胸の下あたりまで伸ばした髪がどんどん短くなっていった。
 結婚式のために伸ばしていた髪。
 明が好きだと言っていたロングヘア。
 ハサミの先から床に落ちていく髪の毛を見ていると、明との思い出までが一緒に切り落とされていくように感じた。
 どんなに涙を流しても、どんなにお酒に溺れても、消えてくれなかった絶望感と悲しみが私から(こぼ)れていくようで。

「ありがとう」

 私が小さく呟くと、湊人は何も言わずに頷いた。
 不思議な子だ。意地悪で強引で自信家で、優しくて親切な人。
 外から聞える激しい雨音と湊人の動かすハサミの音だけが部屋に響いている。
 私はぼんやりと鏡ごしの湊人を眺めいた。
 私の髪に向ける真剣な眼差し。
 ハサミを握る細い指。
 私と二人きりでいることの似つかわしくない美貌。
 なぜこんな子が私なんかを気にかけてくれるのだろう。
 昨夜出会ったばかりなのに。
 今、私の頭の中は彼で(あふ)れていた。
 
 湊人がハサミを置いた。
 乾き始めた癖っ毛が肩口で切り揃えられて、ふわっと丸いシルエットを描いている。 
 こんなに短くしたのはいつぶりだろう。
 私は明と離れてから初めて、気持ちがすっきりしていくのを感じていた。
 土砂降りの雲の切れ間から、青空を垣間見たような気分。
 湊人の言うように、ヘアスタイルひとつでこんなに気分が変わるものなんだ。

「シャワー使って、頭流してきて。戻ったら仕上げするから」
「ありがとう」

 私は彼に(うなが)され、ユニットバスに向かった。
 扉の脇にあるワゴンに、さっき渡された着替えとバスタオルが置かれている。
 湊人はベッドの上に座って、こちらに背を向けた。
 ――気を遣ってくれてるんだ。
 少しホッとして、浴室に入る。部屋と同様、浴室も掃除が行き届いていた。
 雨で湿った洋服を脱ぐと、体が軽くなったような気がした。
 脱いだ洋服を畳んでトイレの蓋に置くとシャワーカーテンをひいて、浴槽内でシャワーを浴びた。

 熱い湯で冷えた身体を温めながら、私はまた湊人のことを考えていた。
 明のことを思うと心が凍えたようになっていたのに、今は徐々に温まっていく身体と一緒に心まで温もりを取り戻していくようだ。
 昨夜、新宿で私の腕を掴んだ湊人の手。
 私をダサいと言った時の瞳。
 今朝、ベッドの上で伸びをしていた姿。
 女の子たちにむけた嘘みたいに爽やかな笑顔。
 自信満々にあがる口角。
 私を綺麗にしてくれた指。
 ユニットバスの壁面に掛けられた鏡の中の私は、ずいぶん生気を取り戻したような顔をしている。
 このお返しに、私も何かしてあげなければ。
 何にもない私だけれど湊人が困っているのなら、彼女のふりでもなんでもしてあげよう。
 そう決心するとシャワーの蛇口をひねり、浴室内に持ち込んであったタオルで頭と体を拭いて、おっかなびっくり湊人の洋服を身につけた。
 大きめに作られた洋服のようで、私でも余裕で着ることができて胸を撫で下ろした。