学校生活は、総じてクソだと思っている。あれは周りとすぐに打ち解けられるような明るい人間———いわゆるパリピの為に与えられたステージだからだ。
文化祭や修学旅行。体育祭などの学園行事は、奴らが最も輝く、奴らの為だけに与えられたイベントで、それとは真逆のベクトルを持つ、暗くてイマイチ冴えない私のような人間は、奴らを輝かせるための添え物だ。
決して間違えてはいけない。
その場所は私の居場所ではない。
だから、クラスではひっそりとして過ごしていたの。いても居なくても変わらない存在。そんな人間に自らなりに行って、決して目立たず、息を潜めて自分の席で背中を丸めて過ごしている。
奴らに目をつけられないように。閉ざされた閉鎖空間の中では、なにが起こるかわからないから。snsが発達して、幅広い年代の人達と交流を持てるようになったとはいえ、自分の居場所は未だ学校の中だ。単なる暇潰しでなにをされるかわかったものではない。
見た目も目立たないようにしていた。酷い癖っ毛をむりやり撫で付けて二本の三つ編みにし、顔を隠すように大きな黒縁の眼鏡をしていた。地味に穏やかに過ごしていれば、こちらが被害に合うようなことはない。 ———筈だった。
「なに、これ」
ある日の放課後、早々に自宅へ帰ろうと自分の下駄箱を覗いてみると、外履きの上に封筒が乗せられていた。
訝しがりながら手を伸ばし手にとってみる。真っ白な封筒で宛名には私の名前が記入されている。差出人の名前はないようだ。ご丁寧に赤いハート型のでっかいシールで封をされている。
まさかと思うが、ラブレター? だろうか。今どきこんなことをする人間がいるだろうか。漫画やドラマぐらいでしかみたことがない。
一応、中身を開けてみる。すると、折り畳まれた便箋が一枚出てきて、開いてみると文字が書かれていた。
『愛原ひより様。話したい事があるので校舎裏に来てください。待っています』
まさか、本当に……? 私の事を好きでいてくれる人間がいたのだろうか。多少、怪しいとは思ったけれど、もしこの手紙が本当だとして、待たせてしまっていたらと思うと悪い気がしてしまう。
誰もいなければそれでいいじゃないか。そう思い、私は手紙に指定された場所へ行ってみることにした。
「やっぱり、誰もいないよね……」
三十分はいただろうか。校舎裏で待っていると、背後からガサっという芝生を踏み締める音が聞こえる。はっと息を飲み振り返ると、そこにはクラスの中心人物である、茂木俊介がいた。
「またせてごめんね?」
びっくりして固まる私に声を掛けてくる。悪戯かと思っていたのに。まさか、本当に来るだなんて。しかもこんなイケメンが手紙の差出人だとはいったい誰が思うだろうか。
「う、ううん……! 大丈夫、です。いま来たところなので」
私がそういうと、茂木俊介は軽く笑い、さっと背後を振り返った。周りに誰もいないか気にしているのだろうか。
「茂木君……?」
「いや、なんでもない。手紙、読んでくれたんだね? 嬉しいよ。来てくれて」
「う、うん……! ええと、それで、用って……?」
「あーえっと……良ければさ。俺と付き合ってくれないかな?
