セラを鑑定したヴィリバルトは、結果を見て驚いていた。

「『魔力飽和』だ」
「魔力飽和ですか?」

 セラがフードの奥から聞き慣れない言葉に疑問符をのせる。
『魔力飽和』とはなんだろう。『風船病』より悪い病気なのだろうか。
 でもなぜかセラに不安はないのだ。
 今日の私は楽観的ねと、フードの中で静かに笑う。
 その声にハッとしたヴィリバルトは、うしろにいるギルベルトたちに向けて宣言する。

「彼女の病は、魔力飽和です」
「ヴィリバルト、完治方法はあるのか」
「完治といいますか、方法はあります。ですが、私にはできません」

 一瞬の歓喜と落胆が部屋の中に訪れ、その空気を破るようにニコライがヴィリバルトに迫った。

「どうすればいいんだ? 教えてくれ!」

 必死な形相でヴィリバルトに詰め寄るニコライの姿を、セラが慌てて止める。

「お兄様、落ち着いてください。ヴィリバルト様、私の病気は『風船病』ではないのですね」
「風船病と症状が酷似しているが、魔力飽和で間違いない」
「完治する方法があるのですね」
「ある。だけど長期戦になるね。魔力飽和は、体内の魔力が外に放出できず、体内にたまり、あらゆる不調を起こす病だね。MP値は回復すれば、過剰分は自然と外に放出するんだよ。君の場合その放出量がとても低いため、体内に魔力が蓄積されている。『魔草』は、煎じて飲むことで魔力を吸収する効果があるようだ」
「体の膨らみは、私の器の受容力以上の魔力が体内にあふれているせいなんですね」
「そうだね。今できる対策として、早急に君のレベルを上げるよ。MP値が上がることで飽和状態を緩和できるからね。君はLv1だね。Lv2に上がるだけでもだいぶ緩和されるはずだよ」
「Lv1だと。失礼だがセラ殿は十一歳で間違いないか」
「はい。間違いありません」

 その肯定に、ギルベルトの眉間にしわが寄り「ヴィリバルト」と、説明を求める。

「おそらく魔力飽和が、成長を阻害させていたのでしょう。ニコライ、彼女は戦闘経験はないね」
「ない。すまないセラ。お前の体調を考慮して親父はレベル上げをしなかった。自然と上がるぶんだけでいいと、まさか成長阻害で、レベル1のままだったとは……すまない」
「お兄様お気になさらないで。セラはお兄様に感謝はあれど、謝罪いただくことはひとつもありません」

 セラが手を伸ばしニコライの手を包み込む。その手をグッと引いたニコライはセラを抱きしめた。その肩は震えていた。
 ふたりの様子を扉の横で待機して見ていたハンナは、あふれ出る涙を止められず、唇を噛みしめて声を出さないよう必死に抑えていた。
 その光景をアーベル家の人々は、静かに見届けた。


 ***


「今から彼女を伴って、いや兄さん、屋敷内に魔物を連れ帰る許可をください。瀕死状態の魔物を連れてきます。ここで彼女に仕留めてもらい、早急にレベルを上げましょう」
「許可しよう」
「ニコライ、君も同行を頼む」
「もちろんだ」
「アルベルトは、彼女のフォローを頼む。魔物を捕まえれば屋敷に移動させる」
「わかりました。移動する場所はどこでしょうか。事前に囲いをし、万が一に備えます」
「彼女の状態を考えれば、屋敷内がいいが……兄さん、汚れてもいい部屋はありますか」
「地下室はどうだ。お前がよく研究所として使用していた場所だ」
「あそこなら、少々汚れても今さらだね。ただ彼女をあの部屋に入れるのは……」
「私なら大丈夫です。病気が少しでも緩和されるなら、なんでもいたします」
「では決まりだね。マリー、動きやすい服を手配してくれないかい」
「わかりました。すぐにご用意いたします」
「ヴィリバルト、セラ殿のレベル上げは、解決の糸口にしかならない。魔力飽和は今後も続くだろう。どう対処するんだ」

 ギルベルトの指摘に、その場にいた全員がハッとする。
 ヴィリバルトは、心の中で『さすが兄さん』と兄の鋭さに拍手を送り、さてここをどう切り返すかと考える。解決方法を今ここで暴露するのは得策ではない。
 まぁここは素直に伝えて、肝心な部分を濁すのが一番いいね。
 ヴィリバルトが一瞬見せた不敵な笑みを、ギルベルトは見逃さなかった。
 あれはまた、なにかを隠している顔だ。

「ジークです。ジークベルトが『魔力飽和』を緩和できる魔法が使えます」
「本当かっ!?」

 興奮したニコライがヴィリバルトとの距離を詰める。

「問題ないよ。ただしこのことは私からジークに伝える。誰も他言せず、見守ってほしい。兄さんもいいですね」

 ヴィリバルトとギルベルトの視線が交差する。
 しばらくして、先に視線をはずしたのは、ギルベルトだった。
 やはり隠し事か、魔力飽和を緩和する魔法になにかあるのだろう。
 その魔法名をヴィリバルトは、口に出していない。
 ジークベルトの魔属性は、ヴィリバルトがすべて所持している。そのヴィリバルトが使用できず、ジークベルトが使用できる魔法があるのか。
 無属性は、ユニークの宝庫だが、ジークベルトが生み出した魔法で、ヴィリバルトが使えない……はずはない。
 ヴィリバルト、お前、話すつもりないだろう。
 ヴィリバルトの性格を熟知しているギルベルトは、ここで盛大なため息をつきたいが、そこをグッと耐えた。
 弟の隠し事がつらい。



 金髪の長身ニコライが、不機嫌そうに近づくと、前方に指をさし訴える。

「おいっチビ。あれはなんだ。戦闘もくそもねぇじゃねぇか」
「本人は至って真面目なんです。決してやる気をなくすことは言わないでください」
「しかしなぁ、指導しているテオがかなりまいっているぞ、ありゃー持たねぇよ」
「だっ大丈夫です。テオ兄さんは不屈の精神を持っています。こっ、こんなことぐらいで投げ出したりは決してしないはずです」
「おいおい、お前もやべぇーなと思ってるじゃねぇかっ」
「ではニコライ様が代わりに指導していただけますか」
「どうして、そこで俺に振る」
「これでもだいぶマシになったんです。僕が戦闘の指導をできるにも限界があります。魔法なら多少自身はありますが、短剣は論外です」
「お前っ、短剣スキル所持しているだろう。その時の経験をだなぁ……。そうかお前っ、天才肌だったな……くそっ、だから才能がある奴はこれだからっ。ちッ。そもそも鍛える必要あるのかっ。あれは才能うんぬんのレベルではないぞ」

 ニコライは、しばらく自問自答をすると、俺に向けて正論を言い放った。
 それを受けた俺は、平然と事実を答える。

「それは説明しましたよ。ニコライ様も迷宮でのレベル上げに同意してくれましたよね。それに父上とも契約しましたよね」
「ちッ、早まったな。ずいぶんおいしい仕事だと思ったが、こんな裏があったとは」
「契約破棄はできませんからね。すればアーベル家を敵に回すと思ってください」
「次は脅しかよ。ちッ、俺は契約の護衛以外は手助けしねぇからなっ」
「はい。それで十分です」

 俺が満面の笑みで返答すると、ニコライはフンッと踵を返し、俺のそばから離れていった。
 ニコライの視線の先には、何度もスライムの上に転びながら対峙しているエマと、短剣の指導をするテオ兄さんがいる。
 その横でハクとディアーナが懸命に応援している。
 たしかにテオ兄さんの顔から表情が抜け落ちている。
 これは想像よりもはるかにまずい。
 さてどうしよう──。

 俺たちは現在、数年前に発見されたアン・フェンガーの迷宮にいる。
 迷宮はダンジョンと違い、最下層にボスはいない。その代わり最下層に到達すると『到達ボーナス』がもらえる。
 その中身はさまざまだが、迷宮の難易度が高ければ高いほど、いい品がもらえるらしい。
 噂では『スキル玉』や『ステータス玉』といった品もあるようだ。
 今回の表面上の目的は、踏破。
 本来の目的は、エマの強化だ。
 コアン下級ダンジョンでのレベル上げは、順調そのものだ。
 武道大会まで残り一ヶ月、目標であるLv10に全員が到達した。
 エマのステータスは相変わらずの低数値だが、よくがんばったと思う。
 ただ、技術面はなかなか上がらず、ハクの『氷結』に頼ってばかりだ。
 ディアーナは『疾風』が使用できるようになり、短剣の扱いもうまく、もう少しすれば短剣スキルを所持できるのではないかと、俺の勘が伝えている。

