ベビースライムの名前をつけるにあたり、悩みに悩んだ。
 悲しいかな、俺のボキャブラリーのなさが露呈した。
 候補としてあがった名前がこの三択だった。

 スラリン
 ピエール
 ブルー

 ここでまさかの前世の知識が介入。あとは身体的特徴で、あははは……。
 頭を悩ませていたら、エマが「スラ様、オークの肉のおかわりいかがですか」と、ベビースライムに声をかけていた。
 あれ? 俺? 名前の候補、口に出したかな?
「ピッ!〈いる!〉」と、本人も受け入れているようだし、名前はスラに決定だ。
 名付け親となったエマは──ベビースライム様は長い、ベビー様はなんとなく嫌がられる。
 スライム様は個人的に嫌。
 スライムから二文字取ってスラ様と呼ぼう──と、安易に考えた仮名がまさか本名になるとはと、狼狽していたが、スラ本人も気に入っているようだし、それ採用です。
 悩んでいたことが、こうもあっさり解決して、気分が急上昇する。
 目の前にあるオークの肉を頬張る。
 やはり癖になる味だ。冒険の醍醐味ですね。
 前世で例えるなら、某テーマパークで店頭販売され、行列の長さに買うか悩むが、来たからには食べたいと購入して満足するあの商品と一緒なのだ。
 すごく具体的な例えだけど、わかってもらえると思う。
 食事も一段落したところで、テオ兄さんに呼出された。

「ジーク、迷宮に滞在できるのは、セラ殿の病状を考えれば、あと三日ぐらいだろうか」
「いやテオ、『魔草』で抑えられるぞ。五日は大丈夫だろう。チビの治療のおかげで、腫れも気泡もなくなった。光魔法もマリアンネ嬢のおかげで上達しているしな」
「そうですね。五日は大丈夫でしょうが、腫れないだけで気泡は出ますよ。やはり気泡でも嫌でしょう。早目に踏破する予定でお願いします」
「セラはそれぐらい気にしないぞ。迷宮に長居することは事前に承諾済みだ。できれば腫れる前に踏破してほしいが、腫れてもチビに治療してもらえるからいいってさ。だけど破裂前には帰宅してとのことだ」
「それはまた、ご令嬢としては豪胆だね」
「だろう。さすが俺の妹だ。だからセラを気にして踏破を急がなくてもいい。それよりチビ、俺はお前に聞きたいことがある。お前の治療だが、どういったもんなんだ」

 突然の振りに、セラの艶かしい姿を思い出し、声が裏返ってしまう。

「そっそれは、企業秘密です」
「キギョウ? ってか『赤の魔術師』に口止めされてるのはわかるけど、お前もセラも治療の話題になると、極端に動揺して、なぜに頬を染める。現に今のお前も赤いし、動揺している。お前らふたりでなにやってんだ」
「べっ、べつに、いやらしいことなんてしません」
「誰もそんなこと聞いてないだろう。どういうことだ」
「黙秘します」

 ニコライの目が笑っていない。
 俺、殺される。
 あれは治療であって、うしろめたいことなどないはずだ。それに子供の俺にどうこうできるわけはないが、だが言えない。言えるはずがない。
 どれだけ脅されても黙秘だ。徹底的に黙秘である。
 ヘルプ機能が調査した結果、『吸収』で、あのような快感を感じるのは、相当まれであり、天文学的数字でふたりの魔力の相性がいいとのことだった。
 一般的な『吸収』では、日光浴をした感覚の気持ちいいと思うぐらいなのだ。
 何歳までこの治療を続けるのかはわからない。セラのレベルが魔力飽和に追いつくまでだ。
 たしかに成人になってこの治療をすればいろいろと問題だ。
 特に俺が、我慢できるのか自信がない。
 それに最近のセラは、顔の腫れも引き、フードをかぶらず顔を出している。
 目の前で美少女が口に手をあて、必死に快感に耐えている姿は生々しすぎる。
 ニコライと同じ金髪がしっとりと汗をかく姿は、色気ムンムンです。
『吸収』が終わった後は、ふたりしてモジモジしてしまうのは、許してほしい。
 治療後すぐに部屋から出ることも考えたが、セラの状態はまさに情事の後である。
 隠蔽ではないが、落ち着くまでふたりで何気ない会話をして時間をつぶすのだ。
 セラの侍女ハンナは、治療内容をなんとなく察しているようで、俺の治療後は、すぐに風呂と着替えを用意している。
 優秀な侍女は口が堅いのだ。
 そういえば、事前にマリー姉様からハンナには注意するようにと忠告されていた。
 ハンナの俺に対する態度はとても良好である。
 どちらかといえば、将来の主人に対するような対応である。
 あれ? ハンナ、アーベル家の教育まだだよね。
 ドッと嫌な汗が湧いてきた。


 ***


 今後の方針について、テオ兄さんが全員に説明を始める。

「エスタニア王国で開催される武道大会まで、あと一ヶ月。時間がないことも関係しているが、今回のアン・フェンガーの迷宮の目的は、踏破と各々のレベルアップだ。特にディアーナ様への刺客に対する自己防衛は、最低限必要なのはわかるね」
「「はい」」
「いい返事だ。昨日話し合った結果、レベルを重点的に上げようと考えたが、一気に踏破することにした」
「それはどういうことでしょうか」
「迷宮では、踏破すると到達ボーナスがもらえる。これは何度挑戦しても、もらえるものなんだ」
「到達ボーナスを狙うということでしょうか」
「その通り。アン・フェンガーの迷宮は、最下層が十五階だ。それを最低三回繰り返す」
「テオバルト様、迷宮の到達ボーナスは、迷宮の難易度に準ずると習いました。アン・フェンガーの迷宮は、初心者向けの迷宮ですよね。到達ボーナスは期待できないのではないでしょうか」
「そこだよね。ここには『幸運者』の称号持ちのジークがいる。到達ボーナスは、その人の運値に非常に影響されるとの結果が出ているんだ。この意味わかるよね。狙いは『スキル玉』だ」

 テオ兄さんの説明にディアーナは納得してうなずき、「ジークベルト様は、称号持ちなのですね」と、俺を尊敬の眼差しで見つめる。俺は苦笑いしつつ、『俺の称号は、幸運者だけではなく、苦労人もあるんだ』と心の中でつぶやいた。

 迷宮の到達ボーナスは、一階から最下層までの各階を歩き、最下層まで到達するともらえるのだ。ただその間に階層スポットを使用して、ショートカットをすれば、到達とは満たされず、到達ボーナスはもらえない。ただし、一階から十階まで歩き、階層スポットでいったん迷宮の外に出て、再度十階から挑戦した場合は、もらえるのだ。
 どのように判断しているのかは不明だが、踏破の条件として各階の階段を通すことがポイントのような気がする。そして踏破すれば、リセットされる。
 ある冒険者が気まぐれで二回目の踏破をした際、到達ボーナスがもらえた。初回ボーナスと考えていた者が多かったため、目からウロコだったようだ。

「効率よく踏破するため、各自のレベルを確認しようと思う。ちなみに僕はLv24だ。ニコライはLv27だったよね」
「この前上がって、Lv28だ」
「あのー。レベルの確認でしたら、ジークベルト様にお尋ねください。ステータス値も正確に教えていただけますし、ハク様やスラ様のレベルもご存じのはずです」

 エマが、おずおずと発言する。
 あちゃーエマ、そこでその話題出すの。
 たしかにレベルやステータス値は、俺が皆に公開していた。お互いの強さがわかれば動きやすいと判断したためだ。
 口止めを忘れていた。俺の不手際だ。

「チビ、お前『鑑定』が使えるのか」
「そうですね、使えないこともないです」
「鑑定レベルが低いのかい」
「はい。僕はLv16ですので、テオ兄さんやニコライ様のステータスは確認できません」

 ここは鑑定レベルが低いことにしよう。レベルが高い人のステータスは確認できないので、ちょうどいい。俺の隠蔽ステータスに鑑定を追加しないと。


 **********************

 ご主人様、お任せください。私が追加しておきます。

 **********************


 ヘルプ機能から報告が入る。
 俺がLv15になった時点で、ヘルプ機能は鑑定を使用せずとも自由に発言ができるようになった。
 もうこれヘルプ機能ではないよね。俺の役立つ情報や作業を率先してやってくれる。
 ヘルプ機能と定着しているが、呼び名も変えたほうがいいよね。


 **********************

 ヘルプ機能でも、よろしいのですよ。
 ご主人様が名前をつけてくださるなら、うれしいです。
 できればかわいく清楚で気品がある名前を望みます。

 **********************


 それもう要望だから。時間が欲しいです。
 俺のボキャブラリーのなさは、知っているでしょ。


 **********************

 はい。もちろんです。
 ここで急かして、大変不名誉な名前をつけられたら困ります。

 **********************


 おいっ。ヘルプ機能!
 いくら俺でも常識はある。


 **********************

 前例があります。

 **********************


 ぐうの音も出ない。

「テオ兄さん、これが現在の皆のレベルとステータス値です」

 魔法袋から、一枚の紙を出しそれぞれのステータス値を書き加える。もちろん、俺とハクのステータス値は隠蔽している。
 現在のそれぞれのレベルとステ値はこれである。


 ***********************
 ジークベルト・フォン・アーベル
 Lv:16
 HP:310/310
 MP:1750/1750
 魔力:1750
 攻撃:310
 防御:310
 敏捷:310
 運:500
 ***********************


 ***********************
 ハク
 Lv:11
 HP:450/450  
 MP:370/370
 魔力:410
 攻撃:330
 防御:270
 俊敏:480
 運:150
 ***********************


 ***********************
 スラ
 Lv:1
 HP:10/10
 MP:10/10
 魔力:10
 攻撃:10
 防御:10
 俊敏:10
 運:10
 ***********************


 ***********************
 ディアーナ・フォン・エスタニア
 Lv:10
 HP:68/68
 MP:78/78
 魔力:84
 攻撃:56
 防御:61
 敏捷:53
 運:21
 ***********************


 ***********************
 エマ・グレンジャー
 Lv:10
 HP:62/62
 MP:10/10
 魔力:12
 攻撃:27
 防御:40
 敏捷:10
 運:8
 ***********************


 エマのステータス値の低さがわかるだろう。
 HPと防御、及第点で攻撃以外は壊滅的な低さだ。
 Lv1のスラと同じである。
 ちなみに、テオ兄さんたちのステータスはこれだ。


