湖の畔にある野営地に着いた俺たちは『魔テント』の中で、今後の行動についてヨハンに説明をした。

「早くて、二、三日……」

 今にも泣きそうなヨハンに俺が慌てて説明を補足する。

「ここは王都からだいぶ離れた場所なんだ。ヴィリー叔父さんの『移動魔法』を使用しても、早くて二、三日かな。遅くても武道大会が始まる前には迎えに来るよ。ここに生息する魔物であれば、僕が倒せるから、安心していいし、食料も十分ある。野外キャンプだと思って楽しもうね!」
「うん……わかった。おれ、がんばる!」

 空元気なのはわかっているが、ほんの少しヨハンの声に張りがでてきた。
 これは大丈夫そうだと安心する。
 ヨハンぐらいの年であれば、家に帰れない不安で、情緒不安定に陥り、意思疎通や行動ができない状態になってもおかしくはないだけに、空元気でも安心はする。
 まぁ不安はあるだろうけどね。
 そうヨハンに説明したが、すぐに助けがくるわけではない。
『移動魔法』は、術者が行った場所しか転移ができないという欠点がある。
 どの術者も最初は移動石で転移し、実績をつくるのだ。
 ヴィリー叔父さんも、エスタニア王国への訪問は初めてだったため、先に移動石で転移している。
 そこにきての『はじまりの森』だ。
 訪れたことがないことはわかる。
 今日の夜、念話で詳しく話し合いをするが、『はじまりの森』の近隣で、移動石の登録がある町を探すことから始まるだろう。
 移動石は、稀少でほぼ流通していない。
 ヨハンが『移動石』を『お守り』と勘違いしたのもうなずけるのだ。
 また移動石に登録のある町は、ほぼ主要都市である。
 ここから一番近い町、村の移動石を手に入れることは、困難だろう。
 そうなれば、ここから近く大きな都市が候補となる。 移動距離も考えれば、到着まで二、三日となる計算だ。
 まぁ俺が『移動魔法』を使用すれば、すぐに戻れる話なのだが、秘密にしているため、助けを待つしかない。
 いざとなれば使用するけどね。危険が迫っているわけでもないので、ここは待つの一択だ。

「ジークベルトは、いろんな魔道具をもっているんだな」
「うん?」
「これなんて、冷たくておいしい!」

 ヨハンが口にしているのは、冷えた果実のジュースだ。
 もちろん『魔冷機』が魔テントの中に備え付けてある。
 魔冷機は、魔コンロとは違い、ほぼ一般に流通していない代物だ。
 はっきり言えば、需要がないからだ。
 これには、この世界の食事情が大いに関係している。
 単調すぎる料理方法が原因なのだが、賽はすでに投げている。
 我が家の料理人たちが頑張るだろう。
 ふふふ。今後、魔冷機の需要は増えるはずだ。

「それに魔法袋も──」

 よほど嬉しかったのだろう。
 両手で大事そうに魔法袋を扱い、キラキラした目をするヨハンの姿に、俺のお兄ちゃんモードが発動する。
 あぁー。かわいい。
 いいな、弟ほしいな。
 滞在中は、俺がヨハンの兄にならないかな。
 なんでも世話するんだ。

「なぁ、ジークベルト」
「ん?」
「さっき約束した、その魔法袋から、俺が出していいか?」
「もちろん。使用者特定をしていないから、ヨハン君でも取り出せるよ。少し早いからクレープでも出してみる?」
「クレープ? わかった。出してみる!」

 ヨハンが嬉しそうに魔法袋に手を突っ込む。
 その光景を見ながら、世間一般では、魔法袋は大変貴重なものだったということを思い出していた。
 空間魔法の取得者が少なく、魔道具作製スキルもいるため、流通している物はごくわずか。
 貴族でも所持している人が少なく、容量も少ない。
 俺の周囲は、所持者が多いので忘れていた。
 ついつい俺基準で考えてしまった。
 そう俺は恵まれた環境にいるので、魔道具なども手に入れやすい。
 しかも前回転移されたコアンの町で、魔導職人のボフールを父上に紹介してもらった。
 今目の前にある魔テントは、ボフール作のものだ。
 オリジナル注文をしたので値は張ったが、巻き込まれた際の賠償金が入ったため、痛くもかゆくもなかった。
 賠償金。俺がその事実を知ったのは、注文した後だった。
 ボフールから値段を提示され、お金のことを考えていなかった俺は慌てふためいたが、『心配せんでも、ジークベルト殿の専用口座から引き落としておきますがな』と、肩をパンパン叩かれた。
『専用口座?』と、首をかしげた俺に『聞いてませんがな。ギルベルト殿の話では、大金貨五十枚までなら余裕があると聞きましたがな』とのボフールの言葉に、開いた口が塞がらなかった。
 あまりにも金額が大きすぎて、現実味がなかった。
 五千万だよ。子供に五千万、お小遣いで渡すなんて異常な話……あるはずはなかった。
 口座の中身は、ほぼ巻き込まれた際の賠償金、迷惑料だった。
 ヴィリー叔父さんが、相当な金額を提示したようで、謝罪に来た魔術省のお偉いさんが憔悴しきって項垂れていた裏には、そのような背景があったようだ。
 だけど叔父さん、あなたは、被害者でもあるが加害者でもあるんだよと思ったのは、俺だけではないはずだ。
 しかし叔父に抜け目はない。
 あたり前だが、賠償金は出ない。その代わりに長期の休暇をもぎ取ったと聞いた。
 さすが叔父である。
 叔父のおかげで多額の資金が手もとにあるため、ボフールには、魔テント以外の魔道具も数点依頼した。
 それを差し引いても賠償金には、まだまだ余裕がある。
 父上がそのまま渡してくれたのだ。
 賠償額は大金貨七十枚。
 魔術省内で儲けた資金の一部から支払われる。
 なぜ魔術省が賠償金を支払うのか、実験に提供された移動石が、魔術省から納品されたものだったからだ。
 魔術省は、国の機関だが、一部独立機関がある。
 その独立機関が、魔道具の販売や管理などの営利的な運用をしている。
 叔父いわく、運用利益のほぼ半分が、不透明な流れのため、遠慮する必要はないということだった。
 大人の話なので、これ以上の情報、首は突っ込まない。
 父上には、ボフールに魔道具を依頼したことを報告している。もちろん感謝も伝えた。

「──ジークベルト! 聞こえてないのか」
「あぁ、ごめん」
「クレープはこれでいいのか?」
「うん。そうだよ」

 ヨハンはそう言って、俺にクレープを渡してくる。
 不思議そうにクレープを見るヨハンに俺は見本をみせるように一口クレープを食した。
 見よう見まねでヨハンがクレープにかぶりつくと、口元に生クリームをつけて目を見開く。
 すごい勢いで食すヨハンに『あっ、そうとう歩いたからお腹が減っていたのか』と、気がきかない自分に少し落ち込む。

「ジークベルト、これおいしいな」
「それはよかったよ」
「?」

 満面の笑みで俺に告げるヨハンに少々気まずくなる。
 そんな様子の俺に、ヨハンが魔テントを見渡して興奮した様子で話し出した。

「この魔テントの中はすごいな! たくさんの魔道具があるし、魔テントがこんなに広いなんて知らなかったぞ!」
「あっ、ヨハン君。この魔テントは特別製で、普通の魔テントはベッドひとつ分ぐらいの大きさだよ。ここにある魔道具も特別に備えつけてもらったんだ。一般に流通しているものとは、仕様も少し違うんだ」

 なんていい子なんだ。
 そんなヨハンに現実を突きつける俺。

「そうなのか? おれも、とうさまたちのような騎士になれば、買えるか?」
「そっ、そうだね。騎士の給金がどれくらいか、わからないけど、たぶん、買えるかな」
「そうか! おれ、がんばるぞ!」

 勢い込むヨハンに、視線をそっとはずす。
 お金に物を言わせて作った我儘仕様の魔テントと魔道具だ。
 お値段もなんと大金貨十二枚。ちょっとした家が買える値段だ。
 魔テントの広さは、俺の空間魔法をガラス石に収納し作ってもらった特別製で、いわゆる俺専用で一般流通はできない。
 贅沢品だが、後悔はない。
 ほぼ家なのだ。その間取りは、1LDK、バス・トイレ別だ。
 特にこだわったのは、風呂だ。
 元日本人。やはり風呂にはうるさい。
 そのこだわりように、ボフールもあきれて物も言えない状態だったが、そこは一流の職人、要望通りの風呂をつくってくれた。

「ヨハン君、風呂に入ってしまおうか」
「ふろ?」
「森を歩いて泥だらけだしね。綺麗にさっぱりしよう」

 気分を上げるため、自慢の風呂へヨハンを誘導する。
 実は魔テントに入ってから、風呂に入りたくてしかたなかったのだ。
 魔テント内の風呂に入るのは、今日で二度目。
 魔テントが納品された時以来なのだ。
 鼻歌交じりで服を脱ぎ、魔洗機へ衣類を投げ込む。
 俺のまねをして、ヨハンも衣類を魔洗機へ投げ込むが、おそらく用途はわかっていないだろう。
 魔洗機の蓋を閉め、衣類乾燥まで設定して、動かす。

「ジークベルト、なんだこれ? すげぇー、服が回っているぞ!」

 突然、動きだした魔洗機にヨハンは驚き興奮しているが、簡単に用途を説明して、風呂の扉を開ける。
 ごめんヨハン。なによりも風呂だ。風呂なんだよ。
 開いた先には、俺たちを待ち構えていたかのように、風呂ができあがっていた。
 あたり前だ。かけ流し風呂なので、二十四時間いつでも入浴でき、自動お掃除機能付き、カビ対策もばっちりだ。

「おぉー。ひろーい!」
「あっ、ヨハン君。先に体を洗ってからだ。マナーだよ」
「うん。これなんだ?」
「それは体を洗う用の石鹸だよ」
「せっけん? せっけんはこんな物じゃないぞ。白くてかたいんだ」
「えっと、それは固い石鹸を液体にしたものだよ。そしてこれは頭を洗う石鹸だよ」
「えきたい?」
「まずは使ってみて、このタオルに石鹸をつけて、泡立てると……ほら!」
「おぉー。おれもする」

 ヨハンが一生懸命、泡立ているそれは、俺特製のボディーソープとリンスインシャンプーだ。
 アンナたち侍女と結束して、作製したそれは、アーベル家の事業のひとつとなっている。
 ご婦人たちには、とても好評で、種類を増やす方向だ。
 入浴剤、化粧水、乳液、美容液など、美容関連の知識も、前世の妹に付き合わされた関係上、一般男性よりはあるので、時間があれば着手する予定だ。
 その事業の利益の一部も、俺専用口座に毎月入金されている。
『発案者の権利だ』と、父上は言っていたが、もらいすぎのような気もする。
 まぁもらえるものはもらうけどね。

「この石鹸、すっげーいい匂いがするな! それにあわが簡単にできる! 楽しいぞ!」
「だろう。自慢の品なんだ。まだまだ改善の余地はあるけどね」
「かいぜん? ジークベルトは、難しいことばかり言うな。おれもジークベルトのとしになれば、そうなるのか?」
「うん? これは職業病というか、性格の問題だから、ヨハン君は、僕みたいにはならないと思うよ」
「そうか、よかった」

 ザッ、ザーー。
 体についた泡を流し、楽しそうにヨハンは浴槽へ向かっていく。
 あれ? なんだろう?
 この妙に傷ついた感じは……。
 いや、いいんだけどね。
 ヨハンの後に続き、体を洗い終えた俺は、お待ちかねの入浴タイムへ。
 はぁー。気持ちいい。
 やっぱ檜風呂はいい!
 かけ流しという点もいい!
 先に浴槽に浸かっていたヨハンは、頬を真っ赤にして、檜に頭をのせ、気持ちよさそうに浮いている。
 ヨハン、わかってるね。
 だけどこの風呂は、それだけではないんだ。
 ほれ、ポチッとな。
 ヴィ、ヴィヴィーーン。

「なっ、なんだ!?」

 ヨハンが慌てて立ち上がる。
 風呂が動きだし、檜風呂からジャグジー付きの風呂へと変わる。
 ふふふ、これこそ男のロマンを詰め込んだ。
 変形風呂だ。
 これぞ異世界ファンタジー。

「ジークベルト、この風呂すごいぞ! すげぇ、木の風呂から泡の風呂に変わったぞ! すげぇ、すげぇぞっ!」
「だろう。それだけではないんだよ。浴室もこんな感じに変化できるんだ」

 俺が再びボタンを押すと、浴室全体が暗くなり満点の星とこの世界の朱月、蒼月が、映し出される。
 露天風呂疑似体験だ。
 ほかにも何パターンか、用意してある。
 リアリティが大事なので、映し出されている映像は、生映像ではないが、実際にあった過去のものだ。
 もちろん、生映像も可能だ。

「きれいだな。外で風呂なんて、ぜいたくだな! 風呂が好きになるな!」
「わかってるね、ヨハン君!」

 ふたりで、風呂を満喫した。
 途中でヨハンがのぼせるハプニングもあったが、とても満足した時間だった。
 風呂に浮かれすぎていて、俺は、すっかり忘れていた。



『ハク、スラ、聞こえるかい?』
『ジークベルト!?』
『主?』
『ジークベルト!! 心配した! 何回もジークベルトの名前を呼んだ。心配した!』
『念話、たくさんした』
『えっ? 念話がつながらなかったのか?』
『そうだ。ジークベルトって何回も呼んだのに、ザーー。って、音がしてダメだった』
『砂嵐か』

 遠距離で念話が届かないとか?
 いまつながってるし……その考えはないか。
 そもそも念話は、魔契約の機能のひとつ。なんらかの理由で阻害されているってことか。
 現にハクたちの念話は阻害され、俺からの念話は通じている。
 俺発信の念話は、つながるってことか?