 戦闘を終えた後、テオ兄さんが一心不乱にハクをモフっていた。
 これは相当こたえている。ハクを派遣して正解だった。
 ハクは気持ちいいのか、尻尾をパタンパタンと、リズミカルに動かしている。
 ほかの皆は小休憩を終え、次の戦闘への準備を始めている。
 あとはテオ兄さんの復活待ちだ。
 当初の予定では五階層まで一気に下りるはずだったが、いまだ二階層。想像以上のエマのポンコツぶりに、テオ兄さんの精神が悲鳴をあげ、たびたび小休憩を挟んでいる。
 まぁ、精神がまいるのもわかる。
 例えば、スライムに短剣で攻撃を仕掛けるも、その直前で転ぶと、なぜかスライムの真上にダイブする。そのままスライムにもてあそばれ、助けようとしたテオ兄さんを巻き込み、あられもない姿にさせてしまった。
 それを繰り返すこと、五回。この短時間にだ。
 ほかにもいろいろあったが、たぶん一番こたえたのが直前の戦闘だったと思う。
 エマの行動パターンを把握したテオ兄さんは、攻撃方法を変えるよう指示。短剣を投げるという絶対に選んではいけない攻撃手段を選択した。
 この時点でテオ兄さんの判断能力は、だいぶ低下していたんだと思う。
 エマが投げた短剣は、なぜかスライムとは反対方向に飛んでいく。根気よくテオ兄さんは指導するが、短剣は一度もスライムに命中することはなかった。
 いや、とどめを刺したのは、エマの短剣だ。
 意図せずスポッと手から離れた短剣は、スライムの核に命中し、ドロップ品に変わったのだ。
 テオ兄さんはその様子を見て、唖然としていた。
 そこにニコライが現れ、テオ兄さんを慰めていた。
 その姿を見て俺は、エマの面倒を見させて本当に申し訳ないと思った。でも、俺がすがることのできる相手は、もうテオ兄さんしかいないのだ。許してほしい。
 当事者のエマは、動く魔物の討伐に大興奮していた。
 瀕死状態や氷結状態の魔物を刺すだけだったから、とても新鮮なのだろう。
 エマ、本当にレベルを上げていてよかったね。じゃないと瞬殺だよ。

 もう少しテオ兄さんには、癒しの時間が必要だと悟った俺は、新作の『クレープ』を出して時間を稼ぐことにする。
 もちろんクレープは大好評である。

「セラ様も、ご一緒できればよかったですね」

 口の端に生クリームをつけながら、クレープを賞賛していたエマが、ふと思い出したかのように切り出した。

「セラは基礎体力をつければ、動けるようになるが、時間がかかる。悪いなっ」

 ニコライがうれしそうに、エマに答えると、話題の中心がセラの話となった。

 セラは、先日よりアーベル家本屋敷で、治療のため滞在している。
 専属契約の条件の中にセラの治療がある。理由はニコライが仕事に集中するためだそうだ。
 病床生活が長いセラは、体に筋力がなく、歩くにも補助が必要な状態だ。
 その治療だが、俺が極秘に『吸収』と『低下』をしている。
 あの日、コアンの下級ダンジョンから帰宅した後、叔父ヴィリバルトに呼び出されたのだった──。


 ***


「久しぶりだね、ジーク」
「授与式以来ですね」
「そうか、授与式で会っているんだ。ダンジョン踏破で毎日一緒だったから、一日顔を見ないだけでも、ずっと会ってないような気になる。もう感覚が麻痺しているね」
「そうですね」

 俺が同意するようにうなずけば、叔父の目が獲物を捕らえるような鋭さに変わっていた。
 背筋に嫌な汗が流れる。

「それで今日は、折り入ってお願いがあるんだ」

 ゴクっと思わず咽喉を鳴らしてしまう。

「そんなに緊張しなくても簡単なことだよ。ニコライの妹セラの治療に『吸収』と『低下』が必要でね。それをジークに使用してほしいんだ」
「その魔法は、呪属性ですよね。残念ながら僕には適性がありません」
「そうだね。適性はないけど、使用はできるよね」
「……っ」

 核心を突かれ、俺は言葉をなくす。
 やはりバレている。
 どうする。どうするべきだ。落ち着け。

「エスタニア王国の騎士を助ける際、適性のない『癒し』を使用したね。今は理由を問わない」

 やはりあの時、気づかれていたようだ。叔父が見逃すはずがない。
 全属性をなんらかの方法で、俺が使用できるとの結論に至ったのだろう。
 とりあえず俺は、それに乗るしかないようだ。

「今は問わないんですね。わかりました。試してみます。『吸収』と『低下』は、本でしか確認したことがありません。実用までに時間がかかる可能性があります」
「できれば明日には、彼女に使用してほしい」
「努力します」

 叔父の真剣な表情に、病が相当悪化しているのだと察した。
 俺の魔法で治療ができるなら、助けてあげたい。
 ただ呪魔法は一度試しただけで、それ以降まったく使用していない。
 明日までになんとか『吸収』と『低下』を使えるようにがんばろう。

「治療内容は、極秘だから安心していいよ。ジークが、秘密を打ち明けてくれるまで待つよ。兄さんにも内緒だ。まぁ、ほぼほぼ症例がない魔力飽和だから、治療方法を調査するにもできないんだけどね」
「魔力飽和ですか」
「そう魔力飽和だよ。最初は体のいろんなところに小さな気泡ができるんだ──」と、叔父が魔力飽和の説明を始めた。
「本好きのジークも知らない症例だろ。それに知ってるかい。魔力飽和の最近の症例は約二百五十年前のもので、病にかかったのが、勇者と共に召喚された異世界人だったってことだ。バーデン家の血筋をたどれば、もしかするともしかするかもね」

 叔父が興味深そうに話す。その声は弾んでおり、次の研究対象としてニコライが選ばれたのだと察する。
 超紳士な叔父が、妹セラを研究対象にするはずはない。女性や子供にはとても優しいのだ。
 その場でニコライに合掌する。
 耐えろニコライ。きっとひと皮むけ、能力が格段に上がるはずだ。



 セラにとって昨日は興奮した一日だった。
 治療の一環として行われた魔物討伐。
 地下室に充満する血のにおいと瀕死状態の魔物の様は、淑女であれば卒倒するが、セラは自身の皮膚の破裂を幾度か経験しているため、ほぼ動揺しなかった。
 それよりも魔物を倒すという、命を奪う行為に嫌悪感を抱くかとも思ったが、すんなりととどめを刺せた。
 案外、冒険者に向いているのかもしれないと、未来を想像できる心情の変化に驚いた。

「うふふ、お兄様と同じ冒険者になって魔物を倒す。楽しそうだわ」

 レベルが上がり、体調がすこぶるよくなった。
 右頬の腫れも若干引いた気がするし、全身を包んでいた倦怠感も和らいだ。
 長期戦になるが、完治できる病であると『赤の貴公子』は言いきった。
 今日から魔法での治療も始まるとのことだ。
 だが治療内容は、極秘。
 ニコライには内緒で、昨晩『誓約魔書』にサインした。

「勝手に行動したこと、お兄様に怒られるかしら。でもリスクを背負うのはあたり前だわ」

 セラは自分の行動が正しいと、言い聞かせるようにつぶやく。
 タイミングよく扉のノックの音が聞こえた。
 サッとフードをかぶり、ソファに深く座りなおして返事をした。

「はい、どうぞ」

 扉の向こうから銀髪の少年が現れ、セラの心が奪われる。
 なんて綺麗な方なの。きらめく銀髪に吸い込まれそうな紫の瞳、まとっている雰囲気は優しく澄んでいて、まるで物語の王子様みたい。
 この方が、お兄様の話題によく登場するテオバルト様の弟ジークベルト様。

「セラさんだね?」

 間近で聞こえた声に、セラの肩がわずかに上がる。
 セラが思いを馳せている間に、ジークベルトがソファまで来ていたようだ。

「はじめまして、ジークベルト・フォン・アーベルです。今日はあなたの治療に来ました」
「はっ、はじめまして、ジークベルト様。私はセラ・フォン・バーデンです。はい! 聞いております」
「ひとつお願いがあります。今から使用する魔法は他言無用でお願いします。これはセラさんと僕だけの秘密で、ニコライ様にも誰にも話さないでください」
「わかりました」

 セラの返事にジークベルトが、ほっとした顔をした。


 ***


「では早速治療を始めたいと思います。できれば、セラさんの体の一部を触って魔法を使用したいのですが」
「かかっ、からだを、さっ、さ、さ、さわるぅーー!?」
「落ち着いてください。誤解を与える言い方をしました。セラさんの体内にある魔力を僕が『吸収』するので、できれば手などを握らせていただければ、効率よく『吸収』できるのです。すみません。まだこの魔法を使い慣れてなくて、接触がなければ、かなり非効率で時間がかかります。ご負担をかけないためにも、治療と割りきっていただければと」
「治療のためですね。わかりました。よろしくお願いします」

