領都の門には、長蛇の列ができている。
距離にして、800mはあるだろう。
距離に対して、待機している人数が少ないのは、馬車や護衛が居るために、隊列が伸びてしまっているだけだ。
「まー様。カリン様。少しだけお待ちください」
カリンは、馬車の扉を開けて、護衛の者を呼び寄せる。伝令を頼むつもりのようだ。
「ちょっと待って。なぁイーリス?」
伝令が走り去ろうとした瞬間に、まーさんが伝令を止めた。
止められた伝令も、馬車に戻ろうとしていたイーリスもなぜ、呼び止められたのかわからない。まーさんの顔を見てしまっている。
イーリスは、護衛の一人に、関所で検閲を行っている者に、自分たちが到着したことを知らせるように伝言するつもりだ。そうしたら、門に並ぶ必要もなく、検閲を受ける必要もなく、領都に入ることができる。辺境伯からすでに伝達が行われている。
「はい?」
イーリスは、馬車に戻って座りなおす。
まーさんの横では、カリンが不思議そうな表情で二人を見ている。正確には、まーさんを見て、イーリスをチラ見している。
「別に並んでいれば、入領ができるのだろう?」
街に入るだけなら、時間はかかるが、並んでも結果は同じだ。イーリスの身分や、辺境伯からの通知がなくても、馬車一台と数名の護衛が居るだけの集団だ。荷物にも不審な物も存在しない。イーリスも、まーさんも、カリンもしっかりとした身分証を持っている。
「え?そうですが?待ちますよ?」
イーリスは自然な流れとして、順番をスキップしようとした。
待つのが嫌とかではなく、自分たちがこのまま並んでいるよりも、通過してしまったほうが、目立たなくてよいと思ったのだ。並んでいれば、見られる可能性は高い。
「いいよ。待とう。それに・・・」
まーさんの返答は、イーリスの想像と違っていた。
”待つ”という選択肢を選んだ。
「それに?」
「イーリス。俺たちは、王都から”逃げてきた”」
まーさんが使った、”逃げてきた”という感覚は、イーリスにはない。
「??」
「この列に並んでいる者だけではなく、領都の人間にも、”特別な”順番を飛ばすような人物が来たと知らせることにならないか?」
イーリスは、見られる可能性があるので、早く列から離脱して、中に入ることが目立たないことだと考えた。
まーさんは、特別な人物が辺境伯領に来たということを、周りに知られる事に問題を感じた。
確かに、イーリスの考えている通りに、列に並び続ければ、人目に晒される時間が長くなる。馬車も質素な作りになっているが、そろいの鎧を来た護衛を連れている3人組は珍しい。荷馬車を連れていないので、商人ではない。揃いの鎧を来ている護衛も、王都の近くなら珍しくもないが、辺境伯領では珍しい。一つ一つは珍しくもないが、すべてが集まっている集団なので、目立ってしまっている。
まーさんの考えは、”見られる”のはしょうがないと思っていた。
しかし、王都にいる”貴族”や”王族”や”勇者(笑)”に知られなければいいと思っている。奴らが、まーさんやカリンを探すときに、姿で探してくれたら、二人はまず見つからない。特徴的な、髪の毛の色で探すのはわかりきっている。そのために、髪の毛の色は変えている。
それでも見つからなければ、辺境伯の領都に当たりをつけていた場合には、自分たちが何時も行うように、門番を呼びつけたり、検閲をスキップしたり、貴族の特権を利用した者が居ないか問い合わせをする。または、聞き込みをする。その場合でも、辺境伯の息が掛かっている兵士には聞けない。そうなると、領都にいる者や商人の噂話が中心になる。まーさんは、その噂話に上るような行為を控えようとしているのだ。
「あっ!」
「それに、急いで入っても意味がないよな?」
「え?」
イーリスは、まーさんが言っている”逃げてきた”という感覚はないが、認識はしている。そのために、急いだほうがいいと思っている。
この段階になって、逃げているけど、急いでも意味がない。まーさんが言っている意味が、イーリスにはまるで理解ができない。
カリンは、考えるのを放棄して、バステトを膝の上に載せて、舟を漕ぎだしている。
適度な暖かさがあるバステトを膝に載せて、柔らかな日差しを受けて、馬車の中は昼寝には丁度いい温度になっている。
「辺境伯は、王都だろう?代官が居るだけで、実質的に、挨拶をしなければならないような人物はいないよな?あぁ身分的な問題で、イーリスに挨拶に来る連中は居るかもしれないけど、俺やカリンには居ないだろう?」
辺境伯は、王都で”勇者(笑)”のお披露目に出席するために、領都を離れている。
実際に領都を仕切っているのは、ラインリッヒ辺境伯の弟にあたる人物だ。身分は、代官だが辺境伯家の人間なので、そのまま領都と周辺を任せてしまっている。
「そうですね。私にも、面会者は、代官くらいだと思います」
本来なら、イーリスの立場なら、代官が出迎えてもおかしくない。
しかし、イーリスも華美な歓迎を好まないこともあり、辺境伯からイーリス王女及び二名には簡単な挨拶だけに留めるように通達が出ている。イーリス本人の署名もついていることから、代官は簡単な挨拶を行うだけになっている。
「それなら、急がなくていいよ。目立たないほうがいいだろう?どうせ、門番に、身分を告げるのだろう?その時に、代官に知らせに行ってもらおう」
「わかりました」
「カリンもいいよな?」
「うん。まーさんに任せます」
カリンは、なんの話をしていたのか解らないけど、まーさんに任せておけば大丈夫としか考えていない。
馬車は順調に進んでいる。
商人たちが多いのが理由だ。禁制品を持ち込んでいなければ、商人の通過は容易だ。領都には、関税も設定していない。消費の場なので、関税をかけるよりも、商人の売り上げから”税”を徴収するほうが楽なのだ。門での渋滞も少なくて済む。
「まーさん。私が、兵士と話をしてきます」
「わかった。頼む」
「はい。行ってきます」
順番が来て、馬車が止まった所で、イーリスが馬車を降りる。
その時に、辺境伯からの書状とまーさんとカリンの身分証を預かる。本来ならありえない手法だが、辺境伯からの証書もあるために、略式の審査で通過が認められた。
イーリスから渡された書状を読んだ兵士が、領主の館に知らせに向かう。
馬車に戻ってきたイーリスは、まーさんの正面に移動して座る。
「出してください」
馬車の中から、御者に指示をだすと、馬車が動き出す。
門を通過する時に、木戸を開けて、まーさんとカリンが顔を出す。馬車の中が見えるようになって、3人だけが乗っていることを兵士に見せてから、馬車は速度を上げる。
「ふぁ・・・。まーさん。すごいね」
城壁を入れば、街が広がっている。
王都は、石で建物が作られて、道は石畳になっている。見かけ上は綺麗になっていた。
辺境伯領は、王都とは違う発展をしていた。森が近く、反対に意思の確保が難しいために、石で土台を作って、木材で家を作っている。
「ねぇまーさん。建物と建物の間が空いているのは?」
「火災対策じゃないのか?」
「火事?」
「あぁ建材に木が使われているみたいだからな。火事での延焼が怖いのだろう?だから、適度な感覚で隙間を空けているのだろう?」
「へぇ・・・。でも、石の積み方はいろいろだね」
「多分だけど、地下があるのだろう?それで、火事で延焼しても、自分の家の場所・・・。カリンには、土地と言った方がわかりやすいか?上物が燃えても、石が残っていれば、土地が判るだろう?」
「えっうん。そうだね」
「・・・」
「どうした。イーリス?」
「まー様。地下があると、なぜ思うのですか?」
「あぁ・・・。上物が燃えてしまうことが前提で作られているように思えるからな」
まーさんは、他にも理由はあるが、それは語らずに、開けた木戸から街並みを眺め始める。
イーリスも、不思議には思いながらも、”まーさん”だからと思って、それ以上の質問は控えた。
おっさんとカリンを載せた馬車は、中央通りを進んでいる。
「イーリス。どこに向かっている?」
馬車は、どんどん、領都でもっとも栄えた場所から離れている。馬車の目的先はイーリスが指示を出していた。おっさんは、イーリスをまっすぐに見つめて、質問を行っている。
「・・・」
イーリスは、感情を読み取られないように、バステトを見るように視線を外した。イーリスは、おっさんの追及を躱せた。と、考えたが、おっさんの追及は止まらない。
イーリスの態度から、追及ではなく、確認になってしまった。
「イーリス。もしかして、自分だけ挨拶をしたり、歓待を受けたり、対応するのが嫌で、俺たちを巻き込もうとしていないか?」
おっさんの確認に、驚いたのはイーリスだけではなく、カリンも”宿に入って休む”と思っていた。そして、時間を確認して余裕があるようなら、領都の散策に出かけようと思っていた。
王都では、屋敷から出ることが滅多に無かったが、領都では、カリンは自由に行動ができる。王都よりも治安がいいことや、カリンが、攻撃性のスキルが使えることなど、複合した条件だが、おっさんもイーリスも問題はないだろうと考えている。
