「それでは、まー様。対価はどうしたら良いでしょうか?研究所も、私も自由になるイェーンは多くありません」
「イェーンは、出来る範囲で構わない。それよりも、本には本で対価を支払って欲しい」
「本ですか?」
「研究所なのだろう?初代が書いた魔導書とかの写しがあるよな?俺たちには、使えばなくなってしまうイェーンをもらうよりも、情報がまとめられている本の方が嬉しい」
イーリスは少しだけ考えて、おっさんに二つの条件を提示した。
「まー様。二つの条件をご承諾いただければ、初代様のことが書かれている書籍をお渡し致します」
「条件?」
おっさんは、見てわかるような態度で不機嫌であると示した。条件をつける立場では無いだろうと表情と態度で語っている。
慌てたのは、ロッセルだ。糸野夕花は見えていないのか、態度も表情も変えない。
慌てたロッセルがイーリスとおっさんの話に割って入ろうとしたのを、おっさんが手で止めた。
「はい」
「いいぞ、言ってみろ」
口調まで変えた。糸野夕花もやっとおっさんが不機嫌だと気がついたが、自分に向けられているのではないので、おっさんの出方をみようと考えた。ここで、ロッセルやイーリスを脅したり、暴力を奮ったり、自分から見て理不尽に思える行動をするようなら、逃げ出す方法や生活基盤の構築を考えなければならないと思ったのだ。おっさんの人柄を見極める材料にしようと考えたのだ。
「ありがとうございます。初代様が書かれたと言われている書物の数は多いので、まー様と彼女で選別をしてください」
「ひとまず、条件を教えてくれ」
「はい。一つ目は、書物の模写はスキルで行います。彼女が持っていた”紙”に模写を実行させてください」
「ん?彼女の・・・。あぁノートか、どうする?」
おっさんは糸野夕花を見る。彼女の物なので、彼女に判断を委ねる。
糸野夕花は、任されても困ると思っているが、自分の考えを口にする。
「うーん。持っていても、売る以外に価値がないから、使えるのなら使おう」
「ありがとう。彼女の了承も貰えたので、提供に関しては、問題はない」
「ありがとうございます。もう一つは、模写には時間がかかります。その間、研究所に来て頂けませんか?」
おっさんは、先程とは違って渋い顔をする。
提案は、問題はないが、状況が整わないと”この場所”に居るよりも危険だと考えたのだ。
「いくつか確認したいが、問題はないか?」
「もちろんです」
「今の話は、イーリス殿の独断か?ロッセル殿は知らなかったと考えていいのか?」
「はい。私の独断です。問題があれば、私だけを罰してください」
「わかった。次の質問だが、研究所は王城にあるのか?」
「・・・。いえ、王城には、私の部屋や与えられた場所はありません」
「それでは、王都の中か?」
「はい。貴族街にはなりますが、職人街や商人街の近くです」
「貴族街や職人街や商人街という単語が気になるが、王城ではないのだな?」
「はい」
「貴重な書物が多いように思えるのだが、王城で管理はしていないのか?」
「しておりません。貴族や王家には必要がないと判断されています」
「ふぅーん(文化を殺す国なのか?未来はないな)」
「え?」
「いや、なんでも無い。正式には、彼女と話をしてからになるが、こちらかも条件をつける」
「はい」
「まず、作業をする部屋には、イーリス殿とあと一人だけの立ち入りにしてくれ」
「わかりました」
「人は、一度決めたら、どんな理由があっても交代は認めない」
「はい。模写は、まー様の目の前で行うのですか?すごく時間がかかります」
「それは、任せる。俺と彼女に会える人物を最低限に抑えたい」
「わかりました。他には?」
「そうだな。イーリス殿。どうせ、俺や彼女が、読めた書物の内容を聞きたいのだろう?こちらの言葉に訳して欲しいのだろう?」
「え?」
「出来る範囲で協力してやるから、全部の書物を見せろ」
「ありがとうございます。わかりました」
「衣食住の安全を保証しろ」
「研究所の存在を知っている者は、辺境伯と派閥の一部です。研究員の身元も解っています。身内の確認も出来ています。研究員と研究員の家族も安全が保証されています」
「わかった。安全なのは信じよう。最後の要求だが、俺と彼女に年格好が似ている者を、この部屋で書物の模写が終わるまで生活させろ、その上で、ロッセル殿が毎日のように面会して、上に報告を上げろ」
おっさんは、次の条件はロッセルに突きつける。
「期間は?」
「模写が終わってから1週間だ」
「わかりました。手配します」
ロッセルが目指しているのは、二人を辺境伯の庇護下に置くことだ。
そのためにも、イーリスの話におっさんと糸野夕花が乗ってくれるのはありがたい。
おっさんも、少ない情報から、王城に居るのは危険だと判断していた。それではどこが安全なのかわからないが、安全が確保された場所というのはありがたい。それだけではなく、おっさんと糸野夕花の利用価値を認める人が提供する場所は理想に近い。一時的に身を寄せるには丁度いいと判断した。
「どう思う?」
おっさんは、糸野夕花に意見を求めた、二人だけになってから話をした方がいいのは解っているが、ロッセルやイーリスの目の前で話をしたのは、おっさんが糸野夕花に意見を聞いている所を見せるためでもある。
「うーん。王城に居るよりはいいと思う。ねぇイーリスさん。研究所には寝泊まり出来る場所はあるの?お風呂があると嬉しいのだけど?」
「あります。研究所とは別に、私の屋敷が敷地内にあります。そこに、小さいのですがお風呂があります。初代様が好きだったので、王家の者が住む屋敷にはお風呂が作られています。客室も、この部屋ほど豪華ではありませんが、用意できます」
「まーさん。私は、賛成かな!」
「わかった。わかった。ロッセル殿。イーリス殿の提案を受けさせてもらおう。研究所に俺たちが居るのは・・・」
「私と彼女と、辺境伯とまーさんから言われている通りにあと一人だけにします」
「それなら問題はない。いつ、移動する?」
即断即決。
決まったら、すぐに実行が、おっさんの考えるベストなタイミングだ。
「まーさん。少しだけ、お時間をください。勇者たちの動向を確認します。あと、お二人の身代わりの選出も平行して進めます」
「わかった。それまで、”ここ”で待たせてもらう。身代わりは、都合が良い人物がいたら頼む。難しいようなら、この部屋の前に、ロッセル殿が手配出来る者を二人か三人ほど立たせて、俺と彼女への面会を拒絶してくれ、食事も最低限を運ばせて、運んできた者が食べるようにしてくれ」
「それなら、辺境伯に協力を仰がなくても手配できます」
「無理でない範囲でやってくれ」
「わかりました」
おっさんは、素直に頷くロッセルを見て、駆け引きとかが苦手で、素直な表現をしてしまうので、そうとう嫌われているのだろうと判断した。これで、能力があればもっと嫌われるのだろう。善良な無能者は、利用できるが、有能な善人は有効価値が少ない。利用した時のデメリットが大きすぎる。
おっさんは、頭をさげてから出ていく二人を見送りながら、日本に居た時のことを思い出している。
「ねぇまーさん。身代わりに、偽装を施すの?」
「それは考えていない。俺や君の能力は、権力に近い者たちに見せたくない」
「え?」
「だって、君。収納のスキルに、勇者たちの荷物の一部を入れただろう?」
「・・・。まーさん」
「ん?別に、いいと思うぞ?彼らは気が付かないみたいだし、君が魔法陣の中で行ったことは、俺は見えていない」
「むぅー。それって、見ていたってことですよね?」
「ハハハ」
「まーさん?」
「あぁ何かやっている程度だったけどな。それに、君のことだから、正当な理由があるのだろう?辞書とか、勉強道具とか、筆記用具だろう?」
「はい。物理の教科書とか、筆記用具とか、異世界物でオーバースペックになりそうな物で、私に持たせていた物を奪いました」
「ほぉあとで検証したいけどいいか?」
「はい。お願いします」
おっさんは、出された荷物を見て、自分の持ち物も提示し始める。
ロッセルとイーリスが部屋から出ていったのを確認して、二人は荷物をテーブルに広げる。
「まーさん。本当に、何者ですか?」
「どうして?」
まーさんがポーチから取り出した物を見て、糸野夕花は固まっていた。
不思議な表情で物品を眺めてから、まーさんに質問をした。
「このスマートウォッチ・・・。最新機種ですよ?それが、二つ?それに、折りたたみ式のソーラパネルに、このケーブル・・・。IT会社の人なのですか?」
「あぁ違う。違う。ただ、知り合いに、そういうのが好きな奴が居て、仕事を流したお礼に貰っただけだ」
「仕事を流した?」
「あぁ仲介したと言ったほうがわかりやすいかな」
「うーん」
「違法な物はないよ」
「え?」
「え?って何?」
「だって、これって脇差ですよね?銃刀法違反ですよね?」
糸野夕花が指差しているのは、たしかに脇差だ。刃渡りは45センチ。知り合いの刀匠に打ってもらった。
「許可を取って”持ち帰る”所だから問題はないよ。持っている正当な理由だよ」
「・・・。だから、何者ですか?」
「神田小川町で、事務所を構える”なんでも屋”だよ」
「・・・」
糸野夕花は、まーさんを睨むが何を言ってもダメそうなだと感じている。
実際に、まーさんの”職業は?”と聞かれて、ブローカーと言ってもわからないだろうと思っているのだ。そもそも、ブローカーが職業なのかも不安なのだ。だから、”なんでも屋”という言葉を使って説明を端折ったのだ。
まーさんは、糸野夕花が名前を変えたがっていたのを思い出した。
「それで、糸野さん。名前を変えたほうがいいと思うけど、何かある?ナデジダとかオススメだよ」
自分から提案する形を取ったのは、その方が受け入れやすいと考えたからだ。
「え!嫌ですよ。レーニンの妻の名前ですよね。独裁者の嫁になって死にたくないです」
「えぇいいと思うけどな。それなら、ヒルデガルドとかは?あっアンネローゼとかでもいいとおもうけど?」
