車を使うだろうと思って駐車場に行くと、案の定、稜は車に乗っていた。だが、運転席に乗っているのに、車を動かす様子はない。

 里津は助手席のほうの窓を数回叩く。稜が気付くと、里津は車に乗り込んだ。

「……何ですか」

 シートベルトを着用する里津を、怪訝そうに見る。

 言葉では言わないが、里津の相手をしている暇はないと言わんばかりの表情だ。

「怜南に何かあったんでしょ」

 稜はどうして里津がそれを知っているのかと、素直に驚いた。それすらも手に取るようにわかる。

「君、わかりやすいから」

 里津には敵わないと思い、さっきの電話のことを簡潔に伝える。

「今、怜南から電話がかかってきたんです。どうやら、秀介さんと怜南が何者かに襲われたみたいで……犯人の目的は、怜南を殺すこと、みたいなんです」

 予想外の出来事だった。そんな事件に巻き込まれているのに、稜がまだここにいることが信じられなかった。

「少しでも早く怜南たちのところに行かないと、怜南が殺されるんだよね? 何をのんびりしてるの」
「……木崎さん、行くんですか?」

 あれだけ現場に行こうとしない里津が積極的で、驚く。

「怜南が殺されたら困るから。助けに行く」

 里津はなぜ困るのかを言わないが、稜はその理由がなんとなくわかった。そのため、里津との会話を終わらせ、スマートフォンを操作する。

 怜南たちの命が危ないというのに、そんなことをする時間があるのか、と文句を言おうとして、あることが頭に浮かんだ。

「……まさか君、怜南たちがどこにいるかわからないとか言わないよね?」

 そのまさかだった。

 稜は電話で場所のヒントを得ることができなかった。そもそも、怜南が襲われている事実に驚き、居場所のことが頭になかったのだ。

 それを調べていたため、稜はまだ出発していなかった。

 信じられないを通り越して、呆れてしまう。

「会話以外に、何か聞こえてこなかったの? というか、録音は? それくらい、してるよね?」

 里津は稜を責め立てる。

「会話に集中していて、忘れてました……」

 稜は里津の顔が見れなかった。見なくても、どういう反応をしてくるのか、想像ができる。

「役立たず……」

 稜は何も言い返せなかった。ありえないミスを、二つもしているのだ。そう言われて当然だ。

「とりあえず、あの喫茶店に行って。どこかに連れ去られたとしても、まず最初に襲われた場所はそこのはず。何か証拠があるかもしれない」
「は、はい!」

 稜はエンジンをかけた。

 しかし秀介の電話から結構な時間が経っている。怜南たちが無事である保証はない。稜は焦る気持ちを抑えながら、車を動かす。

「そういえば、電話切ったんだ?」

 動き始めたのとほぼ同時に、里津は言った。稜は答えない。

「電話の録音はしない、居場所のヒントは聞いてない、向こうの状況を知れる手段である電話は切る……君、怜南たちを助ける気ある? ありえないミスばっかりなんだけど」

 返す言葉もない。

 稜が言ってこないのをいいことに、里津は続ける。

「知り合いが事件に巻き込まれたってだけで、こんなにも仕事に支障をきたすなんて……本当、捜査に私情を持ち込むことだけはやめてほしいわ。邪魔でしかない」

 稜はどんどん肩身が狭くなっていく。

 その文句を最後に、里津は流れていく景色を見ながら、何かを考え始めた。

「……ねえ、怜南から、電話がかかってきたって言ったよね?」
「ええ、そうですけど……」

 里津の質問の意味を理解しないまま、素直に答える。

「あの電話を嫌がっていた怜南から?」

 しつこく確認されて、稜はあのときの会話を思い出す。

「……秀介さんは気絶していたらしいので……助けを求めるために電話をかけられたのは、怜南だけかと」

 詳しく聞いても、里津は納得していないように見える。

「そうだとしても……緊急事態で電話をかけるっていう選択ができるかな……長年の癖で、メールしようって、怜南なら思う気がするんだよな……」

 話せるようになったのも、変わりたいと決心したのも、昨日の話だ。無意識にメールしようとする可能性のほうが高いのではないかと、里津は考えた。

「メールする余裕がなかったんじゃないですか?」
「うーん……」

 里津は稜の言葉に耳を傾けようとしない。

「……じゃあ、犯人が電話をかけてきたとでも言うんですか」

 里津の仮説を信じれば、そういうことになる。

 だが、稜はそのほうがありえないと思った。人を殺そうとしている犯人が、わざわざ助けを求めるような電話をかけてくるだろうか。

「知らない」

 里津は怜南が電話をかけたということに違和感を覚えただけで、誰がかけてきたのかまでは予想のしようがなかった。

 投げやりな言い方に稜は不満を抱いたが、それを言える立場にいないと感じて、文句は飲み込んだ。

 里津のその言葉を最後に、車内は沈黙で包まれていた。