――三日後の昼過ぎ。
マリアンネたちは、裏門の木陰に潜んでいた。
魔術省から派遣された鑑定師が、昼過ぎに裏門から来るとの情報をえたからだ。
情報源は、あの新人侍女。
マリアンネたちに情報を与えるきっかけとなった人物だ。
彼女もやはり、動向が気になったようで、あれから先輩侍女に食いつき、魔術省がどのように鑑定師を送り込むのか、詳細を聞いていた。
その様をテオバルトの『報告』で随時、把握していたのだ。
アーベル家ではめずらしい、教育を受けていない新人侍女。伯爵家の息女で、行儀見習い中である。
教育を受けないのは行儀見習いだから。だけどアーベル家が、行儀見習いで貴族の息女を預かるのは、ほぼない。
テオバルトは、その不自然さに何度か疑問を持つ。
侍女たちが、鑑定師が来ることを許容している。アーベル家はそれを受け入れたと判断していい。
ジークベルトをそのまま鑑定させれば、大問題になるのは、理解している。
父様たちには、なにか考えがあるのだろう。
僕たちの出番はない。けれど、姉様を説得することは、僕にはできない。
大人たちへ相談しても、結果は変わらないと思う。それに姉様を裏切ることはできない。
怒られるなら、姉様と一緒に怒られよう。
おそらく僕たちの作戦は、父様たちに筒抜けだ。
野放しなのは、実行しても問題ないと判断されたからだ。
小型馬車が、ひっそりと裏門に着く。
裏門の衛士が、馬車内を確認すると、黒いマントを羽織った一人の人物が馬車から降り立った。
身長は高く、体格もいいが、フードを被っており、その顔は拝めない。
なぜかこの鑑定師に親近感がわいた。
「やっと来たわね。テオバルト用意はいい」
「うん……」
二人の作戦は、鑑定師を屋敷に入室させないことだった。
ジークベルトにさえ、接触させなければ、鑑定はできないだろうと考えた。
裏門から屋敷内までは、距離にして一キロメートルほどある。
その道中で、鑑定師を穴に埋め、断念させる作戦だ。
子供の浅はかな知恵である。
その穴は、テオバルトの土魔法であけるので、魔力が低い人が脱出するには、時間がかかることも計算されている。
鑑定師は、知識が豊富な人は多いが、魔力は低いのだ。
子供だが魔力が高いテオバルトと、大人だが魔力が低い鑑定師であれば、この作戦で勝つのは前者だ。
勝利の確信をもった二人は、この作戦を実行することにした。
ただの落とし穴作戦ではあるのだが、有効ではある。
案の定、鑑定師がマリアンネたちの用意した区間に入っていく。
倉庫内でたまたま見つけた『隠蔽』の魔道具を設置した場所である。
これも時間稼ぎの一環だ。
マリアンネたちは、固唾を呑んで鑑定師の動向を窺っていた。
予め指定していたポイントに鑑定師の足が着く。
マリアンネが合図をするが、魔法を放つのに一瞬躊躇した。
鑑定師の後ろ姿が、父様と重なったからだ。
まさか、そんなっ。だったら、この作戦は大失敗だ。
だけれど、作戦をやめることはできない。
『沈下』
テオバルトは魔法を放つが、鑑定師の足元が崩れることはなく、逆にマリアンネたちのいた場所が崩れていった。
「うわっーー!」
「きゃーーーー!」
二人の叫び声が辺りに響く。
鑑定師は、その様子をフードの下で、心配そうにみていた。
「いたっ、姉様、大丈夫?」
「だっ、だいじょうぶよ」
二人が落ちた場所は、深い洞窟のようだった。
上を見上げるが、地上の光はなく、落ちたはずの穴がない。
テオバルトは、確信した。
これは父様たちの罰だ。大人の話に首を突っ込んだからだ。
「テオ、膝を擦りむいているわ『癒し』」
「姉様、ありがとう」
「それにしても、ここはどこなの?」
「姉様、おそらくここは……」
テオバルトが、父様たちが用意した罰のようだと話そうとした矢先、ドッ、ドッ、ドッドッドッ、ドドドと、なにかが迫ってくる音が聞こえる。
「なっ、なに? なになの?」
「姉様、走って!」
巨大な石が、マリアンネたちの方へ転がってくる。
洞窟いっぱいのそれは、回避できそうにない。
あれに押し潰されたら、怪我じゃすまないよね。
どうする? どうしよう! 逃げていてもらちがあかない。
体力はあるけれど、所詮は子供の体力だ。
横にいる姉様は、動きやすい服を着用しているが、それでもドレスに違いはない。
そろそろ息が上がって……。そうだ!
