「もっとゆっくり歩いたらどうだ? 危ないぞ」

「トーヤの言う通りですわ。ファシーユ様。転びますわよ」

 トーヤとセラティア様が、走っている私を止めようと声をかける。
 王宮の南に位置する薬草園で、私は籠を両手に抱えて走り回っていた。

「大丈夫よ!」

「そうは言っても、半年前までは杖を使っていたのに。あの薬草は凄いな」

 ルーファス様達がアリーシェに帰ってから半年が経った。
 トーヤが教えてくれた情報によると、疫病は収束に向かっていると言う。竜国から持ち帰った薬が効いたらしい。

 そして師匠が約束を守るために、大陸の最南端の国まで、奇跡の薬草を取りに行ってくれた。

 その薬草で作ったまずい丸薬を呑み続けること一カ月。

 上手く歩けなかった重い足は軽くなり、杖がいらなくなった。そして、徐々にならし、今は走り回れるほどに回復した。
 昔みたいに自由に動ける奇跡に感謝した。

「あ、忘れてた。ファシー、午後から客が来るぞ。……少しは身なりを整えろ」

「なんで?」

 畑にしゃがみこみ土をいじっている私のスカートの裾は泥だらけだ。こうなることを予想して、汚れても良い服を着ていた。

「私もその方が良いと思いますわ」

 セラティア様までもがトーヤと同じことを言う。
 仲良くお茶を飲んでいる姿は、陽だまりのように眩しい。その温かい空気に触れると、思い出すのはルーファス様の顔。

 この半年間、便りは全くない。
 それを望んで突き放したのに、まだ胸の奥がチクリと痛む。この病はまだ治りそうになかった。

「このままでも大丈夫です。それに、私へのお客様が来る訳ないわ。だってお友達はいないもの」

 街に下りれば、竜国で仲良くなった友人はいるが、王宮にわざわざ私を訪ねて来る人物などいない。

「うーん。ファシーがそう言うなら良いけど。着替えた方が良いと思うけど。お、……思ったよりも早く着いたようだ」

 穏やかな表情だったトーヤの顔つきが変わった。
 それは王族として誰かに接する時のもの。
 トーヤがセラティア様の手をとる。
 二人で立ち上がると、私の元へとやって来た。

 竜族は人間より視覚や聴覚、嗅覚が優れている。トーヤは人間にわからない何かに気づいたらしい。
 一体誰が来たのかと、興味津々に私も立ち上がった。

 そこで気づく。

 二人が言うように、思っていたよりも土まみれだと。

「トーヤ、セラティア様。やっぱり顔だけでも洗って来ます」

「いや、もう良いから。あっちも早く来たよな」

「そうですわね。よほど会いたかったのでしょうね。ファシーユ様に」

 また二人が私にわからない会話を続ける。
 それを聞いて私は口を尖らした。

「一体誰です? その私に会いたい……人って」

 すると、トーヤが一方向へ視線を向けた。私に見るようにと指で示す。
 時間が止まった気がした。
 この場にいる全ての視線が彼に注がれる。



「えっ……なんで?」

 木々の間から姿を現したのは、絶対に忘れない彼だった。
 神秘的な白銀の髪に、私を真っすぐに見つめてくる緑の瞳は嬉しそうに見える。

 半年前は厳しい顔つきだったのに、今はとても穏やかだ。

 どうして彼がここにいるのだろう?
 国交絡みだと思うが、なぜ騎士服ではなく普段着なのか意味不明だ。

「早かったな。もう少し時間がかかると思っていたが。……二人でゆっくり話せ。ファシー……自分の気持ちに素直にな」

 まだ茫然とルーファス様を見ている私に、トーヤがセラティア様を連れて去って行く。どうやら彼が来るのを知らなかったのは、私だけだったらしい。

 さっきまで薬草園にいた師匠の弟子達も、いつの間にかいなくなっていた。

「……どうしてここに?」

 私が話しかけると、ルーファス様は嬉しそうに笑った。

「ファシーユに会いに。そして、告白するためにここに来た」

「えっ……。告白?」

 何を言っているのか理解が追いつかない。
 私の気持ちなら、半年前にきっぱりと伝えたはずだ。一緒にはなれないと。

「もう一度、最初からやり直したい。初めて出会った頃のように。信じられないかも知れないが君だけを愛すると誓う。一緒に過ごして決めてくれないか? それでも無理なら諦める」