『すなあらし?』
『あっ、いや、こっちのことだ』
『主、今どこにいる?』
『はじまりの森だよ』
『はじまりの森? 外?』
『外だね』
『主、なぜ外にいる?』
『ちょっとした事故で、外に転移したんだ』
『じこ? じこすると外にいく?』
『えーと、スラ、事故すれば、外に行くではなくて、今回は、たまたま偶然が重なってかな』
『ぐうぜん、かさなる』

 スラが、納得する答えを俺は持ち合わせていないので、曖昧に言葉を濁す。

『近くにヴィリー叔父さんは、いるかな?』
『『いる』』
『ハクとスラにお願いがある。今、俺はヨハン君と、はじまりの森にいると、ヴィリー叔父さんに伝えてほしい。そして伝言役をお願いしたい』
『わかった!』

 ハクとの念話が切れる。
 ハクが状況を伝えに行ったようだ。

『主、伝言、スラできる』
『ん? スラが伝言役をしてくれるってこと?』
『できる。肉!』
『あははは。わかったよ。スラはぶれないね。肉了解!』
『準備する』

 スラとの念話が切れる。
 なにを準備するのだろうか。
 スラの突発的な行動は、エスタニア王国の留守番をするように伝えた際にもあった。
 セラの治療をした後の出来事だった──。


 ***


 ──セラの治療が終わり、留守番の時の懸念を話し合っていた。
 スラに俺がいない間のセラの魔力吸収をお願いした。
 しかしスラは留守番を拒否した。
 どうしても俺と一緒に行くと譲らなかったのだ。

『セラ、好き。でも、主と離れない』

 断固として譲らないスラのかわいい発言に、俺の口もとが緩む。
 はっ! ここでほだされてはダメだ。
 心を鬼にして、説得しないと負けてしまう。
 ハクにも加勢をお願いして、スラを説得するが、なかなかスラからは、いい返事がもらえない。
 その様子を見ていたセラが、困った感じで眉を八の字に下げ、口を挟む。

「ジークベルト様、私は大丈夫です。ですから、スラちゃんを連れていってください」
「それはダメだよ。やっと魔力飽和も改善して、体力づくりを始めたのに、もとに戻ってしまう。それにセラさんが、痛い思いをするのがわかっていて放置なんて、僕は嫌だよ」
「ジークベルト様……」

 俺は頭を振り、その考えを否定する。
 セラは、自分さえ我慢すればいいと思っている。
 その痛みに周りが、どれだけ心を痛めているか、自覚してもらう必要がある。
 みんな、セラがとても大事なのだ。
 エスタニア王国の訪問は、武道大会開催期間も含めて約一ヶ月。
 魔草で抑えたところで、セラの負担が減るわけではない。
 前世の経験から、セラの気持ちは痛いぐらいわかる。
 俺の不幸体質は、俺自身とは関係なく、周りを巻き込んだ。
 家族には数えきれないほど迷惑をかけたし、俺さえ我慢すればいいと思っていた時期もあった。
 だけど、それは違った。
 俺が自分を大切にしないで、周りが幸せになることはないのだ。
 セラ自身が、自分を大切にするその意識を高めてほしい。

「マリアンネ様も、私のためにお留守番を申し出て、いらっしゃいました」
「マリー姉様は、いろいろと考えがあってのことだよ。セラさんが、気にすることはないよ」

 そうなのだ。なんとマリー姉様が、自ら留守番を買って出たのだ。
 あれだけ俺とのエスタニア王国の訪問を楽しみにしていた姉様がだ。
 なにか裏があるのではないかと勘繰るのもしかたない。
 ただ単に光魔法を享受しているセラが、心配だったようだ。

「私にも考えるところがあります。お父様と一緒に家を守りますわ。だけど次は、セラさんと一緒にジークとお出かけしますからね」

 美人がすごむと迫力がある。
 その勢いに思わず、うんうんとうなずく俺。

「約束を破ったら……、わかっているわね、ジークベルト!」
「はい。マリー姉様。約束は必ず守ります」
「いい返事だわ。セラさんのことは、私に任せなさい。アーベル家にふさわしい淑女にしてみせるわ」
「ほどほどに、してくださいね」

 一応、釘を刺しておいた。
 マリー姉様は、セラの問題点を把握している。
 姉様に任せておけば、セラの自己犠牲癖は治るだろう。
 ただ、セラの儚げな感じは、残してほしい。
 マリー姉様は、気が強い系の美人だ。姉御肌ともいう。
 その人物に鍛えられれば、同じような感じになるのではないかと、若干の不安もあったりする。
 ちなみに、ディアーナは正統派。エマはかわいい系だ。

「そういえば、ジークは、どのような女性が好みなの?」
「えっ、俺の好みですか? 俺の好みは、黙秘、いえ、容姿など関係なく好きになった人です」
「模範解答。それで本当のところは?」
「マリー姉様、それ以上の追及は、お願いですからやめてください」

 俺が白旗を上げると、姉様は「ジークもまだまだね」と、満足したように笑った。
 こうしてマリー姉様は留守番組となった。
 結果的に、姉様は留守番組でよかったと思う。
 あの臣下たちのディアーナへの対応を見れば、火を見るよりも明らか。
 姉様の行動を想像しただけで、背筋に悪寒が走る。
 命拾いしたな、エスタニアの臣下たち……。
 俺が姉様との会話を回想している間に、俺とセラの会話をそばで聞いていたスラに変化が現れた。

『主、困る……。でも、離れたくない……。そうだ!!』

 スラは、体をブルブルと揺らし始めると、体を分裂させたのだ。

『これで大丈夫!』
「スラ!?」
「スラちゃん!?」

 俺とセラが目を丸くして、分裂したスラたちを見る。
 綺麗に半分となったスラは、片手で持ち運びができるぐらい小さくなってしまった。

『主、これで大丈夫!』
『いや、大丈夫って……。スラ自身は大丈夫なのかい?』
『スラは、大丈夫。わかれたスラは、セラといる』
『スラと同じことができるってこと?』
『できる。だけど、話せない』
『どういうこと?』

 スラいわく、分裂したスラは、スラ本体と同じ能力が使える。
 それを可能にするために、体を半分にしたが、話すことはできない。あくまでも、スラの分裂体であるので、セラの魔力吸収のためだけに存在するとのことだ。
 万が一、分裂体が攻撃を受け消滅しても、スラに影響はない。
 ただ体の大きさを戻すのに時間がかかるらしい。
 エスタニア王国から帰国すれば、スラ本体と合体して戻し、もとの大きさに戻るとのことだった。
 その話をスラに代わりセラへ説明する。
 セラはスラの本体と分裂したスラを抱き上げ『ありがとう』と、そのプルプルした体に口づけた。

『セラ、好き。気にするな』

 プルッと震え、スラが、それに答えた。
 そこまでされれば、スラを連れていかない選択肢はない。
 ハクとスラに、俺が常にそばにいることができないことを説明し、連れていく条件を何度も反復する。

 一、いつ何時も必ずマンジェスタ王国の関係者と一緒にいること
 二、知らない人には、ついていかないこと
 三、知らない人からもらった物を口にしないこと
 四、勝手に外に行かないこと
 五、許可なく攻撃や魔法を使わないこと

 この五つの条件を守ることを約束に、エスタニア王国への同伴を許可した。
 そして俺が、その条件四を破ってしまったのだ。
 ハクとスラへの条件であっても、俺自身も守るつもりだった。
 合流したら、素直に約束破ってごめんなさいをする。
 威厳? なにそれ?


 ***


 スラを連れてきた経緯を振り返っていると、念話からあり得ない人物の声がする。

『これでいいのかな? ジーク聞こえるかい?』
『えっ? ヴィリー叔父さん?』
『これは……すごい能力だね。ジーク、そうだ私だよ。今はスラの念話を介して話しているよ』
『スラの念話を介してですか?』
『そうだね、理解できない状況かもしれないけど、それは後だ。状況を説明してくれるかい?』
『はっ、はい。今僕は、ヨハン君と共に、エスタニア王国のはずれにあるはじまりの森にいます。現状は──』
『なるほど。子供たちの石の件は、すぐにでも調査をしよう。はじまりの森近辺の都市が登録されている移動石を早急に確保するよ。それにしてもジーク、連絡が遅すぎないかい』
『すみません。風呂に夢中になりまして……』
『ジークが異様にこだわった風呂だね』
『はい……。なにかありましたか?』
『なにかあったと言えば、あったのかな。アルとテオたちが、ハクたちを必死に説得する様子を殿下がおもしろがって見ていたぐらいかな』
『王太子殿下が、伯爵家に……』
『アーベル家の至宝が行方不明なんだから、状況を確認しには来るよね。王城でのんきに臣下からの情報待ちの対応をしたら、考えたね』

 なにを……とは、口が裂けても言わない。

『ご迷惑をおかけしました』
『そうだね。今回のことは致し方ないことだ。『報告』の連絡が早かったことは、評価できる。だけど、後の対応がまずかったね。念話がつながらないことも拍車をかけたけど、従魔となった魔物や魔獣は、契約者に依存する。それがいい意味でも悪い意味でもだ。ハクとスラは、特にその傾向が強いから、ちゃんとフォローするんだよ』
『はい』
『では、また明日、連絡するよ。念話がつながらない可能性もあるから時間帯を決めておこう。万が一つながらなければ『報告』を送るよ』
『はい』
『本当は念話がつながらない原因を特定したいところだけど、時間がないからね。では明日』

 叔父との念話が切れる。すぐにスラから念話が入る。

『主、スラ、がんばった』
『スラ、ありがとう。ハクも心配かけたね、ありがとう』
『ジークベルト、ハク、スラのように伝言できない』
『ハク、適材適所だよ』
『てきざいてきしょ?』
『そう。ハクができてスラができないこともあるだろう。お互いの能力に合った場面で力を発揮すればいいんだよ』
『わかる』
『これからのことを話すね。俺はヨハン君と、はじまりの森の一番近い町へ向かうから、ハクとスラは、ヴィリー叔父さんの言うことを聞いて行動してほしい。二、三日中には、会えるから我慢してね』
『『わかった』』
『うん。じゃまたね。ヴィリー叔父さんが、ご褒美をくれるから、行っておいで』
『肉!!』
『待ってる。ジークベルト』

 ハクたちとの念話が切れ、はぁーと、大きなため息をつく。
 風呂に夢中で、連絡をする時間が遅れに遅れた。はっきり言えば、忘れていた。
 寝る直前に思い出し、慌てて念話を送ったのだ。
 叔父は、曖昧に話していたが、ハクたちが、相当迷惑をかけたようだ。
 前回とは違い、外部との連絡手段があるという甘えがあり、すぐに行動をとらなかった。
 俺自身の存在がどれだけ周囲に影響力を及ぼすのかを考えれば、決して忘れてはならないことだった。
 帰宅したら、兄さんたちやディアたち含め、関係者に謝罪と感謝を伝えよう。
 今日の行動を反省し、静かに瞼を閉じたのだった。



『トビアス殿下の子飼いに動きがありました』
『ビーカの抑制もこれまでか、ふっ。面白い』
『作戦を変更なさいますか』
『よい。このまま遂行せよ』
『御意』

 黒い影は返事をすると、音もなく消えた。

『客人によい見世物ができる。さすがトビアス──』


 ***


 早朝から、近隣の町の方角へ歩いているが、一向に町との距離が縮まらない。
 まるでループしているようだ。というか、ループしているのだろう。
 地図の位置が、ほぼ変わらないのだ。
 なにか大きな力が、俺たちの行く手を阻んでいるみたいだが、そこに悪意が感じられない。
 んー。
 無視して、目に入れないようにしていたが、湖畔の先にある神殿へ行くべきなのだろうか。
 どう考えても、お膳立てされているよな……。
 んー。
 悶々と考えていても答えはでない。
 ここは叔父に相談をするか。
 あっ、そういえば、昨日の夜、ヨハンが気になる発言をしていたな。
 たしか……。