『沈下』
「姉様、その横穴に身を隠して」
「よっ、よこあなっ……」
二人して横穴に身を寄せる。
巨大な石は、危機一髪のところで、二人の横穴を通り過ぎた。
ほっと安心したのも束の間、ドンッと大きな音とともに、地面が揺れた。
その揺れに、顔面が蒼白になる。
えっ? さっきの石? 死んでいた?
父様たちの罰だから怪我などすることはないと、安易に考え油断していた。
もしかすると、父様たちの罰ではないのかもしれない。
新たな迷宮やダンジョンが、出没した可能性も少なからずあるのだ。
乱れた呼吸を整え、疲労困憊の姉様をみる。
ドレスは、ドロドロで裾が所々破れている。幸い靴はヒールがあるものではなかったようだ。
これならまだ動けそうだ。
回復魔法を使用して、強制的に体力を戻す。あとあと身体に響くが、そうはいってられない。
「姉様、早急にここを出ましょう」
「うん。でもここはどこなの」
「アーベル家の敷地内です。『報告』で確認をしました」
「出口はあるのね」
「あるけれど、距離が……」
「どうしたの?」
「距離がおかしい!」
ズッ、ズッ、ズーーと、横穴の壁が動き出す。
その異変にマリアンネが、不安な声をだす。
「次はなに?」
「姉様、ここを出ましょう」
テオバルトが作製した横穴は、子供二人でいっぱいいっぱいだった。
徐々に身体を壁に押し出され、テオバルトはマリアンネの手を取り、洞窟へ戻る。
そこには、大きな壁があり、徐々にだが動いていた。
「壁が動いているわ」
「そうだね。姉様、追いつかれる前に動きましょう」
壁の動きは、石よりは遅く、歩いて移動しても間に合う状況だった。
先ほどのこともあるので、油断はせず、壁との距離を稼ぐため、足早に出口を目指す。
姉様には報告途中だったが、出口はあるが、その距離が『???』だったのだ。
誰かの意図がある。ここは迷宮でもダンジョンでもない。
しばらく歩くと、大きな穴があり、穴の下にはお約束の大量の針があった。
「テオ、どうするの」
「土魔法苦手なんだけれど『形成』で、橋を作ってみるよ」
「ごめんね、テオ。私、なんの役にも立たないわ」
「姉様が気にすることはないよ」
テオバルトは、集中してイメージを固める。
魔力循環を高め、強度の高い橋をイメージして『形成』と放った。
そこには、およそ橋ではない土の塊が、穴を覆っていた。
「テオ、穴を塞いだのね。これなら動きやすいわ」
「いや、姉様……。僕は橋を…………」
マリアンネは、テオバルトの落胆に気づかず、土の塊の上を歩いて行く。
その後、何度か同じ光景が現れ、その度にテオバルトが『形成』をするが、橋ではなく、土の塊が穴を覆っていた。徐々にテオバルトの精神が削られていく。
僕は、ものを作る技術がないようだ。
頭の情景には、王都の立派な橋をイメージしているのだ。決して土の塊をイメージしてはいない。
ここまで才能がないとは、思っていなかった。うん。次の魔術学校の課題は、あきらめよう。
テオバルトは、転んでもただでは起きない精神力の持ち主だった。
壁との距離は十分あったが、未だ出口の距離は『???』だった。
もう歩き始めて、数時間は経っているはずだ。
洞窟内なので、時間の感覚は掴めないが、お腹のすき具合から判断した。
これは父様に教えてもらった方法だ。万が一、閉じ込められたら身体で時間を把握しなさいと手段を教えてもらったのだ。
姉様も僕も、体力的に限界だった。そろそろ次の動きがあってもいいころだ。
カサカサ、カサカサと、想像したくない音が耳に聞こえた。
姉様はまだ気づいていない。
でもこの音は…………。
数も一匹や二匹ではない。
現実を直視したくないが、後ろを振り向くと、黒の大群を視界に捉えた。
姉様もその姿に気づき、思わず二人して声が出る。
