明け方の始発を待って、バスに乗り込む。
それは郊外の、とある町へ向かっていた。
ひんやりとした朝の空気と冷たいシートに身を沈める。
駅へ向かうバスには人が押し込められているのに、駅から出るのには俺たち以外誰もいない。
停留所をいくつか通り過ぎて、ようやくバスを降りた。
俺たちは一言も口をきかなかった。
竹内はずっと隊長から渡された俺の端末をのぞいている。
そういえば彼が端末をみながら歩くのを見るのも、ひさしぶりだ。
竹内はうつむいたまま巧みに住宅街をすり抜け、迷うことなく歩き続ける。
俺は慎重に辺りを観察した。
雀が鳴いている。
近くにカラスはいない。
電柱を見上げる。
この辺りはまだ、地中化工事が進んでいないのか。
部隊管理のボックスを確認。
これは天命で発射出来る電柱種だ。
竹内とは急襲に備えた安全距離をとって歩く。
道路に消火栓のマンホールを見つける。
またあった。またここにも。
この辺りの消火栓密度は明らかに不自然だ。
間違いない。
この先に何かがある。
急に背に鳥肌が立った。
「なぁ、竹内。この辺は……」
ふいに、竹内は立ち止まった。
顔をまっすぐに上げる。
そのまま無言で指さした方角に目を向けると、周囲を消火栓と電柱ミサイル、妨害電波発生ボックスで完全武装したペットショップがそこにあった。
「当たりだな」
「どうする?」
これほどまでに完璧な防衛力を有した対象は初めてだ。
最新鋭の電波妨害装置。
何でもない住宅街の一室で電波受信が悪いのは、部隊の設置するこいつのせいだ。
カーブミラーまで2本もある。
俺の本能は殺気立つ。
竹内もだ。
彼は端末をポケットに差し込むと、黒縁眼鏡型高性能センサーのブリッジを持ち上げる。
それは例外なくいつだって、戦闘開始の合図だった。
ペットショップの自動ドアが開く。
出てきたのはいづみだった。
手に箒を持っている。
彼女は静かに辺りを警戒していた。
俺たちはカーブミラーの死角に入っている。
手にしている竹箒。
一見そう見えるものは、操作スティックに間違いない。
高感度温度センサーを備え広範囲を瞬時に探知し、対象を発見すれば振動でそれを伝える。
彼女は店の前を掃除するフリをしながら、ここにある全ての機能を操作していた。
「……来たのね」
頭上カーブミラーの首が動く。
瞬時に飛び退いたその位置を、レーザー光線は貫いた。
彼女は竹箒をくるりと一回転させると、それをさっと大きく横に振る。
消火栓からの水が、間欠泉のように噴き出した。
「くそっ」
体が濡れるのはマズい。
箒の柄から何かが飛び出し、すかさず頭上の電線を切った。
切れた線の先は、蛇のように鎌首をもたげる。
それは竹箒の動きと連動していた。
「それ以上、近づかないで」
「話をしに来たんだ。飯塚さんはどこだ」
彼女の視線は、ゆっくりと静かに落ちてゆく。
元々表情の変化に乏しく、感情の読み取りにくい人だとは思っていたけど、それは更に強化されているような気がする。
「ちょうどよかったわね。直接話せば?」
カーブミラーの鏡面が切り替わった。
「どうした、いづみ!」
その丸い画像の中に、飯塚さんはいた。
「あなたを迎えに来たそうよ」
ミラーの首が動く。
飯塚さんはチッと舌をならした。
「俺はそこにいない。いづみには手を出すな」
「あなたがこんなことをしなければ、いつまでも一緒にいられたのに!」
フンという鼻息一つで、話し合いはもう終わってしまったらしい。
「戻ってきてください。今なら……まだ間に合います」
「何が? そう思っているのは重人、お前だけだ」
「すぐに隊長が来ます。逃げるなら逃げて!」
一瞬見せた飯塚さんの、その表情を俺は絶対に見逃さない。
「飯塚さん!」
通信が切れる。
濡れた足元で、電線からの火花が散った。
「どうして来たのよ」
そうつぶやいたいづみに、竹内は自らの警察手帳を掲げた。
「ナンバー19大沼いづみ。公務執行妨害で現行犯逮捕する」
瞬間、竹箒は動いた。
その場から跳び退く。
電柱に取り付けられたボックスから、無数の釘が飛び出した。
「この私に、あんたたちへの傷害罪まで付け加える気?」
彼女の足が一歩下がる。
箒を強く2回右に引いてから、ドンと下に押しつけた。
次の瞬間、彼女の姿は穴に消える。
「逃げたか?」
「当たり前だろ」
駆け寄ってはみたものの、すでにマンホールの蓋は固く閉ざされていた。
竹内は端末を取り出す。
「隊長からの指示だ。ミラーへの通信発信源を特定、そっちへ向かうらしい」
竹内は端末を見ながら歩き出す。
「なぁ、いづみはど……」
「隊長の指示だ」
俺はもう一度ペットショップを振り返った。
いづみはもしや、おとりにされた?
