落ち着きを取り戻した頃には、私の帰る方向の電車の運行はとっくに終わってしまっていた。
 それを言い訳にするつもりはないけれど、今夜はもう帰りたくなかった。
 どうしても湊人から離れがたく、それを察した彼が何も言わずにタクシーを拾って二人で後部座席に乗り込んだ。
 湊人が自宅の住所を告げると、ワンメーターとちょっとであっという間にマンションに到着する。
 彼の部屋を訪れるのは二度目だ。
 相変わらず整理整頓された、湊人の香りでいっぱいのワンルーム。
 玄関のドアが閉まると、私たちは靴を脱ぐ間ももどかしく、どちらからともなく抱き合って口づけた。
 短く長く、浅く深く。夢中になって繰り返す。
 映画館でされた悪戯なキスとは違う、甘いような辛いような激しいキス。
 全身の血液が沸騰(ふっとう)しそうなほどに身体が熱くなる。ドキドキして、まともに考えられない。
 愛情のあるキスって、こんなに気持ちが良かったっけ。
 明とは付き合って六年ほど経った頃から、スキンシップが激減していた。
 セックスどころか、キスですら最後にしたのはいつだったろう。
 キスってこんなに心が満たされて、刺激的なものだったんだ。
 思考が溶けてしまいそうだ。

「湊人、好き。大好き」

 湊人の首にしがみつくと、キスの合間に必死に言葉で訴える。
 きっと彼がいなかったら、今の私はいない。
 強引でふてぶてしくてナルシストで意地悪で、優しくて温かで。
 湊人が目を細めて、愛しそうに私を見つめて小さく笑う。

「だから、知ってた。結衣、ほんと分かりやすいから」

 鼻と鼻の先が触れて、また唇を重ねあう。

「そういうところも、好きだ」

 湊人の口からそんな言葉が漏れて、私の鼓動が更に大きくなった。
 彼に手を引かれて、ベッドまで移動する。
 黒いシーツの上にどさっと豪快に押し倒されて、ベッドが軋んだ音をたてた。
 覆いかぶさった湊人を見上げると、綺麗な茶色い瞳に私が映っている。
 吸い込まれそう。
 湊人の唇が降ってくる。
 カットソーに手を差し入れられて、シャワーを浴びたいとか歯磨きをしたいとか、今更おかしな乙女心が(うず)きだした。

「あの……シャワー貸してくれない?」
「この流れで、それ言う?」

 ちょっと体を起こした湊人が呆れたように眉根を寄せる。

「ダメだ。今更、離すわけねぇだろ?」

 湊人は私の指を絡めとると、また私の首筋にキスを落とす。
 せめて、電気を点けないでいてくれてよかったと、心の中で思った。
 湊人に壊れ物を扱うように優しく抱かれて、誰にでも身体を許していた時には感じ得なかった思いで胸がいっぱいになる。
 幸せすぎて涙が出るということを、私はその夜、初めて経験した。