勇者召喚に巻き込まれたおっさんはウォッシュの魔法(ウィッシュのポーズ付き)しか使えません。


 私は、糸野(いとの)夕花(ゆうか)と日本では名乗っていた。
 異世界に勇者の一人として召喚されて、いろいろあって、名前を変えた。今は、カリンという。私が名乗っている名前だ。

 まーさん(年齢不詳、本名不明)と、大川大地さんと、王城から脱出して、準備を整えて、王都を脱出した。
 今は、辺境伯の領都に向かう馬車の中だ。

 日本に居た時に、馬車に乗ることを考えていなかった。少しだけテンションが上がっている。

 王都から離れるまでは、なるべく休まずに進んでいたが、王都から離れてからは、馬車の速度を落として進むようになった。休憩も頻繁に挟むようになった。

「まーさん。イーリス。少しだけ森に行ってきていい?バステトさんと一緒に行くよ」

「わかった。無理はするなよ」

「うん」

 まーさんは、すぐに許可を出してくれて、バステト(大川大地)さんが近づいてきた。

「バステトさん。お願いします」

”にゃ!”

 本当に不思議だ。
 バステトさんは、私の言っている言葉が解る。それだけではなく、私よりも間違いなく強い。

 今日は、ここで野営すると聞いている。
 まーさんに説明されて、ゆっくり進むメリットを聞いた。確かに、気持ちとしては”安全な場所”に早く逃げたいけど、逃げる場所が分かっている場合には、逆効果になってくる。
 私だけなら、王城から逃げ出せたとして、その後は、難しかっただろう。イーリスに頼んで、隠れて過ごしているのが限界だったと思う。辺境伯と交渉して、領地に逃げ込ませて貰うところまでは、出来たかもしれない。でも、その後・・・。辺境伯領の近くにある。帝国の領地外に逃げ出す所まで交渉できたのだろうか?アイディアは出せるが、交渉して許可を貰えるとは思えない。

 あっバステトさんが、何かを見つけた。
 スライム?

「バステトさん。私が攻撃していい?」

”にゃ!”

 大丈夫なようだ。

「近づかないで、魔法で攻撃するね」

”にゃぁ”

 やはり、魔法での攻撃がいいようだ。
 イーリスに言われて、聖魔法と闇魔法の両方を修練していた。聖魔法は、攻勢魔法は少ないようだけど、まーさんが”使い方”だと教えてくれた。

 聖魔法の攻撃方法は、他の魔法と同じで、聖属性の魔法をぶつける方法だ。そのときに、”形を変えられる”というのがまーさんの考えだ。実際に、やったら出来た。イーリスは驚いていたが、イメージがしっかりすれば、問題はない。攻撃の強さは、込める魔力で変わってくる。

 初めてというわけではないが、バステトさんと二人だけでと言うのは初めてで、自分一人で魔物を倒すのも初めてだ。

 スライムを倒すのに、どの程度の魔力が必要になるのかわからないけど、傷が治るのと同じくらいの魔力を込めた。魔力球を槍のようにして投げてみる。刺さるが、スライムの核までは届かなかった。

 もう少し強くやらないとダメなのかな?
 先程の攻撃の倍位の魔力を込める。

 うーん。スライムは、動かない。
 私の攻撃が効いているのか、効いていないのか、よくわからない。

 動かないのなら、槍を2つにして、連続で攻撃してみる。同じ場所に当たれば、核を攻撃できるはずだ。

 まだダメ。でも、効いている。動かない。スライムだけで、こんなに時間が掛かっていたら、やっぱり、私は回復役なのかな?剣を持って、”戦ってみたい”なんて夢物語なのかな?

 よし、今度は、3つだ。
 バステトさんが、動いた。奥から、色が違うスライムが出てきた。

「大丈夫!バステトさん。奥のも同時に攻撃する!」

”にゃにゃぁ!”

 バステトさんが、私の足元に移動して、座った。
 今の攻撃でいいようだ。槍を一つ、増やして4つの槍を連続で投げる。先に、動いている奥のスライムを狙う。

 え?なんで?
 奥のスライムは、一つの槍が核に当たって核が弾けた。その場で、動きを止めた。

 考えるのは後だ。
 手前のスライムに3つを連続で投げる。最後の槍が、スライムの核に当たって弾けた。

「ふぅ・・・。え?あぁぁ。あっ!ん・・。っく。きゃぁ。あぁぁあぁん。ダメ」

 立っていられなかった。

 お尻を地面に降ろしてしまった。
 おもらしをしなかった自分を褒めたい。少しだけ、本当に少しだけやばかった。

「カリン様!」

 イーリスの声だ。心配して、近くに居てくれたのだろ。護衛の人も一緒だ。

「イーリス。大丈夫。なんか、急に身体を、何かが駆け巡って、驚いただけ・・・。もう、大丈夫」

 立ち上がって、お尻に付いた土を払う。乙女としての矜持は守りきれた。地面を見ても濡れていない。

「大丈夫なら・・・。え?カリン様。戦っていたのは、そのスライムですか?」

「そうですよ?」

「まず、なんでスライムの形が残っているのですか?核が無いので、倒しているとは思うのですが・・・」

 イーリスが何か、ブツブツ言っている。
 護衛の人が近づいてきて、私が倒した二匹のスライムを持ってきてくれた。

「カリン様」

「はい?」

「奥に居たのが、通常のスライムです」

「はぁ」

「そして、手前に居たスライムは、スライムの上位種です。それも、色から考えると、進化を2ー3回はしていると思います」

「はぁ・・・。それは、どういうことですか?」

「とてつもなく強いスライムです。色から、物理耐性や魔法耐性を持っていた可能性があります」

「え?どうりで、魔法が効かなかった・・・」

「それで、お聞きしたいのは、どうやって倒したのですか?これだけ、スライムの形が残るのは、聞いたことがありません」

「えぇと・・・」

「エリオ。その話は、私が聞きます。カリン様のスキルに関係する話です」

「わかりました。もうしわけありません。カリン様」

 護衛の人は、私に頭を下げてから、イーリスからも少しだけ離れた場所に移動した。

「それで、カリン様」

「別に聞かれても困らないのですが、聖魔法を槍状にしてスライムの核を狙って投げただけですよ?」

「・・・」

「カリン様。聖魔法の他には、例えば、火魔法で同じことが出来ますか?」

「属性は、闇だけですが、火ですか?やってみないとわからないです」

「そうですか・・・」

”にゃ!”

 足元で座っていた、バステトさんが私の足を叩いた。バステトさんが見ている方向を見ると、後から出てきたスライムと同じ色のスライムが茂みから出てきた。こちらには向っていないが、核が見えるから、狙える。

「イーリス。あのスライムで試してみますね」

「お願いします」

 火か、生活魔法の着火が”火”だな。
 着火だけで、槍を作るのは無理そうだ。

 聖魔法で槍を作って、周りを燃やしてみる。
 あっ出来た。

【魔術:火を取得しました】

 何か、頭の中に響いた。

 出来た槍を投げると、核が壊れると同時に、スライムが蒸発するように消えてしまった。

「カリン様?」

「あっ出来た。それに、魔術:火を取得したみたい」

「え?そんな・・・。簡単に?」

「うん」

「あっもしかして、カリン様。先程、”身体の中を、何か駆け巡った”と、おっしゃいましたよね?」

「うん。あれは何?」

「一度に沢山の格が上がったのかもしれないです」

「格?」

「はい。初代様は、”レベルアップ”とおっしゃっていました」

「あぁジャイアントキリングになって、大量のレベルアップになったのかな?」

「その”じゃいあんときりんぐ”は初めて聞く言葉ですが、格が上がる時に、力が身体を駆け巡ります。本来なら、少しずつなので気が付かないのですが、本来なら倒せないような魔物を倒した時に、一度に沢山の格が上がるのです」

「そうかぁ・・・。まさに、その状況を経験したのだね。でも、格があがると、何か変わるの?」

「いろいろ言われていますが、少しずつの格の上がりと違って、一度に上がると別のスキルを覚えやすくなるようです。まだ、研究途上で、正しいとは言えないのですが・・・」

「そう・・・。でも、それなら、魔術:火を覚えたのは、格が上がって、スキルを覚えやすい状況になった可能性があるのね」

「はい」

「まだ覚えられるかな?」

「それは、わかりません。1個だけの場合もあれば、複数のスキルを覚えたという報告もあります」

「イーリス。剣を借りてもいい?」

 イーリスが不思議そうな顔をしてから、護衛の剣を貸してくれた。

「カリン様。剣は、護衛が使っている物です。予備がありますから、壊してしまっても問題はありません」

 イーリスが、不思議そうな表情をした意味が解った。
 私が、剣を的にするつもりだと思ったのだろう。

 剣を手に持つ。
 初めて持つけど、少しだけ重いけど、竹刀を持つような感じかな?

 護衛は片手で持っていたけど、両手で持つ。

 意識を集中する。魔法はイメージ。

「カ、カ、カリン様?それは?」

 驚いているイーリスの声が聞こえる。
 ん?あぁ成功した!