「うわぁ」
「もういやーーーー!」
大量のゴキ○リが、僕たちの目の前に現れた。
必死に逃げ惑い、魔法攻撃を打ち続けるが、数が減ることはなく、魔力も枯渇寸前となる。
でも、あの大群はいやだ。
「ひぃー。こないで、いやっ、いやーーーー!」
姉様にゴキ○リが襲いかかっていた。
僕は姉様を襲うゴキ○リを払い落とすが、ゴキ○リは、次々にわいてくる。
知っていただろうか。ゴキ○リは、飛ぶんだよ。
あっ、終わったな。
一匹のゴキ○リが宙を舞ったのをきっかけに、ゴキ○リたちは飛び出し、大量のゴキ○リが、僕たちの全身に襲いかかった。
全身にただよう気持ち悪い触感に、精神が病みそうになり、意識が途切れそうになった瞬間、大量のゴキ○リが、跡形もなく消えた。
やはり幻影だったようだ。リアルな動きと感覚に頭が麻痺しそうだ。
これは、トラウマになったよ。当分の間、ゴキ○リを見ると悲鳴を上げるほどには、トラウマになった。
洞窟の上から地上の光が降りそそぐ。
「マリアンネ、テオバルト、無事か」
「父様、僕は大丈夫ですが、姉様が気を失っています」
「ヴィリバルト」
「はいはい。すぐに助けだしますよ。マリーには、いたいお灸になったかな」
二人の声に心底安心する。
やっとこの場所から解放される。体力、精神ともにくたくただ。
気を失っている姉様を抱き上げ、洞窟に降り立った叔父様へ渡す。
その顔は、悪巧みが成功したガキ大将のようだった。
すべてが叔父様の手の内だったのだろう。
この洞窟もお手製のものかな。だとすれば、叔父様はかなりの腹黒だ。
アル兄さんからも、叔父様には決して逆らうなと注意されていたのだ。
叔父様への今後の対応、少し変わるかも……。
洞窟から救助された僕は、心配そうな父様の姿にやはりそうだったのかと納得する。
鑑定師の正体は、父様だった。あの背格好になんとなくだが、親近感がわいたのは、間違いなかった。
「テオは、気づいていたね」
「はい。侍女の行動が不審でしたし、父様たちがこの件をそのままにするとは考えていませんでした」
「侍女はね、あれは別件だよ。テオは、マリアンネを一人にできなかったんだね」
「はい。ごめんなさい」
「うん。これに懲りて今後は必ず報告することを覚えるんだ」
「はい」
新人侍女は、ヴィリバルトたちの差し金ではなかった。
ヴィリバルトの婚約者候補にと、多方面から圧をかけていたが、アーベル家は相手にしなかった。
痺れを切らした伯爵は、闇の取引に手を出してしまった。
その情報が入ったため、見過ごすことができなくなり、行儀見習いと称して娘をアーベル家へ招いた。
娘は噂好きであり、とても口が軽かった。
ヴィリバルトとの結婚を夢に見たとしても、侯爵家の嫁になれるだけの器量を待ち合わせていなかった。
アンナが一言「ないわ」と、初見で見切ったとの話だ。
その後、新人侍女の姿を見たものはいない。
マリアンネは、それから三日三晩寝込んだ。
最後の大量ゴキ○リが、相当に効いたのだろう。
その後は、大人の話に首を突っ込むことはなくなり、なにかあればギルべルトへ報告するようになった。
あれから数ヶ月、魔属性のみ公表したが、魔術省は動かなかった。
父と叔父の行動は早かった。
『報告魔法』で、リンネ訪問中の祖父へ緊急連絡をした。
それを受けた祖父は『移動石』で極秘帰国。
今後の対応を話し合い、祖父は『移動石』で、またリンネへと戻っていった。
俺が寝ていた僅か数時間で、すべての話がまとまっていた。
話の中身は、何も知りません。情報収集なんて馬鹿なまねは、もっての外です。
この件については当事者だが、俺は身動きのできない赤ん坊だし、寝ていたので何も知らないし、聞いていない。
世の中、知らないほうがいいことはあると思うんだ。
ねっ、ヘルプ機能!
