そんな恋もありかなって。

***

仕事の昼休憩中、友人の愛美とカフェで待ち合わせをしてランチの約束だ。
お互いなかなか時間を合わせられないので、職場が近いこともありこうやってたまにランチをする。

「で?お見合いどうだったのよ?」

メールや電話で連絡を取ってはいたが、今日は直接杏奈に問い詰めてやろうとばかりに愛美は身を乗り出す。

「んー?何かすごい優男だった。」

サンドイッチの付け合わせのポテトをフォークでつつきながら、杏奈がぼそりと言う。

「優男?!杏奈に似合わないわー。」

「どういう意味よ。とにかく真面目で優しい感じ。成り行きで2回会って、メガネ買いに行ったわ。」

「はっ?なぜにメガネ?」

お見合いしてメガネを買いに行くなんて聞いたことがなく、愛美は不思議そうな顔をする。

「だから、成り行きだってば。」

まったく理解できない愛美は眉間にシワをよせながら訝しげに聞く。

「ねえ、それデートなの?」

「いや?違うでしょ。」

あまり時間もないのでサンドイッチを頬張りながら大まかなことだけを愛美に伝えると、愛美は手を叩いて笑いだした。

「何かさ、優男っていうか一歩間違えればヘタレ?って感じ?ウケる。」

「ヘタレ?!」

「だって、話だけ聞いてると何か頼りないというかもう一歩って感じなんだけど。」

確かに愛美の言うとおり、頼りなさげな部分は少し感じた。だけどそれをカバーするほどの優しさが広人にはあるとも思えた。
そう考えてしまったことに、杏奈は打ち消すように頭を振る。

「何面白がってるのよ。私は断るつもりよ。成り行きで2回会っちゃっただけだし、そもそもお見合いなんて受けたくなかったんだからね。」

「いやいや、案外気の強い杏奈と合うかもよ。杏奈がリードしてあげなよ。」

「え?嫌よ。何で年上の男性をリードしなきゃいけないのよ。こっちがリードしてほしいわよ。」

そう言って、杏奈は残りのサンドイッチを口に押し込む。
リードしてほしいなんて考えてしまった自分に驚きを隠せず、打ち消すように水を一気に飲んだ。
何だかんだでまた母経由でお誘いがあり、またしても受けてしまった杏奈は一人項垂れていた。

断るつもりとか言いながら、またずるずると会ってしまっていいものだろうか。
まさかいつの間にか広人に惹かれているとでもいうのだろうか。

(いやいや、気の迷いだわ。)

はぁぁと大きく息を吐き出し、鏡で身なりを確認する。

「今日こそ断るわ!」

鏡に映る自分に向かって、そう高らかに宣言した。

今日は駅前で待ち合わせだ。
今回先に来ていたのは広人の方で、前とはうって変わってカジュアルな洋服だ。
それに先日買ったメガネをかけている。
遠目から見てもすごくかっこよく見えた。
メガネひとつでこうも印象が変わるとは、自分のセンスの良さに杏奈は思わず笑みがこぼれる。

「広人さん、断然この方がいいですよ!とても素敵です。」

「えっ、ありがとうございます。」

メガネを指差しながら杏奈が言うと、広人は頭を掻きながらお礼を言う。
なんとなく頬が赤くなった気がして、杏奈はからかうように言った。

「もしかして照れてます?」

そのとたん、広人は耳まで赤くなって、ごまかすように咳払いをした。
そして逆に杏奈を指摘する。

「あ、杏奈さん。スカートが短すぎです。それに胸元も開きすぎている。目のやり場に困るでしょう?」

「ええー?この格好変ですか?」

杏奈は裾をヒラヒラさせてみたりして首を傾げる。杏奈にとっては普段の格好そのままだ。特に猫を被ったりなんかしていない。

「いや、そういう訳じゃないです。その、杏奈さんが魅力的すぎて他の男性に見られるのが嫌と言いますか…。」

そう言いながら、広人は真っ赤になって口元を抑えながらゴニョゴニョと言い訳をする。

「はっ、すみません。別に僕たち付き合っている訳じゃないのに、そんなこと言って。」

「…いえ。」

褒められたような怒られたようなよくわからない気分になり、杏奈は少し考え込んだ。

広人の言動を見ていると自分に好意を寄せてくれているのではと思うことが多々あるのだが、よく考えたら未だ連絡先も交換していないし、そもそも“僕たち付き合っているわけじゃないのに”だなんて発言をするなんてまったくもって理解不能だ。

(じゃあ何で会うのよ?付き合いたいなら付き合ってって言えばいいじゃない?)

モヤモヤとした気持ちは膨らむばかりで終始そんなことを考えていたら、またしても断る機会を失って一日が終わった。
家に帰ってもそのモヤモヤは一向に晴れない。それどころかどんどん膨らむばかりだ。

“杏奈さんが魅力的すぎて他の男性に見られるのが嫌”とか独占欲を出してくると思いきや、その後は控えめな発言の連発で、杏奈は思い出してイライラとする。
基本的なお見合いの流れというものはよくわからない。

(だけど、何度か合うなら結婚を前提にお付き合いしてくださいとか言われたりするものじゃないの?)