まさか、本当に? 夢ではないだろうか。クラスのイケメンが私に声を掛けてくれ、しかも告白までしてくれるなんて。自分でも無縁だと思っていた展開に心が弾む。そんなの、もちろん答えは決まっていた。
「私で良ければ喜んで」
すると、茂木君は口の端をあげて笑った。嬉しそうな顔というよりも、思惑がうまくいったかのようなそんな笑みだった。
「茂木くん…?」
次いで、茂木くんの背後にある茂みから、クラスの奴らがわらわらとでてくる。男と女、合わせて5人ぐらいで。手にはそれぞれスマホを持っていて、こちらに向けて撮影しているようだった。別のスマホからはシャッター音も聞こえる。
「え」と口から空気が漏れた。
「ごめんね〜? 愛原さん。これ罰ゲームなんだよね〜?」
そう言った茂木君の顔は酷く楽しそうな笑みを浮かべていた。悪意のあるいやらしさを伴うものだった。
「マジで引っかかってウケる」「ジワるんだけど」「動画にあげよーぜ?」そんな声が口々に聞こえる。
なんだ、それは。こいつらは私の事を揶揄って話のネタにしたのか。動機はただの退屈凌ぎ。暇だったからオモチャになるものを探していただけ。
感情がごちゃ混ぜになって、気がついたら私はこいつらから背を向けて走り出していた。苦しい、悔しい……そして、こんな簡単なものに引っかかってしまう愚かな自分に一番腹が立った。
走って、走って……気がついた時には日が落ちていて、辺りはすっかり暗くなっていた。どのくらい走っていただろうか。
私は見覚えのない歩道橋の上に立っていた。呆然としたまま手摺りを掴み、眼下へ流れていく沢山の車のライトを眺める。
明日からどうやって生きていけばいい。奴らは動画を撮っていたから、今頃、本当にネットにアップされているだろう。もしくは、私だけが招待されていないグループラインで回しているかも知れない。
容易に想像できた。それをきっかけにして、私に対する嫌がらせが始まるのではないだろうか。やつらは自分達の退屈をなくす為だけにあの場所にいる。クラスは後半年間同じメンバーのまま続くのだ。
目立たず生きてきたのにこの仕打ちはなんだ。この世は真面目に生きてきた方が損をする。そういう仕組みにできているのを知っているからわかる。
このまま飛び降りてしまおうか。そうしたら、この気持ちから解放されるのではないだろうか。
ずっと、そうして流れる車を眺めていた。ふと、歩道に視線をやった時に気が付いた。どことなく見覚えのある男子生徒が歩いている。
「アイツ……」
金色の髪を短く切り揃えたそいつは、先ほど私を揶揄った茂木の友人の一人だった。だが、こいつだけは校舎裏に来ていなかった筈。あんなに目立つ金髪だ。もしいたら嫌でも気がつく。
こいつの姿を見て、ある考えが閃いた。私は人に裏切られた。ならば、ヤツも同じように裏切られたらどうだ。しかもそれが仲の良い人間からされたとなれば、一番の復讐になるのではないだろうか。
私は急いで歩道橋の階段を駆け下りると、金髪の背中に追いつき声をかける。
「おい……っ」
「あ? なんだよ……って、アンタ、確か同じクラスの。こんな時間までなにしてんだよ」
急に声をかけられて驚いたらしい。金髪———もとい、相良竜二は振り返ると、目を見開いてそう溢した。
「私を助けろ」
「はあ? なに言ってんだアンタてか、なんで俺がそんな事……」
当然の返答だ。こいつはなにも知らない。突然目の前に現れた大して親しくもないクラスメイトに助けろだなんて言われて、はいそうですかと乗っかる人間もいないだろう。
「これは取引だ。事情は後で話す。見返りに、お前が進級できるように手伝ってやる」
「なんだよ、それ……訳わかんねえ」
相良竜二は困惑した顔をしていた。わざと意味のわからない話を吹っかけたのだ。当たり前の反応だろう。とにかく約束を取り付ける事が大事だと私は考えた。
当たり前だが、こいつと私は仲良くはない。そんな人間から頼み事をされて一体誰が言う事を聞くだろうか。底抜けのお人好しだって、多少は警戒する筈。だからあえて言ってやったのだ。続け様に訳のわからない事をふっかけられれば人は混乱する。その隙をつく。
