「先輩、どうですか?」

 あたたまったおかゆを手にして、玄関から一番近い部屋のドアをノックすると「大丈夫」と返ってきた。中に入ると、先輩はちゃんと着替えてベッドに横になっている。近づいて「とりあえずこれ食べて薬飲んでください」とおかゆを手渡した。

 先輩の部屋は、リビングに比べると生活感にあふれていた。床に散らばった本や服も、先輩らしい。

 壁にはバンドのポスターや、だれが書いたのかわからないが、色鮮やかな絵が飾られている。それにアンプや赤色のエレキギター、アコースティックギターもあった。
 これで好きな人に弾き語りでもするのだろうか。その姿をちょっと見てみたいなと思った。文化祭で、先輩が歌っているところを見ておけばよかったな。

 そして、緑色のカーテンは先輩にはとてもよく似合っている。

 初めて出会ったときに、肩についていたあの葉のような。

 ごちそうさま、と声が聞こえて先輩から8割ほど減ったおかゆの器を受け取り、かわりに水と風邪薬を渡した。それを飲んだのを確認してリビングに戻る。洗い物と片付けを済ませて再び先輩の部屋に入ると、先輩は再びベッドに横になっていた。ベッドのそばに腰を下ろし、寒くないですか、と訊くと「たぶん」とよくわからない返事をされた。

「熱がどのくらいあるのかちょっとわからないんですけど、とりあえず今日はあたたかくして寝てください」
「おでこ冷やしたりしないの?」
「したいならしますけど……体まだ寒いんじゃないですか? だったらしばらくは冷やさないほうがいいと思いますよ」

 そうなんだ、と先輩が感嘆の声を上げた。

「ここにおでこを冷やすものと、飲み物も置いておきますね」

 ベッドのヘッドボードにふたつを置くと「助かる」と言った。軽く食べたことと、横になっていることで少し楽になったのか、さっきよりも意識がはっきりしている目をしていた。そして、なぜか先輩の双眸は、捕らえるみたいに私にまっすぐ向けられている。熱で潤んでいるその目は艶やかさがあり、じっと見つめられると変な汗が浮かんでくる。目を合わせられなくなる。

「じゃあ、私はこれで。あとはご家族に」

 早くこの部屋から、この家から出ないと。体調の悪い人をひとりにするのは心配ではあるけれど、いつまでもいられないし、このままこの部屋にいると私がおかしくなってしまうかもしれない。

 そう思って立ち上がろうとすると、

「俺の家族、めったに家に帰ってこないからなあ」

 と、先輩のさびしげな声に体が止まった。

「え? な、なんでですか」
「仕事とか、遊びとか。たしか母さんは今出張だったかも。父さんは、なんだっけ」

 大学生のお兄さんもいるらしいけれど、最近はめったに家に帰ってこないようだ。父親は研究者で会社に泊まり込んだり会社近くのホテルで寝泊まりすることが多いらしく、母親は全国各地に出張ばかりの特殊な仕事をしている、と先輩はぽつぽつと教えてくれた。

「そうなんですね」

 先輩は頭をころんと横にして、私の顔を見つめてからゆっくりとまぶたを閉じた。

「だから、家の中に誰かがいるの、変な感じするな」