『うわあぁーーーーーーーー!!』

 大歓声が会場を包み、勝者の名が上がる度、観客たちの熱気は徐々に上がっていく。
 出場選手も、その空気に触発され、実力以上の力を発揮していた。
 三年に一度の武道大会は、予選トーナメント中盤を迎え、盛り上げを見せていた。

「次は、アルベルト様の組ですね」
「順当にいけば、アル兄さんが勝ち残るよ。だけど、勝負事は何が起こるか分からないから、緊張するねっ」
「くっくっくっ。おぬしが、緊張してもなにも変わりはせんぞ。それよりもアルベルトの組は手堅いのぉ。賭けの倍率がほぼないではないかっ。うむ。小遣いが増えんではないか!」

 右隣のシルビアが、大会の予想紙と提示板の倍率をながめ項垂れていた。
 娯楽が少ないこの世界では、武道大会の賭博も大イベントだ。
 賭博場はあるにはあるが、利用するのは、貴族や商家といった富裕層であり、掛け金も高く敷居も高い。平民が気軽に遊べる施設ではない。
 しかし、武道大会の賭博は誰でも参加できるよう賭け金が銅貨一枚からとなっていて、ホスト国が胴元のため、不正などの心配もなく、その安心から、はめを外す者が多いほどだ。
 その売上は小国の国家予算をはるかに上回り、武道大会の大きな収入源である。
 まぁそれだけのお金が動くのだから、破産する者もチラホラいる。
 ある上級クラスの冒険者が、武道大会の賭博で大負けし、多額の借金をかかえ、奴隷落ちしたのは有名な話だ。
 何事もほどほどが一番ということだ。
 俺たちも、楽しむ程度に参加している。
 招待国のため、一度は賭けないとだめなのだ。
 ぶっちゃけるとこの賭博は『胴元が損失を出すことがない』と言えばわかるだろうか。
 世の中うまく回っているのだ。
 シルビアが、アル兄さんの組と同時に行われる組の勝者を予想し終わり、従者に言づける。俺もアル兄さんに金貨十枚を賭ける。

「なんじゃ、アルベルトの組にしか賭けないのかえ。つまらんのぉ」
「危険な橋は渡らないよ」
「むぅ。おぬしは、もう少し主旨を理解して賭けるべきじゃ。侯爵家の子息が、ケチケチしてどうするのじゃ。のぉ、エマ」
「えっ、えっ、私ですか? 私はアルベルト様にしか賭けていませんが、銀貨五枚では少な過ぎましたか。でも私、これでも頑張ったんですが……」

 急に話しを振られたエマは、焦った表情で弁明して、最後は涙目になっていた。
 銀貨五枚は、平民のエマにとっては、大金だ。
 頑張ったと涙目で話す姿は、庇護欲をそそる。
 可愛いなぁと、慰めるために手を伸ばすが、物理的に手が届かず、左隣のディアーナの肩付近で手が止まる。
 結果、無意識にディアーナの肩を抱き寄せていた。
 あれ? 俺、何しているの!?
 俺が自身の行動に混乱している中、頬を赤く染めたディアーナが、隣のエマを落ち着かせるように話す。

「エマ、大丈夫ですよ。賭博は一度参加すればいいのです。シルビア様のように、毎回毎回賭けるなど必要ありません」
「姫様」
「むぅ。小娘、ジークベルトに肩を抱き寄せられたからと、調子に乗るのではないぞ」
「まぁ、シルビア様。嫉妬ですか?」

 ディアーナがシルビアを煽るように笑う。

「なっ、妾は、嫉妬などっ! 妾は、同衾しておるのに、むぐぅ」

 俺は慌ててシルビアの口を塞ぐが、時すでに遅し。
 左隣から、禍々しいオーラが漂ってくる。
 俺の肩に乗っていたスラが、足元にいるハクの背中に避難する。

「ジークベルト様、どういうことでしょう」
「あははは、なんのことだろう?」

 俺は笑って誤魔化すことにした。
 ヴィリー叔父さんのお願いで、神獣の姿から戻れなくなったシルビアを数日部屋に匿った。
 たしかに一緒の布団で寝たが、あれを同衾と言うならば、ハクやスラも同じである。
 ハクが俺の足元からエマの足元へ移動していた。

