「大学について、どう考えているんだ?」
その日僕は、珍しく早い時間に帰宅していた両親と久しぶりに食卓を囲んでいた。味噌汁に口をつけたところでその話題を出され、思わず咳き込んでしまう。
どうしてその話が出たのか。母とだって大学の話などしていない。ところが父はペラリと今日学校で配られた進路希望のアンケート用紙を顔の前に出したのである。
父曰く、廊下に落ちていたとのこと。帰宅して鞄を開けた際にでも滑り落ちたのだろう。ちゃんとノートに挟むなりすればよかったと後悔しても、もう遅い。
「都内でもここから通える大学もあるし、一人暮らしがいいというならそれでもいい。興味のある大学はあるのか?」
「まだ特には決めてない」
たしかに僕は、なんとなくただぼんやりと、高校を卒業したら大学に行くのだろうとは思っていた。それでも僕の人生なのに、何も聞かずに大学進学という道のみに決めつけてくる父に対し、小さな苛立ちが芽生える。
「この間、赤点だったらしいじゃないか。一流大学に入れとは言わないけど、ある程度はやっておいたほうがいいんじゃないか」
「今、興味があることはないのか? 学びたいこととか、ジャンルとか。大まかでもいいから」
「必死に追いかけなければ叶わないような夢ではなく、もっと現実的な将来を考える時期が来ていると思うぞ」
ひたすらにおかずの餃子に箸を伸ばし、無言でそれを口に運ぶ。僕にとって、餃子は一番の好物だ。それなのに、どれほど咀嚼しようとも、どれほどに味わおうとも、全く味を感じられない。その原因は間違いなく、父の放つ言葉が僕の神経をビリビリと刺激し続けているからだ。
母は黙ってもぐもぐと口を動かしているばかり。父の小言が多いのは、今に始まったことではないのだ。
「そう思うとな、これはいい機会だったんじゃないかと父さんは思うんだ」
「──は?」
しかし、したり顔で頷く父の言葉に、僕の手は動くことをやめた。代わりに尖った声が腹の底から漏れ出てしまう。
〝これ〟というのは僕が怪我をしたことで、〝いい機会〟というのは僕がサッカーから離れざるを得なくなったこの現実を指しているということは、父の声や表情が表していた。
「樹、現実はお前が思うよりもずっと厳しい。お前はずっとサッカーしかしてこなかっただろ? やらなきゃいけない勉強もしてこなかった。これからは、もう少し地に足をつけてだな──」
「なんだよそれ……」
ギリッと奥歯が鈍く擦れる。箸を持つ手が小刻みに震え、僕は箸を静かに下ろした。そうでもしないと、細い二本の棒を思い切りへし折ってしまいそうだったからだ。
母が目の色を変え、たしなめるような視線を寄越したがどうでもいい。僕は目の前に座る父を思い切り睨みつけた。眼球が痛くなるほどに強く、全ての憎しみを込めて。視線で人を刺すことができればいいのに。
「地に足をつけてって、こんな状況になった僕によく言えるな……」
僕の全てはサッカーだった。ただただ漠然と夢を見てきたわけじゃない。簡単にレギュラーを取ったわけでもないし、サッカー推薦だって容易に手に入れたわけでもない。必死に努力をして、ひたすらに練習を重ね、色々なものを我慢して積み上げてきたものだ。
それを自分の意志ではどうにもできないことで手放すことになったのだ。絶望感、自分への失望感、周りに対しての劣等感と羞恥心。同情されるのが嫌で拒んだ、チームメイトや友人からの連絡。
毎日を生きているのか死んでいるのかよくわからず、笑い方も忘れて、空っぽになった僕を、家族は一番そばで見てきていたはずなのに。何が〝地に足をつけて〟だ。なにが〝いい機会〟だ。──ふざけるな。
それでもさらに腹が立つのは、これほど感情的になっている僕に対し、父は表情ひとつ変えないこと。どれほどに苛立たせようと僕が汚い言葉を吐いても、どれほどに嫌な気分にさせようと僕が睨みをきかせても、父は冷静なままなのだろう。それが悔しくて、腹立たしくてどうしようもない。
「足なんて最初から地についてんだよ! サッカーをやることは僕にとっては夢なんかじゃなくて、現実だった。それくらい、見ていたらわかるだろ!? 親のくせにそんなこともわかんないのかよ! 父親失格だな!」
今抱いている嫌悪感を、余すことなく全てぶつける。感情に任せた口調と声。それでも怒りは収まらない。もう一言何かを言ってやろうかと口を開きかけたとき、目の前の父が静かに、だけどきっぱりとした口調で僕にこう言った。
「樹、甘えるな」
だから僕は、家を飛び出したんだ。いつもならば必ず連れていくギターですら部屋に置いてきぼりのまま。コートも羽織らず、スマホも財布も持たない僕は、冬の夜へと逃げ込んだのだった。