 ***********************
 テオバルト・フォン・アーベル
 Lv:24
 HP:163/163
 MP:151/151
 魔力:139
 攻撃:146
 防御:182
 敏捷:218
 運:84
 ***********************


 ***********************
 ニコライ・フォン・バーデン
 Lv:28
 HP:198/198
 MP:159/159
 魔力:140
 攻撃:229
 防御:154
 敏捷:134
 運:56
 ***********************


 テオ兄さんは、平均的にステータス値が高く、特に敏捷は群を抜く高さだ。
 陰に隠れているけど優秀なのだ。
 まぁ理由は、称号『日陰人』の影響が大きいのだろう。
 ニコライは、やはりパワー系の魔法戦士だ。攻撃とHPの高さがそれを表している。

「チビ、これまじか……」
「エマのステータスは、絶望的だね。あははははっ。昨日の理由がよくわかったよ。僕の判断は正しいね。ジーク、短剣のスキル玉を絶対に確保するんだ。もしくは身体能力系のスキル玉だ」

 ニコライは紙の内容を見て、絶句。
 テオ兄さんは、俺の肩をガッチリと掴み、厳命する。
 昨日との本気度合いが違う。
 初心者の迷宮で、俺の幸運値と称号が、到達ボーナスの獲得にどれだけ影響するかわからないが、かけてみる価値はあるとの話ではなかったか。妙なプレッシャーがかかる。
 これも苦労人の称号のせいだ。



 アン・フェンガーの迷宮は、全階層洞窟の迷宮である。また小規模のため、比較的、踏破に時間はかからない。
 トップ冒険者であれば、一日足らずで踏破が可能である。
 俺、ニコライ、テオ兄さん、三人が戦闘に加わったパーティーは、とどまることなく、一気に十二階層までたどり着いた。


「いったんここで休憩だね」
「ピッ!〈肉!〉」

 ニコライの肩からスラが飛び降りると、すぐエマにオークの肉を要望する。
 そのスラをヒョイッとつまみ「お前、話がある」と、ニコライが連れ出した。
「ピーッ〈はなせー〉」と叫んでいるが、スラの自業自得だと思う。
 スラは、この十二階層までに、Lv4となっている。
 この短時間に、瞬殺だと脅されていたベビースライムが、格上の魔物を仕留めているのだ。
 それには理由がある。
 ニコライが、魔法剣で無双中に、仕留め損ねた魔物を次から次へ横からかっさらう暴挙に出たのだ。
 なんとも狡賢い作戦である。
 ニコライが、無言で飼い主である俺に訴えていたが、見て見ぬふりをした。
 セラのためだ。スラのレベル上げは必須なのだ。

「あの子は、なかなかの逸材だね。ジークと魔契約をしただけはあるよ」
「テオ兄さん、スラの前では褒め言葉は禁止ですよ。調子に乗りますからね」
「わかっているよ。敵視していたニコライの肩に乗った時は、驚いたけど、まさか横取りするためだったなんて、想像つくかい」
「僕も、びっくりしました」
「しかも、一発で仕留められるほど弱った魔物しか狙っていない。自分の力量を把握できているね。それにしてもあの攻撃、種族特有のものかい」
「分離した攻撃ですよね。あれはスラの固有スキルのようです」
「通常のスライムでも分離できるのだろうか。これはヴィリー叔父さんに報告して……」

 テオ兄さんは、ブツブツと独り言をつぶやきながら、顎の下に手を置き、考え始めた。
 こうなると、外部からなにを言っても無駄だ。
 考えがまとまるまでは放置だね。
 スラの攻撃は特殊で、体から針の形をした物を作り出し、それを敵の急所に向け発射する。
 攻撃をした後は、若干体が小さくなっている。まさに身を削って攻撃をしているのだ。
 スラは固有スキルの『分離』と『擬態』をうまく使っている。


 ***********************
 スラ オス 0才
 種族:ベビースライム特種体
 Lv:4
 HP:40/40
 MP:40/40
 魔力:40
 攻撃:40
 防御:40
 俊敏:40
 運:25
 魔属性:闇・無

 固有スキル:分離Lv-・吸収Lv-・擬態Lv1

 魔契約:ジークベルト・フォン・アーベル
 ***********************


 固有スキルの分離は、体を分離することはもちろん、体内に吸収したものを分離する能力もある。
 例えば毒薬を吸収すれば、毒だけを分離して切り離すこともできるのだ。
 擬態は文字通り、ほかのものの姿に似せることができる。
 ただレベルが低いので精密なものはできない。
 今は針の形をしたもので精いっぱいのようだ。
 吸収は、あらゆるものを吸収できる能力だ。
 魔力を吸収しても、分離で分散できるのだ。
 ただしこのスキルも、魔力に準ずる。魔力が高ければ安定した吸収が可能になるというわけだ。
 武道大会で留守番となるセラの強力なサポートになるのだ。

「ピー〈たすけてー〉」
「うわぁ」

 スラが叫びながら俺に飛び乗り、肩までよじ登ると、首筋にピタッと張りつく。
 そこへ息を荒らげたニコライが走ってくる。

「はぁはぁ……っ、チビ、そいつを渡せ。そいつの根性叩きなおしてやる」
「ニコライ様、落ち着いてください。スラのレベル上げは、セラのためにもなります」
「セラのためだと」
「そうです。今回のやり方は、僕もどうかと思いますので、ちゃんと言い聞かせます。ただスラのレベル上げは必要です」
「ピッ〈そうだぞ〉」
「スラ、少し黙っていようか」
「ピッ〈わかった〉」
「レベルが上がれば、スラの固有スキルも安定します。武道大会中の懸念事項も解消されます。手伝ってくれるよね、スラ」
「ピッ!〈もちろん!〉」

 俺の肩の上で、飛び跳ねるスラをとらえながら、ニコライが苦虫を噛みつぶしたような顔をした。

「ちッ、今回だけだからな」
「ありがとうございます。そのぉー。甘えて申し訳ないんですが、スラはまだ低レベルです。できれば、戦闘中はスラを肩にのせてください。仕損じた魔物をスラに与えてあげてください」
「……っ。今回だけだからな」

 ニコライは、一瞬言葉を飲み込むと不承不承ながら頷く。
 俺はニコライに頭を下げた。

「ありがとうございます」

 了承してくれてよかった。
 これでスラのレベルはある程度上がるだろう。
 すごく怒ると思うが、ニコライとスラは、いいコンビだと思う。
 俺も言えた義理ではないが、ニコライの魔法剣はまだまだ隙がある。
 仕損じた魔物をスラが仕留めているのは、戦闘上、とても合理的である。
 あとはお互い距離を縮めれば円満なんだけどなぁ。
「ピ?〈どうした?〉」 と、肩にいるスラが飛び跳ねる。
「なんでもないよ」と、スラの体をなで、この騒動にも微動だにしないで、考え込んでいるテオ兄さんを横目で見た。
 相談したいことがあったけど、この様子では時間がないし、一度、踏破してからだなと思う。
 実は十二階層の地図内に、隠し部屋を発見したのだ。
 魔物の反応はなく、宝箱だけがあるようだ。
 この隠し部屋は、十三階層の階段と真逆に位置するため、休憩中に相談する予定だったが、ここは踏破を優先することにする。



 スムーズに十五階層、アン・フェンガーの迷宮の最下層へたどり着いた。
 途中ニコライとスラが、またもめていたがそこは完全スルーだ。
 最下層は、ダンジョンと同じく魔物の気配がない。ただ違う点は、扉がなく広い空間の中心に人型の石像があり、そのうしろに階層スポットがあるだけだ。
 あの石像の前で到達ボーナスがもらえるのだろう。
 遠目だが石像のシルエットが誰かに似ていることに気づく。
 近づくにつれそれが確信に変わり、思わず声に出していた。

「生死案内人!?」
「ジーク? この像は迷宮の守り神だよ。この像が持っている箱を回すと、目の前に到達ボーナスが現れるんだよ」
「うわぁ、ガラポンだ」
「ガラポン? ジーク大丈夫かい?」

 急に膝をつき奇妙な言葉を発した俺に、テオ兄さん含め全員がそばに駆け寄ってくる。
 心配顔の面々に「大丈夫です」と、手を上げ、精神ダメージから回復するのを待つ。
 石像だけど、まさかの再会に驚いた。
 生死案内人、こんなところでなにやってるの。
 迷宮の守り神って……。
 日本での仕様とは若干異なるが、玉の代わりに商品が現れるだけで、ガラポンだよね、それ。

 ガラポンを回す順番はくじで決め、ディア、エマ、テオ兄さん、ニコライ、俺に決まった。
 ハクとスラは到達ボーナスがもらえないのか、くじさえ用意されていなかった。
 二匹とも元気にしているが、未練はあるようで、ガラポンをチラチラと見ている。
 んー……。
 もらえないかもしれないが、物は試しだ。全員が回した後、提案してみよう。

「では回しますね」

 やや緊張した顔をしたディアーナが、箱を回すと、ピカッと光り、目の前に白い袋が現れる。
 その中身は、MP回復薬が三個、HP回復薬が五個であった。
 これはいい商品なのか。テオ兄さんたちに目配せすると、まずまずといった感じだった。

「次は私ですね。なんだかわくわくします」

 エマがうれしそうに箱を回すと、光と共に、目の前に茶色の物体が現れる。
 タワシだ。
 ここでお決まりの商品を出すところが、さすがエマだ。
 というか、日本産の物を異世界に持ち出すなよ。
 エマが「これなんでしょう?」と、困惑しているだろ。
 俺がフォローするのか、生死案内人。
 エマにそれとなく「鍋とかを洗う品じゃないかなぁ」と、助言をしておく。

「やはり初心者向けの迷宮だね」
「到達ボーナスしょぼいな」

 そう言ったテオ兄さんは、Bランクの短剣で、ニコライは、HP回復薬が十個だった。
 さて次は俺の番だ。生死案内人の石像の前に立つ。
 前世の清算は完了しているが、ここは顔なじみってことで『どうかスキル玉をお願いします』と、念じて箱を回す。
 ピカッと光った後、手の中に玉が現れる。

「すげぇーな、チビ! スキル玉じゃねぇかっ!」
「よくやったよ。ジーク!」
「「すごいです!」」

 各々褒めてくれるが、このスキル玉は求めているものではない。
 俺がは喉から手が出るほど欲しいスキルだが、今はこれじゃないんだ。
 うれしいけどうれしいけど、素直に喜べない。
『鑑定』結果を報告する。

