交換ウソ日記2 〜Erino's Note〜

 あの人、いつ見ても遊んでるけど、卒業までに好きな人に歌を贈るんじゃなかったっけ? 練習しているんだろうか。いや、そもそも歌詞ができていないのでは。

 まあ、余計なお世話だろうけれど。

 こうして見ていると、あそこで遊んでいる二ノ宮先輩は告白しようと思うほどの恋心を誰かに抱いているようには見えない。

 グラウンドからドアのほうに視線を向けると、優子と希美が、米田くんと瀬戸山が、それぞれ恋人と一緒にいる。みんな、幸せそうな顔をしていた。

 あの四人も、恋をしているんだなあ。

 あんなふうになりたいから、好きな人ができると想いを伝えたくなるのだろうか。その気持ちがわかった、というわけではないけれど、なんとなく理解はできた。

 もしかすると、人を好きになると告白しないままでいることのほうが難しいのかもしれない。相手が誰であれ、どんな関係であれ。

 ……私は、どうだったのだろう。

 今までつき合った彼氏のそばにいるとき、希美たちのような幸せそうな顔をしていたのだろうか。今までの彼氏みんな、好きだから付き合ったわけではなかった。告白してきてくれたから、付き合っただけ。それでも、その日々の中で相手のことを好きだと、そう思うときもあった。

 なのに、自信がない。

 じいっと四人を、いや、二組の恋人たちを見ていると、希美が瀬戸山から離れて戻ってくる。瀬戸山は米田くんと優子のそばに移動して三人で話し始めた。 

「もう用事終わったの?」
「うん。CD貸してくれただけ。今日は江里乃と帰るでしょ? だから」

 希美の手元には、おどろおどろしいカバーのCDが二枚。ふたりは音楽の趣味が一緒らしく、こうして貸し借りをしている。今日は久々に生徒会の用事がない私と希美と一緒に帰る約束をしていたから、わざわざ昼休みに届けてくれたらしい。

 普段は瀬戸山の家に行くことが多いらしいけれど、部屋では水曜のお昼休みにかかるような音楽が流れているのだろうか。

 ……ムード出るの、それ。

「どうしたの?」
「あ、いや、なんかいいなあって思ってさ」

 なにが? と希美がきょとんとする。

「恋が? とか? なんかそういうの」
「ど、どうしたの? 江里乃がそんなこと言うなんて……!」

 まるで変なものでも食べたんじゃ、と言い出しそうなほど驚き狼狽する希美に、慌てて「そのくらいふたりが幸せそうだったってことよ」とごまかした。

 希美でも私がこんなこと言い出したらびっくりするのだ。ノートを見られたら卒倒するかもしれない。刺繍の趣味より隠し通さなくては。

 ウソや隠しごとは極力しない主義なのに、なんだか最近ひとつふたつと重なってきている気がした。




 放課後、SHRが終わってすぐに希美と靴箱に向かった。久々に一緒に帰れるので、途中で買い物もする予定だ。

 残念だけれど、交換日記の返事は明日の朝かな。かなりテンポよくやりとりをしていたので、なんとなく落ち着かないけれど仕方がない。

 渡り廊下に出ると、冷たい風が私たちに襲いかかってくる。

「うわ、寒! 駅前のホットミルク飲みたいー。でもそれだと買い物する時間減るかなあー。途中でカフェに行くほうがいいかも? どうする希美?」
「ん、んー。どっちでもいいかなあ」
「あ、でた! 希美のどっちでもいい!」

 希美の十八番だ。それを茶化すと、希美は必死になって「えっとじゃあ、えー、えー?」と考える。それがかわいくてけらけらと笑ってしまう。

「おい松本、そんなに黒田をいじめるなよ」

 横から不機嫌そうな声が聞こえてくる。視線を向けると瀬戸山がむっつりとした表情で私と希美を見ていた。怒っているというか、私と希美の仲に嫉妬しているように見えた。本当に瀬戸山は希美のことが大好きだなあ。

「どうしたの、瀬戸山くん」
「自販機行く途中。松本の笑い声が聞こえたから」
「希美とデートする私が羨ましいんでしょー?」

 あからさまにつまらなさそうにしている瀬戸山をからかうと「そうだよ」とあっさりと認められた。反応がつまらなくて、つい口をとがらせてしまう。素直すぎてからかい甲斐がない。