「お前、進級できるか危ないんだってな」
「どうして、それを……」
相良竜二は動揺していた。確かに、これはこいつと担任ぐらいしか知るよしもない事だろう。けど、残念。こっちは伊達に長年良い子ちゃんをやっていない。プリントを運んであげたりだの、担任の手伝いはよくしているから、気の緩んだ一瞬につく愚痴は全て頭のメモにとっている。
「家の手伝いをしてるんだろ? しかも年齢を偽って他所でバイトをしてるな? だから、いつも眠そうにしている」
「なっ……!」
なんで知っているかって? そんなの、偶々こいつがスナックのボーイをやってるのを見たからだ。ゴミ出しの為に裏の勝手口から出てくる姿を目撃した。時刻は夜の22時くらいだっただろうか。この辺で塾に通ってるのは私ぐらいだから、他に奴を見た人間はいないだろう。
だが、私達が通う学校はバイトが禁止されている。しかも、私立だから学費が異常に高い。ここは馬鹿でも入れると言われている学校だから、こいつでも入れたんだろう。だが、素行が悪く、赤点を取り続ければ普通に留年する事になる。それだけは避けたい筈だ。
「詳しい理由は知らないし、周りに言いふらすつもりもない。けれど。いいのか? このままいけば、お前は間違いなく留年するぞ。でも、私なら助けてやれる」
「勉強を教えてくれるってのかよ。でもどうしてそんな事まで愛原さんがしてくれんだ」
「それは……後で教える。お前が言えるのはこの話を受けるか受けないかだ。 ……どうする?」
「考えさせてくれ」
「だめだ。この場で決めろ」
「でも……」
渋り続けるコイツに、特大の言葉をお見舞いしてやった。
「いいのか? 留年したら、年下に囲まれた中で過ごす事になるが。クラスで一人だけ敬語で話されてめちゃくちゃ気を使われ……」
「やります。やらせてください」
奴は即答した。うっかり想像したのだろう。その顔は恐怖で引きつっていた。
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「で、話はわかった。愛原さんは、俺に茂木に仕返しをする手伝いをしろっていうんだろ」
場所は変わって、今は相良竜二の家にお邪魔させてもらっている。言っておくが、コイツの部屋ではない。相良の家は美容院を経営しており、早くに亡くなってしまった両親に代わりに歳の離れたコイツのお姉さんが跡を継いだらしい。
客足はそれなりだが、バイトを雇うまでのお金は回らないらしく、その不足分をコイツが賄っているようだ。
現在、締め作業をしていたお店のソファに座り、お姉さんに出してもらったお茶を飲みながら話を進めているところである。
「そうだ。その代わり、お前は今後赤点を取ることはない。考えてもみろ。いままで授業についてこれなかった人間が、自力で頑張ったところで急に成績があがるか?」
「それはっ……! そうだけどさ。でもよ、俺に茂木を裏切れっていうんだろ? アイツはダチなんだ。そりゃあ多少は悪い部分もあるけどよ……」
一度は了承したくせに、未練がましく庇い立てする相良竜二にイラッとくる。だが、コイツは私の協力者になるのだから説得をしなければならない。あくまでも冷静に、感情を揺さぶるように。
「よく考えてみろ。相手は女を揶揄って動画にアップするような奴らの仲間だ。そんなクソと友人関係を続けたとしても、ああいうやつは都合が悪くなると裏切ってくるぞ。この先、お前はあいつを助けるかもしれないが、あいつはお前を助けはしないだろう。それどころか……」
「わかった! わかりました手伝うからやめてくれ!」
「わかればいい」
めちゃくちゃ早口で捲し立ててやったのが功をそうしたらしい。
相良竜二は頭をガシガシと引っ掻いた後、乱暴にお茶を持ち上げ一気に飲み干した。
「とりあえず、まあ、話はわかった。愛原さんがされた仕打ちも含めて。確かにアイツらはやり過ぎた。けどよ? 復讐ったって、なにするか決めてんのか?」