「ですがこれ、身体強化のスキル玉です。短剣のスキル玉ではありません」
「いやジーク、これでスキル玉が手に入ることがわかったんだ。もう一度、踏破するよ」

 テオ兄さんの目が妖しく光っている。
 初心者向けの迷宮だとあきらめムードだったところのスキル玉だ。
 やる気が出るのも無理はない。
 うしろの階層スポットへ足早に進むテオ兄さんたちに、俺は待ったをかける。

「待ってください。ハクとスラはもらえないのでしょうか」
「ガゥッ?〈回せるの?〉」
「ピッ?〈できる?〉」
「魔獣や魔物が回したとは……。そうだね。試してみようか」
「ガゥ!〈やった!〉」
「ピッ!〈よし!〉」

 テオ兄さんは、二匹の期待の目に折れたようだ。
 二匹は喜び、早速スラが箱に飛び乗り回すと、光と共に、オークの肉が十個現れた。
 続いてハクが、前足を使い器用に箱を回すと、俺と同じスキル玉が現れた。

「ガウッ〈ジークベルトと一緒だ〉」

 ハクが喜んでいるそばで、テオ兄さんたちは唖然としている。
 うん、そうなるよね。
 ハクの幸運値は、隠蔽しているけどかなり高いんだ。

「なぁテオ、俺、夢でも見てるのか」
「うん、僕も現実に目を逸らしたくなるけど、これは絶対守秘だよ。ニコライ」
「わぁてるよ。これもチビの魔獣だからでいいんじゃねぇか」
「そうだね。なぜかそれで納得できる僕自身が怖いよ」

 後から聞いた話だが、魔獣や魔物が到達ボーナスを取得したことは、今までないそうだ。
 俺たちと同じく試した人はいたが到達ボーナスは、現れなかった。
 ハクは幸運値の関係でたまたまと考えたとしても、スラにいたっては皆無だ。
 これって生死案内人のサービスかなぁ。もう会うことはないが、心の中で感謝した。
 勢いづいた俺たちは、二回目もスムーズに踏破した。

 二回目の到達ボーナスの結果。

 俺、身体強化のスキル玉
 ハク、身体強化のスキル玉
 スラ、オークの肉が十五個
 テオ兄さん、Aランクのガラス石
 ニコライ、Bランクの盾
 ディア、Bランクの短剣
 エマ、タワシ

 俺とハクは、スキル玉だったが、前回と同じく身体強化のスキル玉だった。
 もしかするとこの迷宮では、身体強化のスキル玉しか出ないのかもしれない。
 ハクが、スラのオークの肉をうらやましそうに見ている。
 そんな顔をせずとも、オークの肉は『収納』に、たくさんあるから、食べたいなら出すよ。
 よしよしと頭をなでる。
 スラは、オークの肉に大興奮だ。数が十五個と増えていたことも拍車をかけ、ピョンピョン飛び跳ねて喜んでいる。
 そりゃー大好物ですもんね。
 そして、エマの引きの悪さにドン引きです。
 シャレではなく、二回目もタワシって。
 この流れは三回目もタワシ確定だな。
 テオ兄さんのAランクのガラス石は、大あたりだと思う。
 地味に欲しい。
 ダンジョン転移事件に巻き込まれるきっかけとなったガラス石。
 フラウからいまだ魔法砂をもらえていないため、ガラス石の作製は止まったままだが、修練は続けている。
 お手製のガラス石を絶対に作製してやるんだ。

「テオ、どうする? ここに来て四日目だ。もう一回挑戦することはできるが、方針を変えてレベル上げを優先するのもありだと思うぞ」
「そうだね、少し考えさせてほしい。スキル玉が取得できている現状であきらめるのもどうかと思うけど、身体強化のスキル玉しか出ない気がしてならない。ほかの迷宮では、スキル玉が一種類だけとの前例はない。けど今回はジークの運値で出ているのであって、本来、初級の迷宮ではありえないことだ。うーん」
「あのテオ兄さん」
「なんだいジーク?」
「実は十二階層に、隠し部屋があります。十三階層の階段と真逆だったので踏破してから相談しようと思いまして、報告が遅くなりました」
「ジークが話すぐらいだから、隠し部屋にはなにかあるのかい?」
「宝箱があるようです」
「おいっ、チビ、お前」
「ニコライ、黙っててくれるかい」
「おうっ」
「ジークは、どう思う。踏破かレベル上げか」
「そうですね。僕もテオ兄さんと同じく、この迷宮は身体強化のスキル玉しか出ない気がします。ですがレベル上げも、この迷宮では期待ができません。僕とハクはこの迷宮に入ってから、一度もレベルアップをしていませんし、ディアたちもレベルが1上がっただけです」
「そうだね。思っていたよりジークたちのレベルが高かったね。うん。やはり踏破しよう。身体強化のスキル玉も使用しよう。ディアーナ様、エマ、ジーク、そしてハクで使用するよ。そして途中で十二階層の隠し部屋に寄ろう」

 テオ兄さんは、大きくうなずき、方針を全員へ伝える。
 俺がなぜ十二階層の隠し部屋を知りえたか、その部屋に宝箱があるのがわかったかを詮索はされなかった。
 ニコライの追及を意図してテオ兄さんは止めている。
 俺の『地図』スキルは、隠す必要がないと判断しているため、隠し部屋を伝えたのだが、逆に気を使わせてしまった。
 反省しないといけない。



「魔物の数が異常だな。くそっ、取り逃がしたか。チビ、援護頼む」
「はい『疾風』。ハク、右側前方にも大量のオークがいるよ。テオ兄さん後方からオーガが迫っています」
「ガゥ!〈任せろ!〉」
「了解。ディアーナ様、援護を頼みます。エマはハクの取り逃がしを頼んだよ」
「「はい」」

 ただ今大混戦中です。
 十二階層の隠し部屋に到着目前で、トラップにかかったのだ。
 魔物の反応が、ほぼなかったこともあって油断していた。
 エマの「うわぁー」という声と共に、ガゴッと、お約束の音がした。
 俺は一部始終を目撃していた。
 エマが転ぶのを回避するため、壁に手をついたら、そこが罠の発動ポイントだった。
 本当にエマは、お約束は外さないよね。
 ガタンッと、音がして足もとが揺れた直後、そのまま床ごと急激に下がっていく。
 重力を感じず、フワッと浮く感覚に「うっ」と声が出てしまう。
 俺は、絶叫系が超苦手です。
 ディアーナたちも「きゃあー」と絶叫している。
 大がかりな仕掛けに、これちゃんと止まるよねと危惧していると、徐々に減速していき、ガダンッと停止した。

「皆、大丈夫かい」
「はい。大丈夫です。エマ、気をたしかにっ」
「ひっ姫しゃまー。ヒックッ、足がガクガクして、うっ、動きませぇん」

 テオ兄さんの声掛けに、ディアが気丈に返事をするが、ディアと抱き合っていたエマは、プチパニックを起こし、立ち上がることができず、その場に座り込む。
 スラはニコライの肩から落ち、床にへばりついたようで、床と平面に伸びていた。
 あれは大丈夫そうだ。
 ハクは床が落ちた瞬間、俺に駆け寄り守ろうとしてくれたが、今まで経験したことがない浮遊感に、すぐ耳を下げて恐怖した。
 その姿に「うっ」と、情けない声を出しながらも、ハクを抱きしめた。
 いまだハクは俺の腕の中でブルブル震えている。
 乗り物酔いしたのかもしれない。
 静かに『癒し』と精神を安定する魔法をかけると、ハクが腕の中から顔を出し「ガゥ〈こわかった〉 」と鳴く。
 よしよしと、ハクの体をなで安心させる。


 ***********************

 ご主人様、いますぐ地図を確認ください。

 ***********************


 ヘルプ機能からの警告を受け、『地図』を慌てて起動する。
『地図』の迷宮階層の表示がおかしい。
 マイナス十階層ってなんだ。

「テオ兄さん、階層表示がおかしいです。マイナス十階層との表示が……。えっ!? 前方から大量のオークの反応あり。数は三十です」
「マイナス十階層? 三十匹!? ニコライ頼む」
「おぅ! 行くぞ、スラ」
「ピッ〈がんばる〉」

 床に伸びていたスラの体が正常な状態に戻り、ニコライの肩に飛び乗る。
 それを確認したニコライが、オークのもとへ向かっていく。
 その間にテオ兄さんは、ディアーナとエマに『聖水』をかけ、精神を安定させている。
 突如、地図の左側にゴブリン三十、右側にスライム五十との表示が出る。
 これはどういうことだ?
 考えている暇はない。

「左側からゴブリンです。数三十。右側からスライムの大群。数五十。スライムは、僕が魔法でやります」
「了解。ディアーナ様、エマ、ゴブリンを狩るよ。ハクは、ニコライに加戦して」
「「はい」」
「ガウ〈わかった〉」

 それぞれが、戦闘態勢に入る。
 俺は『倍速』でスライムの大群に近づき『熱風』で瞬殺する。
 スライムが青から赤に変わり、次々とドロップ品の薬草に代わる。
 薬草にも種類があり、スライムの薬草は、HP回復薬のもとになる。
 回収している先から新たな魔物が出現する。
 光の粒が集まりオーク二十匹となった。
 腰にある黒い剣を抜き、オークの大群に切り込む。
『倍速』で動きを速め、一撃々確実に急所を狙い仕留めていく。
 二十個のオークの肉がそこにはできていた。
 スラが喜ぶなと『収納』に放り込み、テオ兄さんたちの戦闘に加戦するため、もとの場所へ急ぐ。
 この階層はおかしい。
 魔物の出現を目の当たりにしたが、復活するにも周期があるのだ。
 この数は尋常ではないし、俺たちが階層に着いた瞬間から、意図して魔物が出現している。
 言った先から前方に光の集合体を確認すると、ゴブリンが十匹現れる。
 うっとうしい。
 魔力温存のため、黒い剣でゴブリンをなぎ倒す。
 剣スキルを取得してから、剣筋があきらかに異なり、低ランクの魔物なら瞬殺で仕留められる。
 スキルの有無は、雲泥の差であると、実戦が語っている。