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はい。ご主人様は何も調べていません。
私も、何も調べておりません。
アーベル家が、恐ろしいなんて思ってもおりません。
今後も、誠心誠意ご主人様にお仕え致す所存です。
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優秀なヘルプ機能がここまで断言しているんだ。
俺たちは、何も知らない。それでいい。
ただ今後あの三人を敵に回すことは、絶対にないとだけ宣言しておく。
また魔術省には、アーベル家から相当な圧力が掛かったとだけ報告しておこう。
気になる『移動石』とは使い捨ての魔道具だ。
『移動石』の中には、特定の国や地域への『移動魔法』が刻まれており、使用者のイメージする場所に転移できる。
金貨10枚~1000枚まで、移動距離と人数で、値段が上がっていく。
余談だが、金貨1枚で日本の一万円ぐらいだ。
庶民が一ヶ月生活するには、平均金貨6枚とのことだ。
これだけの情報では、貨幣価値はわからないし、我が家にある物では比較にならない。
俺が愛用している子供用ベッドは、ほぼ金貨100枚である。
百万円のベッドに寝ていまーす。侯爵家はお金持ちなんですよ。
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世界に流通している貨幣は、以下に統一されている。
光金貨:白金貨100枚
白金貨:大金貨100枚
大金貨:金貨100枚
金貨:銀貨10枚
銀貨:銅貨10枚
銅貨:鉄貨10枚
鉄貨
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話を戻すが『移動石』の数は、極端に少ない。そもそも一般に流通されていないのだ。
理由は、魔道具に刻まれている『移動魔法』だ。
移動の魔法は、国家最高レベルの魔法であり、各国で使える術者は数人である。
しかも、術者がその場所を訪れていない場合『移動魔法』は使えない。
また術者の魔力により、移動距離・人数が決まるため、魔道具作製も難易度が上がるのだ。
祖父が『移動石』を所持していたのは、『魔法都市国家リンネ』に滞在していたことが大きい。
リンネは最初に『移動石』を作製した国である。
そのため、在庫数も多く、貴族や商人などは購入ができるのだ。
まぁ俺は『移動』の魔法を取得する予定です。
無属性の空間魔法Lv6を取得すれば、使用できるとの情報だ。
ただ叔父が、現時点で『移動』魔法が使えないことに少しばかり不安を感じる。
他のスキル取得より、習得難易度が高いのは想像がつくが、他に何か条件があるのかもしれない。
えっ?! なぜ叔父を引き合いに出すのか? いやあの人、リアルチートでしたよ。
叔父ヴィリバルトの鑑定結果に唖然としました。
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ヴィリバルト・フォン・アーベル 男 26才
種族:人間
職業:第三魔術団隊長
Lv:52
HP:365/365
MP:452/452
魔力:436
攻撃:327
防御:406
敏捷:322
運:154
魔属性:火・風・土・水・無・炎・雷・氷
戦闘スキル:剣Lv4・短剣Lv3・弓Lv6
魔法スキル:火魔法Lv7・風魔法Lv10・土魔法Lv7・水魔法Lv8・炎魔法Lv2・雷魔法Lv4・氷魔法Lv5・生活魔法Lv5・空間魔法Lv3・精霊魔法Lv3(隠蔽)・魔力制御Lv7・無詠唱
身体スキル:身体強化Lv7・毒耐性Lv3・麻痺耐性Lv4・状態異常耐性Lv4・物理攻撃耐性Lv5・魔法耐性Lv3・火耐性Lv5・風耐性Lv7・炎耐性Lv1・魔力察知Lv5・気配察知Lv3・危機感知Lv3・索敵Lv5・心眼Lv2・覇気Lv1・気品Lv6・色気Lv4
技能スキル:鑑定Lv10・隠蔽Lv10(隠蔽)・作法Lv5・騎乗Lv4・言語Lv5・魔道具作製Lv2・料理Lv1
上級スキル:鑑定眼Lv-・幸運Lv2
加護:精霊の友(隠蔽)
称号:強者
魔契約:風精霊(隠蔽)
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二十六歳で、Lv50超えていましたよ。
スキル数もさることながら、スキルLvの高さに絶句。
スキル取得って、難しいはずなんだが、叔父のステ値を確認するとさも当然! みたいな感じに見える。
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称号『強者』が関係しています。
『強者』は、ステータス補正、スキル取得補正をするため、通常よりは安易にステータスLvが上がり、スキル取得が可能です。
ただ、ヴィリバルト・フォン・アーベルのステータスは、『強者』の補正があったとしても、異常です。