「え?まーさん。イーリス?本当?」
イーリスは、カリンからの抗議に似た視線から、目を逸らした。
「イーリス。”やましい”気持ちがあるときは、視線を逸らさないほうがいいと思うぞ?」
おっさんは、イーリスの態度から、適切とは言えない情報を二人に与える。
「え?」
イーリスが逸らしていた目線をおっさんに向ける。
二人の視線がぶつかるのを、カリンは少しだけ面白くない気持ちで見つめる。
「今、カリンから視線を逸らしただろう。カリンの問いかけを認めているような状況だぞ」
「・・・。しかし、私は、認めませんよ」
イーリスは、自分が認めなければ、大丈夫と考えている。
それも間違いではない。イーリスとおっさんでは見えている景色が違う。おっさんは、イーリスが認めようと、否定しようが関係がないと思っている。
「そうだな。イーリスは、認めないだろう。でもな。カリンが、イーリスの思惑を”考えた”内容を、否定していないよな?」
詳細な説明を避けたが、現状をイーリスに解らせるために、簡単な説明を始める。
「はい」
「その場合、カリンは”自分の考え”を、”解”だと思ってしまうぞ?後になれば、なるほど、否定は難しくなる」
イーリスは、”否定していない”この事実だけで、カリンが”肯定された”と考えるには十分な情報だ。
人は、信じたい方向に、思考を誘導されると、信じてしまう。
「・・・。それは、わかります」
「イーリス。その時には、相手の目線を正面から受け止めて、”にっこり”笑うだけですればいい」
「え?」
イーリスには、おっさんが何を言っているのか解らない。
目線を逸らさないのは理解ができるが、”にっこり”笑うのに、なんの意味があるのだろう?自分の中で考えても結論が出ない。考えを巡らせていると、おっさんが”にやり”と笑って、カリンに目線を移す。
「そういえば、カリン。イーリスが楽しみにしていた果物を、バステトさんと分けていたけど、イーリスに言ったのか?」
「え?」「・・・」
カリンは、おっさんの暴露から、怒られないまでも、何かを言われると思って、イーリスから視線を外そうとした。
「カリン。イーリスから目線を外さない!」
おっさんは、カリンが目線を外そうとしているのを察知して、カリンに指摘する。
実験であり、イーリスに解らせるためだという意味を言葉に込めた。
カリンは、正確におっさんの意図を感じ取って、目線をイーリスに固定する。
「イーリス?」
イーリスも、おっさんが急に暴露話をしたことに困惑を覚えたが、実践しようとしていると思って、頭をフラットな状態に戻して、カリンを見つめた。
カリンは、イーリスと目線が交差してから、”にっこり”と笑った。首をまげても、視線を外さない状態で、”イーリス”といつもと同じ口調で名前を呼んだ。
「はぁ・・・。まー様。本当ですね。問い詰めようとした時に、目線を外さないだけで、こんなにも曖昧に思えてしまうのですね」
イーリスは、大きく息を吐き出して、おっさんに視線を移す。
果実を食べられてしまったのはショックだけど、元々カリンと一緒に食べようとしていた物で、おっさんも誘っていたが、おっさんは『”二人で”食べればいい』と断っていた。その果実を、カリンが黙って食べたのだ。
おっさんが、話を持ち出さなくても、この後で解ってしまう事だ。
それを、イーリスに実地で”視線”の動かし方を教える教材にしただけだ。イーリスは、よく言えば”お嬢さま”だ。悪く言えば、”箱入り娘”だ。おっさんがだまそうとしなくても、簡単に騙せてしまう。
おっさんは、王都から領都に来る間に、イーリスにいろいろ教えている。
もちろん、善意だけではない。今後、おっさんとカリンが領都から出る状況も考えられる。もしかしたら、帝国からの脱出を考えるかもしれない。その時に、イーリスが一番の脆弱になってしまう。辺境伯は、おっさんが話をしても、いい意味でも悪い意味でも、”貴族”だと感じだ。自分の利益を最大限にするために行動する。行動原理が解りやすかった。そして、利益を分配する相手としては、理想的な相手だ。
しかし、イーリスは、”正義”に憧れを持っている。本人は、否定するだろうけど、イーリスの行動原理は、自分の中に芽生えている”正義”だ。おっさんが危惧するのは、”正義”は暴走しやすいという事だ。その時には、利益があろうと、自己の犠牲さえも正当化してしまう。そんな危険な行動原理を持つイーリスには、自分を騙す方法を覚えてもらいたかった。
「不思議だろう?」
「はい。それで、カリン様?」
「え?あっ。ゴメン。バステトさんと食べちゃった」
「はぁ・・・。まぁいいです」
「ゴメン。だから、この後の面会も付き合うよ?」
おっさんは、カリンとイーリスの会話を聞きながら、イーリスの微妙な変化を嬉しく思っている。
カリンに対して、気安い相手だという認識を持ち始めている。その関係が、友愛になり始めていると感じて嬉しく思っている。
「いえ、まー様には、来ていただきたいのですが・・・」
チラッとカリンを見つめる。
「あぁそういう人なのか?」
おっさんは、一つだけ思い当たることがあり、イーリスに確認をする。
「いえ・・・。根はいい人なのは・・・。間違いは無いのですが・・・」
「面倒なのか?」
「はい。特に、カリン様は・・・」
「え?何?私?」
「ふぅーん。カリンが好みなのか?」
おっさんは、イーリスの言い方と、イーリスのカリンを見る目線で、自分の考えが確信に変わる。
「いえ、逆です。私やカリン様は、恋愛の対象外でして、その代わり、毛嫌いをする可能性が高く、私は立場が立場ですので、無礼な対応はしないと思いますが、カリン様には・・・」
「私?別に気にしないけど?」
「あぁ・・・。イーリス。代官だけど、イーリスやカリンに興味が無いのは解った」
おっさんは、確信が間違っていたと認識した。
そのうえで、聞きたくはないが、聞かない状況は危険だと感じていた。
「はい?」
「男色なのか?」
”どストレート”に、イーリスに確認する。
「え?あっ・・・。違います。違います。恋愛対象は、女性です。女性なのですが、筋肉があり、強い女性が好きな方で、私やカリン様の女性を見ると、筋肉を付けろ、筋肉は素晴らしい。と・・・。少し・・・。本当に、少しだけ面倒に・・・。はぁ・・・」
「わかった。それなら、俺が出た方が穏便に終わりそうだな」
「え?そうなの?」
カリンが不思議そうな表情をするが、面倒な人物なのだ。カリンやイーリスでは手に負えない可能性がある。
「あぁカリンは、先に宿・・・。で、いいよな?居てくれ」
宿にカリンを届ける予定になっていると、イーリスに確認をするために、話の途中でイーリスを見る。
イーリスが頷いたのを見て、カリンにお願いをする。
おっさんは、カリンを宿に残す事で、自然な流れで”バステト”の存在を隠したかった。現状で、バステトは、おっさんとカリンの生命線になりかねないからだ。辺境伯は解っているかもしれない。イーリスは、把握はしているが、バステトと近くに居たために、認識を上書きしてしまっている。
「うん。バステトさんと一緒に居ればいい?」
「イーリス。大丈夫だよな?」
再度確認を求めて、おっさんはイーリスからバステトの認識を外させる。
「はい。手配は終わっています。それで、まー様。本当に、よろしいのですか?本当に、本当に、本当に、少しだけ・・・。面倒な人ですよ?」
「貞操の危機がなければ、面倒な人物は大好物だ。辺境伯が、代官に指名するくらいだ。問題は、その面倒な性癖だろう?」
「はい。能力は問題ではありません。能力は・・・」
イーリスの大きな溜息が、おっさんの気分を暗くするが、”面倒な人”は日本でも何度も合っている。
テーブルの反対側にいる面倒な人なら対処は解っている。だから、大丈夫だと思っている。
馬車は、行き先が変わった。
イーリスの目論みが判明したことで、おっさんが馬車の行き先を変更させた。まずは、宿に行って、荷物を置いてから身支度を整える。
おっさんが提案したのは、カリンとバステトを宿に置いて、”おっさんとイーリスで代官に挨拶を行う”と、いうものだ。最初は、カリンが自分も行くと言い出したのだが、イーリスがカリンにはやって欲しいことがあると、伝えることで引いてもらった。
おっさんは、イーリスが代官に会う必要があると言っていた。
しかし、おっさんには、不明瞭なことがある。イーリスを問い詰めてもいいとは考えていたが、イーリスの”心”の問題だと考えている。わざわざ問い詰めなくても、説明を求めるチャンスが訪れるだろうと思っている。
「まー様?」
無遠慮な視線をイーリスに向けていたので、イーリスが不思議に思って、おっさんに話しかける。
おっさんは、イーリスの呼びかけで、意識をイーリスの考えにスライドさせる。カリンも居ないので、丁度いいタイミングだと考えて、これからの会話の道筋を考える。
「どうした?」
イーリスとしては、おっさんが自分を見ていたように感じたので、話しかけたのであって、何か話したいことがあったわけではない。
