『──ではそのように』
最新機能を保持した『魔通信』を切り、闇に埋もれたマントをかぶった男は、口元に三日月のような笑みを浮かべた。
『くっくっく、マティアス殿下も浅慮』
感情を失くした人形のような女は、男の言葉にわずかな反応を示す。
『まだ反応をするか。面白い。投薬を続けろ』
『しかし、これ以上の投薬は、ひぃっ』
マントの男が素早い様子で、口答えした者の首筋に鋭利な刃物をあてる。
その首からは薄く血が流れはじめた。
『聞こえなかったのか。投薬を続けろ』
『……御意』
***
森の奥に複数の人影が見えた。
それに気づいたヨハンが、勢いよく駈け出した。
「とうさま!」
小さな体に不釣合いなほどの大声で叫ぶその姿に、寂しさを我慢していたのだと悟る。
子供独特の小高い声に、あちらも気づき、背の高い人物が走り寄ってきた。
俺の目で確認することはできなかったが、感動の親子の再会は……きっとできたはずだ。
ヨハンのとても嬉しそうな声が、地面の上からでもしっかり聞こえる。
今俺は、地面に寝転んでいます。
好き好んで寝転びたくはないけど、今回は致し方ない。自業自得だ。
感動の親子の再会の数十秒前に、白と青のコンビが空気を読まず、二人の間を駆け抜け、後方で油断していた俺に、飛び込んできたからだ。
『ジークベルト!』
『主!』
二匹の愛が物理的に痛い。
全身、特に腰が……とても痛い。
あれ? まだ少年のはずの俺が、この痛みを感じるのは、早すぎる……。
二十年は先のはずだが……この歳で腰を痛めるのは、やばすぎる。
魔力の無駄遣いだとは理解しているが、重点的に腰回りを意識して『聖水』を何度もかけたのは、内緒だ。
若干一名、俺の行動を生暖かい目で見ている人がいるが、気にしないことにした。
満足した二匹が、俺の上からおりる様子を見計らって、叔父の繊細な手が俺を抱き起した。
いつものように俺の頭を数度なでると、すかさず『洗浄』をかけてくれる手際の良さは、さすがである。
「無事で何よりだよ。それにしても熱烈な歓迎をうけたね」
「ご心配をお掛けしました」
「うん。無事でよかったよ。そこのお嬢さんが説明にあった人物かな?」
ハクたちの行動を微笑ましい様子で見ていた叔父から笑顔が消え、鋭い視線を俺のうしろに向けていた。
その視線を受けたシルビアが腰を引きながらも、青白い顔して俺のマントを握っていた。
俺は叔父の視線を遮るように、シルビアを囲う。
いつのまに、うしろにいたんだ。
シルビアの不可解な行動に戸惑いつつ、叔父に返事をする。
「はい。念話で伝えしましたが、記憶が曖昧なようで……」
「半魔とは、またすごいのを連れてくるね」
叔父の視線がシルビアから俺に戻る。
背後のシルビアから「ふぅ」との安堵したようなため息が聞こえる。
「アーベル家で保護はできますか?」
「あぁ、兄さんには報告済みだよ。純粋な魔族ではないので、国の保護の対象外だ。安心していいと、ジークに伝えてくれとのことだよ」
「それはよかった。よかったね、シルビア」
叔父の言葉を聞き、背後のシルビアに声をかける。
コクコクと頷いているが、顔は青白いままだ。
俺たちを静観していた叔父から、もっともな指摘が入る。
「その子は、話せないのかい?」
「いいえ。普段はよく話します。だけど、突然、無言になるんです。度々そのような状況があったので、ヨハン君にも気にしないようにと伝えていました。それに、しばらく放置すれば元に戻っていますし、個性だと思っています」
俺の説明に背後から強烈な訴えを感じたが、無視した。
めずらしくヴィリー叔父さんが、戸惑っている。
「それは……なかなかの解釈だね」
「そうですか? 本人の自覚はないようですが、記憶をなくしたショックなのか、途中で奇声のような声も上げます」
「!?」
抗議なのかマントを引っ張る力が強い気がする。
「記憶は、どこまであるのかな?」
「それが……、半魔であった頃の記憶は欠落しているようです。ただ知識は豊富です」
「残念だな。魔族の生態について当事者の体験を聞けるいい機会だと思ったんだけどね。非常に残念だよ」
「そうですね。シルビアにあるのは、おそらく本の知識ぐらいです。本人は半魔であることすら忘れているようですので」
無難に叔父との会話を進めていく。
ここまでは、予定通りだ。叔父が、シルビアに興味をなくしてくれれば、それでいい。
叔父たちとの合流前に、シルビアの素性についてどうするか話合った。
俺もシルビアも、ありのままを伝えることで、一致したが、ヘルプ機能から待ったがかかった。
***********************
ご主人様、お話中に失礼します。
あくまでも、私の意見ですが、駄犬が、神獣であることは伏せておくほうが懸命かと存じます。
***********************
『誰が駄犬じゃ! ぐふぅ!?』
シルビアの顔面を俺は手で抑える。
本人の今後についての話のため、念話は切らないが、直接的な圧は加える。
ヨハンは、魔テントで昼寝中のため、教育的な悪影響はない。
ヘルプ機能、どうして神獣を隠す必要があるんだ?
***********************
駄犬の性格はともかく、神獣はこの世界では、神に等しいものである認識です。
その神獣を従えたとなれば、ご主人様は、神格化されます。
***********************
それはいやだ。
たしかに、ヘルプ機能の言うことは、一理ある。
だけど、アーベル家だけで情報規制すれば、外に漏れる心配はないと思う。
俺の考えが甘いのか……。
ハクが聖獣であることは、まだ父上たちには、ばれてはいない。
例外はあるけど『隠蔽』が、いい働きをしているのだ。
看破されることはないと信じているが、ハクが成長するれば、主に能力面で聖獣であることが、ばれる可能性が高い。
その前に、父上たちには、打ち明けないといけない。
その時には、俺の生まれ持った特性も報告するつもりでもある。
これが一番の解決法だと思っている。
今さらだが、秘密を多く抱えるのは、あまりよろしくないのだ。
綻びはいずれ起きる。
それが早いか遅いか……。
だけど、今ではないのは確かだ。
俺の直感がそう言っている。
***********************
私からの提案ですが、駄犬は、小人族と魔族の半魔であるとの説明が妥当かと思われます。
駄犬の身体的特徴と年齢、ステータス状況を考えれば、代替え案としては最適かと存じます。
***********************
魔族ねぇ……。
シルビアを見ると満更ではない顔をしている。
この世界の魔族は、絶滅危惧種に該当する。
世界各国で保護の対象であり、手厚い対応が受けられる。
魔族は、美貌、教養、能力を備えられた優秀な種族の筆頭なのだ。
日本で定番の勇者が魔王を倒すなどといった一般的な魔族のイメージとは違う。
この世界では重宝される種族なのである。
一時期、迫害を受けて、その数を減らしてしまったのだが、それは別の話しだ。
『半魔とは、ちと気に食わんが、妾の今の姿からすれば致しかない。妾はそれでいいぞ』
シルビアからも、了承がでる。
うーん……。
まだ時期ではないことを考えれば、神格化より、隠蔽を選ぶべきだ。
また一つ、秘密が増えるが、それも暴露するまでの間だけだ。
ここは仲間の助言を素直に受け入れよう。
ヘルプ機能、半魔の情報を詳しく教えて欲しい。
あと、ヴィリー叔父さんが、興味を示すと思うので、その対策を考えよう。
***********************
承知しました。
半魔の情報は、後ほど要点をまとめて報告いたします。
ヴィリバルトの興味を逸らすには、駄犬が、一部記憶喪失であることが有効であるかと存じます。
駄犬は、知識だけはございますので、そのままで、半魔で体験した出来事や過去の記憶だけが、抜け落ちている記憶障害と致しましょう。
***********************
『じゃから、妾は駄け、ぐふぅ』
それでいこう。
シルビア自身、演技ができるとは、思えない。
このあと、ヘルプ機能と、想定される会話を何度も練習する。
違和感なく、叔父の興味を逸らさせる。
今回はそれでいい。
そして、この作戦は功を奏した。
俺との会話が続く中で、シルビアが半魔の記憶を持たないことを確信したのか、すーっと、興味をなくしたようにシルビアを見つめた叔父は、話題を変えた。
叔父、とてもわかり易くて有難い。
他の時もこんな感じでわかり易ければ苦労しないんだが……。
最低限必要な情報をその場で交換し、一息をついたところで、大きな影が俺たちに近づいてきた。
ニコライだ。
エスタニア王国で、俺たちの専用護衛、主に俺の護衛をしてくれていた彼に、一番迷惑をかけた。
謝罪をするため、一歩、彼に近づくと、神妙な顔付きのニコライと目が合い、彼の足が地面についた。
「ジークベルト、すまない」
「ニコライ様!? 頭を上げてください!」
突然の彼の行動に、俺が慌てふためく。
「護衛として、失格だ」
「ニコライ様が、頭を下げる必要なんてありません。事前にぼくの巻き込まれ体質は、お伝えしましたよね。むしろ、ぼくの方が皆さんに謝罪しなければなりません。自分自身の影響を顧みず、勝手に行動した結果、多大なるご迷惑をお掛けしました。自己の甘さが招いた結果です。ご迷惑をお掛けして、誠に申し訳ございません」
慌てて俺も頭を下げるが、ニコライからの返答がない。
そっと様子を窺うと、頭を下げたまま、微動だにしないニコライの姿があった。
ニコライ、なにがあった!?
普段と違うニコライの行動に戸惑い、頭を上げるタイミングを逃してしまう。
うわぁー。どうするよ。
このまま二人してこの状況は、非常にまずい。
周囲の心象を考えれば、頭を上げるべきだが、俺から先に上げるのは、今はしてはいけない気がする。
どうする?
どうするよー。
俺の心の葛藤が聞こえたのか、お互い譲らない状況に、叔父が機転を利かす。
「はいはい。護衛の君もジークベルトも、頭を上げる。永遠にそうしているつもりかい?」
その声に、俺は安堵して頭を上げる。
ニコライは、渋々頭を上げるが、不貞腐れたような納得していない顔している。
そして無言だ。
まじで、どうした!?
ニコライ、何があったの?
