「ごめんなさい。ルーファス様の声が聞こえたから……つい」

 割り込んで来たアデル王女が泣きそうな顔をしている。泣きたいのは私の方なのに。

「アデル様、護衛はどうしました? いくらここが安全とは言え護衛はお連れ下さい」

 さっきまで私の側にいたルーファス様は王女様の元へと離れて行く。

 縋る様にルーファス様を見つめる王女の姿と、心配そうに王女を見つめるルーファス様を見ると、また泣きたくなった。
 私がお邪魔虫に思えてならない。

「大丈夫よ。だってルーファスがいるもの。あなたが婚約者のファシーユね」

 そう王女に声をかけられ、慌てて礼をとる。

「ご挨拶が遅れて申し訳ございません。ファシーユ・ドニコールでございます」

 これ以上言葉が出てこなくてカーテシーをするので精一杯。

「ルーファスには良くして貰っているの。その髪飾り……間に合って良かったわね」

「えっ……」

 思わず顔を上げて二人を見た。

「ルーファスが、あなたに何をあげたら良いのか迷っていて相談を受けたの。だから、私のお抱えの職人を紹介したのよ。ほら、私とお揃いね」

 悪気がないのかわざとなのか、王女の蜂蜜色の髪にも私と同じ形の髪飾りが見える。
 色は同じ白銀で、宝石はアデル王女の瞳のタンザナイトとルーファス様のアレキサンドライト。まるで対のようなソレに、私の心は冷え切った。


 ……酷い人。アデル様とお揃いなんて。

 ルーファス様を見ると、困ったような表情を私に向けている。

「王女様とお揃いで……とても嬉しいです」

 そう絞り出すのがやっとだった。

「ここに鏡がないのが残念ね。川は流れていて濁っているから無意味だわ。早く戻って一緒に鏡を見ましょう」

 アデル王女が無邪気に私の手を掴んだ。すると、草を踏みしめる音と共に複数の足音が聞こえてくる。

「姫様、一人で行動なさらないで下さい。探しましたよ!」

 現れたのは三人の騎士。全員に見覚えがあった。
 王族の護衛騎士は全員が貴族の出身で身分が高い。そして、昔は騎士を目指していたルーファス様のご学友でもある。

「大丈夫よ。ルーファスがいるもの。文官になったけど、今も朝に訓練をしているでしょう? だから安心よ」

 王女の言葉に、騎士達が頷く。
 ルーファス様が、まだ訓練をしていた事実を知らないのは私だけらしい。
 血の気が引いた顔でルーファス様を見るとすぐに視線を逸らされる。
 それを見た途端、心に棘が刺さったように痛み出した。
 ルーファス様は、まだ騎士に未練があるのだと知ってしまったから。

「今からでも騎士になれば良いのに。確かに文官としても優秀だけど、騎士の方が似合っているわよ。ファシーユ様もそう思わない。あ、あなたは騎士が嫌いなのよね? 聞いたわ、あなたが文官になれって言ったって」

「えっ……」

 思わぬ爆弾に私の表情は凍りつく。

「アデル様。その話はもう終わったことです。私は自分で決めて文官の道を選びました。ファシーユは関係ありません」

「嘘よ。カサートもお兄様も言っていたわよ。勿体ないって」

 口を尖らせて拗ねる王女様の後ろで、長身の金髪の騎士が私から目を逸らした。彼がカサートだ。

 この噂も相当広がっているのだろう。私の耳に入らなかっただけで。
 心の奥で大切な何かが音を立てて崩れ落ちる。

 夢見のせいで、ルーファス様の未来を奪ってしまったのだと今さらながらに気が付いた。彼の未来を変えたのだから。

 ルーファス様が殺されるあの夢を見た時、婚約破棄まで話を誘導していれば良かったと後悔が襲る。私と結婚しなければ死ぬ未来はないのだから。

「……申し訳ありません。私のせいで」

「ファシーユ、違う。君のせいじゃない!」

 頭を下げると、ルーファス様の慌てる声が聞こえたが顔を上げられなかった。

 涙でぼろぼろの顔なんて見せられない。これが最後なら笑って終わりたかったのに。
 夢見通りならもうすぐ王女が死ぬ。私はその未来を変えるのだ。自分がどうなっても。

「おい! 全員逃げろ。何か来るぞ!」

 先に異変に気がついたのはカサートだった。
 だが気が付いた時には遅く、黒い獣が私達めがけて襲いかかってくる。

「どうして、こんな場所に黒狼がいるんだ。王女、こちらに」

 カサートが焦りながら王女の傍まで駆けてくる。目の前に迫った黒狼は、残りの二人の騎士が対峙している。その間に王女を逃がすようだ。
 黒狼から逃れるように、増水している川の淵まで走る。

 いくら夢見で見ていたとはいえ細部まではわからない。
 『王女がお茶会で死ぬ』ただ、それだけの情報しかない。この後、どうなるのか想像がつかなかった。

「待って、カサート! あっ!」

 運が悪いことに、カサートに手を引かれた王女はバランスを崩しよろめいた。カサートから手が離れると後ろへとバランスを崩す。

「王女様!」

 とっさに一番近くにいた私が、王女の手を掴み入れ替わるように川へと落ちる。だが、なぜか王女が私の手を離さず、王女も引きずられるように川へと一緒に落ちた。

「アデル様! ファシーユ!」

 その声はルーファス様の声で、直後に私達以外の水しぶきが上がる。
 どうやらカサート様とルーファス様が、私達を助けに川へと飛び込んだようだ。

 見た目以上の水量と流れの速さに、繋いでいた王女様との手は離れ、無情にも流されていく。
 もがけばもがくほど水が口や鼻に入り込み息が出来ない。
 流されながら最後に私が見た光景は、王女を抱き抱えた二人が岸へ向かっている姿。

 ……やっぱり、ルーファス様はアデル様のことが好きなんだ。私の存在を忘れているもの。見たくなかったな。でも、王女様が無事なら良かった。


「ファシーユ!」

 水に呑み込まれながらも必死に目をあけると、そこには遠くから私に向かって手を伸ばすルーファス様の姿。

 だが、それをカサート様が止めている。

 当たり前だろう。水の流れは早い。今さら私は助からない。
 これで良いのだと、重くなる身体に諦め意識を手放した。