私は涙がこぼれそうになるのを堪えて、首を何度も横に振った。
 湊人は私から視線を外さない。まっすぐこちらを見ている。
 彼の澄んだ色をした瞳を見つめえ返すと、明の姿はすっかり消えていなくなった。
 真剣な顔をした湊人がゆっくりと言葉を区切るようにして言った。

「そいつのためじゃなく、自分のために生きろ。結衣は、変われる」

 優しく諭すような声色に、私はまた明への思いが、未練が、身体の中からそぎ落とされていくみたいな感覚になった。
 湊人に髪を切ってもらった、あの夜のように。
 胸の中がぼんやり温かくなって、それが体中に広がっていく。
 湊人の声を聞いていると不思議と本当に変われそうな気がしてくる。
 自分でも驚くほど、自然と「ありがとう」と感謝の言葉が口をついて出た。
 声が掠れている。

「よし、じゃぁ食うぞ」

 湊人はそう言って、柔和な笑みを浮かべた。
「いただきます」と顔の前で手を合わせると何事もなかったように、さっさと料理に箸をつける。
 口いっぱいに頬張って、もぐもぐ咀嚼(そしゃく)している。

「めっちゃうまいじゃん。また作ってよ」

 湊人は育ち盛りの子供のように口を動かしている。
 彼といると、私の中から明に囚われている自分が一欠けらずつ消えていく。
 出会って数日しか経っていないのに、私ができなかったことを湊人はやってのけている。
 あんなに苦しんでいたのに、もうずっとこのまま悲しみながら生きていくのだと思っていたのに。
 消えてしまいたかったのに。
 湊人の手で、無様で滑稽(こっけい)で、いびつだった私が変わっていく。

「ほら、結衣も食えって」

 彼がそう言って、私を急かすので冷めた料理に口をつける。
 なんだかやたらとしょっぱいような気がして、そこで初めて私は自分が泣いていることに気付いた。
 出会ってから湊人の前で泣いてばかりだ。
 私の方が随分年上なのに、またみっともないところを見られてしまったと思うと同時に、彼に妙な安心感を感じ始めている自分がいる。

「おいしいね」

 涙はとめどなく流れ続けているけれど、私は笑った。
 そうめんチャンプルーをどんどん口に運ぶ。
 相変わらず、味は涙でよく分からない。
 けれど、生きていくために私は食べた。
 私は、生きていく。
 明との思い出や未練のためではなく、自分自身のために。

「変なやつだな」

 そんな私を見て湊人も呆れ顔で笑った。
 湊人の笑顔が何故だか嬉しい。
 都会の片隅で、すべて失くして絶望の海で溺れかけていた私を彼がすくい上げてくれた。
 運命を変える出会いがあるというなら、きっとこれがそうだ。
 あの日から彼に振り回されてばかりだけれど、出会えて良かったと心から思った。