俺が心で動揺していると、叔父が冷淡な声で、ニコライに話しかける。
「以前にも忠告したけれど、今後もそばに控えるつもりなら、周りの状況を見て行動するべきだね。主の意向に反する行動は、主の首を絞める。君の感情なんて関係ないんだよ。君はもう少し勉強するべきだ」
叔父の言葉を受け、ニコライが一度俺を見たあとうなずくと、視線を叔父に戻した。
「少し頭を冷やします」
「そうだね。それがいい。護衛対象者から離れるのは、あまり褒められたものではないが、雇用者として、それを許可しよう。ただし、伯爵家に戻るまでには、頭を整理して、護衛に戻るように」
「ありがとうございます」
ニコライは、軽く会釈して、その場を後にした。
その姿になにかが、この数日で変わったんだと察しがつく。
それが良いことなのか、悪いことなのか、俺には判断がつかない。
だけど、俺の軽はずみな行動で、ニコライが責任を取らさせられるのは、理不尽だ。
「ヴィリー叔父さん」
「ジークには、関係のない話だ。彼とアーベル家の雇用契約の問題だからね。口出しは無用だよ」
「はい、わかっています。ですが、ぼくもアーベル家の者です。今回の件について、ニコライ様の護衛に問題はありませんでした」
俺の真剣な訴えに、叔父は眉尻を下げて諭すように話す。
「それはわかっているよ。ジークの巻き込まれ体質は、事前に報告を受けているからね。だけど、これとそれは別問題だ。エスタニア王国での君たちの護衛は、私が兄さんに託されている。ここは大人同士の話し合いが必要なんだ。わかるね」
「はい。わかります。だけど、ぼく自身の影響に顧みず、行動したぼくにも責任はあります」
叔父は俺の意見を肯定しつつ、その行動に釘をさした。
「そうだね。今回の件で、ジークも自身の影響力の範囲を把握できたね」
「大きすぎます。一貴族の子息に王族が気にかけるなんて、聞いたことがありません」
「ジークは『アーベル家の至宝』だからね」
叔父がその表現を口にするのはめずらしい。
「ぼくが望んだものではありません」
「そうだね」
「それに、至宝の意味を教えてもらっていません」
俺の皮肉めいた言葉を受け取った叔父は頭を横に振り、優しく俺の頭をなでた。
「まだ早い。もう少し大人になってからだね」
やはりその答えを、返してくれない。
ただ単に、叔父たちが、俺を溺愛して称した言葉ではないことはとうにわかっている。
ヘルプ機能を使って調査を試みたが、その能力が全く機能しなかった。
それだけではなく、数日間、ヘルプ機能が使用できなくなった。
俺の力が及ばない大きな力に阻まれているようだ。
『アーベル家の至宝』それが意味する詳細は不明だ。
「とうさま!」
子供独特の小高い声が、森の中で響く。
先頭にいたバルシュミーデ伯爵が、隊の列から外れ、一直線に声の主の方へ走っていく。
伯爵からは、ここ数日醸しだされていた威圧感が消え、息子の無事に安堵する父親の顔となっていた。
その後方で、ニコライの『生涯の主』になるであろう人物が、白と青の二匹に押し潰され地面に伏せていた。
その姿に、ニコライは胸をなでおろした。
ジークベルト・フォン・アーベル
現在の護衛対象であり、バーデン家の恩人だ。
類い稀な才能の持ち主でもある。
本人は隠しているつもりだが、周囲にはバレバレで、アーベル家の人々が影ながらジークベルトを支えている。
老若男女、種族問わず人を惹きつける魅力もあり、無下にできないお人好しの性格から厄介事をたびたび背負う、器用馬鹿人誑しの苦労人だ。
ニコライとの出会いは、白の森。
テオバルトの腰にも届かない身長で、必死にテオバルトの歩幅に合わせてヨタヨタと歩く姿は、ヒヨコのようで愛らしく、ニコライに庇護欲を掻き立てさせた。
際立った容姿に、特徴的な紫の瞳と銀色の髪が印象を濃くし、幼児とは思えない完璧な挨拶に、当初の目的を忘れ、興味が湧いたのをニコライは鮮明に覚えている。
そして、同行したホワイトラビットの戦闘で止めを刺された。
戦闘能力の高さと才能に度肝をぬかれ、ニコライが生涯勝てないと戦わずして負けを悟った相手でもある。
ニコライの記憶に、ジークベルトとの初対面の印象をより濃く植えつけたのは、そのあとに起こった出来事が大きく関係している。
ホワイトラビットの同行後すぐにテオバルトに呼び出され、警告を受けたのだ。
それはあまりにも衝撃だった。
「ニコライ、君を信じている。ジークの能力は他言無用だ。万一漏れることがあれば、僕は君を抹殺する。君が僕の敵になることはないと、信じているよ」
人格者であるテオバルトが、殺気を隠さずにニコライに警告と言う名の脅迫をした。
親友からの抹殺宣言に、動揺がないはずもなく、彼は言葉を失った。
正に青天の霹靂とはこのことだった。
ふと、ニコライは思う。
俺がテオと同じ立場であれば、セラを守るために同じ宣言ができるだろうか。
しかし、すぐに考えることをやめる。
仮説を立てても、実際の立場でなければ分からないことが多い。
そう思うと、考えること自体が馬鹿馬鹿しくなったのだ。
この件は『重度のブラコンが起こした過保護な警告だった』と、ニコライは片付けることにした。
その後、テオバルトの心配をよそに、ジークベルトは、その能力を発揮する。
本人は一生懸命隠そうとしているが、放たれる魔法の異常さを本人が自覚していない。
人の苦労も知らず、鈍感すぎるテオの弟に、ニコライは苦笑いしかでない。
テオバルトとは、暗黙の了解でジークベルトを守る方向で動いていた。
もうこの時には、ニコライの運命は大きく変わっていたのだと今になって、ニコライは自覚した。
その後も途切れることなく関係は続き、ジークベルトは、ニコライの妹セラを治療できる唯一の人物となった。
バーデン家に忠実だった侍女のハンナ、その夫のヤンも、ジークベルトに心を許し、セラの治療を任せている。
そしてなによりセラが、ジークベルトへ好意を示していた。
その現実を受け入れつつも、ジークベルトを『生涯の主』として仕えるか、ニコライは迷っていた。
『アーベル家の専属でいい。答えを出す必要はない』
『迷う理由がわからない。答えは一つだけだ。君の中にすでにあるはずだ』
ニコライの葛藤を知ったギルベルトは、ニコライに猶予を与えてくれたが、赤の魔術師であるヴィリバルトがそれを許さない。
『癪だが、赤の言葉は正しい』
ニコライの主は、アーベル家当主ギルベルト、次期当主アルベルトではなく、ジークベルトなのだ。
ニコライ自身が肌で感じ、心はすでに決まっていた。
だが、迷いがでた。
『ジークベルトに、俺は必要なのか』と、いつもそこで立ち止まる。
なにか問題が起きても、ジークベルトは自力で解決する。
聡明さと秘めた力で前に進むその姿に、俺の存在意義はと。主に必要とされない護衛など護衛ではない。
そうではないその確証が欲しい。
エスタニア王国での護衛がいい機会になると思い、ニコライは気を引き締めた。
迷いを吹き飛ばし、答えを出すと決意した矢先に起きた事件だった。
***
「ジークベルト!」
叫びと共に伸ばした手は、虚空を掴んだ。
ニコライをあざ笑うかのように、ジークベルトがいたその場所は、静かにただ砂が舞っていた。
眼前で、ジークベルトが消えた。
細心の注意を払っていたはずが、このザマだ。
「くそっ!」と、額に手をあて髪を鷲掴む。
自身の行動の甘さに叱咤する。
伯爵の子息ヨハンが、親善試合の結果に癇癪を起し、その場を走っていったのを見て、ジークベルトがそのあとを慌てて追いかけていった。
主の行動を予測していたニコライも、距離を保ちつつ、ふたりを追いかけた。
敷地内で会話をするふたり。だが、ヨハンの魔力暴走に拍車がかかっている。
魔力暴走。
魔力制御が未熟な子供に起こる症状だ。
尊敬してやまない父親の敗北をヨハンは受け入れられないのだろう。
頭では理解しているが、気持ちが追いつかないってことだ。
気持ちは、すげぇー、わかるけどな。
年齢もそう変わらない相手が、尊敬する父親に勝ったのだ。
色んな意味で内心複雑なのだろう。
ヨハンをこれ以上刺激するのは得策ではない。
ここはジークベルトに任せ、ふたりとの距離をあけるべきだ。
ニコライが、後退するそう判断した時、ヨハンの手元にある『移動石』に気づく。
「なぜ、ヨハンがそれを持っている!? ジークベルト!」
ニコライが駈け出した時には遅く、移動石特有の光が辺り一面に広がっていた。
***
「すまない。護衛として失格だ」
「気に病むことはないよ。あの場合は致し方ない。私であっても対処はできないからね」
ヴィリバルトの意外な気遣いに、ニコライの眉間の皺が深まる。
ニコライは、なにかを耐えるように拳を握りしめ、俯いたまま言葉をつなげる。
「だが俺は、ギルベルト様にジークベルトの護衛を頼まれた。護衛対象が、眼前で消えるなんて失態、護衛として失格だ」
「君の性格からすれば、納得しないか。変な所、面倒だね、君」
ヴィリバルトが呆れたような声を出した。
その態度に、ニコライが憤慨する。
「当り前だろ! 俺は真面目に話をしているんだ!」
「雇主が、不問に処すと言っているんだよ? あぁ、エスタニア王国内での君の雇主は、兄さんではなく、私だからね。ジークの巻き込まれ体質は、本人から事前に説明があったから、策はとってある。ジークの命に危険が迫れば、身を守る程度にはね。なので慌てる必要はない。君も聞いていただろう? 『ぼくの体質でなにかに巻き込まれることがあれば、それはニコライ様の責任ではないので、処分などはしないで下さい』とね」
「それは……」
事前に聞かされていたジークベルトの『巻き込まれ体質』を持ちだされ、ニコライは言葉に詰まる。
「甘すぎるとしても、これはジークの意志だ。ジークは、君のことを大事にしているし、とても信頼している。憎らしいくらいね」
「……」
「まぁ私の方が、君の数十倍は信頼されているけどね。さぁこの話は以上だ。しばらくすれば、ジークから『報告』が入るだろう」
もう話がないと、ヴィリバルトがその場を退席する。
閉じられた扉の前で、ニコライは、ヴィリバルトに一言も反論できなかった自身の情けなさにギリッと歯を食いしばる。
ヴィリバルトの言い分は、筋が通っており、事後対策も完璧だった。
「だが俺は、何も策を講じなかった。赤は対処していたのに……」
ニコライの拳が震える。
物理的ではなく、間接的にでも対処の方法はあったはずだ。
ジークベルトの護衛であるはずの俺は、何もしなかった。
その事実が、彼をさらに苦しめる。
「なにが、護衛だ!」
バンッと、壁を叩く音が、部屋に響く。
ニコライの頭の中で『護衛失格。護衛失格──』との言葉がリフレインする。
「あぁ、そうだ。チビは、いつでも俺の前を走っていく」
ニコライは、迷いの答えが見えた気がした。
一番欲しくない確証が、近づいてくる。