「松本はランニングしなきゃいけねえんだろ。あんまり遅くなんないようにな。日が落ちるのも早いんだし」
「わかってるよ。大丈夫だって」

 希美の帰りまで心配するなんて、溺愛してるんだなあ。

「じゃあ、また明日な」
「あ、うん、ばいばい」

 瀬戸山は希美のお団子頭にぽんっと手をのせて、やさしい声色で声をかける。希美はほんのりと頬をピンクに染めて、恥ずかしそうに頷いた。そんなふたりの仲睦まじい様子に、見ている私が照れてしまう。

 瀬戸山と別れて再び希美とふたりきりになると、「瀬戸山、いい彼氏じゃん」とにやにやと笑って耳打ちをした。

「あ、え? あ、ああ、うん」

 てっきり真っ赤になってあわあわするかと思ったのに、希美は私の声が聞こえてなかったのか、よくわからない相づちを打つだけ。

「江里乃、瀬戸山くんと、仲良くなったんだね」
「……え? いや、別にそんなことは」

 なんで、そんなことを?

 希美は「あ、うれしいなって!」とはっとした顔をして言葉を付け足した。

 そんなわかりやすい態度をされると、反応に困る。

 なんて返事をすればいいのかと頭をフル回転させたけれど、「どこ行こっか」と希美は話題を変えた。
 その後の希美は、心なしいつもよりもテンションが高く感じた。それは、なんだかすごく不自然で、居心地が悪かった。



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   私まで先輩の告白 どきどきしてきます
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   音楽ができるのもすごいですね
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   私の趣味は刺繍くらいしかないなあ
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   先輩の想いを聞いてると
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   私も早く恋がしたくなります いいなあ
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 次の日の朝、靴箱の前で昨日書いた自分の文章を読み直す。

 これを書いた瞬間は、間違いなくそう思っていたし、今も同じ気持ちを抱いている。けれど、それ以上に煩わしさを感じている。

 昨晩も家でこの返事を見て書き直そうかと思ったものの、余計なことを書くべきではないし、話がごっちゃになってしまうとやめた。

 でも、やっぱり違和感が拭えない。

「……恋って、面倒くさいな」

 ため息に本音を交ぜて、地面に落とした。

 そう思う理由は、昨日の希美の態度だ。希美はずっと笑っていた。私と瀬戸山の関係を気にしてしまうのをごまかすように、考えないように、無理しているのがありありと伝わってくるほど普段の五割増しくらいで笑顔を顔に貼り付けていた。

 希美が心配するようなことはなにもない。

 私は瀬戸山のことを好きじゃない。それに、瀬戸山は希美のことが大好きだ。なにを気にすることがあるのか。

 その言葉を何度も呑み込んだ。

 希美が言わない以上、私が先回りして否定するのは余計に不安にさせるような気がしたし、口にしないのは希美も言いたくはないからだろう。

 瀬戸山が希美のことを大事に想っていることは、誰の目にも明らかだ。なのに、希美本人がどうして不安に思うのかさっぱりわからない。なんでそんな無駄なことで頭を悩ませるのか。

 直接それを言われても困るけれど、態度に出ているのに黙っていられるのも困る。

 結局、希美と過ごした放課後はそれなりに楽しかったものの、気疲れもした。

 どうしようかなあ、とページをめくる。

『一緒に恋愛について学べばいいじゃん』

 ふとこのやり取りを始めるきっかけになった先輩の文字が目にとまる。

 このノートの中の〝ななちゃん〟は、恋を知らない。

 なんのために私は先輩と交換日記と続けたいと思ったんだっけ。先輩との会話から、自分でさえも知らない私を見つけたかったんじゃなかったっけ。なのに、この気持ちを隠しては意味がないのではないか。

 きゅっと唇を噛んで、その場でペンを取り出した。昨日書いた文章もそのままで、新たに書き足していく。

 私は〝ななちゃん〟だと思うと、すらすらとペン先が動いた。



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   でも恋って ちょっと面倒くさいね
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   嫉妬したりされたり なんだかな
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   それでも 恋っていいものなの?
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   緊張するけど 実は俺も楽しみなんだよな
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   それに刺繍もすごいじゃん
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   たしかに面倒なこともあるかもなあ
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   でもそれも醍醐味 みたいな
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   多少は仕方ないっていうか
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 仕方ない、か。

 今朝返したノートは、昼休みに私の手元に戻ってきた。靴箱から戻ってきて教室で希美や優子と残りの昼休みを過ごしながら、スカートの上からノートに手をあてる。私の隣では、希美が優子やほかの友だちに笑顔を見せていた。いつもどおりの光景だ。希美におかしなところはなにもない。