「次から次へと、湧いてくる。くっそー。きりがねぇー」
「ピッ〈危ない〉」

 ニコライの隙をオークが狙うが、スラがそれをカバーする。ニコライの集中力が落ちている。
 魔物と戦闘を初めて早一時間、いくら低ランクの魔物であっても、数が増えれば脅威だ。
  ニコライとテオ兄さんの疲労も激しい。ディアーナやエマは、そろそろ限界だ。
 これは地味にやばいぞ。
 打開策を考えなければ、全滅する可能性もある。
 ん? なんだこれ? セーフティポイント? 
 地図上に突如、緑のマークが現れた。
 すかさずヘルプ機能から説明が入る。


 ***********************

 ご主人様、すぐにその場所に移動してください。
 魔物との戦闘をいったん離脱できます。休憩場所です。
 セーフティポイントは、人がいない状態が一定時間続くと消えます。
 
 ***********************


 おぉー。ここで天の助け。
 消える前に移動だ。


「みんな、僕についてきて、魔物との戦闘をいったん離脱できる場所が現れました。早くしないとその場所が消えます」
「ジーク先行して、僕がうしろの魔物を引きつけるよ」

「はい」と、テオ兄さんに返事をして、戦闘中のハクを呼び、ディアーナたちの護衛を頼みつつ、セーフティポイントへ急ぐ。
 前方にも魔物の大群がいるが、黒い剣を振り回しなぎ倒す。ドロップ品は回収不要だ。
 ハクも襲ってくる魔物を前足で切り裂いている。ハクには念話で、魔法を温存するようにと伝えてある。
 この先なにがあるかわからないからね。
 地面から緑色の光を発光している場所が見えてくる。
 あれがセーフティポイント。
 なんとか消える前に到着できたと、安堵のため息をつきながら、緑の光に突っ込む。
 ディアーナたちもためらうことなく、俺の後に続く。



 その中は洞窟とは思えない景色が広がっていた。
 いわゆるオアシスだ。
 この場所は、異空間かもしれない。
 ディアーナたちは、不安なようで戦闘態勢を崩してはいない。
「ご苦労さま」と、ハクの頭をなでると「ガウッ?〈もう大丈夫なの?〉 」と、上目遣いで俺を見る。「もう大丈夫だよ」と微笑みながら、ディアーナたちに安全であることを説明する。
 そうこうするうちに、ニコライとスラ、テオ兄さんも無事にセーフティポイントへ入ってきた。
 すると、スラがすごい勢いで俺に飛び乗り、肩の上から抗議している。

「ピッ〈肉、すてた〉 」
「いやこの場合は、しかたないよ」
「ガゥ〈スラ、しかたない〉 」
「ピピッ〈主、肉すてずにできる〉」
「評価はありがたいけど、セーフティポイントがいつ消えるかわからなかったしね。それにほら大量にあるよ」
「ピッ!〈肉!〉」
「ハクも食べて、体力回復してね」
「ガウ!〈食べる!〉」

 スラは、オークの肉を回収せずに来たことを怒っていたようだが、オークの肉を出すとあっさりと引いた。
 スラは、どこまでいってもスラだ。
 ハクとスラが、オークの生肉を食べているうちに、テオ兄さんたちに近づく。
 まずは状況確認と今後をどうするかの話し合いと休憩が必要だ。

「テオ兄さん、ニコライ様、後方の処理ありがとうございました」
「ジーク、ここは安全なんだね。いつまでこの状態でいられるのかな」
「はい。魔物は入れない場所のようです。出るのも僕たち自身のタイミングで決められます」

 セーフティポイントは、迷宮内の魔物が介入することのできない場所であり、中に入ってしまえば安全が確保され、出るタイミングは自分で選べる。ただし、誰かひとりでも外に出れば、セーフティポイントは消失する。
 俺の説明に「そうか」と、テオ兄さんが大きく頷き、その場に座り込む。
 相当疲れているようだ。
 ニコライも剣を鞘に納め、ドサッと座り「ここ洞窟内だよなぁ」と、ぼやいている。
 テオ兄さんが「あぁそうだ」と、腰にある魔法袋を俺に差し出した。
 不思議そうに魔法袋を見つめる俺に「ドロップ品、回収しておいたよ」との補足が入った。
 さすがテオ兄さん、俺たちが回収しなかったドロップ品を拾ってくれたようだ。
 疲労を回復するため、ここでいったん休憩と軽い食事をすることにした。
 エマは疲労困憊のため、今回は俺が率先して食事の用意をする。
 さて何を食べようかな。『収納』には、料理人お手製の数々の品が入っている。
 テーブルの上にテーブルクロスを敷き、カツサンドとフルーツサンドを並べ、サイドにポテトフライとコールスロー、飲み物はフレシュジュースだ。

「うわぁー。美味しそうです。これ全部、ジークベルト様発案の品ですよね」
「そうだね」

 疲労困憊のはずのエマが、料理を前に目を輝かせ、はしゃいでいる。
 ずいぶん元気がいい。
 さきほどまで「もう動けません」と、弱音を吐いていた人物だとは思えないほどだ。
 料理オタク魂だね。
 レシピを教える約束をして、エマに全員を呼びに行ってもらう。


「チビが考える料理は、外れがなく上手いよな」
「ニコライ様、そうですよね! ジークベルト様のレシピは、今まで思いつかない料理方法や組合せですが、その味は抜群です。あぁー私も新しいレシピで料理が作れるんです。アーベル家にお勤めできて幸せです」
「エマ、そう興奮してはだめよ。ニコライ様もすみません」
「いや、いいんだけどよぉ。エマはチビの婚約者じゃねぇのか」
「滅相もございません。私では身分が違いすぎます。それに五歳も年上ですし」
「チビは、その変は気にしないだろう」
「はい。ジークベルト様は、いまは婚約者は増やさないとのことです。ですので、いまは婚約者候補ですわ」

 ニコライまた微妙な話を持ち出すな。
 エマが委縮しているだろ。
 ディアーナはなぜか複数の婚約者を望んでいるんだよね。
 婚約者の立場からすれば、複数って嫌じゃないのかな。
 乙女心はよくわからない。
 話を振られないように、俺はそーっと、テーブルを抜け、スラとハクのそばに近寄る。
 スラはカツサンドがお気に召したようで、その小さな身体を伸ばし、カツサンドを三個、一気に包み込んでいる。
 食べ物は逃げないので、お行儀の悪い食べ方をしないようにと注意する。
 躾は大事だ。
 ハクは食べ終わったお皿をジッーと見つめている。
 その様子に微笑みながら、成長期に遠慮するのはダメだよと伝え、足りなければ、おかわりを要望するようにと、フルーツサンドとカツサンドをお皿に追加する。
 最近のハクは、食欲が旺盛で、一般男性の三倍は食べるようになった。
 この様子だと、それでもまだ足りないのかもしれない。

「マイナス十階層、ニコライどう思う?」
「テオが考えている通りだろ。突発的に魔物が現れたり、魔物の数からして、裏迷宮に間違いないだろう。噂では聞いたことがあるが、まさか初心者の迷宮にこれがあるとは思ってもみなかったぜ」

「裏迷宮?」と、テオ兄さんたちの会話に俺は割り込む。

「裏迷宮、冒険者の中ではわりと有名な話なんだ。迷宮には数々のトラップがあるがそのひとつが裏迷宮につながっているとのことだった。ただ裏迷宮を語る冒険者が少なくその存在自体、信憑性を問われていた」
「そうなんですね。もしかすると裏迷宮から脱出できない冒険者が多いのかもしれません」
「そうだね。おそらく裏迷宮を踏破した者は少ない。この一時間で倒した魔物の数は、数百を超えている。低ランクの魔物だからなんとか持ちこたえたけど、ここが初心者の迷宮でなかったら、全滅の可能性もあったね。さて、どうしたものか」
「どうするもなにも、裏迷宮を踏破するしかねぇだろ」
「それはわかっているんだよ、ニコライ。ただここはマイナス十階層だろ。このような戦闘を最低十回は行うってことだよ。油断すれば全滅もある。ここは念入りに計画を立てないと、ジーク、この休憩場所は各階にあるのかい?」
「えっ? ちょっと待ってください。調べます」


 ***********************

 あります。
 ただし、セーフティポイントが出現する場所、時間などは、ランダムです。

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 各階層に、セーフティポイントはあるようだ。
 安心する。
 ただ今回は近くにたまたま出現しただけで、毎回タイミング良くとはいかないだろう。

「あるようですが、セーフティポイント、この場所ですね。出現はランダムのようです。今回はたまたま運がよく近場に出現したようです」
「これはまた厄介な感じだね。出現場所や時間さえ見当がつけば、そこから踏破までの計画を立てようと考えていたんだが……」
「なぁ、チビ、テオ、俺が聞いた話だが、裏迷宮は一階層しかないってことだぞ。そもそもマイナスの階層表示自体おかしくないか」
「その話は本当かい。そうなると、マイナス十階層とは、どういうことなんだ。ジーク、マイナス十階層で間違いはないんだね」
「はい。マイナス十階層です」

 俺の答えにテオ兄さんが腕を組んで考え込んでいる。
 ヘルプ機能どういうことだ。


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 確認しました。
 地図表示は間違いありません。
 おそらく降下中に裏迷宮のマイナス十階層へ転移したものと思われます。
 迷宮一つに対して裏迷宮の階層が一つとなります。そのため、各階に繋がる階段が存在しません。

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 ってことは、この階層を脱出すればいいってことだよね。
 それなら無事に脱出できそうだ。
 しかし、このマイナス表示は、わかりにくい。


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 ご主人様の『地図』スキルは、スキルポイントで『索敵』と合成したものですので、一般的な『地図』スキルとは若干異なります。
 特別仕様で、本来の表記が表示されています。
 通常は階層表示がありません。

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 うわぁー。俺、余計な情報を外に出してしまった。
 階層表示がないってことは、誰かが意図して隠しているんだろ。
 関わりたくない。だけど、テオ兄さんたちには、事実を告げないと納得してもらえない。
 あぁーー。詰んだ。これは詰んだぞ。

「テオ兄さん、ニコライ様の話は本当のようです。今調査したところ、ここは裏迷宮のマイナス十階層で間違いはありませんが、各階ごとに、異なる迷宮とつながっているようです。アン・フェンガーの迷宮の裏迷宮は、マイナス十階層です。現にこの階層には、階段がありません」
「その話が本当なら、すごい発見だよ。裏迷宮は誰かが意図してつくった可能性があるね。魔物を出現させるには、召喚魔法が必要だし、この規模を人工的につくったのであれば、これはすごいよ」