「ジークベルト、つかれた」
「うわぁ。えっ、あっ、そうだね。少し休憩にしようか」

 ヨハンに突然マントを引っ張られ、恥ずかしくも狼狽してしまった。
 その記憶をかき消すかのように、素早く魔テントを出し、中にヨハンを招く。
 心臓に悪いよ。
 まぁ、ちょうどよかったけどね。
 その前に、甘味で気分を上げよう。
 料理長、一押しのパンケーキを机に出す。
 疲れた時には、甘いものが一番だ。

「うぉー。なんだこれ? 果物とお花? この白いのはなんだ?」
「アーベル風パンケーキだよ。白いのは、アイスクリームという冷たくて甘いものなんだ。お花は飾りだから食べちゃダメだよ。このシロップをかけて食べてごらん。すっごくおいしいから」

 ヨハンに説明しながら、俺はお手本を示すように、パンケーキにシロップをかけ、ナイフとフォークでひと口サイズに切り、果物とアイスをのせ、口へ運ぶ。
 んー。うまい!
 癒される、最高だ!
 前世で食べたパンケーキよりも、うまいし、さすが料理長だな。
 再現越えしているよ。
 しかも、このシロップ。めちゃくちゃうまい!
 甘さがしつこくないので、いくらでも入る。
 やべぇー。フォークが止まらない。
 ヨハンも俺の所作をまねしながら、恐る恐る口へ運ぶ。
 昨日の夕食も同じだった。ヨハンは未知の料理に興味深津々だけど、口にするのを躊躇する感じだが、口に入れば、ほら笑顔だ。

「うまっ! すっげぇー、うまい!!」
「だろう。そうだろう」
「昨日のプリンもうまかったけど、おれ、パンケーキのほうが好きだ! このアイスもうまいし、ジークベルトの家は、うまいものばかりだな!」
「あっはは。ありがとう。料理長が喜ぶよ」

 パンケーキは大好評で、短時間で綺麗に食された。
 料理長にお願いして、パンケーキの種類を増やしてもらおうと決める。
 たしか、ココナッツやチョコレート、お茶なんかもあったな。
 あぁ、ベーコンやオムレツなどのおかず系もあったはずだ。
 材料が、この世界にあるかは別として、なければ代わりを探すか、作ればいいんだし、帰国後の楽しみができた。
 パンケーキに満足したので、本題に入ろうと、ヨハンをうかがうと、船を漕いでいた。
 早朝からの歩きでの疲れと、お腹がいっぱいになったことが、眠気を催したのだろう。
 そうだった。
 ヨハンは、普通の四歳児だった。
 起こすことは忍びないため『洗浄』をかけ『浮遊』で、ベッドまで運ぶ。
 その愛らしい寝顔を見て「聞きたいことがあったんだけどなぁ」とぼやく。
 まぁ、しかたがない。慣れない場所での不安で、早く体力が消耗したのだろう。

 ***********************

 ご主人様、失礼します。
 昨日のヨハンとの会話でしたら、私が記憶しております。
 どの会話でしょうか?

 ***********************

 さすが、ヘルプ機能!
 ここが、誰かとの出会いの場だったって話してたよね。
 なにかの物語の。

 ***********************

 はい。
 はじまりの森は、『白狼と少女の約束』に登場する白狼と少女が、出会った場所です。

 ***********************

 その『白狼と少女の約束』の内容を聞きたい。
 けど、ヨハンとの会話は、 そこまで踏み込んでいないし、いくらヘルプ機能でも、それは無理だよね。

 ***********************

 できます。

 ***********************

 だよね。できないよね……。
 できるの?

 ***********************

 はい。できます。
 私の検索内に『白狼と少女の約束』がございました。
 絵本の内容を簡単に、お伝えすることはできます。
 いかがいたしますか。

 ***********************

 お願いします。

 ***********************

 承知しました。
 では、簡単にお伝えします。

 ***********************


 ***


 白狼は、いつもイタズラをして、神様を困らせていた。
 そんな日々が続いたある日、白狼は、神様の大切なものを壊してしまう。
 神様は激怒する。
 白狼は、神界から追放され、地上に降りることになる。
 降りた地上は、荒れ狂い、人々が戦い傷つけ合う場となっていた。
 白狼は、壊したものが、人々の善だったことに、気づく。
 壊したものを白狼の手で、修復するために、神様は、白狼を神界から追放したのだ。
 戦う人々の前に出て、人々に説得を続けるが、誰も白狼の言葉に心を傾けない。
 白狼は、人に絶望し、森の中へ消えていく。
 そして長い時が流れ、森にひとりの少女が、訪れる。
 少女は、兄を助けるため、戦いを終わらせたい。
 そのためには、力がいる。
 白狼は、問う。
 そなたの言う力とはなんだ。
 少女は、答える。
 希望だ。
 白狼は、それを否定する。
 否。希望は、力ではならず。
 少女は、笑う。
 希望こそが、力だ。
 人々には、希望がいる。
 それが兄だ。
 白狼は、少女の強い意志に光を感じる。
 我の力をそなたに授けよう。
 ただし、そなたの心が悪に満ちれば、その力は消える。
 少女は、白狼と約束する。
 私は、悪に染まらない。
 白狼の力を得た少女は、戦いを終わらせるため、力を使う。
 そして、平和が訪れる。
 白狼に力を返すため、少女は、再び森を訪れる。
 しかし、白狼は、力をそのまま少女の中に封印する。
 白狼は、少女と約束を交わす。
 この地に、再び戦いが起こる時、我はそなたを助けよう。
 それまで、そなたに、力を預ける。
 白狼は、少女へ祝福を与え、神界に戻っていった。
 その場所は、のちに、エスタニア王国となり、繁栄する。


 ***


 一般的な建国の神話を絵本にした内容だ。
 そうこれがただの神話だったら、いいんだけどね。
 この神話は、王家の秘密と密接に関係している。
 俺がヘルプ機能を介して調べた結果と、若干異なるところはあるが、おおむね同じだった。
 だけど、なぜこのタイミングなのだろうか。
 本人不在なんですが……。
 俺か、俺なのか?
 はぁー。
 ヘルプ機能、この森が神話の舞台なら、あの神殿は、白狼関係の神殿で間違いないね。

 ***********************

 はい。間違いございません。

 ***********************

 この阻害もおそらく、神殿に原因があるのだろう。
 チラッと、ベッドで眠るヨハンの様子をうかがい見る。
 規則正しい寝息に、深い眠りであることがわかる。
 ヨハンは、しばらく起きないと判断する。
 魔テント周囲の安全を確認し、半径一〇〇メートル以内に魔物が出現すれば、アラームが鳴るよう『地図』を設定する。
『周辺を見てくる。すぐに帰るので、外には出ないように。魔法袋の中にパンケーキがあるから食べてもいいよ』と、机の上にメモを残す。
 念のため、魔テントに『守り』をかけ、中からは開けられないよう『施錠』する。
 よし。これで万が一、ヨハンが目覚めても、勝手に外には出られない。
 では、神殿に行くとしますかね。
 厄介事に、自ら足を運ぶことになるとは……。
 ディアーナを婚約者として受け入れた時に覚悟はしていたけどね。
 さぁ、できる限り早く終わらせ、ヨハンが目覚める前に帰宅しよう。
 一緒にパンケーキを食べるんだ。



 湖畔の先にある神殿と伝えたが、訂正する。湖の上にある神殿だ。
 目的の神殿へ『飛行』で湖を横断中、それは突如現れた。

「ご招待ってことなんだろうな……」

 ご丁寧に神殿全体に施されていた隠蔽が解除された。
 地図上の神殿の位置もここに変わり、もともと神殿と表示されていた場所には、別の建物がある。
 フェイクまでつくり、神殿に人が来るのを阻止していたようだ。
 巧妙に隠されたそこに、いったいなにがあるのか……。
 このまま上空で、考えていてもしょうがない「行くか」と、声を出して自分を奮い立たせ、神殿の入り口付近に降り立つ。
 間近で見る神殿は神秘的で白で統一された建物に劣化は見受けられない。
 神殿全体に高度な状態保存の魔法が施されていたのがわかる。
 わずかだが 魔力がまだ感じられ、黄金色の魔法色が残っている。
 エスタニア王国の建国から考えると、約千年近くは経っているはず……。
 その間、魔法を維持するだけの魔力が注がれていたのだ。
 過去に膨大な魔力を所持していた術者がいたということだ。
 俺の今の魔力量では、それだけの期間を維持することは、不可能に近い。
『超越者』その言葉が頭をよぎり、興奮で身震いする。
 率直に会いたいと思ったが、千年前の人物に会うことはできないと、自嘲する。
 いや待てよ……。
 人知を超えた魔力量の多さから考えれば、長寿の種族、あるいは──。
 もしかすると、会えるかもしれない。
 淡い期待に胸を膨らませる。
 さあ、神殿の中にいる人物に会いに行こう。
 中の人物が、術者でないことは、魔法色から考えてもわかる。
 ほんの少し気持ちが落胆するも、ここに来た理由を思い出す。
 そうだ。まずは目の前のことを片づけよう。
 個人的な興味は、すべての事が終わってからだ。
 吉と出るか凶と出るか……。
 俺はそっと神殿の扉に手をかけた。

 …………
 …………
 …………

 パタンッ。
 俺は乱暴に扉を閉めた。
 さあ、帰ろう。
 ヨハンとパンケーキが、俺を待っている。

「ま、まてぃーー。何故、扉を閉めるのじゃ!」

 小高い声と同時に扉が自動で開くと、神殿の中へ俺の体が引っ張られた。
 抵抗するが、途中で無駄だと諦め、身をゆだねる。
 白で統一された神殿の中は、ステンドガラスから降り注ぐ光が反射し、幻想的な雰囲気を醸し出している。
 祭壇の手前で止まると、目の前に、黒のロリータ・ファションを着た銀髪の赤い目の美幼女(・・・)が、腕を組み、不機嫌な顔で立っていた。

「遅い。遅すぎるぞ! 妾がどれだけ待ったと思っておる。そもそも──」

 幼女が、ぶつぶつと小言を話しているが、そうじゃないんだよ。
 ここは、いかにも英雄とか、百戦錬磨の風格漂う戦士とか、威厳のある賢者とかあるでしょ。
 どうして、なぜ、ロリ幼女なのか!
 誰か説明をしてほしい! 説明を求む!
 責任者でてこい!
 俺が全体的にやる気をなくしているとは知らず、話し続ける幼女。
 まだ話し続ける幼女。まだまだ話し続ける幼女。まだまだまだ──。
 話しに夢中の幼女に気づかれないよう、抜き足、差し足、忍び足で、そーっと、扉の元まで後退する。
 まだ話し続けている幼女。
 よし! こちらの様子には気づいていない。

「んんっ!? おぬし、何故扉に近づき神殿から出ようとする!」

 俺が扉に手をかけたとろこで、大きな力にそれを阻まれた。

「ちっ」

 俺の舌打ちが、神殿の中に響く。

「なっ、なっ、おぬし舌打ちを、妾にむけて舌打ちをしたな!」
「なんのことです? 初対面の相手に舌打ちなんて常識はずれなこと、ぼくはしませんよ。失礼な人ですね」
「妾が、失礼じゃと! おぬしの方が、よっぽど失礼じゃ!」
「あぁ、癇に障りましたか。すみません。失礼なぼくは、ここから消えますので」

 再度、扉に手をかけるが、またもや大きな力で神殿内に再び引っ張られ、幼女のいる祭壇の手前で止まる。
「ちっ」と、わざと舌打ちする。

「また! また舌打ちしたな!」

 幼女の全身が震え、赤い瞳が怒りを表していた。
 俺はそれに気づかないふりをして、早々にその場を立ち去ろうとする。

「してないですよ。幻聴ですよ。早く病院に行って治療するべきですよ。では、さようなら」
「妾を病人扱いするな! 幻聴ではないことぐらいわかるぞ!」
「ちっ、舌打ちぐらい見逃せよ」

 俺の尊大な態度に幼女は、その場で地団駄を踏み叫ぶ。

「なっ、なっ、妾に、そのような尊大な態度! ありえん。ありえぬぞ!」
「はいはい。すみませんでした。俺は、ここに用がないので帰ります」
「待て、おぬし、妾と話をしなければ、この森を抜けることはできないのだぞ」
「いえ、それはもう結構です」

 その申し出を断り、幼女に背を向けると、慌てて幼女が尋ねてきた。

「なっ、どうするつもりじゃ」
「転移します。もういいですよね。では、さようなら」
「まっ、待て。おぬし、移動魔法を秘密にしておったじゃろ。何故、急に使用するのじゃ」
「関わりたくないから」

