木崎里津は目が覚めて一番に、カーテンを開けた。今日の日差しは強く、目を細めてしまうほどだった。昨夜の天気予報で今日は一日晴れだと言っていたので、窓を開ける。わずかに聞こえていた蝉の声が、大きくなる。
「もう夏か」
そう呟くと、小さく欠伸をした。そのとき、ノックの音がした。返事をすると、ドアが開く。
「おはよう、里津さん」
顔を覗かせたのは、永戸怜南だ。里津が挨拶を返すと、怜南は微笑みを見せる。
あの事件が解決してから、秀介が経営していた喫茶店にいることができなくなった怜南は、里津の家に居候していた。最近になって、里津との生活に慣れてきた。
「朝ご飯、できたよ」
「準備したら行く」
里津の返事を聞くと、怜南はドアを閉めた。
適当にスーツに着替え、部屋を出る。それから顔を洗い、食卓に向かった。テーブルには白米にみそ汁、卵焼きとシンプルで日本の朝食らしいメニューが並んでいる。里津は卵焼きを一切れ、手でつまんで口に入れた。
「うん、おいしい」
「里津さん、お行儀悪いよ」
お茶を注ぎながら注意はしているが、その顔は嬉しそうだ。椅子に座ると、里津は真剣な表情で怜南を見る。
「怜南、この前の話、本気なの?」
コップを里津に渡すと、向かいの椅子に腰を下ろす。
「本気だよ」
「でも、思い出さない?」
何を思い出すのかまでは言わないが、怜南はそれをわかっていた。だからこそ、視線を落とす。
「理由はなんでも、私はあの場所にいて、毎日幸せだった。楽しかったし、好きだった。それは嘘でも妄想でもない」
そこまで言って、怜南は言葉を切った。乾いた喉にお茶を与える。
「つらくないとは、言いきれない。でも、それよりもやってみたいっていう気持ちのほうが、大きい。これからは、誰かを幸せな気持ちにしていきたいって、思ったんだ」
怜南もまっすぐに里津を見つめ返す。
「私、喫茶店を開く」
里津なりに心配していたが、その必要はなかったらしい。ここまで強い意志を見せられて、さらに反対する気はなかった。
「頑張れ、怜南」
素直な応援の言葉に、怜南は笑って答える。
それから怜南が作った朝食を完食すると、里津は家を出た。
たった数十分で、日差しは強くなっていた。露出した肌は焼けるように痛く、汗がにじんでくる。
そんな中から室内に入るというのは、まさに地獄から天国のようだ。
警察署に足を踏み入れると、里津はまっすぐ未解決事件資料管理室に向かった。
「おはようございます」
里津が挨拶しながら入ると、資料棚のほうから、資料確認を終えた赤城が歩いてくる。
「おはようございます、里津さん」
赤城の挨拶が返ってくると、長机に入っているパイプ椅子に座る。
「同居はうまくいっていますか?」
「まあ、なんとか。今、怜南は喫茶店を開くために、料理の訓練してる」
それを聞いて、赤城は戸惑いの声を漏らした。
「里津さん、また余計なことを言ったのですか?」
詳しく聞かないで責められたことに対して、里津は不満をあらわにする。
「言ってない。怜南はあの空間が好きで、今度は自分の手で作りたいんだって」
赤城は一瞬疑ったが、ここで里津が嘘をつく理由もないため、その説明を信じた。
「ところで里津さん、ここでのんびりしていて、大丈夫ですか?」
赤城が言うと、里津は体をこわばらせた。
「私、あそこ、いたくない」
片言の日本語で言うと、机に突っ伏した。
稜がいなくなったことにより、里津には新しい相棒ができた。その相手が、里津にとって窮屈な相手だったのだ。
「そんなこと言っても、きっと迎えが来ますよ。里津さんがここにいるって、知っている人ですから」
それを聞こえないというように両耳を塞いでいるが、それは子供が駄々をこねているようにしか見えない。赤城は呆れた表情でため息をつく。
