そんなある日のこと。両親から呼ばれた。
深刻そうな顔をしたふたりを不思議に思う。
わざわざ弟と妹に部屋から出て行くように言う両親に、梓だけでなく弟と妹もなにかを感じたのか不安な顔をする。
弟と妹がいなくなったリビングで、突然父親が梓の前に土下座をしたのでびっくりした。
「やだ、なに、お父さん!?」
「梓、頼む!」
「やめて、立ってよ、お父さん!」
父親のその行動に梓は目を大きく見開き、父親の行動を止めさせようとする。
しかし、父親は梓に頭を下げたまま。そして、母親まで泣き始め、梓はなにがなんだか分からなくなる。
「どうしたの、なにがあったの?」
「蛇塚家の花嫁になってくれないか?」
「花嫁?」
ゆっくりと顔を上げた父親から経緯を聞いた。
父親の会社は経営が悪化し、大きな負債を抱えてしまっているのだという。
そんな時、蛇塚家のご子息から梓を花嫁にもらいたいと打診を受けたようだ。
蛇塚家は梓の意思を尊重すると言っている。
なので断ることは可能だったが、梓が花嫁になれば蛇塚家に援助を頼むことができ、会社を潰さずにすむと、父親が苦悶の表情で梓に説明した。
それを聞いた梓は、話を理解するまでに少し時間がかかった。
「梓、頼む。会社のために花嫁になってくれないか? そうすれば会社も家族も皆助かるんだ」
「……助かるって……そんなこと急に言われても……」
「あちらには、もう了承のむねを伝えた」
「そんな! そんなこと勝手に決めるなんてっ……」
梓を置いて進んでいく話に、動揺が隠せない。
「仕方がないんだ。お父さんはたくさんの社員の生活を預かっている。社員を路頭に迷わすわけにはいかないんだ」
幸せな日常が、ガラガラと崩れ去っていく音が聞こえた。
「私……私、好きな人がいるの! だからっ」
玲夜以外の人の花嫁になるなど考えられなかった。断りたい。だが……。
「恋人なのか?」
「ち、違うけど……」
ただの梓の片思いだ。けれど、玲夜への気持ちを持ったまま花嫁になどなりたくなかった。
「恋人じゃないのならいいだろう? その人のことはあきらめなさい」
「そんな……」
嫌だ嫌だと拒否した。泣いて懇願もした。
だが、父親の意思は固く、梓も家族への情から、流されるように花嫁になる道へ向かうことになった。
そして、あっという間に両家の間で話はまとまり、梓は蛇塚家で暮らすことになってしまった。
なぜ自分がこんなことにと、蛇塚家へ向かう車の中で何度となく浮かんだ問いかけをする。
普通、あやかしの花嫁に選ばれることは名誉なことだ。
だが、車内はまるでお通夜のように暗い空気が漂っていた。
蛇塚家の家に到着すると、同じ年頃の男の人が待っていた。その容姿はあやかしらしく整っていたが、ひどく目つきが悪く怖い印象を梓に与えた。
「はじめまして。俺が柊斗です。花嫁になることを了承してくれて嬉しいです」
これが、この人物が、自分を身売り同然に花嫁にした男。
そう思ったら、悲しみと同時に怒りが湧いてきた。
その目つきの悪い顔も、大きな体格も、梓の好みとはかけ離れていた。
なぜこの男なのか。
もし花嫁に選んだのが玲夜だったなら、これ以上ないほど喜んだというのに。
現実は梓の希望通りにはいかない。
それが、悔しく、悲しく、惨めで、無性に目の前の男が憎く感じた。
はじめましての挨拶をした蛇塚に、なんと返したか梓は記憶になかった。
ただ、怒りと憎しみに任せ、とてもひどい言葉を浴びせたことは覚えていた。
蛇塚の顔を見るのも嫌だった。
必死で勉強して合格した短大への進学を、いつの間にか両家の話し合いでかくりよ学園に勝手に変えられてしまったことも怒りを増長させた。
それからは顔を合わせる度に毒を吐くことで自分を保っていた。
そのせいか、蛇塚家の人たちからはよく思われておらず、苦言を呈されることも多かったが、誰になんと思われようとそんなことどうでもよかった。
蛇塚の花嫁でいること自体が苦痛でならないのだから。
それに、淡い希望も抱いていた。険悪な態度を取り続けることで花嫁であることを解消してくれないかと。
そんなことをして困るのは、蛇塚家から援助してもらっている梓の方だと分かっていたが、感情を抑えきれなかった。
けれど、花嫁を解消されないまま大学へと入った。
そこで同じ花嫁の柚子と透子と出会ったが、ふたり共相手のあやかしとの仲は良好なようで、自分との違いにさらに泣きたくなった。
しかも、憎い蛇塚の肩を持つような発言をされ、このふたりとは仲良くなれないと感じた。
大学で梓はひとりぼっち。もともと内気な性格の上、蛇塚と揉めて一方的に怒鳴り散らす梓の態度から、話しかけてくる者は興味本位の野次馬だけだった。
嫌々来た大学でも蛇塚のせいで居場所が見つけられないことに、蛇塚への憎しみが湧く。
蛇塚は梓に話しかけて仲良くしようと努力しているのだが、梓はそれすら気に障る。
誰かここから助け出してくれないだろうか。
そう嘆いては、玲夜の顔を思い浮かべた。
あの人が助けてくれないだろうか。
あの人の花嫁だったならこんなに苦しまなかったのにと、梓は現実逃避する。