺はその説明に対して、「精霊の加護」とつぶやきながら、胸元のリボンに手を伸ばした。それを見てシルビアは大きくうなずく。
「そうじゃ、このリボンにかけられた『結界』も、水精霊の特性じゃ」
「魔道具みたいなものだよね」
「まぁ、にてはおるが、精霊の加護は物だけではなく人にもできる」
「魔契約とは違うの?」
「うむ。精霊と魔契約すれば、精霊魔法が使えるようになる。その力は契約精霊とその者の資質により変化するのじゃ。しかし、精霊の加護はそれに依存せず、精霊本来の力が付与されるのじゃ」
俺は「なるほど」と、相槌を打つ。
「とはいえ、精霊の加護は、特性魔法に縛られるがのう」
「どういう意味?」
「簡単に言えば、その精霊の一番得意な魔法を一つだけ加護できるのじゃ」
「ねぇ、それって」
俺の言葉を理解したシルビアは、うなずきながら言った。
「うむ。『魅了』が光精霊の加護ではないかと妾は思うとる」
「ユリアーナ殿下が、光精霊と契約している可能性があるってことだよね」
「うむ。おそらくヴィリバルトは、その線を洗っておったんじゃないかえ」
「だとしたら、ヴィリー叔父さんから何らかの連絡は入るはず……。だけど、ヴィリー叔父さんは隷属を疑っていた」
俺が険しい表情で言葉を選んでいると、シルビアは身を乗り出して話し始めた。彼女の声は力強く、言葉は明確だった。
「そこなのじゃ。ヴィリバルトは疑ってはおるが、確証がないゆえ、断言はできない。しかし、ユリアーナが光精霊と契約しておるのなら、お主の『鑑定』をレジストできたのも、納得ができるのじゃ」
「だけど、ヘルプ機能の調査では……」
《ご主人様、私の機能は半減されております。駄犬の言う可能性は大いにあります》
「駄犬と呼ぶなっ!」
シルビアとヘルプ機能の激しい言い争いが始まった。
俺はそれを横目に見ながら、シルビアとの会話の内容と過去の出来事を思い出し、深く考え込む。
エスタニア国王の寝室で、『漆黒』が使用され、『光輝』が必要となった。この事件の主犯は、武道大会爆破計画を阻止されたトビアス一派の犯行で間違いないようだ。
状況的にザムカイトから提供された魔道具を使用した可能性が高い。
だけど、ザムカイトが行方をくらました後、アル兄さんが襲われている。敵側には、ザムカイト以外の腕利きの闇魔術師がいることが確定しており、今後の対策が必要だ。
また、ガラス石に『光輝』を入れる理由は、俺自身の能力を世間から隠すことと、他国の人間が安易に国王の寝室に侵入することを防ぐためだ。
おそらく後者が本来の理由であり、ヴィリー叔父さんの周辺に王家の関係者がいる。その関係者がユリアーナ殿下だと俺は考えていたが、シルビアから聞いた話しでは、叔父はユリアーナ殿下を警戒している。
そもそも王位継承権を巡る争いが激化し、一連の事件が発生している。王族の中に首謀者がいる。
わからないのが、なぜ今なのかだ。国の威信をかけた武道大会で、各国の代表がいる中でなぜ行動に移さなければならないのか。
誰だ。誰がこの状況で優位に立つ。
<大丈夫?>
ハクの呼びかけで、俺は我に返った。
ハクが不安そうに俺を見つめていたので、俺はハクの頭をなでて「大丈夫だよ」と微笑みながら安心させた。
そうだ。俺が焦っても仕方がないことなのだ。
今は俺ができることを着実にこなすだけ。『光輝』をものにして、ガラス石に入れることに集中しなければ。
俺は立ち上がると静かに瞑想し、魔力循環を高める。必ず『光輝』を取得する。固い決意がそこにあった。
美しく輝く光が、国王の寝室に降り注ぎ、周囲の者たちは息をのんだ。
まるで幻想的な輝きに包まれたかのようだった。
エリーアスの手元には、その役目を終えたガラス石が残されていた。
「近づくな」
光が収まると同時に、国王の寝室に近づく近衛騎士たちを、エリーアスは厳格な声で呼び止めた
「私が、国王の容体を確認する。何人たりとも寝室に入ることは許さん」
「しかし、エリーアス殿下の御身に何かあれば」
エリーアスは臣下の声を遮るように、威信に満ちた声で言った。
「心配することはない。私が国王の容体を確認し、必要な措置を講じる。私とルイスには、精霊の加護が付いたこのリボンがある」
エリーアスが胸元の金色のリボンを指すと、国王の寝室前で待機していた臣下たちから、「なんと!」と言った感嘆の声が上がった。
精霊の加護は非常に稀なものであり、それを所有することは非常に特別なことである。
エリーアスとルイスがそのような加護を受けていることは、彼らが非常に強い力を持っていることを示していた。
「マティアスは、競技場に入ったか」
「はい。つつがなく」
宰相である男性が冷静な声で、周囲の騒々しい状況をよそにエリーアスの問いかけに答えた。
「トビアス兄上も競技場か」
「はい。トビアス殿下は、ユリアーナ殿下を伴って会場入りしております」
「そうか。宰相、あとは頼んだ」
エリーアスの言葉に、宰相は静かに頭を下げ、深々と臣下の礼をとりました。そして、彼は威厳を持ってエリーアスの前に道を開けた。
エリーアスはそれを横目に見ながら、「ルイス行くよ」と、従者のルイスに声をかけた。彼の背後をルイスが続き、ふたりは国王の寝室へ足を踏み入れた。
国王の寝室は静寂に包まれ、重厚な雰囲気が漂っていた。壁には高価な絵画が飾られ、床には柔らかい絨毯が敷かれており、その雰囲気にそぐわない禍々しい魔道具が、ベッドの横の棚に置かれていた。その魔道具は黒く光る石でできており、古い呪文のような文字が刻まれていた。
「エリーアス殿下」