だけど、飯塚さんにその気がないのなら……。
いや、違う。
首を横に振る。
憶測は単なる憶測でしかない。
俺は竹内の背中を追いかけた。
「飯塚さんはここから北西にある基地局から発信してるっぽい。その受信範囲から想定される地域に招集がかかってる」
「俺たちも今から向かうのか?」
「いや」
竹内は端末を見ながら言った。
「一旦コンビニに戻れだとよ」
「従うのか?」
「それしか方法が思いつかない」
俺には隊長が何を考えているのか、さっぱり分からない。
だけど隊長が未だかつて、指示を間違えたという記憶もない。
「俺たちじゃ役に立たないって?」
「さぁな。……俺にだって分かんねぇよ」
飯塚さんの暴走に気づかなかった。
ずっと一緒にいたのに、全くそんな素振りすら感じなかった。
いつもにこやかに穏やかな微笑みをたたえていたあの人は、今はもういない。
竹内の横顔も暗く沈んでいる。
俺たちは、#本当に__・__#知らされていなかったんだ。
隊長はそんな俺たちに、「帰れ」という。
バス停へ向かう俺たちの足取りは重くて、何の言葉も交わせなかった。
朝の空はどこまでも高くて、始まったばかりの一日を手放しで祝福している。
途中の自販機で、新商品のチョコラテを見かけた。
一度自販機を軽く蹴る。
その音の違いで、本物の自販機かどうかを見分けられるようになっていた。
二つ買ったその片方を、竹内に差し出す。
「嫌味か。コレ、前に俺が勝手に飲んだって、お前が怒ったやつだろ」
「一緒に飲みたかったんだよ」
天命の混乱は続いている。
次々と侵入と攻撃を繰り返すハッカー集団。
警察や消防、自衛隊管理システムや官庁へのハッキングと乗っ取り。
天気予報や時刻表を書き換えるいたずら。
それら全てを未然に防ぎ、また修復し元に戻す。
いつもの業務が3割増しで、CPUに余裕はあっても、メモリは80%にまで達していた。
これは天命の能力として、危機的な状況だ。
「いいよなぁ、空って。いっつも青くって……」
そんなどうでもいいことをつぶやいて、竹内に声をかけようとして、やめた。
端末の画面から一切目を離すことなく進むこの横顔に、何を言っても無意味なような気がする。
青と白だけの世界に、シミのような黒い点が舞っている。
俺たちを見下ろしてでもいるのだろうか。
そのシミは旋回しながら徐々に降下し、やがて一羽のカラスとなった。
緊張が走る。
竹内も気づいている。
捕獲するか、呼び寄せるか。
彼は何かを運んでいるのかもしれない。
それとも情報収集? 何のために飛んでる?
