コンビニバイト店員ですが、実は特殊公安警察やってます(『僕らの目に見えている世界のこと』より改題)

捕獲するか、呼び寄せるか。

彼は何かを運んでいるのかもしれない。

それとも情報収集? 何のために飛んでる? 

どうしたら接触できるだろう。

カラスは北北西に向かっている。

俺たちはすぐ近くにあった公園に駆け込み、もう一度空を見上げた。

R38と思われるカラスは、近くの木の枝にとまる。

「おいで」

腕を高く掲げた。

本当にR38なら、来てくれるはずだ。

カラスは枝を蹴って飛び上がった。

限りなく抵抗を減らした青黒い流線型は、滑るように向かってくる。

それは俺の頭上を通り越し、植え込みの向こうに消えた。

カラスの甘えるような鳴き声と、バサバサという羽音が聞こえる。

そこに現れたのは、隊長だった。

「はは、元気にしてたか? やはりお前にはかなわないな」

無邪気に笑う隊長の顎に、R38は頭をこすりつけた。

肩に乗ったそれを大きな手はそっと撫でる。

「貴様らより遙かに優秀だ」

隊長は甘えるカラスの首に、透明なナイロンの紐のようなものをかけた。

それを黒い羽の下に隠すと、もう人の目だけでは簡単に分からない。

カラスはもう一度隊長に頭をすりつけると、与えられたペレットを丸飲みしてから、空へ飛び立った。

「マーキングしたんですか」

「おとりはむしろ、お前らの方だ」

区役所管轄土木事務員の作業服を着た隊長は、冷たく言い放つ。

「余計な気を回しても上手くいかないと、まだ学習しないか。支部に戻れと言われたら、すぐに戻れ」

部隊の作戦なんてものは、俺のような下っ端はその全容を知る必要はなく、隊長や本部の動きなど、俺たちには関係ない。

それは作戦として、至極当然で当たり前のことだ。

「竹内」

隊長の声に、細くゴツゴツとした背が伸びる。

「08をしっかり見張れ」

通信傍受をこんなところでしていたのか。

機材を運ぶ数人の精鋭部隊と共に、土木事務所の軽自動車は走り去る。

「重人。お前が何をどう思っているのかは知らないけど、今は非常事態だからさ……」

俺は竹内を信頼している。

だから竹内が何をどう思おうと、そうするというのなら俺もそうする。

「いいよ。それくらいは、俺も分かってる」

竹内がバスに乗ったから俺もバスに乗り、コンビニに戻ったから俺も戻る。

そう、それだけのことだ。
天命は綱渡りの動作を続けていて、コンビニのバックヤードシステムも、そのおかげでかろうじて維持されている。

天命の運用に関する一番の問題は、メンテナンスによる一時中断が出来ないことだ。

全てを遮断した瞬間、この世界は終わってしまうだろう。

民間に運用を移行させた流通システムで、竹内は新たに運び込まれた何かのスタートアップに夢中になっていた。

静かになってしまった地下基地を見渡す。

その後、隊長からの連絡は何もない。

つい最近まで飯塚さんといづみ、R38もいて賑やかだったのが、ウソみたいだ。

いづみの研究対象だった観葉植物の鉢も、全てなくなってしまった。

動物だけでなく植物とも意志の疎通をというのが、彼女の研究だった。

それがどんなものかなんて、俺は知らない。

固い植物の葉についた傷で録音するとかいってたな。

もっと分かりやすく言えば、スパイアイテムの開発だ。

いづみの机だったはずの引き出しに、ペンとノートが転がっている。

彼女が研究の合間に描いていたスケッチだ。

様々な動物や植物の鉛筆画が並ぶ。

他にはのど飴とハンドクリーム、R38が彼女に捧げた貢ぎ物も詰め込まれていた。

一本の大きな黒い羽根を手に取る。

これを振ると、魔法のステッキみたいにR38が飛んできたっけ。

なんとなく、その羽根を胸のポケットに差し込もうとして、取り落としてしまった。

はらりと机の下に舞い落ちたそれを、拾おうとしゃがみこむ。

ふと引き出しの底面が、不自然にザラザラとしているのに気づいた。

どうしてこんなところが……。

いや、違う!