 俺の即断に、「ぐぬっ」と言葉にならない声を出して、狼狽する幼女。
 変な人と関わりたくないのは、人として当たり前の防衛本能だと思う。

「おぬし、性格が著しく変わっておるぞ! 何故、妾に冷たくする。妾は、神獣だぞ!」
「……」
「何故、無言なのじゃ! 妾は、妾は、この時を長い時間待っておったのじゃぞ」
「……」
「なにか話しをせぇー」
「……」
「む、無視はいやじゃー。わぁーーーーん」

 幼女、チョロ。
 精神、弱っ。
 自称神獣の幼女は、神話に出てきた白狼ではないようだ。
 俺の予想では、本人がいると思ったのにな。
 可能性の一つが消えた。
 となると、ここに呼ばれた理由はなんだ?
 幼女が落ち着いたところで、疑問を口にする。

「で、どんな用件?」
「おぬし、態度が……」
「幼気な子供たちをわざわざ巻き込んで、俺をここに連れて来た策士に愛想よくするほど、俺できてないから」
「なっ!? それはちがうぞ! 妾はそのようなことしておらん! おぬしが、妾の力が及ぶ範囲に転移してきたのじゃ。しかも待ちに待った適合者、神殿に来るよう仕掛けるのは、当たり前じゃろ!」
「……」
「そのようなジト目で見るな! 妾は本当に知らん!」

 幼女の態度から嘘をついているようにはみえない。
 俺は肩をすくめて、ほんの少し緊張を緩める。

「そのようだな。では誰が?」
「知らん」
「役に立たない神獣だな」
「おぬし、言動がきついぞ。妾は、神獣なのだぞ!?」
「だから?」
「むーー。この姿故、侮るのじゃな! これでどうじゃ!」

 幼女がそう叫ぶと『ポフン!』との音と共に、白い煙が幼女を包む。
 煙の中から、絶世の銀髪美人が、俺を見下ろしていた。

「頭が高いんじゃない?」
「なっ、何故、辛辣!」

 ポフン!
 再び音が鳴り、白い煙の中には、元の姿に戻った幼女がいた。
 若干、涙目である。
 何かを訴えるように俺を見るが、それは無理な注文である。
 残念精霊フラウで、すでにこの手の美女変化を経験しているので、驚きはしない。

「うぅ、なけなしの力を使って、成体に戻したのに……。ひどい、扱いがひどいのじゃ」
「ほぼ維持できてねぇじゃん」
「妾の本来の姿は、あれなのじゃ! 力がほぼ封印され、童の姿でしかおれん。うぅーー。あんまりじゃ」

 幼女は赤い瞳に涙を浮かべ、泣き叫ぶ。
 ほんの少し、同情してしまう。

「お前、なにしたの?」
「妾は悪くないのじゃ。主様が大切にしていた宝珠に、少しばかりひびを入れただけじゃ」
「いや、それはまんまお前が悪いだろう」
「うぅ、わかっとる。わかっておるが、故意ではないのじゃ。綺麗だったので少し触っただけで、ヒビが入ったのじゃ。兄上のように壊したのではない。じゃが、じゃが、主様が『兄妹そろって、手がかかる』と『この神殿に、反省するまでいなさい』との謹慎処分じゃ。妾一人では、神殿の外にも出れぬ。反省はたっぷりしたのじゃ」
「反省が足りないんじゃないか」
「うっ、ひどいのじゃ……。兄上は、壊したが地上で自由に動き回れたのじゃ。じゃが、じゃが、妾は、五百年の間、神殿の中での謹慎。ひびを入れただけなのにーー、あんまりじゃ」

 俺は思わず、額に手をあてる。
 幼女よ、お前……。
 話を聞く限り、全然反省してない。
 ひびを入れただけって、五百年の間、なにを反省していたのか。
 呆れて言葉も出ないわ。
 幼女の反省云々よりも、先に確認することがある。

「神話に出てくる白狼は、お前の兄か?」
「神話?」
「この地の神話で語り継がれている白狼のことだ。お前の兄か?」
「この国の祖じゃな。そうじゃ、我が兄じゃ。おぬし、先ほどから妾をお前呼びとは、親しき仲にも順序というものがあって……」

 幼女の態度が急に変わる。全身をクネクネと動かして、頬を赤らめ上目遣いで俺を見ている。
 えっ、気持ち悪い。
 あまりにも媚びた態度に、さすがに引くわ。

「いや、普通に君の名前知らないしね」
「何故、お前呼びをやめる!?」
「いや、何か意味がありそうだから」
「なっ、妾を弄んだのか! 何たる非道!」
「非道もなにも……。そもそも、俺関係なくない? 君が主様の宝珠にひびを入れた。その反省のため、この神殿に放置されている。それで間違いないよな」
「放置ではなく、謹慎じゃ! 他は間違いない。じゃが、妾を、妾を連れ出してたもう。もう一人でいるのは嫌じゃ。後生じゃ、妾を神殿から出してたもう」

 真顔で懇願してくる幼女。
 相当、神殿での生活は堪えたようだ。

「……。で、適合者って?」
「主様が定めた条件に合った者のことじゃ。一定以上の魔力があり、妾との相性が良いことじゃ」
「なんで条件の中に、相性があるんだ?」

 ギクッ!との効果音が出ているぐらい幼女が体を振るわせた。
 わかり易い反応をしてくれる。

「妾を神殿から出すには、契約が必要じゃ。妾が外界で悪さをせんよう監視する役目があり、妾の仮主になるのじゃ。そのため、妾との相性が良いことが前提となるのじゃ」
「……。他に何か条件があるんだな。その条件を言え」
「妾は知らん!」
「目を逸らすな。説得力がないんだよ。言え! 吐け!」
「うぅ、話たら、おぬし逃げないか……」
「話にもよる」
「………………を生すことじゃ」

 幼女が小声で話すが、俺には聞こえない。
「えっ?」と俺が聞き返すと、真っ赤な顔でやけくそになりながら幼女が叫んだ。

「連れ出した者との子を生すことじゃ!」
「はぁーー?」
「うぅ、妾がつけた条件ではないぞ。主様が、兄上を見て、妾も同じことをすれば改心するじゃろと……。妾を捨てないでたまおぉーー」

 幼女が素早い動きで俺の足にすがる。
 主様から、改心するよう言われてるじゃねぇか!
 このじゃじゃ馬!
 さっきからこいつは、自分の悪い条件を隠そうとしてるのが、丸わかりだ。
 このまま無視して、放置してもいいんだけどな。
 無理か、しつこそうだ。
 子を生す条件さえなけば、契約してもいいんだが……。
 足にすがる幼女をチラッと見る………。
 無理だ。絶対に無理だ。子を生すなんて無理!
 成体ならまだ考えられるが、幼女は何があっても無理だ。

「悪いけど、無理。他あたってくれ」
「なっ……。五百年…。五百年待って、やっと、やっと、現れた適合者じゃ。神界には、帰れんでもよい。子を生さんでもよい。じゃから、神殿から連れ出してたもう」

 俺の足にすがりながら、必死に訴える幼女。
 なんか、わざとらしいんだよね。

「……。で、本来の条件は?」
「! これ以上は、知らん。本当じゃ、妾が神界に帰還できる条件として、神殿から連れ出した者との間に子を生すことしか聞いておらん! そもそも適合者の条件も主様が決めたもの。妾は関与すらしておらん!」

 その問いかけに、幼女は俺の足から手を離し、身振り手振りで状況を説明する。
 ここに嘘はなさそうだ。 

「神界に帰還できなくなれば、君はどうするの?」
「生涯、おぬしのそばにいる。それだけじゃ」
「神殿から出す。その場で解散! これでよくない?」
「むむむ。しかし、おぬし、妾の力欲しくはないか?」
「いらない」

 俺の即答に赤い目が大きく見開く。

「なっ、即答! わかっておる。わかっておったが、あんまりなのじゃ……。うっ、」
「泣けば、即帰る」

 話しが進まなくなるので、泣きそうだった幼女をとめる。
 ヨハンがテントでひとり待っているんだ。
 厄介事ははやく片付けたい。

「……っ。泣いてなどおらん! 神殿を出る前に、適合者と契約するのじゃ。その条件の中に、契約者のそばにいるが入っておるから、妾は、おぬしのそばからは、離れん」
「うわぁ、面倒くせぇー」
「うっ、仕方ないのじゃ。四六時中、そばにいるわけではないのじゃ。仮主との関係性があれば、離れていても問題いらん。おぬしの屋敷においてくれればよい」
「契約の他の条件は?」
「他の条件は──」

 幼女から条件の概要を一通り聞きだし、面倒だが契約することにする。
 どう考えても契約しないと、この場から帰してもらえそうもない。
 神話の白狼の妹である点も、後々、有効活用できるかもしれないと判断した。
 契約は所謂、魔契約の神獣版だ。
 細々とした契約条件があるが、生活上では何の支障もない。
 契約の中には、仮主への『絶対忠誠』という項目もあったが、これは幼女の暴走を止めるものだそうだ。
 だが幼女は、力をほぼ封印されているため、暴走するほどの力はないとのことだ。
 契約条件の説明中、幼女がコソコソと何かしているようだったが、あえて見逃した。

「わかった。契約しよう。子を生すことは、諦めてくれ」
「おぬし! 感謝するぞ! 子を生さんでもよい! おぬしの気が変わらんうちに、契約じゃ!」

 ポフン!
 幼女から、白銀の狼に変わり、その白銀の毛が、徐々に光だす。
 幻想的な様に、心が奪われる。その光が一瞬弾け、俺に注がれた。

「くっくく、これで契約は妾に優位に成った」
「お前、本当に馬鹿。台無し。まじで台無し」
「何故!? おぬし、何故、妾に暴言を吐ける? ああぁーーーーーー! 妾が優位になるように記した条件が書き換われておる! おぬし、何をした!」

 こいつ、俺を嵌める気でいたな。
 予防線を張って、正解だった。
 契約は成されたようだが、それは致し方ない。
 幼女は気付いていないようだが、幼女とは比べ物にならない別の力が働いているようだったと、考えていると、ピラピラと一枚の紙が、天から落ちてきて、俺の手元に収まった。

『我の神獣(ペット)が迷惑をかける。迷惑料として、そなたに我の加護(小)を与えよう』

 紙が消えると、俺の身体を温かい光が包みこむ。
 幼女が慌てて、叫んでいる。

「あっ、主様!?  何故、そやつに加護をお与えになるのじゃ? はっ!? 妾の枷が、枷が増えておる! 五百年の謹慎で、枷を減らしたのに……。うぅ、この一瞬で倍に! 倍になっておる! 何故、何故じゃ……。うわぁーーーーん」

 当り前の罰だよな。
 幼女の自分勝手な振る舞いに、主様が、更なる反省を科したのだろう。
 というか、これ、連れて帰るのか……。
 加護じゃなくて、契約の取消しをしてよ。
 まじで………。
 ジトーー。

「おっ、おぬし、どうした」
「どう考えても、体の良い厄介払いをしたんだなぁと思ってさ」
「なっ、なっ……」
「普通に考えればさ、適合者の条件も契約内容も、お前を抑えるためだけのものだろ」
「妾が……厄介者……」

 みるからに肩を落とし、幼女が床に膝をつく。
 その姿に、少しは改心してくれればと願う。
 そして『俺が一番の被害者だよな』と、心の中で悪態をついた。



「──ということじゃ」

 幼女こと、シルビアの説明に、俺は「なるほど」と相槌をうち「面倒だな。ディアの覚醒にも色々と条件があるのか?」と、再確認も含めて尋ねた。
 シルビアは大きくうなずく。

「うむ。そのディアという小娘は、覚醒に値する器なのかえ?」
「器に値するから、能力が付与されたんだろう」

 シルビアが、人差し指を立て「チッチッチッ」と口を鳴らしながら指を左右に振る。

「おぬしは、単純じゃのう。特に先天的能力は、その者に合うか合わないかで付与されているわけではない。ぐふっ」

 その得意げな顔と態度に、なんとなく腹が立ったので、俺はシルビアの顔面を手で覆う。

「何をするのじゃ!」
「あっ、悪い。無性に腹が立ったので」
「おぬし! 妾は、身体は小さくなったが、神界でも指折りの絶世の美女なのじゃぞ! その顔になんたる非道!」
「美女? どこに?」

 俺がわざとらしく周囲を見渡す。
 シルビアが、奇声のような声を出して否定した。

「ぐふっ、ここにおるではないか!」

 その形相に、自称絶世の美女が聞いて呆れる。
 ぐふっとか言っている時点で、駄目だわ。
 ギャーギャー、ほざいているが、無視だ。無視。
 それにしても、こいつを連れ歩くのか……。
 一旦、屋敷に……。
 いや、マリー姉様たちに迷惑がかかる。却下だ。
 黙っていれば、何とかなるか?
 未だ騒いでいるシルビアを見て、黙ることは無理だと悟る。
 そこに『ご主人様、駄犬を黙らせる方法がありますが』とヘルプ機能から素晴らしい提案が入る。
 その内容に俺は『おー!』と、心の中で拍手をする。
 シルビアの元の飼い主、主様の加護がそれを可能としたらしい。 
 さて、対策はできたし、シルビアを連れて、神殿を出ることにする。
 ヨハンをひとりにして、二時間弱。
 昼寝から起床して、俺がいないことに不安になっているかもしれない。
 騒いでいたシルビアの首元を掴む。