どうしたら接触できるだろう。
カラスは北北西に向かっている。
俺たちはすぐ近くにあった公園に駆け込み、もう一度空を見上げた。
R38と思われるカラスは、近くの木の枝にとまる。
「おいで」
腕を高く掲げた。
本当にR38なら、来てくれるはずだ。
カラスは枝を蹴って飛び上がった。
限りなく抵抗を減らした青黒い流線型は、滑るように向かってくる。
それは俺の頭上を通り越し、植え込みの向こうに消えた。
カラスの甘えるような鳴き声と、バサバサという羽音が聞こえる。
そこに現れたのは、隊長だった。
「はは、元気にしてたか? やはりお前にはかなわないな」
無邪気に笑う隊長の顎に、R38は頭をこすりつけた。
肩に乗ったそれを大きな手はそっと撫でる。
「貴様らより遙かに優秀だ」
隊長は甘えるカラスの首に、透明なナイロンの紐のようなものをかけた。
それを黒い羽の下に隠すと、もう人の目だけでは簡単に分からない。
カラスはもう一度隊長に頭をすりつけると、与えられたペレットを丸飲みしてから、空へ飛び立った。
「マーキングしたんですか」
「おとりはむしろ、お前らの方だ」
区役所管轄土木事務員の作業服を着た隊長は、冷たく言い放つ。
「余計な気を回しても上手くいかないと、まだ学習しないか。支部に戻れと言われたら、すぐに戻れ」
部隊の作戦なんてものは、俺のような下っ端はその全容を知る必要はなく、隊長や本部の動きなど、俺たちには関係ない。
それは作戦として、至極当然で当たり前のことだ。
「竹内」
隊長の声に、細くゴツゴツとした背が伸びる。
「08をしっかり見張れ」
通信傍受をこんなところでしていたのか。
機材を運ぶ数人の精鋭部隊と共に、土木事務所の軽自動車は走り去る。
「重人。お前が何をどう思っているのかは知らないけど、今は非常事態だからさ……」
俺は竹内を信頼している。
だから竹内が何をどう思おうと、そうするというのなら俺もそうする。
「いいよ。それくらいは、俺も分かってる」
竹内がバスに乗ったから俺もバスに乗り、コンビニに戻ったから俺も戻る。
そう、それだけのことだ。
天命は綱渡りの動作を続けていて、コンビニのバックヤードシステムも、そのおかげでかろうじて維持されている。
天命の運用に関する一番の問題は、メンテナンスによる一時中断が出来ないことだ。
全てを遮断した瞬間、この世界は終わってしまうだろう。
民間に運用を移行させた流通システムで、竹内は新たに運び込まれた何かのスタートアップに夢中になっていた。
静かになってしまった地下基地を見渡す。
その後、隊長からの連絡は何もない。
つい最近まで飯塚さんといづみ、R38もいて賑やかだったのが、ウソみたいだ。
いづみの研究対象だった観葉植物の鉢も、全てなくなってしまった。
動物だけでなく植物とも意志の疎通をというのが、彼女の研究だった。
それがどんなものかなんて、俺は知らない。
固い植物の葉についた傷で録音するとかいってたな。
もっと分かりやすく言えば、スパイアイテムの開発だ。
いづみの机だったはずの引き出しに、ペンとノートが転がっている。
彼女が研究の合間に描いていたスケッチだ。
様々な動物や植物の鉛筆画が並ぶ。
他にはのど飴とハンドクリーム、R38が彼女に捧げた貢ぎ物も詰め込まれていた。
一本の大きな黒い羽根を手に取る。
これを振ると、魔法のステッキみたいにR38が飛んできたっけ。
なんとなく、その羽根を胸のポケットに差し込もうとして、取り落としてしまった。
はらりと机の下に舞い落ちたそれを、拾おうとしゃがみこむ。
ふと引き出しの底面が、不自然にザラザラとしているのに気づいた。
どうしてこんなところが……。
いや、違う!
俺は慎重にそれを引き抜く。
中身を一つ一つ丁寧に取り出し、底を観察する。
滑らかに見えるそのプラスチック板にも、細かな傷はついているはずだ。
記憶を呼び覚ます。
この引き出しは確か、いづみの開発中だった特殊プラスチックの録音装置だ。
たしか表面を解析する機器は、まだここに残されていたはず。
俺は余計な雑音を増やさぬよう、忍び足で機器を探した。
あの隊長が、これに気づかなかったのか?
きっとそんなはずはない。
わざと見逃したか、問題ないと判断したのかもしれない。
それとも、データだけとって放置された?