 やはりテオ兄さんは、その可能性に気づいた。
 階層表示を隠していることは伝えていないのにだ。
 この情報提示で、俺の責任は果たしたよね。あとはご自由に調査してください。
 俺を巻き込まないでと、心の中で祈った。



 話し合いの結果、今日の戦闘はここまでにして、セーフティポイントで一夜を過ごすことにした。
 英気を養い、明日裏迷宮から脱出する。
 次の階層に繋がる階段がないため、階層スポットがこの裏迷宮の脱出路であるだろうと予想させた。
 ヘルプ機能もその予想に文句はないようだ。
 幸いなことに、この場所から階層スポットまでの距離は短い。
 魔物討伐しながら、正しい方向へ移動していたようだ。
 最初の着地点からは、だいぶ離れている。
 討伐した魔物数は数百を超え、俺もハクもレベルが上がった。もちろんディアたちも上がっている。
 計算上、脱出するまでに俺のレベルは、Lv18になると思われる。
 ハクは聖獣のため、人より倍の経験値が必要なため、おそらくLv13で終了だ。
 ディアーナとエマも戦闘数にもよるが、Lv13なるかどうかギリギリのところだ。
 スラは特種体のためか、経験値が人の三分の二であり、非常にレベルが上がりやすいことが判明した。 すでにLv8だ。脱出までには、Lv10になっているかもしれない。
 思わぬハプニングだったが、当初の目的のレベル上げができたと、にんまりしていると『バシャーン』と、水の音が聞こえた。
 慌てて目を向けると、ハクの背中に乗っていたはずのスラが湖に浮いていた。
 ハクは湖の際で、スラの行動に唖然としている。状況からスラが自ら飛び込んだと確信しつつ、戸惑っているハクの頭をなでながら、湖に浮くスラに声をかけた。

「スラ、どうしたの?」
「ピッ!〈ちからわく!〉」
「えっ? 力?」
「ガゥ?〈ちから?〉」
「ピッ〈のむ〉」
「湖の水を飲めってこと?」
「ピッ〈そうだ〉」

 スラはその水色の体をプルンと揺らし肯定する。
 ん? どういうことだ。
 湖の水を手ですくい、口をつけるが、味も匂いも特に変わったことはない。
 おいしい水だ。
 ハクも湖に顔を近づけ水を飲むが、首をかしげる。
 俺と同じ感想のようだ。
 不思議に思い、湖の水を『鑑定』したところ、驚くべき結果が出た。


 ***********************
 魔力の湖
 効果:MP値が1-10増加する。
 説明:魔力を含んだ湖。この湖の魔力水を飲むと初回のみ魔力が増加する。
 ***********************

 わぁーお。すごいの見つけたよ。
 全員のステータスを確認すると、MP値が10上がっていた。
 一回だけであっても魔力値を増加できるアイテムなんて『ステータス玉』以外、俺は知らない。
 これ大発見なんじゃ。


「スラ、お手柄だよ。この水は初めて飲む時にだけMP値が上がるんだ。現にぼくとハク、スラ、全員のMP値が10上がっているよ。大発見だよ」
「ピッ!〈肉!〉 」
「ぶれないね。わかったよ。休憩にしよう。湖からあがっておいで」

 ぶれないスラに、苦笑いして、塩胡椒で焼いたオークの肉を『収納』から出す。
 スラにも味覚はあるようで、生よりも焼いたオークの肉を好むため、野営時に大量に用意したのだ。
「ピッ!ピッ!ピッ!〈肉、肉、肉!〉 」と、歓喜しながら湖から上がってくるスラに、また少し大きくなったかもと思う。
 出会った頃は、五センチほどの大きさだったが、現在は一五センチほどに成長している。
 どこまで大きくなるのか楽しみだ。
 ハクの前にもオークの肉を置くと「ガゥ?〈いいの?〉」と問われた。
 スラのお手柄のご褒美であると察したため、気にしたようだ。

「これはご褒美じゃないよ。休憩のおやつだから遠慮する必要ないよ」

 そうハクに伝えるが、イマイチ説得力がないようだ。
 オークの肉を体内に吸収しているスラが、それに気づき俺に念話で話しかけてきた。
 念話の使い方が上手い。
 スラにハクが躊躇している理由を述べると、食べ終わったスラがハクの前足を叩き促す。

「ピッピー〈せなかかりた。だからいっしょ〉」
「ガゥー〈ありがとう〉」

 ハクが感謝を述べると、オークの肉にかぶりついた。
 なにこの友情と、感動する間もなく、スラからおかわりの要請が入る。
 スラはスラだね。

 現在、俺とハク、スラは、セーフティポイント内のオアシスを探検している。
 時間が空いたのと、新しく魔契約したスラとの交流を深めることを目的に、あと意外に大きかったオアシスが、冒険心を芽生えさせたのも大きい。
 まぁ単なる暇潰しである。
 それにしても、このオアシスは宝の山かもしれない。湖の水が『魔力水』なら、湖畔にあるこのキラキラした砂はどうなのだろうと鑑定したところ、大あたりだった。


 ***********************
 魔法砂S+
 説明:セーフティポイント製の魔力を含んだ砂。
 ***********************


 自力で魔法砂S+を獲得しました。
 これでガラス石ができる。
 これ大量に確保しよう。
『収納』から空の容器と袋を出し、砂と水を中に入れる。
 ハクとスラは、おやつタイム中なので、その間に集めるだけ集めてしまおう。
 俺がせっせと作業をしていると、食べ終えた二匹が、不思議そうに砂を詰める俺を見ていた。

「ちょと待ってて、もう2袋で、砂は完了するから。あとは水を容器に入れるだけだから」
「ガゥ!〈手伝う!〉」
「気持ちは有難いけど、容器の中に水を入れるんだよ」
「ガゥ〈大丈夫〉」

 ハクはそう言うと、容器の蓋を器用に口ではずし、容器をくわえ、次々と背中へ投げる。
 その背中には薄く伸びたスラがおり、その容器をキャッチしている。
 十本あった容器をすべて背中にのせたハクは、はずした蓋をくわえ、湖に歩いていく。
 俺は砂を詰める手を止め、ハクたちの行動を見守る。
 どのようにして水を入れるか興味が湧いたのだ。
 湖の際で足を止めたハクは、スラになにか指示をする。すると容器が湖に次々と投げ込まれ、最後にスラが背中から飛び込んだ。湖に浮かぶ容器の上にスラが乗り、容器を沈め水を入れる。容器が沈みきると陸にいるハクに渡し、ハクは口で容器を受け取り、蓋をする。
 おぉー。素晴らしい連携だ。
 思わず拍手をして、ふたりの連携を褒める。
 俺もがんばろうと、残り二袋の砂詰めに集中する。
 結果、魔法砂が十袋(計50kg)、魔力水が十本(計20L)獲得できた。
 味を占めた俺は、ハクたちとオアシス内を歩き回り、くまなく鑑定した結果、これらを発見する。


 ***********************
 魔草S+
 説明:セーフティポイント製の魔力を含んだ草。
 ***********************

 ***********************
 魔木S+
 説明:セーフティポイント製の魔力を含んだ木。
 ***********************

 魔草はMP値回復薬のもとであり、魔木は魔道具の作製する。
 魔草が五十、魔木五本を獲得した。
 今回獲得したものは、すべて強い魔力を帯びている。この空間が強い魔力でできている証拠である。
 これも誰かがつくったのかといらぬ考えが頭をよぎる。
 軽く身震いするも、頭を振り、平静を装った。



 緑の光の前で各々装備の最終確認をする。今から裏迷宮を脱出する。
 昨日の収穫と報告に、テオ兄さんたちは半信半疑だったが、『魔力水』を飲んで自分のMP値が上がっていることに驚愕していた。

「チビ、すげー発見だぞ」
「たしかに大発見だけど、一回のみしかMP値が上がらないとなれば、裏迷宮のセーフティポイントのハイリスクを考えるとなんとも言えないね。魔法砂、魔草、魔木は魅力的ではあるけどね」

 興奮するニコライをよそにテオ兄さんが冷静に分析していた。
『魔力水』を飲んだMP値の上昇数は、テオ兄さん9、ニコライは5、ディアは7、エマは1だった。
 エマは、本当に期待をはずさないよね。

「皆、用意はいいかい? これから一気に階層スポットを目指すよ。前衛は、ジークとハク。中衛は、僕とディアーナ様とエマ。後衛は、ニコライとスラに任せる。それとジーク、各々の戦闘中に新たな魔物が出現したら『報告』を頼むよ」
「はい。魔物の種類と数をお伝えします」
「戦闘指示は僕が出す。ただし混戦中に魔物が出現した場合は、各自の判断に任せる。昨日より戦闘時間が長くなるため、ステータス確認は怠らないように。一瞬の判断ミスが命の危機となるからね」

 全員がうなずき合う。そしてテオ兄さんの合図で、俺とハクは、緑の光の外に出た。
 一瞬にしてセーフティポイントは消滅し、暗い洞窟内に戻る。
 不思議な光景を目の当たりにして、全員の足が止まるが、空気を読まない裏迷宮は、前方と後方にオーク十匹を出現させたので、全員が戦闘態勢に入る。
 これから人生最大の戦闘が始まるのだと思うと、俺は、不謹慎にもこの状況を楽しんでいた。
 追い込まれれば、追い込まれるほど楽しいと感じてしまう思考に苦笑いして、どのように攻略するかと考えるだけで気持ちが高揚する。
 俺たちは前に進むため、出現したオークを仕留めに入った。

「後方からオーク二十匹出現。ニコライ様は今別のオーク十匹と戦闘中です。応援を頼みます。ハク前方左側から、ゴブリン五十匹の出現だよ。魔法は温存で行こう。ここで待機してゴブリンを仕留めよう」
「ガウ!〈わかった!〉」
「なっ!? すぐ前方からオーガ三十匹が出現するよ。ゴブリンが合流するまでに仕留めるよハク!」
「ガウ!〈任せろ!〉」

