「それ以上近付かないで!」


 柚子との距離を縮めようとする浩介に、そう怒鳴った。
 浩介は、少し寂しそうな、悲しそうな顔をして、それ以上柚子に近付いてくることはなかった。


「……浩介君が津守って人と兄弟って本当なの?」


 言われても信じられないほどにはふたりは似ていない。
 けれど、浩介は肯定する。


「うん、そう。覚えてるだろう? ガキの頃、俺が急にいなくなった時のこと」

「うん」


 普通に「また明日」と言って別れたのに、次の日には転校したと聞かされたあの日。
 友人が突然いなくなり、柚子は透子とふたりで泣いた。


「津守は代々陰陽師の家系だ。けど産まれた時の俺にはその才能はないと判断された。それで、津守とは関係ない普通の世界で母親と暮らしていたんだが、ある日突然その才能が発現した。そしたらさ、今までずっと見向きもしなかった父親が現れて、俺を津守の子として引き取るってさ。勝手だよな。俺は反抗したけど子供だった俺にはどうしようもできなかった」

「そうだったの……」


 くしくも、浩介が突然消えた理由を知ることになった柚子の心境は複雑だ。
 思わず同情してしまいそうに、気を許してしまいそうになる。敵かもしれないのに。


「それまでの関係は断ち切られて、津守の子として教育されることになった。けど、周りの目は厳しかったよ。まあ、当然だよな、愛人の子だし。って言っても、俺もこの家に来てからそのこと知ったんだけど」


 はははっと浩介は笑ったが、空元気のように見えた。


「それでも、まあ、なんとか津守で陰陽師の修行をしながら暮らしていたんだけど、急に兄貴に本家へ呼び出されたんだよ。なんでも、鬼龍院の花嫁がかくりよ学園に行くから監視しろってね」

「それって……」


 柚子の顔が強張る。


「そっ、俺は柚子を監視するためにかくりよ学園に入ったんだ。大学内での柚子の行動を逐一兄貴に報告してた。あの出会いは偶然なんかじゃない。柚子があの大学にいることも、鬼龍院の花嫁になったことも、全部最初から知ってた」

「そんな……」


 浩介は柚子の行動を幸之助に報告していたと言った。梓がトイレで手紙を渡してきたのもその報告から、柚子がひとりになることを知っていたからなのかもしれない。


「知っていて近付いた。……けどっ! だけど、柚子に会えて嬉しかったのは本当だ! 協力したのだって柚子を傷付けるためじゃない!」


 浩介は必死で訴える。けれど、真実を知ってしまった柚子には、その言葉を素直に受け入れられなかった。


「こんなところに閉じこめておいてそんなこと信じられるわけないじゃない!」


 そう言われて、浩介は落ち込んだような顔をした。


「そう……だよな。そう思うよな。確かに兄貴の言う通りに動いたけど、それは柚子の現状を知ったからなんだ。助けたかったんだよ! ただその一身で、兄貴の提案を受け入れたんだ。柚子を助けるために……」

「助ける?」


 意味が分からなかった。両親や妹と暮らしていた昔ならいざ知らず、今は助けてほしいような状況にないのだから。


「そうだよ、お前を花嫁にした、あの化け物から助けてやりたいんだ」


 化け物……。
 玲夜のことを言っているのかと思ったら、カッと怒りが湧いた。


「玲夜は化け物じゃない!」

「似たようなものだろ。あいつは鬼だ。どんな綺麗な顔をしていたって人間じゃない。人間は人間といるべきだ。そうだろ? 柚子にとってもそれが一番いいんだよ。だから俺はあの男から柚子を助け出そうと思って……」

「そんなのいらない! 私はそんなの望んでない!!」


 柚子からの強い否定の言葉と敵意にも似た眼差しに浩介はたじろぐ。


「柚子、お前はあいつらのことをよく分かってないだけなんだよ。あいつらは危険な存在なんだ。柚子はあの容姿に騙されてるだけだ。あいつらはただの化け物。いつか柚子を不幸にする」

「そんなのどうだっていい! 化け物だろうがなんだろうが、私は玲夜のことが好きなの。好きだからそばにいるの。ううん、いたいの! それは私の意思。誰かに強要されたわけでも、頼まれたわけでもない、私の一番の願い! 浩介君のやっていることは大きなお世話よっ」


 さすがの浩介も、ここまで強い拒絶を受けると、勢いをなくした。


「玲夜は優しいわ。そりゃあ、他人には少し冷たいところもあるけど、私のことをすごく大事にしてくれるの。あの家から解放してくれたのも玲夜よ。そして、誰よりも私のことを好きでいてくれてる」

「そんなの、俺だって柚子のこと……」


 浩介はなにかをこらえるように手をギュッと握りしめる。


「……もし、あの家から柚子を助けていたのが俺だったら、お前は俺を好きになったか?」

「たらればの話なんていらない! 私が苦しい時、助けてほしい時に助けてくれて、そばにいてくれたのは玲夜よ。その事実があればそれでいい」


 そう、もしもの話など柚子にはいらない。
 以前にも玲夜に問うたことがある。もしも出会った時に自分に恋人がいたらどうするかと。
 そうしたら「そんなことは関係ない」と「好きにならせる。俺には柚子が必要だし、俺以上に柚子を愛して大事にできるやつはいないからな」と言った。

 玲夜の答えはとても玲夜らしい答えだったが、確かにその可能性はあった。
 けれど、あの悲しみに暮れた夜、柚子を見つけてくれたのは玲夜であり、助けてくれたのも玲夜だった。
 他の誰かだったかもしれない。浩介の言うように浩介だったかもしれない。けれど、その時柚子に寄り添ったのは他の誰でもない玲夜だった。

 きっと、大切なのはそういうことだ。
 もしもとか、だったらとか、考えるだけ意味がない。
 過去は変えようがなく、柚子が今好きなのは玲夜だ。それが分かっていればいい。


「浩介君、ここから出して! 玲夜のところに帰らないと」


 しかし浩介はそれには答えず、なにを考えているのか分からない顔で鉄格子の扉を出ると、再び南京錠を掛けて出て行った。


「浩介君!」


 柚子は何度も叫んだが、浩介が振り返ることはなかった。