目覚めると身体中が(きし)むように痛かった。
 まぶたが腫れ上がっているのか、重たくて目が開けづらい。
 部屋にはカーテンの隙間から陽の光が差しこんでいる。
 昨夜のアルコールと号泣のせいで、最後の方のことはあまり思い出せない。
 カーペットの上につっぷして泣いたまま寝てしまった気がするけれど、私はちゃんとベッドの上にいるようだった。
 飲み過ぎたせいか泣き声をあげ続けたせいか喉がヒリヒリと痛い。
 水が飲みたくて、今にもギシギシと音がしそうな体を無理やり起こした。
 ベッドが揺れる。

「んんー」

 隣で何かがもぞもぞと動く気配と聞き慣れない声がした。
 ――え?
 私はギョッとして、飛び退る。
 ベッドの上で昨日の男の子が、横になったまま伸びをしてこちらを見上げていた。
 とっさにお互いの服を目視する。
 たしかにあの後、彼が帰ったかどうか覚えていない。
 でもあんなことを言われたあとだし、何もなかったはずだ。
 顔色を変える私に、彼は片方の口角をちょっと上げて、意地悪そうに笑った。
 不敵な笑みという形容詞がぴったりだ。

「おはよ。心配しなくても、何もしてねぇから」
「……どうして、いるの?」
「さぁ?」

 彼は起き上がるとまた伸びをして、立ち上がった。

「まぁ、昨日よりはマシな顔になったし、とりあえずは大丈夫そうだな」

 どういうこと?
 もしかして私が起きるまで待っていた、とか?
 昨夜から頭の中がクエスチョンマークでいっぱいだった。
 混乱している私をよそに、彼はまた勝手に私のハンドバッグに手を突っ込んでスマホを取り出す。

「ん、ロック解除して」

 そう言って、私に差し出した。
 今度はなんなの。
 もう訳が分からなくて、なんでそんなことと、言おうとすると、途中で遮られた。

「いいから」

 有無を言わせないというように、私を見つめる瞳。
 どうしてこんなに強引なのだろう。私は居心地が悪くなって、(しゃく)だったけれど渋々ロックを解除した。
 彼はまたそれを私の手からひょいっと奪い取って、なにやら操作している。
 一、二分で用事が済んだのか、スマホを私に向かって軽く放り投げた。
 咄嗟(とっさ)のことに取り落としそうになりながら、なんとかキャッチする。
 彼はその様子を見てニヤッと笑った。

「またあとで詳しい場所は連絡するから。二十時に来いよ」
「どういうこと?」
「そういうこと。じゃ、またあとでな」

 そう言うと、私にひらひらと手を振って、さっさっと玄関の方に行ってしまう。
 昨夜から何から何まで説明不足だ。
 ろくに説明もなく、どんどん私を彼のペースに巻き込んでいく。
 私はただ呆然と彼の後ろ姿を見送った。
 靴を履く音と扉の開閉する音で、彼が出て行ったことが分かる。
 スマホのディスプレイを確認すると、メッセージアプリが立ち上がっていた。
 勝手に彼のIDを友達登録したようで、私の連絡先が分かるようにということなのか、トーク画面でスタンプが送られている。
 名前欄には湊人と表示されている。
 みなと、と読むのだろうか?
 湊人。
 彼は湊人というのか。
 その文字を私は指でなぞった。
 そっと、小さく湊人と(つぶや)いてみる。
 その声は窓の外から聞こえてくる野鳥のさえずりや、自動車の通り過ぎる音に混じって消える。

 私はのろのろ立ち上がると冷蔵庫を開け、ミネラルウォーターのペットボトルを取り出して口をつけた。
 冷たい水が喉を通って胃の方へ流れていくのが分かる。
 頭も身体も痛いけれど、気分は悪くなかった。
 私はベッドに戻って腰掛けると、ぼんやりと湊人のことを考えた。
 湊人という名前と、あの色素の薄い茶色の瞳。
 その他のことは年齢も職業も、なにも知らない。
 彼の目的も分からない。
 彼は私を抱かずに、ただ、朝までただそばにいてくれた。
 それだけは確かな事実で。
 明と別れて自暴自棄になってから、体目当てでない男性に出会ったのは初めてだった。
 どさりとベッドに背中から倒れこんで、目を閉じた。
 朝陽の透けている白っぽいまぶたの裏に、湊人の顔が浮かぶ。
 そうしていると、この部屋にいても明の亡霊が立ち(のぼ)ることはなくて、なんだか不思議だった。