「木崎」
すると、里津の相棒にされてしまった若瀬が、里津の名前を呼んで入ってきた。赤城と顔を合わせると、軽く挨拶を交わす。
怜南が襲われた事件の捜査をしているときのコンビを一課長に認められてしまい、若瀬は里津と組むように言われた。何度も断ったが受け入れられず、諦めてコンビを組んでいる。
「木崎、今何時だと思ってるんだ。早く行くぞ」
「断る」
顔を腕に埋めていることで、その声はこもっている。しかし若瀬は、容赦なく里津の首根っこを掴んで、無理矢理体を起こす。
「断るな。行くぞ」
稜と組んでいたときのようにわがままは言っているが、稜のときは、稜を困らせているだけのように見えた。しかし、今は里津が本当に子供のように感じてしまう。
「里津さん」
赤城が名前を呼んだだけで、里津は自ら立ち上がった。その反応速度に、若瀬は数回瞬きをする。
「赤城さんって何者なんですか? すごい人だっていうことはわかってるんですけど、木崎にここまで言うことを聞かせるなんて」
若瀬は初めて里津とここに来たときから気になっていた、赤城と里津の関係を聞いた。
「何者と言われましても、普通の人間ですよ」
赤城は困ったように答える。
「じゃあ、木崎との関係は? まさか、恋人同士だったりします?」
「私と赤城さんが恋人なわけないでしょ。赤城さん、結婚して子供もいるんだから」
赤城よりも先に、里津が答えた。呆れた顔を浮かべている。
「結婚して、子供……」
里津の最後の言葉を繰り返すことで、その情報を整理させる。しかしまだ驚きが残っている。
「赤城さんの娘さん、めちゃくちゃ可愛いの」
赤城に同意を求めるように言うと、赤城は照れ笑いを見せる。
「なんでお前そんなに詳しいんだよ」
「赤城さんは兄の友人だから」
里津は若瀬がする質問に、素直に教えてくれる。それを見て、初めから聞いておけばよかったと思う。
「木崎、兄貴がいるのか」
「里津さん以上に強烈な人です」
冷静で大人な赤城が、苦虫をつぶしたような顔をした。その表情にも驚いたが、発言の内容のほうが気になった。
「そんな人、いるんですね」
赤城は顰め面をしたまま、何度も頷いている。
しかし里津はつまらなさそうにしている。若瀬はそれを、里津も赤城のように兄に苦手意識を抱いているのかと思った。だがそれは違って、里津は尊敬する兄をそう言われたことに不満を抱いていた。
「里津さん、時効一ヶ月を切っていた、あの事件の目撃情報のメールが届きましたよ。見ますか?」
それに気付いた赤城は、話題を逸らすようにそう言った。
里津が赤城のもとに行くと、赤城は里津が画面を見やすくするために、席を立つ。
「赤城さん、この事件の資料ください」
里津の目の色が変わる。どうしたって、さっきの話題を続ける空気ではない。若瀬は探求心を抑え、里津の背後に立つ。
赤城は里津に言われた通り、資料を取ってくる。それを手にすると、事件の内容を確認していく。
「今回はかなり有力な情報……若瀬、私もう少しここにいる」
里津は若瀬の答えを聞かずに、資料を読むことに集中し始めた。もう、誰の声も耳に届かなさそうだ。
「あのやる気はどこから来るんだか……」
ため息とともに吐き出す。
「未解決事件がなくなると、あのやる気はなくなりますよ、きっと」
赤城はそう言って笑う。
未解決事件がどれだけあるのかわかっていながら言うとは、意地が悪いと思いながら、作り笑いを返す。さらに、これからもこの自由さに振り回されるのかと思うと、気が重くなる。
だが、案外悪くないとも思った。
「木崎、その事件について、教えてくれ」
里津は嫌そうな顔を見せるが、ホワイトボードを出してくる。
