「久保さんがその気なら、1度くらいデートをしてあげてもいいんだよ?」
「は?」
私と亜由は同時に目を見かわせた。
この男は一体何を言い出したのだろう。
理解が追い付かず、ただただ内田君を見つめていることしかできない。
その間にも内田君はデートの場所はどうとか、お金の心配はいらないとか、どんどん先へ先へと話を進めている。
「ちょ、ちょっと待って!」
たっぷり3分ほど内田君のひとり語りを聞いた後、ようやくストップをかけることができた。
「ん? どうしたんだい? 杏美?」
(いつの間にか名前呼び捨てになってるし!)
「デートとか、そういうのはちょっと……」
「ん? なんだ、教室内でこういう話はしない方がよかったのかな? 照れ屋だなぁ杏美は」
サラリと前髪。
(いや、照れてないですけど)
ヒクヒクと頬の筋肉が痙攣してくる。
「じゃ、また後で連絡するよ」
ヒラリと手を振って自分の席へと向かう内田君の姿を呆然と見送る。
「あちゃー、変なヤツの生徒手帳を拾っちゃったね」
亜由が顔をしかめて言う。
「い、今のなんだったの?」
自分の声が混乱で震える。
「内田君ってさ、入学式の日に登校してきて、ずっと休んでたでしょ」
「あぁ……そう言えば」
そうだったかもしれない。
この年で、この季節におたふくかぜになったとかって、先生が言っていた気がする。
だから同じクラスなのに記憶になかったんだ。
やっと納得いったのはいいけれど、あれは一体なんなんだろう……。
内田君へ視線を向けてみると、さして仲良くなさそうなクラスメートたちにどんどん話かけている。
話しかけられた生徒はみな困惑顔だ。
ポジティブといれば聞こえがいいかもしれないが、空気が読めないといってしまえばそれまでだ。
「なぁんか嫌な予感だねぇ」
杏美は内田君の様子を見て呟いたのだった。
おたふくかぜが直った内田君はそれから順調に登校してくるようになった。
それがキッカケでクラスの雰囲気が大きく変化していた。
今まで春の陽気をそのまま反映させたようなクラスだったのが、一気に冬になり、どこか寒々とした空気が漂うようになっていたのだ。
「でさ! 河川敷にいたヤツらを僕1人でボコボコにしてやったわけよ!」
聞きたくもない内田君の声が教室中にこだまする。
内田君は教卓の前に立ち、1人で大演説を繰り広げていた。
「絡まれてるのは僕の元カノだったから、無視しようかとも思ったんだけどねぇ~? 一旦通り過ぎた後に、やっぱり戻っちゃったわけよ。情っていうのがあったのかなぁ?」
遠い目をして物思いにふける内田君。
サラリと無駄に前髪をかき上げ続けている。
できるだけ目を合わさないようにしていたのに、一瞬だけバチンッと視線がぶつかってしまった。
(ヒッ!!)
心の中で悲鳴を上げすぐに顔をそらす。
しかし、内田君はその一瞬を見逃さなかった。
「ふふんっ」
と意味不明な笑みを浮かべ、ドシドシと巨漢を揺らしながら私に近づいてくる。
(やばいやばいやばいやばいやばい!)
全身から汗が噴き出した時、「よぉ内田!」と声がして教室前方から3人の男子たちが入ってきた。
「あぁ、なんだ、君たちか」
内田君は立ち止まり、サラリと前髪をかき上げる。
途中で立ち止まってくれたことに大きく息を吐きだした。
あのままこちらへ来られていたらどうなっていたか、考えるだけで恐ろしい。
「なぁ今月ピンチなんだよ。昼奢ってくれねぇ?」
「ふふっ! 君たちはお金の使い方が下手だなぁ! いいよ、僕がなんでも奢ってあげようじゃないか!」
胸を張って自身満々に言う内田君。
自分が都合よく使われていることに気がついていないみたいだ。
「内田君の家って無駄にお金持ちらしいよ」
内田君たちが窓辺へと移動したのを見て、亜由が言った。
「そうなんだ?」
「うん。だからお小遣いも無限大にあるし、甘やかされて育ったんだろうね。性格も、あれだし……」
亜由はそう言って苦笑いを浮かべる。
なるほど、それであんな風になったってことなんだ。
私は唸り声を上げたい気分になった。
「とにかくさ、勘違いされっぱなしはまずいんじゃない?」
「そうだよね……」
わかっているけれど、告白されたわけじゃないのにお断りするのもなんだか変だ。
あれ以来デートの誘いもされていない。
断ったとして『僕は君に告白なんてしていないよ?』なぁんてことを内田君に言われたとしたら地獄だ。
もうこのクラスにはいられない。
一生の笑いものだ。
そこまで考えて頭を抱え込んだ。
その時だった。
「お兄ちゃん!」
かわいらしい女の子の声が聞こえてきて顔を上げると、教室の入口に赤いランドセルをせおった子が立っていた。
手には青いお弁当袋を持ち、頬はプッと膨らんでいる。
「みちる! どうした?」
そう言って立ち上がったのはなんと内田君だ。
「うそ、あれが内田君の妹!?」
クラス内からそんな驚きの声が上がる。
内田君の妹はクリクリと大きな目に白い肌、毛先だけクルンとカールしていてとっても可愛いのだ。
とても兄妹には見えなくて、私も唖然としてしまう。
「もう! どうしてあたしがお兄ちゃんのお弁当を持ってこないといけないの!?」
頬をふくらませて怒っている様子もとても可愛い。
クラス内がホワリとやわらかな雰囲気に包まれていく。
「おぉ、悪いなみちる! でも僕はお金を持ってるから、弁当なんてなくてよかったんだぜ!」
妹からお弁当の袋をひったくり、自信満々に言う。
自分が忘れ物をしたことが恥ずかしくて、必死で隠そうとしているように見える。
「それからみちる、お前またお兄ちゃんの部屋に入っただろう!」
「えぇ~? 入ってないよぉ?」
みちるちゃんは首をかしげている。
「いいや入った! それでほら、お兄ちゃんの机を見たんだろう!」
内田君はみちるちゃんの背中をツンツンとつついている。
するとみちるちゃんは何かに感づいたように内田君を見上げた。
「そういえば見たかも」
みちるちゃんはどこか嫌そうな表情で呟く。
さっきまでの元気も一気に失われている。
「で、そこで何を見たんだっけ?」
「えっとぉ……」
みちるちゃんは居心地悪そうにモジモジしはじめた。
一刻も早くここから去りたいを思っているのが、痛いほど伝わってくる。
「お兄ちゃんに届いたラブレター……」
「ふふふんっ! そうだよなぁ! お前は勝手にお兄ちゃんに届いたラブレターを見るんだよな!!」
(いや、今のは明らかに無理やり言わせてたじゃん!)
教室中が白けた雰囲気に包まれる。
そこまでしてモテアピールがしたいのはなぜなのか、内田君と目があった瞬間に理解できてしまって鳥肌が立った。
亜由が私の腕をつついて「ヤバイじゃん」とささやいてくる。
内田君は間違いなく、私に向かってモテアピールをしているのだ。
こんな僕とデートできるんだから幸せでしょう?
と、顔に書いてある。
私はなるべく内田君の方を見ないよう、みちるちゃんへ視線を向ける。
「で? ラブレターは何通あった?」
「ひゃ……百通……」
その瞬間、みちるちゃんは真っ赤になって逃げ出してしまった。
(あぁ、あの子も被害者なんだ)
内田君の笑い声だけがいつまでも聞こえていたのだった。