(本当なら自分が迎えに行きたかったな。でも玲央(れお)には心配かけているし、犬を飼うなんてわがままを聞いてもらってるし……)

 そう思いながら、狭い回廊を渡って坪庭に出た。くるっと見まわし、また心臓が止まりそうになった。
「い、いない!?」
 ぎょっとして、思わず声が出る。慌ててツッカケで庭に下りるも、兄が犬をつないだと思われる細いオガタマの幹には、赤いリードが結びつけられているだけで、輪のなかは空っぽだった。
 キッチンからこの小さな坪庭まで出るのに二十秒もかからない。二人が会話していたのもごく短い間だから、兄が目を離したのは、長くても五分にもならないはずだ。
 キッチンに入ってきたときの兄は、急いでいた様子だった。慌てていて、きちんと繋がずにおいてしまったのだろうか? だが、よく見ると首輪の留め具は人間がやったようにきれいに外してあり、噛んだりちぎれたりはしていなかった。紐の部分はともかく、わざわざ首輪部分を外したりするだろうか?

「どうしよう……」ミクはぼうぜんと呟いた。「どこに行っちゃったんだろう」

 とにかく、兄に連絡しないと、とカフェエプロンのポケットからスマホを取りだした。それとも、犬が逃げてしまったのだから、保健所が先だろうか? 動転しているとバックライトが白く光って、そういえばもう夜なのだ。着信履歴を開いていると、「ぅあう」という声が耳に入った。

 はっとして、思わずスマホを取り落としそうになる。
(そうだ、目を離したのはほんの一瞬なんだから、まだ近くにいるかもしれないんだ。もしかしたら庭に――)
 自分の慌てぶりを叱咤したい気持ちになったが、なんとか落ち着きをとり戻そうとした。さっきの小さな声が犬のものなら、庭の茂みに身を隠しているかもしれない。耳を澄ましてみるが、息をのむ自分の音が聞こえただけで、ほかの物音はしない。

 でも、もし近くにいるなら、急に知らない場所に連れてこられてきっと怖がっているに違いない。おびえさせないように、そーっと……

 ぺたぺた。
「あの」
 ぽん。
「ひゃぁっ」
 人間、あまりに驚くと大きな声は出ない。
 「ぺたぺた」というのは裸足の足音、「ぽん」というのは肩に手を置かれた音。そして、声をかけたのは――