「やはり俺は、チビには不要なのか──」
その問いかけに、答えるものはいなかった。
「──ということです。ジークからの報告は全てです」
「わかった。ヴィリバルト、エスタニア王国での行動を許可するよ。ただし内密に動いてくれ。派手な動きをされると、フォローができないからね」
「御意。殿下、夜分遅くまでありがとうございます」
ヴィリバルトが報告を終え、ユリウス王太子殿下に謝儀をする。
それを見届けた殿下は、体から力を抜き、一瞬表情を崩すと、その場から立ち去る。
「ジークベルトの無事が確信できてよかったよ。では、私は城に戻ることにする。アルベルト行くよ」
「はい」
殿下のあとを追うアルベルトの前に、ヴィリバルトが奇妙な形をした魔道具を差し出した。
「アル、念のためこれを所持しておくように」
「叔父上、これは?」
「私が作成した魔道具だよ。使い方はそこに記載があるので、熟知しておくように」
「はい」
アルベルトはヴィリバルトからその魔道具を受け取ると、殿下のあとを追った。
ジークベルトの安否と現状報告が入ると、集まった関係者が各々に退室していく。
騒いでいたハクやスラも、ジークベルトと念話したことにより、落ち着きを取り戻していた。
テオバルトに促され、二匹も部屋から退室していた。
その場に残ったのは、ヴィリバルトとニコライのふたりだった。
「なにか話があるのかな」
「俺をジークベルトの護衛から外して欲しい」
ニコライの申し出に、表情ひとつ崩さないヴィリバルト。
その態度から『俺の護衛辞退は想定内か』と、ニコライは思った。
「君はアーベル家の教育を受けたはずだよね」
突然の教育話しに、ニコライは怪訝な表情をしつつ「あぁ」と、うなずく。
「アーベルの至宝、現在は、ジークベルトだ。この意味がわかるね」
あたり前のことを言うヴィリバルトに、ニコライは不信感が湧く。
アーベル家の教育を受ける前から、ジークベルトが『アーベル家の至宝』であることをニコライは、知っていた。
いつ知ったのかは思い出せないが、それが世界の常識だ。
そう言えば、なぜあたり前なんだ。
疑問が次々と出てくる。ふとニコライが、それを口にした。
「なぜ、ジークベルトなんだ」
「さぁ、あれは気まぐれだからね。私にも予想はつかないよ」
ヴィリバルトの赤い瞳が、驚きに満ちたように大きく見開くと、ニコライの疑問に答えた。
ヴィリバルトの声が、ニコライの思考に靄をかける。
『赤はなんて言った。あれは、あれとは』と、急にニコライの頭が重くなる。
一瞬記憶が飛んだニコライは、さきほど自身に訪れた体調の不和を忘れ、平然とした顔でヴィリバルトに質問をなげかける。
「害はないと聞いた。幾ばくか恩恵はあるのだろう」
「あれが、気まぐれで与えればね。代々の『至宝』が恩恵を得られたわけでもない。先代の義姉さんは、恩恵もなく亡くなったからね」
「あれが? つぅ……」
再びニコライの頭が重くなり、記憶が飛ぶ。
しかし本人はそれに気づきもせず、ヴィリバルトに詰め寄った。
「害があるのか!? ジークベルトが死ぬ可能性があるのか!?」
「落ち着きなよ。誰も死ぬとは言っていない」
ヴィリバルトの淡々とした態度で、そばまで寄っていたニコライが一歩下がる。
「すまない」
「勘違いしないでほしい。義姉さんの死因は、至宝が直接の原因ではないよ。まぁそれも含めて、気に食わないのだろう。私が拒否したことも」
ヴィリバルトの苛立ちがニコライにも伝わる。
誰かに怒っているのを察するが、誰かは考えてはいけない。
ニコライの瞳から光が消える。
ヴィリバルトはその様子を確認したあと、なにもなかったように話しを進めた。
「こちらの話だ。『至宝』はただの固有名称さ。ただ世界における影響は大きい。我が国の王太子が、現至宝であるジークベルトの行方を案じていた事を見ればわかるね。ジークベルトは、屋敷で大人しくいるタイプではない。今後さらに厄介事が増えるのは、目に見えている」
「……っ」
ニコライが、唇を噛み締める。
その仕草に気づいたヴィリバルトは、ニコライに追い打ちをかけた。
「君が何を迷っているのかは大体予想がつく。護衛を外して欲しいとの要望もそれだろ。そもそもその考え自体が馬鹿らしいと思わないのかい?」
「俺は真面目に悩んでいるんだ!」
ニコライの心の悲鳴が、叫びとなって、部屋に響いた。
ヴィリバルトが、両手を広げ呆れた様子で、確信をつく。
「だからその悩み自体が、馬鹿らしいと言っているんだよ。ジークベルトは規格外だ。規格外に仕える。その意味は経験したからわかるだろう。君自身なんて、ジークと比べれば、ちっぽけな存在にしかすぎない。一般的な護衛とは違うんだ。そこに君の存在意義を求めるのは、おかしいんだよ。あとは……そうだね、君自身のプライドが、判断の邪魔をしているとしか思えない」
「そっ、それは……」
ほんの少しあった邪な気持ちをヴィリバルトに暴かれ、ニコライが言葉を失う。
「規格外の護衛に求めることは、常に主の意向に沿って動けること。ただそれだけだ。現に君はできていると思うけどね」
「はっ?」
ニコライの反応を見たヴィリバルトは『無意識の行動こそ、真に求めているものだよ。それに気づかないうちはまだまだ……』と思いながらも『困ったことに、嫌いではないんだよね』と、全身から大きなため息を吐く。
「私も甘いな。今回だけだよ。ハクとスラ、王女とエマの精神的負荷を緩和させたよね。適切な処置だった。今回はテオも一緒だったけどね。一時はどうなるかと思ったよ。それだけでジークの護衛としての役目はできているよ」
「それはあたり前だろ。ジークベルトがいなければ、あいつらは騒ぎだす。それを抑える行動をするのはあたり前だろ。あとでジークベルトの負担になれば、あいつら自身が悲しむしな」
「うん。君はジークの護衛として適任だよ。私が君をジークの護衛から外すことはない」
「はぁ?」
ヴィリバルトが、ニコライの行動を肯定すると、ジークベルトの護衛からは外さないと言ってのけた。
ニコライは、早急すぎる話しの展開についていけない。
「主の意向に沿って動けること。それだけだ。もう答えは教えてあげないよ。よくよく考えることだね。さて私の話は終わったので帰るよ。これからもジークの専任護衛として頼むよ」
「おいっ! ちっ、転移しやがった……」
ひとりとなった部屋で、ニコライはヴィリバルトに言われたことを反復する。
「なにが専任護衛だ。俺は護衛の辞退を申し出て……あっ? 待て。よく思い出せ。赤が俺に頼むなんて、言うはず……、言ったよな? 夢か? いっ、痛ぇ! 夢じゃねぇ! 待て待て。落ち着け。そもそも俺は、赤にジークベルトの護衛を外すよう懇願したはずだ。それで俺の痛いところを突かれて、赤にジークベルトの護衛に求められるものは、防衛の護衛が重点ではなく、ジークベルトの意向に沿って動ける者だと言われ、俺の行動が既にそれをしていると、結論、専任護衛頼む……。はぁ、意味わかんねぇぞ!」
ニコライが部屋で悶々と騒いでいると、エマの声が聞こえた。
「ニコライ様! まだこちらにいらっしゃったのですね! スラ様がニコライ様をお呼びです」
「スラのやつ、また寂しいってか」
「うふふ。スラ様は、寂しがり屋さんですからね。ジークベルト様がそばにいなくて、代わりに誰かのそばに居たいのでしょう」
「しかたねぇな。代わりは必要だしな」
「あっ、今のはニコライ様以外でもいいってわけではありませんよ。スラ様はニコライ様をご指定されていますからね!」
エマが念を押すようにそれを指摘する。
ふと、ニコライは第三者の声を聞きたくなった。
「なぁ、エマ。俺は、ジークベルトの役に立っているか?」
「もちろんです! ジークベルト様がいない時に私たちを支えてくれているじゃないですか!」
即答したエマに、ニコライは戸惑う。
その信頼された顔を前に『答えはまだ見つからないが、今はそれでいい。護衛失格だが、俺にもできることはある』と、自信を少し取り戻す。
「……そうか。スラを待たせると後が恐いな。行くぞ、エマ」
「はい!」
ニコライの呼びかけに、エマの元気な返事が部屋に響いた。
『バルシュミーデ伯爵家で動きがありました』
『もうよい。捨て置け』
『よろしいので?』
『あの男の標的は『赤の魔術師』だ。なぜか執拗に粘着しているが、我々の目的はすでに達した。政局から外れた家、降嫁が決まった女に用はない』
『御意』
***
伯爵家の玄関ロビーには、大勢の家人たちが俺たちの帰宅を待っていた。
その中心にいた金髪の少女ディアーナが、洗練された動作で俺に近づいてきた。
「ただいま」
「お帰りなさいませ。ジークベルト様。ご無事の帰還なによりです」
「皆さま、お帰りなさいませぇー、うっきゃあ」
ディアーナのうしろに控えていたエマが、自身の足に絡まり、ドタッンと勢いよく顔面から絨毯に倒れ込む。
一同唖然。
ヨハンの無事を喜んでいた家人たちも、エマのドジっ娘ぶりに言葉を失った。
そんな中、空気を読まない者もいる。
「くっくっくっ……」
俺のまうしろから、声を押し殺してはいるが、笑い声が漏れ聞こえた。
ここで笑えるお前すごいわ。
その図太さもさすがだ。
俺が、まうしろに気を取られている間に、ディアーナがエマに声をかけた。
「エマ、大丈夫?」
「大丈夫ですぅ。うっ、うっ、どうして私は、タイミングが悪いのですか」
「反省は後になさい。エマ、皆さまの邪魔になっているわ」
「はっ、はい。失礼しました。皆さま、お帰りなさいませ。パル様が応接間でお待ちです」
ディアーナの喝に、先ほどのドジっ娘ぶりを一変、素早く立ち上がると、優雅に一同を案内する。
その動きを毎回見るたびに、その運動神経はどこで調達されるのだと疑問に思うが、答えはでない。
エマ七不思議のひとつだ。
語呂合わせがいいだけで、エマに七つも不思議はないけどね。
今後増える可能性はあるかも。どんな可能性だ。
ひとりでツッコミをしていると、俺がエマを凝視し過ぎたのか、首を傾けながら尋ねてきた。
「ジークベルト様、私の顔に何かついてますか?」
「帰ってきたなぁと思ってね」
「うふふ。よかったわね、エマ」
「はぁ?」
俺の回答に、エマが心底わからないといった間抜けずらな表情を浮かべ、ディアーナが、嬉しそうにエマを励ましている。
数日しか離れていなかったが、ふたりの顔を見るとやはり安心する。
順調に絆されているなぁ。
「ジークベルト様、はじまりの森のお話を早く伺いたいですわ」
「そうだね」
和やかな雰囲気が漂う中、空気を読まない駄犬シルビアが、俺のマントを握りながら吠えた。
「ほぉ、ほおぅ。この小娘が、兄上の、ぐふぅ!?」
例の如く、シルビアの顔面を抑える。
しまった。『遠吠え禁止』を忘れていた。
叔父たちと合流後、なぜか俺のマントを離さず、大人しくしていたので、油断した。
笑い声を押し殺していた時点で、気づけよ俺!