「今度は、違った方向の”皇帝”の妻ですよね?本当に、何者ですか?」
「俺の話にしっかりとついてこられるのもすごいと思うけどな。どちらかは知っているかと思ったけど・・・」
「それなら、フレデリカのほうが好きですよ。そうだ!カリンにします。ゲームで使っていたので、丁度いいです」
「へぇユリアンの相手だね。原作を読んでいるの?それとも、昔のアニメ?」
「両方です。父が好きだったのです」
「そうか、お父さんとは友達になれたな・・・」
「えぇパルスの歴史物も好きでしたし、龍の話も読んでいました」
「ほぉそうなると、女好きのダメな天才の奴も読んでいた?」
「買っていました。DVDも持っていました」
「そうか、お父さんとは同じ世代だろうから、話が合ったかもしれないな」
「今のまーさんを見るとお父さんというよりも、近所のガラの悪いお兄さんですよ」
「はぁ?」
「まーさん。絶対に若返っていますよ?全盛期に戻っているのではないですか?」
「そんな、サ○ヤ人みたいな設定はないと思う・・・。本当だな。20歳前後に見えるな」
おっさんは、ブラックアウトしているスマホの画面で自分の姿を確認した。
二十歳前後の姿に見える。
懐で寝ていた。大川大地が起き出した。
『にゃぁ』
懐から出て伸びをする。
やっと起き出すようだ。
「そう言えば、大川大地さんの偽装も確認しておかないと・・・。そうだ!カリンさんの名前を変えるから、俺と大川大地のスキルを隠蔽してくれないか?」
糸野夕花は、自分で決めた名前を、まーさんが呼んだに反応が出来なかった。
いきなり、新しい名前で呼ばれるとは思っていなかったからだ。
「・・・。あっそうだ。私だ!いいですよ」
「うん。名前を変えれば、糸野夕花ではなく、カリンとなる。髪の毛は、貴族の中に何人か黒髪が居たから、大丈夫とは思うけど、髪色を変えられる方法を考えたほうがいいかもしれないね」
「はい。ありがとうございます。名前を変えてください。これで、ロッセル殿やイーリス殿に名乗れますね」
「あぁ。そうだな。でも、必要がなければ、名前は適当に名乗っておいたほうがいいぞ」
「はい。わかっています」
「それじゃ、偽装と隠蔽を行ってしまおう」
「はい!」
大川大地は、バステトと名前をつけると決めた。正式名は『バステト・ブバスティス』と、異世界風の名前に決まった。
『にゃぁおん』
「よし、バステトさんも喜んでいる。世界中を探しても、古代エジプトの女神の名前を持つ猫は、バステトさんだけだ!カリンさん。隠蔽が見抜かれた時のために、まずが偽装を施すよ。その後で、偽装した物を隠蔽してもらえる?」
「あっまーさん。私もお願い出来ますか?」
「いいよ。でも、俺にカリンさんのスキルが見えちゃうよ?」
「うーん。でも、仕方がないですよね。それに、もう私のスキルは見ていますよね?」
「そうだね。聖女様」
「辞めてください!残されたジョブから考えると、まーさんが賢者ですか?」
「違いますよ。バステトさんが賢者ですよ」
「・・・。まーさん?」
「ふふふ。あとで、ロッセルに確認しましょう。ジョブがどうやって決められるのか知らないと、変なものをつけると、偽装を疑われます」
「あっ!ロッセル殿は、まーさんのジョブを見て、偽装を疑ったのですね?」
「そう思うから、彼に聞くのが一番だと思う。他にも、称号やスキルに関しても聞かないとダメだろうな」
「そうですね。それ以外のスキルの偽装と隠蔽を行いましょう」
「ひとまず、偽装と隠蔽を行っておこう。話を聞いて、修正が必要なら修正すればいい」
「あっその方がロッセル殿を・・・」
二人は、見せるスキルを選択して、それ以外は偽装を施してから、隠蔽を行うことにした。
///糸野夕花 → カーテローゼ・トリベール
///ジョブ
/// 聖女 → 錬成士 → (隠蔽)
///称号
/// 異世界人 → 旅人 → (隠蔽)
///スキル
/// 錬成
/// 看破(1/10) → 癒術 → (隠蔽)
/// 隠蔽(1/10) → 隠形 → (隠蔽)
/// 収納(1/10) → (空白) → (隠蔽)
/// 魔術 → (隠蔽)
/// 聖(1/10) → (空白) → (隠蔽)
/// 闇(1/10) → (空白) → (隠蔽)
/// 鑑定(10/10) → (空白) → (隠蔽)
/// 生活魔法
錬成を残したのは、魔法を使った時に、ごまかせるのではないかということだ。
まーさんは、カリンが望むように偽装を施した。偽装と隠蔽を行った状態で、スキルが発動するのか確認した。カリンという名前が、愛称にして本名は別にある方がしっくり来るので、カーテローゼという名前を付けた。愛称としてカリンと呼ぶようにする。家名は、まーさんが適当に付けたが、カリンが気に入ったので、そのまま使うことに決まった。
カリンが、収納から荷物を取り出してみるが、取り出せるので使えると判断した。意識を自分に集中させることで、スキルも鑑定の対象にできると解ったので、スキルを鑑定して何が出来るのかを把握した。
///立花雅史 → マーロン・ダドリ・グレース
///ジョブ
/// 賢者 → 遊び人
///称号
/// 純魔の持ち主 → (䱭鰉䱇䱎䱎鰌鰲鯋䱎鱪鰲鮼) → (隠蔽)
/// 異世界人 → 旅人 → (隠蔽)
/// 聖獣の保護者 → バステトの主
///スキル
/// 模倣(1/10) → (䱇鰇鮗鱸) → (隠蔽)
/// 収得(1/10) → (鰲鱈䱥鱰) → (隠蔽)
/// 偽装(10/10) → (鮫鰥鯒鮗) → (隠蔽)
/// 魔術 → (隠蔽)
/// 生命(1/10) → (鮲鰣䱇鰦) → (隠蔽)
/// 鑑定(10/10) → 鑑定(1/10)
/// 生活魔法
/// 清掃魔法(必須:ウィッシュのポーズ)
「大川大地さん。改、バステトさん。スキルを隠すよ」
『なにゃ!』
「いい子ですね。まずは、偽装をしますから、こっちに来てください」
///大川大地 → バステト・ブバスティス
///ジョブ
/// 聖獣 → 使い魔
///称号
/// 異世界生物 → 旅人 → (隠蔽)
/// 賢者の従魔 → マーロンのペット
///スキル
/// 聖装 → 猫魔術
/// 飛翔(1/10) → 猫ジャンプ
/// 敏捷(1/10) → 猫脚
/// 収納(1/10) → 秘密(ハート) → (隠蔽)
/// 生活魔法 → 肉球
「まーさん。いろいろ、確認したいのですけど・・・」
「なに?遠慮しないで?」
「ふざけています?」
「ふざけていないよ。馬鹿にしているだけだよ」
「わかりました。隠蔽をしていきますね」
「頼むよ」
///カーテローゼ・トリベール
///ジョブ
/// なし
///称号
/// なし
///スキル
/// 錬成
/// 生活魔法
///マーロン・ダドリ・グレース
///ジョブ
/// 遊び人
///称号
/// バステトの飼い主
///スキル
/// 生活魔法
/// 清掃魔法(必須:ウィッシュのポーズ)
///バステト・ブバスティス
///ジョブ
/// 使い魔
///称号
/// マーロンのペット
///スキル
/// 猫魔術
/// 猫ジャンプ
/// 猫脚
/// 肉球
「スッキリしましたね」
「そうだな。この情報で、カードが作られたらいいのだけどな」
「そうですね。それが残っていました」
二人は、荷物を整理しながら、次にすべきことを考え始めた。
ドアがノックされた。
まーさんとカリンは、テーブルの上に置いていた物でロッセルとイーリスに渡す物以外を、カリンの収納に隠した。バステトの収納もあるが、コミュニケーションの問題もあるので、まずは簡単にしまえる。カリンの収納に全部を入れた。
「カリンさんは、大丈夫?」
「まーさん。私のことは、呼び捨てにしてください」
「ん?カリンと呼べばいい?カーテローゼさん」
「はい!カリンでお願いします。ネットゲームでも同じように呼ばれていました」
「わかった。パステトさんは?」
『にゃぁ!』
「呼び捨てでいいのですか?」
『にゃ!』
言葉がわかるのか、頷いている。
「わかりました。バステトと呼びますね」
『にゃ!』
「カリンも、バステトも、ロッセルたちを入れるよ?」
「はい」『にゃ!』
外に居る者に返事をする。扉を開けて、ロッセルとイーリスが入ってくる。続いて、三人の男性と二人の女性が入ってきた。沢山の荷物を持っている。男性三人は、まーさんとカリンが召喚された場所に居た兵士たちと同じ格好をしている。二人の女性は、一人はメイドの格好だが、もう一人は兵士の格好をしている。
イーリスもまだメイドの格好のままだ。
「まーさん。お待たせ致しました」
「大丈夫だ。まずは、こちらから渡す物だ」
「え?」
勇者(笑)のノートの表紙を破いた物や、地球の歴史と地図が書かれた物は全部渡した。
電子辞書は、オーバースペックになると判断して渡さないことにした。数学や国語の教科書。カリンが日本に居た時にバイトでやっていた家庭教師の資料などは渡した。小学校の低学年に国語と算数を教えていたので、資料としては丁度良いと判断した。
物理と勇者たちの教科書である工作関係や保険の教科書も渡さない。まーさんが見て、火薬くらいまでは作られそうだと判断したためだ。数学を渡したのは、いきなり高校のそれも進学校の教科書を見てもわからないだろうという判断だ。
他にも、メモ用紙やカリンが持っていたルーズリーフを渡した。歴史の教科書は、解読していけば”紙の作り方”や”ビールの作り方”や”蒸留酒の作り方”が書かれている。歴史の教科書も、火薬が出てきてからは破いて渡さないようにした。
イーリスが喜んだのは当然だ。
まーさんは、これらの物は自分とカリンの安全を保証させるための取引材料だと伝えた。
「まーさんと、彼女の安全は、我らに出来る限りのことをします」
