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 梓の日常は笑顔に包まれたものだった。

 仲のいい両親にかわいい弟と妹に囲まれた、絵に描いたような明るく幸せな家庭。

 梓自身も、昔からかわいいと言われて育ってきた。

 そのせいか同世代の男の子からは好かれたが、それと同時に女の子からはあまり好かれず女友達は少なかった。

 それでも、梓は幸せだった。蛇のあやかしに花嫁に選ばれるまでは……。


 梓には以前から好ましく思っていた人がいた。
 その人に出会ったのは、あやかしと人間の親睦パーティーだった。
 梓の家はそれなりに大きな会社を経営していて、上流階級の者が集う親睦パーティーにも出席するだけのコネがあった。
 内気で人付き合いが苦手な梓は、そういう華やかな場はこれまで避けていたのだが、いつも父親と共に出席している母親が行けなくなったため、その代わりとして行くことになった。
 嫌々だったが、あやかしに会ったことのなかった梓は、少しばかりの興味もあった。

 そこで、梓は出会ったのだ。その人に……。

 出会ったと言っても会話をしたわけではなく、ただ目にしただけ。
 だが、そのわずかな時間で梓はその人に一目惚れをした。
 人間離れした美しい顔。作られた人形のように整っていて、見た者を惹きつける不思議な雰囲気を発していた。
 その魅力に梓は一目で魅入られてしまった。

 後々、父親に彼が誰だったかと問えば、それは鬼龍院の次期当主だと教えられる。
 鬼龍院の名はただの学生である梓でも知っているほど有名だ。
 鬼のあやかしであり、日本を影で支えているとも言われる家。
 格の違いに驚いたが、納得もした。
 彼がまとう空気は、トップに立つに相応しい威厳と覇気を感じたからだ。
 自分とはまったく違う世界の住人。

 だが、もう一度お会いしたい……。

 梓はそれから毎日のように玲夜の顔を思い出しては、会いたいと願うようになった。
 あのたった一瞬の邂逅で、梓は玲夜に恋心を抱いたのだ。
 気を抜けばすぐに玲夜のことを考え、物思いにふける。
 もともと大人しい梓の変化に気が付いた者はいなかったが、梓は心の中に今までにない熱情を抱いていた。

 玲夜のことを思ってはうっとりとし、会えないことを思っては落ち込む。
 そこにいたのは、普通の恋する少女だった。
 そんな恋心は、梓の行いにも変化をもたらした。
 今までは嫌っていた華美な世界。パーティーなどへ積極的に出席するようになった。

 もちろんあやかしが出席するようなものだけだが、これまで遠ざけていた世界に自ら足を踏み入れようとするのは大きな変化だった。
 だが、あやかしがいるからといって、必ずしも玲夜がいるとは限らなかった。
 その時はその日一日引きずるほど落ち込み、わずかにでもその姿を見られた時は嬉しくて上機嫌になる。

 とは言え、玲夜の周囲には常に女性が集まっており、大人しい性格の梓は、そんな女性たちを押しのけて話しかけるほどの強さはなかった。
 そんな弱い自分が嫌になったが、ただ見ていることしかできなかった。
 それでも梓は安心していたのだ。玲夜はどんな綺麗な女性に言い寄られても、冷たい態度を変えなかったから。


 そんな日々を過ごしていたある日のパーティーで、梓は知ってしまう。

 その日は珍しく秘書以外の人を連れていた玲夜。その隣には見目麗しい女性がいた。
 聞くと、鬼山桜子という玲夜の婚約者だという。

 梓は頭が真っ白になった。
 誰から見ても玲夜は素敵な魅力を持った人。決まった相手がそもそもいるかもしれないということを失念していた。
 玲夜の隣に立つ桜子は、かわいいと言われていい気になっていた自身が恥ずかしくなるほど美しく、品があり、玲夜の隣にいても見劣りしない……いや、むしろ見惚れてしまうほどお似合いだった。
 梓が評価するなど厚かましいほどに、桜子は完璧な女性だった。鬼だと聞いて納得した。

 文句のつけようのない婚約者がいたことを知って、その日梓は部屋に籠もって泣き続けた。
 家族が心配そうに部屋の外から声をかけていたが、梓は周りに気を使えるほどの余裕はなかったのが申し訳ない。
 翌日、真っ赤な目で部屋から出てきた梓に、両親はなにも言わずにいてくれたことがありがたかった。

 けれど、玲夜のことを忘れられそうにはなかった。
 ただ好きでいるだけ。それだけだと自分を言い聞かせて、玲夜の姿をひと目見るべく、あやかしが出席するパーティーには顔を出し続けた。
 あきらめなければと何度も思ったが、玲夜の顔を見てしまうと、どうしても恋情が湧き上がって自分の意思では抑えられなくなってしまう。

 あやかしは時に人間から花嫁を選ぶという。
 自分が彼の花嫁だったら……。
 そんな奇跡のような妄想をしては自身を慰めた。