それが一般的なお見合いの流れと言えよう。
ましてやもう3回も会っているのだから。

イライラが募って、勢いにまかせて愛美に電話を掛ける。
杏奈の愚痴を一通り聞き終わった愛美は、ニヤニヤとした顔が思い浮かぶ程のいやらしい声で告げた。

「杏奈、何だかんだ言って好きになってない?」

「は?まさか?」

「次誘われたらまた行くんでしょ?」

「断るわよ。」

「またまたー。ふふふ。杏奈がヘタレ好きとはねー、意外だわ。」

杏奈の意見など無視して好きだと決めつけてくる愛美に、杏奈は叫んだ。

「だから、好きじゃないってば!」

そうだ、断ろうとしていたんだ。
だったら早く断らなくては。

この勢いのまま、杏奈は母経由で今回のお見合いのお断りの旨を伝えてもらった。
今言わないとずるずると流されてしまいそうだったからだ。

母からは「もったいないわねぇ」と言われたが、そんなこと知ったことではない。
お見合い自体はちゃんと受けたのだから文句はないはずだ。
なのに、少し寂しいだなんて感じてしまうのはやはり気の迷いか、それともただ疲れているだけなのだろうか。
コンビニでペットボトルのラベルを見て無意識に広人を思い出す。
他にはどんなデザインを手掛けているのだろうか。
ショッピングモールの自販機で買って貰ったジュースの他の味が置いてあり、これも広人が手掛けたのだろうかと手に取る。

もう関係ない人なんだとわかっているのに、普段は買わないようなジュースを無意識にレジに持っていく自分に嫌気がさした。

「優しい甘さの潤い、か。」

ラベルのデザインはイラストだけではなくキャッチコピーのような文字も入っている。
先日広人に教えてもらったことを思い出しながら、まじまじとラベルを眺めてみた。
色使いや文字の書体、繊細に描かれているフルーツ。
そのどれもが丁寧に描かれていて、すっと頭に入りやすい。
普段何の気なしに触れている飲料水なのに、デザインの行程を考えると何とも感慨深いものに変わる。

ひとくち飲むと、フルーツの甘味が体全体に広がり、優しく潤っていくようだった。
杏奈の前職は早瀬設計事務所で建築士として働いていた。
若いうちから仕事も任せてもらえチームの面々とも信頼関係ができあがっていて、職場環境としてはとてもよかったと言える。
それに、元彼である雄大も同じプロジェクトになることが多く、同い年で同期ということもあり共に切磋琢磨していたのだ。
仕事も任せてもらえるし勉強もできるし、そして何より杏奈という自分自身を認めてもらえていたので仕事にやりがいを見出してとても楽しかった。

転職した今、その信頼関係はまた一から築き上げなくてはいけない。
同じ建築士の仕事といえども、やはり会社が違うと仕事内容も異なることが多い。
それはそれでやりがいがあるのだろうが、どうも馴染めないでいた。
会社としてリノベーションという新しい分野に手を広げようとしていてそこに杏奈が抜擢されているのだが、なかなか上手くチームを纏めあげられないのだ。
中途入社と縁故のせいなのか、社員の不満をひしひしと感じる。
そのせいもあってか、最近は仕事もあまり楽しくなくなっていた。

だからといって安易に辞めるなんてことはできない。
それくらいの責任感はまだ杏奈には残っている。

「はぁぁぁぁ~。」

仕事終わりには毎日大きなため息が出る。
ストレスがたまっているのだろうか、ずっとモヤモヤイライラとした気持ちが頭をちらついて、いい加減爆発しそうだった。
そんな時はやはり愚痴るに限る。

仕事終わりの愛美と待ち合わせをして、久しぶりに繁華街まで出掛けておしゃれな創作料理店で女子会だ。
仕事の愚痴をと思っていたのに、愛美が聞きたいのはそれではない。
とりあえずビールで乾杯をして、さっそく愛美が切り出した。
もちろん話題は杏奈のお見合いのことだ。

「でさ、ほんとに断ったの?」

「断ったわ。」

「えー、もったいない。」

杏奈の言葉に愛美は大げさに驚く。
杏奈はため息ひとつ、じとりと愛美を見て言う。

「なんであなたまでそう言うわけ?」

「だってそんな優しい人、もう出会えないかもよ?」

「この前はヘタレとか言ってたくせに。」

「だからー、ヘタレと優しさは紙一重だって言ったでしょ。」

運ばれてきた枝豆を杏奈に勧めつつ、愛美は持論を展開する。

「もう、ほんと意味不明なんですけど。はー、雄大みたいな人いないかなー。」

ビールを煽りながら杏奈はぼやく。
元彼である“雄大”という名前を久しぶりに発した気がした。
何だか懐かしい気分になる。

「おっ?未練かい?」

「違うわよ。何かこう、私のモチベーションあげてくれる人がいい。」

「また難しいことを。」

目標でありライバルであり、でもいざというときちゃんと助けてくれる。
雄大はそんな男性だった。
雄大に未練はない。
だけど今でもそんな男性が杏奈の理想だ。

二人はビールをおかわりし、運ばれてきた料理にも手を付け始める。
久しぶりの女子会は楽しくて、料理もお酒も美味しいし、つい調子に乗って飲み過ぎた。
澄んだ空だった。
繁華街なので星は見えない。