「…………」
「……おい。まさかここに来てノープランかよ」
「しょうがないだろ。こっちは今日嫌がらせにあったんだぞ。お前を巻き込む事ぐらいしか思いつかなかったんだ」
「それも思いつかないでほしかったんだが。まじかよ……なんも案がないとか馬鹿じゃねえの?」
「馬鹿はお前だろ」
偏差値的には。
「そういう意味じゃねえ……!」
相良竜二はまたもや頭をガシガシと掻き出してうな垂れる。すると、店の片付けをしながらこちらの様子を伺っていた相良竜二のお姉さんが声をかけてくれる。
「ねえ、こんなのはどうかしら? 愛原さんがすんごく可愛くなって相手の男を惚れさせてからこっぴどく振ってやるの! どう? これならスカッとするんじゃない?」
「いいですねそれ! 是非採用で」
「やったあ〜!」
お姉さんは嬉しそうに両手を叩いている。少女漫画のようで実に素晴らしい発想だ。やはり、ざまあ展開は心が躍る。
「いや、やったあ〜! じゃないんだわ。姉貴もなに便乗してんの? 止めてくれよコイツの暴走を」
「あら、だめよ。女の子にひどい事をしたんですもの。目にもの見せてやらなくちゃ」
「ねー?」と私とお姉さんは声を上げる。息ぴったりだ。相良竜二は微妙だが、お姉さんとなら仲良くなれるに違いない。
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それからというものの、私は相良竜二の家に泊まり込みながら復讐の機会を待った。弁明しておくが、コイツの部屋ではなく、お姉さんの部屋にだ。
家にはもちろん連絡をいれてある。自分を変える為に、2ヶ月ほど友達の家でお世話になる。その間塾も学校も休むが、その代わり戻ってきても成績は落とさない。そう約束した。家では家族とあまり話さず引き篭りがちであったし、今までずっと友達の存在をほのめかすようなことがなかったからか、「両親は先方さえ良ければ」と快く送り出してくれた。
その辺りの話は、相原竜二のお姉さん———雫さんが両親を説得してくれた形だ。雫さんは私よりも7歳程年上で面倒見が良い。
美容に関しては、相良竜二よりもむしろお姉さんに色々と教えてもらう方が多かった。例えば肌質について。私は乾燥気味だが、鼻の頭だけは艶がある。いわゆる混合肌タイプらしい。肌質に見合った保湿方法や、化粧方法を教えてもらったりと、彼女から教えてもらった事は計り知れない。
その分、私はお店の簡単な作業を手伝った。接客やら、掃き掃除だとか。賃金を貰ってしまえばバイトになるが、貰わなければ手伝いの範疇だ。その辺は抜かりない。
眼鏡は早々にコンタクトにしていた。きっかけは勿論、相良竜二だ。あの野郎、眼鏡持ちにやってはいけない事をやりやがったのだ。
初日にすぐ、やつは私の眼鏡に手をかけて外そうとしたのだ。が、素顔をチラッと確認すると、そのままスーっと眼鏡を元の位置に戻された。
「お前なにしてんだ」
「いや、外せば実は……! みたいな感じかと思ったんだけどよ。なんか、ごめんな」
「おい」
このやろう。眼鏡を外して可愛くなるならこっちだって初めからしてんだよ。くそっ! だからパリピは嫌なんだよ。
と、言う事があったので、今まで積み立ててきたお小遣いを持ち出して、早々にコンタクトを作ってきた。長く使うからハードタイプで。目に入れるのが難しい。あと、ちょっとでもズレるとすごく痛いし。
慣れないコンタクトを目に抱えながら、相良竜二の勉強会を始める。コイツも道連れで休ませた。
出席日数は足りている。コイツに足りないのは頭だけだ。
夜は奴が別のバイトへ行ってしまう為、お店の手伝いを抜けた日中の時間に勉強を教えている。それも遡って小学校高学年レベルからだ。
なんせコイツ、テストで0点を連発してくるのだ。名前さえ書けば先生のお情けで5点は貰えるのに、それすら間違えるくらい馬鹿なんだわ。果たして2ヶ月で高校レベルまで戻ってこれるのか。非常に不安だが、やるしかない。