「ルイス、危険だからさわってはいけないよ。ヴィリバルト殿の話によると、一時的に止まっているだけだそうだ。持ち出すには、この白い布をかけて、布が黒くなるのを待つしかない」
無防備に魔道具に近づこうとするルイスに、エリーアスが強く言い聞かせるように注意した。それに対して、ルイスは「はい」と神妙な顔で返事をする。
エリーアスは白い布を慎重に魔道具にかけ、ほっとして息を吐いた。彼の顔から緊張が解け、安堵の表情が浮かんだ。ルイスからも安堵のため息が漏れていた。彼もまた、エリーアスと同様に緊張が解けた様子だった。
「父上、エリーアスが参りました」
エリーアスは、寝台の上で皮と骨だけの痛ましい姿となり、苦しみに顔を歪める国王に声をかけた。
彼の声には、少しの同情と軽蔑が込められており、国王への憐れみと嫌悪が混じり合っていた。国王は、その声に反応することもなく、ただ苦しみ続けていた。
すると、突然、国王の体から細く白い光が現れた。その光はエリーアスを貫ぬき弾けるように消えた。
「エリーアス殿下!」
ルイスがエリーアスに駆け寄ると、彼は絶望に顔を染め、驚きと恐怖で身を震わせると膝をついた。
そして寝台の上にいる国王に向けて、軽蔑の視線を向ける。彼の口からは、冷たく鋭い声が漏れた。
「何ということだ。これが『王家の真実』だと」
肩を振るわせ怒りを抑えるエリーアスの姿を前にルイスは声をかけることができない。彼はただ、エリーアスの横で立ち尽くし、彼の苦しみを見守っていた。すると、エリーアスは突然立ち上がり、寝台の上にいる国王に向かって歩み寄った。彼の口からは、激しい怒りがこみ上げるような声が漏れた。
「父上、あなたの勝手な判断により、エスタニア王国は、白狼の加護を失うでしょう」
国王は、その言葉に反応することもなく、ただ苦しみ続けていた。
エリーアスは、拳を強く握り、怒りを抑えることができずにいた。彼の目からは、憤りの涙がこぼれ落ちる。
ルイスは、彼の背後で深く臣下の礼をとった。
アルベルトが決勝戦の会場に足を踏み入れると、彼の視線は自然と貴賓席に向かった。
しかし、そこにはジークベルトの姿はない。
ヴィリバルトによれば、ジークベルトは今朝早くから彼のお願いで出かけたという。そのお願いが何であったのか、ヴィリバルトは詳しく語らなかった。
アルベルトは、まだ幼いジークベルトが一体何を頼まれたのか、そしてそれがどうして今日の早朝になったのか、疑問に思わずにはいられなかった。
ギルベルトがいない状況で、アーベル家の事柄を判断するのはヴィリバルトである。アルベルトはその采配を信用しており、ヴィリバルトがジークベルトを危険に巻き込むことはないと理解している。
しかし、ジークベルトのことに関しては心配なのだ。
アーベル家の至宝として、世間に認識されつつあるジークベルトは、誘拐などの危険もある。きな臭い噂が絶えないエスタニア国内で、護衛を付けずに外出したことも、アルベルトの不安が増大した──。
***
朝食のあと、ヴィリバルトの客室を訪ねたアルベルトは、ヴィリバルトに詰め寄っていた。
「叔父上、ジークに何をお願いしたのですか」
「心配しなくても、アルが想像しているより、はるかにジークは強いよ」
「ジークが可憐で聡明で強いのはわかっています。しかし、単独で行動させるのはいかがなものかとっ……」
彼が言おうとした瞬間、ヴィリバルトからの突然の圧力により、アルベルトは全身が硬直し、言葉を詰まらせた。
「私の判断に文句があるのかい」
人を無意識に従わせる圧倒的な力が、アルベルトの前にいた。
それに抵抗してでも、ジークベルトへの心配が上回る。アルベルトの中でどうしても不安が拭えないのだ。
「叔父上の判断に従いますが、ジークに危険はないと言い切れますか」
「アルは私がジークを危険な目にさらすと?」
ヴィリバルトは赤い目を細め、アルベルトに問う。
「いいえ。叔父上を信用しています。ただ、頭では理解していますが、得体の知れない何かが渦巻いているようで、不安で仕方がないのです」
困惑した表情を見せたアルベルトが否定をしながらも、胸の内を語る。
その様子に圧を弱めたヴィリバルトがすぐに「アル、『鑑定眼』を使用するよ」と言って、アルベルトを視た。
「アル、君はユリアーナ殿下に好意をよせているのかい」
「叔父上、突然なにを!?」
ヴィリバルトの突拍子もない発言に、アルベルトが頬を赤くしながら狼狽する。
その反応を見たヴィリバルトが、額に手をあて表情を歪めた。
「そうなんだね。油断したよ。精霊の加護で魅了を完全に遮断できると思っていたが、そこに人の思いが入るとかかってしまうようだ」
「どういうことですか」
「君は今、微量の魅了にかかっている。私への不信感はその魅了に感化されているようだね。普段のアルならジークを心配しつつも黙認している。おかしいと思ったんだ」
ヴィリバルトの説明に、アルベルトが眉を顰め考えこむ。
「私が叔父上に不信感を……」
「自覚はないかい。君の言動はジークへの不安もあるようだが、私への不信感からきている」
その指摘に、アルベルトは己の行動と心境を思い出す。
過去と今の違いを客観的に考えれば、ヴィリバルトの指摘はもっともな事であり、今、ヴィリバルトを問い詰めているアルベルトは、過去のアルベルトではありえないと結論できる。
「そうですね。そう言われれば、納得する面もあります」
「厄介なことだね。おそらくユリアーナ殿下の言葉はすべて信用し、他の者の言葉に疑問があれば不信に思う」
「なるほど」
アルベルトが腑に落ちたようにうなずく。
「聖魔法で魅了を解除できるが、解除してもすぐに微量の魅了にかかってしまうだろう。アルがユリアーナ殿下に好意をよせているからね」