むしろ、イーリスとしては、おっさんと話をしないで、代官が執務を行っている屋敷に到着したかった。
「いえ、ありがとうございます」
頭をさげて、会話を終わらせることにした。”ありがとうございます”に、いろいろな意味を込めたのだが、おっさんなら解ってくれると考えた。
イーリスは、おっさんやカリンを好ましい人物だと思っているが、おっさんと二人で会話をするのは苦手としていた。楽しい話や、自分には考えられないことを、聞けるので会話をしたいとは思っているのだが、おっさんと二人で話をしていると、会話で見られたくない部分を、暴かれる感じがしている。
「いいよ。どうせ、代官には、いずれ会うことになっていただろう」
イーリスの感情を察しているのか、表情からは読み取らせない。飄々とした語り口で、イーリスに話しかける。
「はい」
二人は、領地の運営が行われている建物に向かっている。
宿屋が用意した質素な馬車に乗り換えている。乗ってきた馬車は、カリンが使う事になった。護衛も、半分はカリンに付いている。
イーリスは、弛緩した空気に安心して、馬車の窓から見える、流れる景色に視線を移した。
「それで、イーリス。何を隠している?」
いきなりの問いかけに、イーリスは視線を戻して、おっさんを見つめてしまった。
「え?」
口から出たのは、おっさんに対する疑問ではない。驚いてしまっただけだ。
「代官の事ではないな。そうだな。代官の息子か?問題があるのだろう?」
おっさんが口にした想像は、”よくある話”だ。
イーリスは、代官の問題行動を情報として提示した。これは、隠しておきたい情報があると想像ができる。おっさんは、イーリスの表情や態度から、隠されている情報に”あたり”を付けただけだ。
「え・・・。なぜ?まー様?ご存じのはずは・・・」
イーリスの返答を聞いて、おっさんは、想像が悪い方向に当たっていると確信した。イーリスは、”なぜ?”と疑問を口にする前に、否定すべきだった。
「半分は、”感”だ」
”なぜ”の回答としては、最低の答えだ。イーリスが、違和感を持てれば・・・。気が付いていれば、おっさんの言葉から問い詰めることができる。
”感”が、何に由来する事なのか?”感”は、おっさんに染み付いた技能から成り立っている。しかし、イーリスはおっさんの”感”というセリフを、”馬鹿にされている”と感じてしまって、言い返す形にしてしまった。
「”感”ですか?残りの半分は?」
そのために、イーリスは”半分”という部分に食いついてしまった。
残りの半分もなにも、おっさんが”代官の息子”だと答えたのは、おっさんの経験から導き出した言葉なのだ。そこを突っ込んでも、イーリスが得る物は何もない。でも、人は”単純な疑問”ほど答えが単純だと勘違いしてしまう。イーリスも、おっさんが仕掛けた思考の罠に嵌ってしまった。
「外しているのなら、質問の前に否定しないと、ダメだぞ?俺の心証としては、『イーリスは何かを”まだ”隠している』ことになっている」
カリンが居る時に話した内容を引っ張り出して、おっさんはイーリスの思考を別の場所に誘導する。
「え?あっ・・・」
見事にイーリスの思考は、おっさんが言った”代官の息子”の話に戻されてしまった。
「それで?」
「ふぅ・・・。代官の息子が、代官の・・・。領主の力が自分にあると思うような人で・・・」
「そういえば、フォミル殿には、跡継ぎは居ないのか?」
いきなり話を飛ばすが、話の確信部分に相当する。おっさんは、イーリスの思考を誘導しながら、情報を引き出し始める。
辺境伯領で、代官の息子程度が好き勝手にできるとは思えなかった。
他の愚鈍な貴族ならわかるが、おっさんには辺境伯がそんな人物を放置しているとは思えなかった。
「はい。数年前に・・・」
「そうか、それで、王都に居るのだな」
「え?」
「自分と、そうだな。家族が安穏に過ごすはずだった場所。その生活に必要なピースが欠けたのだろう?まだ、楽しかったことを思い出したくないのだろう?だったら、この街で過ごしたいとはおもわないよな?そして、もしかしたら・・・。いや、辞めておこう」
「まー様」
「悪い」
「いえ、大丈夫です。それよりも、代官の息子。リヒャルトと言うのですが、権力を使うのも、奴隷を買うのも、自分に許された権利・・・。特権だと思っているようなのです。自分は選ばれた者だと、そして、フォミル殿の後は自分しか居ないと・・・」
「愚かだ」
おっさんの低く今までにない声色に、イーリスは”ドキッ”とした。
”怖い”という表現が正しいのだが、それ以上に、おっさんがなぜ、感情を露わにしたのか気になった。
おっさんは、何に感情を揺さぶられたのか・・・。
「え?」
「力・・・。特に、権力は、譲られたにしろ、奪ったにしろ、その為の努力が意味を持つ」
声色が戻って、普段と同じようには取り繕っているが、明らかに嫌悪感を含んだ物の言い方になっている。
「はい」
「努力もしないで、譲られるのを待っている権力に何の意味もない。そして、楽に手に入れた権力は、権力を持った者を蝕み、周りに浸食する」
「・・・」
イーリスは、おっさんの言っている内容が痛いほど理解ができてしまった。普段から感じている内容を、言葉にされた。
そして、納得してしまっている自分に唖然としている。
「心当たりがあるのだろう?」
「・・・。はい。ありすぎます」
イーリスは声を絞りだす。絞りだすしか、表現する方法が思い浮かばなかった。
思い浮かんだ顔を、頭の中から振り落とすように、頭を振る。嫌悪の感情さえ持っている。
「権力は、手に入れた手段を問題にしてはダメだ。手に入れて何をするのか?何をしたのか?が、大事だ。そして、それはその者が、権力を得る前にも、片鱗を見ることができる」
「片鱗?」
イーリスとしては、権力を持って変わってしまったと”思いたかった”。
「例えば、食事をするときに、ホストなのに客よりも先に飲み始める。ゲストの時に、ホストの話を聞かない」
「あっ」
「簡単に言えば、その場、その場での関係があるよな?それを、自分の力だと勘違いをするのは、権力を手に入れても同じことを行う」
「・・・。そうですね」
イーリスは、自分の考えが、思いが、おっさんに見抜かれているのではないかと恐れ始めた。
表情を消して、おっさんの言葉に耳を傾けようとしている。
表情を読まれなければ・・・。
「なぁイーリス」
おっさんは、イーリスの表情から、覚悟を決めた者たちが持つ特有の匂いを感じ取った。
昔、遠い昔に、親友と呼べる人物が同じ表情をしていた。そして、親友は自分の信じる”正義”を遂行した。
「なんでしょう?」
「別に、隠し事はいいよ。俺にも、カリンにも隠している事はある」
「・・・。はい」
「自分の心を殺してまで隠す必要があるのか?」
「え?」
「何を考えているのか解らないけど、自分をうまく騙せないのなら、隠さないほうがいいぞ?心が壊れてしまうぞ」
「まー様。しかし、これは・・・。私の、私たちの・・・」
イーリスは、窓から外を見る。
「まー様。少しだけ遠回りしますが、よろしいですか?」
「あぁ」
イーリスは、おっさんからの許可を貰って、御者にルートの変更を告げる。
奥まった所にある屋敷に到着した。
馬車から降りて、代官が居る屋敷に入っていく、通された部屋で待つことになった。
おっさんは、待っている部屋で代官とは関係がないことを考えていた。
「なぁイーリス。為政者は、なんで奥まった場所に居住を作る?」
この代官の屋敷は、奥まった場所に作られている。
領主の館は、元々は門に近い場所に作られていたのだが、今の代官になってから、場所を奥に移動させたいきさつがある。
「え?攻められた時に、指揮を取るため・・・。と、いう言い訳をするためでは?」
イーリスの言い方も、おっさんに毒され始めている。
本人は、気が付いていないが、以前のイーリスを知る者が聞いたら、驚くのは間違いない。
「それなら、奥まった場所ではなく、中央に作らないか?」
「え?あっ・・・。臆病だから?」
「臆病?確かに、臆病だろうけど、権力者たちは臆病だと認めないだろう?」
「はい。もちろんです」
「やつらは、何を恐れる?」
「え?権力を奪われるのを恐れるのでは?」
「違うな」
「え?」
「既得権益を奪われるのを恐れる。その中に、権力があるかもしれないが、権益が守られるのなら権力を手放すだろう」
「・・・。まー様。それが、居住の位置と何が?」
「奴らは、臆病で、権益を守ることが大事だと考える」
「えぇ」
「奥まった場所にあるのは、自分が得た物を他人に渡したくないからだろう。持っている物が知られなければ、奪われる心配が減る」
「そうですね。でも・・・」
「奪われるのは怖いが、臆病者と呼ばれるのは、許せない。だから、奥まった場所で理由を付けて、自らを大きく見せているのだろう」
「そうですね。それなら、辺境伯が屋敷を中央よりも、門の近くに作っている理由がわかります」
現在の領都は、代官になってから変わってしまっている。街並みには変化はないが、雰囲気や領都に関わる公共施設が変わってしまっている。
