自宅であるレンガ色のマンションが見える距離まで来て、外壁に寄りかかりながら立っている湊人がいるのに気付いた。
 彼の淡色のデニム地のシャツに黒いパンツ姿のひょろっとしたシルエット。まるでファッション誌の街角スナップにそのまま使えそうな絵面だ。
 思わず立ち止まると、すぐに私に気付いた湊人が片手をあげた。

「よぉ」
「なんでいるの?」

 湊人は呆然とする私に小走りで駆け寄って、ひょいっと買い物袋を取り上げる。
 戸惑っている私に気安いかんじで笑いかけて言った。

「腹減った。なんか作ってよ」
「どうして突然……」
「結衣だって、この前突然帰ったろ。突然返し」

 おかしな造語にぽかんと口が開いてしまう。
 彼といるとこんな風になってばかりだ。

「なにそれ」
「で、作ってくれんの? メシ」
「なんで湊人の分まで作らないといけないのよ」
「この前のカット料金、もらってないんだけど?」

 そう言って、湊人は私の髪に触れる。
 急に距離が縮まって、すぐそこにある湊人の茶色く澄んだ瞳を見て固まってしまう。
 心臓がうるさく音をたてた。
 私はそれを誤魔化(ごまか)すように早口に言う。

「お金とるんだ」
「当たり前だろ」

 湊人は私を見下ろして、初めて出会った日のように意地悪な笑みを浮かべる。
 その表情ですら魅力的で嫌味なくらいだ。

「一応、プロの美容師なんで。まさか無料でやってもらえたと思った?」

 私はぐうの音もでなくなってため息をつくと、おとなしく玄関を開け彼を招き入れた。
 湊人が再びこの部屋に入ることになるとは思いもしなかった。
 今朝、久しぶりに掃除機をかけてきて良かったと、心の内でホッとする。
 湊人はまた「おじゃまします」と言って部屋にあがった。
 ヴァンズのデッキシューズを玄関のたたきにきちんと揃えている。
 こういうところは、親の教育だろうか。
 意外とちゃんとしてるんだな。

 湊人は買い物袋をダイニングテーブルに置くと、自分の家かのようにキッチンの流しで手を洗った。
 私はもうそれに言及することもなく、冷蔵庫に食材をしまいながら何を作ろうか考えを巡らしていた。
 元々は暑いし食欲も本調子ではないから素麺でいいかと思っていたけれど、湊人がそれで満足するだろうか。
 キッチンの棚に買い置きしてあったツナ缶があるから、そうめんチャンプルーにでもしようかな。
 それなら少しはお腹にたまるかもしれない。
 湊人くらいの年のころに明と行った沖縄の民宿で初めて食べた、そうめんチャンプルー。
 ごま油とツナの食欲をそそる香りが気に入って自宅でもレシピを調べて作るようになったものだ。
 私は好きだったけれど、今思えば明はどうだったのだろう。