「まだ正常な判断ができているのは、精霊の加護のおかげですか」
「そうだね。完全に魅了されれば、ユリアーナ殿下の言いなりだね」
ヴィリバルトが軽い調子でそう告げると、アルベルトが真剣な顔して言い出した。
「今の私ではユリアーナ嬢の言動に疑問を持てないとなれば、彼女と話したすべての内容を第三者に話さなければなりません」
「そうなるね」
「では、叔父上、ユリアーナ嬢との出会いは」
「アル、ちょっと待つんだ」
アルベルトが口を開き、ふたりの馴れ初めを話し始めようとした瞬間、ヴィリバルトが慌てて彼を阻止した。
「叔父上、何か他に疑念がありますか」
「私が、アルとユリアーナ殿下の会話を聞くのかい」
ヴィリバルトが驚きの表情でアルベルトを見つめ、反問すると、アルベルトは淡々とした態度で、「適任だと考えますが、なにか?」と答えた。それに対して、ヴィリバルトはやや不満げに、「いや、なにが悲しくて甥っ子の逢瀬の会話を私が聞かないといけないんだい」と、顔を顰めた。
「必要なことです。私の客観的な報告だけでは、ユリアーナ嬢が白であることを証明できません。彼女の言動に疑わしい点がなかったかどうかを判断する必要があります。決勝まで時間があまりありません」
冷静に説明するアルベルトに、ヴィリバルトは頬をひきつかせる。
「アル、何時間話すつもりだい」
「そうですね。出会いから昨日までの話しですので、簡単に要約しても決勝までギリギリのところですね」
アルベルトが考え込んでいる最中、ヴィリバルトから発せられる魔力を察知した彼は、すばやくその手首をつかんだ。そして、にっこりと微笑みながら、「どこに行こうとするのですか。叔父上」とアルベルトは問いかけた。
その後、決勝戦が始まる直前まで、アルベルトはユリアーナとの会話をヴィリバルトに聞かせ続けた──。
***
先ほどまでのヴィリバルトとの会話を思い出していたアルベルトは、視線を貴賓席からエニタニア王家がいる上座に向けた。
そこには、王太子マティアスが鎮座しており、その下にトビアス、そしてユリアーナがいた。
「ユリアーナ嬢」
無意識に彼女の名をつぶやいたアルベルトは、自身の心が軋む音が聞こえた。
この感情を恋情と呼ぶには曖昧で、だからといって否定することもできない中途半端な気持ちに己の心が追いついていない。
魅了により、未熟だった感情を無理やり完熟させたことにより生じた軋み。この先もこの感情の揺れに悩まされ続けるのだろうと、ユリアーナを見つめながらアルベルトは思った。
アルベルトは邪念を払いのけるように頭を激しく振り、自分を奮い立たせるために頬を叩いた。彼は目の前の試合に全力で取り組むため、心を無にした。
決勝戦の開始を告げる笛の音が鳴り響くと、会場全体が一瞬静まり返った後、熱狂的な歓声と拍手で溢れた。
観客席からは期待と興奮が感じられ、その歓声を背にアルベルトは深呼吸をして、集中力を高めた。彼の目は真剣で、その期待に応えるべく、全力を尽くす覚悟が見て取れた。
「アーベル家の倅、火魔法が使えないそうだなっ、キヒッ」
厭らしく笑う男を前にアルベルトは、彼が纏う魔力の流れがおかしいことに気づいた。
対戦相手であるヘルマン・フェーブルは、アルベルトと同じく火魔法を得意とする魔法剣士だ。しかし、彼の実力は準決勝で戦ったフランク・ノイラートに比べて一段階、または二段階低いと評価されていた。しかし、その彼の魔力量が、突如として増大していたのだ。その魔力量はフランク・ノイラートを遥かに超えていた。
アルベルトは驚きを隠せないままヘルマンへ問うた。
「貴殿、何があった」
「キヒッ。さすが、アーベル家の倅、気づいたか。俺は生まれ変わったんだっ。ヒッヒヒ」
ヘルマンは厭らしく笑いながらもそれに応えた。
その言動は明らかにおかしく、不快な気持ちがアルベルトに広がっていく。そして、ある可能性が頭をよぎり、彼は思わず「まさか」とつぶやいた。
ヘルマンの祖国であるシュムット王国は、帝国の属国であり、その中でも特に弱い立場に置かれている。帝国の命令により、彼に帝国が開発中と噂されている新薬が投与されたと考えれば、彼の魔力が僅か一日で異常なほど高くなったことに納得できる。しかし、それは命を削る行為であり、副作用があるこの方法を魔法剣士である彼がすすんで選んだとは考えにくい。
アルベルトが思案しているそばで、「シューン」と炎がアルベルトの体を横を切った。
「ヒッヒ。なにをブツブツ言ってるんだ。キヒッ」
ヘルマンの手には、炎を纏った剣が握られていた。その剣は、まるで生きているかのように輝き、熱を放っている。
昨日の彼ではできない技量を目の当たりにしたアルベルトは、新たな戦略を練る必要性を痛感した。同時に深呼吸をし、『いま、ひとりの魔法剣士の命が消えようとしている』事実を直視して、立ち向かう決意を固めた。
アルベルトの態度に異変を感じたヘルマンはゆっくりと剣を振り上げ、アルベルトの方へ向けた。
その瞬間、周囲の空気が一変した。ヘルマンの剣が空気を切り裂く音が響き渡り、アルベルトに向かって炎の剣が飛んで行った。
飛んでくる炎を避けながら、アルベルトは剣を構えると、ヘルマンに向かって進みだした。この戦いが彼の人生で最も悲しい戦いとなることを覚悟した。
その後、決勝戦はあっけなく終わった。
ヘルマンの魔力暴走が発動し、体内から血が溢れ彼の全身を赤に染めていった。それでも攻撃を止めないヘルマンにアルベルトの剣技が彼の体を襲った。
そして、彼はピタッと動きを止めると体を地面に倒していた。
「さすがはアーベル家の倅、俺の技量では到底及ばない。感謝する」