屋敷の位置が変えられたのも一つだが、元々の領主の屋敷はそのままで残されている。イーリスが最初に、滞在を希望した場所が、旧領主の屋敷だが、代官によって却下された。準備が整っていないという理由だ。護衛の準備ができていないのが、大きな理由だと告げられていた。
「そうだな。あとは、兵の配置でも、為政者の素性がわかるぞ」
「え?」
「王都では、屯所はどこにある?」
「・・・。貴族街とスラムの近くに一つ・・・。あとは、王城の周りです」
「それから読み取れるのは?」
おっさんは、挑戦的な目つきで、イーリスを見つめる。
イーリスも、おっさんに試されているのだと解っているが、おっさんからの質問にどうやって返すべきなのか考えていた。
ノック音で、イーリスの思考が打ち切られてしまった。
「はい」
「ダントン様の準備ができました」
「わかりました」
扉が開けられて、メイド服の女性が頭を下げているのが解る。
おっさんは、少しだけ不快な表情をメイドに向ける。
「案内をお願いします」
イーリスが切り出したので、おっさんは黙って案内に従う事にした。
おっさんの中で、代官のダントンに対する好意がマイナス方向に作用した瞬間だ。元々、マイナス方向に傾いていたのだが確定した。
メイドを先頭にして、イーリスが次に続いて、おっさんがその後ろに着いて行く。武器は、屋敷に入る時に、預けているが、スキルが存在する世界では、意味がない。おっさんは、スキルが利用できる状況なのは確認している。
「こちらです」
「ありがとう」
イーリスが礼を口にするが、おっさんは何も言わない。従者のフリをしている。
「ダントン様。お客様を、お連れいたしました」
「入ってもらってください」
扉が開けられて、メイドが恭しく頭を下げる。扉を押さえる。部屋の中には入らない。
イーリスが最初に部屋に入って、おっさんが後に続く。
「ようこそ」
仰々しく腕を広げて歓迎を示す男が、領都の代官を勤めている男だ。
「突然の訪問で失礼しました。ダントン殿」
「いえいえ。本来なら、お出迎えしなければならないのは、私です。イーリス殿下。どうぞ、飲み物は、ワインでよろしいでしょうか?それとも、酒精は強いのですが、王都で流行っている。蒸留酒も取り寄せています」
「いえ、いりません」
イーリスが断りの言葉を口にすると、嫌らしい笑顔で何かを言い出しそうになった。
「ダントン殿」
「なんだ貴様は、従者風情が口を挟むな!イーリス殿下。このような者を側においては、殿下としての品格に影響します。従者を変えられるか、教育されたほうがいいでしょう。儂に、預けていただければ、従者として仕上げて見せます」
ダントンはおっさんを見ながらニタニタしている。自分の都合がいい従者をイーリスにあてがうことができれば、自分の権力が強化されると本気で思っているのだろう。
おっさんは、ダントンの言葉を受けて、イーリスが座ろうとしているソファーに先に腰を降ろす。
「それは失礼しました。勇者召喚で呼び出された者です。俺と貴殿ではどちらが国として重要なのか、じっくりとご教授を願いたいです。どうやら、俺が王都に居るときに、辺境伯やイーリスから聞いた話と、貴殿の常識が違うようなので、認識を合わせた方がよさそうだ。辺境には辺境の考え方があるのだろう。あまりにも常識が違いすぎる」
おっさんは、一気に言い切ってから、持ってきていた蒸留酒の蓋を外して、喉に流し込む。
そして、ダントンを正面からしっかりと見つめる。
「・・・」
「ダントン殿。座ったらどうだ?俺に、いろいろと教えてくれるのだろう?イーリスも、立っていないで座ったらどうだ?」
ソファーに座るようにいうが、ダントンはどうしていいのかオロオロし始める。
権力を使おうとする者は、権力に弱い。ダントンは、辺境伯の後ろ盾が自分にはあると思っている。イーリスの権力基盤は、辺境伯だけだ。そのために、イーリスが訪ねてきたのは、辺境伯のご機嫌取りだと考えていた。
その場で、イーリスが連れていた従者がミスを犯したのだ。もしかしたら、イーリスが手に入る可能性を想像して、饒舌になってしまった。
しかし、その相手が自分の権力を上回っているだけではなく、上司が頭を下げて従うべき者だ。
イーリスだけだと報告を受けていた訪問者が、イーリスよりも上位の人間がいるとは考えていなかった。イーリスたちも、代官への面談を、イーリスと客人の挨拶だとだけ伝えてあった。
イーリスは、おっさんの顔を見てから、しばらくは終わらないだろうと思った。実際に、おっさんは臨戦態勢を整えている。武器やスキルではなく、言葉の刃を磨いている。イーリスは、長くなりそうだと考えながら、おっさんの横に腰を降ろした。
対照的なのは、ダントンだ。
目まぐるしく、頭の中で”保身”の考えを巡らせるが、答えが見つからない。
おっさんとイーリスを交互に見ながら、どうしたら切り抜けられるのか考えている。
「いい加減に座ったらどうだ?俺やイーリスが、貴殿をいじめているように見えるだろう?」
おっさんは、持ってきている蒸留酒をまた喉に流し込む。
実際には、酒精はかなり強いのだが、おっさんには毒素を分解するスキルがある。パッシブではないが、かなり鍛えられていて、意識して緩めないと酔えない。今は、例えスピリタスを一気飲みしても、おっさんは酔う事はない。もったいないので、普段は意識して”酔う”ようにしている。
「まー様?」
「あぁイーリス。さっきの答えだけどな?」
「え?」
イーリスの目には、その話を”今”する意味があるのですか?と、おっさんに聞いているが、おっさんは、気にしないで話を続ける。
「兵が常にいる場所から、その領地の特徴が解るという話だ」
「はぁ・・・。部屋で待っている時の話ですか?」
「そうだ」
おっさんのイーリスの前で立ち尽くしているダントンは、なんの話が始まっているのか解らないで、また固まってしまった。
「イーリス。領都に来た事は?」
「前に何度か?」
「フォミル殿が居た時か?」
「そうです」
「その時に、兵が居た場所を覚えているか?」
「え?うーん。屋敷の近くには、数名ですが、門の近くに配置されていたと記憶しています。あと、街の中央広場近くです」
「今は?」
おっさんは、そういうと、立ち尽くしているダストンに目を向ける。
自然と、イーリスもダントンを見る形になってしまう。
二人に見られた、ダントンは言い訳を考えるのに必死で、二人の話は聞いていなかった。
ダストンは、おっさんとイーリスに見られていることにも気が付かないで、自分の保身を考えるのに必死になっていた。
ダストンは、おっさんとカリンを匿う以外にも、辺境伯から指示を受けていた。
指示の実現の為にも、おっさんとカリンとは友好関係を結ばなくてはならなかった。先ぶれを受けて、息子が居ないことに、安堵していたが自分が大きなミスをしてしまった。友好関係を結ぶのが最低条件であった人物に不快な思いをさせてしまった。
「え?」
やっと二人の視線に気が付いて、自分が話しかけられていることに気が付いたのだが、二人の話を聞いていなかったために、状況が把握できない。
「ふぅ・・・。まずは、ダストン殿。座ってくれないか?」
「まー様?」「あぁイーリス。ここは、私に任せてもらえないか?」
おっさんの申し出に、イーリスは軽く頭を下げて、了承の意思をつたえる。立ち尽くしているダストンを椅子に座るように誘導する。
おっさんは、ダストンがイーリスの前に座ろうとするのを見て、自分の前に座るように目で訴える。
話を聞いていなかったダストンだが、辺境伯領の領都の代官を任される程の人物だ。おっさんとイーリスでは、どちらが主導権を握っていて、どちらのほうが与しやすいのかは判断できる。なので、権力を持つイーリスの前に座って、話の主導権からおっさんを外そうとしたが、目論みは簡単に潰えた。
ダストンが、諦めの表情で、おっさんの前に座る。
おっさんは、椅子に浅く腰掛けるダストンを見て、苦笑を向ける。
自分が、笑われているのがわかるが、何が行われるのか解らないために、ダストンは対応が取れない。
「ダストン殿。私の事は、まーさんとでも呼んでくれ、あぁ敬称は不要だ。”さん”が私の国では敬称の一種だ」
「そうなのですか?」
「あぁだが、私以外に”さん”は付けないようにしてくれ、一緒に召喚されたカリンや他の勇者たちには、意味が違ってしまう」
「え?」
ダストンは、何を言っているのか理解ができなかった。
一緒にいるイーリスを見るが、イーリスは何も反応しない。
反応をしないということは、目の前に座るおっさんが言っている事が正しいと思うしかない。
「わかりました。まーさん」
「ありがとう。それで、ダストン殿。ご子息はどちらに?」
おっさんは、最初に行うべき事を考えていた。
相手がミスをした事で、一気に決めてしまおうと思っている。
「え?」
「ご子息がいらっしゃると伺いました。私たちの国では、目上の者が館を訪れた時には、当主と当主の家族が出迎えるのが一般的です。目下のそれも、敵対関係の者の場合には、部屋で待たせておいて、当主だけで面会します。貴殿は、私たちと敵対するつもりなのですか?」