「剣に、火を纏ってみた?」

「なぜ疑問形なのですか?でも、本当に、そのような事が出来るのですか?」

「え?出来ない?」

 火を消して、聖の剣にしてみた。意味があるとは思えないけど、”の”を外せば、”聖剣”だなと関係ないことを考えてみた。

「え?あっ今度は、聖ですか?剣に属性を纏わせているのですか?」

「正解。これなら、属性にそった攻撃が出来る」

 剣道の授業で習った構えから、剣を振り抜いてみる。
 少しだけ重く感じる。イーリスに剣を返して、馬車から自分のサイズに調整してもらった、太刀と脇差を持ってくる。最初から、これを持って森に出かければよかった。

 抜刀術なんて習っていないから、剣道の構えを自分流に変えていくしか無い。今は、授業で習った構えから太刀を振り抜いてみる。もう少しレベルが上がれば、片手でも扱えるかもしれない。太刀は、両手で扱って、脇差を二本もってもいいかもしれない。

 馬車に戻って、まーさんに脇差を借りよう。

「まーさん」

「どうした?」

「まーさん。脇差を作っていたよね?」

「あぁそうだ。カリンに、渡すのを忘れていた」

「え?私の脇差?持っているよ?」

「あぁ違う。違う。王都を出たら、武器を使うことになるだろう?」

「うん」

「予備が必要になるだろうと思って、脇差を二振りと太刀を一振り。作ってもらった。銘は打っていないから、カリンが名前を付けてくれ」

「え?いいの?」

「必要になったのだろう?」

 まーさんは、私が持っている脇差を見て、笑いかけてくれた。こういう所が”ずるい”と思ってしまう。大人だとは解っている。でも、姿が若くなっている。多分、20代の前半だと言っても通用する。私の姿は変わっていない。イーリスに勧められて、化粧をすこしだけするようになって、雰囲気は変わったと思うけど、17歳の小娘だ。まーさんは、大人だ。こんな小娘を・・・。

 え?私、今、何を・・・。

「どうした?」

 顔が暑い。きっと動いたからだ。

「え?あっなんでもない。なんでもない。まーさん。ありがとう!」

 まーさんから差し出された脇差と太刀を奪うようにして、馬車から出てしまった。恥ずかしい。あとで、しっかりとお礼を言わないと・・・。

「カリン様?」

「ごめん。イーリス。もう少しだけ、休憩していい?」

「はい。大丈夫です。私は、まー様にお伝えしてきます。森に入るのなら、護衛を連れて行って下さい」

「わかった。ありがとう」

 今、まーさんの顔を見るのが、若干・・・。本当に、若干だけど・・・。恥ずかしい気持ちになっている。

 太刀と脇差を鞘にしまう。

 まーさんから、新しく受け取った脇差を使ってみたいと思えた。

 刀身が黒と銀だ。すごく綺麗。光を吸い込むような黒い刀身は、黒鉄。光を反射する銀色の刀身は、白銀。脇差に名前を告げると、不思議な現象が発生した。二振りの脇差が金色に光りだした。そのまま、刀身に光が集まって、文字を形成する。

 光が治まると、刀身に”日本語”で私が考えた名前が打たれている。銘が刻まれた。脇差だから?太刀を取り出して、銘が刻まれているか確認をすると、たしかに、こちらの文字で銘が刻まれていた。打った人の名前だろうか?もう一本の太刀には、銘が刻まれていない。私が”銘”を考えていいのだろうか?殺生〇様が持っていた。「天〇牙」や「鉄〇牙」なんて名前を着けてもいいのだろうか?

 天生〇なんて名前にしたら。聖をまとっている時には、まさに癒しの刀になってしまいそうだ。

 名前は、後で考えよう。黒鉄と白銀は気に入っているから、問題はない。

 さて、実験を行ってみよう。

 黒鉄を右手に、白銀を左手に持つ。二刀流なんて習っていない。今は、実験だし、問題はないだろう。

 黒鉄には、火を。白銀には、聖を纏わせる。
 イメージが難しい。何度か、失敗をしていると、弱いながらも、二つの属性を纏うことができた。

 他の属性は?
 使える気がするのだけど・・・。

 イーリスが戻ってきて、時間は大丈夫だと伝えてきた。

 もう少しだけ集中をする。
 他の属性は、そうだ!雷と氷!

 雷は、できそうだ。
 黒鉄に雷のイメージを纏う。黒の刀身に、雷は綺麗だ。白銀は、氷のイメージを纏う。

 私の足元で、丸くなっていたバステトさんが、起き上がって、私の足をタップする。私がやろうとしていることが解って、手助けをしてくれているようだ。

”にゃ!”

【魔術:風を取得しました】
【魔術:雷を取得しました】
【魔術:水を取得しました】
【魔術:氷を取得しました】
【魔術:炎を取得しました】

 え?

 思わず、バステトさんを見てしまった。
 もう終わりだというのか、足元から離れて馬車に向かっている。

「カリン様?」

 脇差を鞘にしまう。

「イーリス。一般的な話を聞いていい?」

「なんでしょうか?」

「人って、どのくらいの属性が使えるものなの?」

「質問の意図がわからないのですが?」

「簡単にいうと、炎は火の上位版だよね?」

「はい。そうです」

「風の上位は、雷。水の上位は氷。で、有っている?」

「はい。問題は・・・。まさか!」

「うん。取得した。火は、さっき獲得したけど、今・・・。炎と風と雷と水と氷。バステトさんが”何か”した可能性もあるけど・・・」

「そうですか・・・。6属性の魔術を・・・」

「うん。普通だよね?ね?ね?」

 ダメな奴だ。
 イーリスの表情から、解ってしまった。複数の属性は持てるのだろうけど、6属性は多いのかもしれない。もしかしたら、他にも問題があるのか?

「カリン様。勇者様の中に、埜尻(のりじ)玲羅(れいら)様がいらっしゃいます」

「え?あっうん?」

 元同級生だから知っている。まだ、覚えていた。

埜尻(のりじ)玲羅(れいら)様は、勇者様の中で、魔術が得意で、”聖杖”の持ち主です」

「うん?」

 知らないけど、そうなのだろう。
 魔術が得意なら、杖が武器になるのだろう。

「そして、”魔術の勇者”と呼ばれている、埜尻(のりじ)玲羅(れいら)様が使える属性は、火・土・風・水の4属性です」

「え?うそ?上位属性は?」

「幻です。あると言われていますが、書物の中にしか存在しません」

「・・・。えぇーと。気のせいってことには・・・」

「なりません。カリン様にも協力していただいた。初代様の日記ですが、その中にも上位属性が出てきていますが、誰も取得には至っていません」

「・・・。ふぅ・・・。イーリス。すこしだけ、本当にすこしだけ落ち着いて、近づかないでね?」

「はい。解っております。異世界の知識が影響しているのだと思います。なので、カリン様。上位属性を使って見せてください。お願いします」

 イーリスは、土下座する勢いで頼んできた。
 上位属性には、憧れがあるのだろう。それにしても、勇者たちでも取得ができていないのは、すこしだけびっくりした。条件が解らないけど、簡単に取得ができた印象がある。バステトさんが居たからなのかもしれないけど・・・。それでも・・・。うーん。よくわからない。

 それから、時間まで上位属性を発動し続けた。
 イーリスは、一生懸命にメモを取っている。

 取得できていないのは、土と土の上位属性の鋼だけど・・・。ダメだ。イメージが固まらない。土ってどうしたらいいのかわからない。鋼なんて、もっとわからない。土壁とかならイメージ出来るけど・・・。出来たら、使い勝手がよさそうだから、欲しいのだけど、そうなると”闇”以外のすべての属性が取得できたことになってしまう。目立ってしまうのは、避けられそうにない。現状でも目立つだろうな。また偽装してから隠蔽しておこうかな?偽装だと、まーさんにお願いしないと・・・。

 まーさんに・・・。

 黒鉄と白銀を、鞘に納める。
 上位属性の問題は、大丈夫。刀に纏わせるだけならわからない。

「カリン様?」

「ん?あっ大丈夫。そう言えば、上位属性は何ができるの?」

「え?カリン様?私が、今から、カリン様に聞こうと思ったのですが?」

「・・・。え?」

 あっ・・・。そうか、イーリスも、日記の中に出てきた項目を読んだり、研究資料を読んだり、書物の中で出てくるだけだから、知らなくて当然だよね。
 私は、そもそも、火も水も風もわからない。

 飛ばせるの?

「イーリス。上位属性は別にして、火属性や水属性や風属性は、何ができるの?」

「難しいですね。護衛の中に、風属性が得意な者が居ますので、見たほうが早いと思います」

「うん。お願い!」

 テンションが上がる!
 剣術も楽しいけど、魔法はそれ以上に楽しみ。

 イーリスが、護衛に話をしている。
 脇差を抜いて、銘を見る。しっかりと黒鉄と白銀と打たれている。私の武器だと思うと、嬉しくなってくる。

 聖属性と闇属性のこともまだ良くわかっていない。

 バステトさんは、まーさんの所に行っているのだろうか?
 姿が見えない。本当に、まーさん以上にバステトさんも不思議な存在だ。私たちの話している言葉は確実に理解ができている。たしか、バステトさんの本当のジョブは、”聖獣”だったはずだ。猫だったはずが、大出世したことになる。

 ふふふ。
 私も、まーさんに毒されているのかもしれない。さっき、イーリスに言われるまで、同級生のことを忘れていた。忘れようと思っていたわけではない。自然にどうでも良くなって、忘れていた。

「カリン様!」

 イーリスが、話をしてくれた護衛のようだ。

「はい?」

 確か、魔法が使える者だったはずだ。

「僕は・・・。あっ。私は、ジョテオ。風魔法の使い手です」

「あっ。カリンです。護衛と違うお願いで申し訳ない。言葉遣いも気にしなくて大丈夫です」

「いえ!光栄です!まーさん様は、剣術や槍術の訓練だけで」「ジョテオ様!」

 イーリスが、ジョテオの話を途中で遮った。
 今の話では、まーさんが訓練をしているように聞こえる。それも、剣術や槍術?まーさんは、スキルを持っていなかったと思うのだけど?

