本当は、私が今まで見てきた彼が、そんなことをしなさそうだっていうことくらい分かっているのに。
 それでも、私の心の奥で警告音がする。
 信じてはいけない。愛してはいけない。そう訴えかけてくる。
 湊人が私の両肩を力強くつかんで、まっすぐに私を見つめる。
 湊人の瞳に吸い込まれそうになる。こんな時だって、彼は美しくて。

「好きな女を裏切るってことは、そいつを選んだ自分のことも裏切るってことだ。俺は俺の選んだ女を信じてるし、そいつを選んだ自分自身も信じてる」

 胸を打たれて、心臓がぎゅっと苦しくなった。
 湊人から目を逸らせない。
 こんな考えの人に出会ったのは初めてだ。
 絶対的な自信に、湊人らしさを感じる。
 彼ははっきりと言葉を区切りながら、また「俺は、絶対、結衣を裏切ったりしない」と言った。

「けど……もし、またあんなことがあったら、きっともう本当に立ち直れないよ」
「俺を信じろ」

 どうして、そんな。
 どうして、こんなに。
 路上に落ちていただけの、ボロボロの私なんかに、そんなことを言ってくれるの?
 どうして、そばにいてくれるの?
 そばに、いようとしれくれるの?
 どういうつもりで、信じろなんて言うの? 抱きしめたの?

 感情が(たか)ぶって、頭の中がぐちゃぐちゃになる。
 そもそもこれは、そういう意味と受け取っていいのだろうか。
 抱きしめられて信じろと言われても、好きだとか付き合おうとか、明確な言葉がないのが余計に怖い。
 これで変に勘違いして期待したら、ある日突然「友達として、信じろっていうことだったんだけど」なんて言われても、辛い。
 それって裏切られる以前の問題だ。
 私が口ごもっていると、湊人がふっと苦笑する。
 ポンポンと私の頭を軽く撫でて、身体を離した。

「困らせて悪かった。無理に信じようとしなくていいし、もうしばらくこのままでいいから」

 そう言うと、くるっと私に背を向ける。
 すっかり陽は落ちて、暗くなった空にライトアップされたレインボーブリッジが浮かんでいる。
 湊人はそれを眺めながら、うーんと伸びをした。
 もう夜景を楽しむ気分にはなれそうにない。
 彼の優しさに胸が痛む。
 きっと困らせたのは私だ。
 あのまま湊人を突き放さずに抱きしめられていたら。
 まっすぐに信じると言えていたら。どうなっただろう。
 彼はどうしただろう。
 信じるのも裏切られるのも、湊人に踏み込んでいくのも怖い。
 それでも、もう見ないふりをすることはできない。

「帰ろうぜ」

 湊人が私の足元に転がっていたカップをひょいっと拾い上げて、すれ違いざまに私の肩にやんわり手を置くと先に歩き出す。
 当たり前のように何度も手を繋いできたのに、今は私の手をとろうとはしない。
 宙ぶらりんになった私の手がなんだかすごく切なかった。
 抱きしめられて拒んだくせに数歩分だけ先を歩く彼の背中に駆け寄って抱きついてしまいたくなる自分がいる。
 この関係を友達と呼ぶことは、もうできない。
 自分を誤魔化すことは、もうできない。
 私はどうしようもなく湊人に恋をしてしまった。