「江里乃も、この海外ドラマ観てる?」

 私に話しかける様子からも、昨日の無理をしていた感じはもうない。

「まだ途中だけど観てるよ」
「途中でやめれるの? あたし徹夜しちゃったんだけど!」

 返事をすると、優子が身を乗り出して叫ぶ。朝から眠そうな顔をしていた理由はドラマのせいだったらしい。

「観るのは一日一話までって決めてるからね」
「うわ、さすが江里乃」
「じゃないと妹たちに『早く寝なさい!』って言えなくなるんだもん」

 中学生になり生意気になってきた妹に、お姉ちゃんは起きてるじゃん、と言われるのが目に見える。人に注意をするときは、自分もしていなければ効力がない。妹と弟に教わったことだ。

「なるほど。だからってあたしはできないんだけどー」

 優子が机に突っ伏してうとうとしながら言うと「面白いもんね」と希美が笑った。

「希美も徹夜したの?」
「わたしは休日に観終わっちゃった」
「その方法があったか! でも無理! 平日も見ちゃうし、土日は遊びたい! 」

 優子は机を叩いて悶えている。

 そんな優子に、希美は「平日はアニメとかにしたらどうかな?」とか「シーズンごとに休憩を挟むといいよ」と提案をする。

 やっぱり、今日の希美はいつもどおりだよなあ。

 もう、気にしていないのだろうか。この場合は私も昨日のことはなかったことにしたほうがいいのだろうか。

 希美が気にしていないならそれに越したことはない。

 でも、心が晴れない。

 それは、少なからず私が希美にいらだちを感じているからだろう。だって、そのせいで昨日の放課後からずっと鬱々とした気分で過ごす羽目になったのだ。しかも、嫉妬される理由がわからない。勘違いされるような行動を私がとったわけではない。ただ、希美が私を意識しているだけで、それはもとはといえば瀬戸山のラブレターのせいで。

 いっつもこうだ。

 以前、優子にも米田くんと話していたことで嫉妬されたことがある。まだふたりがつき合う前で、私は優子が米田くんのことを好きだと知っていた。友だちの好きな人だからって話しかけられて無視するわけにいかず、ちょっと立ち話をした。

 それだけなのに優子は私に嫉妬して、そのことに私もいらだって、ケンカになり数日間まったく話をしなかったことがある。優子が米田くんに告白し、つき合うことになったことで仲直りしたのだけれど。

 私が米田くんや瀬戸山とふたりで出かけたとか、実はふたりのことが好きで奪おうとしているとかだったら、そりゃ嫉妬するだろう。

 でも、そうじゃない。なにもしていないのに、優子も希美も、相手が私のことを好きなんじゃないかと勝手に想像を膨らませて不安になっているだけ。

 ふたりに限らず、今まで見知らぬ女子にも嫉妬されることは何度もあった。名前すら知らない男子との関係を疑われたことも。

 本当にうんざりする。

 そういう気持ちが微塵もわからないわけじゃない。私だって、今まで経験したことがある。二ノ宮先輩の言うように、それは仕方のないことなのだろう。でも、思うだけにして黙って自分で対処してほしい、というのが本音だ。無関係な誰か――主に私――を巻き込まないでほしい。

 まあ、相手が希美なのでそんなことは言えないけれど。多少態度に出ることはあっても、ああいうことを口にすることはない希美がつい口にしてしまった、ということは、それだけ不安を感じたのだろう。

 そう思うと、できるだけそれを取り除いてあげたいとは、思う。

「そういえば、今の観終わったらおすすめのがあるんだよ」

 希美が優子を海外ドラマの沼に引きずり込もうとする。

「どんなの? ミステリ?」
「サスペンス、かなあ。前科者が集まって強盗するっていう……あれはもしかすると江里乃も一話じゃ我慢できなくなるかも。サントラもすごくいいよ」