「はぁ・・・。口止めは、されていませんでしたから・・・」

「イーリス?」

「まー様は、王都にある。辺境伯の屋敷を守護している者たちの所で、訓練をしていらっしゃいました」

「え?なんで?」

「王都を出れば、安全が保証されない。カリン様を守ることは出来なくても、自分の安全を確保できれば、護衛が守るのはカリン様だけになるとおっしゃって・・・」

「まーさんが?私を守る?」

「はい。守られないのなら、護衛の”邪魔にならないようになる”と訓練に参加されていました」

「イーリス。確かに、口止めはしていないけど、脚色して話さないように・・・」

「まーさん!」「まー様」

 馬車の中に居ると思っていたまーさんが、いつの間にか、私たちの近くに来ていた。声を賭けられたのも驚いたが、声をかけられるまで気が付かなかったのにも驚いた。

「まぁその・・。カリン。気にしなくていい。カリンがやりたいことの邪魔にならないように体力をつけようと思っているだけだからな」

「はい!そうですよね。私も、体力をつけるような訓練をします」

「そうだな。無理はしないように・・・。な」

「はい!今度、まーさんが訓練をする時には、誘ってください。私も、剣術を学びたいと思います」

「うん。カリンは、俺と同じで、帝国で教えている近習の剣術を相手にするための方法を学ぼう。その方が有効だろう」

「・・・。あっ。うん。わかった」

 まーさんが、仮想の敵に、近衛を想定しているのがわかってしまった。
 確かに、私たちが気にしなければならないのは、勇者(同級生)だけではない。勇者たちと敵対する状況になったら、帝国の半分以上が敵に回る。そして、敵に回る可能性が高い中で厄介なのが、近衛兵だろう。イーリスからも、近衛兵の強さは教えられている。技量だけなら、貴族に召し抱えられている者や、ギルドに登録している者も居るだろう。しかし、近衛兵は武装がほかよりも、一段も二段も上の物を使っている。それだけで十分脅威になりえる。

 照れくさそうに笑うまーさんは、大人の表情ではなく、見た目通りの若い男性がする照れ笑いだ。かわいいと思ってしまった。

「まーさん!魔法は?」

「うーん。まずは、剣と槍かな。魔法は、スキルの獲得が出来たら考えるよ」

 それだけ言って、足下に居たバステトさんを抱きかかえて、馬車に戻ってしまった。
 本当に、不思議な人だ。多分、私を見ていてくれたのだろう。それで、自分から説明した方が、ジョテオがイーリスから叱責される可能性を潰したのだろう。ぶっきらぼうに見えて優しい人だ。

 異世界に来てよかったと思うのは、”本当の”優しさと”本当の”強さが、わかってきたことだ。まだ理解は出来ていないが、自分が子供だったことや、優しさを勘違いしていたことは理解が出来た。漠然と”強い”と思っていたことも、違うのだろうという印象になっている。

「ジョテオ様。風魔法を見せて下さい」

「はい!カリン様。私は、呼び捨てにしてください」

「わかりました。ジョテオさん。教えてもらう立場なので、”さん”は付けさせて下さい」

「わかりました。カリン様。いくつかの魔法を発動します」

「ありがとうございます」

 ジョテオが、風魔法を発動する。狙うのは枝だ。枝を的の代わりにしている。

 詠唱をしてくれているが、ジョテオは詠唱を破棄できるようだ。練習を繰り返せば、詠唱は必要ないらしい。
 実際の魔法の発動は、詠唱をすることで、魔法に指向性を与えて、イメージを乗せることで発動するらしい。

 よくわからないが、やってみると、不思議なことにイメージで発動した。
 完全に詠唱破棄は出来なかったが、中学生が罹患する病気のような詠唱は必要なかった。発動のトリガーが技名になってしまった。

「水刃!」

 お!出来た。

「カリン様!今・・・。何を・・・。成されたのですか?」

「え?ジョテオさんがやっていた、風の刃を水でやってみただけですよ?」

「・・・。え?は?水魔法で?」

「はい。そうだ!火や氷でもできるかな?ちょっとやってみますね」

 イメージは簡単だ。
 刃の形を形成して飛ばせばいいだけだ。魔法が使えるのは嬉しいな。

 イメージで魔法が使えるのなら、いろいろできそうだ。あとで、まーさんに相談しよう。

 闇魔法で、闇属性の刃とかカッコいいかな?

 雷属性があるから、ライトニングとかいって雷を飛ばすのもありだな。レールガンとか撃てたら、物理攻撃に雷属性を乗せられるのに・・・。指でコインを弾く練習をしようかな。足に、雷を纏わせて・・・。あっだめだ。この世界では、鉄筋コンクリートが無いから壁走りは出来ない。

「カリン様?」

「イーリス。慌てて居るけど、どうしたの?」

「忠告に来ました」

「忠告?」

「はい。今、カリン様が発動しました、水刃や氷剣や炎剣は、初代さまが使われた魔法で、秘匿魔法です」

「え?」

「王家の者で、魔法特性がある者が使える魔法です」

「うーん。私たちなら、最初にイメージする魔法だと思うよ?」

「そうですか・・・。まー様にも、注意をしておいたほうが良いかもしれないですね」

「うん。お願いしていい?風刃は問題がないようだから、風魔法だけの練習をするよ」

「はい。風刃も、魔法師団に入る者にだけ教えられる秘匿魔法ですが・・・」

「そうなの?うーん。ねぇイーリス。秘匿魔法を知っているのは、皇帝は確実として、他は誰なの?」

「近衛の中で、特に魔法特性が高い者には特別に教えられることがありますが・・・」

「あっ違う。違う。秘匿魔法を使える者じゃなくて、水刃が秘匿魔法だと知っている人は?」

「・・・。そうですね。私は知っていますが・・・。そう言えば、あまり知っている人は居ない・・・。です」

「それならよかった。森とかで使うのなら問題はなさそうだね」

「・・・。はい。あまり、使わないほうがいいとは思いますが・・・」

 イーリスは、渋々だが納得してくれて、まーさんにも情報を伝えるために、馬車に向かった。
 私は、もう少しだけ魔法の訓練を行うことにした。

 ジョテオが言うには、魔法に込める魔力にムラがあるようで、このまま使い続けると、無駄に疲れたり、狙いが定まらなくなったり、発動ミスが発生すると指摘を受けたので、構成する魔力に注意をしながら、2時間くらい魔法の訓練を行った。

 馬車に戻ったおっさんは、残っていた飲み物を一気に喉に流し込む。
 一息ついて、また目を閉じる。

”にゃぁ”

「バステトさん。一緒に寝ますか?」

 おっさんが膝を叩くと、バステトは床からジャンプをして、おっさんの膝の上に乗って、くるくると回って、何かを確認してから、丁度いい場所が見つかったのか、前足で”カシカシ”とおっさんの膝を掻いてから、その場所で丸くなる。

 おっさんは、丸くなったバステトの背中をなでながら、また目をつぶる。

「まー様。少しだけお時間をいただきたいのですが、よろしいでしょうか?」

 おっさんは、ノックの音で目を醒ました。馬車の外から聞こえてくる声が、イーリスだとわかると、返事をした。

「大丈夫」

「ありがとうございます」

 イーリスは、馬車に乗り込んできて、おっさんの前に腰掛ける。
 バステトさんも起き出して、おっさんとイーリスの顔を見て、おっさんの膝の上から、イーリスの横に移動した。

「それで?出発か?」

「いえ、今日は、この場所で野営にしようと思っています」

「街道から外れているし、距離を考えれば丁度いいのだな?」

「はい。おっしゃる通りです」

 おっさんは、少しだけ考えて、了承の意を伝えた。
 急いでいるが、急に何かが変わるわけではない。それに、おっさんは予感めいた物を感じている。

 王都での出来事や、様子を考えると、辺境伯たちが”何か”をしようとしているのは、わかっている。イーリスもそれに絡んでいるように思える。おっさんとカリンを逃がすという建前で、イーリスと若手の騎士たちを逃しているようにも思えた。
 事実、護衛に付いてきたのは、成人したばかりの者たちばかりだ。熟練の騎士はいない。

「イーリス。辺境伯は・・・。いや、止めておこう。それよりも、カリンは急に魔法を使いだしたけど、大丈夫なのか?」

 おっさんは、辺境伯の言葉から一つの結論を導き出しているのだが、イーリスに聞いても答えないだろうと思っている。
 他所から来ている自分たちが、関わるべきことではないと思っている。そして、カリンを巻き込ませたくないのは、辺境伯やイーリスと同じ気持ちだ。そのために、途中まで言いかけて止めて、ごまかすように話を変えたのだ。

「大丈夫とは?」

「俺たちの、元居た世界では・・・。定番な設定で、初めて魔法を使うときには、魔力の枯渇で苦しむことがある。最悪は、”死”とかな・・・」

「え?まー様の世界には、魔法はないのでは?」

 イーリスは、おっさんの言い方で勘違いをしてしまった。

「言い方が悪かったな。俺たちの元の世界の読み物・・・。物語。想像での話だ」

「そうなのですね。あっ・・・。もうしわけございません。魔力が枯渇しても、発動が失敗するだけです」

 イーリスの言い方で、おっさんはひとまず安心する。
 魔法の使いすぎで”死”が無いのなら、カリンが練習を繰り返しても、心配することはない。即座に実戦になる可能性だけ注意していればいい。

