『バルシュミーデ伯爵家で動きがありました』
『もうよい。捨て置け』
『よろしいので?』
『あの男の標的は『赤の魔術師』だ。なぜか執拗に粘着しているが、我々の目的はすでに達した。政局から外れた家、降嫁が決まった女に用はない』
『御意』


 ***


 伯爵家の玄関ロビーには、大勢の家人たちが俺たちの帰宅を待っていた。
 その中心にいた金髪の少女ディアーナが、洗練された動作で俺に近づいてきた。

「ただいま」
「お帰りなさいませ。ジークベルト様。ご無事の帰還なによりです」
「皆さま、お帰りなさいませぇー、うっきゃあ」

 ディアーナのうしろに控えていたエマが、自身の足に絡まり、ドタッンと勢いよく顔面から絨毯に倒れ込む。
 一同唖然。
 ヨハンの無事を喜んでいた家人たちも、エマのドジっ娘ぶりに言葉を失った。
 そんな中、空気を読まない者もいる。

「くっくっくっ……」

 俺のまうしろから、声を押し殺してはいるが、笑い声が漏れ聞こえた。
 ここで笑えるお前すごいわ。
 その図太さもさすがだ。
 俺が、まうしろに気を取られている間に、ディアーナがエマに声をかけた。

「エマ、大丈夫?」
「大丈夫ですぅ。うっ、うっ、どうして私は、タイミングが悪いのですか」
「反省は後になさい。エマ、皆さまの邪魔になっているわ」
「はっ、はい。失礼しました。皆さま、お帰りなさいませ。パル様が応接間でお待ちです」

 ディアーナの喝に、先ほどのドジっ娘ぶりを一変、素早く立ち上がると、優雅に一同を案内する。
 その動きを毎回見るたびに、その運動神経はどこで調達されるのだと疑問に思うが、答えはでない。
 エマ七不思議のひとつだ。
 語呂合わせがいいだけで、エマに七つも不思議はないけどね。
 今後増える可能性はあるかも。どんな可能性だ。
 ひとりでツッコミをしていると、俺がエマを凝視し過ぎたのか、首を傾けながら尋ねてきた。

「ジークベルト様、私の顔に何かついてますか?」
「帰ってきたなぁと思ってね」
「うふふ。よかったわね、エマ」
「はぁ?」

 俺の回答に、エマが心底わからないといった間抜けずらな表情を浮かべ、ディアーナが、嬉しそうにエマを励ましている。
 数日しか離れていなかったが、ふたりの顔を見るとやはり安心する。
 順調に絆されているなぁ。
 
「ジークベルト様、はじまりの森のお話を早く伺いたいですわ」
「そうだね」

 和やかな雰囲気が漂う中、空気を読まない駄犬シルビアが、俺のマントを握りながら吠えた。

「ほぉ、ほおぅ。この小娘が、兄上の、ぐふぅ!?」

 例の如く、シルビアの顔面を抑える。
 しまった。『遠吠え禁止』を忘れていた。
 叔父たちと合流後、なぜか俺のマントを離さず、大人しくしていたので、油断した。
 笑い声を押し殺していた時点で、気づけよ俺!

「なっ、何をするのじゃ! おぬし、妾の扱いが雑すぎる! もっと労わるのじゃ! 妾はおぬしより、年上のなのじゃぞ! 年配の者には敬意を払う。そっ、それに、おぬしと妾は、仮にもじゃが、夫婦(めおと)の契を交わした仲、ぐふぅ!?」

 シルビアの言葉を物理的にとめる。
 こいつ、厄介すぎる。
 言葉に悪意ない分、ストレートすぎだ。

「誤解を生む発言はやめようか」
「なにが、誤解じゃ? 現におぬしと妾は、死が分かつまで離れぬ関係ではないか」

 シルビアが、俺のマントの裾を掴みながら、上目遣いで首を傾けた。
 えっ、急にしおらしくなった。
 俺がシルビアの扱いにあたふたしていると、人影が俺たちに近づいていた。

「いやだから、いまここで話す内容では、ディ、ディア!? ちっ、近くない?」
「うふふ、なにを驚いていらっしゃるのですか。行方不明の婚約者が帰宅されたのです。そばに寄り添うのは、当たり前の権利ですわ。ところで、ジークベルト様、そちらの方をご紹介頂けますか?」