そう言うと、ヘルマンは意識を手放した。
彼は一見すると厭らしい笑みを浮かべていたが、その目は正気に戻り真剣そのものだった。
アルベルトは、悲痛な表情を見せながら、彼の体内から魔力が徐々に減っていくのを感じ、最後に微塵も感じなくなったのを確認した。
ひとりの魔法剣士が、消えた瞬間だった。
***
「アルベルト・フォン・アーベルを、本大会の勝者と致す。エスタニア国王に代わり、王太子マティアス・フォン・エスタニアがこれを称える」
「有難き幸せ」
マティアスの言葉が会場に響き渡ると、歓声と拍手が一斉に沸き起こった。
その反応を受けて、アルベルトは頭を下げて感謝の意を示した。その瞬間、会場は再び歓声で溢れた。
観客たちの興奮が落ち着いたのを見計らい、アルベルトがマティアスのそばから辞する。
アルベルトの視界の端にいたトビアスが、アルベルトの辞する動きに合わせ、マティアスとの距離を詰めていることに気づいた。
他国が参加する武道大会の表彰式で不祥事を起こすなど、正常な判断力を持つ人間であれば考えもしない行動だ。しかし、彼にはそうした前例があった。
その事実を思い出したアルベルトは彼の行動を警戒し、注視する。何かあればすぐに動けるように、気配を探っていたにも関わらず、それは起こった。
「トビアス、やめなさい!」
ユリアーナが突然叫び声を上げた。
彼女はマティアスに向けられた刃物を防ぐように、勇敢にもトビアスの前に立ちはだかった。
その瞬間、周囲は驚きのあまり言葉を失い、一瞬の静寂が広がった。しかし、その静寂はすぐに悲鳴に変わり、ユリアーナが力尽きてトビアスの腕に倒れ込んでいく様子を目にした。
「ユリアーナ嬢!」
アルベルトは無我夢中で、トビアスの腕からユリアーナを奪還すると、止血するため、彼女の腹に刺さっている魔剣に驚き、目を見開いた。
「なぜ、このような物がここに!」
アルベルトの悲観的な声に、周囲の人々の視線が彼女の腹に突き刺さった魔剣に向けられ、戦慄が走る。
その隙を見つけたビーガーは、呆然と立ち尽くしているトビアスの肩を掴み、彼を転移させた。
「ビーガー侯爵が、トビアス殿下を連れて逃走しました」
ひとりの騎士の報告に、周囲の人々は苛立ちを隠せず表情を浮かべるも、ユリアーナの治療を優先することにした。
魔剣がユリアーナの血を吸い上げ、不気味に輝き始めると、アルベルトは覚悟を決めてユリアーナの腹からその魔剣を抜こうとした。その瞬間、ユリアーナを包むように淡く美しい光が現れ、魔剣はひび割れ、その傷口が癒され始めた。
それはまるで奇跡のような光景に見えた。
光の中にいるユリアーナのそばに人外な者とわかる中世的な人物が姿を現し、そっとユリアーナの頬をなでたあと、その姿を消した。
高位の光の精霊だと、会場にいる誰もがそれを認識した。
「ジークベルト様、お目覚めですか?」
金色の瞳が、不安に満ちて俺を見つめる。
その声は微かに震え、彼女が俺を深く心配していることが伝わってきた。
「ディアーナ」
掠れた声で、彼女の名前を呼ぶ。
声の違和感と体の重さから、自分が長い間眠っていたことを理解した。
混乱した頭を整理しようと努力するも、記憶が曖昧で、はっきりと思い出せない。
「お戻りになったあと、突然倒れてしまったのです」
「そう、だったのかな」
ディアーナが俺の混乱を察して、優しく微笑んだ。
その微笑みは、俺を安心させ、心の中にかすかな懐かしさを感じさせた。
なんだか懐かしい夢を見ていたような気がする。
「シロ……」
無意識にその名を口にした。
「シロ?」
「ううん、なんでもないよ」
ディアーナの問いに対し、苦笑いを浮かべてそっと答えた。
遠い記憶を頭から消すように、倒れた時の状況を思い出していた。
たしか──。
『光輝』を取得して、すぐにヴィリー叔父さんへ連絡を取り、ガラス石に魔法を注ぎ込んだことまでは覚えている。
そこから先の記憶がない。
すると、ヘルプ機能が俺に詳細を報告してくれる。
《ご主人様は、ヴィリバルトと協力して『光輝』をガラス石に入れたあと、MPが枯渇して、そのまま倒れました。ヴィリバルトが、ご主人様を伯爵家へお連れして、その間、ディアーナが看病していました。ご主人様が倒れてから二日経っております》
俺はベッドの隣に座っているディアーナの頬へ手を伸ばし、「心配かけてごめんね、ディア。君がそばにいてくれて、本当に助かったよ」と伝えた。
ディアーナの金の瞳が驚きで一瞬大きく開き、その後安堵に満ちてゆっくりと閉じた。
俺の手が頬に触れると、彼女はその表情を歪めながら、両手で俺の手を握りしめた。
しばらく無言で見つめ合っていると、ディアーナは俺の手を握りしめたまま、ゆっくりと微笑みを浮かべ、「ジークベルト様、無事で本当によかったです」と、優しく言った。
その言葉に俺は安堵の息を吐き出した。
その後、俺たちは言葉を交わさず、ただ互いの存在を感じ合う静かな時間を共有した。
その穏やかな時間の裏で、俺はヘルプ機能に『どうなったの?』と、問いかけていた。
倒れていた二日間に何が起こったのか、それを知りたかったからだ。
《『光輝』は役目を果たしました。国王の寝室からは闇の魔道具が回収されています》
そう、よかった。
《決勝戦は、アルベルトが優勝しました》
まぁ、順当だよね。
《試合は予想とは全く違う展開となりました。アルベルトの対戦相手であるヘルマン・フェーブルは、帝国が開発中の新薬によって一時的に魔力を増やした結果、試合中に魔力暴走を起こしました。その隙をついたアルベルトによって敗北し、さらに新薬の副作用により、ヘルマン・フェーブルは永久的に魔力を失いました》
ん?
