「姉上と接触したものは誰かつかめたのか」
「申し訳ございません。いま」

 ダンッと、机を叩く大きな音が、男の声を遮った。

「すでに数日経った。貴様らは何をしている」

 遮った男の指がトントンと机を叩き、男の苛つきがわかる。

「トビアス殿下、落ち着いてください。私どもは随時報告を」
「報告? 情報もなにもなく、なにが報告だ」
「もっ、申し訳ございません」

 トビアスの怒気に圧倒された男が、膝をつき深く頭を下げる。
 その様に、こみ上げてきた怒りが収まる。
 トビアスは、机に片肘をつきその上に顔を置くと、床に頭を下げたままの男に問うた。

「エリーアスはどうしている」
「はい。エリーアス様は、アーベル家の者を私室に」
「アーベル家だと!」

 トビアスの顔が真っ赤に染まり、腰かけていた椅子を倒し、男の前に立った。

「なぜ、報告が遅い。おまえは無能かっ」
「申し訳ございません。しかし、殿下、ぐっ」

 トビアスが男の顔を蹴り上げた。
 そして、「言い訳はいいんだよ。おまえが無能で、役立たずであることがわかった」と、男の頭を踏む。
 トビアスは顎で扉の前にいる護衛を呼び、「処分しろ」と冷たく言い放った。
 すると男が絶望した顔して、「でっ、殿下。お待ちを、わたしはっ」と、乞うが、トビアスは冷めた目で一掃する。
 室内から男が消えると、トビアスは乱暴にソファに腰をかける。

「おまえの紹介は、役に立たん」
「それは申し訳なく」

 優雅にお茶を飲む男。一連の騒動にも我関せずで、傍聴していた。
 従者が、お茶のおかわりを入れる。

「ビーガー、おまえはどう思う」
「そうですね。今までエリーアス様は中立の立場を固持してきました。しかし、連日の動きから見て王太子派であるのは明確」

 そう言ってビーガーは、新しいお茶に口をつける。

「継承権を主張して第三派となることはないか」
「アーベル家と接触したことで、その線は消えたかと」

 ビーガーの言葉に、しばしトビアスが思案すると、口を開いた。

「ディアーナか。あれは見目だけはいい。あと数年すれば利用しがいがある」
「殿下。アーベル家を敵に回すのはあまり得策ではないかと」
「たかが、一国の侯爵家。なにを恐れる?」

 トビアスが挑発するようにビーガーに問うが、ビーガーは沈黙したまま、頭を横に振る。
 その態度に、つまらなそうな顔したトビアスが、なにかを思い出したのか口元を緩めた。

「マンジェスタの王太子に毒をくれてやったが、すぐに見破られた。面白味もない」
「殿下、お戯れはほどほどに」

 トビアスの突拍子のない行動に、ビーガーは目を見開くと眉間に皺を寄せ、苦言を伝える。
 予想とちがうビーガーの反応に、トビアスが沈黙した。
 気まずい空気が、室内に流れる中、ビーガーの表情が引き締まると、いつになく真剣な面持ちでトビアスを見る。

「殿下、例のものを入手しました」
「そうか。間に合うか」
「すでに配下の者に手配をしております」

 ビーガーの報告にトビアスの機嫌が浮上した。
 その口元を緩めると、「やっと、馬鹿どもに誰が王に相応しいか、わからせられる。フハハハハハ」と、高笑いをする。
 その様子をビーカーは、目を細めながら慈愛ににた眼差しで見つめる。
 しばらく、トビアスの高笑いが続いたが、折を見たビーガーが問う。

「エレオノーラ妃殿下にお伝えはなさいますか」
「よい。母上には、正式に王太子となった時に報告する」
「殿下のお心のままに」

 ビーガーが胸に手をあて臣下の礼をとる。

「なぁ、ビーガー。姉上を自由にしたのは間違いだったか」
「ユリアーナ様は、殿下を裏切ることはございませんよ」
「そうだな。いらぬ心配をした。姉上のすべては俺のものだ」

 トビアスが嬉しそうに微笑んだ。



「アルベルト様、こちらです」

 黒い影が、アルベルトをそこへ導く。

「これで、八個」

 時限装置付きの小型の魔道具が、天井裏の隠れたスペースにあった。
 アルベルトは、ヴィリバルトから預かったボフール製の魔道具を手早く起動する。キラキラと白い粉が舞い、小型の魔道具を包み、その機能を停止させた。
 瞬時に凍らせる威力から、ヴィリバルトが魔法を提供したのだと確信する。
 何度見ても幻想的な景色に感嘆の声を上げそうになるが、アルベルトは我慢した。

「時間がない。すぐに次を探せ」
「御意」

 黒い影たちが、アルベルトの指示に従い、競技場の方々へ消えていく。
 アーベル家の影。精鋭部隊が、その鼻を利かせ『武道大会爆破テロ』の阻止にあたっていた。
 ユリウス王太子殿下の容認を取ったヴィリバルトが、ギルバルトに依頼したのだ。
 アーベル家の影が、他国で動く。その意味は計り知れない。
 アーベル家当主の決断に、否はない。
 アルベルトは、凍った小型の魔道具を見つめ、あの日、ユリアーナの告発を思い出した。


 ***


 ユリアーナに案内された場所は、錆びれた礼拝堂だった。
 以前は孤児院として活動していたが、亜人の子供を保護していたことがわかり、廃墟となった。
 ユリアーナは目を伏せ「私が訪問しなければ……」と、言葉を詰まらせる。
 庇護欲をかき立てる彼女の姿に、アルベルトは片腕に結ばれた赤いリボンを無意識につかんだ。