「わかった。頼らせてもらう。それで?豚宰相と愉快な仲間たちは?」
新しく入ってきた兵士の一人が、まーさんの言い方を聞いて、笑いを噛み殺している。まーさんは、気にした素振りを見せないで、ロッセルを見る。カリンは、笑い声は聞こえなかったが、”ぷっ”と吹き出す音を聞いて、音を出した兵士を見てしまった。兵士も、見られたことに気がついて、ドアの近くで何も無かったかのように立っている。
「陛下は、王妃を連れて、日課にしている散歩に出かけています。ぶ・・・宰相と勇者様は、派閥の者たちから歓迎を受けています」
「そうか、養豚場とかに行くのかと思ったが、王城にはまだ居るのだな?」
「はい。間違いありません。辺境伯様が、部下を潜り込ませています」
「それなら、大丈夫だろう。俺や彼女のことは?」
「それで、宰相から命令が来てしまって・・・」
「ん?なんだ?」
「お二人のジョブを調べてこいと・・・」
「ジョブ?スキルは必要ないのか?」
「はい。勇者様たちが、お二人を鑑定した結果を・・・」
「あぁそれなら問題はないな。それなら、ジョブも解っていただろう?」
カリンが、まーさんの服を引っ張る。
「まーさん。もしかして、彼らの中に、鑑定のレベルが高い者が居たかも?」
「ん?」
「鑑定のレベルが高いと、隠蔽は見破られちゃう可能性がある」
「へぇ・・・」
まーさんは、ロッセルを見る。
ロッセルが鑑定を持っていないのは、確認しているから解っている。まーさんは、頭を動かさないようにして見える範囲の人間たちの視線を追う。
イーリスの後ろに控えていた侍女がドアの近くを見ている。
「なぁロッセル殿。俺の話は理解しているよな?俺たちに信頼して欲しければ・・・」
「・・・。はい」
「はぁ・・・。それも言ったよな?ロッセル殿は真面目すぎる。今の反応だと、俺との約束を守りたかったが、”上役から押し付けられた”と言っているようなものだぞ。そして、ドア付近に立っているのが、ロッセル殿の上司になるのか?話の筋で考えると、辺境伯か、辺境伯に近い者が自ら出向いてきたのですか?」
ロッセル殿はかろうじて声を上げなかったが、イーリスの後ろに控えている女性は驚きの余り、手に持っていたお盆を落として、声を上げてしまった。
「いやいや。驚いた。あれだけで・・・」
ドアの所に居た兵士が、ロッセルの横に座った。まーさんの正面の位置だ。
「異世界からの客人。失礼した」
「”まーさん”だ。俺のことは、”まーさん”と呼んでくれ、敬称も不要だ」
「わかりました。まーさん。家名は名乗れませんが、貴殿の予想した通りに、私は辺境伯に連なる者だ」
「わかりました。名前は、人を識別するために必要ですが、貴殿は一人なので間違いようがない・・・。ふむ・・・。フットワークの軽さから、次期辺境伯でしょうか?」
「・・・。肯定も否定もしないよ。そうだ!まず、貴重な資料やデータをありがとう。研究が捗るよ」
「研究ですか・・・。まぁいいです。それで、脱出はどうしますか?」
「夜の方が、いいとは思うが、王城からの脱出だと夜のほうが目立つ。明るい間に堂々と脱出しよう」
「作戦は?」
「そうだな。まーさんが考えてくれると助かるのですが?」
辺境伯に連なる者と名乗った男性は、まーさんを挑戦的な目線を向ける。
実際に、この男は次期辺境伯だ。王家の血筋でもある。
「・・・。兵士たちの衣装は、何か個人を特定する物が着いているのか、名前とか紋章とかがあるのか?」
次期辺境伯ではなく、イーリスがまーさんの疑問に答えた。
「まー様。下級兵士には、紋章を付ける許可は降りません。中隊以上の士官にしか認められません」
まーさんは、イーリスの話を受けて、次期辺境伯を見つめて話を切り出す。
「よかった。俺と彼女の二人分の衣装を用意してくれ、それと、庶民が着る服を一式用意してほしい」
「わかりました。既に用意して持ってきてある。サイズがわからなかったから、適当に持ってきた。合わせてみてくれ」
まーさんは、辺境伯を睨んだが、にこやかに笑って流している。
まーさんとカリンに服を渡しながら、次期辺境伯は、もう一つの話を切り出す。
「まーさん。彼女のスキルを、鑑定で見たが・・・。これを報告してよいのか?」
「問題は、無いですよ。どう見えたのかは教えて下さい」
「やはり、隠蔽だけではないな?」
「何のことでしょう?それよりも、貴殿がどういった報告をするのか知りたい」
次期辺境伯は、まーさんの求めに従って、王家に報告する内容を語った。
まーさんは、黙って報告すると言っている内容を聞いている。大きな問題がない内容なので、ロッセルに一つの質問をする。
「そうだ。ロッセル殿。ジョブについて教えて欲しい。ジョブは、変わる物なのか?」
ロッセルとイーリスはお互いの顔を見る。
次期辺境伯も渋い顔をするのだ。
「どうした?」
「まーさん。”ジョブ”の仕組みはわかっていません」
「え?そうなると、神が勝手につけているのか?」
「わかりません」
「ジョブで何かが変わったりしないのか?」
「ジョブによって得手不得手があると言われていますが、実際には何も解っていません」
「どんな種類があるのかも解っていないのか?」
「わかっていません。まーさんのジョブで表示されている”遊び人”は、私が知る限り、初めてのジョブです」
ロッセルが断言したのを聞いて、他の人たちも肯定する。
「そういうのは珍しいのか?」
「いえ、珍しくはありません。私が知っている限りでは、1年に1-2個は新しいジョブが見つかります」
「そうか、ジョブは変わるのか?」
「変わります。娼館通いを続けた商人が、”娼館狂い”というジョブを付けられたのは、有名な話です。あと、ゴブリンだけを殺し続けた」「あぁそれはいい。わかった。王家への報告は”遊び人”で大丈夫だ。彼女の名前は見えなかったと報告してくれ、それからジョブは”巻き込まれた異世界人”とかにしてくれると助かる」
まーさんは、ロッセルのジョブの話を食い気味にかぶせた。
報告に、少しだけ手心を加えるように依頼する。次期辺境伯も、王家にはいい感情を持っていないために、まーさんの提案を受ける。王家に何かする気が有るのなら、手を貸すからクーデターでもなんでもしていいからと言い残してソファーから立ち上がった。
次期辺境伯は、ドアまで移動して、顔をまーさんに向けないままに話しかける。
「これから話すのは独り言だ。。教会の連中や、豚宰相の部下たちが、前回の勇者召喚の時にも、”聖女”や”賢者”が居た。今回は、人数も少なく、こちらに居る二人が”聖女”と”賢者”ではないかと騒いでいる」
「・・・」
「私の報告で、一旦は騒ぎわ収まるかもしれないが、いつまで抑えられるかわからない。”看破”のスキルを持っていれば、”偽装”のスキルも見破れる。私が知る限り、”看破”のスキルを持っているのは、私の妻だけなので、王家には協力しないと断言できる。しかし、スキルは”いつ””だれに”芽生えるのかわからない」
「あぁこれは、俺の独り言だけど、俺の世界の読み物では、”魔法の素質があり、杖を持つ者”が聖女や賢者になる。”聖女であり賢者である”なんてのも珍しくない。あと、勇者は”剣”を持つのが勇者で、他は勇者の従者として扱われるのが一般的だ」
「貴重な話だ。研究してみたくなる」
「そうだな。ジョブが後天的に変わるのなら、勇者が聖者や賢者に鳴っても不思議ではないだろう。賢者は、”物事を理解する者”なのだ、勇者の中で一番の知恵者が賢者のジョブになったりするのではないか」
「ほぉ・・・。そうすると、勇者たちが仲間割れしたり、傲慢になったり、王家に対して要求が激しくなるのではないか?」
「勇者は傲慢になって困るのは誰でしょう?俺も彼女も困りません」
「ハハハ。確かに、怖い人だ。ありがとう。参考にするよ」
「独り言ですよ」
「そうだったな。ロッセル。イーリス姫。私は、エサ箱で餌を待つ豚に餌を投げてきます。まーさん。楽しかったですよ。また会いましょう」
「今度は、家名じゃなくて、名前を教えてくれるのだろう?」
「そうですね。名のれるようにがんばりますよ」
次期辺境伯は、振り返らないでドアから出ていった。
まーさんも、ドアを見ていない。正面を向いたまま話をしていたのだ。
しばらくの沈黙の後で、ロッセルとイーリスが思い出したかのように、まーさんとカリンに持ってきた物を渡す。
まーさんとカリンは、兵士の格好に着替えて、持てる荷物は、一緒にいたメイドが持つ。話を聞けば、イーリス付きの侍女だと説明された。残された男性の兵士二人は、”辺境伯の命令で部屋への入退室”を制限していると宣言するために残る。”入退室”というのが肝で、まーさんとカリンは”辺境伯”の許可がなければ、部屋から出られないということになったのだ。時間稼ぎにしかならないが、ロッセルの見解では、4-5日はこれで稼げると説明した。
まーさんとカリンは、イーリスを護衛する任務を受けている兵士のフリをして、王城からの脱出に成功した。
王城を出て、待っていた馬車に乗り込んだ。王城を出てすぐの場所で待機していたようだ。
「まー様。馬車に乗ってください」
「イーリスから乗らないとおかしいだろう?」
「それもそうですね」
イーリスが、従者と馬車に乗り込む。まーさんとカリンは、周りを警戒するフリをして辺りを見る。
「まーさん」
「見られているな?」
「やっぱり!どうします?」
『にゃ!』
まーさんの懐に入っていた、バステトがまーさんの肩に乗って、二人を見ている方向を向いて鳴き声を上げた。
「バステト?」
『ふにゃ?』
「ふふふ。可愛いですね」
カリンが手を差し出すと、バステトが指先の匂いを嗅いでから頬を擦り寄せる。
「カリン。視線を感じないよな?」
「えぇ・・・。本当だ?バステトさんが何かしたのですか?」
「わからない。確かに視線を感じていたが、今は見られているとは思うけど、警察から見られているような感じではなくて、街中で変わった人を見るような視線だな」
