朝起きて、窓から空を覗くと、一面灰色の雲が立ち込めていた。リビングに行ってテレビを点けたらやっぱり、今日はお昼過ぎから雪が降り始め、関東地方は数年ぶりの大雪に見舞われる、とモコモコのダウンコートに身を包んだお天気お姉さんが言っていた。
どうして、最後の日なのにすっきりと晴れてくれないのだろう。私は最後まで、陽の当らない人生を歩むのか…。
そんな愚痴をお首にも出すことなく、その日、林田鈴は、高校一年生の二学期終了式を迎えた。友人の森村奏、村井千沙と年末年始の予定について取り留めもない話をして、大船先生から渡された成績表に興奮した声を上げ、電車が止まる前に帰ろう、と不安な顔を見合わせる…。
誰も気づいていない。奏と千沙はもちろん、他のクラスメートも。窓側の席に座る天道翔も、まさか私が今日を最後にこの学校から姿を消し、長い病気療養生活に入るなんて想像すらしていないだろう。
「……」
予想したとおりの検査結果を病院から知らされたのは、期末テストが終わってすぐのことだった。一年前に完治した病気の再発、年明け早々に入院し投薬治療を始める、どんなにうまくいっても半年間の療養が必要だろう、というのが担当医師の診断だった。
その一言で、みんなとお別れ、また一年留年。いつまでたっても修繕工事中の有名寺院のお堂みたいな私の未来が決まった。
いや、どんなに時間が掛かっても修繕工事が終わるならいい。もう手の施しようがない、と宮大工さんに放り出され、そのまま朽ち果ててしまったら…。
そんなことを考えたら、体中の力が抜けそうになった。ただでさえ立ち眩みやふらつきに襲われるのに、一瞬でも気持ちを切らしたら二度と立ち上がれなくなってしまうだろう。
とにかく学校を出るまで持ちこたえないと。最後まで元気なリンちゃんでいるんだ…。
そう決めた私は、残った力を振り絞って図書室当番に臨んだ。貸出時間が過ぎ、年明けまで閉室になる部屋のカーテンを閉めようと窓辺に立ったところで、ホームルームの途中から降り始めた雪が思いの他強い降りになっているのに気づいて、白い生地に伸ばしていた手を止めた。
今日でお別れだと言うのに、奏と千沙は演劇部の忘年会に出るため一足早く下校してしまい、同じ図書室当番だったテンドウは、急な用事ができたため隣にいない。
音もなく降り注ぎ、見慣れた風景を白一色に染めていく雪とたった一人で対峙すると、胸の中で騒いでいたものが不思議としずまった。人間の力など到底及ばないものを前にして諦めがついたのか。このまま事の成り行きに身をゆだねるしかない。運命という奴に身を任せよう。そんなこと考えながら、尽きることなく舞い降りるものを漫然と眺めていた。
「……?」
すっかり葉の落ちた桜並木の下をテンドウと彼のお母さんらしき小柄な女性が通ったのは、「電車が止まるかもしれないので早く下校するように…」という副校長先生の校内放送が流れている最中のことだった。
やっぱり、三者面談だったんだ。ちょっと急用ができた、最後なのにごめん、と言って教室から飛び出していったけれど…。
天道翔と彼の母親は、自殺未遂事件を起こした里中ゆずの一件で学校側に呼び出されていた。二学期いっぱいで転校することが決まった彼女に対し、停学か退学か、彼にも何らかの処分が決まったのだろう。
予想したとおりの景色が現れただけだったから、私は一つも驚かなかった。まるで遠い北の国の出来事を目にしたみたいに、二人の姿を黙って見送ろうとした。けれど…。
テンドウのお母さん…。
学校中の女子の憧れの的で誰の心も魅了する息子を厄介者を見るように振り返り、呆れ果てた態度で学校の敷地から出ていく。とても綺麗な人だけれど、私を見て、と求めるばかりで、つらい思いをしている息子にこれっぽっちも寄り添おうとしない。
その姿を目にして、吹雪の中に取り残されたみたいに凍りついた。両親共に大学講師の家庭に生まれ、兄は高田馬場にある有名私立大学に通っている。絵に描いたような高学歴の家庭の中でただ一人、陽の当らない高校生活を送っている彼の心境がまた頭の中に立ち上がって、窓辺から離れることができなくなった。
テンドウ…新しい彼女と別れてしまったんだってね。二学期の成績は大丈夫だった?
