「はぁ……」
屋敷に帰ってきた柚子は深い溜息をついた。
今日はやけに長い一日だった気がする。
「どうしたんだ?」
「玲夜? 今日は早いね」
いつもはこんな時間に帰っているはずのない玲夜の姿に柚子は驚く。
「今日は早めに仕事が終わったからな。それでどうしたんだ?」
柚子はじっと玲夜の顔を見つめる。
柚子の周りにいた花嫁は花梨と透子だが、ふたり共相手のあやかしとは仲がよかったので、あやかしと花嫁はそういうものだと思っていた。だが、梓というあやかしを嫌う初めての存在を目の当たりにして、それが絶対ではないのだと知った。
ああいう関係の悪い花嫁とあやかしもいることは、柚子にとってかなり衝撃的だった。
好きな人がいると言った梓。
花嫁には、自分が花嫁だという自覚がないのだから、他に好きな人がいても仕方がない。だから柚子も玲夜ではない人を好きになることもあり得た。
あやかしと花嫁が必ずしも両思いになるとは限らないのだ。
柚子が曖昧な態度を取っていたあの頃、玲夜も不安だったのだろうか。いつまでもはっきりとしなかった柚子になにを思ってそばにいてくれていたのだろうか。
柚子はそっと玲夜体に腕を回し抱きつくと、心からの言葉を伝えた。
「玲夜、私玲夜のこと大好きだよ。玲夜の花嫁でよかった」
いつもはそういったことを恥ずかしがる柚子の率直な言葉に、玲夜は虚を突かれた顔をした後、柚子を抱き上げた。
「わっ」
突然の浮遊感に声を上げると、玲夜の紅い目と目が合う。
「俺は愛してる」
真剣なその紅い目が柚子を囚えて離さない。
「どうしたんだ、急に。大学でなにかあったか?」
「うん……」
柚子は、蛇塚のこと。そして、花嫁であることを受け入れられない梓のことを話た。
「……そうだな。花嫁を見つけたあやかしの中には、花嫁と上手くいかずに最悪な結果に至る者もいる」
「最悪な結果って、例えば?」
「花嫁が逃げだそうとして、逃がすぐらいならばと花嫁を殺してしまったあやかしとかな」
「えっ……」
柚子が思った以上に最悪な結果である。
「だが、珍しいことではない。あやかしは花嫁に執着と独占欲を持つが、花嫁にはあやかしの本能など分からない。すでに恋人がいる場合だってある」
実際、玲夜と会った時には別れていたが、柚子にだって過去に恋人がいたことがある。
玲夜と出会った時にまだ付き合っていて、その恋人のことを愛していたなら、花嫁などと言われたところで受け入れられなかっただろう。
梓の場合は恋人ではなく好きな人ということだが、好きな人がいながら別の男の花嫁にならなければならないというのは、想像しただけでも辛いことだと分かる。
とは言え、蛇塚は強制していない上、梓は蛇塚に援助をしてもらっているのだから、もう少し感謝の気持ちがあってもいいような気がする。
しかし、柚子は梓ではないので、梓の複雑な感情は分からない。
そこでふと柚子は思った。
玲夜だったらどうするだろうかと。
「ねえ、玲夜」
「なんだ?」
後ろから柚子を抱き締めながら座る玲夜を振り返る。
「玲夜と出会った時に、私に恋人がいたらどうしていた? 玲夜の花嫁になんかならないって玲夜を拒否したら?」
玲夜は口角を上げ、不敵に笑った。
「そんなことは関係ない。奪うだけだ」
実に玲夜らしい自信に満ちた答えだった。
「玲夜のこと嫌っていたら?」
「好きにならせる。俺には柚子が必要だし、俺以上に柚子を愛して大事にできるやつはいないからな」
玲夜に聞いたのが馬鹿みたいだ。だが、実に玲夜らしい。
きっと、恋人がいたとしても自分は玲夜を好きになっただろう。
けれど、蛇塚と梓のような関係であった可能性もあるのだと思うと、改めて玲夜と両思いでいることが、なんと幸運なことだったのだろうかと再確認する。
想い想われるこの関係は、絶対ではなかった。
だが、思う。
柚子が助けを必要としたあの夜。
もし、助けてくれたのが玲夜でなかったのなら……。
自分は玲夜ではなくその誰かを好きになったのだろうかと。
しかし、この目を前にして思うのは、玲夜でよかったということ。
他の誰でもない、玲夜だから好きになった。
あやかしだからとか花嫁だからとかではなく、苦しい時、助けを欲していた時、柚子を助け、そばに寄り添った玲夜だから好きになったのだと。