「アルベルト様?」

 沈黙するアルベルトに気づいたユリアーナが、声をかけた。
 アルベルトは「すまない。なんでもない」と、首を振り、ユリアーナに話を続けるよう催促する。

「ユリアーナ嬢、あまり長居はできない。本題に入ってほしい」
「あっ、はい」

 ユリアーナは返事をするも、次の言葉をなかなか出せないでいる。
 すると、アルベルトが礼拝堂の椅子に深く腰をかけると、腕を組み目を閉じた。
 その行動に、ユリアーナは表情を隠すこともなく、泣きそうな顔で微笑んだ。
 アルベルトの心意気が態度でわかったからだ。
 ユリアーナの葛藤を理解し、心の整理ができるまで、急かすことなく、待つことを選択したアルベルトの厚意に、ユリアーナは、祭壇前に膝をつくと祈りだした。
 ユリアーナが祈りだしたことを察知したアルベルトは、もうひとつの問題について考えはじめた。
 ときより、ユリアーナから発せられる微量の『魅了』に気づいたからだ。
 アルベルトは、彼女の行動から無意識に『魅了』を振りまいているように思えた。ユリアーナの『魅了』は、悪意がなく、感情がそのまま『魅了』に感化され、垂れ流れているようだった。『まるで訓練されていない赤子のようだ』と、アルベルトは感じた。
 ひとつの可能性を思い出す。
『本人が自覚していない可能性もある』と、ヴィリバルトは言っていのだ。
 しかしその可能性は、ほぼないとしてアルベルトたちは却下した。
『ステータス』がある限り、外的要因で他者から干渉されたり、能力そのものが封印されていなければ、自身の能力を把握できないことはありえないからだ。
 万が一、王族であるユリアーナが、他者の干渉を受けているとすれば、すなわち、犯人は王族しかいない。
 彼女の過去の背景から、弟のトビアスが怪しくも思えるが、物心がつく前と考えれば、彼女の母親である側妃エレオノーラとの結論が高くなる。
 アルベルトは、グッと唇を噛んだ。
 このまま自覚しなければ、将来ユリアーナは精神崩壊が起きる。能力にのまれてしまうからだ。
 魅了などの精神干渉系のスキルは、幼少期から徹底的にコントロールを叩きこまれる。徐々に汚染される精神との闘い。それが精神干渉系の能力だ。
 だから、幼少期から力をコントロールして、能力にのみこまれないようにするのだ。
 ユリアーナの年齢から考えれば、すでに汚染が進行している状況だろう。

『早急に叔父上へ相談しなければ……』

 そう結論づけたアルベルトは、祈るユリアーナの姿を捉えた。
 片腕にある赤いリボンが、静かに揺れていたことにアルベルトは気づくことはなかった。 



「武道大会の爆破計画ですか」
「はい。そう耳にしました」

 ユリアーナは淡々とその事実を口にした。その表情から静謐な雰囲気が漂っている。

「目的は、マティアスの失態を他国の貴賓たちに見せ、継承権の剥奪を狙っているようです」
「なんて浅はかな……。失礼」
「いいえ。私も愚かなことだと思います」

 ユリアーナはアルベルトの発言を肯定する。
 一旦、言葉を切ると、「だけど、私はトビアスを守りたいのです」と、自嘲気味にそう言った。
 強い意志を感じる金の瞳に、アルベルトは吸い込まれそうになるが、己を律するように、かわいいジークベルトを思い浮かべ、踏みとどまる。
 片腕の赤いリボンが揺れていた。


 ***


 ユリアーナの告発は、あらゆる面でアルベルトを翻弄した。
 ヴィリバルトへの定期的な報告と指示。アーベル家が関与することの責任と重圧。
 そしてなにより、ユリアーナとの密会に心が躍る自身の心境の変化に戸惑いとともに、あきらめににた感情が芽生え、アルベルトはそれをゆっくりと受け入れていく。
 そんなアルベルトの様子に、ジークベルトを含めた家族が、とても心配していたことに本人は気づかないでいた。

「ご協力に感謝をいたします」

 徐々に計画の全貌が明らかとなり、阻止に向けて動いていたアルベルトへ、ユリアーナが、最後の情報を告げ、謝辞を述べる。
 彼女の姿を見入りながら、『叔父上の懸念はない』と、安堵したようにアルベルトは顔を緩めた。
 ヴィルバルトのもうひとつの懸念。精霊の関与はないと、ユリアーナとの幾度かの密会で、アルベルトは結論づけた。
 ヴィリバルトの『鑑定眼』で視ることのできないユリアーナ。
 可能性としてあげられたのが、古代魔道具、精霊の関与だった。
 しかし、ユリアーナの周囲に精霊の反応はなく、彼女から奴隷術を施した精霊用の魔道具の感知もなかった。
 彼女を守っている魔法は、古代魔道具、もしくは、我々が知らない新しく作製された魔道具の可能性が高い。それが彼女を守っているのだと、アルベルトは確信した。
 ユリアーナは相変わらず、微量の『魅了』を振りまいているが、ユリアーナの精神汚染は進んでいないと、ヴィリバルトは断言した。

「実行日は、決勝戦当日だと言ったのですね」
「はい。マティアスの失脚を考えるには、絶好の機会だと話していました」

 ユリアーナがアルベルトに向ける眼差しには、アルベルトへの信頼が窺いしれる。

「絶対に阻止してみせます」
「アルベルト様、どうかトビアスをよろしくお願いします」

 ユリアーナの弟を思う気持ちに、アルベルトは同調する。
 ふとアルベルトの脳裏に、ゲルトの姿が思い浮かんだ。
 アルベルトの心を苦々しい思いが駆けめぐり、思わず顔を顰めた。

