カーテンの向こう側が随分と明るくなった頃、私は目を覚ました。
 いつの間にか湊人の腕枕で眠ってしまっていたようだ。
 フローリングの上に脱ぎ散らかしてあったトップスとデニムスカートを着ると、ユニットバスで顔を洗って軽く身なりを整える。
 まだ眠っている湊人をそのままに、朝食作りにとりかかった。
 勝手に冷蔵庫を開けるのは躊躇(ためら)われたけど、近くにスーパーがあるかどうかも分からなかった。
 きっと土曜は美容院だって忙しいだろうし、私のせいであんなに夜更かしさせたのだ。
 自己満足かもしれないけれど、せめてそれくらいはしてあげたかった。
 普段から自炊するというだけあって、調味料も調理器具も大抵のものは揃っていた。
 ハンバーグにでも使うのかオレガノの小瓶まであって軽い衝撃を受ける。
 冷凍ご飯でおにぎりにして、しなびかけていたほうれん草の味噌汁と卵焼きを作った。
 相変わらずの所帯じみたメニュー。

「おはよ。うまそうじゃん」

 湊人に後ろから抱きすくめられて、私の耳が熱くなる。

「おはよう」
「こういうの、なんかいいな」

 一人暮らしらしく汁椀も一つしかないので、私はマグカップに味噌汁を注いだ。
 カウンターに皿を並べて、ふたりで手を合わせる。

「いただきます」
「いただきます。うん、うん。うまい」

 子供みたいに大きな口でもぐもぐ咀嚼(そしゃく)する湊人が可愛くて、私は笑った。
 なんて穏やかな朝だろう。なんて平穏で温かい時間なんだろう。

「幸せ」
「ん?」
「今、私、すっごく幸せ」

 怪訝そうに箸を止めていた湊人が「そりゃ良かった」と唇の端をちょっと上げる。

「でも……どうして、私なの?」
「なにが?」
「どうして、こんな私のこと、好きになってくれたの?」

 これは恋人同士の甘ったるい、私のどこが好き? なんていう疑問などとは違う。
 私は湊人と出会ってから、陰鬱な顔をして泣いてばかりいる情けない三十路女だったはずだ。
 明に捨てられてから、自信もプライドも失っていた。
 出会った時だって、湊人は私にダサいと言ったのだ。
 それなのに、どうして私のそばにいて、私を愛してくれたのだろう。
 湊人に愛される理由なんて、どこにあるのか。
 窓からの朝陽が柔らかに湊人の顔を照らしている。
 じっと私を見ていた彼が口を開いた。

「本当に覚えてねぇのか?」
「え? なにを?」

 予想もしていなかった湊人の言葉に、きょとんとしてしまった。
 覚えてない?

「二年くらい前の結婚式。結衣は紺色のワンピースを着てた」

 突然、なんのことだろう。結婚式?

「誰かの結婚式、あったろ? その日、ヘアセットに行った美容院のこと、覚えてないか?」

 二年前。

「あ、瑠璃の……」 

 瑠璃と義信さんが青山の式場で結婚式を挙げたのが、確か二年前だ。

「確かに、ネットで美容院を探してヘアセットに行ったけど……」

 頭の中の記憶の引き出しを片っ端から開いてみても、それ以上のことは思い出せない。
 いつもは行かない美容院でヘアセットをして、青山に移動した。
 でも、あれ? どこの駅の美容院に行ったんだっけ? 青山?

「あの時、結衣のヘアセットやったの、俺だよ」

 目を丸くして湊人を見返すと、彼は「マジで覚えてなかったんだな」と苦笑した。