私は、もう何の力にもなれないし、きみのことを見守ることすら叶わない。あんなに長い時間、一緒にいたのに。他の誰よりも言いたいことを言って、とびきり素敵な時間を過ごしたのに、これから先は遠く離れた場所で思い出すことしかできない。ごめんね、どうか元気で。つらいことがあっても、やさしい気持ちを失くさないでね…。
どんなに心の中で叫んでも、氷のように冷たい窓に張り付いても、空調の効いた建物の中にいる私の思いは、吹雪の中をとぼとぼと歩いていく後ろ姿に届かない。取り返しのつかない距離が二人の間に横たわり、すぐそこに見える姿を一層遠くに追いやった。
どうして、最後の日なのにすっきりと晴れてくれないのだろう。私は最後まで、陽の当らない人生を歩むのか…。
そんな愚痴をお首にも出すことなく、その日、林田鈴は、高校一年生の二学期終了式を迎えた。友人の森村奏、村井千沙と年末年始の予定について取り留めもない話をして、大船先生から渡された成績表に興奮した声を上げ、電車が止まる前に帰ろう、と不安な顔を見合わせる…。
誰も気づいていない。奏と千沙はもちろん、他のクラスメートも。窓側の席に座る天道翔も、まさか私が今日を最後にこの学校から姿を消し、長い病気療養生活に入るなんて想像すらしていないだろう。
「……」
予想したとおりの検査結果を病院から知らされたのは、期末テストが終わってすぐのことだった。一年前に完治した病気の再発、年明け早々に入院し投薬治療を始める、どんなにうまくいっても半年間の療養が必要だろう、というのが担当医師の診断だった。
その一言で、みんなとお別れ、また一年留年。いつまでたっても修繕工事中の有名寺院のお堂みたいな私の未来が決まった。
いや、どんなに時間が掛かっても修繕工事が終わるならいい。もう手の施しようがない、と宮大工さんに放り出され、そのまま朽ち果ててしまったら…。
そんなことを考えたら、体中の力が抜けそうになった。ただでさえ立ち眩みやふらつきに襲われるのに、一瞬でも気持ちを切らしたら二度と立ち上がれなくなってしまうだろう。
とにかく学校を出るまで持ちこたえないと。最後まで元気なリンちゃんでいるんだ…。
そう決めた私は、残った力を振り絞って図書室当番に臨んだ。貸出時間が過ぎ、年明けまで閉室になる部屋のカーテンを閉めようと窓辺に立ったところで、ホームルームの途中から降り始めた雪が思いの他強い降りになっているのに気づいて、白い生地に伸ばしていた手を止めた。
今日でお別れだと言うのに、奏と千沙は演劇部の忘年会に出るため一足早く下校してしまい、同じ図書室当番だったテンドウは、急な用事ができたため隣にいない。
音もなく降り注ぎ、見慣れた風景を白一色に染めていく雪とたった一人で対峙すると、胸の中で騒いでいたものが不思議としずまった。人間の力など到底及ばないものを前にして諦めがついたのか。このまま事の成り行きに身をゆだねるしかない。運命という奴に身を任せよう。そんなこと考えながら、尽きることなく舞い降りるものを漫然と眺めていた。
「……?」
すっかり葉の落ちた桜並木の下をテンドウと彼のお母さんらしき小柄な女性が通ったのは、「電車が止まるかもしれないので早く下校するように…」という副校長先生の校内放送が流れている最中のことだった。
やっぱり、三者面談だったんだ。ちょっと急用ができた、最後なのにごめん、と言って教室から飛び出していったけれど…。
天道翔と彼の母親は、自殺未遂事件を起こした里中ゆずの一件で学校側に呼び出されていた。二学期いっぱいで転校することが決まった彼女に対し、停学か退学か、彼にも何らかの処分が決まったのだろう。
予想したとおりの景色が現れただけだったから、私は一つも驚かなかった。まるで遠い北の国の出来事を目にしたみたいに、二人の姿を黙って見送ろうとした。けれど…。
テンドウのお母さん…。
学校中の女子の憧れの的で誰の心も魅了する息子を厄介者を見るように振り返り、呆れ果てた態度で学校の敷地から出ていく。とても綺麗な人だけれど、私を見て、と求めるばかりで、つらい思いをしている息子にこれっぽっちも寄り添おうとしない。
その姿を目にして、吹雪の中に取り残されたみたいに凍りついた。両親共に大学講師の家庭に生まれ、兄は高田馬場にある有名私立大学に通っている。絵に描いたような高学歴の家庭の中でただ一人、陽の当らない高校生活を送っている彼の心境がまた頭の中に立ち上がって、窓辺から離れることができなくなった。
テンドウ…新しい彼女と別れてしまったんだってね。二学期の成績は大丈夫だった?
私は、もう何の力にもなれないし、きみのことを見守ることすら叶わない。あんなに長い時間、一緒にいたのに。他の誰よりも言いたいことを言って、とびきり素敵な時間を過ごしたのに、これから先は遠く離れた場所で思い出すことしかできない。ごめんね、どうか元気で。つらいことがあっても、やさしい気持ちを失くさないでね…。
どんなに心の中で叫んでも、氷のように冷たい窓に張り付いても、空調の効いた建物の中にいる私の思いは、吹雪の中をとぼとぼと歩いていく後ろ姿に届かない。取り返しのつかない距離が二人の間に横たわり、すぐそこに見える姿を一層遠くに追いやった。