おっさんは、イーリスから、勇者(初代)が残した書物を聞いている。
その中には、日本に関する事も書かれているが、日本の常識に関しては書かれていない。イーリスだけではなく日記を読んでいるカリンから聞き取りをしている。
代官が、”勇者の国”を知っているとは思っていない。実際に、イーリスに確認しても、礼儀作法までは何も書かれていないし、伝わっていない。
「・・・」
「まさか、イーリス殿下と勇者召喚で呼び出された、国を救う勇者の一人である私が訪ねてきたのに、ここに居ないのですか?数日前には、先ぶれも出ていますよね?代官殿は、私たちを軽く見ているのですか?それとも、辺境伯・・・。フォミル殿からの指示ですか?」
ダストンが黙って下を向いて、額の汗を拭っているのを見て、非難の声を浴びせかける。
上司である辺境伯を名前で呼んで面識があることを匂わせるのを忘れない。
全方位で逃げ道を塞ぎにかかる。
ダストンが、ここでカードを見せて欲しいと言い出しても、最初に確認をしていない時点で、いくらでも断る理由ができてしまっている。素直に、自らの非を認めて謝罪を行えば、辺境伯からの指示をダストンが思い描いた形とは違う形にはなるが達成できる可能性がある。
「いえ、そのような事は・・・」
必死に言い訳を考えてしまっているので、おっさんの思惑通りに話し合いが進んでしまっている。
「それならなぜ、私たちが来る事を承知していたのに、ご子息は居ないのですか?なぜ、私を従者と間違えるのですか?」
「それは・・・」
「それは?私たちに何か不満でもあるのですか?」
「いえ、そのような事はございません」
おっさんが少しだけ引いた発言をした事で、ダストンは顔を上げて全面的に否定する。
「ダストン殿。私は、理由を知りたいのです。言い訳を聞きたいわけではないのです」
「それは・・・」
ダストンは、おっさんの横で座っているイーリスを見る。
あの王の血族だとは思えないほどの美しい女性だ。少女から女性に移り変わる時期で、あどけない中には王族として気品を持っている。貴族の中には、王との血縁になるという目論みとは別に、美しい女性としてのイーリスを欲する者も多い。
ダストンがイーリスを見ているのに気が付いて、おっさんもイーリスを見る。
ダストンの中で、起死回生の方法が思い浮かんだ。
勇者召喚で召喚された者たちは、全部で5名。うち3名は王の暮らす都に残っている。辺境伯からの指示でも、”二人を領都から、帝国から距離を置かせるな”と、書かれていた。二人は、無能なフリをしているだけで、王都に残った勇者たちと同等かそれ以上の力を持っている可能性が書かれている。”二人の力を調べて報告しろ”とも書かれていた。
辺境伯領を訪れる二人は、若い男が一人と、イーリスと同じくらいの少女が一人だ。見ない髪色をしている少女だ。勇者信仰が色濃く残る辺境では、黒髪はそれだけでも好奇の対象になる。
「それは?」
「はい。はい。そうです。息子は・・・。私の愚息は、愚かにも」
「愚か?」
「はい。初代勇者様への御恩を忘れて、イーリス殿下だけでも十分に不敬なのに、勇者様にも・・・」
「ほぉ・・・。貴殿が、そうなるように誘導したのではないのか?」
「いえ、そのような事は、私は忠実なる僕です。辺境伯様から任された・・・。そう、任された、この地を・・・」
「わかった。貴殿には二心はないのだな?」
「恐れ多い。私は、初代勇者様への御恩も忘れた事はありません」
「そうか、そこまで聡明な貴殿の息子殿が・・・。イーリスだけではなく、勇者の少女まで手に掛けようとしていたのだな。恐ろしいことだ」
「はい。私の不徳の致すところ。もうしわけありません。申し開きはいたしません。しかし・・・。いえ、だからこそ、イーリス殿下にご面会して、勇者さまたちを安全な場所まで・・・」
「わかった。私を従者と勘違いしたのは、納得した。そして、出迎えがなかったのは、私やイーリスの事を思っての事だったのだな」
「はい。はい。そうです」
「そうか、聡明な貴殿のおかげで、私は友人であるイーリスや仲間である女性を、危険な目に合わせなくて済んだのだな。お礼を言わなければならないな」
「いえ、まーさん。私は、当然のことを実行しただけです。勇者様であるまーさんからお礼を言われるような事はございません」
「そうか・・・。貴殿が、私を従者呼ばわりした件は、貴殿の対応で忘れることにしよう。問題はないよな。イーリス?」
イーリスが頷くのを見て、ダストンは大きく頷いた。
「はい」
「貴殿の息子は、このままでは罪に問われてしまう。私も、それは不本意だ」
「??」
「イーリスや勇者を襲おうと計画を立てていたのだろう?」
「あっ。そうです。はい。私の知らぬ所で、恐ろしい計画を・・・」
「わかっている。聡明な貴殿が、そんな計画を見逃すわけがない。しかし、このままでは勇者を害しようとしていたと思われてしまう。私が大丈夫だと言っても、貴殿まで罰しなければならない。その矛先は、辺境伯まで及ぶかもしれない」
「・・・。は?」
「そこで、ダストン殿。私と勇者は、身分を隠して、鎮守の森で過ごそうと思う。もちろん協力してくれるよな?勇者が訪れなかったのなら、ご子息の罪は貴殿の機転で潰えた。そのうえで、イーリスとの会わないように仕向けたのだ。ご子息には、イーリスが滞在している間は、貴殿の監視下に置いて、私や少女やイーリスに接触しないようにしてくれるのだな」
ダストンは、何がどうなっているのか解らないし、理解ができない方向に進んでいるのだが、自分の破滅を防ぐために、頷くしか方法がないことだけは理解できていた。
ダストンが頷いたのを見て、おっさんは今日一番の笑顔で、立ち上がって、ダストンに手を差し出す。
ダストンは、訳が解らないまま、差し出された手を握ってしまった。
ダストンは、完全に理解する前に、おっさんに言質を与えてしまった。
イーリスの目の前だ。さらに悪い事に、このおっさんはぬかりがない。スマホを使って、言動を記憶している。勇者の使う道具だと説明して、録音している音声の一部を再生して、ダストンに聞かせた。
最終的には、秘書官を呼び寄せて文章を作成する事態になってしまった。
イーリスは、”そこまで”しなくても・・・。と、いう表情を浮かべているが、おっさんはダストンを一切信じていない。信じているのは、”風見鶏”な部分だ。今、この場ではおっさんが一番の権力を握っているので、おっさんに靡いているが、おっさんが居なくなって、辺境伯がくれば辺境伯に靡く。
おっさんの求めているのは、ダストンに求めたのは”風見鶏”の部分だ。
辺境伯にはしっかりと報告はするが、ダストンを辺境から追い出して欲しいとは思っていない。
文章が出来上がってきて、おっさんが確認して、イーリスに渡す。イーリスも確認をして、ダストンに渡す。
ダストンは、止まらない汗を拭きながら、文章を確認してサインをする。
4枚の書類が同じ内容になっていることを確認して、すべてにサインを行う。
一枚を、おっさんが管理する。もう一枚は、ダストンが持つ。もう一枚は、イーリス経由で辺境伯に渡される。そして、最後の一枚は神殿に保管されることになる。
「さて、ダストン殿。有意義な時間だが、時間は有限だ。我々は、急いで準備をしなければならない」
「準備?」
「辺境伯に依頼された事の調査と、この書類を辺境伯に届けなければならない」
「え?依頼された事?」
「あぁダストン殿は、気にしなくていい。俺が個人的に、辺境伯に頼まれたことだ」
「・・・」
ダストンは、おっさんの言葉でさらに不安な気持ちが強くなってしまう。
しかし、今は聞ける雰囲気ではない。そのうえに、自分はすでにやらかしている。
「イーリス。他に、何もなければ、ダストン殿の貴重な時間をこれ以上浪費するのは悪いだろう。宿に向かおう」
「はい」
イーリスは、いい笑顔でおっさんに返事をしている。しかし、本音で言えば、さっさと帰りたいのはイーリス自身だ。ダストンがどんどん追い詰められていく様子は最初の頃は良かったのだが、徐々にダストンが哀れに思えてしまった。
清書されて、サインをされた書類を受け取って、イーリスとおっさんはダストンの部屋から出る。
帰りは、来るときとは違ってしっかりと屋敷の者が案内をしている。ダストンが失脚するかもしれない状況で、自分たちも巻き添えにならないように、最低限のことをしておこうと思っているのだ。
馬車に乗って落ち着いたのか、イーリスはおっさんに聞きたい事があった。
「まー様。あの書類は、ダストン殿を守る役割もありますよね?」
おっさんは、ダストンが気持ちよく書類にサインをするために細工をしていた。
それが、ダストンが辺境伯の忠実な部下であること。命令の解釈を間違えていた。ダストンには、”非がない”ことなどが書かれている。今後は、おっさんと辺境伯に定期的に報告を上げることを設定することで、今回のことは問題にしないと書いていた。