「そうか・・・。それなら、戦いの時にも、魔力の残量を気にしながら戦えば・・・。そう言えば、魔力は自然回復だよな?他には手段はないのか?」

 実戦を考えれば、魔力の回復アイテムは必要になる。
 RPGの知識から、おっさんが思いつくのは当然の話だ。

「え?魔力は自然に回復しますよ?」

「あぁ悪い。俺たちは、魔力とかに馴染みがなくて、わからない。自然回復を助ける方法はないのか?」

 おっさんは、マナポーションのような物が存在していると、考えていた。

「ポーションですか?」

 イーリスは、びっくりした表情をしながら、おっさんに”ポーション”のことかと聞いている。

「あぁポーションも知識としてはあるけど、俺たちが知っている物と同じなのかわからない。もう少しだけ、詳しい説明をしてくれると助かる」

「はぁ・・・。もしかして、まー様やカリン様の知識は、その・・・。知識は物語から得ているのですか?」

 イーリスは、質問をされているが、どうしても確認をしておきたかった。カリンと話をしていても、魔法に関しての造詣が深いことや、理解力が有りすぎるように感じているからだ。

「そうだな。俺たちの元居た世界には、ポーションも魔法も存在していない」

 初代の日記からも、魔法やポーションが存在していないのは知っているが、改めて言われると驚いてしまう。

「それなら、病気や怪我を治すのは?」

「薬だな。最初は、薬草を煎じて飲んだり、軟膏にして塗ったり、それから、化学物質は説明が難しいな。上位の薬だな。それを使って、それでも治らなければ、手術だな」

「手術?」

「説明は難しい。悪くなった部分を切り離すと考えてくれ」

「はぁ・・・。あっ。それで、ポーションなのですが、キュアポーションなら体調を整えて、ヒールポーションは怪我を治しします。魔力を回復させるポーションは、ありません。文献には存在していますが、現在では幻となっています」

 イーリスは、怖い想像をしてしまった。
 切り離すと言ったおっさんの言葉をそのままの意味で考えてしまった。腕が怪我をしたら、腕を切り離すと考えてしまったのだ。人口の違いはカリンからきいているので、人が多いから多少は乱暴に扱っても問題が無いような場所だと思ったのだ。
 魔物も戦争もない場所だと聞いているので、それでも問題にはならないのだろうと勝手に解釈をした。

 そして、ポーションでの魔力回復で驚いた理由をおっさんに告げた。

「ん?幻?材料がないのか?手法がわからないのか?」

「材料と手法がわかりません」

「ちなみに、キュアポーションとヒールポーションは、薬草から作られると考えて良いのか?」

「はい」

「そうなのか?キュアポーションの材料や、ヒールポーションの材料は、公開されているのか?」

「公開?」

「あぁ・・・。俺が、キュアポーションを作ろうとしたら、どうしたらいい?」

 おっさんは少しだけ戸惑っていた。
 言い方を変えて、作る方法を聞いた。

 特許に似た仕組みがあるのに、情報の公開や手順の明文化が済んでいないように思っていたのだ。一子相伝のような物なら、どこかで伝達が出来ていなくて、手法が伝われなくなっても不思議ではない。
 しかし、ギルド制度が確立している状況で、手法の損失が発生する理由がわからないのだ。

「それなら、本があります。薬草・・・。キュアポーションなら、キュア草を使うのですが・・・」

 イーリスは、おっさんに知っている内容の説明をした。
 おっさんは、自分が思っているポーションの作成との差異をイーリスに質問をして知識として持っている認識を改める。

「そうか、俺が思っていのと、かなり違うな。ポーション作りは、錬金術とかの範疇かと思ったけど、誰でも作ろうと思えばできるのだな」

「はい。しかし、錬金術師が作ったポーションのほうが高品質になりやすいのは、間違いではありません」

「そうか・・・。何が、違うのか、研究はされているのか?」

「え?いえ・・・」

「そうか、わかった。もし、錬金術師ではない者でも、ポーションの品質が上げられる方法が見つかったとして、錬金術師に恨まれるか?」

「え?大丈夫だと思います。一部の錬金術師は、怒るかもしれませんが、ポーション作りだけを行っている錬金術師は少ない・・・。居ないと思うので大丈夫だと思います。錬金術を学ぶ時の最初の仕事ですので・・・。弟子に作らせている人がほとんどです」

 イーリスは、王都での現状をおっさんに告げる。
 実際に、辺境伯領でも、領都以外には錬金術師は居ない。ポーションは、行商人が少しだけ持って売っているだけだ。おっさんが考えているのは蒸留で不純物を除くことでポーションの品質が上がらないかと考えている。

 実際に、やってみなければわからないことだが、錬金術師が作成するとポーションの品質が上がるのなら、蒸留でも上げられるのではないかと考えたのだ。地域や社会の仕組みが、まだわかっていない状態で、地球の知識を組み込むのは危険かもしれないと思い始めている。

 おっさんは、イーリスと知識のすり合わせを行った。
 イーリスは、当初の”魔法”の危険性を伝えるのをすっかりと忘れてしまっている。

 おっさんの知識を知るのは、イーリスも楽しい時間だったのだ。”秘匿魔法”を注意しようとしていたことを思い出すのは、カリンが魔力切れで馬車に戻ってきてからだった。

 カリンが魔力切れを起こして馬車に戻ってきた。

「それで、イーリス。秘匿魔法は、さっきの説明では、各属性を”刃”のように飛ばす魔法に思えるけど、その認識でいいのか?」

「私の解釈は、まー様のおっしゃっている通りです」

 丁度、おっさんとイーリスの話が”秘匿魔法”になっていた。

「まーさん。イーリス。バステトさん。ただいま。疲れた」

「おぉおかえり。収穫はあったようだな」

 まーさんは、帰ってきたカリンの表情を見て、カリンを褒める。頬を赤くするカリンを、イーリスが”生”暖かい表情で見ている。

「うん!」

 普段なら、まーさんの斜め前に座るが、そこにはイーリスが座っている。まーさんの横は正面しか空いていないのを見て、カリンが少しだけ戸惑う。戸惑うのを見て、イーリスは、まーさんの正面に移動する。

 それでも、座ろうとしないカリンの表情を見て、イーリスは一つの可能性に辿り着いた。

「カリン様。お疲れ様です」

 イーリスは、濡れたタオルをカリンに差し出す。

「ありがとう。冷たい!気持ちがいいよ!」

 カリンは、首元の汗を拭いてから、一言だけ告げて馬車を降りる。
 カリンが、いつも以上に汗や匂いを気にしているのが面白かった。イーリスやメイドの中では、カリンが”いつ”自分の気持ちを認識するのか話し合われていた。イーリスは、辺境伯の領都に着いて落ち着いてからだと思っていた。メイドの一人が言っていた、移動中が正解なようだ。カリンの様子から、意識をしていて、認識ができた感じだと思っている。あとは、きっかけがあればさらに認識が進むだろうと思っている。

 カリンが、汗を拭いて、まーさんの隣に座る。斜め前ではなく、横に座る。

「イーリス。まーさん。”秘匿魔法”の話をしていたよね?」

 カリンは、イーリスに話しかけるが、イーリスは、カリンとまーさんの距離がもどかしくてしょうがない。

「はい。カリン様にも、認識をしておいてほしいと思います」

 ”秘匿魔法”は、王家に連なる者として、しっかりと指摘をしておく必要がある。イーリスは、覚悟を決めて表情を改める。
 まーさんが、不思議な言い方をしていたのが気になっているが、”秘匿魔法”は”秘匿”されるべきスキルだと考えている。

「なぁイーリス。”刃”じゃなければいいのか?」

「先ほども、似たようなことを、質問されていましたが?」

「そうだな。カリン。”刃”じゃなくて、”ランス”や”ボール”でもできるよな?」

「うーん。やってないから、絶対とは言えないけど・・・。ファイアボールはできたから、できると思う」

「イーリス。それなら大丈夫なのか?」

「え?そうですね」

 言っている意味はわかるが、実現方法が解らない。解らないから、”秘匿”されているのに、二人の会話は、簡単なことをやろうとしているようにしか聞こえない。イーリスには、今日の食事の話をしているような会話に聞こえてくる。
 秘匿指定されているのは、風刃などのスキルを利用した物だ。話を聞いている感じでは、”秘匿魔法”ではないとは思えるが、実際のところは、”よくわからない”が答えになってしまう。

「カリン。一応、”刃”系ではなく、”ランス”や”ボール”を練習してくれ、それから、”かまいたち”はわかるよな?」

「うん」

「原理も?」

 まーさんのちょっとした意地悪が発動した。
 ちょいちょい、会話の中に、知識を試すような話を入れるのが、まーさんの悪い癖だ。

「え?原理?」

「うーん。自信はないけど、たしか、気圧差で真空や真空に近い状態が発生して、皮膚を切り裂いた?」

「あぁ・・・。それは、それも一つの説だけど、気化熱によって急激に皮膚が冷やされて、裂傷したのが原因ではないかと言われている」

「え?」

「それはいいとして、かまいたちのことを、アニメやラノベでは、”真空斬”とか言わないか?」

「あ!」

 カリンにも思い当たるシーンがあった。

「そうだ、”刃”がダメなら、”斬”なら同じような効果を想像できるだろう?風なら、”疾風斬”とかな、少し・・・。本当に、少しだけ、14歳の病気が出てきそうだけど・・・」