「ぐふっ!?」

 これはシルビアの口癖かと、だったら慣れるしかないなぁと、考えながらシルビアを引っ張りながら、神殿の外に出た。
 シルビアにとって、五百年振りの外だ。
 いくらシルビアでも、感慨深いよねと様子を窺うが、その目は驚きに満ちていた。
 思ってもいないその反応に俺は「えっ?」と首を傾ける。
 シルビアは、俺の元から離れると、湖の脇まで走って行き、声を上げた。

「! みっ、みずーーーー! 何故!? 何故、水に囲まれているのじゃ!」
「湖だからね」

 俺のツッコミに、シルビアが興奮した状態で叫ぶ。

「なぬっ。湖だと!? 妾は知らん! 主様に内緒で地上に下りた時は、湖などなかったのじゃ!」
「五百年経ってるから、湖ぐらいできんじゃない」
「むぅ。そうか……。じゃとしても、ここからどうやってでるのじゃ。まっ、まさか! 泳ぐのかえ!? むっ、むりじゃ、妾は泳げん。泳ぐぐらいなら、神殿に戻る!」

 湖に背を向けたシルビアは、一目散に神殿の中に向かう。
 その姿を目で追いながら、俺は告げる。

「神殿に戻るのか。お好きにどうぞ」
「仮主のおぬしも一緒に戻るのじゃ。神殿は快適じゃぞ。誰もおらぬが、食事も風呂も自動で用意される。望めば主様が禁止した物以外なら何でも手に入るのじゃ。菓子や遊具、本や魔法書なども全てじゃ」
「おまえ、悠々自適な生活送ってたんだな……」

 ほんの少しでも同情した俺の気持ちを返して欲しい。
 俺の軽蔑した視線に気づいたシルビアが、言い訳するように口をひらく。

「うっ、じゃが、誰にも会えん。話し相手がおらんのじゃ。虚しく、寂しかったのじゃ……」

 言葉にしてその情景を思い出したのか、その小さな体を縮め、孤独を噛み締めた。
 その姿に、かわいそうだと思ってしまう。
 はぁー。
 俺は額をポリポリとかきながら、シルビアへ向けて手を差し出す。

「俺は、空を飛んで行くけど、どうする?」


***


「手を、手を放すのではないぞ」
「はいはい。手は放さないから、少し離れようか」
「!! 何故じゃ! 妾は、はじめてなのじゃ、優しく、優しくしてたまもう」
「優しくも何も、飛びにくいんだよ」
「むっ、無理じゃ! これ以上は、離れることはできん! おぬし、落ちたら水なのじゃぞ」

 俺が離れると思ったのか、シルビアは、先ほどよりも近く俺にしがみつく。
 動きづらいったらありゃしない。
 かれこれ数十分。このようなやりとりが続いている。
 本来であれば、陸に着いているはずだ。
 あの時のしおらしさは、どこにいったのだ。

「そんな目で見ても駄目じゃ! 妾はこれ以上の譲歩はせんぞ!」
「わーってる。ほら、もう陸が見えた。あと少しだ。頑張れ」
「きゅ、きゅうに優しくなるのは、卑怯じゃぞ」

 俺の言葉に、シルビアが顔を真っ赤すると、急に大人しくなる。
 おっ、動きやすくなった。
 好機だ。
 飛ぶスピードを一気に上げ、加速する。
 シルビアが驚いて、ワタワタと動いているが、加速すればこちらのものだ。
 一気に魔テントの上空までたどり着き、周囲に魔物がいないことを確認して、降り立つ。

「やっ、やっと、地に足がつく! ここまで長かった、長かったのじゃ……。うっ、う、うーー」

 ヘナヘナと、腰を下ろし、半泣き状態で、地面に手をつく幼女。
 初飛行で、下は苦手な水。極度の緊張状態だったのだろう。
 少しすれば立ち直るだろうと見越し、シルビアを放置して、魔テントにかけられた術を確認する。
 術は解けておらず、ヨハン自身が外に出ようとした形跡もなかったことに安心する。

「ただいま」
「ジークベルト、どこに行っていたんだ。遅いぞ! パンケーキを一緒に食べようと待ってたんだぞ!」

 魔テント内に入ると、ヨハンが勢いよく俺に飛びついてきた。
 言葉とは裏腹に、心配させたようだ。
 ギュッと力強く、俺の腰に腕を回しているが、その手は僅かに震えていた。
「心配かけて、ごめんね」と、頭を数度撫でると、ヨハンが上目遣いで「心配したぞ」と口にして、頭をぐりぐりと押し付ける。
 なにこの生き物。
 可愛すぎるだろ。弟、めっちゃ可愛い。
 俺がデレーッと、鼻を伸ばしていると、そこに邪魔が入った。

「おぬしら何をしておるのじゃ?」
「ん? おまえだれだ?」
「小童が、妾に……!?」

 口をハクハクさせたシルビアは、声が出ないことに驚いている。
 その様子にヨハンが、疑問を投げかける。

「ジークベルト、こいつどうしたんだ?」
「お腹の調子が悪いようで、恥ずかしがって声が出ないようなんだ」
「!?」
「そうなのか。トイレはあっちだぞ」

 シルビアが首を横に振り、猛烈に拒否するが、俺は満面の笑みでトイレを指して『命令』した。

「シルビア、いっておいで」
「!!」

 体が勝手に動くことに戸惑いを隠せないシルビアは、口をハクハクさせたままトイレに入っていく。
 これも主様の加護のおかげだ。
 一日に一回、絶対『命令』が発動できるのだ。
 ヘルプ機能、よく見つけてくれた。

 ***********************

 ご主人様のお役に立て、嬉しいです。

 ***********************

『どういうことじゃ!』
『シルビア、悪いが、ヨハンに説明するまでそこにいてくれ』
『そういうことではないのじゃ! 何故、妾の声がでんのじゃ!』
『あぁ、それ。主様の加護でついた『遠吠え禁止』機能だ。シルビアの声をオン・オフできるんだ。便利だろ』
『なっ、なっ! まっ、まさか、身体が勝手に動いたのも……』
『そう。それも主様の加護でついた便利機能』
『ひっ、酷いのじゃーー!』

 ***********************

 駄犬が、ギャーギャーと五月蠅い。
 ご主人様の邪魔をするのではない。

 ***********************

『なんじゃ、この頭に響く失礼な声は? 誰じゃ!』
『俺の鑑定眼のヘルプ機能だ。とても優秀なんだ』
『鑑定眼のヘルプ機能じゃと!? そんなはずあるはずないのじゃ!』

 ***********************

 あるのだよ。
 駄犬には到底思いつかない。

 ***********************

『なんじゃとぉ……この気配、まさか!?』

 ***********************

 駄犬が無駄に知識を持っていると厄介ですね。
 ご主人様、申し訳ございません。
 勝手ながら、駄犬との念話を強制的に切らして頂きました。
 ご主人様、私めに駄犬の調教許可を頂きたいのですが、宜しいでしょうか。

 ***********************

 いいけど、ほどほどにね。
 あと君の正体は、まだまだ先でいいので、その辺も考慮してくれると有難い。

 ***********************

 承知しました。
 私も、まだご主人様にお伝えするわけにはいきませんので、大変有難い申し出でございます。
 では、少々お時間を頂きたいと存じます。
 駄犬にどちらが、格上か分からせます。

 ***********************

 俺の魔力量が増えるにつれ、ヘルプ機能ができることも増えたようだ。
 すでに鑑定眼のヘルプ機能の能力を逸脱している。
 そこは俺だからで、もうほとんど突っ込まないことにしている。
 そろそろ、ヘルプ機能の名前も決めないとなぁ。
 その前に、ヨハンにシルビアの説明だ。
 最低でもあと二日は行動を共にするので、受け入れてもらわないと。
 ヘルプ機能の調教に期待しつつ、共に行動する理由と俺のそばにいても怪しまれない理由を考える。

「ジークベルト、あいつ大丈夫なのか?」
「あぁ、大丈夫だよ。森に迷い込んで、そこら辺の物を口にしたようなんだ」
「もしかして、おれたちと一緒か?」
「ん? あぁ、そうみたいだ。この国とは違うところから来たみたいだ」
「だから、ジークベルトが外に出ていったんだな」
「あぁ、そうだよ」
「ジークベルトは、すっげぇーな!」

 ヨハンがキラキラした目で俺を見ている。
 なんだか都合よく解釈してくれたようだ。
 その眼差しに、いたたまれない気持ちになるが、グッとそれを抑え、俺は踏み止まる。
 いいように勘違いしてくれたので、それに乗っかることにする。
 ヴィリー叔父さんたちには、他の理由……。
 いや正直に話すべきかもしれない。
 どこまで話すか、そこも合流するまでに考えよう。
 とりあえず、今日の報告に同行者が一人増えたことを伝えよう。
 モフッモフッと、口いっぱいにパンケーキを頬張っている可愛い弟分の幸せそうな顔に、トイレの奥で、調教を受けているだろう問題児のことを今は忘れることにした。



「くっ、下級生物がっ! 妾にはむかうじゃとーー」
「シルビア、うるさい。ジークベルトの戦いのじゃまになる。後ろに下がろう」

 ヨハンが至極当然のことを告げると、シルビアが赤い瞳を吊り上げ、ヨハンに詰め寄った。

「妾が邪魔になるじゃと! 小童! 貴様! ぐふぅ!?」
「シルビア、なんど同じことを言えばいいの? 今の君は最弱。ヨハン君と比べても格段に弱い。だから、ヨハン君に君の守りをお願いしているんだよ」
「そうだぞ。シルビア、自分の力量を、はあくすることも、成長するためにひつようなことだと、とうさまが言っていたぞ」
「妾は、神じゅ……ぐふぅ!?」

 俺はシルビアの口を物理的に封じ、『これ以上騒ぐと『遠吠え禁止』を発動するぞ』と、念話で伝える。
 すると、不満気な顔でヨハンのうしろに下がり、大人しくなった。
 その豹変にヨハンが、不思議そうな顔でシルビアを見ている。

「ヨハン君の言う通りだよ。シルビアは、身の丈にあった行動をするように。魔物は倒したし、もう少し前に進もう」
「うん。明日には、とうさまたちに、会えるんだな! とうさまに、ぼうけんした話をするんだ!」

 キラキラした笑顔を俺に向けるヨハンに、自然と頬がゆるむ。
 そのうしろで、膨れっ面した幼女が目に入るが、見なかったことにした。
 ヘルプ機能の教育は、あまり成果はなかった。
 あの日、トイレから解放されたシルビアは、一目で見て分かるぐらい疲労困憊していた。
 もしかして……と、わずかに期待したが、中身は相変わらずだった。
 ヘルプ機能には悪いが、どこかで無理だろうなぁと察していた。
 五百年の謹慎でも、矯正することができないので、仕方ないと俺は諦めていたが、ヘルプ機能の見解は違ったようで、かなり落ち込んでいた。

 ***********************

 ご主人様、不甲斐なく、申し訳ございません。
 駄犬の躾には、相当な時間を要します。駄犬を甘く見過ぎていました。
 私の裁量不足です。大変申し訳ございません。

 ***********************

 自身の不甲斐なさを責めるペルプ機能に『よくやってくれているよ』と慰める。
 それがだめだった。
 俺の言葉でさらにヘルプ機能を落ち込ませてしまう。

 ***********************

 ご主人様に慰められるとは、従者として失格。

 ***********************

 その後、しばらく応答がなかった。
 赤ん坊からの付き合いで、こうなったヘルプ機能は、放置することが一番であることを学んでいる。
 下手な慰めは時に人を傷つける。言葉は場所を選ぶのだと、反省する。
 それにしても、ヘルプ機能の立ち位置は、従者なんだと、初めて知った事実に少し驚愕したことは、内緒だ。
 まぁあの時は、シルビアがパンケーキに興奮して、手に負えない状況だったので、あまり深くは考えなかったが、声だけの従者もありかもと思う。
 あっ、そういえば、ヘルプ機能はいずれ実体を持つと言っていたな。
 ヘルプ機能の正体がどうであれ、心強い仲間であることには変わりない。

「おぬし、頬を緩ませて何を考えておる?」

 シルビアの怪訝な声を耳にして、一気に現実に戻る。

「何も……。あぁ、おまえの枷が、これ以上増えると困るなぁとは、思ったけど?」
「ぐぅ。枷はもう増えんはずじゃ……。仮主じゃが、主様からおぬしに、妾の契約は移っておる。仮主のおぬしを返さず、主様が勝手に枷を増やすことはせんじゃろうし、主様が度々地上と接触することは、問題があるゆえ。それに、これ以上の枷は、おぬしの負担になるので、主様も増やすことはせんじゃろう」