「アルベルト様?」
「いえ、私もユリーアナ嬢のように動けていればと、昔のことを思い出したのです」

 アルベルトは、ゲルトの暴挙を止められなかった自身に嫌悪感と後悔があった。
 ゲルトのジークベルトを見る目が尋常でないことに、アルベルトは気づいていた。
 家族だからとの理由で、それを無視したのだ。結果、ジークベルトに大きな心の傷をつけてしまった。
 そして、ゲルトはアーベル家を離れた。

「アルベルト様は、後悔しているの?」

 ユリアーナの問いかけに、アルベルトは頭を横に振り、強く否定する。

「いいえ。あの時の父上や叔父上の判断は間違っていなかった。私がそれに気づき動いたとしても、防ぎようがなかった。あの出来事は、起きるにして起きたことだったと、理解しています」

 アルベルトの強い意志が垣間見れ、ユリアーナは思わず視線を逸らして、うつむく。

「私は、それでも、トビアスを助けたいと願ってしまう」
「我々がどこまでできるかはわかりません。しかし、彼の方の悪行を止めることで、彼の方の延命に繋がる可能性はあります。あきらめずに、まずは阻止に注視しましょう。必ず成功させます」

 アルベルトの力強い言動にユリアーナは、顔を上げる。

「はい。アルベルト様を信じます」

 金色の瞳が赤を映し、ユリアーナの手がアルベルトへ伸び、ふたりの手が重なった。


 決勝トーナメントが始まった。
 予選はバトルロワイアル式だったが、決勝は一対一の対戦方式となる。
 六十四名が決勝トーナメントへの出場権を獲得し、五回戦を勝ち進んだものが、勝者となる。
 まずは四日間かけて、三十二試合が行われ、次に二日間で十六試合が行われる。
 その後は、中一日空けて準々決勝、準決勝、決勝の運びとなる。全日程約二週間のスケジュールだ。

「あの子は棄権したのかな」
「ガウッ<残念>」

 決勝トーナメント三日目、勝者の一覧に、控室の廊下で倒れていた彼の姿はなかった。
 アルベルトたちと同日に開催された予選の組と考えれば、明日出場することはない。
 治療後、すぐに俺たちは姿を消したので、彼の体の状態が気になっていた。
 効果が高い『癒し』を施したが、いつも使用している『聖水』の方が、効果があったのではないかと、彼が棄権したことも含め、とても気になった。
 肩を落とした俺に、「ガウッ<ケガ治ったのハク見た。大丈夫>」と、ハクが慰めてくれる。
 ハクの気遣いに、俺は「ハク」と言って、その体を抱きしめた。
 隣で観戦しているディアーナは微笑ましく、シルビアは冷めた目で俺たちを見ていた。

「アル兄さんの試合は見事だったね」

 一通り感情を整理した俺は、先ほど行われていたアル兄さんの試合について感想を述べた。
 すると、方々から堰を切ったように、剣技の美しさ、火魔法の精密さ、それらを上手く活用する戦術の素晴らしさを称賛する声が届く。
 そんな周囲の反応を、俺は当然の評価だと思う。
 俺の前では、かなり癖の強いブラコンのアル兄さんだが、外に出れば、若手の有望株筆頭の第一騎士団の隊長で、冷静沈着、頭脳明晰、魔法と剣術に優れた超エリートなのだ。
 今回同行したマンジェスタの面々には、そのイメージが、俺との接触で壊れてしまったようだが、決して俺のせいではない。

《多少はご主人様の責任でもあるかと存じますが?》

 ヘルプ機能から辛辣なツッコミが入る。
 そんなはずは……。

《ご主人様が公の場での態度を強く指摘すれば、アルベルトは控えたと考えられます。マンジェスタの団員に、これほど周知されることはなかったと存じます》

 ぐっ。いたいところをついてくる。
 俺だってアル兄さんに、注意はしたんだよ。
 だけどさ、あの、なんとも表現しがたい、絶望した表情を目の前でされたら、撤回するしかないだろ。

《ご主人様は優しすぎます。心を鬼にすることも時には必要です》

 その場だけの妥協はよくないってことを、今回で学んだよ。
 それで、調査は終わったのかな。

《はい。ある意味、ご主人様も、相当なブラコンですけどね》

 うっ、だって仕方ないだろ。
 あの状態のアル兄さんを見たら、やはり心配するものだろ。

《たしかに、先日のアルベルトの言動は、いささか驚くことでした》

 そうだろう。
 あのアル兄さんが、女性への贈り物をディアーナたちに聞いたんだよ。
 俺も目を疑ったし、たまたまそばにいたテオ兄さんが、『アル兄さん、なにか悪いものを口にしましたか』と、本気で心配していたんだ。

《ご主人様も、気が動転してアルベルトの発熱を疑ったり、『鑑定眼』を用いて状態異常を確認したり、最後は私に『これが現実であるか』と問われました》

 あっ、その行動は忘れて。
 動揺したんだよ。もっとも色恋に縁遠いと思っていたアル兄さんが、異国で親しくなった女性がいるなんて、どう考えても怪しいじゃないか。
 俺は弟として、アル兄さんの心配をしただけ。まあ多少は、興味本位があったことも認めるけど。

《では、本題に移ります》

 そこは無視するんだ。

《まず、ご主人様に謝罪をいたします。やはり私の能力が制限されているようで、全貌を把握することは難しく、不甲斐ない報告となります。申し訳ございません》

 うん。気を落とさないで、ヘルプ機能。すべてを網羅できるとは思っていないよ。
 ヘルプ機能は、『はじまりの森』で神界の干渉(・・・・・)を受けてから、一部の能力に制限がかかっている。
 シルビア曰く、『主様のイタスラじゃな。時が経てば解除されるじゃろ』と、言っていた。

《お気遣いありがとうございます。では、報告を始めます。ユリアーナ・フォン・エスタニアについて》

 ちょっと待て。
 えっ!? アル兄さんのお相手ってディアーナのお姉さんなの!