 セラはそう言って手袋をはずし、おずおずと手を出す。
 その手には小さな気泡が複数できていた。
 これが叔父の言っていた気泡か、見た目は小さなニキビのようだ。
 セラは、現在Lv5でMP158/38である。
 MPの回復は、レベルにより個人差はあるが、MP1で五分程度だ。魔力飽和は、そのMP値を超える状態である。
 普通は体内で生み出された魔力が、上限を超えると自然と体外に放出される。
 セラはその放出が著しく低いのだ。そのため、体内に魔力が蓄積され、体調が悪化し気泡ができ、膨らんでいく。
 気泡ができる状態は、MP値が10を超える時である。
 叔父が見た時は、MP163/8だった。
 レベルが上がることで、MP値が増加する。それに合わせ体内で生み出される魔力、体外放出される魔力も増える。すると自然と魔力飽和状態がなくなるとのことだ。
 レベルが上がるまでの間、俺がセラに『吸収』と『低下』を施して、MP回復能力を低下させる。
 特に『低下』することで、MP1の回復時間が一時間となる。丸二日ほどは『吸収』する必要はなくなるが、残念なことに『低下』の持続は、現在一日なのだ。
 これは俺が、呪魔法のスキルを所持できていないからである。
 ただMP値を超える時間は、回復時間と異なるため、猶予はある。
 そのぶんセラにも努力してもらう。
 幸いなことにセラは、魔属性の光に適性があった。光魔法でMPを使用してもらうのだ。

「ごめんなさい。気味が悪いでしょう」
「いえ、謝っていただく必要などありません。がんばっている手ですよ」

 俺は沈んだ声でそう言う彼女の手をそっと両手で包み込むと、フードに視線を合わせ微笑み「では始めますね『吸収』」と声をかけて治療を始める。
 魔力が流れてくるのがわかる。
 うわぁー、この人の魔力、すごく気持ちいい。やべぇー。
 昨日ハクで『吸収』を練習した時とは、だいぶ違う。
 ハクの魔力は温かく、ジワジワと流れる感じだった。
 セラの魔力はふわっとやわらかい。そして癖になるくらい気持ちいい。
 人によって魔力の質が違うようだ。
「んっ、うぅんっ」と、セラの口から艶かしい声が聞こえる。
「えっ」と、思わず両手を放してしまった。
 気まずい空気が流れる。
 セラはフードを目深にかぶっていて表情は見えないが、艶かしい声に本人も戸惑っているようだ。

「すっ、すみません。声が出てしまって……続けてください」
「あっ、はい、続けますね」

 俺は再び手を掴み『吸収』の魔法を使用する。すると握っているセラの手がピクッと動き、空いていたもう片方の手を素早くフードの奥に押し込める。
「んーーんっっ」と、手で押さえても漏れ出る声がひどくエロい。
 これあきらかに……と、精神が大人の俺は察する。
 ただ治療を止めることはできないし、ここは見て見ぬふりをするのが、お互いのためだと判断する。そしてフードから視線を逸らし、煩悩を排除するため、最近あった嫌な出来事を思い出す。
 その間も、俺には癖になるくらい気持ちいい魔力が流れ、すぐそばでは艶かしい声が聞こえた。
 この地獄をMP1になる寸前まで耐えた。
 俺、がんばった。そして子供でよかったと思う。


 その後ヘルプ機能から補足が入る。


 **********************

 ご主人様とセラ・フォン・バーデンは、互いの魔力の相性がいいのでしょう。
 特に魔力を吸収されるセラ・フォン・バーデンは、相当な快感を得るようです。

 **********************


 俺、ニコライに殺されるかも……。



「『疾風』、ハク様お願いします」
「ガゥ! ガゥッ!〈任せろ! エマ、左だ!〉」
「はい。ハク様!」

 五匹いたオークが次々とドロップ品に変わる。
 今日の晩ご飯は、久々のオークの肉で決まりだ。
 あれ食べたくなるんだよねと、俺がのんきに感想を述べている横で、ニコライとテオ兄さんが彼女たちの動きに驚いていた。

「あいつら完璧なフォーメーションじゃねぇかっ」
「視力がおかしくなったのかな。エマが転ばずに攻撃をあててるよ。どういうことかなジーク?」

 グイッと腕を引っ張られ、笑顔で詰めてくるテオ兄さん。えっ笑顔が怖いです。

「よっよくわからないんですが、エマは共同で魔物を討伐すると戦闘中は、ほとんどドジっ子を発動しません。個人戦となると途端に発動します」
「へぇーその情報、どうして事前に教えてくれなかったかな」
「必要ないかとっ……おっ思いまして」
「テオ、チビも悪気があったわけじゃねぇんだから、そう……」
「ニコライ、そう、なに?」
「いやっな、おいっち……」
「ニコライ?」
「まぁ落ち着け、なっなな……」

 ふたりの声が俺から遠ざかっていく。
 おぉ、くわばらくわばら。
 テオ兄さんのことはニコライに任せて、討伐を終えたハクたちに「お疲れさま」と言って近づくと、ディアーナが困った顔をして、ドロップ品のオークの肉を見つめていた。

「ディア? どうしたの?」
「ジークベルト様、その、どうしましょう?」

 オークの肉の下に、五センチほどのベビースライムがいた。
 これはまた定番な展開です。
 とりあえずオークの肉をはずしてと──。ん? いない。オークの肉にベッタリ張りついている。
 オークの肉を振ってみるが、はずれない。ベビースライムを掴んでみるが、オークの肉からはずれない。
 このベビースライム、粘着力強くないか。

「いろいろと試してみたのですが、オークの肉からはずれないのです」
「そうみたいだね。これはどうしたものかな。討伐する?」
「まだ小さいですし、オークの肉と一緒に放置はダメでしょうか」

 ベビースライムは、俺の『討伐する』に、ピクッと反応した。
 言葉を理解しているようだ。おもしろい。

「このベビースライムは、常習犯だよ。毎回同じようなことをして食料を確保しているみたいだね。俺は甘くないよ。討伐されたくなければ、オークの肉から離れて。じゃないと一緒に焼くよ」
「ピッー〈それはいやー〉」

 ベビースライムが、オークの肉から離れる。逃亡しようと素早く移動するが、ヒョイッとすくい上げる。

「ピーッ〈はなせー〉」と声をあげているが無視だ。
 それより顔はどこだろう。普段はスライムをじっくり観察することなんてない。
 高知能の個体のようだし、定番通り飼ってみるか。なんとなくだけど、この個体を逃したらダメだと、俺の直感が言っている。
 これはもう魔契約するしかない。
 でも、俺にはハクがいるし……。ディアは違う。エマは無理。まさかのハク!? ベビースライムと戯れるハク。うん、かわいいけど、ないな……。
 そうだセラだ! うん、セラだよ。
 ベビースライムを『鑑定』すると、セラの治療に必要な能力を兼ね備えていた。
 これで安心して、武道大会に行ける。
 となると、やることはひとつ。目の前のベビースライムを捕獲することだ。
 まずは話し合いをして、様子見をしよう。

「お前、僕たちと一緒においで。お前を必要としている人がいるんだ」
「ピー〈いやだ〉」
「毎日、オークの肉を食べさせてあげるよ」
「ピッ〈いいよ〉」
「契約成立だね。あっ! 魔契約の相手は僕じゃないからね」

 ベビースライムの体が一瞬光ったが、すぐにおさまる。ハクのパターンもあるから、事前に伝えて正解だ。
 やはりこのベビースライムは賢いが、ちょろい。

「あの、ジークベルト様、この子をお飼いになるのですか?」
「うん。主は僕じゃないけどね。ベビースライム、前報酬だ。そのオークの肉食べていいよ」
「ピッ〈いいの〉」

 ベビースライムが、ウキウキとオークの肉の半分を包み込む。
 どれだけ好きなんだ。これは重点的にオークの肉を狩る必要がありそうだ。
 後でテオ兄さんに相談しよう。

「ん?」

 ハクから猛烈な視線を感じる。
 とてもうらやましそうな顔をして、チラチラとベビースライムを見ている。
 オークの肉をハクの前に出すと、上目遣いでいいの? と尋ねてきたので、頭をポンとなでてやる。
 その合図で、ハクがうれしそうにオークの肉にかぶりつく。


「──ということで、重点的にオークの肉を狩りたいのです」
「これがセラの治療に必要なのか」
「はい。この子の能力が必要です。この子をセラに預ければ、安心して武道大会に行けます」
「ピッ〈さわるなっ〉」

 ニコライがベビースライムを掴む。ベビースライムが尖端を針のように伸ばし、ニコライを攻撃している。
 まぁ全然効いてないけどね。

「弱っちぃーな。これすぐ殺れるぞ」

『殺れる』との言葉に、ベビースライムは過剰反応し、ブルブル震えだす。
 あっまだ魔契約していないのに脅すのはやめてほしい。逃げたら大変だ。
 ニコライからベビースライムを確保し、そのプルンプルンの体をなでて、大丈夫だと安心させる。
 ピクッと体を揺らしたベビースライムは、俺の肩によじ登ると首筋にピタッと張りつく。
 おそらくニコライの攻撃に備え、防衛しているのだと思われる。

「ジーク、話はわかったけど、魔契約していない魔物を伴っての踏破は難しいよ。それにレベル上げは必須だね。このままだとニコライの言う通り瞬殺だよ」

 またもや『瞬殺』に震え上がるベビースライム。首筋の粘着度が上がったような気がする。

「まだ五階ですし、いったん屋敷に戻ってセラと魔契約させた後、この子のレベル上げをするのはどうでしょう」
「んー。魔契約はそうそうにできるものではないんだよ。セラ殿にはまだ難しいと思うな」
「そうなんですか? だけどこの子、先ほど魔契約しようとしてましたが?」
「ピー〈できるぞー〉」
「「「えっ!?」」」