 階層スポットが近づくにつれ、魔物の出現率が高く数も増えた。
 これは思っていたより骨が折れる。しかも、後方からの魔物の襲撃で、ニコライとスラが、隊列から遅れをとっていた。そこにテオ兄さんたちが加勢している状況だ。
 オーガの心臓を突き刺し、いったん合流するべきだと考える。もし両断されれば面倒なことになる。
 現に俺たちとテオ兄さんたちの間は、五〇メートルほど空いている。
 ここに魔物が出現すれば厄介だ。
 オーガ三十匹がドロップ品に変わる頃、左側からゴブリンが登場した。
 相変わらずの異臭に、ハクも耳を下げる。
 ハクがさっさと倒そうと目で訴えているが、俺は頭を横に振る。
 これ以上、テオ兄さんたちとの距離を広げるわけにはいかない。
 だがゴブリンは、俺たちに戦闘を仕掛けるわけもなく、その場を動かなくなった。
 これはあきらかに誘導されている。
 ここで動けば中間点に魔物が出現すると直感し、警報を鳴らしていた。
 くそーっ、このにおいは判断を鈍らせる。
 ハクに目で合図を送り、もったいないが、ゴブリン相手に魔法を使うことにした。
『灯火』『氷刃』とそれぞれ魔法を放つ。
 俺は火の矢、ハクは氷の矢だ。
「ギャッ」との複数の声が聞こえると、ゴブリンたちは後ずさる。
 ここで逃げの選択かと様子を見ていると、その中から『疾風』が俺たちに向かって放たれた。
 ビュービューと、俺たちの横を過ぎ去る。
『守り』を展開していたため、無傷だったが油断した。
 異臭と大量のゴブリンで、ゴブリンメイジが三匹出現していたことに気づかなかったのだ。
 ゴブリンメイジは、風の魔法使いのようで、全身にローブを羽織っていた。
 初対面の魔物に興奮するが、知能はあまり高くないようだ。何度も『疾風』を俺たちに向けて放っている。
 魔力値の高い俺が展開した『守り』がそう簡単に破られるはずはないが、ゴブリンメイジたちは、なぜ魔法が効かないのか、考えに至らないようだ。
 これは戦闘前にMP値が尽きるのではと思った通り、『疾風』がピタッと止まる。
 それと同時に痺れを切らしたハクが、ゴブリンの団体へ突っ込み、あっけなく殲滅した。

「ガウゥー〈ごめんなさい〉」

 我慢ができず前に出たことを気にしているようだが、ポンッと頭をなで「助かったよ」と笑う。
 ここでテオ兄さんたちと合流すると伝えると、ハクが俺の腰にある魔法袋をくわえる。
 待機中に、前方のドロップ品を集めてきてくれるようだ。
 ハクは本当にできた聖獣だ。尻尾をユラユラ揺らしながら前方へ歩いていく。
 その間に『地図』で、魔物の数を把握する。
 新たな魔物の出現はない。
 おやっと思う。
 今まで間髪入れず魔物が出現していたが、それが止まっていたからだ。
 これはなにかの前触れか。
 階層スポットとの距離は残り三〇〇メートル、ゴブリンが出現した左側の通路にあるのだ。
 俺の勘では、ここからが本番だと感じる。

「ジーク、魔物の出現が止まったね」
「テオ兄さん、はい。止まりました」
「不気味だね。階層スポットはこの先かな」
「正面、左側の通路の先にありますが、距離にして三〇〇メートル。おそらくここからが本番です」
「だろうね。初級者の裏迷宮でよかったよ。ランクが低い魔物だけど数は暴力だね。これは裏迷宮を脱出できない冒険者が多々いるだろうね」

 テオ兄さんは肩をすくめるが、その顔には疲労が出ている。
 ディアーナたちをフォローしながら魔物を倒しているのだ。その疲労に感謝する。
 ディアーナとエマは、全身を縦に揺らしながら呼吸を整えている。
 言葉を交わす余裕もないようだ。
 戦闘に入って二時間、よくがんばっていると思う。
 そこに魔法袋をくわえたハクが戻ってきた。
 ハクから魔法袋を受け取り、前方の様子を確認する。
 ハクの話では、魔物の気配はなく、左側の通路の先に階層スポットが見えたとのことだった。
『地図』内でも、通路の途中に階層スポットが表示されているので齟齬はない。
 疲労困憊のディアーナたちを先に脱出させるべきだ。
『倍速』で進めばほぼ戦闘せずに済むのではないか。出現する魔物の数にもよるが、と考えている最中にニコライとスラが合流する。
 全員が揃うと同時に、前方にオーク八十匹、後方にオーガ五十匹出現する。さらに前方の左側通路でスライム百五十匹、ゴブリン五十匹、オーガ五十匹が出現していた。
 まだまだ増えるだろう。裏迷宮を脱出させたくない意図が読み取れる。
 増える前に突破だ!

「テオ兄さん、魔法で一気に殲滅します。後方のオーガとは距離がありますので、先を急ぎましょう」
「了解。頼んだよ」
「行きますよ。『疾風』」

 魔力制御で『疾風』の威力を上げ、オークを瞬殺する。すかさずハクたちに指示する。

「ハク、左側を先行して。魔法は解禁だよ。ディア、エマ『倍速』をかけるから、俺から離れず一緒に動くよ。階層スポットを目指すんだ」
「「はい」」
「ガウ〈わかった〉」

 俺の指示に、考えを読み取ったテオ兄さん、ニコライもそれに続く。
 スラが「ピッ!〈肉!〉」と叫んでいるが無視だ。
 ハクが先行し、ゴブリンとオーガに『氷刃』を連射し、スライムを『氷結』で凍らしている。すぐ目の前でオーク二十匹が出現するが、ニコライとテオ兄さんが剣を構え、瞬殺する。
 残り二〇〇メートル、オーク二百体が出現する。
 今までで一番の数だが『狂風』で俺が約半分を瞬殺する。
 仕留め損ねたオークはテオ兄さんたちに任せ、ハクを前衛に『倍速』で階層スポットの距離を詰める。
 再びオーク百匹、ゴブリン五十匹が出現する。
 同じパターンの出現に若干イラッとするが『狂風』で一掃し「ディア、エマ、先に脱出して」と指示する。
 ふたりはうなずき階層スポットを目指すが、その直前でゴブリンキングが出現する。
 ゴブリンキングは、ふたりに攻撃を仕掛けようとするが、間にハクと俺が入り、その攻撃を受け止める。
 ゴブリンギングの攻撃を抑えつつ「そのまま走って」と伝えるが、動く気配がない。
 ふたりとも足が震えていた。
 突然現れたCランクの魔物に恐怖し、気が動転しているのだ。

「ハク、ここ任せていい?」
「ガゥ!〈大丈夫!〉」

 力強い返事に、戦闘を離脱し、ふたりに駆け寄り、『聖水』を施す。
 足の震えが止まったことを確認し、ふたりの手を引っ張り階層スポットまで走る。
 すぐに心のケアをするべきだが、ここでの優先事項は脱出だ。
「ごめん」と言って、つないでいる手に力を込めると、ふたりとも握り返してきた。
 ハッとしてディアーナ、エマの顔を覗くと微笑んでいた。グッと熱いものがこみ上げてくる。
 あぁー。これは参った。俺の婚約者たち最高だ。
 階層スポットの前で、ふたりに『守り』を展開する。脱出先はおそらく魔物はいないはずだが、慎重を期すのは当然だ。

「では先でお待ちしております。ジークベルト様ご武運を」
「姫様は私が守りますので、ご安心ください」

 ふたりは階層スポットに手をかざすと、体が光り、その場から消えた。
 ふたりの脱出を後方のテオ兄さんたちに『報告』する。

 さてここからが本番です。
 魔物数は、この数分で大増加し、オーガ八十匹、オーク二百二十匹、ゴブリン百三十匹、スライム七十匹、ゴブリンメイジ五匹、ゴブリンキング一匹、オークキング一匹となっている。
 先ほどハクに任せたゴブリンキングは、すでに息絶えドロップ品に変わっているが、新たにゴブリンキングとオークキングが現れて戦闘中である。
 Eランク以下の魔物しか出現しなかったが、ここにきてCランク、中ランクの魔物の出現に気が引き締まる。ただ中ランクの魔物を複数出現させるのは無理なようだ。
 これも迷宮のランクによるのかもしれない。
 黒い剣を片手に『熱火』と唱え、火の魔法剣でオーガ三十匹を相手する。
 オーガ数匹に剣を振り、火が舞う。
 オーガたちが驚いている隙に一番奥のオーガの胸もとに近づき心臓を突き刺した。ドロップ品となり、剣が宙に浮いた瞬間、剣を四方に振りそばにいたオーガを切りつけ、剣圧から出た火が近くにいたスライムに引火する。
 やべぇー。スライムに引火した。
 ドロップ品の薬草を焼いてしまう。
 慌てて鎮火しようとするが、怒り狂ったオーガが道を塞ぐ。
 邪魔だ。
 伯爵に習った剣技で、縦横と次々とオーガを切りつけるが、未熟な俺の剣は致命傷とまではいかず、傷が浅い。
 ただ火の魔法剣での攻撃のため、傷口から火が燃え、徐々に全身を焼き、オーガたちは苦しみながらドロップ品に変わっていく。あれ、俺かなり残酷な攻撃をしていると気づいた。
 後で判明した内容だが『熱火』ではなく『灯火』などの低魔法を使用していれば、全身を焼くような結果にはならなかったとのことだ。
 結局、オーガ三十匹とスライム二十匹のドロップ品は、スライムに引火した影響でほぼ焼いてしまった。痛恨のミスである。
 気を取り戻して、次の獲物に移るが近くにいたのは、ゴブリンの団体だった。
 ゴブリン七十匹とゴブリンメイジ二匹がいるが、異臭を放っているゴブリンの団体へ突入する勇気は俺にはなかった。数匹ならまだしも、十数匹で威力が数十倍となったあのにおいは我慢できないのだ。
『熱火』を直接ゴブリンの団体に向けて放つ。
 オーガのように苦しむことなくドロップ品に変わるだろうと思っていたが、ゴブリンメイジが『守り』を展開していたため、威力が弱った『熱火』を受けることになる。
 オーガと同じく苦しみながらドロップ品に変わっていった。
 地獄絵図のようだった。
 今回のゴブリンメイジは少し知能が高かったようだが、それがあだとなった。
 俺が放った攻撃だけどね。
 なぜ風魔法ではなく火魔法を選んだのか。風魔法だと臭いが拡散されるからだ。
 異臭の元は消えるが、臭いはすぐには消えないからね。
 ちなみにゴブリンのドロップ品は、ゴブリンの石と剣である。ほぼゴブリンの石のため、火で焼けることはない。
 ゴブリンの石は、数を集め、錬金することで、無属性の石となるのだ。
 所持することで、無属性の魔法の威力が少し上がるアイテムとなる。