「なっ、何をするのじゃ! おぬし、妾の扱いが雑すぎる! もっと労わるのじゃ! 妾はおぬしより、年上のなのじゃぞ! 年配の者には敬意を払う。そっ、それに、おぬしと妾は、仮にもじゃが、夫婦の契を交わした仲、ぐふぅ!?」
シルビアの言葉を物理的にとめる。
こいつ、厄介すぎる。
言葉に悪意ない分、ストレートすぎだ。
「誤解を生む発言はやめようか」
「なにが、誤解じゃ? 現におぬしと妾は、死が分かつまで離れぬ関係ではないか」
シルビアが、俺のマントの裾を掴みながら、上目遣いで首を傾けた。
えっ、急にしおらしくなった。
俺がシルビアの扱いにあたふたしていると、人影が俺たちに近づいていた。
「いやだから、いまここで話す内容では、ディ、ディア!? ちっ、近くない?」
「うふふ、なにを驚いていらっしゃるのですか。行方不明の婚約者が帰宅されたのです。そばに寄り添うのは、当たり前の権利ですわ。ところで、ジークベルト様、そちらの方をご紹介頂けますか?」
表面上、にこやかに話しをするディアーナだが、目が、目が笑っていない。
ここで動揺したら、俺の負けだ。
そもそも動揺もなにも、俺は単にシルビアの仮主となっただけだ。
神獣なだけで、ペットと一緒だ。
そうだ。そうだ。
ペットを飼う限り、一生面倒をみるのは当たり前のことだ。
俺はなにも悪くないのだから、堂々と話せばいいだけだ。
俺は一呼吸置いてから、ディアーナの目を逸らさず説明をする。
「彼女は、半魔のシルビア。はじまりの森で出会ったんだ。彼女は、一部記憶を失くしていて、ヴィリー叔父さんと話合った結果、アーベル家で保護することになった」
「まぁ、そうでしたか。私は、新しい候補者の方かと勘違いしてしまいましたわ。うふふ」
ディアーナの笑顔が真に恐い。
ジリジリと責められ追い込まれているような感覚に、変な汗が背中から流れる。
察しのいいスラが、俺の肩からハクの背中に移る。
あっ、裏切り者め!
ハクまでも、俺との距離を微妙にあけだした。
あっ、行かないで!
俺の動揺を余所に、ディアーナがシルビアへ挨拶を切りだした。
「改めまして、シルビア様。私は、ディアーナ・フォン・エスタニアと申します。ジークベルト様の婚約者です。隣に控えるのが、私の侍女のエマです。ご挨拶が遅れ、大変失礼致しました」
「エマ・グレンジャーです……」
ディアーナの圧に負け、エマも挨拶をする。
すると、シルビアが、興味深そうにエマを見上げる。
「ほお、グレンジャーじゃと、面白い! おぬしの周りは変り種が集まるのか! これから益々楽しみじゃ」
シルビア、そこじゃない!
空気読めよ!
ディアーナの口元が、若干引きつっている。
シルビア、お願いだから空気、空気を読んでくれ。
あぁ、無邪気に俺に接近して、マントを引っ張るな。
あー、その無神経さを逆に賞賛するわ!
「うん? なんじゃ小娘。不服か?」
「いえ、婚約者のいる前で、不用意に殿方に近づくなんて、どのような神経をされているのかと存じまして。うふふ」
ディアーナの指摘に、シルビアの動きが一瞬止まるが、ニヤリと口元を歪めた。
「ほぉ、小娘が、一人前に牽制とは、妾の美貌に危機感でも抱いたかのぉ」
「うふふ。シルビア様、ご冗談が面白い。そうですね、シルビア様は、お顔立ちがはっきりとされていますけれど、所詮、お子様ですわ」
「なっ、なんじゃとぉーー!」
シルビアが、真っ赤な顔をして一歩前に出ると、ディアーナに抗議する。
すると、ディアーナが余裕たっぷりな態度をだしつつも、優雅にシルビアをあしらう。
「あら私としたことが、とんだ失言を。大変失礼致しました。私、半魔の方に、初めてお会いしましたが、魔族の方は、見た目より、年齢が遙かに上とお聞きしたことがあります。見た目が、五歳児ぐらいにしか、見えなくても成人されているのですよね」
「なっ、なっ、先ほどから、見た目やら、五歳児やらと、失礼にもほどがあるのじゃ! 妾は千二百五十五歳じゃ! 年上を敬うこともしらんのか!」
シルビアの年齢を聞いたディアーナは、まるで『驚いたわ』と、わざとらしく口元に手をあて、困ったように眉尻を下げる。その仕草は、遠目で見ても、とても上品にうつる。
「まぁ、そうでしたか。かなりのご年齢を重ねていらっしゃるのですね。私、まだ成人前の若輩ものですので、言葉には気をつけますわ」
「小娘! 妾を軽蔑しておるなっ!」
「いいえ、そのような事はございません。シルビア様に不快な思いをさせてしまったのなら、平に謝罪いたします。誠に申し訳ございません」
「なっ、なっ……」
ディアーナが、シルビアに優雅に頭を下げると、負けを悟ったシルビアが、俺に助けを求め見上げる。
いや、お前が、無神経に被害を拡大させたんだからな。
自分で尻拭いしなさい。俺にすがるなよ。
ってか、マントを引っ張るな。
えっ!?
ディアーナ、なんで、そんな笑顔で俺に近づいてくるのでしょうか。
シルビアを庇おうなんて、思ってもいませんよ。
俺は頭を横に振りながら、一歩後退する。
すると、マントを掴んでいるシルビアも一緒に後退する。
ディアーナの圧が、大きくなる。
いやだから、信じてよ、ディアーナ!