「あー、月が綺麗だわー。」

駅までの道程、杏奈が空を見上げながら言う。

「杏奈、飲み過ぎ。フラフラしてるよ。」

一歩前を歩く杏奈に注意しつつも、愛美も相当フラフラしている。
夜にゆっくりお酒を楽しむことが久しぶりすぎて、二人ともすっかり飲み過ぎてしまった。

杏奈に至っては、むしろやけ酒のようなものだった。
愚痴を聞いてもらいつつも日頃の鬱憤を解消するためにとにかく飲む。
酔えば、何とはなしにストレスが軽減されるような気がした。

けれどお酒が久しぶりだったこととやはり飲む量が多かったのかもしれない。
愛美と駅前で別れて一人になったとき、杏奈は少し気持ちが悪い気がした。
このまま電車に乗ってしまうと逆に電車酔いしそうな気がして、とりあえず近くのコンビニでミネラルウォーターを買う。

車止めにもたれ掛かってひとくちミネラルウォーターを飲むと、胃に染み渡るようだった。

「はぁぁぁぁー。」

やけ酒をしたくせにいつものため息が出てしまうことに、杏奈の気分は最悪だ。

まったく、何をやってるんだろうか。
仕事も上手くいかない、恋愛も上手くいかない。あげくやけ酒だなんて、自分が惨めに見えてくる。

「…だから上手くいかないんだよなあ。」

ポソリと呟いた声は自分自身を戒めた。
何が杏奈をそんなにモヤモヤさせているか、本当はわかっているのだ。
仕事が上手くいかないことではない。
それはそれで十分悩んでいることのひとつだが、そうではない。
今一番杏奈を悩ませているのは、まぎれもなく広人の存在だった。
だが、そもそも断ったのは杏奈なのだ。
広人と何度か会っていい感じだと思えることも多々あった。
広人の発言だって、思わせ振りなことを言っていたようなそうでもないような、今となってはよくわからないけれど、でも好意は持ってくれていたのではないかと思える。
ただ、はっきりとした言葉を聞くことはできなかった。

(広人さんは私のこと、どう思っていたんだろう?)

杏奈にとって、こういう経験は初めてだ。
学生の頃から女磨きだけはバッチリしてきた。
生まれもった容姿は“美女”なんて持て囃されるくらいで、雄大と共に「美男美女だね」なんて言われていたくらいだ。
雄大と付き合っていても、声をかけてくる男性は数多といた。
杏奈自身もそれを一種のステータスのように感じていたし、自信にも繋がっていたのだ。

(…なのに。)

広人のことを考えると妙な怒りがふつふつと込み上げてくる。
気に入ってくれたのなら“好き”とか“付き合おう”とか、言ってくれてもいいものなのではないか。

(だってそうじゃなきゃ、次も会いたいだなんて思わないでしょう?)

3回も会っておいて、連絡先すら交換しなかった。
もちろん杏奈から切り出してもよかったのだが、何となくプライドが邪魔をして聞けないでいた。

よくわからない態度の広人も、期待してしまって自己嫌悪に陥る自分自身にも、杏奈は苛立っていた。

「はー、むかつく。」

毒を呟いたところで、前から歩いてきた人とおもむろに目が合ってドキリとする。
今しがた杏奈の頭を悩ませている広人その人だったからだ。
「…広人さん。」

「え?杏奈さん?」

広人は驚きつつも、杏奈に優しい笑みを向けた。

「こんばんは。こんなところでどうしたんですか?あ。またそんな格好をして。」

広人の目線が杏奈の肩の辺りを指す。
その目線を辿って、杏奈は自分の肩を見た。
もう夏も終わりだというのにノースリーブのワンピースだ。
ストールを羽織ってたはずなのに、そういえばいつの間にかなくなっている。
忘れてきたのか落としたのか、酔っぱらっているので全く覚えがない。
指摘されたことで急に寒さを感じてしまって、杏奈は身震いひとつ呟いた。

「…寒い。」

お酒で火照っていた体は、夜風を浴びてだいぶおさまっていた。
広人は自分の着ていた上着を脱いで、杏奈の肩に掛けてやる。

「とりあえずこれでも着てください。風邪をひきますよ。」

上着を掛けられてもぼんやりと広人を見るだけの杏奈に、広人は甲斐甲斐しく袖を通してやる。
杏奈は黙ってそれに従った。

「もしかして酔ってます?家まで送りましょうか?」

杏奈から香るほのかな酒の臭いに気付いて広人が言う。
もう二人は何でもない関係だ。
“お見合い”はもう終わったのだ。
それなのに広人は前と変わらず優しく杏奈に接してくる。
そんな態度に杏奈はまたふつふつと怒りが込み上げて、キッと広人を睨んだ。