 カリンが、まーさんを見て笑いだしてしまった。
 イーリスには、カリンが笑い出した理由が解らないが、新しい知識に触れられて、興奮を覚えていた。

「うん。できそう。魔力が回復したらやってみるね」

「イーリス。どうだ?」

「”どうだ”と言われても・・・。実際に、”炎刃”を見た者は居ませんし・・・」

 イーリスが、衝撃の告白をする。
 実際に、”秘匿魔法”を見たことがない。実際に、現在では”発動できる者”が、居ないのだ、魔法師団に”風刃”を使える者は居るが、他の属性は誰にも使えない。そもそも、存在が”秘匿”されている。閲覧できるのは、王家の者だけで、その王家には、スキルを発動できる者が居なくなってしまっている。

 そんな王家の中で、久しぶりにスキルが使えたのが、イーリスなのだ。

「え?」「は?」

 まーさんとカリンの間抜けな声が馬車の中に響く。

「だって、”秘匿”なのだろう?誰かが使えるから、秘匿されているのだろう?」

「はい。初代様が使っていた魔法です。それから、王家にだけに許された魔法です」

 まーさんは、イーリスの話を聞いて納得した。カリンが不思議そうな表情をしていたので、まーさんが、イーリスに質問するような口調で答えを告げる。

「・・・。そうか、秘匿されていて、誰も使えなくなって、スキルの発動が、誰にもできなくなった。使える者が居なくなったのだな」

「・・・。はい」

「それなら、使っても・・・。いや、面倒なことに巻き込まれそうだから、違う魔法を使うようにしよう」

 馬車の中で、まーさんとカリンとイーリスが話をしている間に、今日の野営の準備ができたと知らせが入った。

 野営の火を囲んでも、”秘匿”に関しての話は続いたが、カリンの魔力が戻ってきたので、試しに、”ボール”や”ランス”を試して、”斬”を試してみた。言葉はまーさんが考えて、言葉の意味をカリンに伝える。
 イメージを思い浮かべて、カリンが魔法を発動する。

 イーリスは、二人を不思議な者を見る表情で眺めていた。二人がやっていることが信じられない。常識を逸脱したことで、唖然としてしまい指摘するのを忘れてしまった。

 この世界の魔法は、”ボール”や”ウォール”が基本になっている。あとは、各国や貴族家で”秘匿”されている魔法がほとんどだ。

 イーリスから、スキルや魔法に関しての現状を聞きながら、野営の夜を過ごした。

 翌朝、火が消えた野営地では、出発の準備が進んでいた。
 夜遅くまで、スキルの発動や魔法に興奮していた。カリンだけが、まだ馬車の中で寝ている。

「まー様」

「出発しよう。カリンは、寝かせておけばいい」

「わかりました」

 イーリスが、まーさんの承諾を得て、指示を出す。

「まー様。馬車の中で・・・」

「いや、御者台でいい。中は、カリンが寝ている」

「しかし、護衛は?」

「バステトさんが居るから大丈夫だろう」

「そうですね」

 イーリスは、カリンが起きた時に、まーさんが目の前に居るシチュエーションを期待していたが、まーさんの機転で回避されてしまった。

 結局、カリンが起きたのは、次の休憩地点の手前になってからだ。

 休憩地点では、いつも以上にカリンが積極的に食事の準備をしていた。
 すんなりとまーさんの隣に座るのを見て、イーリスが嬉しそうな表情を浮かべた。

 休憩地でも、カリンがスキルと魔法を使った。
 攻撃を主体とする物ではなく、内面に働きかける魔法だ。1時間程度の休憩では、上達はしなかったが、まーさんの助言を受けて、スキルの発動までは確認ができた。
 休憩地を出てからも、馬車の中で、まーさんとカリンはスキルの実験を繰り返した。

 二度の休憩を挟んで、目的地である。辺境伯の領都が見えてきた。

 このまま問題なく進めば、今日は野営をしなくて、辺境伯の屋敷で休むことができるだろう。皆の表情にも、疲労は見えるが明るい表情に変わった。

 途中で、村に立ち寄って補給と情報収集を行った。王都からの追跡や捕縛命令が出ていないことを確認した。
 おっさんの一行は、辺境伯領の領都まで移動ができた。

 領都が目前に迫った事で、まーさんは思い出したかのように、イーリスに質問をぶつけた。

「そういえば、イーリス。辺境伯領の名前と、領都の名前を聞いていなかったが?」

「え?」

 おっさんの質問に、イーリスは固まった。おっさんが聞きたい事はわかるが、”なぜ”名前を聞く必要があるのか解らないのだ。

「辺境伯領は、他にもあるのだろう?それに、領都は別にして、街は村にも名前があるのだろう?」

「まー様。辺境伯は、ラインリッヒ辺境伯です」

「それは、家名だろう?」

「え??」

 お互いに話がかみ合っていないのは解っているが、どうやって説明していいのか解らない状況になってしまっている。

「まーさん。イーリス」

 そこで、思いもよらなかった声がする。
 まーさんの肩に寄りかかって、うたた寝をしていたカリンが起きて、二人の会話に割り込んできた。

「ん?カリン。起きたのか?」

「うん。起こしてくれれば・・・。ううん。そうじゃなくて、まーさん。辺境伯の領の名前は、そのまま家名のライムリッヒだよ。それに、領都は、慣習で家名を付けることになっているみたい。だから、領都の名前もラインリッヒで大丈夫。そうだよね。イーリス?」

「そうです!」

「そうか・・・??そうなると、少しだけ不便じゃないのか?」

「え?」「??」

 まーさんの”不便”とい言葉は、カリンも解らなかった。イーリスは、まーさんが何に不便を感じているのか、そもそも、まーさんが”領都の名前”を気にした理由がわからなかった。

「ギルドや教会は、いろいろな街にあるよな?」

「うん」「はい」

 カリンもなぜか質問に答える側になっている。実際には、まーさんと同じで、イーリスに疑問をぶつける方なのに、今回だけはイーリス側だ。

「教会がわかりやすいけど、ラインリッヒにある教会と言った時に、ラインリッヒ領にある教会のすべてを指すのか、ラインリッヒ領の領都にある教会を指すのか?混乱しないのか?」

「あっ!県名と、県庁所在地の問題?」

「カリンには、その方がわかりやすいようだな」

「うん。あっ。でも、まーさん。それは、大丈夫だよ」

「え?」

「領都にある建物は、基本的に”本部”と呼ぶらしいよ。だから、ラインリッヒの教会なら、ラインリッヒ領にある教会を指す。ラインリッヒの教会本部と言えば、領都にある教会を指す。他の施設も同じ。ラインリッヒを省略した場合には、場所を治める貴族の領内と考える」

「へぇ・・・。また・・・。ミスリードしやすい暗黙の了解だな」

 まーさんとしては、わかりやすい例えが思い浮かばなかったから、これ以上は話を掘り下げるつもりはないが、知識として覚えておく必要があるだろうと、思っている。それだけではなく、詐欺のネタになりそうだと思ってしまっている。

「やっと、おっしゃっている意味がわかりました。”ケン”はわかりませんが、カリン様の説明がすべてですが、追加をすると、王都だけは別です」

「ん?王都は別?」

「はい。帝国は、王家の直轄領が多数存在しています。その直轄領には、代官が派遣されていますが、私はないのですが・・・。お兄様やお姉様たちが治めていることになっている領地があります。そこは、王家の家名ではなく、お兄様やお姉様のお名前が領地の名前に指定されます」

「ほぉ・・・。そうなると、イーリスが直轄領を持てば、イーリス領となるのだな」

 まーさんの例えが、イーリスの名前をだしたので、イーリスが苦笑してしまった。

「はい。それで・・・。もし・・・。もしですよ。お兄様が独立を為された場合いは、新しい家名を名乗るので、その時に領の名前が変わります」

 まーさんは、イーリスの微妙な言い回しから、ようするに権力闘争に破れた場合に、幽閉される場所だと判断した。
 事実、直轄領にはそういった使い道で確保されている場所も多い。捲土重来の期待が持てないような場所を確保することで、権力闘争に破れた者を、形だけの爵位を与えて、飼い殺しにする為だ。
 家名制度も、有効に働く。王家だけではなく、上級貴族では、権力闘争に破れた者には、同じ家名を名乗らせない。ふさわしい家名を用意することで、他の貴族にも暗黙の了解で、誰が勝者なのか解らせることができる。しかし、長い歴史の中で敗者だった者が、起死回生を成し遂げることもある。その場合には、敗者に付けられた家名が生き残って、本家筋の家名が途絶えたこともある。

 ラインリッヒ辺境伯も、元を辿れば、王家の権力闘争で破れた者が”祖”になる。
 そのために、王家への忠誠が低く、民を守る為に帝国領の辺境を守っているに過ぎない。

 まーさんは、イーリスの”独立”という言葉から、ラインリッヒ辺境伯の立ち位置をある程度把握した。

「へぇ・・・。王家や貴族は、ある意味、家名を覚えるのが仕事みたいな所があるから、いいだろうけど、商人は大変だな」

 カリンは、もう話に飽きたのか、バステトを抱きかかえて、舟を漕ぎだしている。バステトも、話に加わろうとはしない。興味がないし、会話ができないので当然だが、まーさんの足元で丸くなっていたのを、邪魔された形になるが、カリンの膝の上で丸くなって寝る事を選んだ。