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ヘルプ機能に異常と言わしめるチート叔父……。
おぉー、こわっ。
しかもレベル差52。ということは――。
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隠蔽Lv10では、対応できませんでした。
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ですよね。
隠蔽Lv-取得してよかった。
他のスキルも気にはなる。
なるが、それよりも、魔契約である。
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魔契約とは、魔獣・聖獣・精霊との従属契約。
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叔父、風精霊と契約しているようです。
隠蔽していますが、俺の鑑定眼では確認できる。
精霊との契約は大変貴重だ。
そもそも精霊は、気まぐれであり、人に姿を見せることも稀だ。
魔契約をする方法は二通り。魔力契約と真名契約となる。
精霊との契約は、真名契約が主だ。
真名契約とは、その名の通り、真名を教えてもらう。
言葉では簡単だが、精霊との信頼関係を築かなければならない。
精霊が何を好み、何を求めるのか、曖昧な条件の中、精霊が姿を見せ、言葉を交わす。
そこには好意と好奇心と気まぐれがある。
精霊に好意を持たれる基準はなんだろう。
**********************
精霊にもよるが、澄んだ心の持ち主が好意を持たれる傾向が高い。
**********************
澄んだ心の持ち主?
えーっと……。どこ?
いやいや、きっと精霊の基準が叔父なんだ。
かなり広範囲の澄んだ心の持ち主が対象なんだ。
初見でのチャラ男臭と腹黒さのイメージが強すぎるので、偏った見方をしている。
気をつけないと。
それに叔父は、悪人ではなく、良人であることはわかっている。
**********************
精霊の好みにもよります。
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ヘルプ機能から追加が入りました。
そうだよねー。よかった。俺の偏見かと思ったよ。
叔父の風精霊は変わった好みの持ち主なんだなぁ。
近年、精霊の姿を見かけることは、ほぼなくなった。
精霊自身が、その姿を見せなくなっているからだ。
環境もそうだが、一番の理由が七十年前に横行した精霊狩りだ。
魔属性がない者が、精霊と契約した場合、精霊魔法が使えるようになるのだ。
しかも精霊魔法は、契約精霊の力にもよるが、属性魔法より効力が高いものがほとんどだ。
それを知った人々は、精霊との契約を欲した。
魔契約ではなく、半ば強制的に奴隷術を施した精霊用の魔道具が作製された。
ある程度力がある小精霊や中精霊・大精霊には効果がなかったが、弱小精霊の多くに被害がでた。
これを知った精霊たちは、激怒し、膨大な力から天変地異を起こし、国々は荒れた。
当時、魔契約をしていた精霊使いたちが、各国で捕まった弱小精霊を解放したが、精霊と人には大きな溝ができた。
その後、世界各国でこの魔道具の使用は禁止されたが、闇の一部では未だ取引がされている。
また魔道具の作製方法、作製者は不明だが、作製者は闇精霊と契約をしていたとの噂がある。
叔父が隠蔽している理由はわかる。
風精霊との魔契約など、トラブルの要因でしかないのだ。
叔父があの日、精霊を伴っていれば、俺が言葉を理解していることがバレていた可能性が高い。
精霊は好奇心が旺盛だ。そのものの真実の姿を見ることができる。
俺のように、身体と精神年齢の差が明らかにちがうものに興味を持つのは当たり前なのだ。
念話も使えるようなので、声を掛けられれば、100%応答していた。そして叔父にバレていたし、鑑定眼を使用したこともわかっただろう。
結果論にすぎないが、難を逃れた。
そして大きな収穫だが、俺は精霊と魔契約できる可能性が高いということだ。
物事はポジティブに考えるべきだ。好奇心がそそられる存在に精霊たちは、興味を持つし、積極的に話しかけてくるだろう。
ただ、人と契約する精霊もいるが、そもそも精霊との魔契約は、エルフが主だ。
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エルフとは、外見は端整で、耳が長く尖っており、長命とされる。精霊の森の奥に集団で暮らしており、多種族との交流は盛んではない。
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エルフいますよ。
前世の知識通りっぽいです。
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精霊の森とは、土大精霊が加護している森。多くの精霊が存在する。深奥は大結界があり、その先は精霊村につながる。
