これが柚子に頼まれたのなら、玲夜はなにを置いても耳を傾けただろうが、幸之助の頼みなどに玲夜の心を動かす力は微塵もなかった。

 そんな玲夜に気付いたのだろうか。それまで穏やかな笑みを浮かべていた幸之助の表情がスッと消え、目が剣呑になる。


「……お前はいつもそうだな」

「…………」

「他人に無関心で、興味を示さない。あるのは虚無だけ。お前に好意を向ける女も、羨望や尊敬を向ける男たちも、お前にとっては皆同じ」

「それがなんだ」

「……学園で、俺と成績を競っていたことすら、お前にとってはどうでもいいことだったのだろうな」


 その呟きは小さすぎて、玲夜に聞こえたかは定かではない。
 ただ、相変わらず興味なさそうな目を幸之助に向けているだけ。


「話は終わりか?」

「……あの娘。お前が大事にしている花嫁を奪ったら、そんなお前はどんな反応をするんだろうな?」


 ぴくりと玲夜が反応した。敵意ではあったが、その日初めてしっかりと幸之助を目にする。
 その反応を見て、幸之助は歪んだ笑みを浮かべる。


「はははっ、少しは心が動いたか。やはりあやかしにとって花嫁とはよほど大事な存在らしい。無関心なお前にそんな顔をさせるんだからな」

「津守、これは忠告だ。柚子になにかをしようとは思うなよ」

「よくよく胸に留めておくとしよう」


 そう言って、津守は去っていった。
 残された政治家がなにか騒いでいたが、そんなことは放置し、玲夜もまたその場に背を向けて愛しい柚子のもとへ向かおうとしたその時。
 ひとりの女が玲夜の前に立ち塞がった。
 次から次へと……と玲夜に機嫌が悪くなる。


「鬼龍院様、お話を……」

「どけ」


 今の玲夜は機嫌が悪い。ただでさえ鬱陶しい女の相手などしたくはなかったのだ。
 その目に見える好意を感じてしまったなら、なおのこと。
 玲夜にとって、自分に好意を持って近付いてくる女というのは、柚子以外は皆煩わしいだけの存在だった。


「嫌です。話を聞いてください」


 意地でも通そうとしないその女に苛立つ。


「どけと言っている」

「お願いします!」


 周りなどお構いなしに大声を出すので、周囲の視線が集まる。
 鬼龍院である玲夜に対してあまりにも命知らずな行動に、見ていた者が女を止めようと控えめに声をかけるが、女は玲夜しか目に入っていない様子。
 恋人になりたいだとか、二番目でもいいだとか、勝手なことばかり言う女に、先ほどの政治家と幸之助との会話もあって、玲夜の機嫌はさらに悪くなっていく。

 高道に視線を向ける。

 ようやく政治家の男を遠ざけたところだった高道がやれやれという顔で溜息をつき、今度は女性の対応に乗り出す。

 女が連れ出されていくのを一瞥し、ふと視線を動かすと柚子と目が合った。
 その瞬間、それまであった苛立ちが昇華されていく。
 柚子を相手にすると、氷のように固く冷たい玲夜の表情は、自然と柔らかくなっていく。
 その存在そのものが玲夜の心を安らげ、穏やかにする。

 ひと通りの挨拶も終わったので、そのまま柚子に向けて歩き出す。
 一直線に柚子に辿り着き肩を抱く。
 今日柚子が来ているドレスはこの日のため、わざわざ玲夜自らが店に出向いて柚子のために選んだ一着だ。
 柚子はきっと玲夜が命じて誰かが用意したものだと思っているのだろうが、玲夜は柚子のことに関しては手を抜いたりしない。
 自分が女に尽くす日が来ようとは、少し前の自分では想像もできなかっただろう。

 けれど、柚子のため柚子のことを考えて行動するのは玲夜にとって心安らぐ特別な時間になっていた。
 柚子になら顎で使われても喜ぶのに、控えめな柚子はそれをよしとしない。
 屋敷の使用人に対しても、未だに敬語で話しているし、鬼龍院の花嫁になったことで尊大になることもなかった。そんなところも好感を持てるのだが、結局なにをしたって柚子ならどんな柚子でも玲夜は愛しているのだ。

 だからもし、誰かが柚子を傷付けたら……。玲夜は冷静でいられる自信はない。

 津守幸之助。少し用心していた方がいいかと思う。
 そんなことを考えつつも、玲夜の目には柚子しか入っていなかったが、柚子の意識が自分ではないものに向けられているのに気付いて柚子の視線をたどる。
 そこには柚子と同じぐらいの年齢の女。あちらも玲夜たちのことを見ていた。


「知り合いか?」

「う、うんまあ……。同じ大学の子」

「そうか」


 もともと、柚子以外への興味が薄い玲夜からは、すぐにそんな名も知らぬ女のことなど頭のどこかに消えていった。