湊人がうちにやってきたのは二十二時を回った頃だった。
 二人で並んでソファーに腰掛けて、食事はいらないと言う彼が買ってきた缶ビールで乾杯した。
 ローテーブルに簡単にあるもので作ったおつまみを並べる。

「おつかれ」
「おつかれさま」

 湊人は上着を脱いでTシャツ姿になると、ソファーの背もたれにもたれかかった。
 かなり疲れている様子で、そんななか家まで来てくれたのかと思うと胸が痛んだ。
 今日は何をしても思考が明に持っていかれて、うまくいかない。
 茶色く焦げた出汁巻き玉子をため息混じりに口に運ぶと、味付けを打ち消すほど苦くて悲しくなった。
 湊人が今日は店長がどうっだったとかさゆが店に来たとか話しているのに、私は曖昧(あいまい)に頷くことくらいしかできずにいる。

「なんかあった?」

 心ここにあらずな私を見かねて、湊人が首を傾げた。
 ここで素直に話すべきか、それとも、ただ彼と同じ時間を共有することで自分自身が落ち着くのを待つべきか。
 こんな胸の内を話したら、湊人は呆れて私から離れていかないだろうか。
 こんな思いで呼び出したなんて知れたら、帰ってしまうんじゃないか。
 打算的な考えが頭を巡る。
 私が口ごもっていると、湊人が私の頬を軽くつねった。

「この前も言ったけど、お前、分かりやすいんだよ。なんかあったんだろ」
「痛い」
「言いたくなけりゃ言わなくてもいいけど」

 湊人はちょっと笑って手を離すと、グラスに移したビールを飲み干した。
 やっぱり、無理には聞かないんだな。
 彼のその優しさが以前はとても嬉しかったのに、今は苦しい。
 話して何か肯定的なことを言ってもらいたい自分が、私の口を開かせようと騒いでいる。
 でも、肯定的なことなんて言ってもらえる保障なんてない。
 心に明が少しでも戻ってきてしまっているのに、肯定的な発言を求めるなんてズルイ。
 突き放されて、私の前から湊人がいなくなってしまうのが怖い。

「まぁ、でも誰かに一緒にいてほしかったんだろ。飲もうぜ」

 湊人が優しく私の頭を撫でるから、じんわりと涙が滲んできた。
 本当によく泣くやつだと思われているかもしれない。
 私だっていい年した大人が、こんな年下の男の子相手に泣いてばかりでみっともないと思う。
 でも、湊人の優しさにほだされる。
 私は汗をかいたグラスを両手で握って、涙が零れるのを耐えた。