私にはもう逃げ場がないのだ。もしこのままなにもせずにクラスに戻ったとしても、あの告白まがいの動画は既に拡散され、学年が変わるまでずっといじられ続けるのだろう。そんなもの耐えらる訳がない。死んだ方がましだ。
さて、本日は高校一年レベルの国語の授業をしているところだ。長かった。本当に。まさか、ここまで理解させるのに根気がいるとは。馬鹿な子ほど可愛いと言う話があるけれど、あれは嘘だと再認識した。こいつに可愛げなど見いだせない。それ以上でも以下でもない。
先程教えた問題を完璧に覚えさせる為に、似た内容のテスト問題を作ってコイツにやらせている。
こう言ったものは基本は暗記だ。根性論になるが繰り返しやって覚えていくしかない。
勉強してから忘れる前に復習させているからか、まあそれなりに私が作ったテストにも答えられているようだ。まだ多少は間違っている所があるが、まあいい。少しでも進む事が大事だ。
「愛原さん。あのさ……」
テストが終わったらしい。奴がシャーペンを置きながら躊躇いがちに話しかけてきた。
「なに?」
「いや、俺ばっかり助けてもらっててさ。なんだか悪いなって思って。俊介の奴をギャフンと言わせる計画だって、ほとんど姉貴がやってるだろう?」
なにを気にしているかと思えば。確かに協力するという話なのに、こいつからしてもらった事はない。 ……が。
「雫さんに引き合わせてもらっただけで御の字だ。まあ、よく考えたら高校生だけでなんとかするなんて無理だったわ」
「まあ、確かにそうかもだけどよ。俺、感謝してんだよ。お前が来てくれてから、姉貴、楽しそうだし。それに、俺も……」
「俺も?」
「っ! なんでもねえ! ……でもよ、俺だけなんもしねえのはなんか嫌なんだよ」
「ふうん」
なんだ急にかしこまって。なにか言いかけたが、勉強の事を言ってるんだろうか。確かに奴の成績は良くなっただろう。このままいけば全教科平均点ぐらいはいけるんじゃないだろうか。
「あー……えっと、あれだ。俺ん家さ、両親がいないだろ? 今の学校も姉貴が貯金を崩して入れてくれたんだよ。せめて高校ぐらいは出ておけって」
「そう」
流石、雫さんだ。彼女は弟の人生を案じてくれている。学歴で人間をどうこう言うつもりはないが、確かに高校を出ているかどうかで就職の幅はぐっと広がるだろう。
「退学とか、留年になったら姉貴に顔向けできねえ。だから……愛原さんには感謝してる」
「そう」
珍しくかしこまった調子で私の事をじっと見ている。私からしたらお互いの目的の為に動いているのだから、そこまで気にしてもらわなくてもいいのに。
「私はさ。本当は進学校に行くつもりだったんだ」
「え……」
やつは驚いたように目を瞬かせている。別に相良竜二が自分の話をしたから釣られてした訳じゃない。なんとなく、こいつになら
話してもいいかなって、思っただけだ。
「だけど、試験の日に限ってインフルエンザに罹かってさ。他に滑り止めとかうけてなかったから慌てて今の学校に入っただけ。でも」
言いかけて、どう伝えようか逡巡する。けれど、こう言った事は正直に伝えた方がいいだろう。
「お前に会えた事だけは良かった気がするよ。 ……色々あったけどな」
「愛原さん……ならよ、愛原さんの髪だけは、俺に切らせてくれねーかな」
「え……?」
「姉貴ばっかにいい顔させらんねえから。これでもよ、カットの練習はしてるから得意なんだぜ?」
瞳は真剣な色を湛えている。驚いた。まさか、コイツがそんな風に言ってくるとは。化粧やストレッチなど、ほとんどの外見については対策を続けていたけれど、確かに髪の毛だけはまだいじってはいない。
「どんな髪型がいいか決めておいてね」と雫さんがヘアカットを約束してくれていたから話はそこで止まっている。
「じゃあ、お願いする」
「おお! 任せろ! 俺がスゲエ可愛くしてやるからよ」
「うん」
そうしてカットを終えてから、私が期限として決めた2ヶ月が経った。 ……本当は、少し怖い。相良竜二がカットした後に、雫さんは「よく似合ってるわ!」と太鼓判を押してくれたし、相良竜二の方も得意げに頷いている。この二人を信じて私は明日、学校へ行く。相良竜二の方も一緒に登校するが、影から見守ってくれるらしい。
