その声は、騒々しかった教室の空気を一瞬で凍り付かせた。

「おい、リン。今日の当番いつだっけ?確か、昼休みだったよな?」

 あの天道くんが、女子に乱暴な口を聞いている。誰に対してもやさしいのに…。こんなふうに声を掛けられて、リンちゃんは大丈夫だろうか…。

 けれど、固唾を飲んで窓側の席から廊下側の席を見やった無数の視線は、私が放った一言で、さらなる極寒地獄に突き落とされることになる。

「放課後だよ。先週、何度も確認したのに、もう忘れたの?相変わらず、いい加減だね」

 あのまじめで大人しいリンちゃんが言い返している。それも、天道くんよりもきつい感じで。やっぱり夏休みの間に何かあったのか。放っておいていいんだろうか…。

 周りからこんなに関心を集めているのに、私たちは、その後も互いに言いたいことをぶつけ合った。

「お前、そういう言い方していると友達なくすよ。ただでさえ愛想がないんだから」

「うるさい。私は、あんたみたいに片っ端から女の子に声を掛ける軽薄者と違うんだ」

「失礼なことを言うな。俺は、ちゃんと相手を選んで声を掛けてる。やさしくて、どんなことも受け止めてくれる子に…」

「そういう子じゃなくて失礼しました。図書委員になって損したね」

「おい。ちょっとできるからっていい気になって…」

 やるかこの野郎、と立ち上がろうとしたところで奏に肩を押さえつけられた。お願いだからやめて、と千沙に抱きつかれてしまった。

 テンドウも、周りの子たちになだめられて、大きな体を窓側の席に引っ込めた。

 校舎を囲む桜並木で蝉たちがミンミンシュワシュワと大合唱し、天井に設置された空調の噴出口から冷たい風がびゅうびゅう吹き出している二学期の初日だった。学園祭まであと三週間、プレゼンの準備が大詰めを迎えている最中のことだ。

「リン。あんた変わったね。絵に描いたような優等生だったのが、いい意味で一皮むけたみたいな…」

 そう言って奏が、ぽん、と私の肩を叩いた。

「やっぱり、一緒に図書委員をやったから?いつも、あんな感じで話しているの?」

 まるで勇猛果敢な戦国武将と鉢合わせしたみたいに瞳を震わせて、千沙が聞いた。

天道くんと一緒に研究するなんてすごい。毎日のようにメールして、顔を合わせて、恋人みたいに過ごすんだから。夏休みが終わったら今までと違う関係になっているかも…六週間前に散々言われ、そのとおりに彼と関わった結果がこれだった。

確かに、私とテンドウは関係は大きく変わった。周りの子たちも、私たち自身も予想してなかった形に。

「そうだよ。何度も約束を破ったり、当番の日を忘れたりするんだから…みんな、あいつのせいだ」

 友達の前で、平気でこんなことを言ってしまう。だらしなくて甘ったれた姿を見るとつい、いきり立ってしまう。こんな変化を自分が一番驚いていた。


 何故、彼は私のことを、リン、と呼ぶのだろう。

 今更、聞くことなんてできない。聞いたとしても、どうしてだろう、気が付いたらそう呼んでいた、と言うに決まっている。テンドウ、と彼のことを呼ぶ私も同じだったから。

 呼び名だけじゃない。顔を見れば悪態をつくのも、売り言葉に買い言葉で喧嘩同然になり、周りの子たちを冷や冷やさせるのも。何もかも、必然的な結果として目の前に表れている。まるで学校に入る前からそれぞれの頭にインプットされ、出会った瞬間に起動するようプログラムされていたみたいに、二人の間に他の子が入れない世界を作っていた。

 あんな言い方をして大丈夫なの?二人の関係が壊れたりしない?

奏も千沙もこの点を心配したが、もしそうだとしたら、私とテンドウは、夏休み最初の図書室当番の日に喧嘩別れして、プレゼンの準備を進められなかっただろう。顔を合わせれば言い合っている、こんな間柄になってなかった。

「……」

 あの日、どういう訳か私は、彼と自分が二度と口を聞かなくなるとは思わなかった。きっと、また関わるようになる。そうしたきっかけはいくらでもあるだろう、何の確証もないのに、心の何処かで安心していた。

そして、やはりそうなった。今では、どんなことを言っても大丈夫。スポーツクラブで心地いい汗を流す感覚で角を突き合わせている有様だ。