「まーさん。その例え・・・。イチミリも同意できないのですが?」
「うそ?同じように感じているよね?知り合いの警察は、生暖かい目で見るけど、ヘルプできた警官や研修の警官なんかだと、頭の先から足先まで抉るように見るよね?」
「だから、まーさんだけですよ。多分・・・。私は感じたことがないですよ」
まーさんとカリンが馬車に乗る前に感じていた視線の行方を気にしながら、ふざけた会話をしていた。
先に乗ったイーリスが馬車から声をかけてきた。
「まー様?」
「うん。カリン。先に乗ってくれ、俺は御者台で話をしている」
「はい!」
カリンが、馬車の中に入っていくのを、まーさんは見送った。
御者台には、兵士の一人が座っていた。
「まー様!?」
「あぁまーさんでいい。同じ兵士の格好をしているのに、”様”はおかしいだろう?」
「あっそうですね。まーさん。まーさんは、馬車の中で」
「いや、今後、御者をする場面もあるだろう?見ておきたいと思っていな」
「はぁ・・」
嘘である。
女性だけの空間に入るのを躊躇ったのだ。それに、同世代ではないが、イーリスにカリンの相談役を頼めないかと考えている。
御者台では、まーさんが兵士と他愛もない話をしている。
「へぇ王城では、そんな”こと”にしているのだな?」
「はい。まーさんと彼女には・・・」
「いや、いい。気にするな。それに、悪いのは、豚たちなのだろう?」
「はい」
「話は違うけど、お前さんたち兵士の給与というか、生活に必要な金は誰から出ている?」
まーさんの興味は、兵士と王都の街並みに向けられている。
「私の場合には、イーリス様の歳費からです」
「ふぅーん。そうなると、雇い主は、違うのだな?」
「そうですが?」
「いや、俺たちの世界では、兵士は国から給料を貰っていたからな。どうなっているのかと思っていな。勇者(笑)たちは、王家から?」
「勇者様は、王家ではなく庇護する貴族様から支払われるはずです」
「へぇ庇護する貴族はどうやって決まる?」
「すみません。イーリス様ならご存知かも・・・」
「そうか、上で話が決まるのだろう」
「はい。私たちの配属先も、上で決められて・・・」
「へぇそれだと、給与や出世も最初に配属された場所である程度が決まってしまうのか?」
「そうですね。一応、希望が出せますので、私はイーリス様にお仕えしたくて、兵士になりましたので、良かったのですが・・・」
「そうだよな。希望しない貴族に仕えるのは無理だよな」
「はい。士官になれば、希望が通るという噂なのですが・・・」
兵士が”噂”と言葉を濁したので、まーさんは、下級兵士から士官になるのは難しいのだろうと判断した。
「その感じだと、士官になるのは、貴族の子弟か、よほど優秀じゃないと難しいのか?」
「はい。試験にも費用が発生します」
「試験が難しいのか?」
「試験は、普通に兵士として仕事をしていれば、問題にはなりません」
「そうか、費用が高いのか?」
まーさんの質問に、兵士は、まーさんの顔を見てから、何かを悟った様な表情をした。
兵士は、まーさんが”召喚された”人だと思い出した。自分たちにとっては”当たり前”のことも知らないのだ。
「そうですが、それよりも、毎年、費用が変わるので、去年と同じだと思っていると」
「・・・。へぇ、貴族の持ち回りで士官の試験をしているのか?もしかして、試験場所も変わるのか?」
「え・・・。ご存知なのですか?」
「いや、知らないけど、貴族にとっては、臨時収入くらいのつもりなのだろう?」
まーさんの問いかけに、どう答えていいのかわからなくて、前を見て操舵に集中する様子を見せた。
実際に、貴族の殆どが、士官テストを使って金儲けを行っている。それだけではなく、不正も横行している。説明がされなかったが、士官になった場合には試験を行った貴族への謝礼を収める必要があり、それが試験の時に必要な費用の3-6ヶ月分となる。それを、1年以内に納める必要があり、実質的に士官になるのは貴族や紐付きの者だけである。
士官の中にも、この現状を変えようと思っている者たちが何度も動いたが、宰相派閥の者たちに潰された。その度に、王国の軍部は腐った派閥の長たちの食い物にされていった。宰相派閥の者たちは、最大派閥の数の論理で、勇者召喚を行った。自分たちの権勢を強めるために使おうと考えたのだ。
「・・・。まーさん。そろそろ、イーリス様のお屋敷に到着します」
「へぇ本当に、街中なのだな」
「はい。国王から、下賜された建物ですが、貴族街の端であり、商人区や職人区にも近く・・・」
「見栄ばかりの貴族は嫌いそうだな」
「・・・。はい」
馬車は、門の前で速度を緩めるが、門番が門を開けた。
「へぇ・・・」
「まーさん?」
馬車は、敷地内に入った
「馬車の確認をしないのだな」
「それは、イーリス様がカードをお持ちになっているので、門番はイーリス様がお乗りだと判断したのです」
「それはすごいな」
カードが盗まれたらとか、偽装は絶対に不可能なのかとか、横道を考えてしまった。まーさんは、頭を振ってから、情報としては覚えておいても、気にしてもしょうがないことに分類した。無駄に魔法で技術が発達しているために、セキュリティの考えが甘いのかもしれないと考えたのだ。
馬車が停まった。馬車の扉が開いた、中から兵士が降りてきた。続いて、カリンが降りて、最後にイーリスが降りた。
まーさんが御者台から降りたのを確認して、屋敷の方向に歩き出す。
「まーさん。何を話していたの?」
カリンが、まーさんに近づいてきて、御者台での話を質問してきた。
「中には聞こえていなかったのか?」
「うん。なんか、魔道具で中の声が漏れないようになっていて、外の音も聞こえなくなっていた」
「そりゃぁ危ないな。中の声が外に漏れないのはいいけど、外の声が聞こえないのは問題があるだろう」
「え?どうして?」
「ここが、安全な日本なら、それでいいのかもしれないけど、盗賊や魔物が居る世界だぞ?襲われた時に、対処が全く出来ませんでしたでは、命に関わるだろう?」
「うーん。でも、馬車で移動している時に、中の人たちが何かをしなければならない状況は、既に詰んでいるよね?」
「そうだけど、指示が・・・。あぁそうか、変に指示を出して、現場が混乱するよりも、生き残る可能性は高いか?」
まーさんとカリンは、後ろからの視線を感じて振り向いた。
「まー様。カリン様。貴族の馬車が使っているのは遮音の魔道具ですが、結界の意味も有るのです」
「へぇ・・・。イーリス。結界があるのは本当だけど、外からの音を遮断しているのは、自分たちだけが逃げ出すときの相談を、兵士や御者に聞かせたくないからだろう?」
「・・・。まー様」
「逆効果だと思うぞ?俺なら、襲ってきた者たちが、コミュニケーションの取れるような者たちなら、中に居る奴の素性をさっさと教えるけどな」
「え?」
「そもそも、襲われる前に情報共有が出来なければ、対策が取れないだろう?なんで、コミュニケーションを拒否する?常に聞かれたくない話をするのか?違うよな?ただ、”身分が・・・”とかくだらない理由なのだろう?」
「・・・」
「いいよ。俺には、関係がない話だ。今まで、そうしてきて、今後も同じ様にするのだろう?結局、イーリス殿も貴族なのだろう」
「私は・・・」
「それよりも、これからの話しを聞きたい」
屋敷からの出てきた者たちで話は、強制的に終了となった。
イーリスは着替えのために奥に連れて行かれた。まーさんたちは、初老の男に部屋に案内される事になった。
まーさんは、屋敷の中に案内されて、リビングと思える場所に通された。
ソファーに座って本題を切り出した。カリンも、まーさんの隣に座る。バステトはまーさんの肩から、カリンの腿の上に移動している。
屋敷の主である、イーリスが出てくるまで、まーさんは腕を組んで無言で何かを考えている雰囲気を出している。
カリンは、腿の上に移動してきて丸くなったバステトの背中を優しくなでている。
カリンは、メイドが持ってきた、紅茶が湯気を立てて居るのを、不思議な気持ちで眺めている。
目の前に置かれた紅茶から湯気が立たなくなった位で、イーリスが部屋に入ってきた。
「おまたせしましてもうしわけございません」
「いや、いい。新しいお茶を貰えるか?」
「・・・。はい」
イーリスは、扉の側に控えていたメイドに目配せをした。
扉が開いた音がして、部屋からメイドが出ていった。
「常識が違う可能性があるから参考程度に聞いて欲しい」
「はい」
「待たせる可能性があるのなら、温かいお茶を客だけに出すな。そして、急に来られなくなったのなら、伝言を誰かに持たせろ」
「あっ」
「まーさん。まーさん」
「どうした?」
「伝言は、わかるけど、お茶はどんな意味があるの?」
「あぁそうか、社会人とかの経験が無いのだよな」
「うん。まぁじぇーけーです!」
「あぁ・・・。待ち合わせとかで、客を待たせる時に、お茶を出したりするのはわかるだろう?」
まーさんは、カリンとイーリスの両方に問いかける。
二人共、頷いている。
「客にだけ、温かいお茶を出すのは、”お茶が温かい間に打ち合わせが開始される”であろうと考える。時間がかかりそうなら冷める前に、お代わりを持ってきて、伝言をする」
まーさんは、ここまで語ってから、出されたお茶を一口だけ飲む。
「温かい飲み物を出すのなら、会議に出る予定の人の分だけ最初から用意する。時間がかからないのなら、温かい間に打ち合わせを開始する」
「まーさん。なんで、全員分のお茶を用意するの?」
「例えば、客のお茶だけを出したら、どう思う?」
「え?わからないよ」
「そうか・・・。俺は、会議がこの部屋以外の場所で行われる予定で、誰かが呼びに来ると思っていた」
「・・・」
イーリスが、少しだけ考えてから、まーさんの話を肯定するように頷く。カリンも、やっとまーさんが何に苛ついていたのかを理解することが出来たようだ。イーリスは、まーさんが話した内容は理解できないが、状況を考えると、配慮が足りなかったと考えた。
