「いや、犬相手に運命って、おまえ。ちょっと重くないか?」
トントン、という小気味いい包丁の音を立てながら、兄が言った。カウンターの後ろにいるし、おたがい作業中なので、顔は見えない。
「だけど、本当にそう思ったんだもん」
ミクは答えた。手に持ったナプキンとカトラリーを、テーブルに並べる作業の途中だった。
「そっち、手伝う?」
「いや。今日は鶏肉さばくから、キッチンは手伝わなくていいぞ」兄が答えた。
二階部分が吹き抜けになった、明るく開放的なカフェ〈イヴェンチュア〉が、彼女の今の職場である。今はまだ、開店前の時間だった。
宣伝っぽく言えば、『街の中の古民家風カフェ』とでもなるだろうか。実際、口コミサイトにそう書いてあるのを見たことがある。古民家、といってもミクの祖父母の家だったものだが、大正時代から残る階段や窓の造りがモダンで、そこにコンクリートやガラスを組み合わせたリノベーションが行われている。身内のひいき目をのぞいてもなかなかセンスのよい空間で、定食がメインながら味もまずまず。昨今のSNSブームも手伝って、おかげさまでランチタイムのみの営業でもなかなか繁盛しているのだった。
「ま、言い回しはともかくとして……。譲渡会に、いい犬がいたんだな? 良かったじゃねえか」
兄に話していたのは、例の『運命の相手』を見初めた譲渡会での様子だった。
「わざわざ外出した甲斐があったな。俺はついていけなかったから、心配してたけど」
「うん」うなずいたものの、ためらいが残る。
「でも、すごく大きい犬だった。……たくさん食べるだろうし、しつけ……は、成犬だからもう済んでるって言われたけど。散歩も一日に二回くらい、行かないといけないだろうし……」
大型犬を飼うことの大変さは、本を読んだり譲渡会のスタッフに聞いたりして、よくよく頭に入っていた。本当に、思いだせないほど昔から飼いたかったのだが、こうしていざ手に入るかもしれないとなると、慎重にならざるを得ない。
それでなくても、保護犬を家族にするというのは、ペットショップで子犬を買うのとはまた違う難しさがある。前の飼い主の元で虐待に遭ったりして、特別なケアが必要な犬も多いのだと聞いている。今の自分に、そんな複雑な犬の飼い主がつとまるだろうか。……