 ベビースライムは、俺の首もとで激しく光る。
 俺たちの戸惑う声と同時に、俺の体に光が降り注ぐ。
「ちょっと待てーー」との俺の声は虚しく響いた。
 無機質な音が頭の中に響く。


 **********************

 魔契約:ベビースライム特種体

 **********************


「ピッ〈どうだ〉」と、ベビースライムは、小さな体をプルンと動かす。
 俺は肩をガックリと下げ「魔契約しちゃいました」と報告した。

「なぁテオ、魔契約って、術者からするもんだと思ってたが、魔物から勝手にできるものなのか?」
「僕の知識もそうなんだけど、できたようだね。ジークだからね」
「なぁ最近なんでもチビだからっていう理由で片づけるのはどうかと思うぞ」
「じゃニコライは、ほかになにか思いつくのかな。説明してみてよ」
「いや、チビだからでいいな。だから笑顔で近づくなっ。お前最近沸点低すぎるぞ……。いやっ、今のは失言だ。俺が悪かった」

 ニコライがなぜか後ずさり、それをまたテオ兄さんが笑顔で追っている。
 んー? いつの間にかふたりは俺から遠ざかっていた。
 俺の報告聞こえたよな。さてどうしたものか。
 首筋のベビースライムを剥がし、手のひらにのせる。
「ピッ〈なんだ〉」と、ベビースライムが様子をうかがうようにして鳴く。
 プルンと動くベビースライムに、ハクとは違うかわいさを感じる。
 魔契約するとかわいく見えるのだ。
 名前 をどうしようかなと考えていると、ハクがそばに寄り添った。

「ガゥ?〈魔契約?〉」
「さすがハク。うんそう」
「ガウ!〈よろしく!〉」
「ピッ!〈よろしく!〉」

 ベビースライムが、ハクの背中に飛び乗り、頭の上に移動する。
 ベビースライムは定位置を見つけたようだ。
 ハクも嫌がってないしいいか。二匹は楽しそうに話し込んでいる。
 うん。ベビースライムはハクに任せよう。

「ジークベルト様、先ほどの光は? お体は大丈夫ですか?」

 休憩場に足を踏み入れると、ディアーナが慌てた様子で俺のそばに寄り、体に異常がないか確認している。エマもオロオロしている。突然の光に心配をかけたようだ。
 ふたりには、ベビースライムの件でテオ兄さんたちと話をするので、ここで待機していてねとお願いしたため、律儀に約束を守ってくれたようだ。
 ディアーナとエマの手を掴み「大丈夫だよ」と伝える。ふたりは安堵のため息をつく。
 俺、愛されてるなとふたりに感謝しつつ、ベビースライムと魔契約したことも伝える。

「セラ様との魔契約のお話だったのでは?」
「うん。それがね、ベビースライムが暴走しちゃってね」
「ピッ?〈呼んだ?〉」
「そうお前の話をしてたんだ。名前どうしよっか」
「ピッ!〈名前!〉」

 ハクと一緒に休憩場に現れたベビースライムは、ピョンピョンと跳ね、俺の手のひらに収まる。
 ハクも対抗心からか俺の膝の上に頭をのせる。
 モフモフとブルルンを堪能し放題の俺、これはなかなかにいいと頬が緩む。
 その様にディアーナが「うふふ、かわいいですね」と微笑むと、「スライムとベビースライムは別物ですよね。私、もてあそばれませんよね」と、エマが小さくつぶやいていた。
 エマにも自覚があったのかと、心の中で突っ込んだ。



 ベビースライムの名前をつけるにあたり、悩みに悩んだ。
 悲しいかな、俺のボキャブラリーのなさが露呈した。
 候補としてあがった名前がこの三択だった。

 スラリン
 ピエール
 ブルー

 ここでまさかの前世の知識が介入。あとは身体的特徴で、あははは……。
 頭を悩ませていたら、エマが「スラ様、オークの肉のおかわりいかがですか」と、ベビースライムに声をかけていた。
 あれ? 俺? 名前の候補、口に出したかな?
「ピッ!〈いる!〉」と、本人も受け入れているようだし、名前はスラに決定だ。
 名付け親となったエマは──ベビースライム様は長い、ベビー様はなんとなく嫌がられる。
 スライム様は個人的に嫌。
 スライムから二文字取ってスラ様と呼ぼう──と、安易に考えた仮名がまさか本名になるとはと、狼狽していたが、スラ本人も気に入っているようだし、それ採用です。
 悩んでいたことが、こうもあっさり解決して、気分が急上昇する。
 目の前にあるオークの肉を頬張る。
 やはり癖になる味だ。冒険の醍醐味ですね。
 前世で例えるなら、某テーマパークで店頭販売され、行列の長さに買うか悩むが、来たからには食べたいと購入して満足するあの商品と一緒なのだ。
 すごく具体的な例えだけど、わかってもらえると思う。
 食事も一段落したところで、テオ兄さんに呼出された。

「ジーク、迷宮に滞在できるのは、セラ殿の病状を考えれば、あと三日ぐらいだろうか」
「いやテオ、『魔草』で抑えられるぞ。五日は大丈夫だろう。チビの治療のおかげで、腫れも気泡もなくなった。光魔法もマリアンネ嬢のおかげで上達しているしな」
「そうですね。五日は大丈夫でしょうが、腫れないだけで気泡は出ますよ。やはり気泡でも嫌でしょう。早目に踏破する予定でお願いします」
「セラはそれぐらい気にしないぞ。迷宮に長居することは事前に承諾済みだ。できれば腫れる前に踏破してほしいが、腫れてもチビに治療してもらえるからいいってさ。だけど破裂前には帰宅してとのことだ」
「それはまた、ご令嬢としては豪胆だね」
「だろう。さすが俺の妹だ。だからセラを気にして踏破を急がなくてもいい。それよりチビ、俺はお前に聞きたいことがある。お前の治療だが、どういったもんなんだ」

 突然の振りに、セラの艶かしい姿を思い出し、声が裏返ってしまう。

「そっそれは、企業秘密です」
「キギョウ? ってか『赤の魔術師』に口止めされてるのはわかるけど、お前もセラも治療の話題になると、極端に動揺して、なぜに頬を染める。現に今のお前も赤いし、動揺している。お前らふたりでなにやってんだ」
「べっ、べつに、いやらしいことなんてしません」
「誰もそんなこと聞いてないだろう。どういうことだ」
「黙秘します」

 ニコライの目が笑っていない。
 俺、殺される。
 あれは治療であって、うしろめたいことなどないはずだ。それに子供の俺にどうこうできるわけはないが、だが言えない。言えるはずがない。
 どれだけ脅されても黙秘だ。徹底的に黙秘である。
 ヘルプ機能が調査した結果、『吸収』で、あのような快感を感じるのは、相当まれであり、天文学的数字でふたりの魔力の相性がいいとのことだった。
 一般的な『吸収』では、日光浴をした感覚の気持ちいいと思うぐらいなのだ。
 何歳までこの治療を続けるのかはわからない。セラのレベルが魔力飽和に追いつくまでだ。
 たしかに成人になってこの治療をすればいろいろと問題だ。
 特に俺が、我慢できるのか自信がない。
 それに最近のセラは、顔の腫れも引き、フードをかぶらず顔を出している。
 目の前で美少女が口に手をあて、必死に快感に耐えている姿は生々しすぎる。
 ニコライと同じ金髪がしっとりと汗をかく姿は、色気ムンムンです。
『吸収』が終わった後は、ふたりしてモジモジしてしまうのは、許してほしい。
 治療後すぐに部屋から出ることも考えたが、セラの状態はまさに情事の後である。
 隠蔽ではないが、落ち着くまでふたりで何気ない会話をして時間をつぶすのだ。
 セラの侍女ハンナは、治療内容をなんとなく察しているようで、俺の治療後は、すぐに風呂と着替えを用意している。
 優秀な侍女は口が堅いのだ。
 そういえば、事前にマリー姉様からハンナには注意するようにと忠告されていた。
 ハンナの俺に対する態度はとても良好である。
 どちらかといえば、将来の主人に対するような対応である。
 あれ? ハンナ、アーベル家の教育まだだよね。
 ドッと嫌な汗が湧いてきた。


 ***


 今後の方針について、テオ兄さんが全員に説明を始める。

「エスタニア王国で開催される武道大会まで、あと一ヶ月。時間がないことも関係しているが、今回のアン・フェンガーの迷宮の目的は、踏破と各々のレベルアップだ。特にディアーナ様への刺客に対する自己防衛は、最低限必要なのはわかるね」
「「はい」」
「いい返事だ。昨日話し合った結果、レベルを重点的に上げようと考えたが、一気に踏破することにした」
「それはどういうことでしょうか」
「迷宮では、踏破すると到達ボーナスがもらえる。これは何度挑戦しても、もらえるものなんだ」
「到達ボーナスを狙うということでしょうか」
「その通り。アン・フェンガーの迷宮は、最下層が十五階だ。それを最低三回繰り返す」
「テオバルト様、迷宮の到達ボーナスは、迷宮の難易度に準ずると習いました。アン・フェンガーの迷宮は、初心者向けの迷宮ですよね。到達ボーナスは期待できないのではないでしょうか」
「そこだよね。ここには『幸運者』の称号持ちのジークがいる。到達ボーナスは、その人の運値に非常に影響されるとの結果が出ているんだ。この意味わかるよね。狙いは『スキル玉』だ」