 魔物数も減ってきた。
 オーガ三十五匹、オーク百八十匹、ゴブリン四十匹、スライム四十七匹、ゴブリンメイジ二匹、オークキング一匹体だ。
 これ以上の増加はないようだ。

 ゴブリンキングは、オークキングの相手もしつつ、ハクが単独で仕留めたようだ。
 今はオークキングと戦闘中だが魔法は使用せず、裏迷宮で取得した戦闘スキルの爪スキルの攻撃力を試している。
 とても楽しそうである。
 ハクの野生の本能が開花しつつあるかも。
 モフモフでかわいければ、問題なしだ。

 テオ兄さんは、オーク五十匹の中心にいて、華麗に舞っている。
 この表現が一番わかりやすい。
 オークの喉もとに短剣を次から次へ刺しているが、テオ兄さんの周囲を白い風が囲んでおり、オークからの攻撃を止めている。
 見たことがない魔法に興奮するが、あれはテオ兄さんのオリジナル魔法かもしれない。
 今度、教えてもらおう。

 ニコライは、氷の魔法剣でオーガを相手にしていた。
 俺とは違いすべて一撃で仕留めている。
 その剣技は、遠目からでも威力があり、ひと振りで致命傷となっている。
 パワー系の剣士の実力だ。
 残りのオーガと、近場のゴブリン十五匹はニコライに任せよう。
 あれ? そういえばスラがいない。
 ニコライの肩にいたはずのスラの姿が見あたらない。
 まさかと最悪の事態が頭をよぎるが、ないなと結論づける。大方、オークの肉を確保するため、オークに単独で挑んでいたりしてと予想していると、俺の近くにいたオーク一匹が、オークの肉に変わった。
 案の定、オークの足もとに水色の個体を確認した。
「ピッ!〈肉!〉」との幻聴が聞こえる。
 俺の周りにいたオークたちが、いっせいにスラに注目する。
「ピッ〈ばれた 〉」と、スラがスライムの中に溶け込もうとするが、時すでに遅し、オークたちがスラの前に立ちはだかる。
「ピッー〈どけー〉」と叫んでいるが、無理だろう。

 助けるかと動こうとした瞬間、数十本の針が、オークたちに突き刺さる。
 オークたちはその針を忌々しそうに抜き、スラに攻撃する仕草をするが、ピタッと動きが止まった。
 そして「グゥッ〈くるしい〉」と一匹のオークが苦しみだすと、次々とドロップ品に変わっていく。
 これは、麻痺と毒だ。針の中に麻痺と毒を仕込んだのだ。
 そういえば、セーフティポイント内で、麻痺草と毒草をスラにせがまれて、何束か渡したのを思い出す。
 力ではかなわないので、頭脳プレイで倒すスラの強さに感心するが、「ピッー〈肉じゃないー〉」と、泣き叫ぶ声が聞こえた。
 そうだよ、スラ。
 オークのドロップ品は、肉だけではないんだよ。
 そこには複数のオークの角が残っていた。

 そして裏迷宮での戦闘は思ったよりも早く終結したのだった。



 一方その頃、裏迷宮を先に脱出していたディアーナたちは、戦闘の疲れを癒すためお茶をしていた。

「ジークベルト様たちが戦闘で大変だというのに、優雅にお茶を飲んでいるなんて本当にいいのかしら」
「姫様、疲労困憊に効くお茶ですよ。ジークベルト様からもなにかあった時はこれを飲んで体力を回復するようにと、指示されていたではないですか」
「そうね……。大丈夫だとわかっていも心配だわ」
「そうですね」

 エマの同意に、ディアーナがカップに口をつける。
 裏迷宮の転移先は、ジークベルトが発見した十二階層の隠し部屋だった。
 宝箱と階下につながる階段がある出入り口がない部屋である。
 ディアーナの『報告』魔法で調査し、ひとまず安全を確保したのだ。
 その部屋のど真ん中で、テーブルでふたり、ジークベルトたちの帰還を待っていた。

「それにしてもアーベル家は、太っ腹ですよね」

 エマがそう言って、腰にある『魔法袋』を指し示す。
 急な話題振りに、ディアーナは一瞬キョトンとするが、すぐにエマの気遣いに気づいた。

「そうね。空間魔法が使えるヴィリバルト様がいらっしゃっても、わたくしたち他国の人間にお手製の『魔法袋』を分け与えるなんてすごいことだわ」
「他国って、なにをおっしゃっているのですか。姫様は、ジークベルト様の婚約者ではないですか。もう身内だといっても過言ではありません。それに私たちはアーベル家に忠誠を誓いましたよ」
「そうね……。エマはジークベルト様の婚約者にはならないの?」
「どうして姫様は、婚約者となるようにすすめるのですか。私は正直わかりません」

 エマの困惑した表情にディアーナが真剣な表情で伝える。

「ジークベルト様は、大成なさる方だわ」
「それは姫様の勘ですか? それともアーベル家の至宝だからですか?」
「両方よ。もし、ジークベルト様がアーベル家の至宝でなくとも、その才能やお人柄で人々の中心にいるのは間違いないわ。どちらにしろ厄介なことも増えてくる」
「それは……」
「アーベル家の方針は、教育の中で学んだわ。恋愛至上主義であり、嫡男であっても血を重要視しない。稀な家系よ。数代前の当主の伴侶は平民出身だった。その数十代前は愛多き人で伴侶が数十人いたそうよ」
「ですが、ジークベルト様はそれを望んではいません」
「そうね。だけど周囲はそれを受け入れるのかしら。ねぇエマ、婚約の条件の中に側室の許可があったの。ジークベルト様は、婚約の条件が提示されているなんてご存じではないわ。周囲が用意したのよ。そう既に周囲の認識は、一夫多妻も考えているのよ」
「姫様……」
「それに、わたくしの婚約だって……わたくしが周囲にそう思わせるように仕掛けたの」

 ディアーナはそう言って、顔を顰める。
 その表情を見たエマが、それを否定するように叫んだ。

「しかし姫様は、ジークベルト様をお慕いしているではないですか!」
「そうよ。わたくしはジークベルト様をお慕いしているわ。だけど、ジークベルト様は、わたくしたちに好意は抱いて下さってはいるけれど、それは恋愛ではないわ。それを承知の上で、わたくしは婚約を迫ったの」

 ディアーナは、伏し目がちに言葉を続ける。

「エマ考えてみて、わたくしはエスタニア王国の第三王女よ。しかも暗躍の疑いを本国からかけられ、命さえ狙われている。普通なら婚約なんて受け入れないわ。だけど、優しいジークベルト様は、その背景を悟って、わたくしたちを守ってくださった」
 
 ディアーナは、今までエマに自身の婚約の経緯を伝えることはなかった。
 どうしても本国に帰る前にどうしても伝えておきたかったのだ。
 自身の狡猾さがわかり、エマに嫌悪されたかもしれない。
 それでも、現状のジークベルトとの関係を伝えておきたかった。

「もちろん。ジークベルト様にもわたくしを愛していただけるように努力するわ。だからエマ、ジークベルト様をお慕いしているのならば、この機会を逃してはならないのよ。今後ジークベルト様は、多くの素敵な方と出会うわ。だけどそれは今ではない。幸運にも私たちは、いまジークベルト様に出会えたの。ライバルが少ない状況で舞台に立つことすらしないなんて絶対に駄目よ。それにセラ様は、確実にジークベルト様の婚約者になるわ」
「セラ様がですか?」

 突然のセラの名前にエマは驚愕する。
 セラ様がジークベルト様の婚約者? 姫様の願望ではなくて?
 あまりに突拍子もないことに、エマの気持ちが追いつかない。

「セラ様のジークベルト様を見る目は、わたくしと一緒よ。それにセラ様の侍女ハンナの態度を見れば明白よ」
「姫様……。姫様がお嫌だとお伝えすれば、ジークベルト様は他に婚約者を作ることはなさいません」
「ねぇエマ。王族は側室をなぜもつかわかる?」
「次代を途絶えないためですよね」
「そうね。ジークベルト様も同じよ。本人が望んでなくとも周囲から固まっていくものなの。わたくしのようにね。近々セラ様は、婚約者となるわ。私はセラ様を歓迎する。同じ方をお慕いする者同士仲良く過ごしたいし、今後のジークベルト様の女性関係についても協力をお願いするつもりよ。セラ様は否とは申さないわ」

 エマは息を呑む。
 ディアーナは、どこまで先を視て行動しているのか。
 だけどとも思う。
 アーベル家の至宝であるジークベルト様。
 あのご家族が、その意志を無視するような行動をジークベルト様になさるだろうか。
 ディアーナの考えすぎではないか。
 側室が条件だったのは、王女であるディアーナに配慮したのではないか。
 もしも、ジークベルト様が成長した時に、ディアーナ以外の方をお慕いした時の保険でもあるのではないか。
 普段考えないことに頭が沸騰しそうになる。
 すると突然、ディアーナたちが転移した場所からまばゆい光が周囲に広がる。
 
「ジークベルト様!」

 ディアーナが、すごい勢いでその光に駆け寄っていく。
 その姿に「姫様、お心のままに行動すればいいのです」と、エマがあとを追った。
 結局エマの気持ちをディアーナに伝えることができないまま、ふたりの茶会は幕を閉じた。



 裏迷宮の階層スポットから転移すると、ディアーナが俺に抱きついていた。

「ご無事のご帰還、なによりです」

 えっ? なに、このかわいい子。
 ディアーナの突然の行動に、俺があたふたしていると、ニコライがからかってくる。

「チビ、盛大な歓迎だな。うらやましいぜ」
「あっ、すみません。わたくし、はしたないことを……」

 その言葉を聞いて、正気に戻ったディアーナが、恥ずかしそうに俺から離れる。
 とても残念だ。

「お帰りなさいませ」

 エマが一足遅れて俺たちに合流する。 
 ん? 気のせいか。
 エマの様子が少しちがうように感じる。
 とても落ち着いて見えるのだ。
 ディアーナに優しい眼差しをして、まるで年上のお姉さんのようだ。
 年上のお姉さんで間違いないんだけどね。
 普段とちがう雰囲気に気をとられていると、テオ兄さんが転移先を『報告』で調査してくれていた。