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あぁー。今の情報は聞こえませんでした。
ヘルプ機能、繰り返さないでいいよ。わざと聞こえないふりしているの。
いやいや精霊村とか、トラブルの種でしかないでしょ。
素晴らしい場所? だから行きましょう? やけにゴリ押すね。
だけど掘り下げないよ。
いや、だから、俺、赤ん坊だよ。諦めてください。
つぎつぎ、精霊が多い環境に入ればおのずと魔契約も結びやすいな。
エルフが精霊魔法と縁があるのはこれが理由ですかね。
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エルフ誕生時に精霊の祝福があり、祝福をした精霊と最初の魔契約を結ぶ。
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ほほおー。
エルフと精霊の絆が深いってことですね。
全てのエルフが精霊魔法を使用できるってことか。
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稀に祝福がないエルフがいます。また魔契約できるだけの魔力がないエルフもいます。
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祝福がないエルフは不運としか言えないが、後々挽回ができそうだ。
だが、だがだが、この恵まれた環境で、魔力がないエルフって残念すぎる!
俺だったら、嫌だな。
あぁ。引きこもる。絶対、引きこもる。
残念エルフに会う機会があれば、優しくしてやろう。
こんにちはー。
現在俺は、高速ハイハイで目的の場所へ向かっています。
今日こそは! 今日こそは! 本棚に!
あの宝の山に行くんだ!
俺の意気込みが伝わっているのか、身体もついてくる。
高速ハイハイができるようになってからは、さらに行動範囲が増えた。
ただ外敵はいる。『ガチャ』と扉の音が聞こえた。
まっまずい! やつが来た!
逃げろー。身を隠す場所! ねぇーーーー!
「あらあらジークベルト様、またベッドから降りたんですね。元気でなによりです」
侍女アンナが笑顔で、俺を捕獲する。
「あぁ! あぁぁあうっ」と、腕の中で反抗してみるが、アンナは気にもとめず、ベッドへ降ろす。
今日も敗北でした。
子供用ベッドの横が、大きなソファだったため、一度脱出路を確保すれば容易にベッドから降りることが可能となった。
頻繁に脱出するようになった俺に侍女たちは、ベッドとソファを離すという大暴挙にでた。
だが俺はあきらめなかった。少々危なくはあるが、赤ん坊の握力の強さを信じ、身体を打ちながらも脱出。
それを目撃した侍女たちが小さく悲鳴を上げ、次の日には、ベッドが定位置に戻りました。
ただ自由に動き回れるのが仇となり、侍女の監視の目が強くなった。
少し動けば「ジークベルト様、ベッドに戻りましょうね」とスタート地点に戻される。
チッ、優秀な侍女め、もう少し隙を見せなさい。
本さえ掴めば、離さなければ、確保できると実証済みだ。
あの本棚には俺が求めてやまない初級魔法の本がぎっしりとあるのだ。
くっ……。作戦を練り直す必要があるなっ。何とかして侍女たちの裏をかかなければ。
ある日、ベッドの端に光属性の初級魔法の本が置いてあった。
母リアが忘れていったようだ。
姉様用の教材を探しにきた母上は「マリーの光魔法の修練に役立つかしら」と、俺の部屋にある本棚から数冊出していた。
その一冊だった。しかも初級である。
このチャンスを逃してたまるものかと慌てて確保しページを開いた。
久々の本の感触に感動する。
古本独特の匂いが、鼻孔をくすぐり、この世界でも同じ匂いがするんだなーと感心する。
んーー。悪くない。
スキル取得には、ある一定以上の習得がいる。
魔法の場合、初級魔法を繰り返し行い、スキル取得するのだ。
光属性の初級魔法は『光明』と『癒し』の二個である。
無難に『光明』を選択する。
「あら今日はベッドにいらっしゃると思ったら、ご本をお読みだったんですね」
アンナの声に、はっとする。
本に集中しすぎて、アンナが部屋に入ってきたことに気づかなかった。
あっ、あぶねぇー。
久々の本が嬉しくて周囲の気配を探ることを忘れていた。
魔法を試す前でよかったー。今後は注意しよう。
「ジークベルト様には、その本は少し難しいですわ。こちらの本と交換しましょうね」
アンナが絵本と魔法書を交換しようとするが「あぅ」と、強く本を握る。
この本だけは渡せない。絶対に死守だ。
「まぁ、お気に召しているんですね」と、アンナがあっさりと手を引く。
あれっ?! 簡単に魔法書が手元に残った。もう少し攻防があるかと思ったが……。
なるほど。俺が興味を示したものは、危ない物でない限り、取り上げないんだな。
だとすれば、確保さえできればこちらのものだ!
