「イオンちゃん。
怖い話をしていいですか?」
帰路、球技大会で疲れ切っていた
生徒会長の異本イオンは、
堪えきれずに大きなアクビをした。
「ごめん。え? なに?」
「怖い話をします。」
夕闇の迫った一方通行の細い道で、
横を歩く書記の愛蛇果奈が
いつもどおりの淡々とした口調で言った。
イオンへの確認事項は、
カナの中で決定事項へと変わっていた。
普段は猫背のカナも、
立って歩いている時の姿勢はまっすぐ伸びる。
艶のある黒髪に丸い頭が小さく上下に揺れる。
ふたりは家が隣近所の為に
帰りの道も同じだった。
「なにを突然どうしたの?
カナがやるって言うなら…
せっかくだし聞いたげるけど。」
カナの厚いレンズ越しの視線を避け、
イオンの青い目は横の暗い路地を見た。
カラスが大きな翼を広げて飛んで、
いたずらにイオンの肩を驚かせた。
「学校。貯水槽。死体。」
並べられた単語の後で、
イオンはしばらく沈黙して
カナを見下ろした。
「え? ちょっと待って?
それ検索ワード?」
「ゾクゾクしませんか?」
「考えると怖いけど、遅効性が過ぎるのよ。
どうしてその場の怪談話に、
後でわざわざ検索しなくちゃ
分からないみたいな風にしたの。」
「そうですね、なるほどこれは奥深い。
イオンちゃんは即効性のがお好みでしたか。
それなら…そうですね、駅で親しげに
声を掛けてくる知らない人とか。」
「たしかに見かけるとギョッとするし
ちょっと怖いけど、即効性って
そうことじゃないと思うのよ。
そもそもこれって怪談よね?」
後頭部で束ねた明るい色の髪を
左右に振ってイオンは否定した。
「っていうか何を目的に
カナはそんな話をし始めたの?」
「それが、クラスの子たちが
私は怖い話に強そうだって、
アイフレ部の子と比べてたので。」
「アイフレ部?」
「この前プロになったっていう。」
「あぁ、あの有名人の子か。
カナの場合は単に表情筋が未発達だから、
強そうに思われてるだけじゃないの?」
「見当違いなこといいますね、イオンちゃん。
他の筋肉もたいして発達してませんよ。」
カナはか細い二の腕を上げてつまんで伸ばした。
身長と体育の成績だけは伸びない。
カナは球技大会では文化部系チームに属し
早々に敗退して、普段はあまり話をしない
同級生らとの怪談話に紛れ込んだ。
「そこは自慢することじゃない。」
「なので私もついに、この隠れた才能を
ついに発揮するチャンスが来たのかなと。」
「意欲を見せてるところ悪いけど、
もう少し聞き手をあおるとかしないと。」
「例えば?」
「夜道をひとりで歩いていると、
後ろから足音が近づいてきて…。」
イオンは自らの言葉に背筋を凍らせ、
足音響く路地に恐る恐る後ろを振り向く。
「そこには白い服を着た老人の姿が。」
「なるほど、施設を抜け出したんですね。」
イオンは誰も居ない帰路を見て、
安堵すると同時にカナの言葉に脱力した。
「まあそういう設定でも怖いけど…、
どうして現実の方向に持っていくの。」
「ダメですか?」
怖い話は女子たちの間で、一種の
コミュニケーションツールとして働く。
同級生らから相談を受けやすいイオンは、
同時に怖い話を聞かされる事も多かった。
一方で相談を受けないタイプのカナは、
怖い話を聞かされることも非現実的な内容に
これまで関心を示すこともなかった。
ふたりの差が今日のように、妙な
ギャップを生み出すこととなった。
「もうちょっとね。オバケとか幽霊とか…、
怪談は別に実話じゃなくていいのよ。」
「オバケも幽霊も同じでは?」
「そういうとこ気にしちゃうから
カナの話は怖くないのよ。」
しかしイオンの言うことも
一理あったので、カナは黙ってうなずく。
「そうなんですね。
ではちょっとこの前あった話なんですが、
学校の帰りに図書館に寄り道した時に。」
「なんかそれっぽい導入ね。」
「はい。イオンちゃんを見習ってみました。」
「怖い話の最中に会話に応じなくていいから。」
イオンが手で払って先をうながす。
「ではちょっとこの前あった話なんですが。」
「やり直さなくていいって。そこは端折って。」
「後ろを振り向くと。」
「端折り過ぎじゃないの?」
「ウチの学校のセーラー服を着た老人の幽霊が。」
「それ幽霊じゃないよね?」
「幽霊の、正体見たり、枯れ尾花。」
「ぜんっぜん! 怖い話になってないじゃない。
ただの変質者でしょ! 通報案件!」
「幽霊も警察には勝てませんからね。」
イオンは思わず顔と同時に手を振った。
カナはしたり顔でウデを曲げ、
小さな握り拳をかかげて見せた。
「怖い話に強そうというのは、
結局こういうことかと。」
「勝とうとしてどうするの。
耐性の話だと思うわ。」
「そっちだったんですね。」
「今までなんだと思ってたの?
そっちのがびっくりするよ。」
「わたしの目的はイオンちゃんを
恐怖のどん底まで突き落とすことです。」
「なんでそんなひどい事言うの…。
もうやめ。」
突然ベルが鳴り、イオンはふたたび肩を驚かせた。
後ろから来た自転車がふたりの横を通り過ぎた。
「ところでカナ…。」
「なんですか?」
「今日アタシの家に泊まってかない?」
厚いレンズの奥で、カナの目が輝いて見える。
「なるほど…。わかりました。続きですね。
蛇口、髪の毛――。」
「もういいから!」
その日ふたりは
久々に一緒の布団でぐっすり眠った。