《調査した結果、アルベルトが、逢瀬を重ねている相手はユリアーナ・フォン・エスタニアでした》

 アル兄さん、またややこしい相手を……。

《ユリアーナの人柄などを調査しました。ユリアーナは、『博愛の第二王女』と国民に慕われ──》

 俺の動揺を無視して、淡々とヘルプ機能の報告が始まった。



「複雑怪奇すぎる!」
「ジークベルト様?」
「なんじゃ、お主。突然声を出してびっくりするのじゃ!」
「ブッフ」
「ガウッ<どうしたの?>」

 俺の突然の叫びに、武道大会を観戦していたディアーナ、シルビア、エマ、ハクが、それぞれ声を上げた。
 観戦中であったことを忘れ、ヘルプ機能との会話に集中していた俺は、みんなの反応で現実に引き戻される。
「さっきの試合の魔術師の繰り出した無属性の魔法──」と、適当な理由を挙げてその場を凌ぐと、両隣から、かわいそうな視線を浴びる。

「そっ、そうでしたか?」
「お主、頭は大丈夫かえ」
「すっ、すぐに拭くものを……あれ? きれいになっています」
「ガウッ! <ジークベルトにはハクがついてる!>」

 俺の意見を肯定も否定もしない、謂わば模範解答のディアーナに対して、シルビアは、話し合いが必要のようだ。
 隣から、「なんじゃ、悪寒がするえ」と悲観した声が聞こえる。
 エマは、間が悪いことに、俺の声に驚いて口に含んだ飲み物をこぼしていた。その後始末の途中に、俺が無詠唱の『洗浄』で、きれいにした。
 なんかごめんね。エマ。
 ハクは、まあ、かわいいからよしとする。
 各々の反応を見て、「そうかな」と、俺は苦笑いしながら、誤魔化した。
 そして、本日最後の試合に目を向け、押し黙った。俺がそうすれば、自然と彼女たちも、試合に目を向き始める。
 俺は奥底にあるもやもやとした気持ちを払拭するように、半ば、放心状態で試合を観戦した。


 ***


 伯爵家に帰宅すると、久しぶりの観戦で疲れたと言い、早々に客室で、ハクとふたりになる。
 ハクは、試合を見て、狩猟本能を刺激されたのか、<狩りに行きたい!>と、俺の周囲を回り猛アピールしている。
 そんな様子のハクに、「大会が終わったらね」と、頭をなでると、納得したのか、尻尾をピンと上げてご機嫌な様子で、お気に入りのソファに横になった。
 ああ、ほんと、かわいくて、癒される。ハクは俺の癒しだ。
 ベッドに上る前に『洗浄』で体を清め、リネンに顔を埋めると、清潔感を感じさせる香りに、心が落ち着く。

「はあ、このままなにも考えたくない」

 弱音がでるほど、課題が山積みだ。
 体を回転して、無心で天井を見る。

「どうしたら、誰も傷つかないのかな」

 答えのない輪の中に、迷い込んだようだ。
 ヘルプ機能がもたらしたユリアーナ王女の情報は、俺には衝撃過ぎて、頭を悩ませる。
 もう情報過多で、頭の整理ができない。なにが正しくて、なにが悪いのか。

『ユリアーナの背景にはいくつもの疑問が生じます』
『ある時期を境にユリアーナは、国民から慕われるようになります』
『ユリアーナは魅了持ちであると考えられます』
『精霊の加護付きのリボンが、魅了を遮断しています』
『アルベルトは正常です』
『トビアスのユリアーナへの依存、いえ執着は病的なものと考えるべきです』
『ユリアーナは、婚約をしていません』
『トビアスに手を貸しているのは、帝国で間違いありません』
『帝国の者の中に、ハクを傷つけた魔法色の者がいる可能性が見受けられます』
『アーベル家の影がエスタニア王国に入っています』
『マンジェスタ王国は、他国の問題にアーベル家が介入することを黙認したと考えます』

 ヘルプ機能の報告が頭を駆け巡る。
 ユリアーナ殿下が、魅了持ちであることと、国民感情は偶然だとしても、トビアスの干渉が強くなった時期が気になる。
 トビアスの暴挙の裏には、帝国がいる。自信の表れは、大きな後ろ盾があるからとも思えるが、なにか引っかかるんだ。
 ハクを密狩しようとした魔術師が手を貸している可能性もでてきたけど、その割には、俺たちへの接触が一切ない。
 すでに三年経ち、ハクのことはあきらめたと考えるべきか……。
 それに、ヴィリー叔父さんが、それを知らないはずがない。
 それとなく忠告をするはずだし、自由に行動を許可することも辻褄が合わない。
 先日の謹慎は、必然ではなく、偶然だった。

「ああ、わからない!」
<ジークベルト、大丈夫?>

 俺の叫びに、ソファで寛いでいたハクが、心配そうに顔を覗き込んでいた。
 その首元に揺れる紫のリボンに、これもヴィリー叔父さんの計らいだったことを思い出す。俺の胸にも装飾のように鎮座している紫のリボン。

