パサッと軽い音がして前方に視線をやった。
春の朝の日差しは眩しくて思わず目を細める。
昨夜降った雨に濡れて、道端の花がキラキラと輝いていた。
私の視界に入ってきたのは見なれた濃いグリーンの手帳だった。
近づいて拾い上げてみると、乾き切っていないアスファルトのせいで、その手帳も少し濡れていた。
制服の袖で水気をぬぐい、手帳を開く。
そこには桜ケ丘高校1年A組内田健吾と書かれていた。
顔写真を見ると下膨れしたような丸い顔に、頬にはニキビ。
まるくて大きな鼻に、自信満々笑顔が写っていた。
(1年A組って、私と同じクラスじゃん)
だけどどれだけ記憶を巡らせてみても、こんなクラスメートがいた記憶がない。
高校に入学して間もないせいもあるけれど、これほど特徴的な顔なら覚えていてもいいのにな……。
そんなことを思いながら私は通学路をキョロキョロと見回した。
私と同じ紺色の学生服が同じ方向へ向かって歩いている。
その中でひときわ目立つ横に大きな男子生徒を見つけた。
「あっ」
思わず、小さく声を出していた。
きっとあの人だ。
今しがた生徒手帳を落としたばかりで、この顔に見合う体系といえば、その人しかいなかった。
私は足早に男子生徒に近づき、その肩を叩いた。
「あの……」
「え?」
男子生徒は驚いたように目を丸くして振り向いた。
その顔は間違いなく、生徒手帳に張られている写真のもので間違いなかった。
私はホッとしながら男子生徒に生徒手帳を手渡す。
「あ、これ僕の……」
低く、おじさんのような声で男子生徒……内田君は言った。
「うん。落してたよ?」
「あ、ありがとう」
その瞬間、内田君の頬がポッと赤くなったのがわかった。
「じゃあね」
私は内田君を追い越して、足早に学校へと向かったのだった。
☆☆☆
1年A組の教室は今日も穏やかだった。
グループ構成はあるもののみんな仲が良く、まるで春の陽気がそのまま反映されているようなクラスだった。
「おはよう杏美」
隣りの席の久保亜由が声をかけてくる。
「おはよう~」
私は返事をしながら自分の席にカバンをおろし、教室内を見回した。
その瞬間、窓際に立つ男子に視線が向かった。
クラスないでもひときわ目立つ存在、矢沢良治君だ。
矢沢君は小学校の頃からバスケをしているようで、190センチ近い身長にスラリと長い手足をしている。
おまけにアイドル顔負けのイケメンとくれば、女子がほっとくわけがなかった。
今日も矢沢君の周りには女子生徒が沢山集まっている。
その様子を見て私は大きくため息を吐きだした。
今日もあの輪の中に入りそびれてしまった。
矢沢君と少しでも仲良くなろうともくろんでいる女子たちは沢山いて、いちはやく登校してきた子たちがその座を勝ち取るのだ。
今日は派手系の女子たちが矢沢君との会話を独占していた。
「相変わらず人気者だねぇ」
亜由は興味なさそうにアクビをかみ殺して言う。
「あれだけイケメンだもん……」
私はあきらめて席につき、教科書やノートを机にしまいながら答えた。
「あの人と話をしたければ、今よりも1時間早く登校することだね」
亜由はニヤニヤと笑いながら言う。
私が朝が弱いことを知っていてそんな風に言うのだ。
1時間も前に到着するためには、朝ごはんを抜かなければならなくなる。
ムッとして亜由を睨んだ時だった。
「あの、久保さん」
後ろから声を掛けられて振り向くと、大きな壁があった。
(あれ? こんなところに壁なんかあったっけ?)
そう思ってよく見てみるとそれが紺色の学生ズボンであることがわかった。
(んん? ということはこれは壁じゃなくて……?)
スッと視線を上げるとそこには下膨れの丸いニキビ顔があった。
「ひゃっ!?」
驚いて悲鳴を上げ、椅子から転げ落ちてしまいそうになる。
「う、内田君……?」
今朝会ったばかりだから、さすがに名前は覚えていた。
「ふふっ。さっそく僕の名前を覚えてくれたみたいだね? 久保さん」
サラリと、脂ぎった前髪をかき上げる。
「え……?」
「今朝、久保さんはどうして僕の手帳を拾ってくれたんだい?」
「どうしてって……」
そんなの、落ちていたからに決まっているのだけれど、内田君から発せられている謎のキラキラオーラに言葉を失ってしまった。