なんだかすごい展開になってない?
《この背景には、帝国の威信と意地があったかと思われます》
でも、それで自滅したら意味ないよね。
たしか、ヘルマン・フェーブルは、火属性を所持してたよね。永久的に火魔法は使えないって、代償にしては大きすぎるよね。
《帝国とシュムット王国の関係性を考慮に入れると、ヘルマン・フェーブルの意思で新薬を使用したとは思えません。国家のために犠牲を強いられたと見ることができます。ある意味彼は、国の犠牲者と言えます》
治せる?
《ご主人様の能力を考えると、将来的には可能であるかと思われます。しかし、現時点では難しいです》
そうなんだね。
《ご主人様が心を痛める必要は全くありません。このような犠牲者は世界中に無数に存在します。特に、ヘルマン・フェーブルは命に別状がないという事実を考えれば、彼は幸運と言えるでしょう》
うん。
偽善者だとわかっていても、助ける力があるなら助けたいと思ってしまうんだ。
《ご主人様は、あまりにも優しすぎます。すべてを救う力など、誰にもありません。取捨選択をして、一部を切り離して考えることが必要です。そうしなければ、ご主人様自身の精神に過度な負担がかかり、心身の健康を損なう可能性があります》
心配かけてごめんね。
エスタニア王国に来てから、いろいろとあって、心が弱くなっているのかも。
《ご主人様、このまま報告を続けてもよろしいでしょうか》
うん。お願い。
《表彰式が終わった直後、トビアスが突如としてマティアスに襲いかかりました。ユリアーナが自らの身を挺してその攻撃を阻止し、その後、隙をついたトビアスはビーガーとともに逃亡しています。マティアスは無傷でしたが、ユリアーナは重傷を負いましたが、光の精霊が現れ、その加護によりユリアーナは全快しています》
えっ、倒れている間にすごいことになっているね。
《はい。それだけではなく、その奇跡を目の当たりにした国民が感銘を受け、王太子マティアスを守ったユリアーナを讃えています。また、国民の間には新たな噂が流れています。トビアスが王の子ではなく、正統な王位継承権はユリアーナにあるというものです。しかし、ユリアーナは王位継承権を所持していないにもかかわらず、女性であるためにマティアスに王太子の座を奪われたという噂です。どうやら帝国が裏で何かを画策しているようです》
うーん。この噂が流れた真意はなんだろう。
一つ確かなことは、この噂が国民の間で広まり、彼らの感情を揺さぶっていることだよね。
《これは国民が自分たちの声を上げ、不満を表明するきっかけになるかもしれません。そして、それが内乱を引き起こす可能性もあります》
帝国の目的は、エスタニア王国の内乱なんだろうね。
だとすれば、何が目的なんだろう。
《申し訳ございません。帝国の思惑は予測できません。話しは変わりますが、一つ気になることが》
俺の頭の中に響いていたヘルプ機能の声が消え去るほどの勢いで、突然エマが部屋に飛び込んできた。
彼女は非常に慌てた様子で、その顔は青白く、目には絶望が浮かんでいた。
エマは息を切らしながら、詰まる言葉で話し始めた。
「姫様! いま、王宮から連絡が! 王様が、亡くなったとっ……」
その一言が部屋に響き渡った瞬間、全てが静止した。
王の死が近いことを事前に知っていた俺でも、その現実に直面した時の衝撃は大きかった。
隣にいるディアーナはその事実を理解するのに時間がかかり、「お父様が……亡くなった?」と、ほとんど聞こえないほどの小さな声で繰り返した。
その声は震えており、彼女の顔色は一層青ざめていった。
その様子を真横で見つめていた俺の心は痛みで引き裂かれたように苦しくなる。
しかし、俺はディアーナに伝えなければならないことがある。
それは彼女が知るべき真実。『王家の真実』を彼女にいま伝える必要があった。
ディアーナが落ち着いたことを見計らって、俺は彼女の手を再び握った。
「ディア、君に話さなければならないことがあるんだ」
俺の声は震えていた。ディアーナは俺を見つめ、その瞳には混乱と不安が宿っていた。
「これは、君が知るべき真実だ。王家の真実だ」
俺は深呼吸をして、握っている手に力を入れた。
「君は本来、王位継承権第一位なんだ」
「特例である先祖返りのことをおっしゃっているのですね。それはお父様が公表されておりませんので、私の王位継承権は第四位です」
「それが違うんだ。王が公表せずとも王位継承権第一位は君にある。エスタニア王家の秘密。それは建国時にある。君の先祖返りには初代エスタニア王の血縁が関係しているんだ」
ディアーナは驚きで口を開けたまま、俺を見つめていた。
彼女の深い金色の瞳は困惑と驚きで広がり、その美しい顔は驚愕で硬直した。その瞬間、俺の心は複雑な感情で満たされた。
彼女に真実を告げることの重さと、彼女がそれを受け入れるかどうかの不確実さによる緊張感。
「ジークベルト様? 初代エスタニア王の血縁?」
彼女の声は震え、その言葉には混乱と不信感が込められていた。
俺は極めて冷静に言葉を続ける。
「エスタニア王国には、有名な昔話があるね。『白狼と少女の約束』」
「まさか」
何かに気づいたディアーナが、そうつぶやいた後、俺は同意するように言った。
「そうそのまさかだよ。初代エスタニア王は白狼と人間との間に生まれた子供だ」
「待ってください。私の先祖返りは数十代前に起因します。後宮に獣族の妃がおり、その妃の子孫からです。王家は現在近親婚を禁止しておりますが、昔はそれがございました」
ディアーナは一瞬、言葉を失った。
彼女の瞳は驚きと混乱で広がり、何度か口を開け閉めした。そして、彼女は深呼吸をして、自分の思考を整理しようとした。