二人にはお世話になったお礼を言って、一度、家に帰る事にした。自宅まで辿り着くと、玄関で出迎えてくれた両親はひどく驚いた顔をしていて不安になる。大丈夫だろうか。見た目は変ではないか。そればっかりが気になってしまう。やはり眼鏡がないと落ち着かない。
いつも横柄な態度をとっているくせに黙り込んだ私を、柄にでもないと思ったのだろう。相良竜二は私の背中をバン! と叩き、「自身もてよ!」と言って元気付けてくれ、両親に挨拶をすると帰っていった。
翌日、私は自室の鏡台に座り、映り込んだ自分の顔をチェックする。メガネは外しコンタクトにしているし、メイクもナチュラル系でまとめ、淡いピンクのチークで血色がよく見えるようにしている。
髪の毛は相良竜二に癖を活かして切ってもらったのだ。二人に力を貸してもらってここまで来た。 ……大丈夫。変じゃない筈。
2ヶ月ぶりの制服に袖を通し、気合を入れて玄関の扉を開いた。すると相良竜二が乗ってきたであろう自転車に寄りかかりながら、「よっ!」とか言って軽く片手を上げる。どうやら一緒に行こうと待っていてくれたらしい。たった2ヶ月間だけだったけれど、こいつとは長年の戦友のような気持ちだった。
「いよいよだな。しっかり決めてこいよ」
「わかってる」
「近くで見守ってるからよ」
「ありがと。じゃあ、そろそろ校門だから、この辺でお別れだ。 ……また、教室で」
「おう。じゃあな!」
ちょうど生徒達の姿がまばらに見える交差点で立ち止まり、挨拶を交わしてゆっくりと距離を取る。
さあ、ここからが。私の復讐の時間だ。
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教室に入ると、軽くどよめきが起こる。チラチラとこちらに好奇の視線を向ける輩がいるし、「誰?」だなんて言っているやつまでいる。そんなに変わっただろうか。居心地の悪さを感じながら2ヶ月ぶりの自分の席へ座ると、ザワザワとした声は一層大きくなっていった。
「うそ」「あいつ、愛原だよね?」「別人じゃん」と言われている声を耳がとらえる。ふと、机に影がかかり見上げると、茂木俊介が立っていた。ヤツの取り巻きは驚いたように茂木俊介を眺めている。
「愛原さん。この前はごめん」
申し訳なさそうに謝った茂木俊介に吐き気がする。謝れば全てが水に流せるとでも思ったのか?
「ううん。大丈夫。わかってたから」
柔らかく微笑むと、やつは顔を赤らめながら視線を泳がせてオドオドとしている。
「ね? お願いがあるの。茂木君にしか出来ないことなんだけど」
「な、なに? 俺でができることなら喜んでするよ」
「本当? 嬉しいっ……じゃあ、あの時の動画、消してくれるよね……?」
「もちろん! ……おい、聞いたろ? 早く消せよ」
茂木君は、あの時一緒に私を嘲笑ってた取り巻きに声をかけ、動画を消すよう指示をだす。言われた男子は慌てて消しにかかっていた。
———ああ。こいつがやったのか。確かに見覚えがある。頭の軽そうな茶髪の男だ。
動画を消したのを確認すると、「これでいいかな……?」と茂木俊介が私に向き直る。肯定の意味を込めて口角を上げて微笑むと、ヤツは釣られてはにかむ。馬鹿な男だ。私にこれから仕返しされるとも知らないで。
「あのさ、話があるんだけど、少しいい?」
そう言いながら、ドアの方へ視線を向ける。ここでは人の目があるからか。
「でも、もうすぐホームルームが始まるから。今ここで言って」
「え……でも……」
「じゃあ聞かない」
「わかった。言うよ」
明らかに動揺していたが、私が頑として動かないのを悟ると、奴は決心したらしく、口を開いた。
「この間の事だけど、あれ、本当の事にしない?」
「本当の事って?」
「つまり、付き合おうって事」