俺は慎重にそれを引き抜く。

中身を一つ一つ丁寧に取り出し、底を観察する。

滑らかに見えるそのプラスチック板にも、細かな傷はついているはずだ。

記憶を呼び覚ます。

この引き出しは確か、いづみの開発中だった特殊プラスチックの録音装置だ。

たしか表面を解析する機器は、まだここに残されていたはず。

俺は余計な雑音を増やさぬよう、忍び足で機器を探した。
あの隊長が、これに気づかなかったのか? 

きっとそんなはずはない。

わざと見逃したか、問題ないと判断したのかもしれない。

それとも、データだけとって放置された?

7×15㎝程度の装置をセットする。

レーザー照射により、層になった傷の解析を始めた。

俺はPCの前に座って、その結果を待つ。

竹内はいつものように、何かのセッティングに夢中になっている。

イヤホンから音声が聞こえてきた。

「……だけど、それじゃあ……ガガッ……ギ、ギー……」

どうしても雑音が入る。

キュルキュルというノイズの排除レベルを上げても、かなり聞き取りにくい。

俺と竹内のくだらない雑談も残されている。

「えぇー! どうして? なんだよぉ……それ……」

「バカか。重人、おま……カツ丼の……」

サンプリングとして記憶されている、いづみと飯塚さんの音声だけに絞って、抽出させる。

「だからそ……れは……アールグレイよりもアッサムの方が……」

「かつてのミルスターとDSCSが……商用衛星の80%の……、NICTの地上低軌道間で衛星間通信量40Gbps級の……」

不意に、鮮明な音声が入ってきた。

「……俺は、今進めている改修作業には反対なんだ」

「でもそれは仕事なんでしょ? 命令と同じよ」

「もちろんそうだ。俺が選ばれたことは名誉だと思ってるし、信頼の証でもある」

「じゃあいいじゃない」

「隊長とも話した。だけど隊長は……」

耳を切り裂くようなノイズに、思わずヘッドホンを投げ出す。

胸の鼓動が早い。

呼吸が乱れる。

俺はもう一度、それを装着した。

「……もし、これを聞いているとしたら……、お願い、私には……」

いづみの声だ。

それは、いづみが俺たちに残したメッセージだった。

「あの人を助けて。隊長、竹内くん、磯部くんも、お願い。私たちはこれから久谷支部のサーバ-を沈める。軍事衛星を機能停止に追い込み、国営放送をジャックする。水道局のシステムを掌握する。電力もよ。最終目標は天命の破壊。そのウイルスデータは残せたら残す。探して。それからあの人は……」

「出来たぞ、重人。こっち来い」

竹内に呼ばれて、俺は立ち上がる。

「隊長から送られてきた、特別装備だ」

それは天命からも独立したシステムだった。

天命が機能停止に追い込まれ、特殊状況下におかれた場合にのみ起動する。

「飯塚さんの最終目的はこれだ。派手に登場させて、部隊ごと解散に追い込む」

「俺たちの存在を、公にするつもりか」

「改修メンテナンスのプログラムを組んだのは飯塚さんだ。操作方法がどれだけ変更されているか、想像すら出来ない」

「こんな話、誰が信じるかよ」

「だけど現実だ」

竹内は、じっと俺を見つめた。

「俺たちはこれを、公にするわけにはいかないんだ」

『○月○日14時、東京都庁から巨大ロボットを出現させる』

 IF03からの最終予告が、ネットに公開された。
ネットに書き込まれた単なる冗談が、現実になることなんてことがあり得るだろうか。

古今東西、都市の主要建造物がロボ化するという話は、そこかしこに見受けられる。

火のないところに煙は立たぬとは、まさにこのことだ。

ここだけの話、都庁だけではない。

国会議事堂もサンシャイン60も東京タワーもスカイツリーも、横浜ランドマークタワーだってロボ化する。

それを全てくだらない冗談とねじ伏せてきたのが我々の部隊だ。

富士山の河口は秘密基地への入り口だし、裾野に広がる広大な樹海の下には、第二の政府が存在する。

当たり前のような冗談を、誰が真に受ける?