「子供だと思っていたけど、立派な淑女なんだね。ジークは、これからも大変だね」
叔父の他人行儀な物言いに、俺は唇を突きだしながら不貞腐れたように抗議をする。
「見ていたなら、助けてください」
「あぁいったのは、他者が入るとますます揉めるものだよ。自然の流れに身を任せるのが一番いいんだよ」
わざとらしく眉尻を下げ、困った表情をする叔父を見て、『ああ、面白がっている』と察した。
俺は叔父に軽侮した視線を向ける。
「至極真っ当な意見を述べていますが、要するに、今後も助けるつもりはないってことですね」
「嫌だなジーク。私が可愛い甥っ子を見捨てるなんてことするはずがないよ。それにジークには、信頼している護衛がいるだろう」
俺の態度に、叔父は目を泳がせながら話すと、途中で一点を見つめた。
突然話しを振られたニコライは、慌てたように弁明する。
「はぁ? 俺に話を振るなっ! チビ、そんな、すがるような目をするなっ。おっ俺は、無理だぞ。そもそも護衛の範疇を逸脱しているぞ」
「主の意向にそう。その勉強にいい機会だと思うけどね」
「それとこれとは別だろ。ふざけんなよ、赤っ!」
ニコライが声を荒げて、叔父に詰め寄っている。
なんだかふたりの仲が前よりも深まったように感じる。
それにニコライの雰囲気が、以前のように戻っている。
はじまりの森で再会した時の重苦しさが抜けて、なにかを振り切ったような感じがする。
なにがあったかは知らないが、やはりニコライは、これがいい。
今後の関係はわからないけれど、このままでいて欲しいと切望する。
「おいっ、チビ、なにを笑ってるんだ。そもそもお前が半魔を拾ってくるからだなぁ」
「えっ? ぼくが悪いんですか? 記憶のない半魔をあのまま野放しにしても、ニコライ様は心が痛まないんですか?」
ニコライが、目ざとく俺の様子に気づくので、ちょっとした悪戯をする。
「そっ、それは……。つぅか、話が逸れてるぞ!」
「そもそもニコライ様が振った話題なのに、逃げるんですね。ぼくのせいにして、そのまま逃走するんですね」
「ニコライ、いい大人が見苦しいよ。親友として悲しくなる」
「お前ら兄弟は、ほんといい性格してるよなっ!」
最近、テオ兄さんと元気のないニコライをからかうのが、俺たちの日常だ。
テオ兄さんと顔見合わせ、次はどう攻めるか、考えていると、大きな咳払いが聞こえた。
「ゴホンッ。姫様たちの話は面白いが、そろそろ話をしてもよいですかな?」
「「失礼しました。伯爵」」
「パルじゃ、テオバルト殿、ジークベルト殿」
「「はい。パル殿」」
俺とテオ兄さんは、謀ったかのように言動も仕草もシンクロする。
その状況が、少しおかしくて、テオ兄さんを見ると、テオ兄さんも同じように思ったのか、目を合わせ笑い合う。
「歳が離れていてもそこは兄弟ですな。息がぴったりだ。うむ。ヨハンにも早く兄弟を作ってやれ」
「父上、話が逸れています。調査結果を速やかに報告して下さい」
その戯言をエトムント殿が切ると、ツルピカの強面おっさんが、拗ねた口調で言う。
「わかっている。今しようとしたところだ。エトムントはもう少しユーモアをだな、わかっている。話すからそう睨むな」
またもや話しを脱線するパルに、エトムント殿の無言の圧がかかった。
それを受けたパルが、本腰を入れ話しだした。
「ゴホンッ、ジークベルト殿からの報告を受けて、その人物と接触した子供たちに話を聞きに行きましたが、誰ひとり、その人物のことを覚えておりませんでしたな」
「「「えっ?」」」
俺たちの反応を見たパルが、大仰にうなずく。
「つまり、ヨハン以外、記憶にないということですな」
どういうことだ? と、俺が思考を巡らせている中、テオ兄さんが発言する。
「『忘却』ですか」
「それがね、テオ。面白いことに『忘却』を使用された形跡がないんだよ」
「叔父様、それは……」
「そう。術者は相当な使い手だね。これは色々と不味いね」
不味いと言いながらも、叔父の表情はとても楽しそうだ。
あぁ、被害者予備軍に合掌。
生真面目なエトムント殿が、それに気づき指摘する。
「アーベル伯、言葉と顔が合っていません」
「これは失礼。しかし、バルシュミーデ伯、強者ですよ。興味ありませんか?」
叔父が、エトムント殿を煽るような言い方をする。
生真面目なエトムント殿が、そんな言葉にのるはずがないのに……。
「アーベル伯、何を仰っているのですか。ヨハンを危険な目に合わせた相手です。徹底的に潰すに決まっているでしょ。地獄を味あわせてやりますとも」
「話が合いそうですね」
「えぇ、今回は合いそうです」
そうだった。この人も武人だった。
ヨハンが関わっているのに、素通りをするはずなんてない。
ふたりが意気投合して、固い握手をするそばで、ニコライとテオ兄さんがコソコソと談合している。
その談合内容、俺には、ばっちり聞こえているんですが、大丈夫?
「なぁ、あれ、まずくねぇか」
「さすがにまずいよね。アル兄さんに報告を入れておくべきだね」
「俺らも強制参加ぽくねぇか」
「おそらく……」
「ちっ、また厄介ごとかよ」
「でもニコライ、父様の極秘指令に関係ありそうだ」
「そうか。ならしかたねぇ」
「できれば、ジークたちを切り離したいけど、叔父様はジークを巻き込むつもりのようだ」
「赤が巻き込まなくても、チビが首を突っ込むだろうよ」
「それもそうか。とりあえずプランBで」
「おうっ」
ニコライの地声、意外に大きいの気づいてないのかな。
今はあちらも、盛り上がっているから話の内容は聞こえてないけど、ばっちり俺には聞こえています。
父上の極秘指令ってなんだろう?
すげぇ、気になるし、プランBって。作戦練ってきたんだ。
それにニコライ。これだけは否定しておくよ。
叔父が、俺を巻き込むのはいつものことだけど、俺自身は、わざわざ厄介事に首を突っ込まないからね。
自然と。自然と、巻き込まれているだけなんだよ。
この苦労人のせいでね!
「ゴホンッ。話を続けますぞ。まず表沙汰にはしませんが、バルシュミーデ家嫡子誘拐未遂事件として、国には内々的に報告したので、我々は派手に動けますな。犯行の手腕から考えて狙いは姫様。裏に反乱軍の首謀者がいるのは確実。儂も私怨がありますので、独自ルートで調査しておりました。中々尻尾が捕まりませんでしたが、はじまりの森への移動石。あれは貴重な物でして、ある人物が購入したとの情報を入手しております」
「さすがパル殿。情報が早いですね。私も殿下から許可を得ましたので、協力は惜しまないですよ。手始めにヨハン殿の記憶を視る許可をお願いしたい」
「記憶を視る? そのようなことが可能なのですか。さすがアーベル殿ですな」
叔父の申し出に、パルが一瞬訝しげな表情をするが、その意味をすぐに理解して叔父を賞賛する。
するとエトムント殿が、真剣な面持ちで叔父に詰め寄る。
「記憶を視ることにより、ヨハンへの影響はないのですよね?」
「直接的な害はないよ。ただ記憶を視る際に、その人物の考えや感情なども視えてしまうんだよね。ヨハン殿は、まだ幼いので、問題はないと思うけどね。もちろん事前に本人の許可はとるよ」
「害がないのであれば、許可しましょう。ヨハンに協力するよう、私からも伝えておきます」
叔父の説明を聞いたエトムント殿が、晴れやかな顔で容認した。
俺は額の汗を拭う。
緊張したー。
エトムント殿の隠れ漏れた殺気が、部屋の空気を揺らしたが、それを平然と至近距離で受け取る叔父はさすがだ。
「助かるよ。記憶が視れるのは、他言無用でお願いするよ。あと長時間拘束するので、部屋の用意と人払いをして欲しい。魔法施行中は、私自身も動けないので、警備の強化を願いたい」
「大掛かりな魔法ですな」
「それはもちろん。人の記憶を視るからね。それと、ジークとスラも念のため同席願うよ」
「えっ? ぼくとスラですか?」
突然話しを振られた俺は、なにがなんだかわからない。
記憶を視る系の魔法なんて、禁忌に近いものには手を出していない。
それにスラをどうするつもりだ?
俺の困惑顔をよそに、叔父は笑顔だ。
「そうだよ。詳細はあとで伝えるからね」
「わかりました」
「記憶が薄れない内にヨハン殿を視るとして、本格的な行動、首謀者の一掃は、武道大会の後って事でいいんだよね」
叔父が今後の予定を確認した。
パルがそれに答える。
「それが妥当ですな。今は各国の首脳が集まっておるので、わざわざ無用な火種を付けることは避けた方がよいですな。先方も馬鹿でなければ動かんだろう」
「では、二日後に開催される武道大会を楽しみつつ、各々情報を集めるということで、いいね」
叔父の言葉に、その場にいた全員がうなずく。
首謀者の一掃とか、俺の前でするってことは、完全に巻き込むつもりだ。
どうせ、巻き込まれるんだから、動く時期だけでもわかったから、よしとしよう。
それに、武道大会は楽しめるようだし。
すごく楽しみにしていたので、めちゃくちゃ嬉しい。
屋台とかもあるのかなぁ。
異国の料理、食べてみたい。
ヨハンと一緒に回るんだ。楽しみだ。
武道大会の事を考え、顔のニヤつきがとまらない俺の腕を突然、叔父が掴んだ。
「えっ?」
まったく状況が把握できていない俺を余所に「私とジークは、これで失礼するよ」と、叔父がみんなに言った。
そして、強制転移をさせられた。
「やはり家が一番落ち着くね」
強制転移に叔父の思考が読めず、呆然と突っ立っている俺をよそに、叔父は優雅にソファに腰をかけた。
「ヴィリー叔父さん、説明!」
「説明いる?」
俺の要求に答えることをせず、叔父は首をかしげる。
そんな叔父の態度に、俺は切れた。
「いるに決まってます! 突然、転移させられて、移動先がヴィリー叔父さんの屋敷だったからよかったものの、もし知らない場所なら、不安が募りますよ。それに何の説明もなく突然転移されれば、残された側も多いに困惑します。それに、それに、ぼくは、行方不明先から帰宅したばかりです。ハクやスラ、ディアやエマと、ほんの僅かしか言葉を交わしていません」
俺は肩で息をしながら、怒りを隠さずに主張した。
そんな俺を見て、叔父は、少し困ったように微笑む。
「ジーク、少し落ち着こうか」
「落ち着いています!」
「困ったなぁ。もうすぐ理由がわかると思うんだけどね」
「どういう意味ですか?」
叔父の不可解ともいえる言動に、興奮した気持ちが下がる。
俺が困惑していると、突然、シルビアが現れた。
「なっ、何故、転移するのじゃ?」
「シルビア!?」
俺の目の前には、部屋で寛いでいた思われるシルビアが、口の周りにお菓子の屑をつけながら、呆けた様子で、突っ立っていた。
あまりにお粗末なその姿に、さすがにかわいそうだと思う。
「やはりね。君、ジークと契約を交わしたね」
叔父の冷淡な声が部屋に響く。
「半魔だからと油断したよ。君の魔力の波動が、ジークと同調している。視える者には視えるんだよ。油断したね。無意識なのかい? それとも意図的にかい?」
「妾は、知らんのじゃ」
叔父の言葉攻めに、シルビアは異を唱えるも、すぐに俺のうしろに隠れ、マントを引っ張る。
俺はシルビアを背に隠しながら、うつむいた。
叔父は、すべてを把握している。
この人に、下手な隠蔽をしたのがそもそも間違いなのだ。
強制転移の理由は、俺とシルビアの魔契約の確証を得るため。俺たちも知らなかった俺とシルビアが一定距離離れると強制的にシルビアが転移することも、予測していた。
ん? ちょっと待て。
叔父は、シルビアがまだ半魔であると思っている。
なにか、ヒントになったからくりがある。
魔力の波動、同調、そこから魔契約と転移が結びつくのか?