俺はそれを尻目に確信を告げる。
「おかしいと思わない。獣族の妃の子孫を特例で王位継承権第一位とするなんて。それに獣族の妃には子はいたけど、残念ながらその子は成人前に亡くなっているよ」
「それはっ……どういうっことで……しょうか」
ディアーナの声は震え、その瞳からは信じられないという感情が溢れていた。
「エスタニア王家には、公に知られている『表の王家の系図』と、秘密裏に保管されている『真実の系図』という二つの系図が存在する。『表の王家の系図』には、獣族の妃の子孫が現王家の血筋に受け継がれていることが記載されている。だけど『真実の系図』にはないんだよ。後の王が隠蔽するために二つの系図を作成した。代々エスタニア王には、真実が告げられる。初代エスタニア王は白狼の血が半分流れている。その子孫が現王家である。先祖返りをした子が誕生した場合、エスタニア王とすることも」
ディアーナは驚きと混乱が交錯する表情で、俺の言葉を消化しようと目を閉じた。
彼女の唇が何度も開いたり閉じたりする様子から、彼女がどれほど動揺しているかが伝わってきた。
その様子を俺は静かに見守っていた。
「ジークベルト様は、何をご存じなのですか」
ディアーナが戸惑いを隠せずに問いかけた。その瞳には、答えを求める強い意志が宿っていた。
俺は彼女の目を見つめ、ゆっくりと口を開いた。
「昔話に登場する白狼は千年以上生きていて、獣族に近い姿へ変えることができたんだ」
「それはどういうことですか?」
驚きや不安が声に滲みながら、ディアーナがさらに問い詰める。
「白狼は神獣だった。白狼は神化に近い力をつけていたんだ。人に興味があった白狼はひとりの女性と出会い恋に落ち、息子が誕生した。息子は成長すると共に人に興味を覚えたんだ。その時期、この国は荒れていた。彼はその動乱の中に身を寄せ、そしてエスタニア王国を作った。父親である白狼は息子に加護を与えた。この国の繁栄と息子の未来を願って。それが初代エスタニア王だ」
俺がその事実を明かすと、部屋は一瞬で静寂に包まれた。空気が凍りつくような、それほどの衝撃がそこにあった。
ディアーナはその事実をある程度予測していたのだろう。
彼女の瞳は驚きよりも理解を示していた。彼女は深呼吸を一つし、落ち着いた様子でうなずいた。
その後ろで、いままで静かに息を殺していたエマが、驚愕の色を浮かべていた。彼女の顔色が青ざめ、目が見開かれ、口元がわずかに震えていた。
これから起きるであろう事柄を含めると、エマにも事実を伝える必要があった。
一呼吸おいてから、俺は淡々と告げる。
「代々エスタニア王に告げられる真実。それが王以外の王族の人間に漏れていたらどうなる」
ディアーナが「……っ」と、言葉にならない声を上げた。
彼女の瞳は驚きと恐怖で広がり、その深さには信じられないほどの恐怖が宿っていた。
息を呑む音が部屋に響いた。
彼女の想像を肯定するように、「そうだよ。ディア」と俺が静かに彼女の名前を呼ぶと、彼女はぎくっと体を震わせた。
「君を囲む。もしくは、君を殺すよね」
俺の言葉が部屋に響き渡ると、ディアーナは息を止め、目を見開いた。
その様子を確認した俺は、おどけた口調で、「信じられないよね」と言った。
「いいえ、ジークベルト様は嘘はおっしゃいません。私が襲われた理由が王位継承権であるとは予想しておりましたが、そのような背景があるとは信じがたく、いえ、ジークベルト様を疑っているわけではないのです」
ディアーナはそう言った後、彼女の顔色は一瞬で青ざめた。
俺は彼女の反応を静かに見つめていた。そして、ゆっくりと口を開き告げる。
「ディアのステータスを『鑑定』した時、一部が見えなかったんだ。それは『白狼の加護』によって覆い隠されていた部分だ。だけど、ぼくにはそれが見えるんだ。なぜなら、ぼくには『鑑定眼』があるからね。この特別な能力により、他の人々が見ることのできない真実まで見えるんだ」
俺の言葉に、ディアーナの目が驚きで見開かれ、一瞬の間、時間が止まったかのような静けさが部屋を包んだ。
そして、その静けさを切り裂くように、俺は言葉を続けた。
「ディアは『白狼の加護』と『覚醒』を持っているんだ。それは普通の『鑑定眼』でも見抜けないほどの強力な加護だ。ディア自身が成人した時、その加護はステータスに表示される。その瞬間、君の能力は開花され、王としての器が備えられるんだ」
「王としての器……」
ディアーナが自分自身に問いかけるような小さなつぶやきを、俺は聞き取った。
「白狼がどのような思いで、初代エスタニア王に加護を与えたのかは、わからない。その加護の一つとして、『王の器』が成人とともに、付与される。あとは……」
部屋の扉をノックする音が響き渡り、ディアーナたちは息を呑んだ。
一旦、俺は言葉を止め、部屋に入ってくる人物を静かに待った。
「呼んだかえ」
部屋に入ってきたシルビアが、だるそうな声で尋ねた。
彼女は頭にスラを乗せ、ハクを引き連れて、ゆっくりと部屋に入ってきた。
「ガゥ!<起きた! ジークベルト!>」
「ピッ!<主、仕事した!>」
二匹が、俺のベッドに飛び乗ると各々に報告してくる。
スラの体が一回り小さくなっていることに気づいた俺は、驚いて彼を見つめた。
「スラ、お前……どうしたんだ?」
「ピッ<ユリウス、心配。体分けた>」
スラの言葉に俺は驚き、しばらく言葉を失った。
セラの時の行動もそうだったけど、スラはどうやら感情移入しやすい性格のようだ。
俺が注意しないと、次から次へと体を分けてしまい、スラ自身が危険にさらされるかもしれない。