「メイドを一人でも部屋に残せば印象も違うぞ」
「まー様。本当に、失礼いたしました」
「いや、いい。たんなる愚痴だ。それよりも、なぜ遅れたのか教えてくれ、すぐに来る予定だったのだろう?」
「はい。豚からの使者が来まして、対応をしていました」
イーリスは、言い訳をするようで心苦しいと言っていたが、まーさんもカリンも情報が欲しいと説得して、イーリスに、話せる内容だけでも話すように依頼した。
イーリスが語ったのは、豚王の自分勝手さが際立つ話だ。
まーさんたちを勝手に召喚しておいて、宮廷魔道士たちが倒れた。魔法陣に魔力を吸い取られたのは、あの場に居たものだけではない。他にも、数十人の魔道士たちが魔力の枯渇まで魔法陣に吸われた。それだけ、負担が大きな魔法陣なのだ。
魔道士たちを使い潰した。
簡単に言えば、それだけなのだが、勇者が召喚されれば、勇者たちが戦力に数えることが出来るようになる。そうなれば、すり潰した魔道士の変わりが出来る。魔力を限界まで座れた宮廷魔道士たちは、すぐに復活は出来ない。7-10日間くらいは休養させる必要がある。
ここで誤算が生じた。
勇者たちは、戦闘経験が無かった。当然だ。日本という安全な国で、上流国民として生活をしていた。他人を殴ったことはあるだろうが、反撃してくる者に攻撃をしたことなど無い。そんな連中が力を持っても、”戦い”など出来るわけがない。豚王たちは焦った。
魔道士の数は、国の防御力に直結する。
豚王たちは、王都にある王城さえ無事なら問題はないと考えている。しかし、魔道士の数が一時的にとは言え減ってしまうのは、自分たちを守る盾が減ってしまうのと同じ意味になる。
そのために、魔法が使える者を豚王は急遽集め始めたのだ。
集めるのはいいが、管理できるわけではない。その役目を、イーリスにやらせようとしたのだ。
「それで?」
「断りました」
「大丈夫なのか?」
「はい。大丈夫です。使者には、どちらでもいいように言われていたようです」
「??」
「豚からの使者は」「え?」
まーさんが声を出して驚いた。
イーリスが、豚と言い切ったのが驚いたのだ。自分に合わせて、豚王や豚宰相と読んでいるのだと思ったが、心の底からの侮蔑の感情を感じさせる、吐き捨てた様な言い方だったのだ。
「あっ。すまん。それで、使者は?」
「はい。使者は、辺境伯が手心を加えていました」
「ふーん」
「え?」
「あぁ気にしないでくれ、茶番にしたのだな。でも、イーリス殿の代わりは必要になってくるのだろう?」
「・・・」
「そうか、ロッセル殿が貧乏クジを引いたというわけだな」
「はい。本当の使者が届けてくれた書簡には、その旨が書かれていました」
「遅くなったのは、豚の使者を追い返すための・・・。違うな、金銭を渡したのだな」
イーリスが、まーさんの顔を驚いた表情で凝視する。
まさに、まーさんが想像した通りに、使者に金銭を渡して情報を引き出していたのだ。
使者を追い返すだけなら簡単だ。イーリスは、王家に連なるものだ。命令に関しても、国王から直接言われたとしても、拒否できる立場にある。拒否したことで不利益が出たとしても、文句を言わないという条件はあるが・・・。それでも、使者に時間を使う理由など無い。
「はい。豚の部下は、豚以下です。銀貨数枚で、情報を売ってくれました」
「情報?」
「はい。勇者様たちに関して、豚たちが掌握している情報です」
「ほぉ。勇者たちの状況が解ったのか?」
「はい。勇者様たちの戦闘スキルが低いのが問題になっています」
「ん?当然じゃないのか?彼らも、魔法がない世界から来ているのだぞ?」
「そうなのですが、表の歴史には、勇者は召喚されてすぐに魔物討伐が出来たと書かれています。数々の魔法を使ったと・・・」
「それを信じたのか?いや、信じたかったのだな」
「魔道士を消耗して召喚したのに、即戦力ではなく・・・訓練が必要。それだけではなく、今の戦闘スキルでは、一般兵にも苦戦します」
「だろうな」
「はい。それで、戦闘訓練の話が出ているのですが、勇者様たちが拒否されていて・・・」
「まぁそうだろうな。甘やかされて育ったのだろう」
まーさんは、カリンを見る。イーリスも、まーさんに視線誘導されて、カリンを見る。
「え?あっ・・・。そうですね」
カリンは、二人からの視線を感じて、バステトの背中を撫でていた手を止めて、答えた。
「まー様?」
「勇者の今後は?」
「はい。戦闘訓練を拒否されていますが・・・」
「カードの契約で縛るのか?」
「はい。それも検討されているようですが、まずは貴族家で教育を行うようです」
「へぇ・・・」
まーさんは、気がついたが、カリンが居るので、それ以上は言及しなかった。
教育が、懐柔なのか、洗脳なのか、それとももっと違った方法なのか、まーさんにはわからない。それに、気にしてもしょうがないという気持ちのほうが強いのだ。
「まー様が気になるようでしたら、勇者様が入られる貴族家も解っております。間者を、潜り込ませますか?」
「うーん。必要ないかな?どうせ囲った貴族たちが自慢するだろう。自慢しなければ、勇者を囲っている意味は無いだろう。貴族からの発表がなくなってから、情報収集を始めても間に合うと思うぞ」
「まー様。なぜですか?」
「勇者たちに大金をつぎ込むのは間違いがないのだろう?もしかしたら、異性を使って懐柔するかもしれない」
「はい」
「そんな勇者に関する。情報公開をやめる意味は無いよな?戦力にしたいのだろう?自分は、『”こんなに”すごい力を持った勇者が味方だぞ』と言わないと意味ないよな?」
「え・・・」
「情報公開をやめるのは、勇者が必要なくなった時か、勇者が逃げ出したときだと思う。そうなってから、潜り込ませても情報は簡単に集められるだろう。貴族家としては、勇者の価値が下がったことを意味するから、情報を秘匿しようとしないだろう?秘匿しようとするのは、勇者が何かをしでかしたか、殺してしまった時だろう?」
「まーさん?」「まー様」
「ん?それに、俺たちが知りたいのは、勇者たちの動向であって、勇者たちがどうなっているのかではない」
まーさんは、カリンを見る。
「はい。出来るだけ、関わりたくないです」
カリンの言葉で方針が決まった。
勇者たちの動向は調べるが、行動が重ならないようにする。イーリスたちに知識と情報を渡したら、まーさんとカリンとバステトは、王都を脱出する。
すぐに動くのは目立つ可能性が高いので、勇者のお披露目が行われる日程に合わせることにした。
明日の朝には、ロッセルがイーリスの屋敷に来るらしいので、勇者たちの情報を聞いて、行動を考える事になった。
イーリスから話を聞いてから、まーさんとカリンは部屋に移動した。
割り当てられた部屋は、隣り合っている。
まーさんは、ベッドで横になると、目をつぶった。疲れていると認識はしているが、眠いわけではない。
(異世界転移か・・・。シンイチ辺りが聞いたら喜ぶか?それとも、カズトの方が好きそうな展開だな。意外な所では、ヤスシ辺りも好きそうだな。シンイチは過労死だったな。カズトも取引をしていた会社を首になった奴に殺された。ヤスシもトラックごと行方不明。あいつらとサクラとカツミだけか・・・)
まーさんは、20歳を越えて就職した。家が、有名な政治家一家だが、まーさんはその水を飲むことが出来なかった。高校卒業後に、親が進める大学には進まずに、父親には関係がない企業に就職した。しかし、同窓会で発生した事件をきっかけに名前を捨てた。
その事件は多くの者の人生を破壊した。中学時代に発生していた虐めが原因だった。まーさんは、犯人に友達を殺されている。しかし、犯人を恨んでいない。犯人に共感さえしている。殺されても仕方がないと思えることを友達はしていた。まーさんは、事件の解決に尽力した。そして、事件の真相が判明した時に、名前だけではなく、地元を捨てた。都会に移り住んで、事件を解決した時に協力した友とだけ連絡をしていた。
(事務所の家賃の前払いは、10年分以上は残っている。それに、美和の所に連絡が行くだろう。そうしたら、うまく処理してくれるだろう)
(タクミとユウキの子供にも会えたし、心残りは、奴の出所に立ち会えなかったことだけだな)
---
まーさんが、召喚された日本で起こっている状況に関しての考察をしている時間に、カリンは自分のステータスを眺めていた。
(聖女なら、回復魔法とか浄化魔法だと思うけど・・・。錬成って何に使うのだろう?)
魔法を発動しようとしているが、イメージが難しく発動には至っていない。
(うーん。何か、身体から抜けているような感覚があるから、魔法の発動は間違っていない・・・)
(やっぱり、詠唱が必要なのかな?うーん。闇とか言われても、ゲームの知識しかないからな)
カリンは、魔法を発動させようとしていた。
好奇心が動機の殆どだが、魔法が使えればまーさんの手伝いが出来るのではないかと思っているのだ。
糸野夕花は、高校生だ。それは、間違いではない。裕福な家の子どもたちが通う学校に在籍していた。3年前に、事件で父を亡くしたが、”被害者”だと判断された。事業は一時的に傾いたが、母と親戚が事業を立て直した。しかし、この状態は長く続かなかった。夕花以外の家族が”事故死”したのだ。
学費の高い学校に通っていた夕花は、遺産で支払うつもりでいたが、法律の壁が夕花の思いの邪魔をした。未成年だった夕花は生活に必要な金銭以外を得ることが出来なかった。実際には、夕花の金なのだが、親戚が管理という名目で好き勝手にしたのだ。
そして、学校をやめることにした。元々、親戚からの強い要望を受けて入った学校で、夕花が望んで入った学校ではなかった。編入先の学校は、家の近くにある公立高校で夕花は安堵した。
しかし、学校に編入する前に、神田小川町で召喚された。
(日本に心残りは無い。私が急に消えたら、警察とかが私の家を調べる。そうしたら、おじさん達がしていた内容を調べてくれるかな?)