「シルビア様と同衾されたのですか?」
「同衾というか」
「小娘、嫉妬は見苦しいぞ」

 俺の言葉を遮ってシルビアが、ディアーナを挑発するように煽る。
 それが合図となり、堰を切ったように、ふたりの口喧嘩がはじまる。

 またはじまったよ。
 きっかけはどうあれ、このふたり顔を合わせると必ず口喧嘩となる。
 反りが合わないのか、ディアーナが、シルビアに突っかかる感じだ。
 これ案外長く続くんだよな……。
 次から次へと豊富な言葉で攻め続けるディアーナの語彙力にも圧倒されるが、それに応戦しつつ巧みにかわすシルビアも、なかなかのものだ。
 満足いくまで、永遠にふたりで続ければいいけどさ、いつもいつも俺を挟んで口喧嘩するのは本当にやめてほしい。
 非常に迷惑です。
 俺が現実逃避する一歩前に、テオ兄さんがパンパンと手を叩き、仲裁にはいった。

「はいはい。ふたりとも口喧嘩するほど仲が良いのは喜ばしいね。だけど今日は、ユリウス殿下もいらっしゃる。くれぐれも、アーベル家の醜聞になる行動はしないようにお願いするよ」
「テオバルト様、私たちは、口喧嘩などしておりませんわ。アーベル家の醜聞になる行動など決して致しませんわ」
「そうじゃ、そうじゃ!」
「はいはい」

 ふたりの言い分を適当に流したテオ兄さんは、底知れぬ笑顔で「わかっているよね」と、釘を刺してから、観戦席の後ろに戻っていた。
 その圧に、ふたりは黙り込み、ディアーナの隣にいたエマが、かわいそうに流れ弾にあたり青い顔をしながら震えていた。
 最近のテオ兄さんは、纏うオーラが、常人と異なることが度々ある。
 称号『日陰人』が良い仕事をしていて、周囲にはそれを気づかせないが、末恐ろしい才能が開花されつつあると、内心ビクビクしている。
 これからもテオ兄さんとは、良好な関係を築いていくんだ。

 武道大会の観覧席は、一般席とは別に出場各国の団体席が用意されており、非公式な外交の場でもある。
 多くの国が集まる機会に、外交官が忙しなく動いている。
 ホスト国のエスタニア王国はもちろんだが、大国である帝国、マンジェスタ王国には、次々と来賓が挨拶にきている状況だ。
 俺たちの真後ろの席にユリウス殿下がいるので、来賓たちがものめずらしそうに俺たちの様子を窺っていたが、全て無視をした。
 噂の王女とその婚約者を確認したかったのだろう。
 ユリウス殿下の横では、叔父が、選手の総評と言う名の酷評をしていた。

「アルの組は、実力差が出ているね。余裕でアルが、決勝トーナメントに進むね。それにしても、魔術団一押しの新人くんは、苦戦しているようだ」
「オリヴァー殿ですね。平民出身ですが、魔属性を三個所持していた異端児ですよ。確か……、とある貴族の落胤との噂もありましたね」

 席に戻ったテオ兄さんが、叔父の説明に補足を加える。
 武道大会でのマンジェスタ王国の代表は、騎士団所属のアル兄さんと、魔術団所属のオリヴァー殿だ。
 オリヴァー殿は、俺たちにも分け隔てなく話しかけてくれ、気さくな近所のお兄さんって印象を持った。
 すぐそばにいた上官は、オリヴァー殿の態度に大変萎縮していたが、まあ上官のこの態度が普通で、いまの俺たちの立場なのだ。
 そのオリヴァー殿が、帝国の少年(・・・・・)にかなりの劣勢を強いられていた。

「テオ、詳しいね」
「三学年上の先輩ですし、学園では有名な存在でしたからね」
「有名ね。私からすれば、アルやテオのほうが、有能だがね」
「叔父様、それは身内贔屓ですよ。それにしても、オリヴァー殿を抑えている彼、帝国にあのような人材がいたとは、驚きです」
「彼ねぇ……。魔力の波動が、あまりよくないね」
「ヴィリバルト、脅威になりそうか?」
「いいえ、殿下。脅威にすらならないでしょう。それにもう長くはない。帝国の人体実験の噂は事実のようです。発展途上の幼子に、投薬を入れた結果ですね」
「そうか……。それは残念だ」

 人体実験?
 叔父たちの興味深い話に耳を傾けている間に、アル兄さんは、あっけなく勝ち抜けをしていた。
 攻撃魔法を使わず、純粋に剣技だけで勝利する戦闘力の高さには、度肝を抜かれた。
 稽古を見学していたが、ここまでとは……。
 父上の優勝発言も、現実味がでてきた。
 アル兄さんの実力を疑ってはいないが、普段の異常なブラコン姿が頭から離れないのだ。
 ごめんね。アル兄さん。

『ユリアーナ殿下だ。お美しい』
『公の場にお姿を現すとは、よくトビアス殿下がお許しになられたな』
『大国の妃にとの申し出があるそうだ』
『やはり、あの話は本当なのか』