「ガゥ?<スラ、大丈夫?>」
俺の表情を読み取ったハクが、俺に問いかけてきた。
俺は苦笑いして、「大丈夫だよ」と、安心させるように二匹の頭をわしゃわしゃと優しくなでた。
一方、ディアーナは、突如として現れたシルビアの登場に困惑を隠せない様子でいた。
「ジークベルト様?」
「なんじゃ、小娘」
ディアーナが俺へ助けを求めて呼びかけるも、シルビアがそれを阻止する。
その攻防をもうしばらく見ていたい気持ちだったが、時間が差し迫っている現実との間で、俺は終止符を打つべく声をかけることにした。
「シルビア、『白狼の加護』について、ディアに説明してほしいんだ」
「むっ。妾がかけた加護ではないからのう。予測になるのじゃが?」
俺のお願いに、シルビアは一瞬、戸惑った表情を浮かべる。
「俺よりも適任だと思うんだけど」
「ジークベルト様、私、お話についていけません。どうして、シルビア様が適任なのでしょう」
そう問いかけたディアーナの金の瞳は疑問で満ちており、彼女の口元は固く結ばれている。
ディアーナが俺たちの会話の意味を理解できない様子を見て、シルビアは呆れた口調で言った。
「お主、まだ話してないのかえ」
「話す途中で、シルビアが来たからね」
俺はなんとも言えない表情で、シルビアに答え、ディアーナに向き合う。
「えーと。なんていうのかな、シルビアは、神話にでてくる白狼の妹なんだ。血縁者が話した方がいいと思ったんだ。僕の『鑑定眼』も不安定でね。すべてを見通せるわけじゃないんだ」
「むっ。まだ、主様の干渉が続いておるのかえ」
シルビアが驚愕した様子で、俺に問いかけたので、俺はそれを肯定するように深くうなずいた。
その真横でディアーナが、「えっ、あのっ。えっ……」と驚き混じりの声を上げていた。
彼女の金の瞳が広がり、シルビアを見つめると、「シルビア様が、白狼の妹?」とささやく。
ディアーナは一瞬考え込んだ後、金の瞳を見開いて言った。
「つまり、初代エスタニア王の叔母ということですか。そうとなれば、私とシルビア様は、先祖が同じ……」
しかし、ディアーナの驚きはそこで止まらない。「えっ、でも、白狼の妹……」と彼女はつぶやいた。
そして再びシルビアを見つめて、彼女は考え込んだ。
「シルビア様は、白狼になるのかしら。あら、シルビア様は、いつジークベルト様から呼び出しをされたのかしら。これは聞いてはいけないことなのかしら」
ディアーナの独り言に、シルビアは眉をひそめて指摘する。
「小娘、言いたい放題じゃな」
「私、声に出してっ」
ディアーナは頬を赤くして口元を覆った。
その慌てようを見て、シルビアが口元をゆるめ、微笑んだ。
そして、誇らしげに胸を張り、力強く宣言する。
「妾は、いろいろあって、本来の姿を封印されておるのじゃ。本来は神獣である白狼であり、小娘より偉いのじゃ!」
「シルビア、本来の姿を封印されている理由を『いろいろあって』とか、言い訳が見苦しいよ」
ジークベルトは苦笑いしながら、興奮状態のシルビアに言った。
「むっ。お主は黙っておれ! 本来なら人と交わることのない高貴な身分である妾は、ぐふっ」
「はいはい。少し黙ろうね」
シルビアが口うるさくなるのが目に見えてわかったので、俺は『遠吠え禁止』を発動し、彼女の口を封じた。
ディアーナは、口をパクパクと動かすシルビアを見つめ、一瞬だけ俺に視線を向けた後、再びシルビアに視線を戻し、同情するような眼差しを送った。
それに気づいたシルビアは、涙を浮かべながら俺に訴えてくるが、俺はそれを無視する。
余計なことに時間を費やす余裕はないんだよ。時間がね。
俺の圧力を感じ取ったのか、シルビアは一瞬、顔を歪めた。そして表情を抑えると静止した。
「兄上の『白狼の加護』は、一族の繁栄が主体となる加護じゃ。先祖返りの副産物として、王の器が生じたのじゃろ」
シルビアが、ディアーナを見つめながら深刻な表情で告げる。
その声は静かでありながらも、重みを感じさせた。
俺はそれを聞いて「いらない副産物だよね」と、内心の複雑さを隠すために皮肉っぽく笑う。
それに対抗するように、シルビアが俺を見つめ真剣に言う。
「そうかのう。妾は、必然的に必要なものではと思うのじゃが」
「必然的に?」
シルビアの言葉に、俺は思わず反応してしまった。
「そうじゃ。考えてみてみ。先祖返りが突然王になるのを周囲が認めるかえ。王の器があれば、それを肯定しやすい」
「なるほど」
納得する俺に、シルビアは一瞬微笑むも、すぐにうなずきながら真剣な表情に戻って話を続ける。
「おそらく兄上は、エスタニア王家が治める土地には、天災や飢餓がないよう結界のような加護を与えたのじゃろ。それを代々の王に継承させ維持させる。じゃが、兄上の血が薄くなれば、その加護も徐々に弱まっていく。おそらくじゃが、甥っ子は、人として生をまっとうしたのだろう。じゃから、兄上の血が濃く出た先祖返りが王になるよう助言したのだろうて」
「それは結界を守るためですね」
話しを黙って聞いていたディアーナが、理解したように言った。
その声からは、彼女がこの問題の深刻さを自身の心で感じ取っていることが伝わった。
「そうじゃ、おそらく兄上は、王の継承の際、これらの記憶と加護を与えておる。先祖返りは加護もあるが、神獣としての能力の覚醒もある」
「神獣としての能力?」
シルビアの言葉に、ディアーナは目を見開き、息をのんだ。その驚きは彼女自身でも予想外だったことを示していた。
そんなディアーナに対して、シルビアは皮肉を込めながらも優しく言った。
「うむ。神獣としての能力は個体差があるゆえ、小娘がどのような能力に目覚めるかは、妾も予想はできぬ。とはいえ、真の神獣である妾よりは能力は落ちるゆえ、気にすることはないかえ」
