湊人からメッセージアプリに送られてきたのは、JR新宿駅東南口からすぐのビルの住所だった。
 昼過ぎに住所が届いてから、私はスマホのディスプレイに開いた地図アプリとにらめっこしていた。
 行くべきなのだろうか。
 見ず知らずの、ふてぶてしい彼の言うことを聞く必要があるだろうか。
 行ったら何があるのか気にはなるけれど、言うとおりにするのも癪だった。
 このまま湊人の連絡先を消去してしまってもいいはずだ。
 けれど、彼は不幸のどん底をさまよっていた私にとって、異質な存在だった。
 漠然と湊人がこの生活に変化をもたらしてくれそうな気がする。
 昨夜のことをなかったことにして、また底なし沼に戻るのは嫌だ。
 私は悩むことも(わずら)わしく感じながら、夕方になってから家を出た。

 五分ほどで最寄り駅に到着する。
 駅から少し歩いたところに大学のキャンパスがあるため、駅前は学生と思しき若者たちで混雑していた。
 幼い頃、母はよく私のことを「好奇心旺盛で危なっかしい」と評した。
 怖がりのくせに高さのある遊具に上って、案の定、恐怖で降りられなくなって大泣きしたり、下校中に行ったことのない道に行ってみたくなって迷子になったり、度々、母の肝を冷やしていたらしい。
 さすがに向こう見ずなことはしなくなったけれど、思春期を迎えても、大人になっても好奇心旺盛さは変わらなかった。
 やったことのないことには挑戦してみたくなるし、行ったことのない場所には行ってみたくなる。
 私は小田急線の改札を抜け、ホームへの階段を上った。
 一段ずつ上るたびに、行こうか行くまいか思考が二転三転する。
 でも私の心の中では、好奇心が「行くべきだ」と(ささや)いていた。
 そうしているうちに上り線のホームに着いてしまい、ちょうどタイミングよく急行電車が停まるから、私は思い切って乗り込んでしまった。

 帰宅ラッシュ前の小田急線はほとんどの座席が埋まっている。
 私はドアの横に立ち、暮れていく車窓を眺めた。
 濃い青から淡いオレンジ色へとグラデーションを描く空。
 胸がギュッと苦しくなる。
 明が好きだった空だ。
 いつだったかこの空になる時間帯のことを、ブルーアワーというのだと教えてくれたことを思い出した。
 何を見ても何をしていても、未だに明を想ってしまう。
 意識が明といた過去に引き戻される。
 なんとかこの感情の波をやり過ごそうとショルダーバッグの紐をギュッと握って耐える。するとパンツのポケットでスマホが震えた。
 ハッとして、意識がこちら側に戻ってくる。
 スマホを取り出してディスプレイを確認すると、湊人からメッセージが届いていた。

『絶対こいよ』

 どこまでも強引なメッセージに昨夜の彼の不遜(ふそん)な態度が思い出されて、自然とため息がもれる。
 湊人は初めて出会ったタイプの人間だと思う。
 年上や目上の人間に対する礼儀を重んじるタイプだった明とは正反対だ。
 新宿に着いてもそのまま下り電車に乗って引き返すか、どこかバーにでも入ってお酒を飲むこともできるけれど、私は湊人の指定した場所に行ってみようと決めた。
 そこに何があるのか、彼にどんな目的があるのか知りたかった。