「え?」

「その都度、なんとか商店のイーリス領支店とか名乗るのだろう?変わる度に、支店名を変えるのか?」

「あぁ・・・。それは、商人や職人からよく言われます。でも、領主・・・。貴族家が対処をしない場合でも、代官が対処をとして・・・。懇意にしている商人や職人には、事前に告知します。それこそギルドには通告を行うので、大きな混乱は発生しません」

「それはすごいな」

 船を漕いでいたカリンだが、自分がわかる話題になると目を覚ますという器用なことをした。

「ねぇまーさん。何がすごいの?」

「そうか・・・。カリンだと、”平成の大合併”とかあまりしらないよな」

「なんか、授業でならった気がするけど・・・。あまり、重要な・・・」

「そうだよな。でも、大合併で名前が消える町や村や市は徹底的に抵抗した。その後の数年間は、住所が混乱した。飛び地ができた場所もあったからな」

「へぇ・・・」

 今度は、イーリスが二人の話を真剣な表情で聞き始める。
 イーリスは、まーさんとカリンの話から、二人の住んでいた世界や、初代が住んでいた時代は、自分たちよりも進んだ政治体系をしていたのではないかと考えている。
 まーさんに聞いても、言葉を濁されて教えてもらえないので、まーさんがカリンに説明を始めた時には、黙って二人の話を聞くことが多くなっている。

 政治は、一つの側面だけ見て優れているか判断はできない。
 イーリスも、そのくらいは解っている。特に、まーさんの話を聞いて、その思いは強くなっている。

 しかし、一つだけ、まーさんが言っていた話で、イーリスが納得のできない話があった。

『政治の責任を、貴族や王族に押し付けることができる』

 まーさんとカリンが、貴族制度の話をしている時に、カリンが”貴族制度”と”民主主義”のどちらが優れているのか、まーさんに聞いた時の言葉だ。

 前後の話もあるが、まーさんは”どんなに優れた王が行った施策で、そのおかげで100万の民衆が助かっても、俺はその国に居たいとは思わない”と言った後でのセリフだ。
 最初は、意味が解らなかった。イーリスも、カリンと同じように、”100万の命を助ける王は優れているし、その王の下なら安心できる”と感想をぶつけた。そのあとで、まーさんは笑いながら、”そうだな”とだけ言って、話は終わった。

 何度か、イーリスはまーさんに問いかけたが、その都度、話をごまかされている。
 民主主義の悪い所は、それこそ湯水のように話しているが、どちらが優れているのかという事は、まーさんはイーリスだけではなく、カリンには、自分の考えを説明しない。

 だから、イーリスはまーさんとカリンが”日本”の話をする時には、黙って聞くことにしている。

 まーさんが、貴族の家名と領地の関係を聞いている間に馬車は領都に辿り着いた。

 領都の門には、長蛇の列ができている。
 距離にして、800mはあるだろう。

 距離に対して、待機している人数が少ないのは、馬車や護衛が居るために、隊列が伸びてしまっているだけだ。

「まー様。カリン様。少しだけお待ちください」

 カリンは、馬車の扉を開けて、護衛の者を呼び寄せる。伝令を頼むつもりのようだ。

「ちょっと待って。なぁイーリス?」

 伝令が走り去ろうとした瞬間に、まーさんが伝令を止めた。
 止められた伝令も、馬車に戻ろうとしていたイーリスもなぜ、呼び止められたのかわからない。まーさんの顔を見てしまっている。

 イーリスは、護衛の一人に、関所で検閲を行っている者に、自分たちが到着したことを知らせるように伝言するつもりだ。そうしたら、門に並ぶ必要もなく、検閲を受ける必要もなく、領都に入ることができる。辺境伯からすでに伝達が行われている。

「はい?」

 イーリスは、馬車に戻って座りなおす。
 まーさんの横では、カリンが不思議そうな表情で二人を見ている。正確には、まーさんを見て、イーリスをチラ見している。

「別に並んでいれば、入領ができるのだろう?」

 街に入るだけなら、時間はかかるが、並んでも結果は同じだ。イーリスの身分や、辺境伯からの通知がなくても、馬車一台と数名の護衛が居るだけの集団だ。荷物にも不審な物も存在しない。イーリスも、まーさんも、カリンもしっかりとした身分証を持っている。

「え?そうですが?待ちますよ?」

 イーリスは自然な流れとして、順番をスキップしようとした。
 待つのが嫌とかではなく、自分たちがこのまま並んでいるよりも、通過してしまったほうが、目立たなくてよいと思ったのだ。並んでいれば、見られる可能性は高い。

「いいよ。待とう。それに・・・」

 まーさんの返答は、イーリスの想像と違っていた。
 ”待つ”という選択肢を選んだ。

「それに?」

「イーリス。俺たちは、王都から”逃げてきた”」

 まーさんが使った、”逃げてきた”という感覚は、イーリスにはない。

「??」

「この列に並んでいる者だけではなく、領都の人間にも、”特別な”順番を飛ばすような人物が来たと知らせることにならないか?」

 イーリスは、見られる可能性があるので、早く列から離脱して、中に入ることが目立たないことだと考えた。
 まーさんは、特別な人物が辺境伯領に来たということを、周りに知られる事に問題を感じた。

 確かに、イーリスの考えている通りに、列に並び続ければ、人目に晒される時間が長くなる。馬車も質素な作りになっているが、そろいの鎧を来た護衛を連れている3人組は珍しい。荷馬車を連れていないので、商人ではない。揃いの鎧を来ている護衛も、王都の近くなら珍しくもないが、辺境伯領では珍しい。一つ一つは珍しくもないが、すべてが集まっている集団なので、目立ってしまっている。

 まーさんの考えは、”見られる”のはしょうがないと思っていた。
 しかし、王都にいる”貴族”や”王族”や”勇者(笑)”に知られなければいいと思っている。奴らが、まーさんやカリンを探すときに、姿で探してくれたら、二人はまず見つからない。特徴的な、髪の毛の色で探すのはわかりきっている。そのために、髪の毛の色は変えている。
 それでも見つからなければ、辺境伯の領都に当たりをつけていた場合には、自分たちが何時も行うように、門番を呼びつけたり、検閲をスキップしたり、貴族の特権を利用した者が居ないか問い合わせをする。または、聞き込みをする。その場合でも、辺境伯の息が掛かっている兵士には聞けない。そうなると、領都にいる者や商人の噂話が中心になる。まーさんは、その噂話に上るような行為を控えようとしているのだ。

「あっ!」

「それに、急いで入っても意味がないよな?」

「え?」

 イーリスは、まーさんが言っている”逃げてきた”という感覚はないが、認識はしている。そのために、急いだほうがいいと思っている。
 この段階になって、逃げているけど、急いでも意味がない。まーさんが言っている意味が、イーリスにはまるで理解ができない。

 カリンは、考えるのを放棄して、バステトを膝の上に載せて、舟を漕ぎだしている。
 適度な暖かさがあるバステトを膝に載せて、柔らかな日差しを受けて、馬車の中は昼寝には丁度いい温度になっている。

「辺境伯は、王都だろう?代官が居るだけで、実質的に、挨拶をしなければならないような人物はいないよな?あぁ身分的な問題で、イーリスに挨拶に来る連中は居るかもしれないけど、俺やカリンには居ないだろう?」

 辺境伯は、王都で”勇者(笑)”のお披露目に出席するために、領都を離れている。
 実際に領都を仕切っているのは、ラインリッヒ辺境伯の弟にあたる人物だ。身分は、代官だが辺境伯家の人間なので、そのまま領都と周辺を任せてしまっている。

「そうですね。私にも、面会者は、代官くらいだと思います」

 本来なら、イーリスの立場なら、代官が出迎えてもおかしくない。
 しかし、イーリスも華美な歓迎を好まないこともあり、辺境伯からイーリス王女及び二名には簡単な挨拶だけに留めるように通達が出ている。イーリス本人の署名もついていることから、代官は簡単な挨拶を行うだけになっている。

「それなら、急がなくていいよ。目立たないほうがいいだろう?どうせ、門番に、身分を告げるのだろう?その時に、代官に知らせに行ってもらおう」

「わかりました」

「カリンもいいよな?」

「うん。まーさんに任せます」

 カリンは、なんの話をしていたのか解らないけど、まーさんに任せておけば大丈夫としか考えていない。

 馬車は順調に進んでいる。
 商人たちが多いのが理由だ。禁制品を持ち込んでいなければ、商人の通過は容易だ。領都には、関税も設定していない。消費の場なので、関税をかけるよりも、商人の売り上げから”税”を徴収するほうが楽なのだ。門での渋滞も少なくて済む。

「まーさん。私が、兵士と話をしてきます」

「わかった。頼む」

「はい。行ってきます」

 順番が来て、馬車が止まった所で、イーリスが馬車を降りる。
 その時に、辺境伯からの書状とまーさんとカリンの身分証を預かる。本来ならありえない手法だが、辺境伯からの証書もあるために、略式の審査で通過が認められた。
 イーリスから渡された書状を読んだ兵士が、領主の館に知らせに向かう。