 淡々と事実を告げるシルビアに、普段もこの落ち着きがあればいいのにと思う。

「当事者が、まるで他人事のようだな」
「むぅ。仕方なかろう。すでに枷はついておるのじゃ」
「まぁ、その枷のおかげで、おまえの神力だっけ? あの力が使えなくなって、俺は安心したけどね」

 俺の発言に、シルビアの顔つきが変わる。
 心底、驚いているようだ。

「なっ、何故? 神力が使えんのがいいのじゃ!」
「あの力は、不必要だろ。無抵抗な人を神力で、自身の前に引っ張ったり、念話の妨害や森のループも、普通にいらない」
「なっ、神力は、他にも色々と有効活用があるのじゃ」
「へぇー。例えば?」
「人の思考を読み取ったり、過去を覗いたりできるのじゃ! だから、おぬしが転移を隠していることも知っておったのじゃ!」
「それプライバシーの侵害だから!」
「ぷ、ぷらいばしとは、なんじゃ?」

 きょとんとするシルビアの顔に、この世界では、プライバシーなんて高尚なものなかったと思う。
 とかいう俺も、鑑定眼を使いまくりで、ガバガバだった。

「とりあえず、神力はいらないけど、戦闘能力まで格段に落ちてしまうとは想定外だ。枷のせいで、取得スキルも使えないのだろう」
「おぬし、話を逸らしたな。まぁよい。うむ。スキルは、ほぼ使えんというより、枷が増えたので消えたのじゃ。もう一度、修練すれば、スキル取得は可能じゃ。一度取得したものじゃから、比較的簡単に再取得可能なはずじゃ」

 俺の動揺を悟られないように、話しをそらすが、シルビアには筒抜けだった。
 それよりも彼女の発言が気になる。

「消えた? だから、シルビアのスキルの部分が、グレー表示になっているんだな。これ使えないのか。紛らわしい。あとで、カスタムするか」
「グレー表示? かすたむとは、なんじゃ?」

 聞き覚えのない言葉に、シルビアは不思議そうな顔で問う。

「俺の鑑定眼では、シルビアの過去スキルも表示されているんだ。だから、それを表示させない仕様にするんだ」
「ほぉ。おぬしの鑑定眼は、不思議じゃの」

 関心したようにシルビアの赤い瞳が、大きく見開かれる。
 俺の鑑定眼は特賞だからね。シルビアが驚くのも無理はない。
 シルビアのステータスは、枷が増えた影響で、レベルはリセットされ、各パラメーターもマイナス表示で、取得スキルもない。

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 白狼 シルビア メス 1255才
 種族:神獣
 Lv:1
 HP:100/300(-200)
 MP:0/150(-200)
 魔力:150(-200)
 攻撃:150(-200)
 防御:150(-200)
 俊敏:150(-200)
 運:200(-200)
 魔属性:風・土・無・光・雷・聖

 加護:???の加護
 称号:神界の駄犬

 仮主:ジークベルト・フォン・アーベル

 状態:枷200
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 HP以外は、枷の影響でマイナスのステータス値だ。
 神獣の特典か、初期ステータス値が高く、特にHPが高いため、救われている部分はある。
 主様の絶妙な枷の掛けかたに関心した。
 HPがマイナス表示になれば、誰であろうと死ぬのだ。
 死因が枷なんてお粗末な死にかたは、俺だったら嫌だ。
 枷は、神界ではよくある罰の方法で、枷を減らすには、本人の反省状況や良心的な行動で減るらしい。
 シルビアが当初負った枷は100、五百年で20弱しか減らせていない。シルビアの反省度合いが、これでわかる。
 そもそも、シルビアが俺と対面した時点でのレベルは50台で、枷は80強で、ステータスに影響もなく、ほぼ枷が機能していなかった。
 枷の数が高いほど、多方面で影響がでるが、その中でも分岐点があり、枷が150を超えることで、大変な事態になるとの噂をシルビアは耳にしたことはあったそうだが、実際150を超えた枷をつけられた者は、シルビアの周囲にはいなかったようだ。

「よかったな。初の快挙かもよ」
「そんな快挙いらんのじゃ!」

 頬を膨らませ拗ねた様子で、前を歩くヨハンの元に走って行くシルビア。だが、ヨハンに片手でシッシッと邪険に扱われ、所在なく立っている。
 伝説の神獣が、なんとも居た堪れない。
 涙目でヨハンに訴えてはいるが、ヨハンは、松茸風キノコ探しで、忙しいのだ。
 移動中にたまたまヨハンが見つけたキノコ、正式名称キーファーウントピルツ。
 匂いが松茸に似ていたので、試しに焼いて食してみたら、絶品だった。
 くっ、ここに、醤油があれば……。
 さらに美味しく頂けたのにぃと、悔しがる俺。
 前世の記録では、松茸の醤油焼きも絶品だが、松茸に牛肉を巻き焼き、酒・砂糖・醤油で仕上げれば、松茸の香りと肉の旨味がマッチした最高の料理となる。
 はぁー。想像しただけで、よだれがでる。
 断念していた醤油作りを再開するべきかと、心が揺れ動く。
 日本独特の食品や調味料は、作るのが最高難度なのだ。
 知識があっても、実際作ってみると、熟成期間や分量など、繊細な作業を繰り返す。
 魔法でパパッととは、できないのだ。
 何百回と試行錯誤して、結果、諦めた。
 あぁ、だけど、やはり味噌と醤油は最低でも欲しい。
 米に似たものは、すでに確保している。
 東の国で穀物の一種として栽培されているラピスというものだ。
 あの時は歓喜したな。
 塩おにぎりが、あれほどまでに美味いとは、想像しえなかった。

「ジークベルト! このマツタケ、いままでで一番大きいぞ! これはジークベルトのぶんな!」
「うおっ」

 突然、目の前にキーファーウントピルツが現れる。
 俺はそれに驚き、思わず後ろに一歩下がってしまう。
 それを目撃したシルビアが、ヨハンの後ろで「ぶぶぶー」と、笑っている。
 駄犬、鉄槌!

「ぐふぅ!?」
「ヨハン君、ありがとう。だけど、エトムント殿へのお土産にするために探していたんだろう」
「いいんだ。とうさまたちのおみやげは、ここにたくさんあるからな! ジークベルトには、おせわになったから、一番大きいのをあげるぞ! うん? シルビア、どうした?」
「ありがとう。今日の夕飯で一緒に食べよう。シルビアのことは、放置していても大丈夫だよ。説明しただろ。例の発作だよ」
「ほっさ、あのきゅうにへんになるって話の……むしすればいいんだよな?」
「!?」

 ヨハンの『へんになる、無視』という言葉に、シルビアが身振り手振りで、なにかを俺に訴えている。
 かわいそうだけどさ、すごく騒がしい人が急に黙りだしたら驚くだろ。
 前もって状況を説明していれば、人はそうなのだと受け入れてくれるのだ。
 まぁちょっと、腹が立ったからって、安易に『遠吠え禁止』を発動させたのは、俺が悪かったと思うけど。
 時には、横暴さも必要だと思うんだ。

「そうだよ。さぁ今日の野営場所までは、あと少しだよ。ヨハン君、道中、松茸が沢山生えている可能性があるから、頑張って探そうね」
「ほんとうか! おれ、がんばるぞ!」

 キーファーウントピルツこと、松茸の生息場所は、地図で確認済みだ。
 今日の野営場所からそう遠からず沢山あったため、少し迂回して歩いている。
 ヨハンが、キーファーウントピルツをマツタケと呼んでいるのは、俺が何度もキーファーウントピルツを『松茸』と連呼していたため、定着してしまったのだ。
 一応、訂正はしたよ。



『──ではそのように』

 最新機能を保持した『魔通信』を切り、闇に埋もれたマントをかぶった男は、口元に三日月のような笑みを浮かべた。

『くっくっく、マティアス殿下も浅慮』

 感情を失くした人形のような女は、男の言葉にわずかな反応を示す。

『まだ反応をするか。面白い。投薬を続けろ』
『しかし、これ以上の投薬は、ひぃっ』

 マントの男が素早い様子で、口答えした者の首筋に鋭利な刃物をあてる。
 その首からは薄く血が流れはじめた。

『聞こえなかったのか。投薬を続けろ』
『……御意』


 ***


 森の奥に複数の人影が見えた。
 それに気づいたヨハンが、勢いよく駈け出した。

「とうさま!」

 小さな体に不釣合いなほどの大声で叫ぶその姿に、寂しさを我慢していたのだと悟る。
 子供独特の小高い声に、あちらも気づき、背の高い人物が走り寄ってきた。
 俺の目で確認することはできなかったが、感動の親子の再会は……きっとできたはずだ。
 ヨハンのとても嬉しそうな声が、地面の上からでもしっかり聞こえる。
 今俺は、地面に寝転んでいます。
 好き好んで寝転びたくはないけど、今回は致し方ない。自業自得だ。
 感動の親子の再会の数十秒前に、白と青のコンビが空気を読まず、二人の間を駆け抜け、後方で油断していた俺に、飛び込んできたからだ。

『ジークベルト!』
『主!』

 二匹の愛が物理的に痛い。
 全身、特に腰が……とても痛い。
 あれ? まだ少年のはずの俺が、この痛みを感じるのは、早すぎる……。
 二十年は先のはずだが……この歳で腰を痛めるのは、やばすぎる。
 魔力の無駄遣いだとは理解しているが、重点的に腰回りを意識して『聖水』を何度もかけたのは、内緒だ。
 若干一名、俺の行動を生暖かい目で見ている人がいるが、気にしないことにした。
 満足した二匹が、俺の上からおりる様子を見計らって、叔父の繊細な手が俺を抱き起した。
 いつものように俺の頭を数度なでると、すかさず『洗浄』をかけてくれる手際の良さは、さすがである。

「無事で何よりだよ。それにしても熱烈な歓迎をうけたね」
「ご心配をお掛けしました」
「うん。無事でよかったよ。そこのお嬢さんが説明にあった人物かな?」

 ハクたちの行動を微笑ましい様子で見ていた叔父から笑顔が消え、鋭い視線を俺のうしろに向けていた。
 その視線を受けたシルビアが腰を引きながらも、青白い顔して俺のマントを握っていた。
 俺は叔父の視線を遮るように、シルビアを囲う。
 いつのまに、うしろにいたんだ。
 シルビアの不可解な行動に戸惑いつつ、叔父に返事をする。


「はい。念話で伝えしましたが、記憶が曖昧なようで……」
「半魔とは、またすごいのを連れてくるね」

 叔父の視線がシルビアから俺に戻る。
 背後のシルビアから「ふぅ」との安堵したようなため息が聞こえる。

「アーベル家で保護はできますか?」
「あぁ、兄さんには報告済みだよ。純粋な魔族ではないので、国の保護の対象外だ。安心していいと、ジークに伝えてくれとのことだよ」
「それはよかった。よかったね、シルビア」

 叔父の言葉を聞き、背後のシルビアに声をかける。
 コクコクと頷いているが、顔は青白いままだ。
 俺たちを静観していた叔父から、もっともな指摘が入る。

「その子は、話せないのかい?」
「いいえ。普段はよく話します。だけど、突然、無言になるんです。度々そのような状況があったので、ヨハン君にも気にしないようにと伝えていました。それに、しばらく放置すれば元に戻っていますし、個性だと思っています」

 俺の説明に背後から強烈な訴えを感じたが、無視した。
 めずらしくヴィリー叔父さんが、戸惑っている。

「それは……なかなかの解釈だね」
「そうですか? 本人の自覚はないようですが、記憶をなくしたショックなのか、途中で奇声のような声も上げます」
「!?」

 抗議なのかマントを引っ張る力が強い気がする。

「記憶は、どこまであるのかな?」
「それが……、半魔であった頃の記憶は欠落しているようです。ただ知識は豊富です」
「残念だな。魔族の生態について当事者の体験を聞けるいい機会だと思ったんだけどね。非常に残念だよ」
「そうですね。シルビアにあるのは、おそらく本の知識ぐらいです。本人は半魔であることすら忘れているようですので」

 無難に叔父との会話を進めていく。
 ここまでは、予定通りだ。叔父が、シルビアに興味をなくしてくれれば、それでいい。
 叔父たちとの合流前に、シルビアの素性についてどうするか話合った。
 俺もシルビアも、ありのままを伝えることで、一致したが、ヘルプ機能から待ったがかかった。

 ***********************

 ご主人様、お話中に失礼します。
 あくまでも、私の意見ですが、駄犬が、神獣であることは伏せておくほうが懸命かと存じます。

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『誰が駄犬じゃ! ぐふぅ!?』

 シルビアの顔面を俺は手で抑える。
 本人の今後についての話のため、念話は切らないが、直接的な圧は加える。
 ヨハンは、魔テントで昼寝中のため、教育的な悪影響はない。
 ヘルプ機能、どうして神獣を隠す必要があるんだ?