「あぁ気が付いた?」
「はい。ダストン殿が、あの条項を読んで安心していたので、てっきりまー様は削除するのかと思いました」
「イーリス。俺は、ダストン殿を、買っているぞ?」
イーリスは、おっさんのセリフを聞いて、今日一番の驚きの表情を見せる。
「え?どこ?は?」
動揺も激しい。
ダストンが見て居たら落ち込むくらいの動揺だ。
「酷いな。あの”風見鶏”はすごい性能だからな」
「まー様。言っている意味がわかりません」
イーリスは、おっさんの言葉を聞いてはいたが理解ができない。”風見鶏”の説明を聞いても、だから何?と思ってしまうだけだ。
「ダストン殿は、あの場では、俺に従っているように見えた。そして・・・。したたかに、自分を守ろうとしたよな?息子を処断してでも・・・」
「はい。姑息な方法です」
イーリスは嫌悪感を表情に表す。
おっさんは、そんなイーリスに気が付いていても、無視することにした。
「姑息か・・・。まぁいい。イーリス。ダストンは、あっ。ダストン殿は、強い者が居れば、それに靡く」
おっさんは、姑息だとは思わなかった。
自分が助かれば、流れで息子を助けられると計算していると思ったからだ。イーリスとしては、ダストンを処断して新しい代官を派遣すればいいと思っていたのだが、おっさんはダストンを見て”使える”と考えた。
「・・・?」
「ダストン殿は・・・。もういいか、面倒だ。ダストンは、俺への対応を変えた。今までは十分に効果があった”辺境伯”の後ろ盾が、効かない相手に対峙したからだ。ここまではいいよな?」
「はい」
「だから、ダストンは、”俺の言っていることを承諾した”かのように見せた。唯々諾々と従っているように見せている。俺を辺境伯以上だと言っているようにも聞こえるくらいだ」
「はぁ・・。それが、解っていながら、なぜ?」
イーリスは、不思議な気持ちになっている。
「ん?辺境伯が、いつまでも俺の俺たちの味方だという保証がないし、辺境伯が政変で勝ち残れる保証もない。でも、俺たちには、それを知る手段が乏しい」
「え?辺境伯?」
おっさんは、辺境伯が自分たちを見捨てる可能性を考えていた。宰相なら、どこかで、綻びが見える可能性があるが、有能でおっさんのことを知っている辺境伯だと、おっさんやカリンやイーリスに知られないで、誰かに高く売り払う可能性がある。最終的な、暴力の時点で気が付けば、抗う方法はあるが、暴力を使う暇がなければ、気配を察知しなければならない。道中に、カリンがスキルを発動してしまっているだけに、おっさんは友好的な搾取を辺境伯が行う危険性を考えていた。
「そうだ。ダストンが、俺たちに手を出してこなければ、まだ辺境伯は俺たちの味方である可能性が高い。そして、ダストンが逃げ出さなければ、辺境伯は力を持っていると考えてもいいだろう」
イーリスには、解りやすく”味方”という言葉を使ったが、味方でも潜在的に”利用する立場”の味方も存在する。おっさんとカリンの力は、”利用”を考えた時に、政争に使うのが最初に思いつく。辺境伯には協力はするが、”政変”に巻き込まれたいわけではない。
おっさんは、ダストンを”風見鶏”に使おうと思っている。
自分たちへの悪意で恐ろしいのは、辺境伯が、おっさんとカリンを利用しようと考えた時だ。懐柔にしろ、誘惑にしろ、方法は多種多様だ。全部に対応するのは、現実的に不可能だ。辺境伯を監視しなければならない。
辺境伯の監視は、物理的にも精神的にも不可能だ。物理的には、距離の問題もある。それこそ、おっさんが辺境伯の腹心にでもならなければ無理だ。それは、辺境伯がおっさんを利用することに直結する。利用を防ごうと思って、利用される場所に身を置いたら意味がない。
そこで、辺境伯を監視する別の者を用意したかった。
最初は、イーリスを考えていたのだが、イーリスでは素直すぎる。監視するのにも気を使ってしまう。
「あっ・・・。だから、ダストン殿を・・・。見張る意味で、あの条項なのですね。不思議だったのです。なぜ、ダストン殿の秘書官を定期的にギルド経由で報告をさせるのかと・・・」
「ダストンが直接だと、ダストンが嫌がるだろう?ギルド経由なら、ダストンは面倒だと思いながらも、連絡を切らない」
ダストンは、知らない間におっさんの手駒に加えられている。
知らない状態で、辺境伯を監視する役割をかせられている。おっさんは、この事をイーリスに告げることで、イーリスの心にも楔を打ち込んでいる。楔が必要だとは思っていなかったが・・・。
カリンのためにも、イーリスにはこのままで居て欲しいと思っていた。
哀れなダストンは、おっさんが口にした「辺境伯からの依頼」を気にして、おっさんたちの動向を調べるように部下に指示をだした。
これもおっさんの手口だ。おっさんは、笑いが止まらない状況になっている。
カリンは、おっさんとイーリスが代官に会いに行く時に、最初は自分も一緒に行くと言っていたが、イーリスから代官の為人を聞いて、考えを改めた。一緒に言って、言質を取られるのはよくないと、言い訳を伝えた。
実際には、話を聞いただけで面倒な人とは関わりたくない。せっかく、元同級生たちとも離れることができたのに、自分からおっさん以外の面倒な人とかかわりを持ちたいとは思えなかった。
カリンは、バステトと一緒に宿?で待っていることになった。イーリス付きの護衛は居るのだが、元々は辺境伯の部下だ。その辺境伯からの命令で、イーリスを護衛しているのだ。
イーリスを護衛している時には、辺境伯から命令もあるので、従っている。
しかし、イーリスと分かれて、イーリスと辺境伯の客人の護衛となると、手を抜いているわけではないが、内側への警戒が緩くなってしまう。そして、辺境伯領の領都に到着している状態では、気を抜くなというのが難しい。
簡単にいうと・・・。
「バステトさん。成功しましたね」
”にゃ”
カリンは、護衛たちは自分が抜け出すと考えていない事や、領都について警戒が緩んでいたのを察知して、宿?から抜け出した。
王都では、勇者(笑)との関係もあり、散策は難しいと理解していたが、辺境伯領の領都で、髪色を変更している上に、偽装された身分証明書を持っている。
”抜け出さない”という選択肢は初めから無かった。
おっさんとイーリスが代官に会いに行くと言って離れた。
護衛たちも各々の持ち場に移動した。
カリンは、護衛の気が緩んでいるのを察知して、バステトにスキルを使用してもらって抜け出したのだ。
カリンが、バステトのスキルを知っているのには、深くも浅くもない理由がある。
おっさんから、バステトのギルドカードを預かっている。おっさんが、目立った方が良いだろうと、使えるスキルの一部を公開にしてあった。そして、馬車での移動中にカリンの訓練をバステトが見守っていた。カリンが一人になると、バステトはスキルを使って見せていた。そのために、カリンはおっさんよりも、バステトのスキルを知っている。
姿を認識されにくくするスキルをバステトが使った。
護衛が気を張っている状況では、バステトのスキルが強力でも、気が付かれてしまう可能性が高いのだが、気を抜いている状況なら、バステトとカリンなら・・・。
結果、宿?から抜け出すことに成功した。
「ふふ」
バステトは、上機嫌にスキップを刻みそうなカリンを不思議そうに見上げている。気持ちが悪いくらいに、カリンは上機嫌だ。イーリスやおっさんと一緒に居るのは、苦ではない。一人で居るのも苦ではない。部屋に1週間以上、閉じ込められていても苦にはならないが、新しい場所を散策してみたい気持ちは持っていた。
自分が置かれている状況の把握は出来ているが、それでも、散策をしてみたい気持ちは芽生えていた。
「バステトさん!早く!早く」
”ふにゃ・・・”
バステトとしては、おっさんにカリンを任せると言われているので、付いているが、カリンは”共犯者”と考えている。
カリンにも言い分はある。
おっさんは、夜な夜な飲み歩いている。それには、不満はない。自分も連れて行って欲しいとは思うけど・・・。カリンは、イーリスの翻訳を手伝って給金を貰っていた。それが溜まるだけで使う場面にならないのが不満だったのだ。
そして、溜まったお金は使わないと経済が回らないと、自分に言い聞かせて、今回の脱走劇を企てたのだ。
さすがは、辺境伯の領都だけあって、他の街と比べたら治安はいい。しかし、日本の治安を期待してはダメだ。カリンも、その程度の認識は持っている。抜け出してきた手前・・・。治安が悪い場所に行って、怪我したり、捕まったり、街を破壊したら”怒られる”と思っている。
そんなカリンは、表通りや商店が立ち並ぶ場所を散策している。
「バステトさん!あれ!」
”にゃ”
しょうがないなという表情で、カリンが示した方向を見つめる。
そこには、なんの肉なのか解らないが、串焼きが売られている。
カリンは、欲望に従って、3本の串焼きを購入する。一本は、バステトの分で、自分が2本だ。
カリンとバステトは、屋台を周りながら買い食いを楽しんだ。
”にゃ!”