先にある本棚を見る。攻略方法を確認して、次の機会を窺おう。
それよりも今は手元にある魔法書だ。アンナが退出したことを確認して、魔法書に戻る。
『この本は、光属性に適性がある人が、光魔法を取得するためのものです。適性がない人は読むだけ無駄です』
うわぁーー。冒頭から強烈な言葉が書いてある。
確かに魔属性がなければ、光魔法は取得できないけれど、無駄とまで書きますか。
知識ぐらい……。使用できなければ、知識も意味はないか。
無駄。妥当な言葉かもしれない。
冒頭から突っ込みつつ、本を読み進める。
『まずは、魔力を感じましょう。身体の奥にある魔力を体内に循環するイメージをします。身体が熱くなれば、上手く循環ができています。それが魔力です。この循環を魔力循環といいます。魔力循環は、魔法を使用する上で必要です。魔法を初期で失敗する理由は、魔力循環ができていないのです。魔力循環できるよう繰り返し練習しましょう』
本の通りに意識してみる。
身体がポカポカと温かくなってきた。
これが魔力循環。この感覚を忘れないようにしよう。
『魔力循環が上手くできるようになれば、次は魔法です。魔法はイメージです。イメージが明確であればあるほど魔法の精度は上がります』
指先に光る玉をイメージし『光明』と念じる。
ポワーンと小さな玉が指先にでき消える。
ありゃ、簡単に出来てしまった。
初めての魔法なのに、感動がまったくない。
一瞬過ぎて魔法を使った実感がないんだ。
気を取り直して、次は、目の前に光る玉を複数イメージし『光明』と念じる。
ポワン、ポワン、ポワンと目の前に光る玉が現れては消える。
おぉー。これはなかなか。ということは……これもありか。
前世で見た蛍の幻想的な光景を鮮明にイメージし『光明』と念じる。
ポン、ポン、ポン、ポンと眼前に光が広がる。
やはりそうか! 暗闇なら完全再現ができていたな。
この世界の魔法は、イメージが全てだと言っても過言ではない。
もちろん魔力も重要だが、同じ魔法名でもイメージによって効果が変わる。
これは前世の知識がある俺にはかなり有利な条件だ。
しかも、明確なイメージができるため、精度もかなり高い。
よし! 次は魔力循環を高く意識して、強い光をイメージし『光明』と念じる。
ピカッと、白い強い光が部屋全体を一瞬覆う。
まぶしっ。目がチカチカする。
「「「ジークベルト様! ご無事ですか!」」」
侍女たちが慌てて、部屋に入ってくる。
やべぇー。やりすぎた。魔法使ったのがバレる?!