カリンは、自分の偽造されたステータスと、偽造される前にメモで残したステータスを見ている。
///スキル
/// 錬成
/// 看破
/// 隠蔽
/// 収納
/// 魔術
/// 聖
/// 闇
/// 生活魔法
(魔術の”聖”と”闇”はわかる。看破と隠蔽もわかる。収納も便利だから必要だ。”錬成”は何が出来るのか一切わからない。それに、記憶が正しければ、”錬成”にはレベルがなかった。生活魔法と同じ・・・)
”錬成”は、特殊なスキルで使えるものがドワーフ族やエルフ族の一部にしか存在しないスキルだ。すごく希少なスキルなのだ。
カリンは、魔法の実験をしながらベッドに身体を預けて目をつぶった。
---
まーさんとカリンが、部屋のベッドで横になっている頃、イーリスは意外な人物の訪問を知らされた。先触れが来て、10分位で到着すると教えられた。
「ラインリッヒ辺境伯様」
「イーリス殿下。儂に、様付けは必要ない」
「ラインリッヒ辺境伯閣下。殿下はやめてください」
「イーリス様。儂は、イーリス様を支持する派閥をまとめているだけの者です」
イーリスは目の前に座る人物が苦手だ。それでなくても、派閥の長で、研究所の出資者なのだ。
「・・・。わかりました。ラインリッヒ殿。今日の訪問の意図を教えて下さい」
「イーリス殿とロッセルが、匿った二人の異世界人のことを知りたいと思っただけじゃ」
「・・・。ご子息にご報告致しましたが?」
「聞いている」
「なら!」
イーリスが激高しかけるのにも理由がある。
二人は、王城で過ごしていることになっている。目の前に座るご老人が、普段なら絶対に足を運ばない”研究所”を訪れたのだ。目端の利く人間あら、”研究所”に何かあると考えても不思議ではない。イーリスが所長を務める研究所が、初代勇者に関わる書物や伝承の研究をしているのは有名なことだ。紐付けて考える者が出てきても不思議ではない。
「解っている。儂は、王城に居ることになっている」
「え?」
「息子が、儂の部屋で、身代わりをしている」
「なぜ、そんなことを、私を呼び出して貰えれば・・・」
「それも考えたが、呼び出した方が不自然に見える。違うか?」
イーリスは、辺境伯を睨むように見る。言っていることが全面的に正しいのは解っている。
辺境伯が”王女”を呼び出すのは不自然に見えてしまう。尋ねるには、時間も場所も都合が悪かった。
「・・・。わかりました。ラインリッヒ殿は、何をお知りになりたいのですか?」
「勇者たちの人となりはわかった。国王や宰相にお似合いじゃ」
「・・・」
「息子から、愉快な話を聞いたので、その真意を確認したかったのだが、まーさんは既に寝てしまったのか?」
「わかりませんが、お疲れのご様子でした」
「それもそうだな。イーリス殿は、まーさんの話を聞いて、”どう”考えた?」
「どのお話でしょうか?」
「イーリス殿が、感じたことをおしえてくれ」
イーリスには、まーさんが語った話は衝撃が強すぎた。特に、イーリスたちが認識している本当の初代に関する内容は、すぐにでも検証を開始したいことだ。それに合わせて、初代のことが書かれた文献の解読方法が分かる可能性がある。しかし、イーリスがまーさんに対する感情は、違った、もっと人として感じる物だった。
「ラインリッヒ殿。私は、まーさんが怖いと思いました」
「”怖い”か、愚息と同じ意見だな。ロッセルは、”理解できない”と言っていた」
「・・・。ラインリッヒ殿?」
「イーリス殿が、愚息と同じように感じているとは思わなかった」
「え?」
「まーさんという御仁が”同郷の若者を切り捨てようとしたから怖い”と言っていたが、イーリス殿も同じか?」
「あっ。違います。私は、単純に”何を考えているのかわからない”ので、怖いと表現しました」
「そうか、どちらかというと、ロッセルと同じだな」
「はい」
「ふむぅ・・・。まーさんという御仁は、”賢者”ではないのか?」
「わかりません」
「”わかりません”なのか?」
「はい。まーさんに関しては、何もわかりませんでした」
「”見た”のじゃな。それで?」
「見えませんでした」
「イーリス殿が見えなかった?」
「はい。何かに、守られている印象がありました。見ようとすると弾かれました」
「それは、”怖い”な。もうひとりは、”聖女”だったのか?」
「・・・。はい。間違いありません。今は、偽装を施して居て、確認は”不可能”ですが、最初に見た時には、”聖女”でした」
「そうか、イーリス殿は、聖女に偽装を施したのが、まーさんだと考えているのだな?」
「はい。聖女様・・・。カリン様のスキルには、隠蔽はありましたが、偽装はありませんでした」
「そうか、イーリス殿。儂とまーさんが自然な形で話せるようにして欲しい。できるか?」
「難しいと思います。ご子息も、見抜かれました」
「それは、”怖い”と表現されてもしょうがないな。それなら、正式に”辺境伯”として面会を申し込んだ方がいいようだな」
「はい。その時には、私ではなく、王城のまーさんたちの部屋の前で、護衛をしている者に申し込んでください。それが自然な流れです」
「わかった。それでは、夜分に訪ねて悪かった。明日、もう一度、面会を申し込みに行く」
「わかりました」
イーリスは、ライリッヒ辺境伯が出ていく扉を見つめてため息をついた。
ラインリッヒ辺境伯は、派閥の重鎮だ。旗頭と言ってもいいだろう。イーリスの研究のスポンサーでもある。そして、まーさんとカリンを保護しろと言い出したのも、ラインリッヒ辺境伯なのだ。”なぜ”保護しろと言い出したのかも説明されていない。イーリスを訪ねて来たのも、別の目的が有ったように思えてならないのだ。
イーリスは、明日からのことを考えて頭痛にも似た痛みを感じていた。
(はぁ・・・)
イーリスの何度目かのため息は、開けられた窓から外に出て、誰にも聞かれることが無かった。
まーさんは、内扉がノックされる音で目を覚ました。
(誰だ?あぁそうか、カリンしか居ないな)
「いいよ。こちらには鍵はかけていない」
「まーさん。入って大丈夫?」
「あぁ」
鍵が開けられる音がする。
内扉には両方に鍵が付けられている。カリンは自分の部屋に付けられていた鍵を開けて、扉を開けた。
「本当だ。まーさん。不用心だよ?」
「ん?カリンは、俺を襲うのか?」
「え?あっ!」
カリンは、自分が開けた扉が内扉だと気がついた。自分が開けなければ、誰も開けないのだ。
「いいよ。それで、こんな時間に訪ねてきたのには理由があるよな?寝られないから、”子守唄を謳って欲しい”と言われても、無理だからな」
「・・・。まーさん?」
カリンが、少しだけ怒った雰囲気を出した。まーさんがふざけていると感じたからだ。
「座ったら?俺の家じゃないけど、お茶くらいなら出せるよ」
「あっ・・・。はい」
カリンは、まーさんの意図がわかって、まーさんの正面に腰を降ろした。まーさんは、お茶を用意するフリをして、カリンの開けた扉に足を進める。ドアを開けて、中を覗くが、まーさんが考えていた内容にはなっていなかった。
カリンの部屋で物音がしたようなきがしたので、誰かが忍び込んだのかと考えたのだ。
「まーさん」
「大丈夫だった。それで、本当に、寝られなかっただけ?」
「・・・。まーさん。聞きたいにことがあるのですが?」
「ん?なに?」
「名前を名乗らなかったけど、辺境伯の関係者さんが帰り際に言っていた、”賢者”と”聖女”のことだけど・・・」
「説明した方がいい?気持ちがいい話にはならないよ?」
「はい。お願いします」
まーさんは、昼間に語った話を説明した。
「・・・」
「酷いと思うか?」
カリンが何も喋らないのを、まーさんは、自分が誘導した行為が”酷い”と感じたからだと考えて、問いかけた。
「あっ。違います。まーさん。彼らから”聖者”と”賢者”が産まれると思いますか?」
「どうだろうね。でも、なんと言ったか、”勇者(笑)”の一人でスキルに”聖剣”とか出ていた奴が居たよね?」
「剣崎くん?」
「あぁそうそう」
適当に返事をするまーさんをカリンが睨む。
「まーさん。本当に、おぼえていました?」
「いや、おっさんだから、必要がない事柄を覚えておけないのですよ」
「はぁ・・・。まぁいいです。それで、剣崎くんがどうしました?」
「”彼が”ということは無いけど、”彼らの中”の優劣が周りに、わかりやすい方がいいだろう?そうしたら、”こっち」”に構っていられなくなると思うよ」
「え?」
「だって、今まで、カリンを下に見てきた連中だよ?自分が下になるのは我慢なんてしないよね?」
「あっ・・・。はい」
「彼らは、今まで、親の権力とか、親の金とか、自分で得たものではない、事柄で優劣を競っていたのでしょ?」
「そうですね。誰かを下にしないと・・・。でも・・・」
カリンは、自分がいつも彼らにいじめられていた事実を思い出した。
この世界でも同じだと思ってしまっているのだ。
「カリン。いいか、君は、彼らとの決別を考えている。間違いではないよな?」
「はい」
今までの声色と違って、諭すような優しい声色に、カリンはまーさんを見た。
カリンから見るとまーさんは、今まで自分が抱いていた”大人”とは違っている。何か、大きな”傷”を持っているようにさえ感じてしまう。最初、神田小川町で見かけたときには、怖かった。殺されるのではないかと本気で思った。猫=大川大地さんを彼らが虐め始めて、自分も同類だと思われたと考えた。言い訳を考えている最中に、召喚された。恐怖で、まーさんの着ていた物の裾を握ってしまった。
カリンは、召喚されてよかったと思っている。まーさんの話を聞いて、この人はどんな世界で何をやって来たのか不思議に思った。そして、興味が湧いた。
「カリンが、彼らから離れたら、彼らはどうすると思う?」
「え?」
「彼らの中で優劣を決めて、一人を虐めだすと俺は思っているよ」
「あっ・・・。はい」
「その時に、縋る権威が無いと、彼らはまた、カリンに依存するかもしれない」
「私に依存?」
「あぁ彼らは、カリンに依存している」
「??」
カリンは、わからないという表情をした。
実際に、解っていない。彼らが”自分に依存している?”と言われても、ピンとこない。
「彼らは、カリンを無視するという選択肢があるよな?」
「え?あっそうですね」
「それを選ばないで、自分たちの下にカリンを置きたがっている」
「・・・。はい。実際に、彼らの方が・・・」
「カリン。それは、違う。彼ら自身が何かをしたわけではない。親から借りている物だ。それに、彼らはそうやって自己を形成しないと、耐えられない弱い人間だ」
「弱い?」
「そうだ。だから、彼らは、カリンを虐めた」
「でも、私が弱いから・・・」
「違う。彼らが弱かったから、彼らは、カリンに依存した。ロッセルが言っていた話を思い出さないか?」
「え?」
「俺とカリンが、召喚された場所から移動してから、彼らは、俺やカリンのスキルやジョブを馬鹿にしたと、言っていたよな?」
「はい」
「彼らは、そうやって誰かを自分よりも下にしていないと、自己を形成出来ない”おこちゃま”で弱い人間だよ。それに、もう彼らが”持っていると錯覚している”権力や財力は通用しないよ」
「そうですね」
カリンは、自分でモヤモヤしているのは認識しているけど、”何か”がわからない。まーさんの話を聞いて”何か”を考えようとしたが、答えまで辿り着けそうにない。でも、まーさんが言っている”彼らは弱い人間”は納得出来る話だと思った。
「そうだ!ちょうどよかった!」
「え?」
「ステータスカードを使ってみないか?」
「ん?」
まーさんが、立ち上がって着ていた作務衣のポケットから取り出したカードを持ってきた。
「まーさん。それは?」
「ステータスカード」
「それは、見ればわかるけど・・・。なんで、3枚あるの?」
「うん。大川大地さん改め、バステトさんの分も用意させた」
「あ・・・」
「実際に、偽装や隠蔽がうまく出来ているか、ロッセルやイーリスや辺境伯の関係者の前では、試すには情報が不確かすぎた」
「そうですね」
まーさんは、寝ていたバステトを呼んだ。呼ばれたのが解ったのか、ベッドで丸くなっていたのに起き出して、カリンの膝の上に飛び乗った。
”にゃぁ”
「うん。バステトさん。カードに触れて、魔力を流してください」
”にゃ!”