 馬車に戻ってきたイーリスは、まーさんの正面に移動して座る。

「出してください」

 馬車の中から、御者に指示をだすと、馬車が動き出す。

 門を通過する時に、木戸を開けて、まーさんとカリンが顔を出す。馬車の中が見えるようになって、3人だけが乗っていることを兵士に見せてから、馬車は速度を上げる。

「ふぁ・・・。まーさん。すごいね」

 城壁を入れば、街が広がっている。
 王都は、石で建物が作られて、道は石畳になっている。見かけ上は綺麗になっていた。

 辺境伯領は、王都とは違う発展をしていた。森が近く、反対に意思の確保が難しいために、石で土台を作って、木材で家を作っている。

「ねぇまーさん。建物と建物の間が空いているのは?」

「火災対策じゃないのか?」

「火事?」

「あぁ建材に木が使われているみたいだからな。火事での延焼が怖いのだろう?だから、適度な感覚で隙間を空けているのだろう?」

「へぇ・・・。でも、石の積み方はいろいろだね」

「多分だけど、地下があるのだろう?それで、火事で延焼しても、自分の家の場所・・・。カリンには、土地と言った方がわかりやすいか?上物が燃えても、石が残っていれば、土地が判るだろう?」

「えっうん。そうだね」

「・・・」

「どうした。イーリス?」

「まー様。地下があると、なぜ思うのですか?」

「あぁ・・・。上物が燃えてしまうことが前提で作られているように思えるからな」

 まーさんは、他にも理由はあるが、それは語らずに、開けた木戸から街並みを眺め始める。
 イーリスも、不思議には思いながらも、”まーさん”だからと思って、それ以上の質問は控えた。

 おっさんとカリンを載せた馬車は、中央通りを進んでいる。

「イーリス。どこに向かっている?」

 馬車は、どんどん、領都でもっとも栄えた場所から離れている。馬車の目的先はイーリスが指示を出していた。おっさんは、イーリスをまっすぐに見つめて、質問を行っている。

「・・・」

 イーリスは、感情を読み取られないように、バステトを見るように視線を外した。イーリスは、おっさんの追及を躱せた。と、考えたが、おっさんの追及は止まらない。
 イーリスの態度から、追及ではなく、確認になってしまった。

「イーリス。もしかして、自分だけ挨拶をしたり、歓待を受けたり、対応するのが嫌で、俺たちを巻き込もうとしていないか?」

 おっさんの確認に、驚いたのはイーリスだけではなく、カリンも”宿に入って休む”と思っていた。そして、時間を確認して余裕があるようなら、領都の散策に出かけようと思っていた。
 王都では、屋敷から出ることが滅多に無かったが、領都では、カリンは自由に行動ができる。王都よりも治安がいいことや、カリンが、攻撃性のスキルが使えることなど、複合した条件だが、おっさんもイーリスも問題はないだろうと考えている。

「え?まーさん。イーリス?本当?」

 イーリスは、カリンからの抗議に似た視線から、目を逸らした。

「イーリス。”やましい”気持ちがあるときは、視線を逸らさないほうがいいと思うぞ?」

 おっさんは、イーリスの態度から、適切とは言えない情報を二人に与える。

「え?」

 イーリスが逸らしていた目線をおっさんに向ける。
 二人の視線がぶつかるのを、カリンは少しだけ面白くない気持ちで見つめる。

「今、カリンから視線を逸らしただろう。カリンの問いかけを認めているような状況だぞ」

「・・・。しかし、私は、認めませんよ」

 イーリスは、自分が認めなければ、大丈夫と考えている。
 それも間違いではない。イーリスとおっさんでは見えている景色が違う。おっさんは、イーリスが認めようと、否定しようが関係がないと思っている。

「そうだな。イーリスは、認めないだろう。でもな。カリンが、イーリスの思惑を”考えた”内容を、否定していないよな?」

 詳細な説明を避けたが、現状をイーリスに解らせるために、簡単な説明を始める。

「はい」

「その場合、カリンは”自分の考え”を、”解”だと思ってしまうぞ?後になれば、なるほど、否定は難しくなる」

 イーリスは、”否定していない”この事実だけで、カリンが”肯定された”と考えるには十分な情報だ。
 人は、信じたい方向に、思考を誘導されると、信じてしまう。

「・・・。それは、わかります」

「イーリス。その時には、相手の目線を正面から受け止めて、”にっこり”笑うだけですればいい」

「え?」

 イーリスには、おっさんが何を言っているのか解らない。
 目線を逸らさないのは理解ができるが、”にっこり”笑うのに、なんの意味があるのだろう?自分の中で考えても結論が出ない。考えを巡らせていると、おっさんが”にやり”と笑って、カリンに目線を移す。

「そういえば、カリン。イーリスが楽しみにしていた果物を、バステトさんと分けていたけど、イーリスに言ったのか?」

「え?」「・・・」

 カリンは、おっさんの暴露から、怒られないまでも、何かを言われると思って、イーリスから視線を外そうとした。

「カリン。イーリスから目線を外さない!」

 おっさんは、カリンが目線を外そうとしているのを察知して、カリンに指摘する。
 実験であり、イーリスに解らせるためだという意味を言葉に込めた。

 カリンは、正確におっさんの意図を感じ取って、目線をイーリスに固定する。

「イーリス?」

 イーリスも、おっさんが急に暴露話をしたことに困惑を覚えたが、実践しようとしていると思って、頭をフラットな状態に戻して、カリンを見つめた。
 カリンは、イーリスと目線が交差してから、”にっこり”と笑った。首をまげても、視線を外さない状態で、”イーリス”といつもと同じ口調で名前を呼んだ。

「はぁ・・・。まー様。本当ですね。問い詰めようとした時に、目線を外さないだけで、こんなにも曖昧に思えてしまうのですね」

 イーリスは、大きく息を吐き出して、おっさんに視線を移す。
 果実を食べられてしまったのはショックだけど、元々カリンと一緒に食べようとしていた物で、おっさんも誘っていたが、おっさんは『”二人で”食べればいい』と断っていた。その果実を、カリンが黙って食べたのだ。

 おっさんが、話を持ち出さなくても、この後で解ってしまう事だ。
 それを、イーリスに実地で”視線”の動かし方を教える教材にしただけだ。イーリスは、よく言えば”お嬢さま”だ。悪く言えば、”箱入り娘”だ。おっさんがだまそうとしなくても、簡単に騙せてしまう。
 おっさんは、王都から領都に来る間に、イーリスにいろいろ教えている。
 もちろん、善意だけではない。今後、おっさんとカリンが領都から出る状況も考えられる。もしかしたら、帝国からの脱出を考えるかもしれない。その時に、イーリスが一番の脆弱になってしまう。辺境伯は、おっさんが話をしても、いい意味でも悪い意味でも、”貴族”だと感じだ。自分の利益を最大限にするために行動する。行動原理が解りやすかった。そして、利益を分配する相手としては、理想的な相手だ。
 しかし、イーリスは、”正義”に憧れを持っている。本人は、否定するだろうけど、イーリスの行動原理は、自分の中に芽生えている”正義”だ。おっさんが危惧するのは、”正義”は暴走しやすいという事だ。その時には、利益があろうと、自己の犠牲さえも正当化してしまう。そんな危険な行動原理を持つイーリスには、自分を騙す方法を覚えてもらいたかった。

「不思議だろう?」

「はい。それで、カリン様?」

「え?あっ。ゴメン。バステトさんと食べちゃった」

「はぁ・・・。まぁいいです」

「ゴメン。だから、この後の面会も付き合うよ?」

 おっさんは、カリンとイーリスの会話を聞きながら、イーリスの微妙な変化を嬉しく思っている。
 カリンに対して、気安い相手だという認識を持ち始めている。その関係が、友愛になり始めていると感じて嬉しく思っている。

「いえ、まー様には、来ていただきたいのですが・・・」

 チラッとカリンを見つめる。

「あぁそういう人なのか?」

 おっさんは、一つだけ思い当たることがあり、イーリスに確認をする。

「いえ・・・。根はいい人なのは・・・。間違いは無いのですが・・・」

「面倒なのか?」

「はい。特に、カリン様は・・・」

「え?何?私?」

「ふぅーん。カリンが好みなのか?」

 おっさんは、イーリスの言い方と、イーリスのカリンを見る目線で、自分の考えが確信に変わる。

「いえ、逆です。私やカリン様は、恋愛の対象外でして、その代わり、毛嫌いをする可能性が高く、私は立場が立場ですので、無礼な対応はしないと思いますが、カリン様には・・・」

「私?別に気にしないけど?」

「あぁ・・・。イーリス。代官だけど、イーリスやカリンに興味が無いのは解った」

 おっさんは、確信が間違っていたと認識した。
 そのうえで、聞きたくはないが、聞かない状況は危険だと感じていた。

「はい?」

「男色なのか?」

 ”どストレート”に、イーリスに確認する。

「え?あっ・・・。違います。違います。恋愛対象は、女性です。女性なのですが、筋肉があり、強い女性が好きな方で、私やカリン様の女性を見ると、筋肉を付けろ、筋肉は素晴らしい。と・・・。少し・・・。本当に、少しだけ面倒に・・・。はぁ・・・」

「わかった。それなら、俺が出た方が穏便に終わりそうだな」

「え?そうなの?」

 カリンが不思議そうな表情をするが、面倒な人物なのだ。カリンやイーリスでは手に負えない可能性がある。

「あぁカリンは、先に宿・・・。で、いいよな?居てくれ」

 宿にカリンを届ける予定になっていると、イーリスに確認をするために、話の途中でイーリスを見る。
 イーリスが頷いたのを見て、カリンにお願いをする。

 おっさんは、カリンを宿に残す事で、自然な流れで”バステト”の存在を隠したかった。現状で、バステトは、おっさんとカリンの生命線になりかねないからだ。辺境伯は解っているかもしれない。イーリスは、把握はしているが、バステトと近くに居たために、認識を上書きしてしまっている。