 テオ兄さんの説明にディアーナは納得してうなずき、「ジークベルト様は、称号持ちなのですね」と、俺を尊敬の眼差しで見つめる。俺は苦笑いしつつ、『俺の称号は、幸運者だけではなく、苦労人もあるんだ』と心の中でつぶやいた。

 迷宮の到達ボーナスは、一階から最下層までの各階を歩き、最下層まで到達するともらえるのだ。ただその間に階層スポットを使用して、ショートカットをすれば、到達とは満たされず、到達ボーナスはもらえない。ただし、一階から十階まで歩き、階層スポットでいったん迷宮の外に出て、再度十階から挑戦した場合は、もらえるのだ。
 どのように判断しているのかは不明だが、踏破の条件として各階の階段を通すことがポイントのような気がする。そして踏破すれば、リセットされる。
 ある冒険者が気まぐれで二回目の踏破をした際、到達ボーナスがもらえた。初回ボーナスと考えていた者が多かったため、目からウロコだったようだ。

「効率よく踏破するため、各自のレベルを確認しようと思う。ちなみに僕はLv24だ。ニコライはLv27だったよね」
「この前上がって、Lv28だ」
「あのー。レベルの確認でしたら、ジークベルト様にお尋ねください。ステータス値も正確に教えていただけますし、ハク様やスラ様のレベルもご存じのはずです」

 エマが、おずおずと発言する。
 あちゃーエマ、そこでその話題出すの。
 たしかにレベルやステータス値は、俺が皆に公開していた。お互いの強さがわかれば動きやすいと判断したためだ。
 口止めを忘れていた。俺の不手際だ。

「チビ、お前『鑑定』が使えるのか」
「そうですね、使えないこともないです」
「鑑定レベルが低いのかい」
「はい。僕はLv16ですので、テオ兄さんやニコライ様のステータスは確認できません」

 ここは鑑定レベルが低いことにしよう。レベルが高い人のステータスは確認できないので、ちょうどいい。俺の隠蔽ステータスに鑑定を追加しないと。


 **********************

 ご主人様、お任せください。私が追加しておきます。

 **********************


 ヘルプ機能から報告が入る。
 俺がLv15になった時点で、ヘルプ機能は鑑定を使用せずとも自由に発言ができるようになった。
 もうこれヘルプ機能ではないよね。俺の役立つ情報や作業を率先してやってくれる。
 ヘルプ機能と定着しているが、呼び名も変えたほうがいいよね。


 **********************

 ヘルプ機能でも、よろしいのですよ。
 ご主人様が名前をつけてくださるなら、うれしいです。
 できればかわいく清楚で気品がある名前を望みます。

 **********************


 それもう要望だから。時間が欲しいです。
 俺のボキャブラリーのなさは、知っているでしょ。


 **********************

 はい。もちろんです。
 ここで急かして、大変不名誉な名前をつけられたら困ります。

 **********************


 おいっ。ヘルプ機能!
 いくら俺でも常識はある。


 **********************

 前例があります。

 **********************


 ぐうの音も出ない。

「テオ兄さん、これが現在の皆のレベルとステータス値です」

 魔法袋から、一枚の紙を出しそれぞれのステータス値を書き加える。もちろん、俺とハクのステータス値は隠蔽している。
 現在のそれぞれのレベルとステ値はこれである。


 ***********************
 ジークベルト・フォン・アーベル
 Lv:16
 HP:310/310
 MP:1750/1750
 魔力:1750
 攻撃:310
 防御:310
 敏捷:310
 運:500
 ***********************


 ***********************
 ハク
 Lv:11
 HP:450/450  
 MP:370/370
 魔力:410
 攻撃:330
 防御:270
 俊敏:480
 運:150
 ***********************


 ***********************
 スラ
 Lv:1
 HP:10/10
 MP:10/10
 魔力:10
 攻撃:10
 防御:10
 俊敏:10
 運:10
 ***********************


 ***********************
 ディアーナ・フォン・エスタニア
 Lv:10
 HP:68/68
 MP:78/78
 魔力:84
 攻撃:56
 防御:61
 敏捷:53
 運:21
 ***********************


 ***********************
 エマ・グレンジャー
 Lv:10
 HP:62/62
 MP:10/10
 魔力:12
 攻撃:27
 防御:40
 敏捷:10
 運:8
 ***********************


 エマのステータス値の低さがわかるだろう。
 HPと防御、及第点で攻撃以外は壊滅的な低さだ。
 Lv1のスラと同じである。
 ちなみに、テオ兄さんたちのステータスはこれだ。


 ***********************
 テオバルト・フォン・アーベル
 Lv:24
 HP:163/163
 MP:151/151
 魔力:139
 攻撃:146
 防御:182
 敏捷:218
 運:84
 ***********************


 ***********************
 ニコライ・フォン・バーデン
 Lv:28
 HP:198/198
 MP:159/159
 魔力:140
 攻撃:229
 防御:154
 敏捷:134
 運:56
 ***********************


 テオ兄さんは、平均的にステータス値が高く、特に敏捷は群を抜く高さだ。
 陰に隠れているけど優秀なのだ。
 まぁ理由は、称号『日陰人』の影響が大きいのだろう。
 ニコライは、やはりパワー系の魔法戦士だ。攻撃とHPの高さがそれを表している。

「チビ、これまじか……」
「エマのステータスは、絶望的だね。あははははっ。昨日の理由がよくわかったよ。僕の判断は正しいね。ジーク、短剣のスキル玉を絶対に確保するんだ。もしくは身体能力系のスキル玉だ」

 ニコライは紙の内容を見て、絶句。
 テオ兄さんは、俺の肩をガッチリと掴み、厳命する。
 昨日との本気度合いが違う。
 初心者の迷宮で、俺の幸運値と称号が、到達ボーナスの獲得にどれだけ影響するかわからないが、かけてみる価値はあるとの話ではなかったか。妙なプレッシャーがかかる。
 これも苦労人の称号のせいだ。



 アン・フェンガーの迷宮は、全階層洞窟の迷宮である。また小規模のため、比較的、踏破に時間はかからない。
 トップ冒険者であれば、一日足らずで踏破が可能である。
 俺、ニコライ、テオ兄さん、三人が戦闘に加わったパーティーは、とどまることなく、一気に十二階層までたどり着いた。


「いったんここで休憩だね」
「ピッ!〈肉!〉」

 ニコライの肩からスラが飛び降りると、すぐエマにオークの肉を要望する。
 そのスラをヒョイッとつまみ「お前、話がある」と、ニコライが連れ出した。
「ピーッ〈はなせー〉」と叫んでいるが、スラの自業自得だと思う。
 スラは、この十二階層までに、Lv4となっている。
 この短時間に、瞬殺だと脅されていたベビースライムが、格上の魔物を仕留めているのだ。
 それには理由がある。
 ニコライが、魔法剣で無双中に、仕留め損ねた魔物を次から次へ横からかっさらう暴挙に出たのだ。
 なんとも狡賢い作戦である。
 ニコライが、無言で飼い主である俺に訴えていたが、見て見ぬふりをした。
 セラのためだ。スラのレベル上げは必須なのだ。

「あの子は、なかなかの逸材だね。ジークと魔契約をしただけはあるよ」
「テオ兄さん、スラの前では褒め言葉は禁止ですよ。調子に乗りますからね」
「わかっているよ。敵視していたニコライの肩に乗った時は、驚いたけど、まさか横取りするためだったなんて、想像つくかい」
「僕も、びっくりしました」
「しかも、一発で仕留められるほど弱った魔物しか狙っていない。自分の力量を把握できているね。それにしてもあの攻撃、種族特有のものかい」
「分離した攻撃ですよね。あれはスラの固有スキルのようです」
「通常のスライムでも分離できるのだろうか。これはヴィリー叔父さんに報告して……」

 テオ兄さんは、ブツブツと独り言をつぶやきながら、顎の下に手を置き、考え始めた。
 こうなると、外部からなにを言っても無駄だ。
 考えがまとまるまでは放置だね。
 スラの攻撃は特殊で、体から針の形をした物を作り出し、それを敵の急所に向け発射する。
 攻撃をした後は、若干体が小さくなっている。まさに身を削って攻撃をしているのだ。
 スラは固有スキルの『分離』と『擬態』をうまく使っている。