茂木俊介の言葉を聞いて、クラス中にどよめきが走る。特にヤツの取り巻きの女なんかは甲高い悲鳴をあげていたから、ヤツの事が好きなんだろう。ざまあみろ。
「どうして? あの時は冗談だって言ってたのに」
「それは……ほら、愛原さんがこんなに可愛くなるだなんて知らなかったからさ! あの時の愛原さんは生理的に無理だったけど、今の愛原さんなら喜んで付き合うよ」
その言葉を聞いて私の脳裏にブチっと血管が切れる音が聞こえた。こいつ……本当に屑だ。
口元に笑みを湛えたまま、私は無言で振り返り、歩みを進めた。視線の先には相良竜二が今にも飛び出さんばかりに席を立っていて、こころなしかこめかみに青筋が浮かんでいる。私の為に怒ってくれているのだ彼は。
その腕にスルリと私の腕を絡ませると、茂木俊介の方を振り返ってにっこりと微笑んだ。
「私、相良君とお付き合いしてるの。それに茂木君はタイプじゃないから。ごめんなさいね?」
大勢の前でフラれて茂木俊介は呆然としたように口をパクパクとしている。さぞや屈辱だろう。今まで自分が振るならまだしもふられた事はないだろうからな。ざまあ。
「はあっ!? 愛原さんなにいって……」
「し。黙って」
隣で混乱している相良竜二の口を手で塞ぎ、引き摺るようにして二人で教室を出る事にした。
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「マジでなにしてくれてんの?」
「ごめん、やっちゃったわ」
テヘペロみたいに小さく舌をだしてみたけれど、効果は無いようだ。相良竜二ははあ、とでっかい溜息をついて大袈裟に天を仰いでいる。
ちなみに私達は上履きのまま校舎裏に潜んでいる。ホームルームはとっくに始まっているのだ。見つからずに過ごすにはここがうってつけだろう。
「……いやまあ、確かに俊介も酷い言い方だったけどよ。俺だってあのままお前が言わなかったら殴りかかってたさ」
ガシガシと頭を掻きながら、相良竜二は思い直したようにそう言った。結果、コイツを思いっきり巻き込んでしまったが、心配してここまで見守ってくれていたのだ。それだけで私は救われた気持ちになる。
「動画は消せたし、アイツにギャフンと言わせてやった。私はこれでもスッキリしてるんだ」
「…………そうか。愛原さんがスッキリしたならそれで良かったよ」
「うん。 ……ありがとう」
「おう」
校舎の壁に並んで、二人で空を見上げながら話す。真っ青な晴れ間が目に眩しい。とても爽やかな空の色は、まるで私の心を表しているかのようだった。
「ところでさ。これからどうすんだ? 教室に戻りずれーだろ?」
「私このまま帰るわ」
「おう。その方が良いかもな」
「それから三学期終わるまで学校来ないわ」
「おう。その方が良い……って、はあっ!?」
勢い良くこちらへ頭を向けて、相良竜二は目を見開いた。
「だって気まずいだろ。絶対嫌だわこれから通い続けるとか」
「いや学校どうすんだよ? 出席日数とか」
「まだギリギリ大丈夫だし、期末テスト落としても進級できるんで」
「くっそ! ずりぃ……! なら俺も……!」
「お前は期末受けなきゃだめだろ」
「畜生……! あの空気の中通えってのかよ……!」
げんなりしながら本気で嫌そうに言う相良竜二の肩をポン、と叩き、とりあえず慰めの言葉を言ってみる事にする。
「ドンマイ」
「……うるせー!」
「ねえ。ところでさ」
「あ? まだあんのかよ?」
項垂れている相良竜二の腕を引き、身体を傾けさせると、耳元にそっと声を吹き込んでみる。
「さっきの話、本当にしてみない?」
「だからっ……って。え……?」
ポカンとする相良竜二に、私はにっこりと微笑んでみる。頬が赤くなってるから、きっと脈はある筈だ。
「な、なあ! 今なんて……!?」
「じゃあ、帰るか」
「お、おいちょっと! 待てよ! 荷物はどうすんだよ……! おいってば!」
おもむろに歩きだした私を、相良竜二が慌てて追いかけてくる。
その姿を尻目に、私はにんまりとしながら空を仰いだ。
コイツがいるのなら、この生活も、まだまだ捨てたもんじゃ無い。