7×15㎝程度の装置をセットする。
レーザー照射により、層になった傷の解析を始めた。
俺はPCの前に座って、その結果を待つ。
竹内はいつものように、何かのセッティングに夢中になっている。
イヤホンから音声が聞こえてきた。
「……だけど、それじゃあ……ガガッ……ギ、ギー……」
どうしても雑音が入る。
キュルキュルというノイズの排除レベルを上げても、かなり聞き取りにくい。
俺と竹内のくだらない雑談も残されている。
「えぇー! どうして? なんだよぉ……それ……」
「バカか。重人、おま……カツ丼の……」
サンプリングとして記憶されている、いづみと飯塚さんの音声だけに絞って、抽出させる。
「だからそ……れは……アールグレイよりもアッサムの方が……」
「かつてのミルスターとDSCSが……商用衛星の80%の……、NICTの地上低軌道間で衛星間通信量40Gbps級の……」
不意に、鮮明な音声が入ってきた。
「……俺は、今進めている改修作業には反対なんだ」
「でもそれは仕事なんでしょ? 命令と同じよ」
「もちろんそうだ。俺が選ばれたことは名誉だと思ってるし、信頼の証でもある」
「じゃあいいじゃない」
「隊長とも話した。だけど隊長は……」
耳を切り裂くようなノイズに、思わずヘッドホンを投げ出す。
胸の鼓動が早い。
呼吸が乱れる。
俺はもう一度、それを装着した。
「……もし、これを聞いているとしたら……、お願い、私には……」
いづみの声だ。
それは、いづみが俺たちに残したメッセージだった。
「あの人を助けて。隊長、竹内くん、磯部くんも、お願い。私たちはこれから久谷支部のサーバ-を沈める。軍事衛星を機能停止に追い込み、国営放送をジャックする。水道局のシステムを掌握する。電力もよ。最終目標は天命の破壊。そのウイルスデータは残せたら残す。探して。それからあの人は……」
「出来たぞ、重人。こっち来い」
竹内に呼ばれて、俺は立ち上がる。
「隊長から送られてきた、特別装備だ」
それは天命からも独立したシステムだった。
天命が機能停止に追い込まれ、特殊状況下におかれた場合にのみ起動する。
「飯塚さんの最終目的はこれだ。派手に登場させて、部隊ごと解散に追い込む」
「俺たちの存在を、公にするつもりか」
「改修メンテナンスのプログラムを組んだのは飯塚さんだ。操作方法がどれだけ変更されているか、想像すら出来ない」
「こんな話、誰が信じるかよ」
「だけど現実だ」
竹内は、じっと俺を見つめた。
「俺たちはこれを、公にするわけにはいかないんだ」
『○月○日14時、東京都庁から巨大ロボットを出現させる』
IF03からの最終予告が、ネットに公開された。
ネットに書き込まれた単なる冗談が、現実になることなんてことがあり得るだろうか。
古今東西、都市の主要建造物がロボ化するという話は、そこかしこに見受けられる。
火のないところに煙は立たぬとは、まさにこのことだ。
ここだけの話、都庁だけではない。
国会議事堂もサンシャイン60も東京タワーもスカイツリーも、横浜ランドマークタワーだってロボ化する。
それを全てくだらない冗談とねじ伏せてきたのが我々の部隊だ。
富士山の河口は秘密基地への入り口だし、裾野に広がる広大な樹海の下には、第二の政府が存在する。
当たり前のような冗談を、誰が真に受ける?
緊急事態宣言が発動された。
部隊の活動は非常事態として、全ての指揮は隊長に委ねられる。
これがいつものように、外部のテロリストのようなものであったのなら、何を恐れることがあっただろう。
これまでも、神をも恐れぬその行為に、抹殺されてきた輩は数しれない。
それほど強固だったこの砦が、今まさに危機に瀕している。
隊長がどのような手段を考えているのかは分からない。
もし都庁ロボが動き出したら、その暴走を食い止めるために、国会議事堂ロボを発動させるのか。
国立競技場の整備はやっと終わったばかりだ。
スカイツリーの完成から始まった巨大な国家ロボ整備改修計画の一環、個別に運用されていた各種ロボット部隊の連携がようやく実現するところだ。
都庁ロボメンテナンス責任者だった飯塚さんが、それを邪魔しようとしている。
飯塚さんを指名した任命責任を、隊長は免れないだろう。
以前から問題視されていたロボット部隊の一元管理の危険性が再び叫ばれている。
飯塚さんの真の目的が隊長の失脚と交代だなんて、考えたくない。
現在、隊長を含む特別編成チームが都庁警備にあたっている。
清掃作業員に扮した肉弾戦のエキスパートたちが内部をくまなく巡回警備し、IT精鋭部隊は飯塚さんの仕込んだ操縦プログラムの解析と、配線確認作業に躍起だ。
「都庁ロボは、こっちの管理下にはないのか」
竹内は首を横に振る。