 **********************
 精霊の加護付きリボン
 効果:結界
 説明:水の精霊アクアの加護が付いたリボン。あらゆる状態異常から身を守る。物理攻撃にも多少の軽減作用がある。
 **********************

 ディアーナのお土産を見たヴィリー叔父さんが、『これは好都合だね』と、口にしてリボンを回収した、翌日には各々にリボンの着用を厳命した。
 不思議に思って、こっそりと鑑定したら、精霊の加護付きだった。
 しかも、フラウ以外の精霊の加護付きに少し驚きもしたけど、ヴィリー叔父さんだからとあの場は疑問には思わなかった。
 どう考えてもこれは、ユリアーナ殿下への対処だと考えられる。
 あの時点でヴィリー叔父さんは、ユリアーナ殿下が魅了持ちであることを知っていたことになる。
 競技場で、ユリアーナ殿下が登場した時に、『鑑定眼』を使用したのだと考えれば、納得がいくのだけど。
 どうしても、なにかが引っかかるんだ。
 俺の提供情報から、アーベル家が内乱に関与することは予想できた。
 俺のために、父上たちは、他国の内乱を阻止する気でいるのだ。どのような犠牲や結末をたどろうとも、ただ俺のために動いてくれる。
 胸が苦しくなり、そばにいてくれるハクの胸に顔を埋める。
 どうしたら、どうしたら、誰も傷つかないですむのか……。
 そんな俺の甘い気持ちをあざ笑うかのように、時間だけが無用にも過ぎていく。



 そのニュースは、驚きとともに、各国に伝わった。
 三年前の武道大会を優勝した帝国の選手エイが、決勝トーナメント二戦目に姿を現さず、試合は棄権とみなされ敗戦した。
 帝国は、審議を申し入れたが、大会側はそれを受け入れず、敗戦を決定する。
 帝国関係者は、陰謀や誘拐、犯罪などの関連性を強く主張した。
 混迷を極めるかと思われたが、大会本部宛にエイ選手本人の『魔手紙』が届き、本人の意思の元、棄権するとの連絡がはいる。
 帝国関係者は怒り狂い、特級魔術師を派遣してエイ選手を探したが、いまだ彼の痕跡は掴めていないという。
 武道大会において、帝国は上位常連だったため、その歴史に泥を塗ったことになる。

 暗闇の中で、「ざまぁ、ないな」との男の声が、静かに聞こえた。


 ***


「殿下、お疲れのようですね」
「とんだ番狂わせのせいで、我が国の関与が疑われたよ」

 ユリウス殿下の肩に乗っていたスラが、机に飛び降りると、殿下のお菓子に手を付けだした。
 その姿に俺はぎょっとして手を伸ばし、机からスラをはがす。

「ピィ<クッキー>」
「少し、我慢しようね。スラ」

 俺の真剣な表情を見て、空気を読んだスラは、大人しく俺の膝の上に座った。

「アルベルトは、どうした?」
「所用で出ています」

 ユリウス殿下は叔父の説明に「そうか」と、一旦言葉を切ると、「ある噂が私の耳に入った」と言った。
 続けて、「先方へ了承をえているので、相手にせず無視をしたが、傍から見ても狂気だ。本気なのか?」と、無表情で叔父に尋ねた。
 叔父が「わかりません」と、首を振る。
 殿下は、真意を探るように俺たちを見つめ、小さく溜息を吐くと、「アーベル家が受け入れるなら、口出しはしない」と、叔父に告げた。
 その堂々たる振る舞いに、上に立つものの風格が見え、俺は圧倒された。

「心遣い有難く」
「口出しはしないが、報告はするようにと伝えてくれ」

 叔父が畏まった返事をすると、ユリウス殿下が早口でまくしたてた。
 その主張に叔父が半笑いで、答える。

「わかりました。殿下がとても心配していると伝えておきますよ」
「別に、心配などしていない。報告をしろと言っているんだ」

 表情は変わらないが、語尾を強めて主張する殿下に先ほどの風格はない。
 ユリウス殿下って、まさかのツンデレさんですか。
 空気が変わったことに、いち早く気づいた殿下は、咳払いをすると本題に入った。

「明日より、連戦が行われることになった。アルベルトには、十分に気をつけるよう伝えてくれ」
「連戦とは、また、無茶をしますね」
「私は反対したが、主催国のひとりの主賓がやけに日程をこだわった。まるでその日が決勝戦でなくてはならない、そんな様子だった」

 殿下は叔父をじっと見つめ、「まぁ、私には関係ないが」と言って、スラが口にしたクッキーに手を伸ばした。
 俺は思わず「あっ」と、言葉が漏れてしまう。すると、ユリウス殿下が怪訝そうな顔で俺を見た。

「ジークも食べたいのかい」
「えっと、その、殿下のクッキーは、スラが口にしたもので、よければこれをどうぞ」

 叔父の助け舟に、俺は慌てて状況を説明すると、魔法袋から新しいクッキーを出して、ユリウス殿下の前に置いた。

「ふっ。ジークベルトは、まだ子供だな」
「?」

 ユリウス殿下の表情が緩むと、俺の出したクッキーに手をつけた。
 殿下の行動に近衛騎士が、息をのんだのがわかる。
 俺が周りの反応に戸惑っている中、隣にいるテオ兄さんが、そっとその理由を教えてくれた。
 王族、特に大国の王太子は、必ず毒見をするのが当たり前で、俺の出したクッキーをそのまま食したことは、本来ならありえない行動だったようだ。
 ちなみに、スラはその役目を買って出たそうで、ユリウス殿下の食事の際は、スラが毒見をしているようだ。
 そう言えば、アンナのスパルタマナー教室で、貴族は直接プレゼントを貰わない。侍女を経由するなんて、話しがあったと思い出した。

「ユリウス殿下、申し訳ありません」

 真っ青な顔をして謝る俺に、ユリウス殿下は「気にするな。安心した」と、言った。
 えっ、それは、どういう意味。
 困惑している俺に、叔父の手が伸び、俺の頭をなでる。

