駅前の通りから鳥居のある角を曲がるとマンションや背の低いビルの建ち並ぶ住宅街に入った。
 一戸建てはほとんどなくて、わりと田舎育ちで川崎市に引っ越した私にとって新鮮な町並みだ。
 久しぶりに走ったのでわき腹のあたりがちょっと痛い。
 目にも雨水が入って鬱陶(うっとう)しかった。
 ブラウスが肌に貼りついて気持ち悪い。
 五分くらい走って、湊人は灰色の三階建てのマンションに入っていく。
 モルタル塗りの外壁は色あせていて、かなり築年数が経っていそうだ。
 ふたりとも髪の毛から水滴が滴っている。生温い空気と雨の匂い。
 共用廊下を入ってすぐの、くすんだクリーム色をした鉄製の扉の前で、湊人はデニムのポケットからキーケースを取り出した。

「本当に家なんだ」

 私が呟くと「そう言ったろ」と湊人がこちらを横目に見ながら、ちょっと口角をあげて笑った。
 雨に濡れているせいだろうか、彼の流し目が妙に色っぽくてドキッと心臓が音を立てる。
 たとえ湊人が女の子に生まれていたとしても、この顔ならモテただろうなとぼんやりと考えた。
 間違いなく並大抵の女性よりは美人だろう。

「どうぞ」
「お邪魔します」

 促されるがままに、湊人が開いた扉の中へと足を踏み入れる。
 靴が四足ほどでいっぱいになってしまいそうな玄関の先は、十畳弱のワンルームになっていた。湊人の香水の匂い。
 スニーカーを脱いで部屋にあがる彼に続いて、私もサンダルを脱いで部屋にあがった。彼の靴と一緒にサンダルを揃えて並べる。
 玄関も部屋も男性の一人暮らしのわりに綺麗に整理整頓されていた。
 二人掛けの革張りの黒いソファーや小さなガラステーブル。
 (すみ)にある木製ベッドも黒で、マットレスの上のタオルケットは綺麗に畳まれている。
 壁沿いのキッチンと居住スペースを隔てるようにカウンターがあって、その上にCDや雑誌類がきちんと揃えてブックスタンドで並べられていた。
 けっこう几帳面なタイプなんだ。
 明みたいに靴下を脱ぎっぱなしにしたり、読んだ本をあったところに片付けないなんてことはないんだろうな。
 考えてみたら、明以外の異性の部屋に入るのは初めてだ。

「拭けば」

 私が感心していると、湊人がクローゼットの衣装ケースから取り出したフェイスタオルを差し出してくれた。
 Tシャツとスウェットパンツも添えてある。
 気配りも完璧。

「ありがとう」

 着替えまで借りていいのかなと思ったけれど、それよりもすらっと薄い身体をしている湊人を見て、彼のサイズの服がちゃんと入るのか心配になった。
 とりあえずタオルを広げて髪と顔を拭く。
 ふわっと甘い柔軟剤の香りがした。
 自分もタオルでがしがし頭を拭いてから湊人は「髪も濡れてるし、ちょうどいいか」と言って、カウンターに据えられていた椅子を引っ張ってきた。
 周りに何もないフローリングの上。

「座って」
「なんで?」
「いいから」

 またもやろくに説明もせずに強引に物事を進める湊人に、モヤモヤしながらも大人しく椅子に腰かけた。