「うん。バステトさんと一緒に居ればいい?」

「イーリス。大丈夫だよな?」

 再度確認を求めて、おっさんはイーリスからバステトの認識を外させる。

「はい。手配は終わっています。それで、まー様。本当に、よろしいのですか?本当に、本当に、本当に、少しだけ・・・。面倒な人ですよ?」

「貞操の危機がなければ、面倒な人物は大好物だ。辺境伯が、代官に指名するくらいだ。問題は、その面倒な性癖だろう?」

「はい。能力は問題ではありません。能力は・・・」

 イーリスの大きな溜息が、おっさんの気分を暗くするが、”面倒な人”は日本でも何度も合っている。
 テーブルの反対側にいる面倒な人なら対処は解っている。だから、大丈夫だと思っている。

 馬車は、行き先が変わった。
 イーリスの目論みが判明したことで、おっさんが馬車の行き先を変更させた。まずは、宿に行って、荷物を置いてから身支度を整える。

 おっさんが提案したのは、カリンとバステトを宿に置いて、”おっさんとイーリスで代官に挨拶を行う”と、いうものだ。最初は、カリンが自分も行くと言い出したのだが、イーリスがカリンにはやって欲しいことがあると、伝えることで引いてもらった。

 おっさんは、イーリスが代官に会う必要があると言っていた。
 しかし、おっさんには、不明瞭なことがある。イーリスを問い詰めてもいいとは考えていたが、イーリスの”心”の問題だと考えている。わざわざ問い詰めなくても、説明を求めるチャンスが訪れるだろうと思っている。

「まー様?」

 無遠慮な視線をイーリスに向けていたので、イーリスが不思議に思って、おっさんに話しかける。
 おっさんは、イーリスの呼びかけで、意識をイーリスの考えにスライドさせる。カリンも居ないので、丁度いいタイミングだと考えて、これからの会話の道筋を考える。

「どうした?」

 イーリスとしては、おっさんが自分を見ていたように感じたので、話しかけたのであって、何か話したいことがあったわけではない。
 むしろ、イーリスとしては、おっさんと話をしないで、代官が執務を行っている屋敷に到着したかった。

「いえ、ありがとうございます」

 頭をさげて、会話を終わらせることにした。”ありがとうございます”に、いろいろな意味を込めたのだが、おっさんなら解ってくれると考えた。
 イーリスは、おっさんやカリンを好ましい人物だと思っているが、おっさんと二人で会話をするのは苦手としていた。楽しい話や、自分には考えられないことを、聞けるので会話をしたいとは思っているのだが、おっさんと二人で話をしていると、会話で見られたくない部分を、暴かれる感じがしている。

「いいよ。どうせ、代官には、いずれ会うことになっていただろう」

 イーリスの感情を察しているのか、表情からは読み取らせない。飄々とした語り口で、イーリスに話しかける。

「はい」

 二人は、領地の運営が行われている建物に向かっている。
 宿屋が用意した質素な馬車に乗り換えている。乗ってきた馬車は、カリンが使う事になった。護衛も、半分はカリンに付いている。

 イーリスは、弛緩した空気に安心して、馬車の窓から見える、流れる景色に視線を移した。

「それで、イーリス。何を隠している?」

 いきなりの問いかけに、イーリスは視線を戻して、おっさんを見つめてしまった。

「え?」

 口から出たのは、おっさんに対する疑問ではない。驚いてしまっただけだ。

「代官の事ではないな。そうだな。代官の息子か?問題があるのだろう?」

 おっさんが口にした想像は、”よくある話”だ。
 イーリスは、代官の問題行動を情報として提示した。これは、隠しておきたい情報があると想像ができる。おっさんは、イーリスの表情や態度から、隠されている情報に”あたり”を付けただけだ。

「え・・・。なぜ?まー様?ご存じのはずは・・・」

 イーリスの返答を聞いて、おっさんは、想像が悪い方向に当たっていると確信した。イーリスは、”なぜ?”と疑問を口にする前に、否定すべきだった。

「半分は、”感”だ」

 ”なぜ”の回答としては、最低の答えだ。イーリスが、違和感を持てれば・・・。気が付いていれば、おっさんの言葉から問い詰めることができる。
 ”感”が、何に由来する事なのか?”感”は、おっさんに染み付いた技能から成り立っている。しかし、イーリスはおっさんの”感”というセリフを、”馬鹿にされている”と感じてしまって、言い返す形にしてしまった。

「”感”ですか?残りの半分は?」

 そのために、イーリスは”半分”という部分に食いついてしまった。
 残りの半分もなにも、おっさんが”代官の息子”だと答えたのは、おっさんの経験から導き出した言葉なのだ。そこを突っ込んでも、イーリスが得る物は何もない。でも、人は”単純な疑問”ほど答えが単純だと勘違いしてしまう。イーリスも、おっさんが仕掛けた思考の罠に嵌ってしまった。

「外しているのなら、質問の前に否定しないと、ダメだぞ?俺の心証としては、『イーリスは何かを”まだ”隠している』ことになっている」

 カリンが居る時に話した内容を引っ張り出して、おっさんはイーリスの思考を別の場所に誘導する。

「え?あっ・・・」

 見事にイーリスの思考は、おっさんが言った”代官の息子”の話に戻されてしまった。

「それで?」

「ふぅ・・・。代官の息子が、代官の・・・。領主の力が自分にあると思うような人で・・・」

「そういえば、フォミル殿には、跡継ぎは居ないのか?」

 いきなり話を飛ばすが、話の確信部分に相当する。おっさんは、イーリスの思考を誘導しながら、情報を引き出し始める。

 辺境伯領で、代官の息子程度が好き勝手にできるとは思えなかった。
 他の愚鈍な貴族ならわかるが、おっさんには辺境伯がそんな人物を放置しているとは思えなかった。

「はい。数年前に・・・」

「そうか、それで、王都に居るのだな」

「え?」

「自分と、そうだな。家族が安穏に過ごすはずだった場所。その生活に必要なピースが欠けたのだろう?まだ、楽しかったことを思い出したくないのだろう?だったら、この街で過ごしたいとはおもわないよな?そして、もしかしたら・・・。いや、辞めておこう」

「まー様」

「悪い」

「いえ、大丈夫です。それよりも、代官の息子。リヒャルトと言うのですが、権力を使うのも、奴隷を買うのも、自分に許された権利・・・。特権だと思っているようなのです。自分は選ばれた者だと、そして、フォミル殿の後は自分しか居ないと・・・」

「愚かだ」

 おっさんの低く今までにない声色に、イーリスは”ドキッ”とした。
 ”怖い”という表現が正しいのだが、それ以上に、おっさんがなぜ、感情を露わにしたのか気になった。

 おっさんは、何に感情を揺さぶられたのか・・・。

「え?」

「力・・・。特に、権力は、譲られたにしろ、奪ったにしろ、その為の努力が意味を持つ」

 声色が戻って、普段と同じようには取り繕っているが、明らかに嫌悪感を含んだ物の言い方になっている。

「はい」

「努力もしないで、譲られるのを待っている権力に何の意味もない。そして、楽に手に入れた権力は、権力を持った者を蝕み、周りに浸食する」

「・・・」

 イーリスは、おっさんの言っている内容が痛いほど理解ができてしまった。普段から感じている内容を、言葉にされた。
 そして、納得してしまっている自分に唖然としている。

「心当たりがあるのだろう?」

「・・・。はい。ありすぎます」

 イーリスは声を絞りだす。絞りだすしか、表現する方法が思い浮かばなかった。
 思い浮かんだ顔を、頭の中から振り落とすように、頭を振る。嫌悪の感情さえ持っている。

「権力は、手に入れた手段を問題にしてはダメだ。手に入れて何をするのか?何をしたのか?が、大事だ。そして、それはその者が、権力を得る前にも、片鱗を見ることができる」

「片鱗?」

 イーリスとしては、権力を持って変わってしまったと”思いたかった”。

「例えば、食事をするときに、ホストなのに客よりも先に飲み始める。ゲストの時に、ホストの話を聞かない」

「あっ」

「簡単に言えば、その場、その場での関係があるよな?それを、自分の力だと勘違いをするのは、権力を手に入れても同じことを行う」

「・・・。そうですね」

 イーリスは、自分の考えが、思いが、おっさんに見抜かれているのではないかと恐れ始めた。
 表情を消して、おっさんの言葉に耳を傾けようとしている。

 表情を読まれなければ・・・。

「なぁイーリス」

 おっさんは、イーリスの表情から、覚悟を決めた者たちが持つ特有の匂いを感じ取った。
 昔、遠い昔に、親友と呼べる人物が同じ表情をしていた。そして、親友は自分の信じる”正義”を遂行した。

「なんでしょう?」

「別に、隠し事はいいよ。俺にも、カリンにも隠している事はある」

「・・・。はい」

「自分の心を殺してまで隠す必要があるのか?」

「え?」

「何を考えているのか解らないけど、自分をうまく騙せないのなら、隠さないほうがいいぞ?心が壊れてしまうぞ」

「まー様。しかし、これは・・・。私の、私たちの・・・」

 イーリスは、窓から外を見る。

「まー様。少しだけ遠回りしますが、よろしいですか?」

「あぁ」

 イーリスは、おっさんからの許可を貰って、御者にルートの変更を告げる。