緊急事態宣言が発動された。

部隊の活動は非常事態として、全ての指揮は隊長に委ねられる。

これがいつものように、外部のテロリストのようなものであったのなら、何を恐れることがあっただろう。

これまでも、神をも恐れぬその行為に、抹殺されてきた輩は数しれない。

それほど強固だったこの砦が、今まさに危機に瀕している。
隊長がどのような手段を考えているのかは分からない。

もし都庁ロボが動き出したら、その暴走を食い止めるために、国会議事堂ロボを発動させるのか。

国立競技場の整備はやっと終わったばかりだ。

スカイツリーの完成から始まった巨大な国家ロボ整備改修計画の一環、個別に運用されていた各種ロボット部隊の連携がようやく実現するところだ。

都庁ロボメンテナンス責任者だった飯塚さんが、それを邪魔しようとしている。

飯塚さんを指名した任命責任を、隊長は免れないだろう。

以前から問題視されていたロボット部隊の一元管理の危険性が再び叫ばれている。

飯塚さんの真の目的が隊長の失脚と交代だなんて、考えたくない。

現在、隊長を含む特別編成チームが都庁警備にあたっている。

清掃作業員に扮した肉弾戦のエキスパートたちが内部をくまなく巡回警備し、IT精鋭部隊は飯塚さんの仕込んだ操縦プログラムの解析と、配線確認作業に躍起だ。

「都庁ロボは、こっちの管理下にはないのか」

竹内は首を横に振る。
「事前に提出、承認されていた改修内容と、全く違うらしい。なぜそれに誰も気がつかなかったのか、不思議なくらいだ」

飯塚さんはこの仕事にかかりきりだった。

隊長は何度も視察に訪れ、設計の確認も大勢の作業員を引き連れての工区日程管理も完璧だった。

「さぁ行こう。本部はいまパンク寸前だ。俺たちが踏ん張るか、あの人の暴走を許すかの瀬戸際だ」

竹内は立ち上がると、かつて俺の端末だったものを差し出した。

「アップデート済みだ。ちゃんと持っておけ。俺たちには、俺たちに任された任務がある」

「いらない」

なんて平和な奴だ。

この端末を持っていると、俺まで隊長と部隊に操られている気分になる。

「自分の気持ちまでは、支配されない」

竹内は笑った。

背中で何やらごちゃごちゃ言っている。

そんなことは俺だって、十分分かってるさ。

だけど世界と現実の乖離を、俺はまだ埋められない。

飯塚さんは相変わらず行方不明のままだ。

都庁変身の日時を予告したことに、どんな意味が隠されているのだろう。

混乱が混乱を呼んでいる。

「やっぱり、R38を追った方がいいと思う」

「根拠は?」

竹内がそんなふうに即答で突っかかってくる時は、怒っている証拠だ。

「ない」

盛大にため息を吐かれる。

俺はただ、納得と理解が追いつかないだけなんだ。

「飯塚さんはなぜ日時を予告した? 自分はこの日この時間に都庁へ行きますよって、捕まえてくださいって、自分から言っているようなもんだ。飯塚さんの狙い通り、今や隊長を含む部隊の大半が、それを阻止すべく都庁にかき集められている。俺が飯塚さんなら外が歩きやすくなったって、行動しやすくなったって、笑ってるね」