「堅苦しいルールだから、ジークが気にすることはないよ」
「叔父様、それはジークの教育上あまりよくないと──」

 ヴィリー叔父さんの慰めに、テオ兄さんが反応すると、苦言を始めだした。
 その間も、ユリウス殿下は食べる手を止めず、俺の膝の上にいたスラが、我慢できずに「ピッ<クッキー>」と、殿下の元に飛んで行った。
 すごくカオスな状況に頭を悩ませる俺。挙句の果てには、「ジークベルト、このクッキーはまだあるか?」と、ユリウス殿下が、俺に尋ねてきた。


 ***


 しばらくして、ユリウス殿下が懐から書簡を出した。

「ヴィリバルト、陛下からだ」

 叔父が書簡に目を通すと、「しかと、お受けしました。王家に感謝します」と、書簡を『収納』に収めた。
 ユリウス殿下は、それにうなずくと、淡々と述べる。

「我々はアルベルトの優勝を見届けたあと、すべての予定をキャンセルし、直ちにマンジェスタ王国に戻る。それに伴い、任を解く。これは陛下からの勅命だ」
「御意」

 叔父の返事とともに、俺とテオ兄さんも、頭を下げる。

「長居をし過ぎた。王城に戻るとしよう」

 ユリウス殿下は、そう言って席を立つと、「ジークベルト、君の魔物をあと数日借りるよ」と、言った。
 俺が「はい」と返事をすると、机の上でまだクッキーを食べているスラに、「帰るぞ」と声をかけ、スラを肩に乗せて歩き出した。

「ピッ<主、また>」

 スラの小高い声が部屋に響き、ユリウス殿下が部屋をあとにした。



「叔父様、陛下の書簡にはなんと」

 テオ兄さんが堅い表情をして、ヴィリー叔父さんに尋ねた。

「テオ、顔が怖いよ。ジークが怯えているじゃないか」
「誤魔化さないでください。表面化で叔父様が動いているのを私もジークも知っているのです」

 テオ兄さんの圧に、ヴィリー叔父さんは目を丸くするも、その成長を喜ぶかのように微笑んだ。

「まぁ、簡単に言えば、アーベル家の他国介入について、自国は一切関与しないってことだよ」
「そうですか」

 叔父の回答に納得したのか、テオ兄さんの圧が弱まる。
 俺は「ふぅ」と、そっと息を吐いた。間に挟まれている俺は、気が気でなかった。
 テオ兄さんが本気で切れたら、大変なんだからね。気をつけてほしいよ。
 俺の心配をよそに、ヴィリー叔父さんがぶっこんだ。

「それで、極秘で兄さんから依頼されていた『ザムカイト』の件は、目星がついたのかな」
「叔父様!」

 テオ兄さんが、咎めるように叔父を非難する声を出し、俺の様子を窺った。
 あっ、俺に聞かれたらまずいやつ。作戦AとかBとか言ってたあの件ですね。
 それにしても、『ザムカイト』って、変な名称だな。

《ザムカイトとは、世界的にも有名な裏組織です》

 あっ、そうなんだ。
 裏組織って、なんか危険な臭いがするけど。

《ザムカイトは血族で構成され、高い技術と能力で世界各地で活動しています。主な活動は、秘密裏での依頼が多く、その半数が暗殺や密狩など、犯罪と関連があります》

 そうなんだ。だから、父上たちが、俺を遠ざけようとしてたんだね。
 俺はヘルプ機能から情報を得つつ、気の毒そうにテオ兄さんを見た。
 叔父の突然の発言に、なにかを察したテオ兄さんが、口調を強めてヴィリー叔父さんに尋ねた。

「なにをしたのですか」
「少しね、懐かしい魔法色(・・・・・・・)を見つけてね」

 悪戯心に満ちた表情で答える叔父に、テオ兄さんが、片手を額にあてながら、「なにをしたのですか」と再度尋ね、ヴィリー叔父さんを見上げる。

「彼らが作成した魔道具を壊して、あっ、これはアルがね。私の周囲を探る者がいたから、ちょっとしたまじない(・・・・)をかけたんだ」

 悪気なく話し出した叔父が、途中でなにかを思い出したのか、言葉を切る。
 そして、あらぬ方向を見ながら、「それが、ちょっと失敗してね。関連する誓約魔書を切ったみたい」と、気まずそうに告げた。
 
「なにをしているんですか!」

 テオ兄さんの怒声が、部屋に響く。

「国際問題となったらどうするのです! まさかっ!」
「その、まさかだね。私もいま気づいたよ」

 叔父には珍しく、歯切れが悪い。

「どうするのです。現にもう各国を巻き込んでいますよ」
「いや、でも彼らにとっては、帝国の鎖から抜け出せてよかったのでは。現に行方をくらましたようだし」

 えっ、おいおい。
 それってさっき、殿下が報告しにきた帝国の選手のことじゃ。

「もともとザムカイトと帝国は、繋がりがあったからね。それが密となり表立ったのが三年前(・・・)。まさか帝国の代表として、ザムカイトの者が出場するとは思いもしなかったよ」

 当時の様子を思い出すかのように叔父が告げ、「おそらく、誓約魔書が切れたことで自由になったんだろうね」と、言った。

「だからと言って、他国の誓約魔書に関与するなんて……。父様にはこのことは」
「それとなく」
「してないんですね。すぐに私が報告をします。他に隠していることは?」
「ありすぎて、わからないなぁ」