ここはなんとかしなければ……。
頭の中をいろんな不安がかけめぐる。やばい泣きそうだ。
いや、このまま泣いてしまおう。
「うっうぅ、うぎゃあぁーー」
「びっくりさせてしまいましたね。申し訳ございません」
泣いている俺を抱き上げ、律儀に謝罪する侍女。
みんな、ごめんねと、心の中で反省しつつ、侍女たちの様子を窺う。
「どこも異常はありません」
「こちらも異常はありません」
「おかしいわね。部屋が一瞬光ったように見えたのだけど」
「「私も見ました」」
「もしかすると外かしら、マリアンネ様が光魔法の修練をされていたわね」
「はい。本日はお庭で修練されています」
侍女たちは、一通り部屋を調べ、異常がないと確認すると、光魔法の修練をしていたマリアンネの魔法であろうと結論づけた。
姉さん、ナイスアシストです。
侍女たちは、泣き寝入りした俺をベッドに戻し、部屋を出て行く。
あぶねー。調子に乗りました。
魔法の威力は、スキルLvと魔力だ。魔力循環を高めることで、イメージした光より、より強い光を発するのではないかと考えた。
読みは当たったが、俺の魔力を侮っていた。
純粋に魔力だけで、あれだけの光を発するとは、予想していなかった。
これは魔力の制御も修練しなければならないなっ。嬉しい課題ができた。
次は魔法の持続だが、これも魔力循環を高めることで継続することがわかった。
持続時間の制御も、魔力制御ができるようになれば解決だ。
一応『癒し』も試してみる。
小さな柔らかい光が身体に降りそそぐと、少しだけ疲労がとれたような感じがした。
おぉー。これも成功した。でも効果はわかりにくいな。
いざ必要な時に失敗しないよう、また精度を上げるためにも、最低一日一回は『癒し』を使うべきと判断する。
あれよこれよと、試しているうちに、その晩に光魔法Lv1を習得した。
始めたら止まらないんですよ。
光魔法を取得した日からスキルLvを上げるため、毎日MPが枯渇するまで『光明』を実行した。
俺には、時間だけはあるからね。
LvUPはなかなか難しく、光魔法Lv2になるまで、数百回ほど『光明』を成功させた。
苦労したぜ。
「最近のジークベルト様は、大人しいですね。アンナさん」
「奥様の本がいたく気に入っているようなの。絵本をお持ちしたのだけど興味を示さないのよ」
「ジークベルト様は、奥様が大好きですものね」
母上大好きっ子ってバレてるよ。
侍女たちよ。期待を裏切って申し訳ないが、そろそろ次の魔法書を読みたいのだ。
できれば、空間魔法!
今から修練すれば『移動』の魔法がそうそうに使えるはず。
俺の部屋にある本棚は魔法関連の書物が多く保管されている。
目指すは本棚! 無属性の初級魔法の本!
侍女たちが退出して、しばらく様子を窺う。
うん。もう大丈夫だろ。
今からだと、夕食の時間まで侍女たちは訪れない。
時は満ちた。作戦開始!
ソファへダイブ!
このダイブする瞬間が一番緊張する。
着地を失敗したことはまだないが、失敗したら床に直撃だ。
想像するだけでも、痛いっ。
使えるようになった『癒し』の魔法で回復すればいいのだが、痛いのはやはり嫌だ。
それに大惨事になったら大変だ。
まぁ『幸運者』が守ってくれると勝手に確信しているんだけどね。
ソファから床へは、後ろから慎重に降りて……よし!
前方よーし。左右敵なーし。
目指すは本棚! 前進あるのみ!
…………
…………
…………
ハイハイ中です。
しばらくお待ち下さい。
…………
…………
…………
途中、障害物の机があるが、俺には関係ない。
机の下を華麗にスルー。
目的地! 隊長! 目的地が近づいて参りました。
あと数ハイハイのところで、突然、身体が浮いた。
「ジークベルト様、お夕食のお時間まで寝ましょうね」
なぬっ?! なっ、なななぜっ、なぜここにいるアンナ!
思わぬ伏兵に驚く。
本棚が……本棚が遠のいて行く…………。
定位置に戻された俺はアンナを軽く睨みつける。
「あぅ」
「可愛い顔してもだめですよ。本日は夜に奥様と旦那様が訪れる予定ですので、たくさん寝ておきましょうね」
柔らかい布団を掛けられ、トントントンとリズムよく身体をたたく。
絶妙なトントンだが、そんなことで俺は寝ないぞ。
魔法書の確保は、今日はあきらめるとして、光魔法の修練だ。
んー? ん? んん! こっ、この布団は!
最終兵器『子供用安眠布団』ではないかっ!
アンナ! 魔道具を使うなんて卑怯だぞ。
くっ、寝るものか……。
ね……ねてたまる……か。ねっ……ねな……い……ぞ…………。
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子供用安眠布団
効果:安眠
説明:あら不思議! どんなお子様も布団を掛けただけでグッスリ安眠!
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その日から、侍女たち、いやアンナとの勝負が始まった。
そして今日も挑む!
空間魔法の取得を目指して!