「俺たちの隊長から与えられた任務は、飯塚さんの確保だ。そして俺たちはパートナーだ。作戦は?」

俺は胸ポケットから、R38の黒い羽根を取り出した。

「これでカラスを呼び寄せる。話はそれからだ」

AIさえ予測不可能なノープラン作戦。

竹内は何も言わなかった。
真昼の公園、そのど真ん中に立つ。

日曜昼間の公園というのは、家族連れの平和な団らんの場でもある。

仁王立ちで並んだ俺たちは、走り回る子供たちの中で覚悟を決めた。

「本気でやるのか?」

「当たり前だ」

天命のシステムを使って、公園を立ち入り禁止にすることも可能だったが、そうでなくても今は不安定なシステムに、余計な負担はかけたくはない。

民間ネットワークシステムを利用するということは、飯塚さんの監視の目に触れる危険もある。

あえて何もせずこうして立つことが、目くらましとして有効なのだ。

俺はR38の羽根を空高く掲げた。

竹内と二人、一心不乱にカラスの鳴き真似を始める。

『すぐに集まれ』という呼び声に、周辺の空気はざわつき始めた。

樹上の鳥たちは不穏な動きを始め、地上の人間は俺たちから距離を取る。

青く突き抜けた空に、黒い翼が見えた。

「カァ! クワァ、 カー!」

「グウェ、アァ、クワー!」

R38に向かって必死に話しかける。

彼は部隊で代々血統管理され、かつ特別に訓練されたエリート中のエリートカラスだ。

この声を聞き分け、意味を取ることが、必ず出来る。

現れた影は上空で弧を描いた。

あの空を舞うカラスが、本物のR38だとしたら……。

「カー!」

空からの返事だ。

「やった!」

今度は失敗しない。

竹内が端末で上空のカラスを追い、俺は前を向いてペダルをこぐ。

ドローンだなんて、電波を発する機器は使えない。

我が家のママチャリなんかじゃない、本部から借りた自動水平装置搭載、電動二人乗り自転車にまたがった。

ハンドルに備え付けられた画面にマップが映し出される。
「なんだよコレ」

隊長がつけたナイロンのような輪は、目くらましだったのか。

あちこちにマーキングされた点が表示されている。

「これじゃ、どれが本物か分からないじゃないか」

竹内は叫んだ。

「違う。上を見ろ。自分の目で見たものだけを信じるんだ」

背中の竹内は、空を見上げた。

「なるほど了解!」

ペダルに体重をかける。

電動自転車特有の加速で走り出した。

後ろの竹内は時折鳴いて、R38と何かを話していた。

彼は俺たちを近くの自然公園に誘導すると、その上空で旋回を始めた。

ここで飯塚さんを待っているのか? 

背中の竹内はまたR38に声をかける。

俺たちは公園の敷地に入り込んだ。

「おい重人、ちょっと待て!」

後ろでブレーキをかけられ、俺は上空を見上げた。

R38に向かって何者かが急降下している。

黒い羽根が飛び散った。

逃げようと身を翻すも間に合わない。

二度、三度と激しい攻撃を受け、カラスは為す術もなく失速する。

「急げ」

墜落するR38の影を追う。

墜ちていくそれを捉えた影は、自らの意志で急降下を始めた。

キリリとつり上がった眼。

それを縁取る黄金が光る。

緑の芝生の上で、ブルーグレイの強く美しい翼を誇らしげに畳んだ。

「お前、どこから……」

ハヤブサだ。

近寄ろうとした瞬間、耳元の空気が切り裂かれた。
「触るな」

カラスを組み敷いたハヤブサの胸に、血しぶきが舞った。

飯塚さんは手のひらに隠れるほどのエアガンを、俺たちに見せる。

その銃口を向けたまま、ゆっくりとハヤブサに近づいた。

動かなくなったR38を拾い上げる。

「こいつは大事な仲間なんだ。お前たちに渡すわけにはいかない」

「今すぐ投降してください。俺たちは全力で、あなたを支援します」

「はは。お前はいつまでそんな寝言を言っている」

飯塚さんは傷ついたカラスを腕に、俺たちを見下ろした。

「相変わらず甘いね。俺ならここで、俺を捕まえようとしないお前らを処分する」

この人の持つ銃口の先が、ハヤブサに向けられていることに気づいた。

「悪いが長居は出来なくてね、また会おう」

鍛えあげられた肉体が、清掃作業員の制服の下からでも分かる。

俺と竹内でつかみかかっても、勝てないと分かっている相手だ。

ちらりと竹内に目をやる。

飯塚さんからの距離は、俺よりも遠い。

背中にも目がついているような人だ。

動けば何が起こるか分からない。

飯塚さんはカラスを上着の中にしまい込んだ。

片手を振り上げた瞬間、一迅の風がエアカッターとなって駆け抜ける。

走り出したその人を追いかける複数の足音だけが、微かに耳に聞こえる。

「かわいそうに」

一切の気配を消し去った隊長が、そこに立っていた。

息も絶え絶えなハヤブサをそっと抱き上げる。

小さく甘えたような声を上げたその頭を、ゴツゴツとした太い指がそっと撫でた。

何も言わず、そのまま背を向け歩き始めた隊長に、何かを訴えようとしても言葉が出てこない。