「うん。大丈夫。解っているよ」
定番で、お決まりで、テンプレートなイベントのフラグが立った。
買い食いしているカリンとバステトを監視している者たちがいる。護衛ではないのは、雰囲気で感じ取っている。
カリンとしては判断に迷っていた。護衛の可能性や、辺境伯の関係者である可能性が存在していた。
しかし、買い食いを始めてから、バステトは周りを気にしていた。鳴かなくなって、カリンから離れなくなっていた。それが、カリンが気にし始めて、鳴いたので、カリンも確信に至った。
「(次の角を曲がったらダッシュ。追ってきたら、反転して突っ込む。バステトさんはスモークをお願い)」
肩に乗ってきたバステトにカリンが作戦を伝える。
本来ならこんな好戦的な手段は使わないのだが、買い食いだけではなく、散策を邪魔されて、気分が悪くなっている。それだけではなく、尾行者たちからの視線が気持ち悪いのだ。
「バステトさん!」
カリンが叫ぶと、バステトは解っていたかのように、一つのスキルを発動する。
おっさんが、バステトに教えていた簡単なスキルだ。
「!!」
カリンが逃げ出したと思って、急いで角を曲がってきた5人の男たちは、角を曲がった先が煙で覆われているとは考えていなかった。大声で叫びながら、煙の中に入っていく、男たちはカリンがスキルを利用して煙を出したと考えた。そして、煙を目隠しにして逃げるつもりだと考えている。そのうえで、スキルを使った煙なら短時間で消えるはずだと考えたのだ。
男たちが予想していた通りに、カリンは煙を使って逃げる事を考えていた。
方向が、男たちが考えている方向ではない。遠ざかるのではなく、近づく方向に逃げる。
煙で視界を塞がれた男たちは、闇雲に突っ込んでくる。さすがに、剣を抜いた者はいない。
カリンが反転して来るとは考えていないために、まっすぐに走ればいいと考えていた。
そして、それは最悪な選択だった。
5分後。
路地には、5人の男性が転がっていた。
足を切られたり、腕を切られたり、顔に動物の爪痕が残されたり、傷はいろいろだが、皆が股間を殴打された状態で悶絶していた。
この男たちは、警備隊に賄賂を送って、このあたりで悪さを繰り返していた者たちで、悶絶している所を警備隊に保護された。女の子一人にやられたと言えずに、なんでも無かったと処理されることになった。
カリンは、無事に逃げおおせてからは、商店を見て回った。
買い物も楽しいが、ウインドウなショッピングも楽しい。初めて見る物ばかりで、カリンは満足して宿?に向かおうとして、一つの可能性をたどり着いた。
周りの雰囲気を見れば太陽が傾いている。
護衛も、自分が宿?に居ないことに気が付いている。しかし、探しに来ている様子は見られない。
「バステトさん?」
”にゃ?”
カリンは、自分がたどり着いた可能性をバステトにぶつける。
「もしかして、まーさんは代官との話を終わらせて、宿に戻ってきた?」
”にゃ!”
バステトは、当然だとうなずいて、何をカリンが焦っているのかわからない雰囲気を出す。
「そうだよね。それで、護衛が探しに来ていないってことは・・・」
”にゃにゃぁ”
「怒られる・・・。よね?」
バステトは、やっとカリンが何を心配しているのかわかって、うなずくが怒られるとは思っていない。ただ、何も言わなかったのが問題だったと感じている。実際に、恐る恐る宿?に戻ったカリンを待っていたおっさんの表情はいつもと同じだ。イーリスがどこか安堵した表情を浮かべているのは、心配していたからだ。おっさんが心配していなかったのは、バステトからも何も言ってこなかったことなどの理由があり、心配はしていたが、大丈夫だろうと考えていた。
「カリン。おかえり。夕ご飯は?」
にこやかなおっさんの表情が、カリンには怖かった。
おっさんとイーリスが、代官の屋敷から出て、宿に向かっている。
「まー様?」
「ん?どうした?対ダストンは、納得したよな?」
「はい。辺境伯様が裏切るとか、非現実的な点を除けば、納得できる内容でした」
「非現実的か・・・。まぁいいよ。それで?」
「まー様は、これから、どうされるのですか?」
イーリスの質問を、おっさんは当然だと受け止めている。イーリスは、帝国の人間だ。今の体制には不満もあるだろうし、問題だという考えは持っていても、権力側の人間で、辺境伯という協力者を持っている。そんなイーリスが恐れるのは、おっさんとカリンが敵側に寝返ることだ。これは、現状では考えにくいために、考えからは除外している。しかし、おっさんとカリンが”帝国”の敵になる可能性は除外できていない。
イーリスの考えでは、日本という物質的に豊かな場所から、誘拐されてきた”おっさんとカリン”が帝国に従う必要はないと思えている。そのうえで、帝国に対して含むところがあっても、当然だと考えている。
この考えは、カリンと一緒に”初代”の日記を訳している時に強く感じた。イーリスは、カリンが言ったセリフを忘れられないでいた。
---
「へぇ初代も同じ・・・」
「え?」
「ん?何でもない。次は、ね」
---
二人で作業をしてい時に、カリンが訳した文章だ。そして、初代の日記にでは、召喚を”誘拐”と表現している部分が存在している。
その後に、他国の女性を娶るまで、召喚を恨んでいる言葉が日記にも書かれていた。表現こそ違うが、”初代も同じ”と言ったカリンの表情は、”誘拐”と考えたのが”同じ”だと物語っていた。
カリンも、イーリスからの問いかけに慌てて、話題を変えていたから、イーリスや辺境伯に悪い感情は持っていないだろう。しかし、それが”帝国”という組織になった時には・・・。イーリスが感じているのは、”帰属意識”は皆無だということだ。今は、イーリスや辺境伯という”味方”になってくれている人が居る。そのうえで、信頼を寄せ始めている---もしかしたら、違う感情も---おっさんが、イーリスと辺境伯に敬意を示しているから、カリンも従っている。
どちらが先なのか解らないけど、イーリスはカリンを繋ぎとめるには、おっさんを繋ぎとめる必要があると考えている。
それこそ、自分がおっさんに嫁いでもいいとさえも思っている。そして、カリンと一緒におっさんを支えればいいと考えているのだが、それが大きな間違いであると、初代の日記に”とある”記述を発見するまで、気が付かなかった。
「これからか・・・。まずは、カリンと合流かな?」
「え?宿に行けば、カリン様との合流は叶いますよね?」
「イーリス。本当に、そう思うか?」
「え?はい」
「それじゃ賭けるか?俺は、カリンは、宿を抜け出していると思うぞ。そうだな。バステトさんを連れて、街の散策をしているだろう。言い訳としては、俺が王都でやっていたから、辺境伯の領都なら安全だと思った。かな?」
「え?そんな、護衛も・・・」
「護衛かぁ・・・。そうだな。イーリス。辺境伯から、護衛に出された命令は?」
「私たちを領都に届ける事と、領都での護衛ですよね?」
「そうだな。間違いではないが、正確じゃないな」
「??」
「イーリス。まぁ命令書は、手元にないだろうけど、辺境伯が護衛に命令する時に一緒に居たよな?」
「はい。護衛との顔つなぎもありますし、まー様もカリン様も同席されました」
「そうだ。そこで、辺境伯は”イーリスを”護衛して領都に向かえ、領都に到着後は”イーリスの命”に従え。と、命令した」
「はい。だから・・・。え?」
「護衛は、イーリスを領都に届けて、次の命令が出されていないと判断した。カリンは、イーリスのおまけ程度に思っているだろうね」
「あっ・・・。でも」
「イーリス。命令で動く者は、命令以上の動きはしない。間違えてはいけない。彼等は、金銭で繋がった関係だ。金銭は命令に繋がる。従って、命令以上のことはしない。してはダメだ」
「そんな・・・」
「そうだな。彼等は、移動中にカリンの護衛をしてくれた」
「はい。そうです」
「そうだな。でも、それは、イーリスから”お願い”されたことや、領都までイーリスの不興を買いたくないからで、カリンを護衛するのが目的ではない」
イーリスは、おっさんの言葉を否定できなくなってしまった。
これは、おっさんとイーリスの価値観の違いではなく、経験の違いだ。常に人を使う立場の人間には、解らない事だ。
イーリスとおっさんを乗せた馬車は、答え合わせをするかのように、宿屋に到着した。
馬車から宿屋に先ぶれが走っているので、到着と同時に護衛が宿の外に出てきて、馬車の御者を引き継いだ。
有能な、確かに、有能な”護衛”だ。
だからこそ、おっさんは確信していた。カリンが抜け出しても、何も思わない。調べても居ない。
イーリスは、護衛たちが揃っているのに、おっさんの”勝ち”を確信した。
「はぁ・・・。まー様の言っていた通りですね」
「そうだな。あとは、カリンがおとなしく部屋に居てくれる事を祈ろう」
おっさんとカリンのセリフを聞いても、護衛たちは何を言っているのか理解ができない。と、いう表情をしている。
「イーリスは、辺境伯への報告があるのだろう?」
おっさんのブラフだけど、イーリスは突然、これからの行動をあてられて、動揺してしまった。しかし、一瞬だけ表情を崩しただけなので、おっさんには知られていないと考えた。
「え?あっ。報告は、ないのですが、疲れたので休ませてもらいます」
知られても困らないのだが、イーリスはなんとなくごまかしてしまった。
ごまかした事で、おっさんの考えが正しいと認めてしまった。
「あぁ俺は、カリンを待つよ」
「そうですか、わかりました。それでは、まー様。食事までに、カリン様が帰られましたら、ご一緒いたしましょう」
「わかった」
おっさんは、店主に声をかけて、外が見える場所で、待機していても邪魔にならない場所を教えてもらった。
辺境伯は、宿を数日前から借り切っていた。店主は、おっさんを通りに面した部屋に案内した。
おっさんは、宿泊する部屋も、この部屋にして欲しいと店主に頼んだ。
それから、日が傾く寸前まで、おっさんは部屋で通りを見ながら待っていた。
日が傾く時間になって、さすがに心配になってきた。
宿の中に、カリンが居ないのは、すぐにイーリスが確認して、おっさんに報告してきた。そして、護衛たちが、おっさんの推測通りにカリンは護衛対象外だと思っていたことなどが告げられた。
おっさんは、解っていたことだし、カリンも感じていただろうと告げるに留めて、イーリスに、護衛たちを責めるようなことを絶対にしないように伝えた。イーリスから責められると、護衛たちが”イーリスの命令”を深く考えるようになってしまうためだ。今後のことを考えると、護衛は命令に準じて動く駒の方がありがたい。
自律的に動く部下というのは、最高の部下だと言っているビジネス書があるが、組織によっては、それは最悪な部下になる。おっさんは、いろいろな組織との付き合いがあり、いろいろな”部下”と接してきている。自律的に動くことで、組織が崩壊した事象にも立ち会っている。だからこそ、予測ができる”部下”はありがたいと考えている。
カリンが、宿に戻ってきたのは、食事の時間ギリギリだ。
おっさんは、カリンの姿を見たわけではなく、パステトの気配を感じて、カリンが帰ってきたと察した。
そして、宿の入口に移動して、にこやかな表情でカリンを出迎えた。
おっさんの表情は、営業にでる時の笑顔だ。
カリンには、怒っているのに必死に表情を笑顔にしている人に見えた。
おっさんは、怒っているわけではない。心配していたのを、カリンに知られないようにしたくて、無理な笑顔を作って出迎えた。
カリンを出迎えたおっさんは、カリンに”おかえり”と伝えて、背中を見せる。カリンは、おっさんの背中を呆然と見つめている。
カリンは、怒られると思っていたので、神妙は面持ちで居たのだが、一言だけで終わってしまって、余計に怖くなってしまった。カリンが抱えていた、バステトは、カリンの腕から飛び出て、おっさんの肩に駆け上がっている。おっさんは、バステトの頭をなでながら、後ろを振り返る。
「そういえば、カリンは、夕飯は食べてきたのか?」
普段通りの声色で、おっさんがカリンに話しかける。
これなら、怒られたほうがまだましだと思えてくるから不思議だ。
カリンは、おっさんの心理を測りかねている。
それでも、バステトがカリンを見て居るので大丈夫だと考えている。
「え?食べてない」
素直に、食べていないと告げる。
嘘を言ってもしょうがない。それに、実際に食べていないので、お腹が減ってきている。
「そうか、バステトさんも?」
おっさんは、肩に上がってきているバステトにも話しかける。
”にゃ!”