 あっ、テオ兄さんの顔が能面となった。

「叔父様とは、じっくり話し合う機会が必要なようですね」
「テオは、怖いね、ジーク」

 えっ、そこで俺を巻き込まないでください。
 二次被害に遭う前に、俺の心情を伝える。

「俺もヴィリー叔父さんが、悪いと思います」
「だそうですよ。叔父様」

 テオ兄さんが、妖艶に微笑んだ。
 ジリジリと迫る圧に、ふたりの間にいる俺は気づいた。
 心情を伝える前に、席を外すのが正解だった。そう後悔したが、すでに遅し。
 切れたテオ兄さんを遮ることはできず、叔父と一緒に、報連相の重要性を説かれ、解放されたのは数時間後となった。



「皆さま、大変お待たせしました。準々決勝、第五戦を開始します」

 競技場内に、アナウンスが流れると、人々が、競い合うように我先に席へ戻っていく。
 満席の観客席から、拍手が鳴り、出場選手の登場を今か今かと心待ちにしている。

「マンジェスタ王国の若き貴公子。彼の有名なアーベル家の嫡男アルベルト・フォン・アーベル。対するは、魔法都市国家リンネの刺客。氷使いのスヴェン」 

 出場選手のコールに、会場内の熱気は高まり、歓声で空気が揺れた。

「氷と火、どちらが優勢なんだろう」
「ふむ。甲乙つけがたいが、術者の技量で決まるかのぉ」

 ジークベルトの疑問に、シルビアが顎に手を置きながら思惑する。
 その答えに、「なるほど、力比べか」と、ジークベルトは納得するようにうなずいた。

「見応えのある試合となりそうですね」
「そうだね」

 ディアーナが、期待に満ちた目を向けて、試合会場に上がる出場選手ふたりを見た。


 ***


 序盤からリンネ産の魔道具を使用し、試合を己の有利な展開へもっていったスヴェンは、試合会場全体を氷で覆ったあと、アルベルトの鈍い動きを見て勝機を確信する。

「アーベル家も、所詮はこんなものか」

 スヴェンが嘲るように、体の半分が凍ったアルベルトを見る。

 アーベル家。
 世界の国々が恐れ、敬う。唯一の家。
 その配下は、数千にも及び、世界を動かしているという。

「やはり噂は信憑性にかける──」
『業炎』

 次の言葉をつなぐことはなく、スヴェンは炎に包まれた。

 それは一瞬の出来事だった。
 炎が舞うと、凍ったはずの試合会場の地面が割れ、所々に水蒸気が漏れ、会場全体の気温を押し上げた。
 そして、先ほどまで無傷で立っていたスヴェンが、意識を失くし倒れている。

「審判。彼の容態を早く確認したほうがいい。適切に処置しなければ、後々、後遺症が残る危険性がある」

 静まり返る会場で、アルベルトの声に反応した審判が、すぐに医療班を呼ぶ。
 そして、「勝者、アルベルト・フォン・アーベル」と、アルベルトの勝利を宣言した。
 運び出されるスヴェンを前に、「申し訳ない。加減を間違えた」と、アルベルトは申し訳なさそうな表情で発した。
 その後、すぐに背を向け反対側の出口へ足を向けるアルベルトに、観客たちから盛大な歓声が送られた。


 ***


「ふむ。なかなかやるではないかえ」
「圧倒的な強さでしたね」
「一瞬でした!」
「ガルッ!<すごい!>」

 各々が感想を述べる中、ジークベルトが発言していないことに気づいたディアーナが、「ジークベルト様?」と、彼の様子を窺った。
 ジークベルトのその顔は、大きな紫の瞳を丸くして輝かせ、明らかに興奮した様子が見てとれた。
 そしてすぐに、

「すっ、すごく、かっこよかった!」

 感情を爆発させるように、ジークベルトは立ち上がり叫んだ。

「ジークベルト様!?」
「なんじゃ!?」
「ほぇ」

 突然立ち上がり大声で試合の感想を述べ始めたジークベルトに、三人は困惑する。

「ねぇ、見た。炎魔法だよ。いつの間にアル兄さんは、習得したのかな。前に見学したテオ兄さんとの模擬戦は、火魔法が主流だったんだよ。匠の技で凌いでいたけど、今回は力技でねじ伏せた感じだよね。まだ未完成なのかな。制御が上手くいっていないのかな。それでもあの威力はすごいよね」
「ガルッ!<すごい!>」

 ハクがジークベルトに便乗すると、さらにジークベルトが熱演する。

「だよね、ハク。氷が一瞬で消えたんだよ。会場の気温も上げて、氷と炎は対極的なものだけど、ここまで圧倒的な力の差を見せられると、アル兄さんの本気は底が知れないよね。どんな訓練をしたのかな。成長途中の俺の体でも耐えられる修練かな。大会が終わったら、手合わせしたいよね」
「お主、落ち着くのじゃ」

 シルビアが会話の隙をついて、ジークベルトに声をかけるも、興奮状態のジークベルトを止めることはできない。

「えっ、えっ、落ち着いてるよ。俺にもできるかな。修練したらできるかな」
「ガウッ!<ハクも!>」
「そうだね。もっと鍛えて、強い魔法を使えるようになりたいね。それにね──」

 ハクと会話を続けるジークベルトの姿を呆然と見続ける三人娘。
 シルビアが、そっとディアーナに声をかける。

「のぉ、小娘」
「なんでしょう。シルビア様」
「あやつは、戦闘狂なのかえ」
「私もあのように興奮したお姿を見るのは初めてで……」
「ふむ。エマはどうじゃ」
「わっ、私も、姫様と同じく初めて拝見します」
「ヘルプ機能はどう思う」
「「ヘルプ機能?」」
「む。なんでもないのじゃ」
《駄犬》
「なんじゃと、喧嘩なら、ぐふぅ」
《ご主人様から、駄犬の『遠吠え禁止』の許可権限をいただいて幸いでした。興奮状態にあるご主人様の姿も素晴らしい。記録に残さねばなりません。時間が経ったあと、冷静になり、黒歴史に頭を悩ませるご主人様もまた然り》