「ディアーナ、気になるのはすごくわかるけど、『覚醒』は成人後に開花されるから、まだ考える時間はたっぷりとある。今は『白狼の加護』について話し合おう」
ディアーナは、俺の提案に「はい」と、安堵の表情でうなずきながら素直に応えた。
そして、シルビアに向き合うと戸惑いながらも質問をする。
「あの、シルビア様は、シルビア様のお兄様である白狼様が、その後どうなられたかご存じですか」
「妾は、神殿に数百年、人間の数回分の生の時間を過ごしたのじゃ。兄上がどうなったのかは知らぬ。今は本来の力も出せぬし、気配も察知できぬからのう」
シルビアはディアーナにそう答えながらも、なぜか視線を俺に向けた。
なにかを感じ取ったシルビアが俺に訴えかけている。
さすが兄妹。
俺の微妙な変化に気づいたようだ。
しかし、俺はその訴えを笑顔で交わし圧をかけた。
一方ディアーナは、始祖である白狼の生死や行方がわからないと説明を受け、俺が危惧していた結論を導きだした。
「私が王位につけば……」
その決意を耳にしたシルビアが一瞬沈黙し、厳しい眼差しをディアーナに向けた。
「小娘が生まれた時に下した王の決断が、この国の運命を決めたのじゃ」
シルビアは、深呼吸をひとつした後、重々しく告げた。
「もはや、小娘がこの国の王になることは、情勢を踏まえてもない。この国は『白狼の加護』を失くすだけじゃ」
「私が王位につけば!」
それに対しディアーナは反論するように力強く叫んだ。
彼女の目は決意で満ちており、その声は部屋中に響き渡った。
「難しい話じゃ。誰が小娘を支持する? エスタニア王国内でそれをするものはいるのかえ。それに小娘、アーベル家は協力してくれんぞ」
ディアーナの考えを否定するかのように、シルビアは淡々と事実を告げた。
ディアーナが動揺を隠せずに「えっ」とつぶやくと、シルビアは、畳みかけるように言葉を続けた。
「小娘が王になれば、アーベル家は手を引く。ジークベルトを王配などにはせん。ジークベルトが自分の意志でそれを望んだら別じゃが……」
シルビアの言葉は俺の心にも重く響き渡った。
王配か……。
俺には、その重責を背負うほどの覚悟はない。
ディアーナが王になれば、自然と婚約は消え、彼女の支えとなる王配を探す手伝いをすると思う。
いち友人として、距離をとり、彼女が困っていれば手助けする。そのような関係が連想できた。
「もし、小娘がジークベルトに情を訴えでもしたら、アーベル家は必ずエスタニア王国を潰すじゃろうて、のう」
シルビアが冷静に続け、俺に同意を求める視線を送った。
ディアーナは言葉を失ったまま、呆然としていた。
「だから小娘よ、その選択は慎重になされんといかん。この国の未来がかかっておるのじゃから。小娘が王位を継がなくても、『白狼の加護』はすぐに消えるわけではない。長い年月を経て徐々に失われていくだけなのじゃ」
シルビアの重い声が部屋に響き渡った。
その後、部屋は息をのむような静寂に包まれ、その言葉の重みがまだ空気を震わせているかのようだった。
ディアーナは、シルビアの言葉の意味を理解したのか、彼女の金の瞳からは、深淵へと落ちていくかのような失望が滲み出ていた。
一方、シルビアは冷静さを保ち続け、彼女の視線は俺に向けられていた。
彼女の視線は鋭く、まるで俺の反応を見透かそうとしているかのようだった。
俺は心の中で、シルビアに『よくやった』と、賛美を送っていたが、表面上は落ち着きを保っていた。
俺がディアーナへ言わなければならない事実を彼女が伝えてくれたからだ。
俺は、ディアーナが王位につくことは望ましくないと考えている。
たしかに『白狼の加護』は、エスタニア王国の今後を考えると維持しなければならないものかもしれない。
しかし、それには弊害がある。それは血の濃さだ。
白狼は神化に近い力をつけていたが、人と交わることでその力を徐々に失くしていた。
その子孫であるエスタニア王家は、長い年月の中で、白狼の血を薄め続けてきた。
いつかは消えるもの。永遠はなく、現在の状況は当時とは異なるのだ。
「ねぇ、シルビア」
俺が静寂を破るように声を上げると、部屋にいる全員が俺に注目した。
それに応えるように「なんじゃ」と、シルビアが応える。
「君のお兄さんは、永遠にこの加護を持続し続けたかったのかな」
「むぅ。兄上の意志がどのようなものであったかはわからぬ。じゃが、単純に人として生きる息子を子孫を不幸にさせたくなかったからかもしれぬ」
シルビアは言葉を絞り出すようにそう言った後、ゆっくりと深く息を吸い込んだ。
その瞳は遠くを見つめ、何かを思い出すような、しかし何も見えないような表情だった。
「シルビア様、私は……」
「小娘は、自分のことだけ考えればいいのじゃ。ジークベルトと添い遂げたければ、すべてを受け入れて忘れるのじゃ」
ディアーナが気遣うように口を開いたが、それを打ち消すようにシルビアが断固とした言葉を重ねた。
彼女の顔は一瞬、悲しみで曇ったが、すぐに元の生意気な顔に戻った。
「俺も、シルビアの意見に賛成かな」
俺の意外な賛同に、シルビアとディアーナは驚きの表情を浮かべた。
ふたりとも一瞬言葉を失ってしまったようだった。
ディアーナの態度はわかるが、シルビアの驚きに、『おい、シルビア。なんでお前も驚いているんだよ』と、俺は内心突っ込んだ。
「ふむ。素直じゃと調子が狂うのう」
「私との添い遂げ……」
シルビアは目を見開きながらも小さく笑い、ディアーナは頬を染めて口元を手で覆った。
その後の空気は少し和んだ感じがした。