 誰かに強要されているとか、嘘とかでもない。ルーファス様の必死な懇願にぐらついた。

「一緒に……。で、でも私はアリーシェへ帰りません。竜国でこのまま生きていきます」

 この気持ちは変わらない。
 この国は、私にとって居心地が良いから。ずっとここに居ようと覚悟を決めていた。

「わかっている。だから、俺がここに住む」

「えっ?」

 ルーファス様のとんでもない発言に、私の顔から血の気が引いた。
 彼は次期侯爵様だ。しかも一人息子。
 そんな彼が竜国に住める訳がない。

「家は父の弟が継ぐことになった。家族や陛下にも了承頂いている。この国では宰相補佐の地位をいただいた。竜人は強いが、考えるのが少し苦手らしい。ちなみに俺は、策略は得意分野だ」

 開いた口が塞がらないとはこのことだろう。
 しかもまたトーヤが絡んでいる。

「葛藤はなかったのですか? 生まれてから死ぬまで骨を埋める予定の場所だったのですよ」

 ルーファス様が努力していたのは私が一番良く知っていた。
 文官になるために。そして、騎士になるためには、血の滲むような努力が必要だった。

「でも、そこに君はいない。俺は、ファシーの側にいたい。これからもずっと」

 彼の瞳に迷いはなかった。
 半年考え、周囲を説得したのだろう。……私のために。

「そこまでしなくても。……そこまでしていただくほど、私は素晴らしい人間ではありません。妬むしすぐ泣くし嘘もつくから……。あなたに飽きられてしまいます」

「俺も同じだ。婚約した時、君と何を話せば良いのかわからなくて無口な男になった。でも、黙っているだけじゃ伝わらない。だから、これからはなるべく言葉で伝える。だから……一緒に過ごそう。出来ればずっと」

 思わず泣いてしまった。
 彼の言葉が嬉しかったから。
 半年前についた嘘は心の傷となっていた。それが解け始める。
 この手を……もう一度取ってみたいと心が訴えた。

「私はこの先、我儘に生きると決めています。それでも大丈夫ですか?」

 最終確認をするために言葉を並べる。

「君が一緒にいてくれたら、どんな日々も色鮮やかになりそうだ」

 あんなにも無口で、何を考えているのかわからなかったルーファス様が、饒舌に話し出した。それも、私が欲しい言葉をいくつもくれる。

「この先、辛いことも多いですよ。竜国では私達、人間は肩身が狭いです。お仕事も竜人に囲まれながらは大変だと思います」

「覚悟してるよ。簡単に出来る仕事はこの世にはない。ファシーがいれば頑張れる。他には何かある?」

 私の不安を次々と潰していくルーファス様は誠実だった。
 だから、私も言葉に出して伝える。

「私で良かったら……一緒にいてください。出来れば年をとって死ぬまでずっと。だけど、しばらくはお試し期間です。ダメだと思ったらアリーシェへ帰って下さい」

 もしかしたら上手くいかないかも知れない。
 そう思った私は予防線を張る。

「いつまで?」

「えっと……半年ほど」

「うん。それなら耐えられるかな。でも、一緒に暮らすのは決まっているから。家も第三皇子から貰っているしね」

「えっ?」

 またしてもトーヤが手を回していたらしい。
 からかうようなルーファス様の言い方に笑みが零れた。すると、私の側まで来ると、一瞬迷いながらも引き寄せられた。
 初めて抱かれた彼の腕の中で戸惑いながらも、その温もりに心から感謝した。

 またこの手を取り、二人で歩める奇跡に。

「愛してるよ、ファシーユ。あ、それと第三皇子には気を付けて。俺達の子供を狙っているから」

「えっ……子供って」

 結婚もまだなのに、いきなりの子供の話に顔に熱が集まった。

「俺達の子供が、皇子の番の生まれ変わりらしい」

 その言葉に茫然とした。

 トーヤが私を助けたのは、亡くなった番から未来を教えられていたからだろう。また生まれ変わると。

 だから私を竜国に呼んだ。
 自分と番のために。
 
「……あとからトーヤを問い詰めないと」

「ああ。俺も手伝うよ。少しは反撃しとかないと」

「ええ、頑張りましょう。宰相補佐様」

 そう言うと、ルーファス様が私の手を取って歩き出した。
 また、この手に触れることが出来た喜びを噛みしめながら未来を目指す。