「さっきの客や何人かが頻繁に店に来て、ああやってつきまとわれるんだよ。しつこく連絡先を訊かれたり、遊びに行こうなんて誘われて。迷惑してるけど、客だから下手なことも言えねぇし、彼女でもいれば諦めるんじゃねぇかと思って」
「それで彼女のふり?」
「そ」

 湊人のシャープな横顔が頷く。

「そんなにモテて、大変だね」
「まぁ、顔が良いから、しゃーないな」

 湊人が片側の口角をくいっとあげて笑いながら、あまりにも当たり前のようにそんなことを言うから、私は閉口した。
 ナルシストとは彼のためにある言葉なのではないか。
 普通の男性が言えば顰蹙(ひんしゅく)を買いそうなセリフなのに全然違和感がなくて、ちょっとおかしかった。
 たしかに湊人は芸能人だと言われても疑いようのないルックスをしている。
 そして私よりもとても若い。
 私が二十歳の時、彼はまだ小学生だったのだ。
 そんな湊人に嘘でも彼女と紹介された事実が、申し訳ないような、くすぐったいような、気恥ずかしいような妙な気持ちだった。

 私たちは総武線のホームに出て、電車を待つ列の後ろに並ぶ。
 湊人は平然と線路の向こう側に見えるビールの看板広告を眺めている。
 相変わらず、どこに行くのかを説明するつもりはなさそうだった。
 ――このままついて行っていいのかな。

「結衣」

 突然、湊人の唇から私の名前が発せられて、思わず隣に立つ彼を見上げた。
 戸惑って何も言えずにいると「なんだよ?」と覗き込まれる。

「えっと、名前……」
「アプリで見た。結衣っていうんだろ」

 そうじゃなくて。湊人が私の名前を知っているかどうかよりも、突然呼び捨てにされたことに驚いていた。

「いきなり呼び捨てで呼ぶから。一応、けっこう年上なんだけど」
「結衣も呼び捨てでいいよ。その方が彼女っぽいだろ」
「彼女っぽいって……もうさっきので私の役目は終了でしょ?」
「まさか。一度、彼女っぽい女を見たくらいで諦めねぇだろ、ああいう連中は」

 湊人は頭をかいて、ため息をついた。
 その様子に、心底迷惑しているらしいことは分かった。
 でももっと年相応の女友達の一人や二人、いるだろうにと思う。
 むしろ彼の彼女役なら喜んで引き受けてくれる子なんて大勢いそうだ。

「どうして私なの?」
「別に。なんか昨日も暇そうにしてたし?」
「暇って、なによ」
「路上で寝てただろ。忙しそうには見えねぇけど」

 どうしてこう、痛いところを突いてくるのだろう。
 私は口をつぐんだ。
 年上の威厳(いげん)は、おそらく今のところゼロだ。
 自分が情けなく思えてくる。
 それでも何か言い返そうかと逡巡している内に、ホームに電車が入ってきた。
 ドアが開くと湊人が何も言わずに乗り込むので、私もつい一緒に乗りこんでしまう。
 どうせ、好奇心でここまで来たのだ。最後まで付き合わないでどうする。
 車内はかなり混雑していたけれど、一ヶ所だけ座席が空いていた。
 湊人はまた私の腕を掴むと、そこに引っ張っていく。
 特別、笑うでも優しそうな顔をするでもなく「座れば?」と顎をしゃくった。
 私は遠慮するべきか一瞬考えたけれど、そんなことを考えるのも無駄な気がして大人しく腰をおろした。

 私の前でつり革に捕まって車窓を眺める湊人。
 細い首に喉仏がくっきりと浮き出ている。
 ――不思議な子だなぁ。
 クールな表情に、強引でふてぶてしい態度をとっているくせに、要所要所では私に親切にしてくれる。昨夜だってそうだ。
 彼らの年代から見たら、おばさんだと思うような私。
 そんな女が道端でどうにかなろうと、見て見ぬふりをするのが普通だ。
 それなのに私を家まで運び、朝まで様子を見ていてくれていた。
 発言を抜きにすれば、間違いなく、ありえないほど親切にしてくれている。
 若い子の気まぐれなのか親切心なのか、まだ湊人を見ていても分からない。
 彼女のふりをしてほしいというのが目的らしいけれど、それだって()に落ちない。
 そこまで考えて、湊人のことをもっと知りたいと思い始めている自分に気がついた。
 ――十歳も年下の相手に興味をもつなんて、痛いおばさんじゃない。
 いい歳して路上であんなことになっていた時点で、もうとっくに痛いんだろうけど。
 新宿を出てから十分も経たずに停車した駅で、湊人は「降りるぞ」と言ってドアの方へ歩いていく。
 私は慌てて彼のあとについて電車を降りた。