 表面上、にこやかに話しをするディアーナだが、目が、目が笑っていない。
 ここで動揺したら、俺の負けだ。
 そもそも動揺もなにも、俺は単にシルビアの仮主となっただけだ。
 神獣なだけで、ペットと一緒だ。
 そうだ。そうだ。
 ペットを飼う限り、一生面倒をみるのは当たり前のことだ。
 俺はなにも悪くないのだから、堂々と話せばいいだけだ。
 俺は一呼吸置いてから、ディアーナの目を逸らさず説明をする。

「彼女は、半魔のシルビア。はじまりの森で出会ったんだ。彼女は、一部記憶を失くしていて、ヴィリー叔父さんと話合った結果、アーベル家で保護することになった」
「まぁ、そうでしたか。私は、新しい候補者の方かと勘違いしてしまいましたわ。うふふ」

 ディアーナの笑顔が真に恐い。
 ジリジリと責められ追い込まれているような感覚に、変な汗が背中から流れる。
 察しのいいスラが、俺の肩からハクの背中に移る。
 あっ、裏切り者め!
 ハクまでも、俺との距離を微妙にあけだした。
 あっ、行かないで!
 俺の動揺を余所に、ディアーナがシルビアへ挨拶を切りだした。

「改めまして、シルビア様。私は、ディアーナ・フォン・エスタニアと申します。ジークベルト様の婚約者です。隣に控えるのが、私の侍女のエマです。ご挨拶が遅れ、大変失礼致しました」
「エマ・グレンジャーです……」

 ディアーナの圧に負け、エマも挨拶をする。
 すると、シルビアが、興味深そうにエマを見上げる。

「ほお、グレンジャーじゃと、面白い! おぬしの周りは変り種が集まるのか! これから益々楽しみじゃ」

 シルビア、そこじゃない!
 空気読めよ!
 ディアーナの口元が、若干引きつっている。
 シルビア、お願いだから空気、空気を読んでくれ。
 あぁ、無邪気に俺に接近して、マントを引っ張るな。
 あー、その無神経さを逆に賞賛するわ!

「うん? なんじゃ小娘。不服か?」
「いえ、婚約者のいる前で、不用意に殿方に近づくなんて、どのような神経をされているのかと存じまして。うふふ」

 ディアーナの指摘に、シルビアの動きが一瞬止まるが、ニヤリと口元を歪めた。

「ほぉ、小娘が、一人前に牽制とは、妾の美貌に危機感でも抱いたかのぉ」
「うふふ。シルビア様、ご冗談が面白い。そうですね、シルビア様は、お顔立ちがはっきりとされていますけれど、所詮、お子様ですわ」
「なっ、なんじゃとぉーー!」

 シルビアが、真っ赤な顔をして一歩前に出ると、ディアーナに抗議する。
 すると、ディアーナが余裕たっぷりな態度をだしつつも、優雅にシルビアをあしらう。

「あら私としたことが、とんだ失言を。大変失礼致しました。私、半魔の方に、初めてお会いしましたが、魔族の方は、見た目より、年齢が遙かに上とお聞きしたことがあります。見た目が、五歳児ぐらいにしか、見えなくても成人されているのですよね」
「なっ、なっ、先ほどから、見た目やら、五歳児やらと、失礼にもほどがあるのじゃ! 妾は千二百五十五歳じゃ! 年上を敬うこともしらんのか!」

 シルビアの年齢を聞いたディアーナは、まるで『驚いたわ』と、わざとらしく口元に手をあて、困ったように眉尻を下げる。その仕草は、遠目で見ても、とても上品にうつる。

「まぁ、そうでしたか。かなりのご年齢を重ねていらっしゃるのですね。私、まだ成人前の若輩ものですので、言葉には気をつけますわ」
「小娘! 妾を軽蔑しておるなっ!」
「いいえ、そのような事はございません。シルビア様に不快な思いをさせてしまったのなら、平に謝罪いたします。誠に申し訳ございません」
「なっ、なっ……」

 ディアーナが、シルビアに優雅に頭を下げると、負けを悟ったシルビアが、俺に助けを求め見上げる。
 いや、お前が、無神経に被害を拡大させたんだからな。
 自分で尻拭いしなさい。俺にすがるなよ。
 ってか、マントを引っ張るな。
 えっ!?
 ディアーナ、なんで、そんな笑顔で俺に近づいてくるのでしょうか。
 シルビアを庇おうなんて、思ってもいませんよ。
 俺は頭を横に振りながら、一歩後退する。
 すると、マントを掴んでいるシルビアも一緒に後退する。
 ディアーナの圧が、大きくなる。
 いやだから、信じてよ、ディアーナ!