バステトがまーさんに言われたとおりに、カードに肉球を置いて魔力を流す。
カードに、バステトの偽装と隠蔽されたステータスが表示される。カードの裏には、二つの紋章が表示されている。
まーさんは、紋章が”辺境伯”の物だと理解したが、その隣に枠だけだが表示されている場所がある。
「バステトさん。この紋章らしき物が何かわかりますか?」
「まーさん。バステトさんは”猫”ですよね?」
「そうですが、なんとなく、知っていそうだと思いませんか?」
まーさんの言い方を聞いて納得しかけたカリンだったが、頭を振って”そんなはずはない”と思い直した。
”にゃ!”
「どうしました?」
バステトが、紋章を肉球で叩く。
「そうです。その部分がわからないのです」
”にゃにゃぁ!”
今度は、カードを持ち上げようとする。
「裏返せばいいのですか?」
”にゃ!”
バステトが、まーさんの問いかけを肯定するように鳴き声を出す。
カリンは、二人?のやり取りを微妙な表情で見ている。
(本当に、会話が成立している?)
バステトは、ステータスが表示されているカードの面を見て、一部を肉球で叩く。
///称号
/// マーロンのペット
「バステトさん。もしかして、その紋章は、”マーロンのペット”という項目が原因ですか?」
”にゃぁぁ!!”
まーさんは、また謎が増えたと考えて、カリンは”もしかしたら”バステトの方が自分よりも優秀なのではと考えてしまった。
「バステトさん。紋章の件は、把握出来たのですが、称号は偽装したものですよね?」
”ふにゃ?”
「違うのですか?」
”にゃ!”
「確かに、バステトさんとの繋がりを感じます」
”ふにゃ”
「そうですか、バステトさんも繋がりを感じてくれているのですね」
カリンが二人の会話を不思議そうに見ている。
「まーさん。バステトさん。会話が成立しているように思えるのですが?」
「え?成立していますよ?」
”にゃ!”
バステトも、まーさんの”成立している”を肯定する。カリンは、自分の常識を疑うように頭を左右に振る。
「カリン。ラノベの定番と言えば、使役ですよね?」
「え?まーさん。そっち系の話が好きなのですか?」
「雑食ですよ」
「そう・・・。確かに、”もふもふ”を使役するのは多いとは思いますが、一緒に転移や転生するのは少ないですよ?殆どが、召喚するか、最初に迷い入った森で契約だと思いますよ?」
「カリンも、かなりの数を読んでいるようですね。寝る時に、バステトさんと魔力の交換をしてみたのです、それが契約になったのでしょう」
「え?まーさん。そんなことをしたの?」
「できそうだし、バステトさんも受け入れてくれましたからね」
そう言って、まーさんはステータスカードを手にとって魔力を流し込む。
///称号
/// 聖獣の保護者
まーさんの称号の一つが、変わっている。
///称号
/// 聖獣の契約者
ステータスカードには、偽装した物が表示されている為に、表示は変わっていない。
///称号
/// バステト・ブバスティスの飼い主
ステータスカードの表示を確認したカリンは、微妙な表情でまーさんを睨む。
「まーさん。他に、表現はなかったのですか?」
「ないな」
「えぇ・・・。でも、バステトさんのステータスカードに表示された、紋章の様なものが解ってよかったですね」
「そうだな。俺も、使ってみたが、ロッセルの説明には嘘はないな」
「え?」
まーさんは、自分のステータスカードをカリンに渡した。
「魔力を流してみて、裏の紋章は表示されないよ」
「あっ!それに、ステータスカードの表示は、偽装している物です。隠蔽も無事反映されています」
「うん。カリンも使う?問題はなさそうだよ。辺境伯の紐がついているけど、煩わしくなったら、違うカードを使えばいいよ」
「はい!」
まーさんから、残っていたステータスカードを受け取って魔力を流す。まーさんは気がついていなかったが、ステータスカードには悪魔のような機能がついていた。魔力を流す度に、身体的な特徴を保存しているのだ。本人が許可した人にしか見られない物だが、ロッセルもイーリスも説明をしていなかった機能だ。
「・・・・。え?」
ステータスカードを見ていた、カリンが”素っ頓狂”な声を出す。
「どうした?」
「・・・。なんでも、うん!なんでもないです!」
カリンは、少しだけ大きな声で否定する。
「本当に?」
ステータスカードには、身体の特徴が記載されていた。身長と体重と各種サイズが書かれていた。男女の関係がなく、全てが記載されている。実際には、防具を作る時の採寸の必要性をなくすための機能だが、カリンは自分のサイズを覚えていた。そして、唖然とした・・・。
(誤差が殆どない?違う。これが本当の数値?)
(初代が作ったの?余計なことを・・・。それも、小数点第二位まで書かなくても・・・。体重が減っているのは、下着や服を除いている?もしかしたら、魔力で測る方法が・・・。誰にでも出来てしまう魔法じゃなければ・・・)
カリンはすごく気にしていたが、胸のサイズは日本人の平均よりも小さい。身長は平均よりも大きい。体重は平均以下。スレンダーな体型をしているのだが、それでも乙女の秘密として内緒にしておきたい数字である。
(バストが・・・。減っている・・・。おしりには肉が付くのに、なんで・・・)
カリンは、ステータスカードをにらみつけるように見ている。
「どうした?何か問題でも?偽装するか?」
「え?あっ。ちが・・・。わないけど、違います」
「そうか、問題がないのならいいよ。これで、仮にも身分証が入手できたけど、問題があるな」
まーさんは、自分のステータスカードを、凝視していた視線をカリンに戻す。
自分のステータスカードとバステトのステータスカードを並べる。
「?」
カリンは、両方を見比べるが、問題があるとは思えない。
「まーさん?」
「問題はないよな?」
「はい?」
「それが問題だ」
「え?」
「最初から気になっていたのだが、俺たちは”何語”を話している?見ているステータスカードは、”何語”で書かれている?」
「・・・?」
「彼らは、初代が残した文章を読めないのだろう?確かに、渡した物は読めていなかった。でも、このステータスカードは”日本語”で書かれている。数字も、俺たちが知っている”アラビア数字”だ」
「あっ・・・。でも、まーさん。ラノベの定番では?」
「転移や転生で、翻訳が組み込まれるってやつだろう?」
「はい」
「それなら、俺が日本語で偽装したステータスが見えるのはおかしくないか?」
カリンは、まーさんが何を気にしているのか理解出来ていない。
「ラノベを読んでいる時には気にもしなかったけど、不思議な感覚だ」
「え?」
「俺は、日本語を話している。ステータスの偽装にも日本語を使った」
「うん」
「なのに、彼らは俺と話しが出来る上に、ステータスの内容が読み取れている。それだけではなく、俺が使った言い回しもしっかりと理解している」
「あっ」
「会話の問題だけなら、よくある設定だと思えるけど、業界用語を使った内容の機微まで理解しているのは、どう考えても都合が良すぎる。その癖、日本語がわからない」
「・・・」
カリンは、まーさんが自分の思考を優先して呟いているだけで、会話で何かを導き出そうとしているとは思えないので、黙って話を聞いていることにした。
「そうか、魔力が影響しているのか?」
カリンは、その後も何かをブツブツ言っているまーさんを見ていたが・・・。
「ねぇまーさん」
「ん?」
「話が通じるのに、何が引っかかっているの?」
「あっ。言葉が通じすぎているのが気になっているだけで、引っかかっているわけじゃないよ」
「通じすぎる?」
「えぇ”ケツモチ”と言われて意味がわかる?」
「え?おしりを持つの?痴漢?」
「違うけど、”そう”考えるのが妥当だよな。”誰の知識”を中心に、言葉が通じるのかを考えていた」
「??」
「例えば、カリンが現代女子高校生にしか通じないような言葉を使ったとして、俺に通じないのは年齢的には当然だと思うけど、ロッセルやイーリスに通じるのか?例えば、日本語を適当に繋げた言葉を、生み出した時に、カリンとバステトさんには通じて、他には誰も通じないのか?とか、考え出すと止まらない」
「・・・」
「それに、五十音を数字にこちらの数字に置き換えて、暗号表を作れば・・・」
「あっ」
「勇者(笑)の連中に読まれてもわからないように工夫が必要だとは思うが・・・」
「それは大丈夫だと思います」
「え?」
「だって、王様や宰相が、わざわざ、無能者だと烙印を押した、私たちが残した文章を読むために、彼らに協力を求めるとは思えないですよ」
「確かに、カリンの言うとおりだな」
二人は、ステータスカードを見ながらいろいろ検証を行った。
ステータスカードが魔力を流すタイミングで表示を変えているのがわかった為に、偽装や隠蔽を行えばステータスカードにも反映するのが解った。これは、今後のことを考えるとありがたい発見だ。
カリンが、とある数字を偽装ができないかと、まーさんに聞こうか悩んだが、断念したのは、どうやっても他人には数字が見えないと判明したからだ。
お腹を引っ込めた状態で魔力を流すと、数値が書き変わったのを確認して、カリンは一安心したのだ。
しかし、まーさんはこの時点で一つの可能性に気がついていたが、あえて口にしなかった。
ステータスカードと同じ仕組みが他にもあり、カリンが隠したがっている数値が見えてしまう魔道具が存在しているのではないかと・・・。
まーさんたちが、王城を出て、1週間が経過した。
何もすることがなく、惰眠を貪りつつ情報収集を、行っていた。簡単に言えば、やることが無いから、ダラダラしていたが正しい表現だが、まーさんは夜になると”ふらっ”と部屋を出て商業区にある飲み屋に行くようになった。
「まーさん。今日も、飲み屋?」
「バステトさんをお願いします」
「はい」
”にゃ!”