だとしたら、シルビアの正体が判明したわけではない。
ああ、そうだった。
叔父のそばには『真実の眼』を持つフラウがいる。
これは腹を括るしかないようだ。
「ふーん、まぁいいよ。今は許してあげるよ」
俺が顔を上げると、叔父が意外そうに目を見開き、そう言った。
本当に、この人には敵わない。
俺は一度、瞳を閉じると覚悟を決め、叔父を呼んだ。
「ヴィリー叔父さん」
「なんだいジーク?」
優しさの中にも厳しさが混じったその視線を受けながら、俺は告げる。
「シルビアに魔契約を隠すよう命令したのは、ぼくです」
「ジークは内容を承知で、契約したんだね」
「はい」
俺は叔父から視線を外さず、うなずいた。
今さらだが、誠意と覚悟をみせる必要があった。
この行為にどこまでの効力、意味があるかわからないけど、視線を外してはいけない。
「なるほど。では、半魔としての記憶は残っているのだね」
「いいえ。シルビアには、半魔としての記憶はありません。そもそもシルビアは、半魔ですらありません。シルビアには、多くの枷があります」
「半魔ですらない? 多くの枷?」
俺の言葉に困惑する叔父。
叔父の想像を越えたようだ。
すると頭の中で、必死に訴える声が聞こえる。
今までシャットダウンしていたが、説明は必要だ。
「少し待ってくれませんか。話す内容を相談させてください」
「今だね。わかった。待つよ」
「ありがとうございます」
俺の突拍子もない申し出に、叔父はなにも聞かず、すぐ理解してくれた。
感謝を伝える俺に、叔父の対面のソファに座るように促す。
その気遣いにうなずき、静かに腰をかけた。
シルビアも俺の横に隙間なく座ると、俺の腕を両手でギュッと掴む。
シルビアと目線を合わしうなずく。
頭に響く『ご主人様、お待ちください』を連呼して、必死に訴えている声の主に相談と言う名の説得をはじめる。
ヘルプ機能、待たせてごめんね。
***********************
ご主人様!
ヴィリバルトに、駄犬の正体を明かすのは、時期尚早かと存じます。
***********************
ヘルプ機能の言い分は、もっともだと思うよ。
***********************
では、考え直して頂けるのですね。
半魔ですらないとの発言は、取消しができませんので、魔族であることに致しましょう。
***********************
ヘルプ機能、たぶん、ヴィリー叔父さんは『超越者』だよ。
シルビアが、俺のマントを離さなかった理由って、ヴィリー叔父さんでしょ。
本能で敵わない相手だと感じ取ったんじゃないかな。
だから今も、恐いのか、俺のそばを離れないんだよ。
***********************
お待ちください。
記録を調べたところ、ヴィリバルトは『強者』です。
それがこの八年で『超越者』の領域に入ったと、ご主人様はお考えなのですか。
ありえません。凡人枠である人間が、クラスアップを自らするとは、聞いたことがございません。
しかしながら、ヴィリバルトの当時のスキル取得を考えれば、否定できないことも事実です。
***********************
凡人枠?
***********************
この世界の『生命の理』の一つです。
種族により、ある一定の枠組みがございます。
例えば、人間は、凡人枠です。魔族は、異才枠と、種族により枠がございます。
枠組は、スキル取得や称号、レベルの上限など一定の決まりがございます。
例えば、スラは『分離』をスキルとして取得できますが、人間は取得することができません。
称号『超越者』は、主に魔族やハイエルフなどといった異才枠などの枠組みの中で取得が可能です。
ただし、クラスアップができれば、凡人枠である人間も『超越者』を取得することは可能です。
クラスアップは、この世界では、神族の中でも一定の力を持つものだけが、使える能力であると聞いております。
おそらくですが、駄犬の元の主は、それを使える者です。
しかしながら、神族以外が、それを行使したとは文献でも見当たりません。
ご主人様のように、種族は一応人間ですが、裏設定で、スーパーウルトラ超特別枠に属しているのなら納得がいきます。
***********************
いま、サラッと爆弾入りましたよね。
枠組みの概要をなぜ詳細にヘルプ機能が知っているのかとか、多くの疑問はあるんだけど、何より、俺が、スーパーウルトラ超特別枠だっけ、ほぼ同じ意味の単語を並べて、すごいように見せているとしか思えない枠に、裏設定で入っているのは、どうしてなのかな?
しかも、それをなぜヘルプ機能は知っているのかな?
***********************
うっ、それは、申し訳ございません。
誓約があり、今のご主人様には、お答えができません。
私が、ご主人様のヘルプ機能である理由でもございます。
時がきましたら、私がご主人様の前に、本当の姿で立つことができれば、必ずお答え致します。お約束します。
それまで、お待ちください。
***********************
誓約ね。
今まで、回答できなかったのは、単純に俺の魔力が不足していただけかと思っていたけど、そうではないってことだね。
***********************
ご主人様の魔力が増加することにより、私の制限が徐々に解除されます。
最終形態は、ご主人様の前に人型として現れ、許されることにより、全ての制限が解除され、誓約がなくなります。
***********************
精霊の森に行きたいのは、その制限を解除するために必要ってことだね。
***********************
はい。
詳細をお伝えすることはできませんが、その通りです。
***********************
なるほど。わかった。待つよ。
ヘルプ機能には、お世話になっているし、仲間だしね。
だけど、精霊の森は、待ってね。
あそこに行くと、付随して何かがついてきそうだからね。
***********************
ありがとうございます。
精霊の森は、もう急かしません。
当初は、制限解除のために、行って頂ければと思っておりましたが、すでに、私の制限は半分ほど解除されておりますので、急かす必要がございません。
***********************
そうか。よかったよ。
成人してから考えるよ。
***********************
できれば、もう少し早く行動して頂ければ、有難いです。
***********************
冗談だよ。
ただ、子供の俺では対応できないから、あと五年は待って欲しい。
***********************
承知致しました。
余談となりますが、数日前、駄犬に会う直前、ご主人様の頭に『超越者』との言葉が出てきたかと存じます。
長寿である種族の可能性が高いので、会えるかも知れないとも思われましたよね。
その通りです。
『超越者』を取得すれば、寿命も延びますので、会えるかと存じます。
その時にお伝えできればよかったのですが、神族の圧が強く、お声かけができませんでした。
***********************
あぁ、あの時の神殿のことだね。
普段なら、ヘルプ機能が補佐してくれるのに、おかしいとは思ったんだよ。
情報がないのかとも思ったんだけど、神族からの圧力がかかっていたんだね。
へぇー。
シルビアの元の飼い主って、相当すごい人物なんだろうね。
まぁ、俺とシルビアに自身の加護を与えるぐらいだから、神様の類いなんだろうけどね。
どちらにしろ、今はいいや。
答えはでないし。
さて、本題に戻ろうか。
叔父が、どのようにしてクラスアップをしたのかは不明だけど、俺の直感は叔父が『超越者』であると言っている。
お互い現在のステータスを把握していない。
鑑定眼で見ていないので、わからないけど、ヴィリー叔父さんのステータスは、俺たちの想像以上だと思うよ。
それにヘルプ機能、フラウのこと忘れてない?
精霊は『真実の眼』を所持しているよね。
シルビアが半魔でないことなんて、すぐにばれるよ。
たとえ、フラウを説得できても、ダダ漏れだよ。
ハクが聖獣であることも、叔父は知っている。
その口止めのために、エスタニア王国の迷宮に行くんだからね。
***********************
私としたことが、クソ精霊の存在を忘れておりました。
記録から抹消できなくとも、不良在庫として別保存していたことが仇となりました。
くっ、不覚。
***********************
ヘルプ機能って、フラウのこと相当嫌っているよね。
***********************
嫌っているのでは、ございません。
そもそも嫌いという感情自体もございません。
***********************
あっ、そうなんだ。
うん。この件は、聞かなかったことにして、シルビアが半魔である嘘は、表向きには必要だよ。
ただ、ヴィリー叔父さんには、隠す必要がないって思うんだ。
ヘルプ機能は、神格化を懸念しているようだけど、ヴィリー叔父さんは、そこも考えてくれるよ。
あとついでに、俺の秘密を全て話すよ。
***********************
ご主人様、ついでに話す内容ではないかと存じます。
ご主人様の秘密を全て話すということは、それは、ご主人様のステータス、能力、前世の記憶、前世の黒歴史、前世の女性遍歴、食べ物の好みや現在の女性の好みなどといった全てでございますか。
***********************
おいおい、ヘルプ機能さん。
いまサラッと、中間ぐらいに挟みましたけど、前世の黒歴史や女性遍歴って、俺の何を知っているのですか?
***********************
全てでございます。
ご主人様のことで、私が知らないことはございません。
***********************
えっ、こわっ!
言動が、プチどころか、正真正銘のストーカーじゃん。
ヘルプ機能は、記録も備わっているので、仕方ないけど。
でもなぜ、俺の前世の情報もあるんだ。
あっ、俺が前世の記憶持ちだからか!
***********************
何か問題がございますか?
***********************
問題ばかりじゃないか!