 希美にしては珍しいおすすめだ。もともと音楽の趣味が独特ではあるし、アメコミ系のアクション映画が好きではあったけれど、サスペンスというのが意外だった。

 優子も同じように思ったのか「あ!」と大きな声を出す。

「さては瀬戸山と一緒に観たんでしょー? 休日に観るって言ってたのも瀬戸山となんじゃないのー?」

 仲良しなんだからあ、と優子が希美をからかう。と、希美は笑顔のまま固まった。そして、私を一瞥して「え、あ、うん」と乾いた笑いで答える。

 どうやら、瀬戸山のことを考えないようにしていただけだったらしい。

 ――ああ、やっぱり、面倒くさい。

 気づかないふりをしながら、内心ため息をついた。



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   まだ想像できないなあ……
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   私はそんなのしたくないな
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   先輩も嫉妬したりするんですか?
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   しない とは言えないなあー
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   気にしてもしゃーないってわかってても
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   やっぱりなあ なんでだろうなあ
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   したくないのにしちゃうってことだよね
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   やだなあ そんな自分になりたくないー
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   自分のこと嫌いになっちゃいそう
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   恋愛したいけどちょっと躊躇しちゃうな
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   そう思う私って恋愛向いてないのかな
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 放課後、次の日の朝、昼休み、と来たら、放課後には返事があるだろう。

 生徒会室に着いたばかりだというのに、早く返事を受け取りたいとそわそわしている自分がいた。

 匿名という気楽さからか、今まで誰にも言えなかったことを、ノートの私はすらすらと伝えることができている。

 優子や希美には絶対に言えない。だって、ふたりにとって私は嫉妬の対象だ。「なんでそんな気持ちになるの?」「恋愛ってそれでも楽しいものなの?」なんて聞いたら嫌み以外のなにものでもない。
 それに、私は恋愛の話になると昔から『江里乃は恋愛なんて余裕でしょ』と言われることがある。よくわからないし、片想いの経験もないから黙ってふんふんと聞いているだけなのに、まわりにはそれが〝余裕〟に映るらしい。

 相手が私になんの先入観もない、というのはなんて楽なのだろう。それに、先輩は決して私を否定しない。

 集中力がない自分に気づき、軽く頭を振って気持ちを切り替えた。

 今は手元のリストをまとめてさっさと終わらせよう。

「ねえ、佐々木さん」

 今度の高校入試日のスケジュールを組もうと思ったけれど、必要なものが足りないことに気がついた。書記の佐々木さんに声をかけると、大きな瞳が私に向けられる。一年生で、ふわふわした雰囲気の女子だ。内巻ボブがふわんと揺れる。

「試験に使う教室のリスト、お願いしてたよね? どこにある?」
「え? あ、あ!」

 一瞬きょとんとしてから、はっとして大きな声を出す。

「すみません、えっと、あの、来週には……」
「頼んだの先週なんだけど。試験ももう二週間後だよ?」

 へらへらと笑いながら謝られて、つい口調がキツくなる。

 今日中に試験で使う教室の掃除や準備の段取りをして、週明けには美化委員や手伝ってくれる生徒に渡すためのプリントにしておきたかったのだけれど。

 でも、これ以上責めたところで、彼女から資料が出てくるわけではない。桑野先生はテニス部の顧問なので、今の時間、職員室にはいないだろう。

「月曜日は絶対用意しておいて。あと面接会場もね。それとついでに三年生の送別会のことも、なにか確認事項がないか、桑野先生に訊いておいて」
「わかりました!」

 元気な返事に、なぜか不安を覚える。

 ……メモもとってないけど、大丈夫だろうか。

 佐々木さんはやる気はあるもののミスというか、うっかりが多い。それを指摘してもいまいち伝わっている気がしない。さすがに同じミスを続けることはないと思うけれど。

「しっかりしてね」

 最後に釘だけ刺して、鞄とコートを手に取った。

「松本、帰るのか?」
「やろうと思ってたことができないし、来週まとめてやるわ」

 このまま私がここにいると、部屋の空気も悪いだろうし。

「いいけど……佐々木さんの仕事とか手伝っても」
「なんで? 佐々木さんの仕事だし、来週の私の仕事を佐々木さんが手伝ってくれるわけでもないじゃない」

 関谷くんの言葉を無視するように、コートを羽織る。ちらりと佐々木さんを見ると、しょぼくれているのがわかった。できればこれで責任感というものを感じてもらえたらうれしいのだけれど。

「じゃ、お先に」

 中にいるメンバーに挨拶をして廊下に出た。人気のない廊下は、冷気に包まれていて、そこから早く逃げ出さなくてはと足を動かす。

 まだ授業が終わってから一時間程度だからか、校内には人の気配が漂っている。このタイミングで靴箱に行くのは危険だろうかと考えながら階段を降りると、やっぱり昼休みよりも出入りする人が多かった。