 ***********************
 スラ オス 0才
 種族:ベビースライム特種体
 Lv:4
 HP:40/40
 MP:40/40
 魔力:40
 攻撃:40
 防御:40
 俊敏:40
 運:25
 魔属性:闇・無

 固有スキル:分離Lv-・吸収Lv-・擬態Lv1

 魔契約:ジークベルト・フォン・アーベル
 ***********************


 固有スキルの分離は、体を分離することはもちろん、体内に吸収したものを分離する能力もある。
 例えば毒薬を吸収すれば、毒だけを分離して切り離すこともできるのだ。
 擬態は文字通り、ほかのものの姿に似せることができる。
 ただレベルが低いので精密なものはできない。
 今は針の形をしたもので精いっぱいのようだ。
 吸収は、あらゆるものを吸収できる能力だ。
 魔力を吸収しても、分離で分散できるのだ。
 ただしこのスキルも、魔力に準ずる。魔力が高ければ安定した吸収が可能になるというわけだ。
 武道大会で留守番となるセラの強力なサポートになるのだ。

「ピー〈たすけてー〉」
「うわぁ」

 スラが叫びながら俺に飛び乗り、肩までよじ登ると、首筋にピタッと張りつく。
 そこへ息を荒らげたニコライが走ってくる。

「はぁはぁ……っ、チビ、そいつを渡せ。そいつの根性叩きなおしてやる」
「ニコライ様、落ち着いてください。スラのレベル上げは、セラのためにもなります」
「セラのためだと」
「そうです。今回のやり方は、僕もどうかと思いますので、ちゃんと言い聞かせます。ただスラのレベル上げは必要です」
「ピッ〈そうだぞ〉」
「スラ、少し黙っていようか」
「ピッ〈わかった〉」
「レベルが上がれば、スラの固有スキルも安定します。武道大会中の懸念事項も解消されます。手伝ってくれるよね、スラ」
「ピッ!〈もちろん!〉」

 俺の肩の上で、飛び跳ねるスラをとらえながら、ニコライが苦虫を噛みつぶしたような顔をした。

「ちッ、今回だけだからな」
「ありがとうございます。そのぉー。甘えて申し訳ないんですが、スラはまだ低レベルです。できれば、戦闘中はスラを肩にのせてください。仕損じた魔物をスラに与えてあげてください」
「……っ。今回だけだからな」

 ニコライは、一瞬言葉を飲み込むと不承不承ながら頷く。
 俺はニコライに頭を下げた。

「ありがとうございます」

 了承してくれてよかった。
 これでスラのレベルはある程度上がるだろう。
 すごく怒ると思うが、ニコライとスラは、いいコンビだと思う。
 俺も言えた義理ではないが、ニコライの魔法剣はまだまだ隙がある。
 仕損じた魔物をスラが仕留めているのは、戦闘上、とても合理的である。
 あとはお互い距離を縮めれば円満なんだけどなぁ。
「ピ?〈どうした?〉」 と、肩にいるスラが飛び跳ねる。
「なんでもないよ」と、スラの体をなで、この騒動にも微動だにしないで、考え込んでいるテオ兄さんを横目で見た。
 相談したいことがあったけど、この様子では時間がないし、一度、踏破してからだなと思う。
 実は十二階層の地図内に、隠し部屋を発見したのだ。
 魔物の反応はなく、宝箱だけがあるようだ。
 この隠し部屋は、十三階層の階段と真逆に位置するため、休憩中に相談する予定だったが、ここは踏破を優先することにする。



 スムーズに十五階層、アン・フェンガーの迷宮の最下層へたどり着いた。
 途中ニコライとスラが、またもめていたがそこは完全スルーだ。
 最下層は、ダンジョンと同じく魔物の気配がない。ただ違う点は、扉がなく広い空間の中心に人型の石像があり、そのうしろに階層スポットがあるだけだ。
 あの石像の前で到達ボーナスがもらえるのだろう。
 遠目だが石像のシルエットが誰かに似ていることに気づく。
 近づくにつれそれが確信に変わり、思わず声に出していた。

「生死案内人!?」
「ジーク? この像は迷宮の守り神だよ。この像が持っている箱を回すと、目の前に到達ボーナスが現れるんだよ」
「うわぁ、ガラポンだ」
「ガラポン? ジーク大丈夫かい?」

 急に膝をつき奇妙な言葉を発した俺に、テオ兄さん含め全員がそばに駆け寄ってくる。
 心配顔の面々に「大丈夫です」と、手を上げ、精神ダメージから回復するのを待つ。
 石像だけど、まさかの再会に驚いた。
 生死案内人、こんなところでなにやってるの。
 迷宮の守り神って……。
 日本での仕様とは若干異なるが、玉の代わりに商品が現れるだけで、ガラポンだよね、それ。

 ガラポンを回す順番はくじで決め、ディア、エマ、テオ兄さん、ニコライ、俺に決まった。
 ハクとスラは到達ボーナスがもらえないのか、くじさえ用意されていなかった。
 二匹とも元気にしているが、未練はあるようで、ガラポンをチラチラと見ている。
 んー……。
 もらえないかもしれないが、物は試しだ。全員が回した後、提案してみよう。

「では回しますね」

 やや緊張した顔をしたディアーナが、箱を回すと、ピカッと光り、目の前に白い袋が現れる。
 その中身は、MP回復薬が三個、HP回復薬が五個であった。
 これはいい商品なのか。テオ兄さんたちに目配せすると、まずまずといった感じだった。

「次は私ですね。なんだかわくわくします」

 エマがうれしそうに箱を回すと、光と共に、目の前に茶色の物体が現れる。
 タワシだ。
 ここでお決まりの商品を出すところが、さすがエマだ。
 というか、日本産の物を異世界に持ち出すなよ。
 エマが「これなんでしょう?」と、困惑しているだろ。
 俺がフォローするのか、生死案内人。
 エマにそれとなく「鍋とかを洗う品じゃないかなぁ」と、助言をしておく。

「やはり初心者向けの迷宮だね」
「到達ボーナスしょぼいな」

 そう言ったテオ兄さんは、Bランクの短剣で、ニコライは、HP回復薬が十個だった。
 さて次は俺の番だ。生死案内人の石像の前に立つ。
 前世の清算は完了しているが、ここは顔なじみってことで『どうかスキル玉をお願いします』と、念じて箱を回す。
 ピカッと光った後、手の中に玉が現れる。

「すげぇーな、チビ! スキル玉じゃねぇかっ!」
「よくやったよ。ジーク!」
「「すごいです!」」

 各々褒めてくれるが、このスキル玉は求めているものではない。
 俺がは喉から手が出るほど欲しいスキルだが、今はこれじゃないんだ。
 うれしいけどうれしいけど、素直に喜べない。
『鑑定』結果を報告する。

「ですがこれ、身体強化のスキル玉です。短剣のスキル玉ではありません」
「いやジーク、これでスキル玉が手に入ることがわかったんだ。もう一度、踏破するよ」

 テオ兄さんの目が妖しく光っている。
 初心者向けの迷宮だとあきらめムードだったところのスキル玉だ。
 やる気が出るのも無理はない。
 うしろの階層スポットへ足早に進むテオ兄さんたちに、俺は待ったをかける。

「待ってください。ハクとスラはもらえないのでしょうか」
「ガゥッ?〈回せるの?〉」
「ピッ?〈できる?〉」
「魔獣や魔物が回したとは……。そうだね。試してみようか」
「ガゥ!〈やった!〉」
「ピッ!〈よし!〉」

 テオ兄さんは、二匹の期待の目に折れたようだ。
 二匹は喜び、早速スラが箱に飛び乗り回すと、光と共に、オークの肉が十個現れた。
 続いてハクが、前足を使い器用に箱を回すと、俺と同じスキル玉が現れた。

「ガウッ〈ジークベルトと一緒だ〉」

 ハクが喜んでいるそばで、テオ兄さんたちは唖然としている。
 うん、そうなるよね。
 ハクの幸運値は、隠蔽しているけどかなり高いんだ。

「なぁテオ、俺、夢でも見てるのか」
「うん、僕も現実に目を逸らしたくなるけど、これは絶対守秘だよ。ニコライ」
「わぁてるよ。これもチビの魔獣だからでいいんじゃねぇか」
「そうだね。なぜかそれで納得できる僕自身が怖いよ」

 後から聞いた話だが、魔獣や魔物が到達ボーナスを取得したことは、今までないそうだ。
 俺たちと同じく試した人はいたが到達ボーナスは、現れなかった。
 ハクは幸運値の関係でたまたまと考えたとしても、スラにいたっては皆無だ。
 これって生死案内人のサービスかなぁ。もう会うことはないが、心の中で感謝した。
 勢いづいた俺たちは、二回目もスムーズに踏破した。

 二回目の到達ボーナスの結果。

 俺、身体強化のスキル玉
 ハク、身体強化のスキル玉
 スラ、オークの肉が十五個
 テオ兄さん、Aランクのガラス石
 ニコライ、Bランクの盾
 ディア、Bランクの短剣
 エマ、タワシ

 俺とハクは、スキル玉だったが、前回と同じく身体強化のスキル玉だった。
 もしかするとこの迷宮では、身体強化のスキル玉しか出ないのかもしれない。
 ハクが、スラのオークの肉をうらやましそうに見ている。
 そんな顔をせずとも、オークの肉は『収納』に、たくさんあるから、食べたいなら出すよ。
 よしよしと頭をなでる。
 スラは、オークの肉に大興奮だ。数が十五個と増えていたことも拍車をかけ、ピョンピョン飛び跳ねて喜んでいる。
 そりゃー大好物ですもんね。
 そして、エマの引きの悪さにドン引きです。
 シャレではなく、二回目もタワシって。
 この流れは三回目もタワシ確定だな。
 テオ兄さんのAランクのガラス石は、大あたりだと思う。
 地味に欲しい。
 ダンジョン転移事件に巻き込まれるきっかけとなったガラス石。
 フラウからいまだ魔法砂をもらえていないため、ガラス石の作製は止まったままだが、修練は続けている。
 お手製のガラス石を絶対に作製してやるんだ。