 ***********************

 駄犬の性格はともかく、神獣はこの世界では、神に等しいものである認識です。
 その神獣を従えたとなれば、ご主人様は、神格化されます。

 ***********************

 それはいやだ。
 たしかに、ヘルプ機能の言うことは、一理ある。
 だけど、アーベル家だけで情報規制すれば、外に漏れる心配はないと思う。
 俺の考えが甘いのか……。
 ハクが聖獣であることは、まだ父上たちには、ばれてはいない。
 例外はあるけど『隠蔽』が、いい働きをしているのだ。
 看破されることはないと信じているが、ハクが成長するれば、主に能力面で聖獣であることが、ばれる可能性が高い。
 その前に、父上たちには、打ち明けないといけない。
 その時には、俺の生まれ持った特性も報告するつもりでもある。
 これが一番の解決法だと思っている。
 今さらだが、秘密を多く抱えるのは、あまりよろしくないのだ。
 綻びはいずれ起きる。
 それが早いか遅いか……。
 だけど、今ではないのは確かだ。
 俺の直感がそう言っている。

 ***********************

 私からの提案ですが、駄犬は、小人族と魔族の半魔であるとの説明が妥当かと思われます。
 駄犬の身体的特徴と年齢、ステータス状況を考えれば、代替え案としては最適かと存じます。

 ***********************

 魔族ねぇ……。
 シルビアを見ると満更ではない顔をしている。
 この世界の魔族は、絶滅危惧種に該当する。
 世界各国で保護の対象であり、手厚い対応が受けられる。
 魔族は、美貌、教養、能力を備えられた優秀な種族の筆頭なのだ。
 日本で定番の勇者が魔王を倒すなどといった一般的な魔族のイメージとは違う。
 この世界では重宝される種族なのである。
 一時期、迫害を受けて、その数を減らしてしまったのだが、それは別の話しだ。

『半魔とは、ちと気に食わんが、妾の今の姿からすれば致しかない。妾はそれでいいぞ』

 シルビアからも、了承がでる。
 うーん……。
 まだ時期ではないことを考えれば、神格化より、隠蔽を選ぶべきだ。
 また一つ、秘密が増えるが、それも暴露するまでの間だけだ。
 ここは仲間の助言を素直に受け入れよう。
 ヘルプ機能、半魔の情報を詳しく教えて欲しい。
 あと、ヴィリー叔父さんが、興味を示すと思うので、その対策を考えよう。

 ***********************

 承知しました。
 半魔の情報は、後ほど要点をまとめて報告いたします。
 ヴィリバルトの興味を逸らすには、駄犬が、一部記憶喪失であることが有効であるかと存じます。
 駄犬は、知識だけはございますので、そのままで、半魔で体験した出来事や過去の記憶だけが、抜け落ちている記憶障害と致しましょう。

 ***********************

『じゃから、妾は駄け、ぐふぅ』

 それでいこう。
 シルビア自身、演技ができるとは、思えない。
 このあと、ヘルプ機能と、想定される会話を何度も練習する。
 違和感なく、叔父の興味を逸らさせる。
 今回はそれでいい。
 そして、この作戦は功を奏した。
 俺との会話が続く中で、シルビアが半魔の記憶を持たないことを確信したのか、すーっと、興味をなくしたようにシルビアを見つめた叔父は、話題を変えた。
 叔父、とてもわかり易くて有難い。
 他の時もこんな感じでわかり易ければ苦労しないんだが……。

 最低限必要な情報をその場で交換し、一息をついたところで、大きな影が俺たちに近づいてきた。
 ニコライだ。
 エスタニア王国で、俺たちの専用護衛、主に俺の護衛をしてくれていた彼に、一番迷惑をかけた。
 謝罪をするため、一歩、彼に近づくと、神妙な顔付きのニコライと目が合い、彼の足が地面についた。

「ジークベルト、すまない」
「ニコライ様!? 頭を上げてください!」

 突然の彼の行動に、俺が慌てふためく。

「護衛として、失格だ」
「ニコライ様が、頭を下げる必要なんてありません。事前にぼくの巻き込まれ体質は、お伝えしましたよね。むしろ、ぼくの方が皆さんに謝罪しなければなりません。自分自身の影響を顧みず、勝手に行動した結果、多大なるご迷惑をお掛けしました。自己の甘さが招いた結果です。ご迷惑をお掛けして、誠に申し訳ございません」

 慌てて俺も頭を下げるが、ニコライからの返答がない。
 そっと様子を窺うと、頭を下げたまま、微動だにしないニコライの姿があった。
 ニコライ、なにがあった!?
 普段と違うニコライの行動に戸惑い、頭を上げるタイミングを逃してしまう。
 うわぁー。どうするよ。
 このまま二人してこの状況は、非常にまずい。
 周囲の心象を考えれば、頭を上げるべきだが、俺から先に上げるのは、今はしてはいけない気がする。
 どうする?
 どうするよー。
 俺の心の葛藤が聞こえたのか、お互い譲らない状況に、叔父が機転を利かす。

「はいはい。護衛の君もジークベルトも、頭を上げる。永遠にそうしているつもりかい?」

 その声に、俺は安堵して頭を上げる。
 ニコライは、渋々頭を上げるが、不貞腐れたような納得していない顔している。
 そして無言だ。
 まじで、どうした!?
 ニコライ、何があったの?
 俺が心で動揺していると、叔父が冷淡な声で、ニコライに話しかける。

「以前にも忠告したけれど、今後もそばに控えるつもりなら、周りの状況を見て行動するべきだね。主の意向に反する行動は、主の首を絞める。君の感情なんて関係ないんだよ。君はもう少し勉強するべきだ」

 叔父の言葉を受け、ニコライが一度俺を見たあとうなずくと、視線を叔父に戻した。

「少し頭を冷やします」
「そうだね。それがいい。護衛対象者から離れるのは、あまり褒められたものではないが、雇用者として、それを許可しよう。ただし、伯爵家に戻るまでには、頭を整理して、護衛に戻るように」
「ありがとうございます」

 ニコライは、軽く会釈して、その場を後にした。
 その姿になにかが、この数日で変わったんだと察しがつく。
 それが良いことなのか、悪いことなのか、俺には判断がつかない。
 だけど、俺の軽はずみな行動で、ニコライが責任を取らさせられるのは、理不尽だ。

「ヴィリー叔父さん」
「ジークには、関係のない話だ。彼とアーベル家の雇用契約の問題だからね。口出しは無用だよ」
「はい、わかっています。ですが、ぼくもアーベル家の者です。今回の件について、ニコライ様の護衛に問題はありませんでした」

 俺の真剣な訴えに、叔父は眉尻を下げて諭すように話す。

「それはわかっているよ。ジークの巻き込まれ体質は、事前に報告を受けているからね。だけど、これとそれは別問題だ。エスタニア王国での君たちの護衛は、私が兄さんに託されている。ここは大人同士の話し合いが必要なんだ。わかるね」
「はい。わかります。だけど、ぼく自身の影響に顧みず、行動したぼくにも責任はあります」

 叔父は俺の意見を肯定しつつ、その行動に釘をさした。

「そうだね。今回の件で、ジークも自身の影響力の範囲を把握できたね」
「大きすぎます。一貴族の子息に王族が気にかけるなんて、聞いたことがありません」
「ジークは『アーベル家の至宝』だからね」

 叔父がその表現を口にするのはめずらしい。

「ぼくが望んだものではありません」
「そうだね」
「それに、至宝の意味を教えてもらっていません」

 俺の皮肉めいた言葉を受け取った叔父は頭を横に振り、優しく俺の頭をなでた。

「まだ早い。もう少し大人になってからだね」

 やはりその答えを、返してくれない。
 ただ単に、叔父たちが、俺を溺愛して称した言葉ではないことはとうにわかっている。
 ヘルプ機能を使って調査を試みたが、その能力が全く機能しなかった。
 それだけではなく、数日間、ヘルプ機能が使用できなくなった。
 俺の力が及ばない大きな力に阻まれているようだ。
『アーベル家の至宝』それが意味する詳細は不明だ。



「とうさま!」

 子供独特の小高い声が、森の中で響く。
 先頭にいたバルシュミーデ伯爵が、隊の列から外れ、一直線に声の主の方へ走っていく。
 伯爵からは、ここ数日醸しだされていた威圧感が消え、息子の無事に安堵する父親の顔となっていた。
 その後方で、ニコライの『生涯の主』になるであろう人物が、白と青の二匹に押し潰され地面に伏せていた。
 その姿に、ニコライは胸をなでおろした。

 ジークベルト・フォン・アーベル

 現在の護衛対象であり、バーデン家の恩人だ。
 類い稀な才能の持ち主でもある。
 本人は隠しているつもりだが、周囲にはバレバレで、アーベル家の人々が影ながらジークベルトを支えている。
 老若男女、種族問わず人を惹きつける魅力もあり、無下にできないお人好しの性格から厄介事をたびたび背負う、器用馬鹿人誑しの苦労人だ。
 ニコライとの出会いは、白の森。
 テオバルトの腰にも届かない身長で、必死にテオバルトの歩幅に合わせてヨタヨタと歩く姿は、ヒヨコのようで愛らしく、ニコライに庇護欲を掻き立てさせた。
 際立った容姿に、特徴的な紫の瞳と銀色の髪が印象を濃くし、幼児とは思えない完璧な挨拶に、当初の目的を忘れ、興味が湧いたのをニコライは鮮明に覚えている。
 そして、同行したホワイトラビットの戦闘で止めを刺された。
 戦闘能力の高さと才能に度肝をぬかれ、ニコライが生涯勝てないと戦わずして負けを悟った相手でもある。
 ニコライの記憶に、ジークベルトとの初対面の印象をより濃く植えつけたのは、そのあとに起こった出来事が大きく関係している。
 ホワイトラビットの同行後すぐにテオバルトに呼び出され、警告を受けたのだ。
 それはあまりにも衝撃だった。

「ニコライ、君を信じている。ジークの能力は他言無用だ。万一漏れることがあれば、僕は君を抹殺する。君が僕の敵になることはないと、信じているよ」

 人格者であるテオバルトが、殺気を隠さずにニコライに警告と言う名の脅迫をした。
 親友からの抹殺宣言に、動揺がないはずもなく、彼は言葉を失った。
 正に青天の霹靂とはこのことだった。

 ふと、ニコライは思う。
 俺がテオと同じ立場であれば、セラを守るために同じ宣言ができるだろうか。
 しかし、すぐに考えることをやめる。
 仮説を立てても、実際の立場でなければ分からないことが多い。
 そう思うと、考えること自体が馬鹿馬鹿しくなったのだ。
 この件は『重度のブラコンが起こした過保護な警告だった』と、ニコライは片付けることにした。

 その後、テオバルトの心配をよそに、ジークベルトは、その能力を発揮する。
 本人は一生懸命隠そうとしているが、放たれる魔法の異常さを本人が自覚していない。
 人の苦労も知らず、鈍感すぎるテオの弟に、ニコライは苦笑いしかでない。
 テオバルトとは、暗黙の了解でジークベルトを守る方向で動いていた。
 もうこの時には、ニコライの運命は大きく変わっていたのだと今になって、ニコライは自覚した。
 その後も途切れることなく関係は続き、ジークベルトは、ニコライの妹セラを治療できる唯一の人物となった。
 バーデン家に忠実だった侍女のハンナ、その夫のヤンも、ジークベルトに心を許し、セラの治療を任せている。
 そしてなによりセラが、ジークベルトへ好意を示していた。
 その現実を受け入れつつも、ジークベルトを『生涯の主』として仕えるか、ニコライは迷っていた。

『アーベル家の専属でいい。答えを出す必要はない』
『迷う理由がわからない。答えは一つだけだ。君の中にすでにあるはずだ』

 ニコライの葛藤を知ったギルベルトは、ニコライに猶予を与えてくれたが、赤の魔術師であるヴィリバルトがそれを許さない。

『癪だが、赤の言葉は正しい』

 ニコライの主は、アーベル家当主ギルベルト、次期当主アルベルトではなく、ジークベルトなのだ。
 ニコライ自身が肌で感じ、心はすでに決まっていた。
 だが、迷いがでた。
『ジークベルトに、俺は必要なのか』と、いつもそこで立ち止まる。
 なにか問題が起きても、ジークベルトは自力で解決する。
 聡明さと秘めた力で前に進むその姿に、俺の存在意義はと。主に必要とされない護衛など護衛ではない。
 そうではないその確証が欲しい。
 エスタニア王国での護衛がいい機会になると思い、ニコライは気を引き締めた。
 迷いを吹き飛ばし、答えを出すと決意した矢先に起きた事件だった。