 急に口をハクハクさせ、話さなくなったシルビアに、ディアーナとエマは顔を見合わせると、『いつものことね』とアイコンタクトで笑いあう。
 そして目の前ではしゃぐジークベルトの意外な一面に、『ジークベルト様も男の子なのだわ』と、ふたりの意見が合致した。
 次の試合が始まるまで、その光景は続き、周囲からの生暖かい目で、ジークベルトが冷静になったあと、彼の顔が赤く染まり、頭を抱えて「黒歴史」とつぶやいている姿が目撃される。

 アルベルトの準々決勝は、彼の圧倒的な強さを他国に見せつけた試合となり、末弟の黒歴史を更新させる試合となった。



 試合を終えたアルベルトは、選手控室に向けて歩いていた。
 頭の中でリフレクションを繰り返し、実戦ではじめて使用した炎魔力や試合展開など、反省点と課題をあげていた。
 炎魔法の制御が甘く、発動までに時間を要した点は、修練を積むしかない。
 しかし、序盤の試合展開は、事前に防げていた。しかも、対戦相手の肩書に踊らされた感がある。
 アルベルトは、選手控室の扉の前で立ち止まり、納得するように一度うなずく。
 事前の情報が不十分だったと反省し、情報収集能力を高める必要があると判断する。
 ふと、腕にある赤いリボンが激しく揺れていることに、アルベルトは気づいた。

「これはっ」

 咄嗟に赤いリボンを掴み、周囲を警戒する。
 アルベルトに渡された赤いリボンには、もうひとつ、効果が付与されていた。
 その効果は『同調』。水の精霊アクアが施した精霊魔法を感知できる魔法だ。

 控室の扉の前で、どうするべきかとアルベルトは悩む。

『罠にみすみす嵌まるのも一興か。膠着状態を打破するきっかけになるかもしれない。しかし……』

 告発後、アルベルトは、『武道大会爆破テロ』の阻止に全力を注いだ。
 その行動もあって、競技場内に設置された小型魔道具は、ほぼ撤去された。
 今はアーベル家の影が、小型魔道具が残っていないか、他に怪しい魔道具が設置されていないか、競技場内を再捜索中だ。
 撤去した小型魔道具は百を超え、首謀者が本気で競技場を爆破させる計画だったと、アルベルトたちは確信している。
 告発がもう少し遅ければ、アーベル家の影が動かなければ、ボフール製の魔道具がなければ、少なからずとも被害があったといえる。
 しかし、疑問もある。これほどまでに大掛かりな計画を立て、実行しているのに、第三者からの妨害は想定していなかったのか、小型魔道具を撤去しても相手側に動きがなかった。
 ちぐはぐな印象に、大きななにかを見落としている切羽詰まった思いがアルベルトにはあった。

「アルベルト様、どうなさいました?」

 背後から突然声をかけられたアルベルトは、咄嗟に身構え、警戒態勢に入る。

「ユリアーナ嬢。どうしてこちらに?」
「トビアスが動いたようで……」

 周囲を気にしながら話すユリアーナに、警戒心を下げたアルベルトは、すぐに彼女へ警告する。

「すぐにお戻りください。ここは危険です」
「なにかあるのですね」

 聡いユリアーナが、選手控室を見て、アルベルトに目配せする。
 それにアルベルトはうなずいて答えると、彼女は音を立てずに後退し始め、一度も振り向くこともなくその場を去った。
 腕の赤いリボンが、いまだ激しく揺れているのを見て、『彼女はやはり無関係のようだ』と、安堵したアルベルトは、再び控室の前で静止した。
 すると、アーベル家の黒い影が姿を現す。

「アルベルト様、彼の配下の者たちが控室に入り、しばらくしたあと、出て行きました」

 ユリアーナが言っていた、『トビアスが動いた』に関係しているのだろうと、アルベルトは思った。

「中の様子は?」
「いえ、確認できておりません」

 影の回答に、アルベルトが怪訝そうに影を見る。

「配下の者と入れ違いに、ひとりの女性が中に、アルベルト様!」

 影の言葉を遮り、アルベルトが緊迫した顔で控室の中に入っていった。
 思わず影が、アルベルトの名前を呼び、静止を促したが、その歩みを止めることはなかった。

 控室の奥ばまった場所で、女性が気を失って倒れているのを発見したアルベルトは、躊躇なく駆け寄る。
 彼女の脈や呼吸を確認し、息があることに安堵した。
 その間も、腕の赤いリボンは激しく揺れ続け、敵の罠にまんまと嵌まった自身に苦笑いする。

『敵は、俺の性格を熟知しているようだ』

 そう思いながら、魔法袋から『回復薬』を出し、女性の口元にあてる。
 すると、女性から光が溢れ出し、アルベルトものとも、光に包み込まれた。

「アルベルト様!」

 影が取り乱した口調で、アルベルトの名を呼び、そのそばへ寄ろうとすると、強圧的な声がそれを止める。

「近づくな。俺は大丈夫だ。なにか羽織る物を持ってこい。叔父上に報告を」
「すぐに」

 アルベルトの指示に、すぐさま影たちが動きだす。
 全身を覆う光に、「『回復薬』が、起爆剤だったか」と、自嘲気味な声を出す。
 腕の赤いリボンは、役目を終えたように、静止していた。