「テオ、どうする? ここに来て四日目だ。もう一回挑戦することはできるが、方針を変えてレベル上げを優先するのもありだと思うぞ」
「そうだね、少し考えさせてほしい。スキル玉が取得できている現状であきらめるのもどうかと思うけど、身体強化のスキル玉しか出ない気がしてならない。ほかの迷宮では、スキル玉が一種類だけとの前例はない。けど今回はジークの運値で出ているのであって、本来、初級の迷宮ではありえないことだ。うーん」
「あのテオ兄さん」
「なんだいジーク?」
「実は十二階層に、隠し部屋があります。十三階層の階段と真逆だったので踏破してから相談しようと思いまして、報告が遅くなりました」
「ジークが話すぐらいだから、隠し部屋にはなにかあるのかい?」
「宝箱があるようです」
「おいっ、チビ、お前」
「ニコライ、黙っててくれるかい」
「おうっ」
「ジークは、どう思う。踏破かレベル上げか」
「そうですね。僕もテオ兄さんと同じく、この迷宮は身体強化のスキル玉しか出ない気がします。ですがレベル上げも、この迷宮では期待ができません。僕とハクはこの迷宮に入ってから、一度もレベルアップをしていませんし、ディアたちもレベルが1上がっただけです」
「そうだね。思っていたよりジークたちのレベルが高かったね。うん。やはり踏破しよう。身体強化のスキル玉も使用しよう。ディアーナ様、エマ、ジーク、そしてハクで使用するよ。そして途中で十二階層の隠し部屋に寄ろう」

 テオ兄さんは、大きくうなずき、方針を全員へ伝える。
 俺がなぜ十二階層の隠し部屋を知りえたか、その部屋に宝箱があるのがわかったかを詮索はされなかった。
 ニコライの追及を意図してテオ兄さんは止めている。
 俺の『地図』スキルは、隠す必要がないと判断しているため、隠し部屋を伝えたのだが、逆に気を使わせてしまった。
 反省しないといけない。



「魔物の数が異常だな。くそっ、取り逃がしたか。チビ、援護頼む」
「はい『疾風』。ハク、右側前方にも大量のオークがいるよ。テオ兄さん後方からオーガが迫っています」
「ガゥ!〈任せろ!〉」
「了解。ディアーナ様、援護を頼みます。エマはハクの取り逃がしを頼んだよ」
「「はい」」

 ただ今大混戦中です。
 十二階層の隠し部屋に到着目前で、トラップにかかったのだ。
 魔物の反応が、ほぼなかったこともあって油断していた。
 エマの「うわぁー」という声と共に、ガゴッと、お約束の音がした。
 俺は一部始終を目撃していた。
 エマが転ぶのを回避するため、壁に手をついたら、そこが罠の発動ポイントだった。
 本当にエマは、お約束は外さないよね。
 ガタンッと、音がして足もとが揺れた直後、そのまま床ごと急激に下がっていく。
 重力を感じず、フワッと浮く感覚に「うっ」と声が出てしまう。
 俺は、絶叫系が超苦手です。
 ディアーナたちも「きゃあー」と絶叫している。
 大がかりな仕掛けに、これちゃんと止まるよねと危惧していると、徐々に減速していき、ガダンッと停止した。

「皆、大丈夫かい」
「はい。大丈夫です。エマ、気をたしかにっ」
「ひっ姫しゃまー。ヒックッ、足がガクガクして、うっ、動きませぇん」

 テオ兄さんの声掛けに、ディアが気丈に返事をするが、ディアと抱き合っていたエマは、プチパニックを起こし、立ち上がることができず、その場に座り込む。
 スラはニコライの肩から落ち、床にへばりついたようで、床と平面に伸びていた。
 あれは大丈夫そうだ。
 ハクは床が落ちた瞬間、俺に駆け寄り守ろうとしてくれたが、今まで経験したことがない浮遊感に、すぐ耳を下げて恐怖した。
 その姿に「うっ」と、情けない声を出しながらも、ハクを抱きしめた。
 いまだハクは俺の腕の中でブルブル震えている。
 乗り物酔いしたのかもしれない。
 静かに『癒し』と精神を安定する魔法をかけると、ハクが腕の中から顔を出し「ガゥ〈こわかった〉 」と鳴く。
 よしよしと、ハクの体をなで安心させる。


 ***********************

 ご主人様、いますぐ地図を確認ください。

 ***********************


 ヘルプ機能からの警告を受け、『地図』を慌てて起動する。
『地図』の迷宮階層の表示がおかしい。
 マイナス十階層ってなんだ。

「テオ兄さん、階層表示がおかしいです。マイナス十階層との表示が……。えっ!? 前方から大量のオークの反応あり。数は三十です」
「マイナス十階層? 三十匹!? ニコライ頼む」
「おぅ! 行くぞ、スラ」
「ピッ〈がんばる〉」

 床に伸びていたスラの体が正常な状態に戻り、ニコライの肩に飛び乗る。
 それを確認したニコライが、オークのもとへ向かっていく。
 その間にテオ兄さんは、ディアーナとエマに『聖水』をかけ、精神を安定させている。
 突如、地図の左側にゴブリン三十、右側にスライム五十との表示が出る。
 これはどういうことだ?
 考えている暇はない。

「左側からゴブリンです。数三十。右側からスライムの大群。数五十。スライムは、僕が魔法でやります」
「了解。ディアーナ様、エマ、ゴブリンを狩るよ。ハクは、ニコライに加戦して」
「「はい」」
「ガウ〈わかった〉」

 それぞれが、戦闘態勢に入る。
 俺は『倍速』でスライムの大群に近づき『熱風』で瞬殺する。
 スライムが青から赤に変わり、次々とドロップ品の薬草に代わる。
 薬草にも種類があり、スライムの薬草は、HP回復薬のもとになる。
 回収している先から新たな魔物が出現する。
 光の粒が集まりオーク二十匹となった。
 腰にある黒い剣を抜き、オークの大群に切り込む。
『倍速』で動きを速め、一撃々確実に急所を狙い仕留めていく。
 二十個のオークの肉がそこにはできていた。
 スラが喜ぶなと『収納』に放り込み、テオ兄さんたちの戦闘に加戦するため、もとの場所へ急ぐ。
 この階層はおかしい。
 魔物の出現を目の当たりにしたが、復活するにも周期があるのだ。
 この数は尋常ではないし、俺たちが階層に着いた瞬間から、意図して魔物が出現している。
 言った先から前方に光の集合体を確認すると、ゴブリンが十匹現れる。
 うっとうしい。
 魔力温存のため、黒い剣でゴブリンをなぎ倒す。
 剣スキルを取得してから、剣筋があきらかに異なり、低ランクの魔物なら瞬殺で仕留められる。
 スキルの有無は、雲泥の差であると、実戦が語っている。

「次から次へと、湧いてくる。くっそー。きりがねぇー」
「ピッ〈危ない〉」

 ニコライの隙をオークが狙うが、スラがそれをカバーする。ニコライの集中力が落ちている。
 魔物と戦闘を初めて早一時間、いくら低ランクの魔物であっても、数が増えれば脅威だ。
  ニコライとテオ兄さんの疲労も激しい。ディアーナやエマは、そろそろ限界だ。
 これは地味にやばいぞ。
 打開策を考えなければ、全滅する可能性もある。
 ん? なんだこれ? セーフティポイント? 
 地図上に突如、緑のマークが現れた。
 すかさずヘルプ機能から説明が入る。


 ***********************

 ご主人様、すぐにその場所に移動してください。
 魔物との戦闘をいったん離脱できます。休憩場所です。
 セーフティポイントは、人がいない状態が一定時間続くと消えます。
 
 ***********************


 おぉー。ここで天の助け。
 消える前に移動だ。


「みんな、僕についてきて、魔物との戦闘をいったん離脱できる場所が現れました。早くしないとその場所が消えます」
「ジーク先行して、僕がうしろの魔物を引きつけるよ」

「はい」と、テオ兄さんに返事をして、戦闘中のハクを呼び、ディアーナたちの護衛を頼みつつ、セーフティポイントへ急ぐ。
 前方にも魔物の大群がいるが、黒い剣を振り回しなぎ倒す。ドロップ品は回収不要だ。
 ハクも襲ってくる魔物を前足で切り裂いている。ハクには念話で、魔法を温存するようにと伝えてある。
 この先なにがあるかわからないからね。
 地面から緑色の光を発光している場所が見えてくる。
 あれがセーフティポイント。
 なんとか消える前に到着できたと、安堵のため息をつきながら、緑の光に突っ込む。
 ディアーナたちもためらうことなく、俺の後に続く。



