椅子をテーブルの上にあげて掃除機をかける。ディッシュウォッシャーから取りだした食器を仕上げ用のリネンで拭いて、棚に戻す。……渡してもらったメモを見ながら、だいたい店内の片づけが終わったというタイミングで、玲央が帰ってきた。ミニバンの停まる音、スライドドアを開ける音。犬の鳴き声が聞こえないかと耳を澄ましてみるが、やはり静かな性格なのか、それとわかる声はしなかった。
どすどすと音を立てて、兄がキッチンに入ってきた。背が高いわけでもなく細身なのに、名前だって涼やかなのに、兄はなぜか物音がうるさい生き物なのだ。
「お帰りなさい」
「連れて帰ってきたぞ。いやー、譲渡会ってけっこう書類書くのな。時間くっちまった。ケージの組み立てとかはちょっと、後でいいか? 買ったモンはだいたいおまえの部屋に入れたから」
冷蔵庫から麦茶のボトルを出し、コップに注がずにそのままごくごくと飲んでいる。
「どこに連れてきたの? 庭?」
「ああ。とりあえず、木のとこに繋いでる。俺にも尻尾振って、おとなしくしてたよ。めっちゃデカいのな、見たときびびったぞ」
ボトルを戻すついでに業務用冷蔵庫の中身をチェックしたらしく、「やっぱ明日の分、足りないわ。ちょっと買い出し行ってくるな」と言った。
「そう」
「あとはもういいぞ」
「じゃ、上がるね」
「おう。犬のほう頼む」
「うん」
台風のように通り過ぎた兄を見送ると、ミクはそわそわと手を組んだ。
(つ、ついにこの時が)
期待に胸をときめかせながら、庭へと向かう。
現在の自宅兼職場は、かつては武家屋敷が並んでいたという町の中にある。大きな駅に近い利便性から、いまでは〈イヴェンチュア〉のようなカフェや飲食店が多く、夜も賑わう場所だった。この家は立派なお屋敷ではなく小ぢんまりしたもので、申しわけ程度の中庭がついている。カフェに来た客の目を楽しませるには十分だが、とても犬が駆けまわれるような大きさではない。でも、そんなことはきっと小さな問題だろう。これからは毎朝、自分が散歩に連れていけばいいのだ。