今日は私の誕生日だ。私は誰からもプレゼントを貰えないし、渡せない。
部屋の中には、金魚鉢(きんぎょばち)と水があり、中に必須ともいえる金魚が居ない。
昨晩死んだのだ。嘆いて、悲しんで、還ってくるならいくらでも喚こう。
 平成が終わりを告げようとしている。私の12年間の平成時代は幕を閉じるのだ。誰でもいい。明日終わる平成の前に、私の誕生日を祝福してくれ、ただただそう思うばかり。 
 朝6時。私が生まれる、約二時間前。この世に私は生まれてきた。けれども、何も良いことは無かった。
 学校の勉強はできない。運動もできない。なのに、人一倍意見を言おうとする。何とも、馬鹿々々しい人生だと自負する。
 6時半になった。外の音が聴こえなくなった。ある一つの音だけが聴こえてくるだけ。
その音は私の心を抉り、(むさぼ)ろうとしている。
 部屋が暗くなり、独り(さび)しく部屋を見渡す。何もない。がらんとした部屋に響くのは、季節外れの秋の声であった。
 幸福な事はあったのだろうか。自問自答するが、答えは出ない。自分自身で造り上げた鉄のカーテンは壊す事も、飛び越える事も不可能に近い。
 徐に引き出しから紙を取り出す。私がこの前卒業したときに貰った、先生から生徒に向けた小さい枠の言葉、文章を視た。初めて、それを見たのだ。母に「ここに閉まっておくからね」そう言われて以来、その物自体の存在を忘れていた。そして、読み始める。
 『日向君。元気にしてるかな?卒業式に参列して無かったから、先生寂しかったよ。いつの日か、日向君と会えることをのぞんでいるよ。中学校に行っても、学校が嫌なら行かなくてもいい。だけど、日向君の強みの「意見を述べる」だけは続けてね。文岡 博』
 私はこれを読み、三々五々と化した気持ちを集めた。紙と鉛筆を再び引き出しからだし、自分に対して手紙を書くことにした。書くなら、三年後。高校生の私に送ろう。