 その中は洞窟とは思えない景色が広がっていた。
 いわゆるオアシスだ。
 この場所は、異空間かもしれない。
 ディアーナたちは、不安なようで戦闘態勢を崩してはいない。
「ご苦労さま」と、ハクの頭をなでると「ガウッ?〈もう大丈夫なの?〉 」と、上目遣いで俺を見る。「もう大丈夫だよ」と微笑みながら、ディアーナたちに安全であることを説明する。
 そうこうするうちに、ニコライとスラ、テオ兄さんも無事にセーフティポイントへ入ってきた。
 すると、スラがすごい勢いで俺に飛び乗り、肩の上から抗議している。

「ピッ〈肉、すてた〉 」
「いやこの場合は、しかたないよ」
「ガゥ〈スラ、しかたない〉 」
「ピピッ〈主、肉すてずにできる〉」
「評価はありがたいけど、セーフティポイントがいつ消えるかわからなかったしね。それにほら大量にあるよ」
「ピッ!〈肉!〉」
「ハクも食べて、体力回復してね」
「ガウ!〈食べる!〉」

 スラは、オークの肉を回収せずに来たことを怒っていたようだが、オークの肉を出すとあっさりと引いた。
 スラは、どこまでいってもスラだ。
 ハクとスラが、オークの生肉を食べているうちに、テオ兄さんたちに近づく。
 まずは状況確認と今後をどうするかの話し合いと休憩が必要だ。

「テオ兄さん、ニコライ様、後方の処理ありがとうございました」
「ジーク、ここは安全なんだね。いつまでこの状態でいられるのかな」
「はい。魔物は入れない場所のようです。出るのも僕たち自身のタイミングで決められます」

 セーフティポイントは、迷宮内の魔物が介入することのできない場所であり、中に入ってしまえば安全が確保され、出るタイミングは自分で選べる。ただし、誰かひとりでも外に出れば、セーフティポイントは消失する。
 俺の説明に「そうか」と、テオ兄さんが大きく頷き、その場に座り込む。
 相当疲れているようだ。
 ニコライも剣を鞘に納め、ドサッと座り「ここ洞窟内だよなぁ」と、ぼやいている。
 テオ兄さんが「あぁそうだ」と、腰にある魔法袋を俺に差し出した。
 不思議そうに魔法袋を見つめる俺に「ドロップ品、回収しておいたよ」との補足が入った。
 さすがテオ兄さん、俺たちが回収しなかったドロップ品を拾ってくれたようだ。
 疲労を回復するため、ここでいったん休憩と軽い食事をすることにした。
 エマは疲労困憊のため、今回は俺が率先して食事の用意をする。
 さて何を食べようかな。『収納』には、料理人お手製の数々の品が入っている。
 テーブルの上にテーブルクロスを敷き、カツサンドとフルーツサンドを並べ、サイドにポテトフライとコールスロー、飲み物はフレシュジュースだ。

「うわぁー。美味しそうです。これ全部、ジークベルト様発案の品ですよね」
「そうだね」

 疲労困憊のはずのエマが、料理を前に目を輝かせ、はしゃいでいる。
 ずいぶん元気がいい。
 さきほどまで「もう動けません」と、弱音を吐いていた人物だとは思えないほどだ。
 料理オタク魂だね。
 レシピを教える約束をして、エマに全員を呼びに行ってもらう。


「チビが考える料理は、外れがなく上手いよな」
「ニコライ様、そうですよね! ジークベルト様のレシピは、今まで思いつかない料理方法や組合せですが、その味は抜群です。あぁー私も新しいレシピで料理が作れるんです。アーベル家にお勤めできて幸せです」
「エマ、そう興奮してはだめよ。ニコライ様もすみません」
「いや、いいんだけどよぉ。エマはチビの婚約者じゃねぇのか」
「滅相もございません。私では身分が違いすぎます。それに五歳も年上ですし」
「チビは、その変は気にしないだろう」
「はい。ジークベルト様は、いまは婚約者は増やさないとのことです。ですので、いまは婚約者候補ですわ」

 ニコライまた微妙な話を持ち出すな。
 エマが委縮しているだろ。
 ディアーナはなぜか複数の婚約者を望んでいるんだよね。
 婚約者の立場からすれば、複数って嫌じゃないのかな。
 乙女心はよくわからない。
 話を振られないように、俺はそーっと、テーブルを抜け、スラとハクのそばに近寄る。
 スラはカツサンドがお気に召したようで、その小さな身体を伸ばし、カツサンドを三個、一気に包み込んでいる。
 食べ物は逃げないので、お行儀の悪い食べ方をしないようにと注意する。
 躾は大事だ。
 ハクは食べ終わったお皿をジッーと見つめている。
 その様子に微笑みながら、成長期に遠慮するのはダメだよと伝え、足りなければ、おかわりを要望するようにと、フルーツサンドとカツサンドをお皿に追加する。
 最近のハクは、食欲が旺盛で、一般男性の三倍は食べるようになった。
 この様子だと、それでもまだ足りないのかもしれない。

「マイナス十階層、ニコライどう思う?」
「テオが考えている通りだろ。突発的に魔物が現れたり、魔物の数からして、裏迷宮に間違いないだろう。噂では聞いたことがあるが、まさか初心者の迷宮にこれがあるとは思ってもみなかったぜ」

「裏迷宮?」と、テオ兄さんたちの会話に俺は割り込む。

「裏迷宮、冒険者の中ではわりと有名な話なんだ。迷宮には数々のトラップがあるがそのひとつが裏迷宮につながっているとのことだった。ただ裏迷宮を語る冒険者が少なくその存在自体、信憑性を問われていた」
「そうなんですね。もしかすると裏迷宮から脱出できない冒険者が多いのかもしれません」
「そうだね。おそらく裏迷宮を踏破した者は少ない。この一時間で倒した魔物の数は、数百を超えている。低ランクの魔物だからなんとか持ちこたえたけど、ここが初心者の迷宮でなかったら、全滅の可能性もあったね。さて、どうしたものか」
「どうするもなにも、裏迷宮を踏破するしかねぇだろ」
「それはわかっているんだよ、ニコライ。ただここはマイナス十階層だろ。このような戦闘を最低十回は行うってことだよ。油断すれば全滅もある。ここは念入りに計画を立てないと、ジーク、この休憩場所は各階にあるのかい?」
「えっ? ちょっと待ってください。調べます」


 ***********************

 あります。
 ただし、セーフティポイントが出現する場所、時間などは、ランダムです。

 ***********************


 各階層に、セーフティポイントはあるようだ。
 安心する。
 ただ今回は近くにたまたま出現しただけで、毎回タイミング良くとはいかないだろう。

「あるようですが、セーフティポイント、この場所ですね。出現はランダムのようです。今回はたまたま運がよく近場に出現したようです」
「これはまた厄介な感じだね。出現場所や時間さえ見当がつけば、そこから踏破までの計画を立てようと考えていたんだが……」
「なぁ、チビ、テオ、俺が聞いた話だが、裏迷宮は一階層しかないってことだぞ。そもそもマイナスの階層表示自体おかしくないか」
「その話は本当かい。そうなると、マイナス十階層とは、どういうことなんだ。ジーク、マイナス十階層で間違いはないんだね」
「はい。マイナス十階層です」

 俺の答えにテオ兄さんが腕を組んで考え込んでいる。
 ヘルプ機能どういうことだ。


 ***********************

 確認しました。
 地図表示は間違いありません。
 おそらく降下中に裏迷宮のマイナス十階層へ転移したものと思われます。
 迷宮一つに対して裏迷宮の階層が一つとなります。そのため、各階に繋がる階段が存在しません。

 ***********************


 ってことは、この階層を脱出すればいいってことだよね。
 それなら無事に脱出できそうだ。
 しかし、このマイナス表示は、わかりにくい。


 ***********************

 ご主人様の『地図』スキルは、スキルポイントで『索敵』と合成したものですので、一般的な『地図』スキルとは若干異なります。
 特別仕様で、本来の表記が表示されています。
 通常は階層表示がありません。

 ***********************


 うわぁー。俺、余計な情報を外に出してしまった。
 階層表示がないってことは、誰かが意図して隠しているんだろ。
 関わりたくない。だけど、テオ兄さんたちには、事実を告げないと納得してもらえない。
 あぁーー。詰んだ。これは詰んだぞ。

「テオ兄さん、ニコライ様の話は本当のようです。今調査したところ、ここは裏迷宮のマイナス十階層で間違いはありませんが、各階ごとに、異なる迷宮とつながっているようです。アン・フェンガーの迷宮の裏迷宮は、マイナス十階層です。現にこの階層には、階段がありません」
「その話が本当なら、すごい発見だよ。裏迷宮は誰かが意図してつくった可能性があるね。魔物を出現させるには、召喚魔法が必要だし、この規模を人工的につくったのであれば、これはすごいよ」

 やはりテオ兄さんは、その可能性に気づいた。
 階層表示を隠していることは伝えていないのにだ。
 この情報提示で、俺の責任は果たしたよね。あとはご自由に調査してください。
 俺を巻き込まないでと、心の中で祈った。