バステトが、まーさんの部屋からカリンの部屋に移動する。
夕方に、カリンと交わした会話もこれで、4日連続となっている。
最初は、訪ねてきたロッセルに紹介された店に行ったのだが、まーさんが話を聞きたいと思っていた連中は現れなかった。給仕にチップを渡す時に、客層を聞いて、まーさんが求める人物たちが居そうな店を教えてもらった。
「お!まーさん!今日も来たのか?」
店に顔を出すと、2-3日で仲良くなったマスターがまーさんに声をかける。金払いのいい客が好まれるのは、この世界でも同じなのだ。
まーさんは、店を教えてもらって、4軒の店を”はしご”した。最後に入った店が一番”下品”で安い酒を扱っていた。酔っ払ったフリをしてまーさんは、その場に居た全員の代金を自分が持つから、店の酒を全部もってこいとマスターを煽った。マスターは、それなら秘蔵の酒から出してやると言い放ったが、まーさんの懐には、金貨が100枚ほど入っていた。店に置いてある安酒なら全部を買い取ってもお釣りが来る。
「お!」
ここ数日で顔なじみになった客からも声がかかる。
カウンターに移動して、マスターの前に座る。
「そうだ。まーさん。依頼された器具が出来たぞ?どうする?」
「お!それは僥倖。持ってきてもらえるか?」
「わかった」
マスターは、店の奥から抱える位の箱を持ってきた。
受け取ったまーさんは、中身を確認する。まーさんは、”この店”以外の店でも”ガラス”のコップが使われているのが気になって、マスターに聞いてみた。初代様の時代から、いくつかの”魔法”を組み合わせた魔道具でガラスを作っていると教えられた。色は難しいようだが、形は自由に出来ると教えられて、まーさんはマスターに依頼して、”蒸留器”を作ってもらったのだ。初代は、どうやら”蒸留”には手を出さなかったようだ。
「お!注文通り!」
まーさんは、箱から蒸留器を出して笑顔になっている。
マスターだけではなく、店の常連もまーさんが取り出した機材に興味があるようだ。王都や都市ではガラスは一般的に使われているが、まーさんが作らせた様な物は初めて見るようだ。
「まーさん。それで、使い方は?一応、工房からは指示された通りには機能したと言われたぞ?」
「そうだな。マスター。安くて、まずい、酒精を貰えるか?」
「え?”まずい”物でいいのか?」
「あぁ”うまい”のを実験に使うのはもったいないからな」
「わかった」
まーさんが依頼した蒸留器では、注ぎ口があり、2リットル程度が入るよう容器になっている。大量に作る必要がなく、”辺境伯”への土産にしようと思っている。社会人として、手土産は”必須”と考えた。実際には、手土産もなにも必要ないのだが、交渉の席で相手が喜びそうな物を持っていくのは、交渉の第一歩だと考えていた。
実際に、まーさんはロッセルに教えられた店からこの店に移動している最中に、尾行がいることも認識している。手を出してこないことや、敵意を感じないことから、ロッセルが用意した護衛か、辺境伯が指示を出した観察だと判断している。実際に、店の中に入ってきて、興味深そうにまーさんを見ているので、気が付かないふりをしている。
マスターが奥から持ってきたのは”樽”だ。
「樽?」
「あぁ安かったから仕入れたけど、まずくて、飲めない。試しに店に出したら、誰も飲まない。それで、樽で残っている」
「マスター。もしかして、まだあるのか?」
「ある!」
自信満々に言い切るマスターに少しだけ呆れながら、まーさんは口にふくんだ。
確かに”まずい”。
「(たしかにまずい)ミードか?」
「おっまーさんは、流石に解ったようだな。そう、ミードだ。薄い上に、何が悪いのかわからないが、酒精があまり感じられない。余計なハーブが邪魔しているような感じだ」
何が”流石”なのかわからないが、マスターが持ってきた酒精は”ミード”と呼ばれる物だ。まーさんは、日本に居たときにも、ミードを大量に仕入れたけど、納入先が夜逃げして困っている人と、新宿歌舞伎町の星座館ビルで変わったバーを営んでいる人を繋げたことがあった。その時に、飲んだ味を覚えていたのだ。
「たしかに・・・。マスター。このミードは、いくらだ?」
「あぁ・・・。まーさん。その樽は、まーさんにやる。この前の”デポジット”とか言った方法を教えてもらった礼だ」
「そうか?ありがとう。それじゃ、気になっている者もいるようだから、使ってみるか?」
まーさんは、監視している者を意識して、店の中に聞こえるように宣言する。
マスターに必要な物を用意してもらった。
「まーさん」
蒸留を不思議な物を見るように店にいた者たちが見守っている。
熱せられたミードの蒸気がもう一つの容器に溜まり始める。冷やされて水分になっていく。2リットルを蒸留した。客の中に、”冷やす”魔法が使える者がいたので、まーさんが頼んだ。前回、まーさんにおごってもらった人なので、まーさんの依頼を快く受けて、出来上がった水分を冷やした。
「マスター」
「ん?」
まーさんは、冷やされた物を二つのコップに注いた。一つを、マスターに渡した。
自分が先に口を付ける。
(若いけど、さっきよりは、アルコールを感じる。ハーブが際立って、うまくなっているな)
「う、うまい!まーさん!何をやった!」
詰め寄るマスターをまーさんは落ち着かせて、見ていたとおりの話をする。蒸留の仕組みは面倒なので黙っている。”まずい酒精”がうまくなる”可能性”がある装置とだけ教えた。
「まーさん!この装置!」
「いいよ。マスターが自分で作るのなら、勝手に・・・。は、ダメだな。数日、待ってくれ話を付けてくる」
まーさんを監視していた者が慌てだすのを見て、辺境伯の手土産だったのを思い出した。監視している者から、辺境伯に連絡が行くだろう。
「マスター。数日だけなら貸し出せる。それで勘弁してくれ」
「わかった!それでも十分だ。まずいミードがうまくなるからな」
まーさんは、細々した条件をマスターに提示したが、マスターは”わかった”の一言で済ませた。監視している者が店を出ていったのを見て安心したまーさんは、マスターに使い方を教えながら、店に居る他の客にも飲ませた。
蒸留した物は、蜂蜜の甘さが強くなり、ハーブが際立っている。偶然なのか、狙ったのかわからないが、バランスが整っている。それでいて、酒精が強い。まーさんが鑑定で確認すると、
///アルコール度数:35
と、表示されていた。
また謎が増えたと思ったが、今は気にしないことにした。
(35度か、流石に飲み続けるにはつらそうだな。蜂蜜とハーブが聞いているから、水割りよりは、レモンを絞って酸味をプラスしてお湯割りか・・・)
「マスター。レモンはあるか?」
「あるぞ」
(やっぱり、レモンで通じる)
マスターが出した物を見て、まーさんは納得する。物の名前がそのまま通じるのだ。
レモンを切ってもらって、絞って汁を入れて、お湯をもらう。
(俺は、こっちの方が好きだな)
「まーさん?」
「飲んでみるか?」
「いいのか?」
「あぁ」
まーさんは、マスターにコップを渡す。
「うまいな。いくらでも飲めそうだ」
「マスター。お湯で弱まっているけど、酒精はまだ強いからな」
「わかっている。まーさん。この飲み方」
「いいぞ。元々のミードでやってもいいかもしれないな」
「そうだな。少し研究する」
マスターは、それだけ言ってカウンターの中に移動した。
まーさんは、店に来ている”下級兵士”や”王都の住民”や”行商人”と、最近の情勢の話を聞いていた。酒精の力を借りるまでもなく、愚痴にまぎれて現状がわかる話しをしてくれるのだ。まーさんは、マスターに金貨30枚ほど渡してある。その中から、自分の飲み代を払ってくれるように頼んだ。それと、とある人物を、マスターに紹介してもらって、その人物とその人物が連れてくる人間の飲み代も払うように頼んだ。