 会場がひとりの人物の登場に色めき立っている。
 マティアス殿下のそばにより、臣下の礼をする茶髪のご令嬢。
 気品溢れる優雅なたたずまいに、遠くの席に座る俺たちでも高貴な人物だと確認できる。
 その姿にディアーナの腰が浮く。

「ユリアーナお姉様、お元気そうで、よかった」
「前に話してくれた二番目のお姉さん?」
「はい」

 たしか、エレオノーラ側妃の二番目の子供で、トビアスの姉のひとりだ。
 ディアーナとの仲も良く、国民からは『博愛の第二王女』と呼ばれ、慕われている人物だ。
 その人気に嫉妬したトビアスが、幽閉に近い束縛をしていると聞いていたが、自由に行動ができるようだ。
 マティアス殿下とも談笑している様子から、解放されたと考えるべきか。

「妃としてではなく、臣下への降嫁が決まったのかもしれません」

 そうつぶやくと、ディアーナの表情が曇る。
 ユリアーナ王女の嫁入り話しは、何度か不自然に消滅している。
 その中には、小国の王太子妃や側妃などの話しも浮上したが、トビアスが難癖をつけ断ったようだ。
 国外より、自身の派閥に降嫁する方が利があると考えたようだ。
 この人もまた政局争いに巻き込まれた人だ。

「政略結婚も王族の務めです。政局の緩和、民のため、降嫁を望まれれば従うしかありません」

 ディアーナの発言に、その場が重苦しい雰囲気に包まれようとする中、俺の前をシルビアの手が伸びていき、ディアーナの頬を引っ張った。

「つっ、シルビア様、なにをするのです」
「ふむぅ。小娘は難しく考えすぎではないかえ」

 ディアーナの声が乱れ、シルビアの手をはたく。
 シルビアは、はたかれた手を痛々しそうになでながら、疑問を口にする。

「降嫁するのが不幸だと誰が決めたのじゃ? それに小娘は不幸なのかえ?」
「それはっ! 私の場合は運がよかったのです」

 はっとした顔して、気まずそうに小声で反論するディアーナに、シルビアの口角が上がり意地悪そうな顔した。

「先日会った小娘のもうひとりの姉は、伯爵家に降嫁したようじゃが、幸せそうだったのぅ」
「ルリアーナお姉様は、エリーアスお兄様の派閥であるベンケン伯爵家に嫁がれたから」
「中立派閥に降嫁したから、政局に関係ないと考えておるのかえ。小娘もまだまだじゃ」
「なにも知らないくせに」

 シルビアが鼻で笑うと、ディアーナの顔が歪む。

「小娘も、なにも知らないのではないかえ」
「なっ」
「嫁いだ小娘の姉も政略結婚に間違いないのじゃ。そのあとのことは、誰にもわかんのじゃ。たしかといえるのは、今の夫婦の形は、ふたりの絆があるからこそじゃ」

 シルビアのもっともな指摘にディアーナは、言葉を失う。
 その通り、先日会ったベンケン伯爵夫人は、大切されているのだと肌で感じた。
 今の政局で、ディアーナに対面を申し入れたことも、バルシュミーデ伯爵家でのお茶会の参加を許したベンケン伯爵の懐の深さに感服した。
 それに、わざわざベンケン伯爵が迎えにきて、夫婦のラブラブぶりを披露していた。
 たぶん本人たちは、意図せず無意識だったのだと思う。自然とでた動作に夫婦それぞれが、互いを尊重しているのだと感じたのだ。
 あれが演技されたものであったのなら、俺は世の夫婦すべてを疑うよ。
 そろそろ介入するとしよう。

「シルビアの言う通りだよ。ユリアーナ王女が降嫁しても、不幸になると決まったわけではないよ。ベンケン伯爵夫人のようにとても大切にされるかもしれないしね」

 ディアーナはうつむきながら「そうですね」と言った。
 ディアーナの心情もわかる。
 男尊女卑思想が根強い国で生まれ育ち、その傾向が高い派閥の長がトビアスなのだ。
 その派閥に降嫁する王女の扱いは、きっとひどいものだと想像できる。
 ユリアーナ王女の夫となる人が、人格者であれば別の話しなのだが、まだ決まってもいない降嫁の話しで一喜一憂するには、情報が少な過ぎる。

「ふむぅ。あの娘からは、強い意志を感じる。じゃが、妾は好かん」

 エスタニア王国の王族席に目を向けながら、シルビアが、ディアーナに配慮してか聞こえない程度の声量で、そう言った。