そして事件の話し合いが活発化していく様を、赤城は微笑ましく見守っていた。
「もう夏か」
そう呟くと、小さく欠伸をした。そのとき、ノックの音がした。返事をすると、ドアが開く。
「おはよう、里津さん」
顔を覗かせたのは、永戸怜南だ。里津が挨拶を返すと、怜南は微笑みを見せる。
あの事件が解決してから、秀介が経営していた喫茶店にいることができなくなった怜南は、里津の家に居候していた。最近になって、里津との生活に慣れてきた。
「朝ご飯、できたよ」
「準備したら行く」
里津の返事を聞くと、怜南はドアを閉めた。
適当にスーツに着替え、部屋を出る。それから顔を洗い、食卓に向かった。テーブルには白米にみそ汁、卵焼きとシンプルで日本の朝食らしいメニューが並んでいる。里津は卵焼きを一切れ、手でつまんで口に入れた。
「うん、おいしい」
「里津さん、お行儀悪いよ」
お茶を注ぎながら注意はしているが、その顔は嬉しそうだ。椅子に座ると、里津は真剣な表情で怜南を見る。
「怜南、この前の話、本気なの?」
コップを里津に渡すと、向かいの椅子に腰を下ろす。
「本気だよ」
「でも、思い出さない?」
何を思い出すのかまでは言わないが、怜南はそれをわかっていた。だからこそ、視線を落とす。
「理由はなんでも、私はあの場所にいて、毎日幸せだった。楽しかったし、好きだった。それは嘘でも妄想でもない」
そこまで言って、怜南は言葉を切った。乾いた喉にお茶を与える。
「つらくないとは、言いきれない。でも、それよりもやってみたいっていう気持ちのほうが、大きい。これからは、誰かを幸せな気持ちにしていきたいって、思ったんだ」
怜南もまっすぐに里津を見つめ返す。
「私、喫茶店を開く」
里津なりに心配していたが、その必要はなかったらしい。ここまで強い意志を見せられて、さらに反対する気はなかった。
「頑張れ、怜南」
素直な応援の言葉に、怜南は笑って答える。
それから怜南が作った朝食を完食すると、里津は家を出た。
たった数十分で、日差しは強くなっていた。露出した肌は焼けるように痛く、汗がにじんでくる。
そんな中から室内に入るというのは、まさに地獄から天国のようだ。
警察署に足を踏み入れると、里津はまっすぐ未解決事件資料管理室に向かった。
「おはようございます」
里津が挨拶しながら入ると、資料棚のほうから、資料確認を終えた赤城が歩いてくる。
「おはようございます、里津さん」
赤城の挨拶が返ってくると、長机に入っているパイプ椅子に座る。
「同居はうまくいっていますか?」
「まあ、なんとか。今、怜南は喫茶店を開くために、料理の訓練してる」
それを聞いて、赤城は戸惑いの声を漏らした。
「里津さん、また余計なことを言ったのですか?」
詳しく聞かないで責められたことに対して、里津は不満をあらわにする。
「言ってない。怜南はあの空間が好きで、今度は自分の手で作りたいんだって」
赤城は一瞬疑ったが、ここで里津が嘘をつく理由もないため、その説明を信じた。
「ところで里津さん、ここでのんびりしていて、大丈夫ですか?」
赤城が言うと、里津は体をこわばらせた。
「私、あそこ、いたくない」
片言の日本語で言うと、机に突っ伏した。
稜がいなくなったことにより、里津には新しい相棒ができた。その相手が、里津にとって窮屈な相手だったのだ。
「そんなこと言っても、きっと迎えが来ますよ。里津さんがここにいるって、知っている人ですから」
それを聞こえないというように両耳を塞いでいるが、それは子供が駄々をこねているようにしか見えない。赤城は呆れた表情でため息をつく。
「木崎」
