それは、昨晩から考えていたことだった。
 兄には『運命の相手』などと言ってしまったが、ミクがそう信じていた相手は大型犬であって、大型男性ではない。ひと晩じっくり考えるうちに自信がなくなってきて、「たぶん無理」のほうに気持ちが傾きかけていた。しかし犬のほうの姿を見てしまうと、あの譲渡会での運命の出会いを思いだし、ミクの心は千々に乱れるのだった。
 知らない男性のほうには、ぜひお引き取り願いたい。
 でも、この犬は飼いたい。
 それがミクの偽らざる本音である。

 彼を家族に迎えるために準備していた、ドライフードと馬肉を皿に出して前に置く。黒犬は皿を見てミクを見て、また皿を見てミクを見た。
「どうぞ、召し上がれ」
 声をかけると喜んで食べはじめる。その仕草に昨晩の男の名残りを見つけてしまい、よけいに胸がしめつけられた。見知らぬ男だと思うと不審なだけの行動が、自分の犬だと思うと、信じがたいほどかわいいのだから現金なものだ。

 玲央はそんな妹の百面相をちらっと見た。
「……《《あいつ》》に連絡するのはいいが、詳細を知らせるのはすこし待ったほうがいいと思う」
「どうして?」
 食事中の犬に目が吸い寄せられていたミクは、上の空で尋ねた。
 兄はそれを説明した。

 ♢♦♢

 その五分後、兄の説明に納得したミクは、《《詳しい人》》、つまり妹にLINEを送った。

『こないだぶり! 夏休みの宿題は終わった?』
『あのね、急で悪いんだけど💦』
『あのマスコットみたいな人、貸してくれない?』
『語尾に「ポロ」ってつけてしゃべる人😆』

 妹のLINE返信は早い。すぐに、トライトーンの音が通知を知らせた。

『読書感想文おわった! あと美術館行くやつが残ってるー』
『いーよん✨』
『おねーちゃんちおくるね💕 おひるは図書館連れてくから、夕ごはんのときでいー?』
 その下には、いいのか悪いのか判別しにくい、不気味なゆるキャラのスタンプが踊っている。

「これでいいかな?」
 返信を見せると、兄は思案がちにうなずいた。「飼うにしても、飼わないにしても、どういう生き物なのかの情報は要るからな」

「ところで、名前、決めたのか?」
「うん」ミクはうなずいた。「『クロ』にしようと思って」
「おまえは猫を名づけりゃミケ、犬を名づけりゃクロなのか」
 兄はあきれたように言った。
「黒いからクロ、っていうだけじゃないんだよ」ミクは主張した。「譲渡会で、名前ありますかって聞いたら、なんか長い名前があったの。クロなんとかって……いちおう、そこから取ったつもりなんだけど」
 その名前を聞いたときのミクの正直な感想は、「うわぁ長い」だった。由緒のありそうな立派な名前ではあったが、呼びにくそうなのは困ると思い、自分なりに考えての命名である。猫のミケと一緒にしてもらっては困る。
 たしかに、ミケのときは毛の柄だけで決めたけれども。