 誰かに見られるかもしれないので、一時間ほどどこかで過ごすべきだろうか。廊下で考え込んでいると「松本」と関谷くんの声がした。

「どうしたの?」
「佐々木さんも反省してると思うから、さ」

 なんの話だろうか。
 ん、と眉根を寄せると「怒ってるんだろ」と言われた。

「いや、別に」

 来週にはちゃんとしてほしいなと思っているだけだ。けれど、その言葉の意味を関谷くんは理解しているのかしていないのか「松本の言っていることは正しいよ」と言った。

「正論だけど、それじゃ解決にならないんじゃないかな」
「どういう意味? 笑って許さないとだめってこと?」
「そうじゃなくて、せめて仕事を手伝って気持ちのフォローをするとか」

 関谷くんの提案らしき内容に、うんざりと肩を落とした。

 気持ちのフォローって。なんで私がそんなことをしなくてはいけないのか。

「あのさ、別に仕事を手伝わないのは怒ってるからじゃなくて、助けてばかりじゃ成長しないから。それだけ。今まで何度も手伝ってきたけど、そんなんじゃこの先もずーっと同じことを繰り返すじゃない」

 私の反論に、関谷くんは困ったように眉を下げる。

「正論はいつも正しいとは限らないよ。それが松本のいいところだとは思うけど、でも」

 いいところなら、どうして〝でも〟と言葉が続くのか。正しいのなら、どうして私が責められなくてはいけないのか。仮にも一時期付き合っていた相手に、私の気持ちはなにも伝わらないのはなぜなのか。

 いつもいつも――。


「正論は、正しい論だから、正しいに決まってるだろ」

 なんで、と目をつむると同時に、肩を後ろに引かれる。

「生徒会長がすべきことは、江里乃ちゃんを責めることじゃなくて、江里乃ちゃんのフォローなんじゃねえの?」

 顔を上げると、私の隣には二ノ宮先輩がいた。私よりも半歩前に出ている姿は、まるで私を関谷くんから守ってくれているかのように見えた。

 先輩は関谷くんを見つめている。チャコールグレーのコートのファスナーがめいっぱい上まで閉められていて、口元が見えない。そのせいで表情が読み取りづらい。けれど、どこか声色が怒っているように思えた。声がくぐもっているからそう感じるのだろうか。

 ぐっと、私の肩にのせられた先輩の手に力が入る。

「二ノ宮先輩……?」

 呼びかけると、先輩がぴくりと反応を示す。そして、

「帰るところだったんだろ? 行こう」

 くるりと向きを変えて、先輩は私の肩を抱いたまま歩き出した。先輩は、私と目を合わさない。いつもの先輩とは別人のような雰囲気に、戸惑ってしまう。

「あ、じゃ、じゃあ」

 顔だけを関谷くんに向けて、とりあえず挨拶をして先輩についていく。前を向いたままずんずん歩く先輩が立ち止まったのは、私の使用している靴箱の前だった。

「……先輩?」

 呼びかけると、数秒間を空けてから、先輩は私に視線を合わせてくれた。けれど、不機嫌そうに眉を寄せている。先輩のそんな顔、はじめて見た。

「江里乃ちゃん、なんであんな男と付き合ってたんだよ」
「へ?」

 なんで急にそんな話になるのか。っていうか、なんで知っているのか。

「付き合ってたくせに江里乃ちゃんのこと理解してねえとか、見る目がなさ過ぎる」
「……それは私がですか? 関谷くんがですか?」
「この場合どっちもだな」

 私の質問に、先輩は肩をすくめて言った。肩に触れていた先輩の手は、自然に私の手に降りてくる。触れる先輩の手に、私の手がびりびりと電気が走ったようにふ震えた。体温が高いのか、先輩の手はとてもぬくい。そして大きい。つながれていないほうの手は、指先が痛むほど冷たいのに、先輩に包まれているほうの手はじんわりとぬくまってきて、体まであたたかくなってくる。

 今までなら、もういいでしょ、と振りほどいていただろう。

 なのに、それができない。

 ――『正論は、正しい論だから、正しいに決まってるだろ』

 さっき言ってくれた先輩の声が、鼓膜に残っていて、胸がきゅっと縮む。

 なんだろうこの感じ。むずむずと胸の中でなにかが羽ばたいている感じ。

 とはいえ、いつまでもこのままここに突っ立っているわけにはいかない。

「あの、先輩」

 動かない先輩に呼びかける。

「先輩?」

 返事がないのでもう一度呼びかける。

 ん、と短く答えた先輩は靴を履き替えることなく再び歩き出す。その足取りは、どこかふわふわしていた。それに、なんとなく首元が赤い。まるで、お酒を飲んで帰ってきた父のようだ。

 ……え、飲んでたりしないよね。