食べていないと返事をするバステトもバステトだけど、おっさんもかなりの人物だ。しっかりと、バステトと会話が成立している。カリンは、二人のやり取りを何度も見てきているが、会話が成立している状況を不思議だとは感じていない。
「それでは、夕ご飯にしましょう。何があったのか、話してくれますよね?」
普段通りの口調だけど、カリンには少しだけわざと丁寧に話しているように聞こえてしまっている。実際に、おっさんはカリンが無事だったので、安堵の気持ちを隠すために、普段以上に丁寧な口調になってしまっている。
おっさんは、カリンに笑顔を向けて、食堂に向かう。
その席で、話を聞かせてほしいとカリンに投げかけた。
「・・・。うん」
カリンは、”怒られる”ことを恐れているが、本人でも気がつかない深層で、おっさんに”呆れられる”のを恐れている。
「まー様。カリン様」
食堂に入ると、イーリスがすでに着席して待っていた。先に食事を行っても良いとおっさんは告げていたのだが、イーリスはカリンが帰ってくるのを待っていた。
「イーリス。ごめん」
待っていたイーリスにカリンは素直に頭を下げて、謝罪した。
「いえ、私が、謝罪しなければならないのです。カリン様。謝罪させてください」
「え?なんで?なに?」
カリンは、軽いパニック状態になってしまっている。
抜け出したのは自分で、自分が悪いのだ。もっと早く帰ってくるつもりだったのだが、楽しくて、時間が過ぎてしまっていた。
カリンは、おっさんに救いを求めた。
視線で”助けて”と伝える。おっさんは、カリンの視線に気がついて苦笑を返す。
「カリン。素直に、受け取っておけ。イーリス。いきなりではわからないぞ、後で俺からカリンには説明する。それでいいよな?」
イーリスもカリンも、おっさんの折衷案を受け入れた。
カリンは、イーリスの謝罪を受け入れた。理由は、後で教えてもらえるのだとわかって、少しだけ気持ちが軽くなっている。おっさんの声色も、怒っているわけでも、呆れているわけでも、嫌われているわけでもないとわかって、カリンは気持ちが楽になった。
食堂に用意された席に座ると、食事が運ばれてきた。
イーリスは別の仕事があると断りを入れて、食事を自室に運ばせる。
おっさんとカリンの前に食事が運ばれてくる。
「食べながら、何があったのか教えてくれ」
「あっうん」
カリンは、正直に、宿についてからの話した。カリンは、冒険だと思っているので、少しだけ話が大げさになってしまっている。
おっさんは食事をしながら黙って聞いていた。
「大丈夫だったのか?」
「うん。怪我は無いし、私だって知られていない」
「そうか、アンダーカバーとしては、十分だな」
「え?」
「少しだけ早いけど、辺境伯領を出ることを考えるか?」
「え?」
「ん?カリンが、残りたいのならかまわないぞ?俺は、帝国と王国の間にある森に住もうと思っている」
「え?危ないって話だよね?」
「そうだな。いろいろ調べたけど、人が住むには適さないようだ」
「それは・・・」
「馬車での移動中も、王都でも”生活魔法”しか使っていないから忘れられているだろうけど、俺のスキルを使えば、結界も作れるからな」
「・・・。あっ!」
カリンは、一つのスキルを思い出した。
実際に、おっさんは”生活魔法”を使っていたのだが、おっさんは”生活魔法”を使っていない。イーリスに見せてもらった”クリーン”の魔法を使っていた。火種も、護衛が使っていた魔法を”模倣”していた。
おっさんは、スキルを発動するときに、自分が発動できるスキルでも、わざわざ模倣したスキルを使っていたのだ。
そうして、模倣スキルを鍛えていた。王都で遊び歩いていたのも、模倣するスキルを盗み見るためだ。魔道具を作るための技術も盗んでいる。
最終的に、持っていたビー玉にスキルを付与して、魔道具の核として使えることを発見していた。
「結界を発動させて、魔物よけのスキルを付与した魔道具を使えば大丈夫だ」
「でも」
「強度は、バステトさんに協力してもらって確認している。カリンの魔法を100発打ち込んでも結界は破られない」
実際には、そんな強度テストはしていない。
おっさんが行ったのは、バステトに全力のスキルを打ち込んでもらっただけだ。それから、並列でバステトが可能な数だけ打ち込んで、結界が破壊されるのかを確認した。バステトの全力を弾き返したことで、大丈夫だと判断した。
時間も1週間は持つことも確認している。
「うそ?」
「実際には、まだテストをしてみないと不明だけど、大丈夫だと思っている。それに、森の中に行くのも、まだ時間が必要だ」
カリンは、おっさんがいきなり森の中に拠点を作ると思ったが、おっさんはそんな無謀なことは考えていない。
それに、アンダーカバーがしっかりとできない状況で動けば、辺境伯やイーリスが疑いの目を向ける可能性があると考えている。できるだけ、使える駒としての役割を演じながら、フェードアウトしようと考えている。
「そうなの?」
「いきなり、消えたら、辺境伯も不思議に思うだろう?」
おっさんは、まだカリンに向けての言葉は”不思議”を使ったが、”不審”が正しいだろうと考えている。
潜在的には、イーリスと辺境伯は”敵”にもなり得ると考えているのだ。できる限り、”不審”に思われないように、イーリスや辺境伯に勘違いさせる状況を作ろうと考えている。
「え?あっうん」
「だから、辺境伯領のギルドに登録して、ハンターとして、活動して、徐々に拠点を作っていこうと考えている」
おっさんは無能な人間として振る舞いながら、カリンをサポートすることを考えている。
「うん!うん!」
「まずは、辺境伯の領都に拠点を作って、森を挟んで反対側の街にも拠点を作って、最終的に森の中に拠点を作る」
「まーさん。私も協力する!いいよね!ダメって言っても、ダメだよ」
「わかった。わかった。それなら、明日、領都のギルドに登録するぞ」
おっさんは、最初からカリンを巻き込むつもりで計画をねっていた。
カリンが残ると言った場合には、傀儡になる別の人物を探す手間があると思っていたのだ。最悪は、借金奴隷を購入して、活躍させようと考えていた。カリンから協力を申し出てくれて、嬉しい気持ちもあるが、計画が進められるという安堵の気持ちもある。
「うん!転籍だね」
「そうだな。転籍のほうが、辺境伯も安心するだろう。イーリスの視線もある。少しだけ慎重に動いたほうがいいだろう」
「ん?うん!」
”にゃ!”
「もちろん、バステトさんにも協力してもらいますよ」
”にゃにゃ”
任せろとでも言っているように、バステトは胸を張る。
それを見て、カリンが笑い始めて、つられて、おっさんも笑い声を上げる。
その後、カリンに代官との話を聞かせて、イーリスがなぜ謝罪をしたのか、カリンに説明した。
カリンは、イーリスの謝罪の理由を聞いて、それなら自分が悪いと言い出して、イーリスの部屋に謝罪の言葉を告げに行った。
おっさんは、宿の主にお願いして、渡して冷やしてもらっていたウィスキーを出してもらった。
まだまだ若いウィスキーをストレートで喉に流し込んでから、部屋に戻った。