ため息と共に沈黙を破ったのは広人だった。

「僕は、杏奈さんに想われていたその彼が羨ましいですよ。だって、取られたくないって思うほど好きだったんでしょう?」

確かに、誰にも取られたくない、雄大は自分のものだと独占欲が働いていた。
それほど好きだったことは確かだ。

「その彼はパン屋さんと上手くいったんですか?」

「…そうなんじゃないですか?とりあえず私は振られました。」

二人がその後どうなったかなんて知らない。
退職もしたし、今さらパン屋へ行こうとすら思わなかった。
ただ、杏奈が姿を消したことできっと二人は上手くいったんだろうと、ぼんやりと思ってはいる。

「だったらよかったじゃないですか。意地悪しても二人はくっついたなら、彼女はきっと許してくれますよ。あのパン屋さん、とてもいい人ですもんね。」

「それはそうなんですけど…。」

パン屋の店員の琴葉は、“いい子”を絵にかいたような人物だ。
琴葉が怒る姿など想像できない。
けれどやはり琴葉も人間なので、嫌な気持ちになったりムカついたり恨んだり、そういう気持ちを杏奈に対して持っていない訳がないだろう。

頭を悩ませる杏奈に、広人は更に頭を悩ませることを言った。

「そんなに気になるなら謝りに行ってみたらどうですか?」

「えっ!そんなの無理ですよ!」

今さらどんな顔をして会えばいいというのか。
焦る杏奈に広人はにっこりと微笑みながら言う。

「案外何とも思っていないかもしれないですよ。だって彼女はとても優しそうですからね。」

杏奈はじわりと目頭が熱くなって、また机に突っ伏した。

(ほんと、そう。広人さんと同じくらい優しいから、だからこんなに胸が痛むのよ。)

優しさに触れると胸がぎゅっとなって調子が狂ってしまう。