すると、里津の相棒にされてしまった若瀬が、里津の名前を呼んで入ってきた。赤城と顔を合わせると、軽く挨拶を交わす。
怜南が襲われた事件の捜査をしているときのコンビを一課長に認められてしまい、若瀬は里津と組むように言われた。何度も断ったが受け入れられず、諦めてコンビを組んでいる。
「木崎、今何時だと思ってるんだ。早く行くぞ」
「断る」
顔を腕に埋めていることで、その声はこもっている。しかし若瀬は、容赦なく里津の首根っこを掴んで、無理矢理体を起こす。
「断るな。行くぞ」
稜と組んでいたときのようにわがままは言っているが、稜のときは、稜を困らせているだけのように見えた。しかし、今は里津が本当に子供のように感じてしまう。
「里津さん」
赤城が名前を呼んだだけで、里津は自ら立ち上がった。その反応速度に、若瀬は数回瞬きをする。
「赤城さんって何者なんですか? すごい人だっていうことはわかってるんですけど、木崎にここまで言うことを聞かせるなんて」
若瀬は初めて里津とここに来たときから気になっていた、赤城と里津の関係を聞いた。
「何者と言われましても、普通の人間ですよ」
赤城は困ったように答える。
「じゃあ、木崎との関係は? まさか、恋人同士だったりします?」
「私と赤城さんが恋人なわけないでしょ。赤城さん、結婚して子供もいるんだから」
赤城よりも先に、里津が答えた。呆れた顔を浮かべている。
「結婚して、子供……」
里津の最後の言葉を繰り返すことで、その情報を整理させる。しかしまだ驚きが残っている。
「赤城さんの娘さん、めちゃくちゃ可愛いの」
赤城に同意を求めるように言うと、赤城は照れ笑いを見せる。
「なんでお前そんなに詳しいんだよ」
「赤城さんは兄の友人だから」
里津は若瀬がする質問に、素直に教えてくれる。それを見て、初めから聞いておけばよかったと思う。
「木崎、兄貴がいるのか」
「里津さん以上に強烈な人です」
冷静で大人な赤城が、苦虫をつぶしたような顔をした。その表情にも驚いたが、発言の内容のほうが気になった。
「そんな人、いるんですね」
赤城は顰め面をしたまま、何度も頷いている。
しかし里津はつまらなさそうにしている。若瀬はそれを、里津も赤城のように兄に苦手意識を抱いているのかと思った。だがそれは違って、里津は尊敬する兄をそう言われたことに不満を抱いていた。
「里津さん、時効一ヶ月を切っていた、あの事件の目撃情報のメールが届きましたよ。見ますか?」
それに気付いた赤城は、話題を逸らすようにそう言った。
里津が赤城のもとに行くと、赤城は里津が画面を見やすくするために、席を立つ。
「赤城さん、この事件の資料ください」
里津の目の色が変わる。どうしたって、さっきの話題を続ける空気ではない。若瀬は探求心を抑え、里津の背後に立つ。
赤城は里津に言われた通り、資料を取ってくる。それを手にすると、事件の内容を確認していく。
「今回はかなり有力な情報……若瀬、私もう少しここにいる」
里津は若瀬の答えを聞かずに、資料を読むことに集中し始めた。もう、誰の声も耳に届かなさそうだ。
「あのやる気はどこから来るんだか……」
ため息とともに吐き出す。
「未解決事件がなくなると、あのやる気はなくなりますよ、きっと」
赤城はそう言って笑う。
未解決事件がどれだけあるのかわかっていながら言うとは、意地が悪いと思いながら、作り笑いを返す。さらに、これからもこの自由さに振り回されるのかと思うと、気が重くなる。
だが、案外悪くないとも思った。
「木崎、その事件について、教えてくれ」
里津は嫌そうな顔を見せるが、ホワイトボードを出してくる。
そして事件の話し合いが活発化していく様を、赤城は微笑ましく見守っていた。