ヘルプ機能、今後一切、その俺個人の情報を開示することは禁止する。
***********************
承知致しました。
私だけが、ご主人様の情報を所持できるのですね。
***********************
えっ? そうなるのか。
ヘルプ機能は、俺の能力の一つでもあるが、自我がある時点で、個人ではないか。
ただ俺の能力内にいるので、切り離すことはできない。
あぁー。もうヘルプ機能以外の他者に俺の情報、主に前世関連の黒歴史が流れなければそれでいいや。
なんだか、本筋と違うところで、どっと疲れがでてきた。
とりあえず、ヴィリー叔父さんには、俺が異世界の前世の記憶持ちであり、チート能力を授かって生まれてきたことを話すことにする。
いずれは、話す予定だったのだ。それが早まっただけだ。
それに、シルビアが神獣であり、エスタニア王国の真実をなぜ知り得たかの理由も偽ることなく話せる。
うん。これで解決だ。
いいね。ヘルプ機能。
***********************
承知致しました。
ご主人様が、お決めになったことです。
私は、全力でサポート致します。
補足となりますが、スラを介して念話で、私とヴィリバルトが話すことも可能です。
しかしながら、それはお薦め致しません。
ヴィリバルトは、追究者です。性格上、私とコンタクトが可能であると判明すれば、ご主人様の負担になるのは、目に見えております。
ここは黙っていることが、宜しいかと存じます。
***********************
ヘルプ機能、その補足いらないよ。
後半は聞かなかったことにするよ。
では、戦場と言う名の場所に戻りますかね。
***********************
ご武運をお祈り申し上げます。
***********************
「──ということです。他言無用でお願いします」
叔父にすべてを打ち明けた。
俺の前世が異世界人で、その記憶を所持したまま、この世界へ転生したこと。その経緯である前世の不運値が四十倍で生じた不運な出来事も。ハクが聖獣で隠蔽した経緯やシルビアが神獣であることも、俺の能力も含めて包み隠さず伝えた。
その間、叔父は一言も口を挟まず、ただ黙って耳を傾けてくれた。
肩の荷が下りるとは、こういうことを言うのだ。
胸の奥につかえていた負荷が消え、気持ちが軽くなった。
とても清々しく、いい気分だ。
自己満足に浸って、暢気に隣にいるシルビアを見ると、彼女の顔がこわばっていた。
はっと、沈黙している叔父に目を向ける。
叔父の纏う空気が尋常じゃないことに気づき、緊張が走る。
今の今まで、叔父を欺いていた事実は消えないのだ。
俺ができる誠心誠意の謝罪はしたが、それを叔父が許すかは別だ。
培った信用が底辺となったかもしれない。
当然のように受け入れてくれると、甘く考えていた。
得体の知れない者だと、切り捨てられる可能性もあるかもしれない。
俺の思考が、ネガティブに染まりはじめた頃、沈黙していた叔父が、絞り出すように声を発した。
「ああ、やっと長年の謎が解けたよ。義姉さんが、ジークを産んだ奇跡が……なにもかも、ひとつに繋がったよ」
普段の叔父からは、想像できない動揺した声だった。
「義姉さん、貴方が言ったことは、正しかった……。ジークベルト。アーベル家に、兄さんと義姉さんの子供として、生まれてきてくれたことに感謝する。ありがとう」
赤い瞳から、一筋の涙が零れた。
叔父が泣いている。
はじめて見る叔父の涙に、俺は動揺して言葉がでない。
叔父自身も、自分が涙したことに気づいたようで、驚きの表情とともに、素早く片手で瞳を覆った。
その手は、震えている。
冗談で感情を表したり、怒りで空気を揺らしたこともあるが、いつも飄々として掴めない叔父が、これほどまでに感情を乱す姿が衝撃であった。
突然の事態に、なにがどうなのかわからない。
確かなことは、俺の秘密が、母上のなにかと関係があるということだ。
「母上……」
俺の今世の記憶は、母上の腕の中からはじまった。
もう戻れない、あの幸せな世界。
やばいな……。
母上の事を思い出すと、どうしても感傷的になってしまう。
未だに俺の記憶を侵食する色濃い後悔の念。
払拭できないでいる母上の死。
あの時の行動を何度も夢に見る。
もう戻れないと理解しながらも、心はあの日に置いたままだ。
母上が言った『前を向きなさいジーク』だけで、俺は前を見続けている。
母上に会いたい。
もう一度、あの腕に抱きしめられたい。
「……っ、母上」
感情が爆発しそうになり、込み上げてくる涙を唇を噛み締めてぐっと我慢する。
刹那、温かくて大きな腕が、俺を包み込んだ。
ああ、この優しさに俺はどれだけ救われたのだろう。
しばらくして、俺が叔父の肩から顔を上げると、端正な顔がひどく憔悴していた。
「ヴィリー叔父さん」
俺の気遣わしげな声に、叔父が膝をついたまま答える。
「大丈夫かい?」
「取り乱しました。すみません」
俺の声にシルビアが反応して、俺の腕を強く掴んだ。
はっと、シルビアに顔を向けると、泣きそうな表情で俺の胸に顔を埋めた。
シルビアの行動を叔父は黙認すると、俺の隣に座り、俺の頭をなでる。
えっと……。
叔父の沈黙に感謝しつつ、シルビアを落ち着かせる。
彼女には悪いことをした。
シルビアは、俺の近くに居れば居るほど、俺の強い感情を共感できるのだ。
きっと負担となったにちがいない。
今の俺の感情は、決してきれいなものではない。
ごめんね。だけど、ありがとう。
感情を共感してくれる人がそばにいる。それだけでなんて心強いんだ。
謝罪と感謝の意を込めて、優しく何度もシルビアの頭をなでた。
しばらくして、俺の腕の中で「スーッ、スーッ、ズッ」と、鼻水まじりの寝息が聞こえた。
ここで寝れる神経の図太さに、ヘルプ機能から駄犬と言われるのだと思う。
とても幸せそうな寝顔に、なぜかすごく癇に障った。
なので、鼻を摘まんでみた。
「んむぅ。むっ」
シルビアの眉間に皺が寄る。
その顔を見て、俺の頬が緩む。
俺がシルビアで遊んでいると、頭上からの視線に気づいた。
「仲が良いようで、なによりだよ」
「そう見えますか?」
俺はシルビアの鼻を摘みながら、叔父に聞く。
「とても仲が良く見えるよ。ジークが、意地悪をする姿は、貴重だね。心を許しているんだね」
「それは心外です」
「そうなのかい」と、肩を上げる叔父の表情は普段と変わりなかい。
その態度の変化から、あの話題はもう叔父の中で終わったのだと悟った。
だけど……、聞くべきか、判断に迷う。
きっと、答えてはくれない。
でも、なにもなかったことにする選択肢は、俺にはなかった。
「……ヴィリー叔父さん。あの、ぼくの出生に、なにがあったのですか?」
俺の質問に、叔父は一度、視線を上にあげる。
そして、とても気まずそうな顔した。
「すまないね。ジーク。歳を重ねると、涙脆くなるようだ。感情が高ぶって失言をしてしまったね」
叔父が「まいったな」と、片手で顔を覆う。
深く息を吐いてうなずくと、赤い瞳が俺を捕えた。
「私の口からは話せない。ジークが真実を知るその時がきたら、兄さんから話をする。それまで待って欲しい。大人の勝手な言い分で申し訳ないね」
「わかりました。待ちます。一つだけ、一つだけ、答えて下さい」
「なんだい?」
俺は怯える心を落ち着かせ、長年の疑問を口にする。
「母上の死は、ぼくと関係がありますか?」
「ない。それだけは、はっきりと言えるよ」
叔父の断言が、俺の心を震わす。
だけど……『お前さえいなければっ』、憎悪のこもった茶色の瞳が、俺の脳裏をかすめた。
「そうですか……」
「ジーク、まさか、ゲルトの言葉をずっと気にしていたのかい」
叔父が驚いた様子で、俺に問いかける。
「いえ、そうでは……。いや、気にしていなかったと言えば、嘘になります。ぼくは、生まれながらにして、人並み外れた能力がありました。それを母上の治療に使えたのではないかと、ずっと、そう思っていたんです。あの時、父上たちに伝えておけば、母上は助かったかもしれない。そう思って……」
言葉が繋げられない。
ポタポタと、溢れ落ちる涙。俺の涙腺が崩壊した。
あれれっ。これとまんないっ。
やばいなっ……。
俺の異変に気づき、飛び起きたシルビアが、懸命に両手で涙を拭ってくれるが、追いつかない。
まるで俺の後悔を表すように、涙が服に染みを作っていく。
自分で思っていたよりも、俺の心は悲鳴をあげていたのだ。
叔父の眉も下がり、痛々しげな表情で俺を見る。
そんな顔をさせたいわけではないのに、涙は止まらない。
「ジークベルト。はっきりと断言するよ。あの時、君の能力を最大限に生かしても、義姉さんは助からなかった。世界でもトップクラスの魔術師『赤の魔術師』と呼ばれる私が断言しよう。だから君が背負うことは、何もないんだよ」
「ヴィリー叔父さんっ……」
「今まで気づかずに、すまなかったね」
叔父が、シルビアごと俺を抱きしめた。
ああ、やっと母上の死から解放されたのだと思った。
胸の中にストンッと、叔父の言葉が落ちた。
俺よりも格上の叔父が、断言してくれた。
だから、俺は納得ができる。
本当の意味で前を向けるよ、母上。
俺の涙がとまり、落ち着きを取り戻すと、俺を包んでいた大きな存在が消える。
「このままずっと抱きしめて甘やかしたいけど、それは彼女に譲って、私は我慢するよ」
そう言って叔父は自席に戻ると、人の悪そうな顔する。
「それにしても彼女が、神獣とは驚きだね。是非とも私の研究に協力して欲しいね」
「本人がいいのなら、ぼくは構いませんよ」
いつものやりとりに、俺も乗る。
すると、シルビアが腕を強く引張り、口をハクハクさせながら、顔を激しく横に振る。
あっ、忘れていた。
ヘルプ機能に指示されて『遠吠え禁止』をしていたのだと思いだした。
叔父との会話に、よけいな邪魔が入るとかえって話しが複雑になる。
ヘルプ機能のそんな提案を、シルビアが抵抗することもなくすんなりと受け入れた。
しかも、シルビアは、俺と叔父の会話中、自身の気配を消し、俺たちに配慮していた。
やればできる狼だった。シルビアの評価を見直し、『遠吠え禁止』を解除した。
「妾は嫌じゃ! そやつに協力などできん! 底知れぬ闇を持っておる。近づけばスパッじゃ!」
「あっははは。私も嫌われたものだね」
シルビアの物言いに、俺が注意すると、ひどく驚いたような顔する。
「シルビア、いくらなんでも言い過ぎだよ」
「なっ、なっ、おぬしは、わからんのかえ!」