 ***


「ジークベルト!」

 叫びと共に伸ばした手は、虚空を掴んだ。
 ニコライをあざ笑うかのように、ジークベルトがいたその場所は、静かにただ砂が舞っていた。
 眼前で、ジークベルトが消えた。
 細心の注意を払っていたはずが、このザマだ。
「くそっ!」と、額に手をあて髪を鷲掴む。
 自身の行動の甘さに叱咤する。
 伯爵の子息ヨハンが、親善試合の結果に癇癪を起し、その場を走っていったのを見て、ジークベルトがそのあとを慌てて追いかけていった。
 主の行動を予測していたニコライも、距離を保ちつつ、ふたりを追いかけた。
 敷地内で会話をするふたり。だが、ヨハンの魔力暴走に拍車がかかっている。
 魔力暴走。
 魔力制御が未熟な子供に起こる症状だ。
 尊敬してやまない父親の敗北をヨハンは受け入れられないのだろう。
 頭では理解しているが、気持ちが追いつかないってことだ。
 気持ちは、すげぇー、わかるけどな。
 年齢もそう変わらない相手が、尊敬する父親に勝ったのだ。
 色んな意味で内心複雑なのだろう。
 ヨハンをこれ以上刺激するのは得策ではない。
 ここはジークベルトに任せ、ふたりとの距離をあけるべきだ。
 ニコライが、後退するそう判断した時、ヨハンの手元にある『移動石』に気づく。

「なぜ、ヨハンがそれを持っている!? ジークベルト!」

 ニコライが駈け出した時には遅く、移動石特有の光が辺り一面に広がっていた。


 ***


「すまない。護衛として失格だ」
「気に病むことはないよ。あの場合は致し方ない。私であっても対処はできないからね」

 ヴィリバルトの意外な気遣いに、ニコライの眉間の皺が深まる。
 ニコライは、なにかを耐えるように拳を握りしめ、俯いたまま言葉をつなげる。

「だが俺は、ギルベルト様にジークベルトの護衛を頼まれた。護衛対象が、眼前で消えるなんて失態、護衛として失格だ」
「君の性格からすれば、納得しないか。変な所、面倒だね、君」

 ヴィリバルトが呆れたような声を出した。
 その態度に、ニコライが憤慨する。

「当り前だろ! 俺は真面目に話をしているんだ!」
「雇主が、不問に処すと言っているんだよ? あぁ、エスタニア王国内での君の雇主は、兄さんではなく、私だからね。ジークの巻き込まれ体質は、本人から事前に説明があったから、策はとってある。ジークの命に危険が迫れば、身を守る程度にはね。なので慌てる必要はない。君も聞いていただろう? 『ぼくの体質でなにかに巻き込まれることがあれば、それはニコライ様の責任ではないので、処分などはしないで下さい』とね」
「それは……」

 事前に聞かされていたジークベルトの『巻き込まれ体質』を持ちだされ、ニコライは言葉に詰まる。

「甘すぎるとしても、これはジークの意志だ。ジークは、君のことを大事にしているし、とても信頼している。憎らしいくらいね」
「……」
「まぁ私の方が、君の数十倍は信頼されているけどね。さぁこの話は以上だ。しばらくすれば、ジークから『報告』が入るだろう」

 もう話がないと、ヴィリバルトがその場を退席する。
 閉じられた扉の前で、ニコライは、ヴィリバルトに一言も反論できなかった自身の情けなさにギリッと歯を食いしばる。
 ヴィリバルトの言い分は、筋が通っており、事後対策も完璧だった。

「だが俺は、何も策を講じなかった。赤は対処していたのに……」

 ニコライの拳が震える。
 物理的ではなく、間接的にでも対処の方法はあったはずだ。
 ジークベルトの護衛であるはずの俺は、何もしなかった。
 その事実が、彼をさらに苦しめる。

「なにが、護衛だ!」

 バンッと、壁を叩く音が、部屋に響く。
 ニコライの頭の中で『護衛失格。護衛失格──』との言葉がリフレインする。

「あぁ、そうだ。チビは、いつでも俺の前を走っていく」

 ニコライは、迷いの答えが見えた気がした。
 一番欲しくない確証が、近づいてくる。

「やはり俺は、チビには不要なのか──」

 その問いかけに、答えるものはいなかった。



「──ということです。ジークからの報告は全てです」
「わかった。ヴィリバルト、エスタニア王国での行動を許可するよ。ただし内密に動いてくれ。派手な動きをされると、フォローができないからね」
「御意。殿下、夜分遅くまでありがとうございます」

 ヴィリバルトが報告を終え、ユリウス王太子殿下に謝儀をする。
 それを見届けた殿下は、体から力を抜き、一瞬表情を崩すと、その場から立ち去る。

「ジークベルトの無事が確信できてよかったよ。では、私は城に戻ることにする。アルベルト行くよ」
「はい」

 殿下のあとを追うアルベルトの前に、ヴィリバルトが奇妙な形をした魔道具を差し出した。

「アル、念のためこれを所持しておくように」
「叔父上、これは?」
「私が作成した魔道具だよ。使い方はそこに記載があるので、熟知しておくように」
「はい」

 アルベルトはヴィリバルトからその魔道具を受け取ると、殿下のあとを追った。
 ジークベルトの安否と現状報告が入ると、集まった関係者が各々に退室していく。
 騒いでいたハクやスラも、ジークベルトと念話したことにより、落ち着きを取り戻していた。
 テオバルトに促され、二匹も部屋から退室していた。
 その場に残ったのは、ヴィリバルトとニコライのふたりだった。

「なにか話があるのかな」
「俺をジークベルトの護衛から外して欲しい」

 ニコライの申し出に、表情ひとつ崩さないヴィリバルト。
 その態度から『俺の護衛辞退は想定内か』と、ニコライは思った。

「君はアーベル家の教育を受けたはずだよね」

 突然の教育話しに、ニコライは怪訝な表情をしつつ「あぁ」と、うなずく。

「アーベルの至宝、現在(いま)は、ジークベルトだ。この意味がわかるね」

 あたり前(・・・・)のことを言うヴィリバルトに、ニコライは不信感が湧く。
 アーベル家の教育を受ける前から、ジークベルトが『アーベル家の至宝』であることをニコライは、知って(・・・)いた。
 いつ知ったのかは思い出せないが、それが世界の常識(・・・・・)だ。
 そう言えば、なぜあたり前なんだ。
 疑問が次々と出てくる。ふとニコライが、それを口にした。

「なぜ、ジークベルトなんだ」
「さぁ、あれは(・・・)気まぐれだからね。私にも予想はつかないよ」

 ヴィリバルトの赤い瞳が、驚きに満ちたように大きく見開くと、ニコライの疑問に答えた。
 ヴィリバルトの声が、ニコライの思考に靄をかける。
『赤はなんて言った。あれは、あれとは』と、急にニコライの頭が重くなる。
 一瞬記憶が飛んだニコライは、さきほど自身に訪れた体調の不和を忘れ、平然とした顔でヴィリバルトに質問をなげかける。

「害はないと聞いた。幾ばくか恩恵はあるのだろう」
あれが(・・・)、気まぐれで与えればね。代々の『至宝』が恩恵を得られたわけでもない。先代の義姉さんは、恩恵もなく亡くなったからね」
「あれが? つぅ……」

 再びニコライの頭が重くなり、記憶が飛ぶ。
 しかし本人はそれに気づきもせず、ヴィリバルトに詰め寄った。

「害があるのか!? ジークベルトが死ぬ可能性があるのか!?」
「落ち着きなよ。誰も死ぬとは言っていない」

 ヴィリバルトの淡々とした態度で、そばまで寄っていたニコライが一歩下がる。

「すまない」
「勘違いしないでほしい。義姉さんの死因は、至宝が直接の原因ではないよ。まぁそれも含めて、気に食わないのだろう。私が拒否したことも」

 ヴィリバルトの苛立ちがニコライにも伝わる。
 誰か(・・)に怒っているのを察するが、誰かは(・・・)考えてはいけない。
 ニコライの瞳から光が消える。
 ヴィリバルトはその様子を確認したあと、なにもなかったように話しを進めた。

「こちらの話だ。『至宝』はただの固有名称さ。ただ世界における影響は大きい。我が国の王太子が、現至宝であるジークベルトの行方を案じていた事を見ればわかるね。ジークベルトは、屋敷で大人しくいるタイプではない。今後さらに厄介事が増えるのは、目に見えている」
「……っ」

 ニコライが、唇を噛み締める。
 その仕草に気づいたヴィリバルトは、ニコライに追い打ちをかけた。

「君が何を迷っているのかは大体予想がつく。護衛を外して欲しいとの要望もそれだろ。そもそもその考え自体が馬鹿らしいと思わないのかい?」
「俺は真面目に悩んでいるんだ!」

 ニコライの心の悲鳴が、叫びとなって、部屋に響いた。
 ヴィリバルトが、両手を広げ呆れた様子で、確信をつく。

「だからその悩み自体が、馬鹿らしいと言っているんだよ。ジークベルトは規格外だ。規格外に仕える。その意味は経験したからわかるだろう。君自身なんて、ジークと比べれば、ちっぽけな存在にしかすぎない。一般的な護衛とは違うんだ。そこに君の存在意義を求めるのは、おかしいんだよ。あとは……そうだね、君自身のプライドが、判断の邪魔をしているとしか思えない」
「そっ、それは……」

 ほんの少しあった邪な気持ちをヴィリバルトに暴かれ、ニコライが言葉を失う。

「規格外の護衛に求めることは、常に主の意向に沿って動けること。ただそれだけだ。現に君はできていると思うけどね」
「はっ?」

 ニコライの反応を見たヴィリバルトは『無意識の行動こそ、真に求めているものだよ。それに気づかないうちはまだまだ……』と思いながらも『困ったことに、嫌いではないんだよね』と、全身から大きなため息を吐く。

「私も甘いな。今回だけだよ。ハクとスラ、王女とエマの精神的負荷を緩和させたよね。適切な処置だった。今回はテオも一緒だったけどね。一時はどうなるかと思ったよ。それだけでジークの護衛としての役目はできているよ」
「それはあたり前だろ。ジークベルトがいなければ、あいつらは騒ぎだす。それを抑える行動をするのはあたり前だろ。あとでジークベルトの負担になれば、あいつら自身が悲しむしな」
「うん。君はジークの護衛として適任だよ。私が君をジークの護衛から外すことはない」
「はぁ?」

 ヴィリバルトが、ニコライの行動を肯定すると、ジークベルトの護衛からは外さないと言ってのけた。
 ニコライは、早急すぎる話しの展開についていけない。

「主の意向に沿って動けること。それだけだ。もう答えは教えてあげないよ。よくよく考えることだね。さて私の話は終わったので帰るよ。これからもジークの専任護衛として頼むよ」
「おいっ! ちっ、転移しやがった……」

 ひとりとなった部屋で、ニコライはヴィリバルトに言われたことを反復する。

「なにが専任護衛だ。俺は護衛の辞退を申し出て……あっ? 待て。よく思い出せ。赤が俺に頼むなんて、言うはず……、言ったよな? 夢か? いっ、痛ぇ! 夢じゃねぇ! 待て待て。落ち着け。そもそも俺は、赤にジークベルトの護衛を外すよう懇願したはずだ。それで俺の痛いところを突かれて、赤にジークベルトの護衛に求められるものは、防衛の護衛が重点ではなく、ジークベルトの意向に沿って動ける者だと言われ、俺の行動が既にそれをしていると、結論、専任護衛頼む……。はぁ、意味わかんねぇぞ!」

 ニコライが部屋で悶々と騒いでいると、エマの声が聞こえた。

「ニコライ様! まだこちらにいらっしゃったのですね! スラ様がニコライ様をお呼びです」
「スラのやつ、また寂しいってか」
「うふふ。スラ様は、寂しがり屋さんですからね。ジークベルト様がそばにいなくて、代わりに誰かのそばに居たいのでしょう」
「しかたねぇな。代わりは必要だしな」
「あっ、今のはニコライ様以外でもいいってわけではありませんよ。スラ様はニコライ様をご指定されていますからね!」

 エマが念を押すようにそれを指摘する。
 ふと、ニコライは第三者の声を聞きたくなった。

「なぁ、エマ。俺は、ジークベルトの役に立っているか?」
「もちろんです! ジークベルト様がいない時に私たちを支えてくれているじゃないですか!」

 即答したエマに、ニコライは戸惑う。
 その信頼された顔を前に『答えはまだ見つからないが、今はそれでいい。護衛失格だが、俺にもできることはある』と、自信を少し取り戻す。

「……そうか。スラを待たせると後が恐いな。行くぞ、エマ」
「はい!」

 ニコライの呼びかけに、エマの元気な返事が部屋に響いた。