「梓」
男性が呼んだ。
梓の知り合いだと分かったが、梓は無視するように返事をせず鞄を持って立ち上がり、男性に目を向けることなく通り過ぎようとした。
しかし、男性が梓の腕を掴んだ。
その瞬間、静かな教室を切り裂くような声が響く。
「触らないで!!」
先ほどまで大人しい印象だった梓から出たとは思えない、大きく、そして厳しい声。
その顔は嫌悪感に溢れていた。
「迎えに来た」
「そんなの頼んでないわ!」
梓は腕を振り払おうとしていたが、男性の力に叶うはずもない。
「離してよ、汚らわしい!」
「お前がどう思っていようと、お前は俺の花嫁だ。花嫁なら一緒にいるべきだろう?」
「私が望んだことじゃないわ。あんなことがなかったらあなたの花嫁になんて死んでもなってないもの!」
一瞬、男性の顔が悲しげに歪んだが、腕を振り払おうと必死な梓はその表情を見てはいなかった。
そうこうしていると、東吉がひょっこり顔を出した。
「おーい、透子。終わったか……ん?」
のんきな声で顔を出した東吉は、中で起こっている異様な空気をなんとなく感じ取ったのか、不思議そうな顔をしながらそれぞれの顔を見て、男性で目を止めた。
「おー、蛇塚じゃねぇか。相変わらず目つき悪いな」
この最悪な空気を分かっているのかいないのか、気にせず蛇塚という男性に近付いていく東吉は、彼が手を掴んでいる梓に視線を向けた。
「おっ、もしかしてその子がお前の花嫁か?」
「……ああ」
「へえ、かわいいじゃんか。うちの透子と大違い……ぶへっ」
透子が投げた子鬼が東吉の顔面にヒット。
「あーい」
子鬼も今のは東吉が悪いと言っているのか、ペしペしと顔面を叩いている。
「何すんだよ!」
「自業自得でしょ! かわいくない私はあんたの花嫁なんて止めてやるわよ」
「そんな怒るなよ。俺は一般論をだな……」
ギロッと睨まれて東吉はタジタジ。
負けることを分かっているのに、東吉も学習能力がない。
透子とて、東吉が本当にかわいくないなどと思っているわけではないのは分かっているはずだ。
花嫁を持ったあやかしとは、自分の花嫁が誰よりもかわいく見えるものなのだ。
だから冗談だとは分かっているが、だからと言って他の女の方がかわいいと言われて気分がいいわけがない。
きっとこの後、きついお仕置きが待っていることだろう。
そんな夫婦喧嘩をしている間に、蛇塚の手から抜け出した梓が走って教室から出て行った。
そして残されたのは、すべての不幸を背負ったかのように負のオーラを発して肩を落としている蛇塚という男がひとり。
さすがの透子と東吉も喧嘩を止めた。
「おーい、蛇塚大丈夫か?」
「…………」
「無理そうね」
「なに、お前ら仲悪いの?」
きっとその言葉は彼の痛いところに刺さったのだろう。
目つきの悪い目からポロポロと涙を溢し始めた。
これには東吉も驚く。
「うおっ!」
「あー、いけないんだ~。にゃん吉君が泣かしたー」
「にゃん吉、最低~」
柚子と透子で東吉を責め立てる。
「えっ、いや、ちょっと聞いただけじゃんか! おーい、蛇塚泣くなよぉ。男だろ?」
「うっうぅ」
「ほらほら、話聞いてやるから」
肩をポンポンと優しく叩かれて、次第に涙も引っ込んでいったようだ。
泣くのをこらえる顔はさらに人相が悪くなり、人ひとり殺ってきたんじゃないかと疑うほど怖い。
そんな蛇塚を連れて、大学内のカフェへ行く。