俺に真剣な表情で必死に訴えるシルビアと、なにかがツボに入ったのだろう、腹を抱えて笑っている叔父が対照的だ。
「あっははっ……久々に笑ったよ。それならジークと一緒の時にでもお願いするよ」
「はい」
「うっ、仕方ないのじゃ。おぬしと一緒なら、付き合うのじゃ」
俺が戸惑うことなく返事をすると、シルビアは、あきらめたように了承した。
その様子に叔父が満足そうにうなずく。
「ジークが、全属性持ちで、前世の記憶があるとはね」
「信じてもらえるのですか?」
その問いかけに、叔父が不本意そうに眉を上げる。
「信じるもなにも、ジークが言ったことを疑うなんてしないよ。それとも嘘なのかい?」
「いいえ」
俺へ全幅の信頼を寄せる叔父に、なんだかくすぐったくなる。
「前から不思議だったんだよ。ジークの知識量の多さもだけど、ジーク発案の料理や品物は凄すぎる。兄さんは『天使が天才だった』って褒めてたけどね」
「父上……」
その情景が思い浮かび、俺は苦笑いする。
「地球の日本だったね、一度は訪れてみたいね」
叔父の冗談が、なぜか気になる。
叔父なら不可能を可能にするのではないかと、思ってしまう。
「ジークの秘密は、私だけの胸にしまっておこうと思う。兄さんにも話しをするべきだが、今は時期が悪すぎるんだ。ごめんね」
「いいえ、わかりました。ただ、父上には、ぼくから話をしたいです」
「それがいいね。その時は、私も同席しよう」
「はい。ありがとうございます」
叔父との会話中、シルビアが俺の腕を引っ張る。
「どうした、シルビア?」
シルビアが、ハクハクと口を動かす。
あっ、さっき、つい、シルビアとの会話が終わったので『遠吠え禁止』を発動したんだった。
「妾の扱いが雑するぎるぞ! 仮主として、もう少し丁重に扱えぬのか!」
「ごめん。つい癖で……」
「妾は、神獣なのじゃぞ。そもそも、ぐふぅ」
「で、なに?」
話しが長くなりそうだったので、物理的にシルビアの言葉をとめる。
涙目で俺を見上げるシルビアに、笑顔で圧をかける。
要件を簡潔にね。
「おぬしは前世の記憶があり、前世は地球という異世界にいた人物なのか?」
「そうだよ。あれ? 説明していなかった?」
シルビアの質問に俺は首をかしげる。
俺の反応を見たシルビアは、とても不服そうな顔する。
「説明されておらん! しかも、話を聞く限り、天界管理者と接触しているではないか」
「天界管理者?」
聞きなれない言葉に、該当しそうな人物を想定する。
「あー、生死案内人のこと。転生する直前に説明を受けただけだよ」
「先ほどの話では、生身の姿でも、接触したのではなかったかえ?」
「前世で死ぬ直前に会ってるけど、それが何?」
俺が肯定すると、シルビアの表情が、パーッとひときわ明るくなる。
「おぬし、凄いのじゃ! 神界の者でも、天界管理者に会うことはできん!」
「そんなに興奮すること?」
「なっ、何故、その凄さがわからんのじゃ!?」
「そう言われてもな。それに姿なら迷宮で確認できるよ」
「なぬぅ!」
俺たちが生死案内人について語っているそばで、叔父が難しそうな顔で、その話を聞いていたことに俺は気づかなかった。
***
「精霊ごときが妾に何をするのじゃ!」
「なによ。偉そうに! 今のあなたは枷しかない。ただのお荷物じゃない!」
「なっ、レベルがリセットされただけじゃ。レベルが上がれば、妾も役には立つのじゃ!」
「あら。お荷物だってことは認めるのね。うふふ」
「むぅ。現状は致し方ない。じゃが、本来の妾の力は、精霊よりも遙かに上じゃ!」
「ふん。ただの負け惜しみね」
「なんじゃとーー!」
お互い額と両手をくっつけながら、いがみ合っている。
外野がうるさすぎて、叔父との話が中々進まない。
シルビアにだけ『遠吠え禁止』を使用しても、フラウの攻撃はとまらないだろう。
そんなふたりをよそに、俺は叔父と視線を合わせる。
叔父の合図で、俺は空間魔法を使い、俺と叔父だけの『異空間』を部屋に作った。
外野がその状況に気づいた時には遅く、慌てて空間内に立ち入ろうとするが、弾かれる。
この空間は、俺たちふたり以外は、中に入れない仕組みとなっており、外野の声も中の声も聞こえない仕様だ。
叔父が気を利かせて結界も張っており、さらに強固となっている。
叔父との息もぴったりだ。
あの後、テオ兄さんから救援要請の『報告』が入り、あの場はお開きとなった。
そのため、朝から叔父の屋敷を訪ねたのだ。
シルビアは、強制転移されるので、仕方なく連れてきた。
ハクたちは、かわいそうだけれど、まいた。
ごめん、ニコライ。後は任せた。
テオ兄さんの救援要請は、ハクたちのことだった。
昨日、屋敷に帰宅した俺は、それはもう大変だった。
ハクやスラにも、俺の強い心の動揺が伝わっていたようで、心配も度を超すと、発狂することがわかった。
ハクたちを宥めるのが、本当に大変だった。
苦い記憶として、心の奥底に締まっておく。
「ふたりには、いい薬となるね。少し反省してもらおう」
「そうだといいんですが……」
俺たちとシルビアたちの間には、半透明ガラスのような壁があり、お互い見ることはできる。
ふたりは壁を叩いていたが、早々にあきらめて、コソコソとなにかよからぬ相談をしている。
さきほどのいがみ合いは、どこにいったのか。
その様子を見た叔父が「あまり時間はなさそうだね」と、苦笑いした。
俺もその考えに一票だ。
「さて昨日は、色々とあったけれど、落ち着いたかい」
「はい。ご迷惑をおかけしました」
叔父の言葉に重みを感じる。
ハクたちの発狂に責任を感じているようだ。
「本題に入ろうか。エスタニア王国の真実をジークは、知っているんだね。それは神獣である彼女が、ジークと契約したことにも関係があるのかな?」
「結論から言いますと、シルビアとの契約は関係ありません。契約には了承しましたが、あの場ではそれしか選択肢はありませんでした。ほぼ強制的に決まったものです。厄介払いもいいところですよ」
あの状況を思い出し、苦笑いしながら俺が肩をすくめると、叔父がつぶやく。
「縁も人の運命だ」
「?」
「彼女がジークと契約したことは、何らかの理由があるよ」
「どういう理由ですか?」
「それは、私にもわからない」
どういう意味だ?
叔父の意味不明な回答に戸惑うが、考える時間もなく、叔父が話題を変えた。
「次に行こう。ディアーナ様に王家の真実を話すかを迷っているんだったね」
「はい。ディアに話せば、彼女は内戦を止めるためだけに動きます」
「内戦を止めるだけの真実があり、ディアーナ様が動くと確信があるんだね」
「はい」
俺の肯定に、叔父の目が妖しく光る。
「ではその真実、聞こう」
「ぼくが知り得た真実は──」
叔父に、ヘルプ機能で調べ上げたエスタニア王国の真実を暴露した。
その真実に叔父の顔つきが変わる。
「なるほど。先祖返りはそこがルーツか」
「はい」
「となると──」
ガッシャーン!
結界と空間が壊れた派手な音がした。
振り返るとそこには、ご機嫌斜めなフラウとシルビアの姿があった。
話に集中しすぎて、ふたりの存在を忘れていた。
「うふふ。最上級の風魔法使っちゃったわ」
「スキルがなくても、魔法は使用できるのじゃな。おぬしの魔力、ちと使わせてもらったのじゃ」
ふたりの目が据わっている。
放置した時間が長すぎて、完全に切れている。
あとの始末どうするよ。
あっ、ヴィリー叔父さん、どこにいった!? 素早い! ひとりで逃げたなっ!
俺も逃げ……。逃げられない。
ふたりに肩を強く掴まれ、逃げる隙がなくなってしまった。
万事休すとは、このことを言う。
「ヴィリバルト、大丈夫?」
フラウが心配気にソファに座るヴィリバルトの周囲を回る。
「感情がとても揺らいでいるわ」
「少し動揺してしまってね」
瞑想していたヴィリバルトが、静かにそうつぶやく。
ジークベルトをエスタニア王国のバルシュミーデ伯爵家へ送り帰し、発狂したハクとスラの対処に追われた。
ヴィリバルトは全てが解決した後、アーベル家の自室に戻っていた。
今夜は、ジークベルトのそばにいることができないと、判断したからだ。
大きく息を吐き、乱れる心を落ち着かせ、ジークベルトを想う。
ジークベルトは、後悔していた。
義姉さんの死に、深く傷ついていた。
優しい義姉さん、仮主となるのは私だった。
私が拒否したため、いらぬ神の呪いを受けた。
「責められるのは、私だ」
ヴィリバルトはぐっと拳を握り、顔を歪める。
「リアは後悔していないわ!」
即座にフラウが否定する。
フラウは、ヴィリバルトが悔やむ原因を知っている。
その度に、己の未熟さを恨む。
「ヴィリバルトの代わりに至宝となったことを、リアは、ヴィリバルトの心を守れたと誇りに思っているのよ! それをヴィリバルトが否定したらだめよっ」
フラウは涙を浮かべ、ヴィリバルトに訴える。
ヴィリバルトの澄んだ心を曇らせたあいつがそもそもの原因なのだ。
「元はと言えば、あいつが悪いのよ! ヴィリバルトの魂に気づいて目を覚ましたと思ったら、ふらふらと出てきて、無防備にヴィリバルトに接触したからっ!」
フラウの体から魔力が漏れていく。
その魔力が部屋全体に渦巻きはじめ、緑の瞳が徐々に光を失っていく。
「あいつ許せないわ! なにがちがうよ! ヴィリバルトは、ヴィリバルトなのにっ!」
「フラウ」
ヴィリバルトが、フラウの頬を優しくなでる。
自我を忘れ、暴走しそうになったフラウは、恥ずかしそうにうつむく。
「ちょっとヴィリバルトが嫌がったからって、拗ねちゃって、あいつが油断したのが悪いのよ! 本当に嫌になっちゃう! 神の呪いで、私がリアに近寄れなくなったのも、あいつの心が弱いからよ!」
プクーと、頬を膨らませ、フラウはヴィリバルトの肩に乗る。
神の呪い。
帝国がアーベル家の至宝を狙い義姉さんを呪ったことまでは、わかっている。
人が神の呪いを操ることは不可能に近い。
しかし、それができたこと。
私とあいつの接触で起きた弊害。
「大丈夫よ! 私が守ってあげる!」
「それは心強いね」
無邪気に宣言する友人にヴィリバルトは微笑む。
仮主を拒否した瞬間、神界の影響を受けない体となった。
血の滲む努力と研究で、種族の壁を越えた。
その瞬間、覚えのない知識と経験が、ヴィリバルトを襲った。
人知を超える力を持ったとしても、全てを見通すことはできない。
「私は今世でも君を友とは呼ばないよ」
古い薄れた記憶が、ヴィリバルトの脳裏によぎった。
ヴィリバルトは、運命を外れた者。
ジークベルトは、運命を導く者。