「ここは当初の目的地の迷宮十二階層の隠し部屋だね」
「安全面も問題なそうだな。あの宝箱は裏迷宮の報酬か」

 ふたりが宝箱に近づいていくので、俺もあとを追う。
 ディアーナたちは、ここで待機するようだ。ハクたちと戯れている。
 ハクたちを置いて、宝箱に近づく。
 裏迷宮を脱出して気になる点がひとつ、宝箱以外に階段があったことだ。
 裏迷宮に入る前までは、この部屋に階段はなかったはずだ。裏迷宮を脱出したことで現れたのか。
 この階段は魔力で作られている。


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 ご主人様の仰る通りです。
 裏迷宮の脱出に合わせて現れたようで、この階段は一時的なものです。
 階段の先は最下層十五階につながっています。

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 この階段の先って最下層なの?
 ならちょうどよかった。
 全員が疲労困憊なので、エマの短剣スキルはあきらめて、アン・フェンガーの迷宮を後にしようと提案するつもりだったのだ。
 到達ボーナスが貰えなくて残念だけど、欲張ってはいけない。


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 ご主人様、到達ボーナスは貰えます。
 裏迷宮を踏破したので、十三階、十四階は免除となります。

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 何それ!? 迷宮もなかなかやりおる。
 もしかして、到達ボーナスも豪華な物が貰えるのかな。


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 到達ボーナスの中身は、私では分かりかねます。
 お役に立てず申し訳ございません。

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 ヘルプ機能は、充分役に立っているよ。
 今回の裏迷宮の件だって、ヘルプ機能が作動していなければ、大変なことになっていたしね。
 本当に毎回、頭が上がりません。

「テオ兄さん、ニコライ様、安全確認ありがとうございます」
「ジーク、ここは裏迷宮の脱出用に用意された部屋のようだね。四方を壁に囲まれた出入り口がない部屋。あるのは魔力を帯びた階段だね」
「はい。僕が隠し部屋を発見した時は階段はありませんでした。調べた所、直通で最下層につながっているようです」
「やはりそうか」
「チビ、この宝箱の仕掛けはなんだ」

 ニコライの質問に答えるため、俺は宝箱へ近づき『鑑定』をした。


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 毒矢の宝箱
 説明:宝箱を開けると毒矢が連射される。
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「毒矢が仕組まれているようです」
「そうか。数は? 数本か?」
「連射されるとのことです」
「ちっ、厄介だな。うしろから開けるか。毒矢の連射が終わるまで待つしかないな。安全のため、姫さんたちを宝箱のうしろに移動させるか」

 迷宮内の宝箱は、仕掛けがあるのがあたり前で、ダンジョンは半々の確率だそうだ。
 コアンの下級ダンジョンでは、宝箱と遭遇する機会がなかった。『地図』に反応はあったけど、踏破を最優先としたからね。

「ニコライ、前に飛ぶとは限らないんじゃないかい」
「そうかっ。上に飛ばせば全範囲射程圏内だな」
「うんそうだね。裏迷宮を脱出した先にある宝箱だから、単純な連射ではないと思うよ。用心するに越したことはない。ジーク『守り』を最大限に強化できるかい」
「はい。できます」
「部屋の隅に全員集めて、僕とジークの『守り』を二重に展開しよう。宝箱は魔法で開けるよ。僕の魔法で開けられる距離だ」

 テオ兄さんの指示に、全員が宝箱の後方に移動し、部屋の隅に集まる。
 まずテオ兄さんが『守り』を展開する。その上から俺の『守り』を施す。
 最大限の強化をするため、魔力循環に集中した。
 渾身の『守り』ができたと自負する。毒矢の防衛は準備万端だ。

「いいね、宝箱を開けるよ『解錠』」

 テオ兄さんの魔法で、宝箱が開くと、次々と矢が連射されるその数、数百は下らない。しかも放たれている矢の大きさは、槍に匹敵する物もある。
 予想通り、全方位に矢が飛び交い、俺たちの周りには粉々に折れた矢が複数散らばっていた。『守り』が実にいい仕事をする。
 強度を今できる最高クラスにしたからね。

「こりゃーすげぇなぁ」
「想像以上だね」

 矢の数の多さに、あきれとも感嘆ともつかぬ声が響く。
 俺の横では、口が少し開いたまま動かないディアーナと、「ひぃえーー」と絶叫して腰を抜かし、ハクに支えられているエマがいる。
 スラは、誰が与えたのか、マイペースにオークの肉を食していた。
 時間にして数分の出来事だが、何十分と思えるほど濃い内容だった。
 矢の連射が終わり、辺り一面に砂埃が舞っている。
 砂埃が収まると、ニコライが「これは期待できるなっ。お宝はなんだ」と、ウキウキと宝箱へ近づいていった。
 そのうしろ姿は、普段とは違い滑稽で浮足立っている様子がわかる。
 しかし宝箱の中を見たニコライが、驚愕した声をあげる。

「なっ!? 空じゃねぇか。どうなってんだ!」
「空なのかい?」
「おいっ、チビ!」
「はい。いま調べています」


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 ご主人様、矢の残骸を確認ください。
 全て、オリハルコンです。

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 えっ? まじっすか?
 オリハルコンの毒矢だったのか?
『守り』の魔法を最大強化してよかった。


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 いえ、放たれている時は、強度の高いSランクの矢でした。
 連射が終了した瞬間に、オリハルコンへ変化しました

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 えっ? どういうことだ?
 オリハルコンって、稀少鉱物だよな。
 そもそも矢がオリハルコンに変わるのは、変だぞ。


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 迷宮のドロップ品です。
 オリハルコンは、毒矢のドロップ品と考えてください

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 はぁーー? ますます理解できない。
 毒矢のドロップ品? 毒矢は魔物扱いなのか。

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 この部屋のみの特徴のようです。
 あまり深く考えないほうがよろしいかと思います

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 はぁーー? なんだそれ?
 やっと裏迷宮から脱出して安心したと思ったら、毒矢の連射。しかも宝箱の中身がないとくる。
 毒矢がドロップ品に変化したと気づかなければ、骨折り損じゃないか。
 精神的にくるぞこれ。仕掛けた奴、性格ゆがんでるな。

「ニコライ様、テオ兄さん、毒矢がすべてオリハルコンに変わっています」
「はぁ? なに言ってるんだチビ! そんなはず……」
「本当だね、ジーク。これはどういうことだい」
「僕にもわかりません。ただ、この部屋の仕様のようです」
「オリハルコン……。まさか俺が手にすることになるとは……」
「ニコライ、感動しているところ悪いが、そうそうにこの部屋から出るよ。ジーク、魔法で回収できるかい」
「はい。できますが」
「テオ、どうした?」
「この部屋は、あまり長居するべきじゃない」
「お前の勘か。わかった。チビ、さっさと回収しろ。姫さんたち先に階段を下りるぞ」


 テオ兄さんの突然の指示に戸惑っている俺を後目に、ニコライがすぐに反応し行動する。
 ディアーナたちを促して、スラを肩に乗せ、先に階段を下りて行く。
 テオ兄さんの直感が、なにかを察したのだろうと俺も判断し、気を取り戻して、俺も『浮遊』『微風』『収納』を同時展開し、部屋全体に散らばっているオリハルコンだけを宙に浮かせ、一か所に集めて回収する。
 粉々になった毒矢そのものが、オリハルコンのため、精査するのに相当の魔力制御が必要となった。
 稀少鉱物なので、一グラムも無駄にしたくない。
 すべてのオリハルコンの回収を終えたところ、ドドドッと大きな地響きが鳴ると共に、部屋の隅から床が抜け落ちていく。

「嘘だろ!?」 
「ガウッ!〈ジーク、走る!〉 」
「ジーク! ハク! 階段に急ぐんだ!」

『倍速』を自分とハクにかけ、階段前にいるテオ兄さんと合流し、慌てて階段を駆け下りる。
 先にいるニコライたちには『報告』で知らせる。
 ドドドッとの崩壊音が迫る。後方の階段が徐々に崩れていく。

「階段も崩れるのかっ。ギリギリだな。うわっ」
「大丈夫かい、ジーク」
「ありがとうございます」

 後方に注意をとられ過ぎてしまい、前方の階段が崩れているのに気づかず、足が嵌ってしまう。
 テオ兄さんが、素早く補助してくれるが、この時間ロスで、すぐそばまで崩壊が近づいていた。
 ここはあれしかない!

「テオ兄さん、『飛行』の魔法を使います!」
「飛行? えっ? うわっ!」

 俺の『飛行』に、珍しくテオ兄さんが、慌てている。
 そりゃーそうだ。
 人間急に身体が浮いたら慌てて当然だ。
 ドドドッと、先ほどまで足を着けていた階段は崩れ落ち、視界が暗闇にとらわれる。
 崩れ落ちた場所から底が見えない。ブルッと身震いする。
 間一髪のところで、崩壊に巻き込まれずにはすんだ。

「ジーク、悪いけど手を引いてくれないかい。飛ぶなんて初めてで、不安定なんだ」
「すみません。気づかなくて。ハクは大丈夫だよね」
「ガウッ!〈ハクは大丈夫!〉」

 どこか不安そうなテオ兄さんの手を取り、先行する。
 俺も最初は、空間のバランスがなかなか掴めず、かなり難儀したのだ。
 ハクは何度か『飛行』を経験しているので、崩壊した階段の上をスムーズに飛んでいる。

「これはなかなかの経験だね。まさか『飛行』を経験できるなんて思ってもいなかったよ。ジークはもう風魔法Lv8を取得しているんだね」

「いいえ、僕の風魔法Lv3です。魔力値が高いので『飛行』の使用が可能なんです」
「なるほど。ということは、これは守秘だね」
「はい。その方向でお願いします」
「ほかにもありそうだね。例えば『地図』スキルとかね」
「あははは。『地図』スキルは所持してますよ。あとは許してください」

 ここは笑ってごまかす。
 そもそも『地図』スキルは、隠さず使用していたので、テオ兄さんたちには所持がバレて当然だ。
 あえてそれにテオ兄さんが触れなかったのは、ただ単に俺だからだとの結論に至ったのだと思う。
 テオ兄さんは、ほかにも多数の能力が俺にあると認識していると思う。
 信頼しているが、全ての能力を曝け出すことは、今はできない。
 許して欲しいと思う。
 空中でのバランス感覚をテオ兄さんが掴み始めた頃、暗闇の先の小さな明かりが徐々に大きくなり、長身の影が見えた。
 長身の影がチラつくその様子に、安堵する。
 無事だとの『報告』を受けていたが、それを目にするまで安心はできなかった。
 俺のすぐ隣でも、安堵のため息がこぼれた。